今週の礼拝メッセージ
2000.4.9(SUN)
神の計画と恵み
新城教会牧師 岡本 信弘

<今週のメッセージの御言葉>

新約聖書 テモテへの手紙第二 1章7節〜12節

 神が私たちに与えてくださったものは、おくびょうの霊ではなく、力と愛と慎みとの霊です。ですから、あなたは、私たちの主を証することや、私が主の囚人であることを恥じてはいけません。むしろ、神の力によって、福音のために私と苦しみをともにしてください。神は私たちを救い、また、聖なる招きをもって召してくださいましたが、それは私たちの働きによるのではなく、ご自身の計画と恵みとによるのです。この恵みは、キリスト・イエスにおいて、私たちに永遠の昔に与えられたものであって、それが今、私たちの救い主キリスト・イエスの現われによって明らかにされたのです。キリストは死を滅ぼし、福音によって、いのちと不滅を明らかに示されました。私は、この福音のために、宣教者、使徒、また教師として任命されたのです。そのために、私はこのような苦しみにも会っています。しかし、私はそれを恥とは思っていません。というのは、私は、自分の信じて来た方をよく知っており、また、その方は私のお任せしたものを、かの日のために守ってくださることができると確信しているからです。


 ハレルヤ!主の恵みを心から感謝します。
 今までリバイバルミッションのために皆さんがお祈りくださり、献げくださり、実際に参加してくださり、支えてくださって、この働きが進められてきたことを感謝しています。特に今年は、スーパーミッション2000という大きなビジョンが掲げられて、今、決起大会が全国各地で行われています。私は、決起大会でメッセージを語ることはあまり多くはありませんが、今日は、この新城教会でリバイバルミッションの決起大会が持てることを心から感謝します。スーパーミッションもあと100日に迫った今、神様が、私たちに持っておられる計画、どのような恵みをもって導かれようとされているのかを、共に学んでいきたいと願います。
 今日はテモテへの手紙第二から学びます。テモテという人は、二千年前の人ですが、この手紙を読むと、何か身近な感じを受けます。テモテは伝道者パウロの弟子でした。パウロは皆さんが知っているとおり異邦人伝道において素晴らしい働きをし、新約聖書はパウロなしに語れないと言われるほどの人物ですが、このパウロがその弟子の一人であるテモテに宛てた手紙が、今お読みしたテモテへの手紙です。この手紙では、テモテが、色々な問題にぶつかって意気消沈したり、悩んで立ち止まっている時にこの手紙を通して、励まされ、忠告を受け、後ろから押し上げられている場面を見ることができます。初めにお読みした御言葉の中に、

『神が私たちに与えてくださったものは、おくびょうの霊ではなく、力と愛と慎みとの霊です』

と書かれています。憶病になって、立ち止まって、弱くなっているテモテに対して、「神様が私たちに与えてくださっているものはそんなものではない。力と愛と慎みなのだ」といって激励しているのです。
 パウロは、生涯のうち、何度も投獄され、「私は主の奴隷です」と語るほど主に仕えた人でした。彼は、奴隷という言葉を使うことによって、何も自分の権利では動くことができないということを、つまり、それは、いつもイエス様と共に歩み、イエス様の思いを自分の思いとして、イエス様と一時も離れないでこの働きをしたと言っているのではないでしょうか。だからこそ、テモテに、『私が囚人であることを恥じてはいけません』と言えたのだと思います。「囚人」という言葉からは、あまり良いイメージがわいてきませんが、イエス様から一歩たりとも離れることができないということを表しています。この、晩年を迎え、いつ殉教してもおかしくないというような状況の中で、パウロはこの手紙を書いたのです。
 この偉大な伝道者パウロを見る時、私たちはパウロのような人には到底なれないと思います。私も小さな頃に「お前は、滝元先生のような大伝道者にはなれない」と言われたことがありましたが、なる気もないし、絶対になれないと思いました。テモテも偉大なパウロを見て、自分はダメだと思ったかも知れません。しかし、立ち止まっていたテモテが、この手紙によって奮い立たされて、力を得て、後には素晴らしい伝道者として働いたことを見ることができます。この手紙は今から二千年ほど前に、パウロがテモテに書いたものですが、これが聖書に神の言葉として残されたのは、私たち一人一人に神様が私たちに宛てた手紙である、と言うことができます。このことを是非、覚えてください。  私は、メッセージの準備をする中で、他の御言葉を語ろうと思っていましたが、昨日、祈りの中で、テモテへの手紙から語るように示され、特に9節のこの御言葉が目に留まりました。

