今週の礼拝メッセージ
2000.1.2(SUN)
神の祝福
新城教会牧師 滝元 明

<今週のメッセージの御言葉>
新約聖書 ヨハネの手紙第三 2節
愛する者よ。あなたが、たましいに幸いを得ているようにすべての点でも幸いを得、また健康であるように祈ります。
 ハレルヤ!おめでとうございます。二〇〇〇年一月二日の礼拝を皆さんと共にささげることができることを感謝します。先ほど中高生によるヒップホップダンスがありました。わたしは今から三〜四年前に、リバイバル聖書神学校が始まり、そこで将来のビションを語らせていただきました。将来はリバイバル聖書学校の中に、踊りの科目をもうけたいと話しました。なぜならば、昔ダビデが喜びを持って神の前に踊りました。クリスチャンになるとなにか堅苦しくなり、世の中と離れすぎてしまっているところがあります。神の前に踊ることは素晴らしいことです。今日本の中で学校の進学率が一番高くて難しいところは宝塚歌劇団だそうです。五百人に一人というのです。ということは日本人の多くの人が踊りたいのです。しかし、教会へ来ると踊りがないのです。今年は七月十八日から八月二十六日までの四〇日間、東京でスーパーミッションが開かれます。その時に彼らが上手になって教会広場で踊ることが出来たら素晴らしいです。また昨年はインターナショナルクリスマスの時に劇がありました。外国から来られている方々は劇がとても上手でした。この教会には外国から来られたの方がたくさんおりますが、共に一つになって礼拝が出来ることはとても素晴らしいことだと思います。様々な賜物が主に用いられたら素晴らしいことであると信じます。さて今日は今年初めての礼拝です。これからわたしに与えられたみことばから共に学んでいきましょう。ヨハネの手紙第三の二節

愛する者よ。あなたが、たましいに幸いを得ているようにすべての点でも幸いを得、また健康であるように祈ります。

私たちのクリスチャンの土台は神の御言葉です。これを信じるか信じないかは大切です。今日この礼拝の時、御言葉を信仰によってつかんでください。

愛する者よ。あなたが、たましいに幸いを得ているようにすべての点でも幸いを得、また健康であるように祈ります。

私は昨年の二月に、イスラエルに行く事ができました。その時、色々なところを見させていただきました。私はイスラエルに行くのは四回目だと思います。何処に行くにもガイドさんが熱心に案内してくださいました。始めて行った方は一生懸命聞いていますが、四回目である私は「わかっている」と思いながら軽い気持ちで話を聞いていました。そんな時に聖書を開くと、イザヤ書の御言葉で「あなたは聞いていることを心に留めていない」という御言葉が心に飛び込んできました。私は神様から怒られたような気がしました。私はその時御言葉を心に留めなくてはならない、ガイドの説明を真剣に聞かなくてはと思いました。それから悔い改めて真剣にガイドさんの話を聞くようになりました。そしてその旅行は大変素晴らしい祝福を頂くことができたのです。今日あなたも毎週語られる御言葉を真剣に聞き、信仰を持って受けとめましょう。

