今週の礼拝メッセージ
2000.2.13(SUN)
さらに広く、さらに深く
新城教会牧師 滝元 明

<今週のメッセージの御言葉>
新約聖書 新約聖書 エペソ人への手紙3章14節〜21節
こういうわけで、私はひざをかがめて、天上と地上で家族と呼ばれるすべてのものの名の元である父の前に祈ります。どうか父が、その栄光の豊かさに従い、御霊により、力をもって、あなたがたの内なる人を強くしてくださいますように。こうしてキリストが、あなたがたの信仰によって、あなたがたの心のうちに住んでいてくださいますように。また、愛に根ざし、愛に基礎を置いているあなたがたが、すべての聖徒とともに、その広さ、長さ、高さ、深さがどれほどであるかを理解する力を持つようになり、人知をはるかに越えたキリストの愛を知ることができますように。こうして、神ご自身の満ち満ちたさまにまで、あなたがたが満たされますように。どうか、私たちのうちに働く力によって、私たちの願うところ、思うところのすべてを越えて豊かに施すことのできる方に、教会により、またキリスト・イエスにより、栄光が、世々にわたって、とこしえまでありますように。アーメン。
 私には色々な趣味があります。その一つはショッピングです。デパートに行ってネクタイをよく見ます。東京に出ると新宿のアルタ前にネクタイ屋があります。そこは一本一万何千円のネクタイが全部千円で売っています。その店は居心地が良いです。そこは「店員は絶対にそばに行きません」と書かれています。いくら見ていても店員が来ません。ある店では店員がつきまとい、「どうですか。」と勧めます。教会もそのようなところがあります。この教会は、どちらかというとそのネクタイ屋のようなところがあり、初めて来られた方も自由です。ですから、初めて来られた方も楽な気持ちで話を聞いてください。そして信じるか信じないかは皆さんが自分で選ばれたら良いと思います。
 先週私は少し時間の余裕があり、楽しい時をもちました。私が生まれた北設楽郡に行きました。私は五十年ほど前に愛知県に伝道に入りました。長男はそこで生まれました。今から四十九年前になりますが、そのとき、二人の親戚のおばさんが、お祝いにおはぎをもってきてくれました。重箱に二箱持ってきてくれました。生まれたばかりの赤ちゃんは食べられないので私が食べました。美味しいおはぎだったので、私は新聞を読みながら九つも食べました。家内が驚いていました。そのこと思い出しました。おばさんたちは今、八十才を過ぎるくらいですが健在なので一度お礼に行こうと思い、おはぎを買ってあいさつに行きました。「今から四十九年前に長男が生まれたとき、おはぎを持ってきてくれたから、今日私はお礼に来ました」というと、おばさんはとても喜んで迎えてくれました。私は自分の実家に行き感謝したことは、こんな山の中から私を救って下さったことです。ことわざに、「井の中の蛙、大海を知らず」というのがありますが、私の家は山の中で四軒しか家がなく、まとまった集落まで出るには二キロほどあって、四十分も歩いて行かなくてはならないところです。それが今日救われているとは感謝です。私が小さな頃の思い出として、今でも覚えていますが、初めて田口の町に行った時の感動です。それは、たくさんのきれいな家が建っていたからです。現在は五千二百人しか住んでいない小さな町ですが、当時、その町に出たときの感動を未だ忘れません。また、初めて田口線を見たときにも感動しました。電車に驚きました。そして、初めて豊橋に行ったときも目を丸くし、町の大きさに驚き、世界が広がりました。やがて、戦後東京に勉強に行きました。ある意味で私は東京に行って目覚めたところがありました。私は田口の農林学校を卒業しました。戦後の山の中の学生は、高い下駄を履いて威張って歩いていました。しかし、東京で驚いたことは、学生が電車の中でも勉強していたことです。すごいと思いました。私は学校まで十二キロの道のりを毎日歩きましたが、道中いつも流行歌を歌っていました。東京に行ったら皆が勉強しているのを見て、私はある意味で目覚めました。