『神は私たちを救い、また、聖なる招きをもって召してくださいましたが、それは私たちの働きによるのではなく、ご自身の計画と恵みとによるのです。この恵みは、キリスト・イエスにおいて、私たちに永遠の昔に与えられたものであって・・・』

ここには、私たちが救われたのは、「神様の計画と恵みによる」と書かれています。頭が良いからということではなく、何かができるからということでもなく、ただ神様の一方的なあわれみによって私たちは救われ、今ここにいるのです。これは恵みです。回りに救われていない人がたくさんいる、そんな中で、神様があなたを選び、あなたを救ってくださったのです。
 そんな神様の大きな恵みによって救われたにもかかわらず、「私は何もできないし、ただ教会の椅子を温めているだけだ」とか、「私は何もできないから神様があわれんで救ってくださった」と言われる方がいます。しかし、そうではありません。九節の後半には、『この恵みは、キリスト・イエスにおいて、私たちに永遠の昔に与えられたものであって』と書かれていますが、私たちは皆、「神様の計画と恵み」によって、昔から組み込まれていたのです。皆さんが今日ここで御言葉を聞き、もう一度奮い立たされていくことは、神様の計画の中に入っているのです。
 今日、皆さんがここに来られて神の御言葉に耳を傾け、共に主を礼拝し、賛美できることは神様の恵みであると同時に、特権です。ここには新城教会の方もいれば、今日初めて来られた方もいます。皆さんは今日自分でここに来たと思っておられるでしょうが、これも神様のご計画のうちなのです。自分で右に行こうとか左に行こうとか決めるのではなく、私たちが神様の計画のうちに歩まされ、その神様の計画にそって導かれたからこそ、今ここにいらっしゃるのです。私たちは神様の計画によって救われ、恵みの中に導かれてきたことを、もう一度覚えるべきです。
 11節でパウロは、