愛する者よ。あなたが、たましいに幸いを得ているようにすべての点でも幸いを得、また健康であるように祈ります。

神様の御心は皆さんを祝福することです。神は善で真実な方です。必ず祝福して下さいます。このことを信仰持たなくてはなりません。ある時は、神様は恐ろしい方だという考えを持つことがあるかも知れません。罪を持っている時は、神様が恐ろしいと思うかもしれません。しかし、悔い改めて救われたら、愛が深く、素晴らしい祝福の神様です。今年二千年は私にとって素晴らしい、記念すべき年です。昨年十二月十二日に主任牧師を順牧師と交代しました。私は一九四九年二月二十日にバプテスマを受け、開拓伝道に入ってから今年で五十年になります。それまで色々なところを通りましたが、五十年後にこの会堂で皆さんと共に礼拝が出来ることは感謝です。私は昨年の暮れに、神の前に出て祈りました。救われて開拓伝道に入って時の事、鉱山で働きながら伝道したこと、ダンスホールで伝道したことなど様々な事を感謝する時を持ちました。祈っているうちに感謝の涙が流れ「神様あなたがして下さった良きことを感謝します。」と祈りました。私はイエス様に従ってから五十年が経ちますが、大胆に言えることは神様は良い方です。真実なる方です。信じるべき方です。信仰生活の中でいつも心に留めてきた御言葉は文語体で「我汝を去らじ、汝を捨てじ。」「わたしは決してあなたを見捨てない、また、見放さない」というみことばです。今日まで深く信じてきました。五十年間私を、神様は見捨てず見放さず今日まで導いてくださいました。今年も神様は見捨てず、見放すことはしません。神様の愛を信じましょう。私は愛知県北設楽郡津具村に開拓伝道に入ったとき、私は将来のことがわからないため、よく山に行って泣いて祈りました。真剣に祈りました。ある時、祈って聖書を開くと、ヘブル人への手紙六章九節から十四節の御言葉が与えられました。「御言葉がうち開ける光を放つ」と書かれていますが、私たちがただ御言葉読んでいるときと御言葉が開かれて神の霊が私に語ってくださるときがあります。私に語られた一つの御言葉は、「神様は不義な方ではないから、あなたが先に聖徒たちに仕えて、今もなお仕えていることを決してわたしは忘れていない・・。」という所から読んでいったときに、神様がアブラハムに約束した言葉を、私にも与えてくださいました。それは、「神が指して誓うべきところないゆえに、自分を指して誓う。我必ず汝を恵み恵まん。増やし増やさん。」というみことばでした。これは神様がアブラハムに語られた御言葉ですが、私にも語って下さいました。今の新改訳聖書では、「わたしはあなたを必ず祝福し、あなたを大いに増やす」と書かれています。その時の御言葉は私の生涯にとって忘れる事のできない御言葉であり、今も確信している御言葉です。恵みの上に更に恵みを加えて下さるというのです。私たちはイエス様の十字架の血によってあがなわれ、イエス様を信じた者は神様の子どもとなる特権を頂きました。神様の家族です。神様は私たちの天の父様です。天のお父様は、私たちが神様の子どもになったからには必ず恵み恵まん、増やし増やさん、ということです。イエス様を信じると更に恵みが与えられ、更に祝福を与えてくださるというのです。ですから、今年は昨年よりももっと素晴らしい年にして下さるという約束です。昨日新年礼拝で順牧師が語った御言葉の中で、新聞に出ていたアンケートを紹介していました。今年は悪い年、不安がたくさんありそうだというアンケート結果を紹介していました。しかし私たちクリスチャンは神様から「あなたに将来と希望を与えて下さる」と語って頂いています。私たちはそのことを信じ、期待するべきです。今年は必ず良くなると信じましょう。必ず祝福してくださいます。アーメン。

