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新城教会ニュース 2020年4・5月

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ザ・メッセージ

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 戦争、紛争を繰り返している人類も、地球外生物によって地球が侵略されたら、互いに戦うことを止め、一致し、共通の敵に立ち向かうようになる、といわれます。

 そして現在、人類は「共通の敵」を認識しています。それが、未知のウイルス、「新型コロナ・ウイルス」です。この敵が認識されて以来、私たちの生活は一変しました。気の合う仲間が集まる楽しい食事会も、イベントやコンサートも中止に追い込まれ、不要不急の外出は制限され、海外旅行も中止にせざるをえません。
 新城教会では毎日曜日、多くの人たちが一同に集まり、礼拝がもたれていました。しかし4月より、集まることを中止し、礼拝の様子をインターネットで配信し、各自、家庭から参加できるように変更しました。こんなことは私たちの教会では歴史上初めてです。
 この戦いはいつまで続くのでしょうか。明日は我が身かも知れない恐怖の中で、今私たち人類は生き残りをかけて、見えない敵と激しく戦っています。一刻も早く、有効なワクチンと特効薬の出現が待たれる今日この頃です。

 人には緊急事態回避の為に、神により、二つの機能が組み込まれています。その一つが「祈り」です。人には祈りの遺伝子が組み込まれています。その遺伝子は普段は動きません。しかし、どうにもならない事態に遭遇する時、その遺伝子は目を覚まします。助けを求めて神に祈った経験は、誰にでもあると思われます。それは緊急時の為に、神が人に組み込んだ機能です。「119」とダイヤルすればレスキュー隊が到着するように、今こそ私たちは、組み込まれている「祈りの機能」を用いるべきです。神に助けを求めて呼ぶ時、必ず助けは来ます。

 神が創造された被造物の中で、人類はひときわ抜きん出た存在です。なぜなら神は人を、「被造物を管理する管理者」として創造されたからです。本来、「すべての被造物は人の命令に従う」のです。人は、生態系に対して権威があり、「生態系は人の命令に従う」、これが二つ目の神が人類に与えた機能です。
 ウイルスは神の被造物の一種です。あまり知られていないのですが、細菌に善玉、悪玉があるのと同じように、ウイルスにも哺乳類の生存を助けるものや、地球環境を維持するなど、多くの役割があります。
 そもそもウイルスとは、ラテン語で「毒」という意味です。生態系に必要とされるウイルスが毒と化し、人類に敵対する理由は、「突然変異」にあるといわれます。それが「新型」と呼ばれる所以です。コロナ・ウイルスが新型化した背景に、「人が正しい管理を怠った」という理由があげられます。人間中心主義の自然破壊や環境汚染は、しばしば、被造物が人類に牙をむくという結果を生むのです。
 しかし本来、被造物は人の命令に従います。かわいいペットでも、正しく管理しなければ、飼い主を傷つける存在になり得ます。けれども、正しい主従関係の中で飼育し、命令を下すなら、ペットは飼い主に喜んで従うのです。ウイルスについても同じ事がいえます。なぜならペットもウイルスも聖書によれば、すべて神が創造された被造物であり、人は神によって管理を委ねられた者であるからです。二つ目の機能は、新型コロナ・ウイルスに対しても有効なはずです。ご一緒に二つの機能を試してみましょう。

 声に出して、以下の言葉を唱えて下さい。

❶天地宇宙を創られた神、イエスさま。今、私たち人類
を「新型コロナ・ウイルス」の脅威から守り、助けて下さ
い。アーメン!
❷「新型コロナウイルスよ。私は管理人としておまえに
命ずる!これ以上、世界に拡大してはならない。人類
に危害を加えてはならない!管理人の命令に服従せ
よ!即刻、人類から手を引け!! 」

 私たちは近い将来、必ず、暗いトンネルから脱出し、光を見る事でしょう。その日を信じ、互いに励まし、助け合い、勝利に向かって前進しましょう。教会は社会の一員として、二つの機能を駆使し、人類存続の為に、力一杯戦います。

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 2020年も早4月となり、新しい年度が始まりました。本来なら、進級・進学、新社会人として期待に胸を膨らませるはずが、今年は新型コロナウイルスの流行により、多くの方が不安を覚えておられます。こんな状況で、皆さんはどうされていますか?「 困った時の神頼み」で、仏壇に手を合わたり、御利益があると思われるものを手当たり次第に拝んだりしている方もいるのではないでしょうか。しかし、よく考えてみてください。あなたの拝んでいるそれらのものは、本当に信頼できますか? 問題を解決してくれますか? 私は、もし「あなたは何を信じているの?」と問われたら、ハッキリと「私は、神と称される他の神とは違い、死んでしまった神ではなく、唯一の神であるイエス・キリストを信じています」と答えます。

 聖書には、『あなたがたの思い煩いを、いっさい神にゆだねなさい。神があなたがたのことを心配してくださるからです。』(ペテロの手紙第Ⅰ5章7節)とあり、様々な困難、苦しみにあった時、あなたのことを心配してくださる神様がおられることが書かれています。