『この福音のために、宣教者、使徒、また教師として任命されたのです』

と言っていますが、そのほかにもたくさんの働きがあります。神様はただ、人間をあわれんで救ってくださったわけではありません。先程お話ししましたように、皆が滝元先生のように大伝道者になるわけではありません。しかし、私に委ねられた、私の役目があります。皆さん一人一人にもそれぞれに目的があって、神様が救いに導いてくださいました。ここにいる皆さん、子どもからお年寄りに至るまで、だれも不必要な人はなく、すべては神様の計画の中で今ここにいるのです。
 生まれたばかりの赤ちゃんから、70、80になった人まで、様々な年代の方々がおられます。中には、リバイバルを目前とする今、私はもっと若かったら、あと10年若い時に救われていたら良かったのに、と思っている人がいるかも知れませんが、そうではありません。今皆さんがその年齢でこの時代を迎えているということは、今の時に必要だからこそ、その年齢なのです。今の時代を担う人、20年後を担う人、それぞれ神様が計画し、選ばれているのです。また、それぞれその置かれた場所、時において、与えられた目的も違います。若い頃は走り回って伝道することもできるし、色々なことができますが、だんだんと年をとっていくと、若い頃と同じようにできるわけではありません。しかし、そこにも神様の目的、計画があります。
 私はクリスチャンホームに生まれ、今まで何不自由なく育ってきました。よく「お前ほどわがままに育った人はいない」と言われていますが、大きな病気もしたことがなく健康が支えられ、お金に困ったこともなければ、大きな事故も起こしたこともなく、恵まれて育ってきました。そしてクリスチャンホームで育ったので、親は私が教会に行っていれば喜んでくれました。勉強ができなくても、手伝いなどしなくても、わがまま言って何か買って欲しいと言っても、教会のキャンプに行く時には必ずお金をくれたし、教会のことをしていれば親は喜んでくれました。今思うと、本当に恵まれていたと思います。
 あそこには小学生たちが座っています。私は小学生の頃のことはあまり覚えていないのですが、「将来は主のために働く」と言っていたようです。きっと神様に対する純粋な思いがあって、そう言ったのだと思いますが、ある意味、私には神様のために働く以外、何も思い当たらなかったとも言えます。主の働きの一端を担わせていただきたい。そのような思いだけが、小学校・中学校・高校とずっとあったように思います。
 私が小学生の頃からこの教会ではいつも、リバイバル、リバイバル・・・と、日本のリバイバルを祈っていました。私も一生懸命で「日本にリバイバルをください」と祈ったことを覚えています。しかし、いつも「リバイバル」と祈ってはいるけれど、どうなったら一体リバイバルなのか?と考えました。そして、教会が大きくなること、信者が増えることがリバイバルかと思ってきました。実際に、教会員が増えるにつれ、会堂も改築したり、増築したり、そして今の会堂が建て上げられてきました。しかし、これがリバイバルか、というと、これはリバイバルとは違うだろうと思いました。どの会社を見てもわかるように、たった一人から始めた会社が2人になり、5人になり、10人になり、100人になり、会社が大きくなるのは普通です。教会もだんだん大きく、人数が増えるのは発展です。だからこれはリバイバルではないと思いました。ではリバイバルは何なのでしょう。
 教会が成長する中で、私が中学生時代の1970年に、日本リバイバルクルセードが東栄町の地で話し合いによって発足しました。私はその時一緒に東栄にいました。と言っても会議に出席したのではなく、川で魚釣りをしたり、泳いで遊んでいたのですが・・・。そしてリバイバルクルセード発足以来、あちらこちらでゼミナールやセミナーが行われて、日本にリバイバルをと、ずっと祈ってきました。そして多くの人々が救われ、整えられてはきましたが、まだリバイバルではないと思いました。
 1989年に下條先生が語られたビジョンを、滝元先生が信仰によって受けとめ、甲子園ミッションが行われることになりました。その時私は、「やめた方がいい」と言った一人でした。私は現実的な人間ですので、どれだけのお金が掛かるかすぐ計算ができましたから、莫大なお金をかけても、勝ち目のない戦いをするようなものだ、やっても仕方がないのではないかと思いました。しかし先生の信仰に引っ張られて、甲子園ミッション開催へと道が開かれていきました。つい最近、滝元先生と一緒に東京から帰ってくる時に、「信先生は、甲子園ミッションで財務を引き受けた時は何歳だったかなあ?」と突然言われました。「そうですね。今から12、3年前ですから30歳くらいだったと思います」と言うと、「そうか、30歳で6億の金を動かしたなんて、なかなか世間にもおらんぞ」と言われ、「ああ、そういう考え方もありますねえ」と笑いながら答えました。今となっては笑って話せるのですが、あの時は、金もない、組織もない、何もない状況の中で甲子園ミッションがスタートし、戦いが始まっていきました。
 丁度同じ頃、新城教会に聖霊が下り、霊の戦いが起こっていきました。その時にいた人たちの何人かは、「新城教会は、良い教会だと思ってたけれど、大丈夫かな?これから教会はどうなってしまうのだろうか。カルト教団のようになってしまうのではないか」と心配されたと思います。そのような中で、甲子園ミッションの戦いの火蓋が切られた時に、私は、金が足らなくなったら借り入れすればいいし、やることやれば何とかなる・・・といった安易な、さめた気持ちで始めたことは確かです。
 1990年頃まで、私は新城教会以外の礼拝にほとんど出たこともなければ、日本にどのような教団があるかということすら知りませんでした。そんな私は、決起大会のためにここに行け、あそこに行けと言われ、何もわからないまま行ったことを覚えています。いろいろな教会へ行ってみて感じたことは、新城教会と同じように、リバイバルを祈っている教会が日本にたくさんあるということです。一つの教会だけだったら、この大きな働きも、リバイバルも、単なる希望・願望だけで終わってしまいます。しかし、真剣にリバイバルを求め、祈っている姿に触れ、すごく励まされたことを覚えています。
