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新城教会ニュース 2019年4・5月

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ザ・メッセージ

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今年2019年5月、日本の歴史に一つの変化が加わります。それは新天皇が即位し、日本の元号が変わるからです。4月30日には平成天皇が退位し、続く5月1日には新天皇が即位します。
 ところで日本人とは、一体、何者なのでしょうか。そのルーツは、どこにあるのでしょうか。日本人の多くは、「自分たちは単一民族であり、太古の昔からこの島に住んでいる者達の子孫」という考えを持っています。はたしてそれは事実なのでしょうか。
 現代は、かなり高い精度で、遺伝子から見た日本人のルーツが解明されています。ヒトの細胞には遺伝情報が詰まっています。それは「創造主」がおられる証拠です。遺伝子の中に、母方だけの情報を伝達する「ミトコンドリアDNA」という物質があります。不思議なことに、父親のミトコンドリアDNAは、次世代に全く関与しないというのです。この遺伝子を追跡調査することにより、自分の先祖が、どの経路で日本に進入したのか、特定されます。
 その手法を使ったリサーチによると、「沖縄人」と「アイヌ人」が同系統であることが分かっています。日本に最初に足を踏み入れたのは、「縄文人」と呼ばれる人たちでした。「日本人はどこからやってきたのか」という問いに関して、初めて科学的アプローチを試みたのは、江戸時代末期に来日した医師であり植物学者であったドイツ人「シーボルト」でした。彼は、「北海道に住むアイヌ人こそ、日本人の祖先であり、沖縄の人々と同系統である」と論じました。彼がいかに鋭い視点を持っていたのかが分かります。現代人の中に、「古代人は未発達で、現代人は優れている」という考えがあります。しかし人は、神によって創造された「完成品」であり、各時代の違いは、価値観の違
いにしか過ぎません。古代においても、現在と同じように海上交通や各地との交流がなされていたとしても、別段、不思議なことではないのです。人類の移動に伴い、宗教儀式も共に持ち運ばれたと考えられます。

弥生人の侵入
 考古学的にみると、4世紀に大きな変化が起こっています。それは大型墳墓が、全国各地に突如出現しているからです。それらは朝鮮半島経由で日本に進入した「弥生人」と呼ばれる人々の墳墓です。弥生人は、稲作文化を日本にもたらし、狩猟民族から農耕民族へと変化させたといわれます。『古事記』『日本書紀』は、政治的意図をもって八世紀頃編纂されたものであり、歴史を正確に表した資料として扱うのには不適当です。当時の様子を示す最古の記録は、中国の三国時代が終わり、晋の時代に記された、「魏志倭人伝」です。これは三世紀後半に記されたもので、当時の日本(倭)の様子を知る貴重な資料です。そこに、次のような記録があります。
 「男はみな入れ墨する。もぐって魚・貝をとるときに大魚や海獣の害をさけるためだったが、のちに飾りになった。男子は中国のように冠をつけず、みずらを結い、布をかぶっている。体には横長の布をまきつけている。女子は髪をたばねて、単衣の布の中央に穴をあけ、そこから頭をだして着ている。稲・麻を植え、カイコをやしない、絹糸をつむいでいる。ここには牛、馬、トラ、豹、羊、カササギがいない。(Encartaより)」
 この文章から、当時「倭」が、縄文的要素に加えて、弥生文化が融合する様子がうかがえます。この中で興味深いのは、「ここには牛、馬、トラ、豹、羊、カササギがいない」という記録です。当時、どれほどまで正確な調査がなされたのかは疑問ですが、家畜として飼育される代表格の、「牛と馬」がいなかったという記述には驚かされます。もしもその後、大量の牛馬が日本に来たとすれば、何処から来たのでしょうか? まさか、玄界灘を自ら泳いで渡ってきたとは考えられないので、何らかの理由で大陸から持ち込まれ、繁殖されたと考えられます。特に馬は当時は「兵器」として扱われていました。日本人は基本的に海洋民族の「縄文人」と、稲作をもたらした「弥生人」の混血です。最近、東京大学大学院理学系研究科・理学部の研究グループが、「日本列島人(アイヌ人、琉球人、本土人)のゲノム解析により、現代日本列島人は、縄文人の系統と、弥生系渡来人の系統の混血であることを支持する結果を得た」と発表しています。
 このように、日本人は各地から流入し、混血して出来上がった民族であり、決して単一民族ではないのです。
 日本の近代史は明治時代に始まったとされますが、私には素朴な疑問があります。明治天皇は「孝明天皇」の一人息子、「睦仁親王」であるといわれますが、一説によると、孝明天皇は毒殺されたともいわれます。いずれにしても、明治天皇は14才で即位しました。当時、中国まで支配を拡大し、やがて朝鮮半島と日本に確実に手を伸ばすであろう、イギリスやロシアの勢力に対抗する為に、今で言えば中学二年生の若者を、本気で国の最高指導者として選んだのでしょうか。しかも、伊藤博文ら歴代の多くの首相や政治家達が山口県の出身者たちです。それは単なる偶然なのでしょうか。
 日本の近代史の中に、もしかしたら、大きな秘密が潜んでいるのかも知れません。今年は近代史に関心を持ち、日本の未来の為に祈る年としたいものです。二度と戦争の歴史を繰り返す事がないよう、神に祈る必要があるのです。