愛する者よ。あなたが、たましいに幸いを得ているようにすべての点でも幸いを得、また健康であるように祈ります。

ある人は経済が祝福されたけれど、魂は祝福されていないという人もいるかも知れません。非常に不安な時代であり、自殺する人も多く、心の中に傷を受けている人もたくさんいます。しかし神様の御心は、すべての面における健康です。第一に魂に幸いを得ると書かれています。今日皆さんの魂は健康ですか?私は不幸だと言われる方もいるかも知れません。かつて宗教改革を進めたマルチン・ルターは、非常に激しい戦いがあって打ちひしがれ、勝利を失ったことがありました。ある朝、彼は悩み死んだような顔をして奥さんの前に出たそうです。すると奥さんは、「あなたの神様は死んだのですか。」と言いました。それを聞いた途端彼は怒りました。「あなたは何を言っている。私の神様は生きている。」「ではなぜ、あなたは死んだような顔をしているのですか。神が生きているのならば、あなたも生きている顔をしなさい。」と言ったそうです。彼はそれで目が覚めました。今年もイエス・キリストはきのうも、きょうも、いつまでも変わることはありません。天においても地においても全ての権威を持っておられる方ですので、この神様を信じたら私たちの神様が幸いを得て健康で生きることができるというのです。神様は今日も生きておられます。しかし私たちがまだ魂に幸いを得ていない理由は、イエス様を信じる前に傷ついているからです。過去色々な失敗があり、過去のことで悩まされたりします。「私は罪を犯してしまった。あの時にこうすれば良かった。」という後悔があります。たといそうであってもどのような過去があってもイエス様の前に赦されない罪はありません。赦されます。これが魂の健康の秘訣です。また、だれか人を憎んだり、恨んでいたら健康ではありません。神様を信じたら過去の罪は全て許されます。心からイエス様が私たちを赦してくださったように私たちも赦しますと言って赦すことが必要です。赦していない人がいたら赦さなくてはなりません。赦しましょう。また魂に幸いを得る人は、心配がありません。「ああなったら、こうなったら」と心配する人がいます。しかし、心配はしないようにしましょう。マタイの福音書六章二十五節でイエス様がわかりやすく教えています。「空の鳥を見なさい。空の鳥は種を蒔くこともしない。刈ることもしない。倉にも収めることはしない。しかし、彼らは養われている。また、野の花を見なさい。労することも紡ぐこともしないのにあんなにきれいに育っているではないか。栄華を極めたソロモンよりももっと美しいではないか。あなたがたがどんなに思い煩っても少しでも自分の背を伸ばすこともできないし、頭の毛を黒くも白くもできない。心配しなくても良い。あなたがたは空の鳥よりもっと優れた者ではありませんか。空の鳥は毎日神様が養っているのであなたがたが何を着ようか、何を食べようかと心配しなくても神様を信じなさい。」と約束しています。私たちが魂に幸いを得る道は、神を信じることです。必ず神様は必要を与え、導いて下さると信じるべきです。疑ってはいけません。私がイエス様を信じたときに、親から心配され、反対されました。結婚の時も反対され、母は泣きながら「明。頼むからキリスト教をやめてくれ。やめたら着物やタンスをたくさん作ってあげる。やめないとお父さんが何も作ってはいけないと言っている。」しかし私は「やめません。何もいりません。」と断りました。私の親は徹底しており、結婚したときに、結婚式に来ませんでしたし、また結婚の時になにもくれませんでした。ただ親からもらったものは、布団カバー一枚だけでした。ですから私はとにかくイエス様に頼っていくことを決心しました。その時私を導いて下さった穐近先生が「兄弟。乞食はするな。まず、神の国と神の義を求めたら必要なもの与えられると書かれているから、絶対に乞食をするな。」と言われました。私の家内は私が鉱山の土方をしていましたので、貧しく汚い格好をしていました。ある時、家内の母親の所に私と妻と子どもたちとで行きました。子どもの服は家内の古着で作ったような服を着せて行ったら、きれいな格好をしていた母は、「頼むから、あんたたち家に来ないでくれ。」と言われ、それ以来ずっと行きませんでした。私の家には子どもが八人生まれましたが、家内の母は一度も手伝いに来てくれたことがありません。貧しくて不幸だと言われましたが、必要なものをいつも与えて下さいました。そしてこの地に教会堂を建てることができました。その時、家内の母はイエス様が教会堂を建てて下さったというので、初めてこの教会に来ました。その時家内の母親は泣きながら、「こんなにキリスト教を反対したけど、イエス様がこんなすばらしい建物を作ってくれた。私はこのままでは地獄に行く。」と言ってイエス様を信じました。それからおまえたちと一緒に住みたいと言うことで二十年間一緒に過ごして天国に帰りました。今日まで考えてみると、イエス様だけに頼って来ましたが、全ての面でイエス様は生きておられると見ることができます。ですから、今年は経済的な心配をしないで、生きている以上は必要が与えられます。信仰を持ちましょう。そこで必要なことは、聖書に「まず第一に、神の国と神の義を求めなさい。」と書かれています。旧約聖書を見ると、心を込めて神に信頼した人を必ず神様は祝福されています。二心の人は祝福されません。心を込めて神様に信頼している人は必ず祝福されています。私たちは心を込めて神様を信頼しましょう。また、主はいつでも共にいて下さいます。私はどん底に落ち込み、仕事、家もないと言うときに「イエス様あなたまで見捨てたのですか。」と言ったときイエス様が「我汝を去らじ、汝を捨てじ。」という語りかけられ、その言葉で立ち上がりました。イエス様に捨てられなかったら大丈夫だ。親が捨て、だれが捨てても大丈夫だと信じて今日まで来ることができました。そして一度も神に見捨てられたことはありません。心配することはやめましょう。魂がいつでも平安があるように心に感謝を持って行きましょう。