 甲子園への戦いはますます激しくなっていきました。その頃の戦いは、戦いはしているけれども、どこかかすっているかも知れないけれど当たっていないという、まさに空を打つような戦いでした。しかし、霊の戦いが始まった時、確かに当たっているという手応えを感じました。しかし霊的戦いが進む中で、勝利がある一方、色々な問題も起こってきました。借金もあるし、教育館も建ったばかりだし、この教会は本当に大丈夫か?甲子園ミッションを支援するなんて、本当に大丈夫なのか?と経済的な心配もでてきました。信仰、信仰と先生は言うけど、実際どうやって、この借金を返済するための金が生み出せるのだろうかといつも考えていました。詳しく話していると何時間あっても足りないので、私の心配事の話はこれ以上言いませんが、そんな心配をよそに、甲子園ミッション開幕へと突入していきました。
 私は、ほとんど客席の下に設けられた本部席につめていましたので、集会にはほとんど参加しませんでしたし、メッセージなど、一度も聞くことはありませんでした。しかし、招きの時、白い十字架に人が乗っても大丈夫だろうか、様子はどうだろうかと球場内に見に行った時、多くの決心者が前に押し寄せている様子を見て、本当に恵まれました。祝福されました。神様が確かにここに生きておられると実感しました。また、皆さんが球場から出られる時には、「ありがとうございました」と言って、お見送りをしていたのですが、そこに出てくる人たちの、祝福されましたという顔を見た時、体は本当に疲れきっていましたけれども、クリスチャンも新しい人もすべての人が本当に恵またことを知り、確かにここに主はおられる、主が働いておられると実感し、私たち働き人一人一人の働きが決して無駄ではなかった、戦いは勝利したと感じました。それまで私の心の中には、こんなに多くの金をかけてそれだけの意味があるのだろうか、もっと小さい会場でやるとか、人を集めるだけだったら他にもっと簡単な、楽な方法があるのではないか、という思いがありました。しかし甲子園球場をあとにする人々の恵まれた姿を見た時、確かに主がここにおられた、共に働いておられる、そして主が共に戦っていてくださるということを実感しました。確かにリバイバルだと感じました。
 しかし、みんな恵まれたと有頂天になって喜んでいるけれど、現実的に残った何千万円という赤字は、どうやって工面するのだろうか、甲子園大会が終わるか終わらないかのうちに考えました。人の集まり具合で、大体どのくらいの献金が集まって、どのくらいの収支になるのかだいたいわかります。それでも、多くの予約献金があり、一部借り入れもして何とか工面をしました。しかし疲れたという思いがありました。借金もあって大変でしたから、しばらくは大きな大会はやらなくてもよいのではないか、と思っていましたが、98年に東京で十日間のミッションをやろうという計画が発表されました。決まったからにはやるしかありませんでしたが、その時も、甲子園は三日間だったから、今回は五日間くらいで良いのではないかとひそかに思っていました。
 武道館への交渉には私が出かけることになりました。電話で聞いた時は武道館の方も、「十日間続けて借りる人はほとんどいません。日曜日が二回入るのでそれはかなり難しいです。お金もかかるし、やらない方がいいのではないですか。三日くらいにしておいたらどうですか」と言っていました。私も、まあ十日間でなくても五日間から七日間でいいではないかと思っていました。しかし初めて交渉に行った時には、七日間の予約がとれました。そして、最後にポスターを作る時に、もう一度交渉するように言われ、「無理だと思いますよ」と言いながらも出かけていくと、「十日間あけていますよ」と言われて、「ああそうなんだ、やはりこれも神様の計画なんだ、神様の計画が私たちの思いに先立って進んでいる」と感じました。そして私たちは信仰を持って立ち上がり、十日間が神の計画の中で進められていき、多くの人々が救われていったのは皆さんご承知のことと思います。
 その大会に先立って東京都23区全部にトラクトが配られ、無料整理券が配られました。それを持って来られた方は約6000名いました。これまでにも何万人と集まった集会がいろいろありましたが、クリスチャンが恵まれたということで何の意味があるのだろうと思っていました。しかし、それは間違っていました。私は毎日、いろいろな所でミーティングをし、いろいろな教会の先生方とお目かかったり、時には決起大会に行くと、「私は甲子園ミッションで救われました」「東京ミッションで献身しました」など、恵まれた証を聞かせていただくことがあります。そのようなお話を聞くと、本当に勇気づけられ、励まされます。私たちがやってきたことは、無駄ではなかったと思うのです。私たちが今まで挫折しそうになる時にも、神様はいつも支えてくださったと思います。
 甲子園リバイバルミッション、東京ミッションを終えて、なぜ、また東京四十日間、大阪四日間のスーパーミッションに向けて働こうとできるのでしょうか。今まで私たちが戦ってこれたのは、私が戦ったのではなく、先生方でもなく、賛美チームでもない。ここにいらっしゃる皆さんお一人お一人が、そのために献げくださり、祈ってくださった。だからこそ、今があります。私たちが外に出て行って最前線で戦うことができるのは、後方部隊である新城教会があって、初めて成り立っている戦いです。
 この戦いの中で、ある人は祈ることしかできないかも知れません。ある人は献げることしかできないかも知れません。ある人は伝道・・・。しかし、私たち取るに足らない者たちが寄せ集まってこの働きが続けられています。これは何よりも神様の計画であり、皆さん一人一人が神様の計画に動かされ、主の囚人として主に仕えてきた恵みです。そのことを決して忘れないでください。テモテへの手紙二章二節を見ると、