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父親が牧師というクリスチャンホームのなかで育った私は、音楽を愛する家族に囲まれ、教会では家族と共に神様に捧げられる賛美の中で育まれ、小学校時代はドラムを、中学に入るとサックスにはまり、教会で演奏し、夢中で練習するようになりました。
 いつしか将来を夢見てプロを志す道を選んだ私に、神様はさまざまな出会いや挫折を経験させてくれました。
 17歳のある日、初めて行ったジャムセッションで、私が憧れていたミュージシャンのバンドマスターをしている方が、私の演奏を気に入ってくださり、そのミュージシャンのライブをお手伝いしながら、レッスンを受けさせて頂いたり、その方のステージにも度々立たせて頂くという素晴らしい機会に恵まれました。
 突然訪れた幸運に意気揚々としていた私でした。しかし、次第にクリスチャンとして私が信じる生き方と、一緒にやっている方々にあるものとのギャップを感じ、悩むようになりました。教会生活を大切にしていた私を理解してもらえず「ここは家族と縁を切ってでも、今しかつかめないチャンスをつかまなきゃ。」と言われ、さらに頭を悩ましていました。様々な誘惑の中で、泣きながら「どうか神様のみこころを選ぶことができますように。」と祈り続けました。そんなある日、「もうサラちゃんの代わりを見つけたから、来なくていい。」と、突然クビを宣告されてしまいました。
 プロになるためのチャンスを失い、途方に暮れていたある日、少し前に不思議な形で出会い、名前だけ交換して別れてしまった、中村達也さんという元ブランキージェットシティのドラマーの方と、思いがけず再会しました。達也さんは私に「いつか一緒に演奏しよう」と言ってくれました。しかし、色々あって自信損失していた私は「私、そんなにうまくないので…」と力なく答えました。すると「うまいやつなんてごまんといる。でも、心に届く演奏ができるやつはそういない、サラの演奏を始めて聞いたとき、ガビーンと来たよ。」と言って励ましてくださいました。その言葉で自分を取り戻すことができました。達也さんはまた、「キリストがバックについている女」と言ってくれました。私はこのままの自分で、神様の愛を届ける演奏者として進んでいこうと決心しました。
 その後も不思議な導きの中、敬虔なクリスチャンで世界的なサックス奏者のロン・ブラウン氏と知り合い、個人的なレッスンを受けることができ、2015年にはビクターから1stアルバム「FromMy Soul」を送り出すことができました。今、私があるのは中学生の時に私に志を与え、数々の奇跡の出会いを通して成長させてくださった、私の神様のおかげだと思っています。
 今回、新城教会にお招き頂き、演奏する機会が与えられたことを心から光栄に思い、楽しみにしています。そして、あなたにも神様の愛を演奏の中で感じて頂けたらと願っています。ぜひ、5月26日(日)には会場でお会いしましょう。

イベント情報

復活祭

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The Call Sweet Night Vol.6

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