 それから三年経ち、私はイエス様に出会いました。私はイエス様にお会いして人生が変わりました。私の人生は狭い世界から広い世界になりました。また、伝道者となったことにより、ヨーロッパやアジアなど色々な国を知ることができました。人間の幸せ、狭い世界、自分のことばかり考えているときはあまり幸せではありません。広い世界を見ることが大切です。
 この度、第八回目の「リバイバル拡大聖会」がありました。そこでディック・イーストマン先生が来られました。彼はとても広い考え方をもっています。彼は私と同じクリスチャンですが、今から約二十六年前に祈りの学校を設立しました。その時から彼は毎日世界のために祈っています。韓国、中国、ブータン、ネパール・・世界中のために祈って来た結果、歴史的瞬間に用いられました。ベルリンの壁崩壊の時にも彼を神様が遣わされ、「祈りなさい」と導かれたそうです。アメリカから一万キロ行き、祈った言葉は英語では五つの言葉だけでした。それは、「イエスの名によって、この壁よ崩れよ。」と祈って帰りました。そして間もなく、祈った場所から壁が崩されたそうです。またソビエトが崩壊する時にもマイクさんという友人とともに祈り、最後に、「壊れますように」と宣言し、間もなくチェルノブイリの大きな事故をきっかけにして、ソビエトが崩壊しました。またブータンに行き、福音が伝えられるように祈り福音が入ったとか、彼は広い世界を持っています。私たちの人生も自分のことしか考えない人は本当は幸せではありません。イエス様によって目が開かれて人のために、世界のために祈り、人の幸せを求めるようになると幸せになります。今日は「さらに広く、さらに深く」というテーマで学びます。
 私たちがイエス様を知ることにより、広く深い世界を見ることができます。これが幸せになる道です。今日は二月十三日(日)です。一九四九年二月十三日も日曜日でした。それは私が初めて教会に行った日です。東京の日本農園研究所で一年間勉強し、二年目から職員になりました。そして、経済学の先生がクリスチャンでした。その方は酒もたばこも飲まず、気品のある先生でした。「私の授業を受けるのなら聖書を学びなさい。」と言われました。ある日私は、電車の中で一人の人と話していました。すると彼が、「君の顔は牧師になると似合う。」「どうして?」と聞くと「いや。どうしたこともない。」と言いました。当時私は無神論でした。「君は黒い服を着て白いカラーが似合いそうだ。」と言うのです。私はこの言葉が気になりました。今考えると神が彼を私のために遣わされたと思います。そして、ある時、「教会ってどんなところだろう。一度行ってみたい。」一九四九年二月十三日(日)の朝、私は教会に電話をしました。そして友だちと四人で行きました。その日、素晴らしい神の臨在を感じました。一番感動したのは、クリスチャンの目を見て、「きれいな目、喜んでいる。」それに比べて、「私は惨めで汚い・・」と思いました。泣きたい気持ちになりました。私はあまりにも汚いと思いました。その日私は歌を歌いながら帰りました。「こんな女にだれがした・・・こんな男にだれがした。」という戦後流行った流行歌でした。その時、「もし、彼らと同じように素晴らしい人生になれるのだったら、入りたい」と思い、次の日曜日にも行き、この日にイエス様を信じました。「ああ、ここに私が求めているものがあった」と思いました。それまで私は、何か人生の中に命をかける仕事が欲しいと思いました。イエス様を信じたときに、「これが私が今まで求めていたもの」とわかりました。あれから五十一年が過ぎました。今日イエス様とともにあることは素晴らしいことです。イエス様にお会いするとは、それまでは自分の事しか考えなかったのが、日本を愛するとか世界のことを考えるように変えられ、より深い世界を知ることができたのは神様の恵みです。イエス様の愛は広いです。ミッション・バラバという、ヤクザがイエス様を信じてできたグループがあります。このことを見ると神様の愛は何と素晴らしいのかと思います。私はこの御言葉が大好きです。「不従順で反抗する民に対して、わたしは一日中、手を差し伸べた。」 私はイエス様を知らないときに無神論者だと言ってクリスチャンと喧嘩したことがありますが、「神がいたら目の前に出して見ろ」と言ったりしました。色々悪口を言いましたが、「おまえの顔は牧師になると似合いそう」と言われてから教会に行きたくなり、今はクリスチャンとなり牧師になったのは、「不従順で反抗する民に対して、わたしは一日中、手を差し伸べた。」と書かれているように、こんな私に主が愛の手を差し伸べてくださったと思います。