『兵役についていながら、日常生活のことに掛かり合っている者はだれもありません。それは徴募した者を喜ばせるためです』

と書かれています。私たちは時々、神様に対して「私は何もできませんが、できることをさせてください」と言う時があります。私たちは本当に何もできないのでしょうか。そうではありません。主は、あなたを神様のご計画、目的に応じて選び、使おうとしておられます。ですから、私たちが主のご計画に従って命がけで働くことを、主が喜んでくださるのです。第一歴代誌十一章に、

『ダビデはしきりに望んで言った。「だれか、ベツレヘムの門にある井戸の水を飲ませてくれたらなあ」。すると、この三人は、ペリシテ人の陣営を突き抜けて、ベツレヘムの門にある井戸から水を汲み、それを携えてダビデのところに持って来た。ダビデはそれを飲もうとはせず、それを注いで主にささげて、言った。「そんなことをするなど、わが神の御前に、絶対にできません。これらいのちをかけた人たちの血が、私に飲めましょうか。彼らはいのちをかけてこれを運んで来たのです」』

と書かれています。別に水を飲まなくても死ぬわけではない、我慢していれば良い、と言えばそれで終わります。しかし、彼らは大将であるダビデ王を喜ばせるために、命をかけてわざわざ危険を冒して敵であるペリシテの陣営まで突き進んでいき、水を汲んで、持ってきたのです。ダビデはとても喜んだが、その3人の勇士たちの犠牲によって得た水を、自分は飲もうとせずに、主にささげたと書かれています。私たちの大将はイエス・キリストです。私たちはイエス様に従い通し、命がけで犠牲を払うならば、神様が必ず私たちに祝福を与え、恵みを与えてくださるということを、このところでも見ることができます。  モテモテ第二の手紙にもどって、二章の三節を見ると、