また、すべての面で祝福されると書かれています。昨年の九月二十日、私は七十才になりました。スーパーミッションの委員会があり、私のお祝いのために食事会を開いてくれました。その時私に大川先生が、イエス様を信じて五十年間で一番素晴らしかったことは何でしたかと質問されました。私は「良い家内をもらったことです」と言いました。良い妻をもらったということが祝福でした。私は伝道に出ようと思った時、助け人が必要だと思いました。それから私は結婚のことを考えて、礼拝に行っても私は女の子を見てキョロキョロしていました。その時に穐近先生が、「家、財産は先祖から受け継ぐもの。賢き妻は主から受け継ぐものである。」と箴言から語られました。私は一番前の席にいました。「兄弟たち。イエス様を信じて良い奥さんをもらいなさい。」と結婚について語られたとき、私は照れくさくて「へっへっへー」と声を出して笑ってしまいました。すると「へへへじゃない・・・。」と言われました。その時私は平安がなくなりました。自分でどうにかしようと思っていたからです。神様は私に結婚のことは自分で選ばず、任せなさいと語られました。それから私は神様に委ねて、毎日夢中で働きました。毎日路傍伝道に行き、ある時は小学校二年生と三年生だけでクリスマス会を持ちましたがその時五百名集まりました。あまりに恵まれていたので、それを聞いた斉藤清子さんが路傍伝道を見に来ました。その事から結婚に導かれたのです。結婚したことは、神様の御心だと思います。もう結婚されている方は遅いですが、これからの方は神を第一にするべきです。クリスチャン同志で結婚をするべきです。そうでないと問題がたくさん起こります。クリスチャン同志は祝福されます。未信者と結婚すると戦いが多くあります。今結婚している方はとにかく愛し合って下さい。イエス様を第一にしましょう。今朝も会堂に来て祈りました。今年もイエス様に求めたことは、「イエス様。今年もお願いします。死ぬ日まで自分の妻以外を愛することがないように。貞潔を持って愛することができますように。」と祈りました。今日まで祝福されたことは浮気をしなかったからだと思います。浮気すると祝福がなくなります。家庭に問題が起こります。結婚生活が祝福されるように。クリスチャンの家庭は仲良くできるように祈るべきです。仲良くしなければ幸せになれません。離婚しては祝福はありません。聖書に「わたしは離婚を憎む。」と書かれています。教会に来られている中で離婚しそうな方がいらっしゃったら一つになることが必要です。離婚してはいけません。結婚生活が祝福される秘訣は、「この地上で心を一つにして祈ったら必ず祈りを聞く」と書かれていますので、心を一つにして祈るべきです。経済的にも全ての面で祝福して下さる神様です。神様がこの教会を祝福してくださったことを感謝しています。昨年の暮れに長谷川兄たちが会堂の外壁をペンキで塗ってくださりきれいになりました。これは恵みです。教会、プレイズ、ミッション、神学校の経済は黒字です。もちろん借りていることもありますが、毎年必要が与えられています。新城教会は破産寸前だと言うことはありません。恵まれたことは神様の祝福ですので心から感謝しましょう。ソロモンに神様が現れ、「私はあなたに何を与えよう。」と言うと、「神様多くの民の前に王になりましたが、私はさばくだけの知恵がありません。善悪をわきまえて民を正しく導くことができる知恵を与えて下さい。」と言うと、その時神様は喜ばれ、神様は「あなたは自分のことではなく、民のことを考えたのであなたが求めなかった富と栄誉も与える」と言われました。そして、イスラエルは栄えました。旧約聖書時代には、生ける神様だけを信じたら祝福されてます。偶像礼拝は神に喜ばれません。偶像礼拝、まじない、占いに心を寄せず、イエス様だけにより頼みましょう。そうしたら、富と誉れが与えられると聖書に書かれています。この教会は、始めは正直言って貧乏でした。貧しい中から始まり、しっかりとイエス様により頼んだ人が祝福されています。信仰もってより頼みましょう。心を尽くしてより頼んだヨシャパテ王様やヒゼキヤ王様などイスラエルの王に、神様は富と誉れを与えられました。これは祝福です。だから、富と誉れを与え、その上にあなたの日を長くしようと書かれています。聖書を見ると長生きすることは祝福です。長生きは大切なことです。「あなたの父と母を敬いなさい。そうしたら、あなたの齢を長くする。」と書かれています。だからアブラハムは神により頼み、祝福されました。創世記二十四章一節には、

「アブラハムは年を重ねて老人になっていた。主はあらゆる面で彼を祝福した。」

と書かれています。それには自分の子イサクをささげ、色々な試練を通ったアブラハムを神様が祝福され、彼は年老いたがあらゆる面で祝福されたと書かれています。そしてアブラハムは一七五才まで生きました。サラは一二七才でした。その子イサクは一八〇才、ヨセフは一一〇才、ヤコブは一三〇才まで生きています。神様が祝福された人は長生きしています。ですから、健康で長生きすることが出来る祝福がイエス様の内にありますので神様の祝福を祈っていきましょう。また、何よりも大きな祝福は聖霊様が私たちと共におられるということです。信仰を持ちましょう。永遠のいのちが与えられます。今度は二一世紀です。ある意味で正直言って私は二〇〇〇年が来ると思いませんでした。世界の多くの説教者は主が帰ってこられると思っていたと思います。イエス様はいつか帰って来られます。再臨されます。その時、私たちが復活できるという約束があります。信仰を持ってください。祝福があります。今日病んでいる方、神様はあわれみ深く、いやしてくださる方です。助けてくださる神様です。神様に期待しましょう。そして、私たちは聖霊様に満たされて多くの魂をイエス様に導いていただきたいと思います。お祈りします。

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