 今朝、聖書を読みました。イエス様がパリサイ人シモンの家に入りました。その時にユダヤ人の習慣でご馳走が出されました。するとそこに罪深い女が入ってきて、イエス様のみ足のそばに座り、涙を流し、イエス様の足に涙が流れ、それを髪の毛で拭き、足に口づけし、持っていた香油できれいにしました。そにいた皆は考えました。「この人は預言者だろうか。この人がどのような女かわかっていたら、こんなことをさせないだろう」と思いました。そこでイエス様はシモンに質問しました。二人の人が借金した。一人は五十デナリ、一人は五百デナリ。わかりやすく言うと、一人は五十万円、一人は五百万円借りたということになります。二人とも返済することができなかったので、貸した人は二人とも赦しました。「さあ、シモン。二人とも赦され、一人は五十万円、一人は五百万円だったが、この二人の内どちらが多く赦してしてくれた人を愛すると思いますか」と質問しました。「先生、やはり多く赦された方が多く愛すると思います。」と言いました。イエス様は答えました。「シモン。この女を見たか。入ってきて涙でわたしの足を洗ってくれたけれど、あなたはわたしがこの家に入ってきたときに水で足も洗ってくれなかった。口づけもしてくれなかったけれど、この女はわたしの足に口づけしてくれている。あなたは私に油を塗ってくれなかったけど、この女は香油を足に注いでくれた」と言われました。この女は多く赦されたから多く愛するのだ、と話しました。
 考えてみると彼女の人生は壊れかかったような人生です。罪深い女です。また、聖書を見るとイエス様がサマリヤに来たときに、井戸の近くに一人の女がいるのを見ました。そこでイエス様はその女性に向かって、「女の方。水を私に飲ませてください。」と言いました。彼女は驚いて、「あなたはユダヤ人ですね。それなのにサマリヤの女の私にどうして水をお求めになるのですか。」と言いました。するとイエス様が、「もしあなたが神の賜物を知り、この水を飲ませてくださる方がだれかを知ったら、あなたの方から先に願って、その方から生ける水をもらったでしょう。」と話されました。その時、彼女は驚いて、「先生。あなたは私の先祖よりも偉いのですか。私の先祖もここから水を飲みました。」といいました。イエス様は、「この水を飲む者はだれでもまた渇く。しかし、わたしが与える水を飲む者はその人の中から泉となって水がわき上がってくる。」と言われました。「生ける水を与える」と言われ彼女はとても驚きました。「先生。私がここに汲みに来なくても良いようにその水をください。」と言いました。イエス様が、「あげましょう。あなたの夫をここに連れてきなさい。」と言いました。彼女は「先生。私には夫はいません。」と言いました。イエス様はじっと彼女を見ました。「あなたに夫はいないというのは本当です。五人あったでしょう。今あなたと一緒にいるのは夫ではありません。」と言うと、彼女は驚きました。「先生。あなたは預言者だと思います。」イエス様は彼女の過去を指摘しました。この女がイエス様に、「先生。やがてキリストが来られたら、すべてのことを教えてくれることを知っています。」五人も夫を変えた罪深い女、しかし、「どうにもならない私を、救い主なるキリストが来たときには救ってくださるでしょう・・。」そのとき、イエス様は、「あなたと話しているのがわたしだ。」と言われました。イエス様は素晴らしい方です。聖書の深く広い、神様の愛は素晴らしいです。どんな罪でも赦されます。
 最近、一つのCDが出されました。それは万年諭さんが作った歌です。私はこの方の歌は素晴らしいと思います。