 私の母は、最初に生まれた子がダウン症であったことをきっかけに教会に導かれクリスチャンとなりました。ですから、私は生まれる前から教会に通っていましたが、小学生の時にイエス様を自分の神と信じて洗礼を受けました。その頃から神様のために働きたいと思い続け、38年ほど前に新城教会に献身をし、今は牧師をしながら株式会社プレイズという印刷出版を中心とした福祉や印刷業も手掛ける会社を経営しています。ビジネスは山あり谷ありで問題も多く、時に行き詰まることもありますが、私にはいつも私のことを心配してくださる神様がおられるので、その方に頼り、今まで乗り越えてくることができました。ですから私は、「クリスチャンになってバカをみた」と思ったことは一度もありません。
 ヨハネの福音書3章16節には『神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに世を愛された。それは御子を信じる者が、一人として滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。』とあります。イエス・キリストは神の御子でしたが、今から2000年ほど前、この地上に人となって私たちと同じ体を持ち、様々な苦しみを体験してくださいました。だからこそ、私たちの悩みを知り、心配してくださり、憐れむことができるのです。そして、すべての人を救うために十字架にかかり死なれましたが、三日目によみがえってくださいました。そのことを信じるだけで永遠のいのちをいただくことができると聖書は教えています。イエス様は、今も生きて私たちの傍らにいて、将来まで責任を持ってくださるまことの神様です。そのまことの神であるイエス・キリストは、あなたのことも心配してくださっています。イエス様の名を呼んで、「イエス様、私の願いを聞いてください」とお祈りしてみてください。主の名前には力があります。必ず、解決に導かれます。

体 験

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 私は、1941年、まだ幼いときに両親とともに韓国から日本へ移ってきました。当時は私たち家族のような、いわゆる「在日」に対する社会の目は冷たく、私は通っていた学校で教師・生徒を問わず、ひどいいじめを日常的に受けました。
 父はとても教育熱心で私の勉強もよく見てくれたので、私にとって学校の勉強はさほど難しいものではありませんでした。でも、テストで良い点数をとると、担任から「お前がこんなにできるはずがない。誰の回答を盗み見たのか?」と問われ、嘘でも「~~さんのです。」と言わなければ納得してもらえない有様でしたので、わざと誤った答えを書かなければならないという始末でした。教室の机の中にたくさんの虫やゴミを入れられるなど、数えたらきりがありません。学校を卒業してからも、就職先はほとんどなく、やっと就職できたところでも、周りの人からはことあるごとに「朝鮮人のくせに・・・」という言葉を浴びせられる日々でした。
 そんな私は父に、「どうして日本なんかに来たの?」と問い正したことがありました。すると父は優しくほほえみながら「日本は将来素晴らしい国になるのだよ。」と答えたのでした。私にとっての日本は、とても意地悪な人たちの国だと思われましたので、「どのようにして素晴らしい国になるの?」と聞くと、「今はまだお前にはわからないさ」と言いました。
 私の祖父は韓国のキリスト教会で牧師をしていました。戦時中には朝鮮半島は日本の一部でした。国家神道を謳う政府により神社が建てられ、韓国人にも神社崇拝が奨励され、クリスチャンは迫害されていました。祖父母も他の牧師たちと一緒に収容所へ連行され、死者が
出るほど厳しい拷問を受けるなど弾圧されました。そんな祖父母の元で育てられた父が、日本でも苦しい生活を味わいながら、なぜそんなことを言うのか? 私は不思議でした。(私はいつかその言葉の真意を聞きたいと思っていましたが、とうとう知る機会はなく父は他界していきました。)
 
 日本に来てから、私たち家族は何度か引っ越ししながら地域の在日韓国人の集まる教会に通い続けました。日本での生活に傷つき悩み、時に病の苦しみを通りながら、神様は私の心にイエス・キリストを主として仰ぎ、お迎えすることを少しずつ学ばせてくださいました。そして、10年前に新城教会に導かれて来たとき、私の目に映ったのは、かつて父が語っていた「素晴らしい日本」でした。
 新城教会には日本人だけではなく在日韓国人もおられます。そして他にもアメリカ・中国・ブラジル・ペルーなどの人々が神様にある兄弟姉妹として集まっています。人種・言葉の違いを超えて認め合い、神様を仰ぎ見て礼拝する中には、差別や偏見はありません。

 父が遺した「日本は将来素晴らしい国になる」という言葉は、高度成長期を経て「経済的に豊かになった日本」という意味ではなかっただろうと私は思います。もしそうなら、あのとき父は「今はお前にはまだ理解できない」とは言わなかったと思うのです。父は信仰の目によって、未来の日本のクリスチャンを見ていたのだろうと思います。
 新城教会では、牧師先生を始めそこにいる人々も、日本と朝鮮半島の間にある歴史問題に前向きに、事実をしっかり見ながら和解を祈り、互いに認め合い一致しながら活動がなされています。新城教会に来て、私は過去に味わった痛みが癒やされ、日本人を尊敬し、共に励まし合いながら歩むことができるようになりました。私は「素晴らしい日
本」を体験できたのです。

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しおんちゃん

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