『競技をするときも、規定に従って競技をしなければ栄冠を得ることはできません。労苦した農夫こそ、まず第一に収穫の分け前にあずかるべきです。』

と書かれています。私たちが今までにどれだけのものを献げてきたか、どれだけ祈ってきたか、どれだけ奉仕してきたか、それは人にはわからないことです。しかし、皆さんの一度の祈り、一度の献げ物、そのすべてを主が覚えておられます。私たちは誰かに百円もらっても、何かしてもらってもすぐに忘れてしまいます。しかし、神様は、絶対に忘れることはありません。そして、『労苦した農夫こそ、まず第一に収穫の分け前にあずかるべきです』と書かれているように、必ず報いてくださる方です。「皆さん、持てる中から主の前に献げましょう。あまり無理しなくてもいいから献げましょう」と言うことは簡単です。しかし、時には多少無理をしてでも、本当に無謀であっても献げたならば、必ず主は祝福されます。私たちが献げた分が帰ってくるだけではなく、10倍、20倍、30倍、100倍にして私たちに返してくださるのです。信じます。これは献げた者でなければ、祈った人でなくてはわかりません。
 東京のプレイズ出版事務所の近くに、中華料理屋があります。そんなに大きなところではありませんが、そこに看板が掲げられています。「まずかったら絶対にお金は頂きません。お返しします。一度お入りください」と書かれています。私はそこによく行きますが、料理がまずいわけではないので、まずいと言ったことがありません。料理は食べてみなくては美味しいかどうかわかりません。店を見ただけ、料理を見ただけではわかりません。同じように、神様の祝福も、主の前に献げ、祈り、奉仕してみなくてはわかりません。やってみて初めて祝福が返ってきます。誰かに祝福がいくのではなく、あなたに祝福が返ってくるのです。それは皆さんが献げたものだけではなく、それ以上に、何倍にもして必ず返してくださいます。そのことを私はいつも体験し、感謝しています。
 私の実家も、昔は貧乏だったとよく聞かされました。しかし、私の家族は、「主のために献げたい」と願って、一生懸命やっていました。初めは、八畳一間という小さな店であったけれども、そのような中で主のために献げてきたからこそ、今の祝福があると私はよく証します。これは事実です。私の家だけではなく、皆さんもそうだと思います。皆さんが献げたこと、行なったことに対して、神様は今まで祝福を与えてくださったと思います。感謝です。
 私たちの前には更なる戦いがあります。今年、スーパーミッション2000が開かれるようになっています。その東京大会40日間のすべてが書かれたガイドブックができあがりました。今から皆さんに配布しますが、これは、大会まで持っていていただきたいのです。家に帰ったら名前を書いて保管していてください。ここに40日間のいろいろな情報が書かれています。是非お読みいただいて、お祈りください。これには結構お金も時間もかかっています。大変でした。プレイズのスタッフは、何日も徹夜して作っていました。これは協賛広告によって費用がまかなわれて、全部で二万五千部作られました。会場ごとの交通手段や、ホテルリストもあります。またプロフィールを見ると、講師約40名、ゲスト40名が書かれています。写真を集めるだけでも大変なことでした。また、ページごとに毎日のプログラムが書かれています。祈っていただくと同時に、是非、犠牲を払って参加していただきたいと思います。皆さんの親族、ご友人を誘ってご参加ください。また、これからも多くの必要があります。4月号のミッションニュースには、「スーパーミッションっていくらかかるの?」という覧がありますが、そこをよく見てください。それを見ると、東京大会までの必要経費、あと4000万円と書かれています。これは一部大阪の会場費が含まれていますが、東京大会のために1億9000万円という予算が呈示されています。今まで既に約2800万円の会場費を、恵みによって支払うことができました。しかし、あと1億6200万円が必要です。勿論大会に入れば大会中の席上献金もあります。しかし、その前に残りの会場費、これから行われるトラクト配布やポスターを作るためにも多くの必要があります。そのためにも犠牲を払って献げていただきたいです。しかし、覚えてください。皆さんが今まで毎月リバイバルミッション献金として献げてくださった物があったからこそ今まで、ミッションがやってこれたのです。毎月、定期的に献金をしてくださった額は、新城教会がダントツです。皆さんが犠牲を払って献げてくださったことによって、今リバイバルミッションがあると言っても過言ではありません。しかし、もう一度このスーパーミッションに向けて、犠牲を払って献げていただきたいと思います。そして献げると同時にお祈りください。
 40日間という、今まで誰も経験したことがない戦い。果たして大丈夫だろうか、一日どれだけ入るだろうかと思います。先週もミッションの実行委員会がありました。その時に「支出がいくらかかるというのはわかったけれども、収入はいくら入るのか。収入がわからなければ、今後の計画が立たないし、どこを削ればよいのかわからないから、毎日どれだけの献金が入るか、試算して欲しい」と言われました。私は、先生方にそれは簡単なことですが、今までそれを私が出さなかったのは、「それは不信仰だ」と言われる数字になるからです。そして、それではやっていけないということになりかねないので、お知らせしませんでしたが・・・と前置きして、全部の予算を出しました。
 席上献金だけでこの大会をまかなうのは到底不可能です。ですから、そのための必要がすべて与えられ、私の予想をはるかに超えて、会場に入りきれないほどの人が集められ、席上献金が溢れんばかりに与えられるように、是非、お祈りください。私はいつも献金を数えていますが、人数と、集まった献金をざっと見て、だいたいいくらだとわかります。数えている人は、「先生の予想を超えたかったのですが、やはり予想通りでした」と言うことが多いのです。私の予想をはるかに超えて主の業がなされ、溢れるばかり与えられることを願っています。神様は天の倉にたくさん持っておられます。しかし、私たちが献げることを望んでおられます。神様の倉は出してもなくなりません。ですから、皆さんが出したらそれに対して報いてくださり、すべての必要を与えてくださるのです。必要が満たされることを祈ると同時に、多くの人がそこに集まること、新しい方が集まり救われることを是非、お祈りください。これは宣教の業です。40日間、毎日、ゴスペルタイムという宣教大会が組まれています。新しい方が救わるならば、教会につながり、教会が活性化され、大きくされます。教会毎にリバイバルが起こされていくことが私たちの目的です。 この戦いは終わることがありません。ある時は少し休みたいと思います。もちろん休息も必要です。しかし、戦いはずっと続いていきます。ギデオンの勇士が片手で水を飲んだように、今、私たちもゆっくりと腰を下ろす暇はありません。「昔は良かった」と、なつかしむ時代は終わっています。日本も激動の時代と言われています。それと同じように、このキリスト教会において、この時代に生かされている私たちが奮い立たされて、主の働きのために命がけでこの働きをさせていただきたいと思っています。私も足りない者です。皆さんに祈っていただき、今まで支えられてきました。なおも聖霊に満たされて、燃やされて主の働きができるようにお祈りいただきたいです。そして先生方のためにも是非、祈ってください。そして何よりも皆さん一人一人が主に仕え、神様の計画、今まで受けた恵みを、再認識し、再献身して主の御前に出て行きたいと願います。お祈りします。

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