 一度崩れたものを もう建て直せないと そうんなふうに思ってた
一度壊れたものを 直すことは出来ないと そんなふうに思ってた
一度なくしたものを 見つかるはずがないと そんなふうに思ってた
あきらめが肝心 心に言い聞かせて
僕は信じて生きてきた
もう一度 始めれば良い 
もう一度 やり直せば良い
もう一度 あきらめずに 
もう一度 イエスといっしょに

築いてきたもの 崩れ去っても イエスがいれば
大切にしてきたもの 失っても イエスがいれば
いればイエスがいれば そばにいれば

ゼロから始めること できるはずがないと
そんなふうに思ってた
やり直しはきない そこですべてが終わる
そんなふうに思ってた

残された選択 心閉ざした生き方
それしかないと 思ってた
あきらめが肝心 心に言い聞かせて
僕は信じて生きてきた

もう一度 始めれば良い 
もう一度 やり直せば良い
もう一度 あきらめずに 
もう一度 イエスといっしょに

築いてきたもの 崩れ去っても イエスがいれば
大切にしてきたもの 失っても イエスがいれば
いれば イエスがいれば そばにいれば

 大へん良い歌です。彼がなぜこんな歌を作ったかわかりますか。彼は万年喜八郎先生の息子として生まれました。しかし、彼は、音楽のプロの世界に入り堕落しました。東京で音楽をしているときに、ちょうどお父さんがガンになり、死ぬか生きるか危篤状態になりましたが彼だけは来ませんでした。彼は女性と遊んでいました。そんな彼がある日、手術が終わったときお父さんの側に行きました。そして彼が悪かったことがわかり、悔い改めて救われ、今は素晴らしい生活をしています。
 時々人生の中で崩れ去るようなときがあります。クリスチャンでも失敗することもあります。前にある方がこんなことを話されました。陶器師が器を作るとき、粘土のうちには何度も作り直すことが出来ますが、一度焼かれたものが割れたら同じ姿にはならない。それで、こう言いました。「一度イエス様を信じて堕落したら、もう建て直すことができない」しかし、それは違います。神様はどんなに壊れても、建て直すことができる方です。もし皆さんの家庭がどんなに破壊されても、イエス様がいたら建て直すことができます。万年さんは建て直されました。ミッション・バラバのヤクザたちの人生はひどいものです。どれだけ奥さんを泣かせたか、女遊びをしたか・・・。イエス様にお会いしたときに彼らが本当に悔い改めたときに彼らを赦し用いています。先日もある先生が、「どういう訳か、今世界で用いられている人は離婚した女性が多い」と言われました。離婚したら用いられると言うことではありません。主が用いるのは、砕かれた人です。失敗し、自分の力ではできないとへりくだった人を神は建て直すことができます。神様には広さがあります。失敗しても神様の所に来たら建て直すことができます。寛容さがあります。私もそう思います。イエス様を信じる前に、「神がいたら目の前に出して見ろ。宗教なんてない。」と言ったときに、突然、私の前に神が現れ、「このバカ小僧」と言って殴られたら・・・。
 しかし、こんな私を忍耐持って救ってくださった神は素晴らしいです。神の愛は長く、耐え忍んですべての人が救われるのを待っています。どのような愛でしょうか。罪のない神の御子が、十字架で身代わりになり死んでくださったほどの深い愛です。罪深い人のために死んでくださったほどのイエス様の愛、イエス様が十字架に付けられたときに、「父よ。彼らを赦してください。」これは自分を殺す人に対して、「父よ。彼らを赦してください。」と愛を持って祈り、赦してくださいました。イエス様の愛は広いです。長いです。高いです。深いです。これからもっとイエス様の恵みを知ることができるように、神の前に近づいていきましょう。
 ある人は砕かれているかも知れません。またある人は体が弱くて駄目だと思われるかも知れません。しかし、駄目だと思わず、希望を持ってください。神はいやして用いることができます。家庭が駄目になりそうと思っても、神はもう一度回復することができます。また、たとえ、失敗してもマグダラのマリヤや失敗した人たちを建て上げて、素晴らしい人にしたように素晴らしい人生を与えてくださいます。今日、神様の前に出て、もう一度祝福を頂きましょう。神様は赦して恵みを与えてくださいます。人生に失敗がある、しかし、恐れないで、そのままで良い、わたしのところに来なさい。とイエス様が招いておられます。一言お祈りします。

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