今週の礼拝メッセージ
2000.5.14(SUN)
騙されるな!
新城教会牧師 滝元 順

<今週のメッセージの御言葉>

新約聖書  ルカの福音書11章17節22節

しかし、イエスは、彼らの心を見抜いて言われた。「どんな国でも、内輪もめしたら荒れすたれ、家にしても、内輪で争えばつぶれます。サタンも、もし仲間割れしたのだったら、どうしてサタンの国が立ち行くことができましょう。それなのにあなたがたは、わたしがベルゼブルによって悪霊どもを追い出していると言います。もしもわたしが、ベルゼブルによって悪霊どもを追い出しているのなら、あなたがたの仲間は、だれによって追い出すのですか。だから、あなたがたの仲間が、あなたがたをさばく人となるのです。しかし、わたしが、神の指によって悪霊どもを追い出しているのなら、神の国はあなたがたに来ているのです。強い人が十分に武装して自分の家を守っているときには、その持ち物は安全です。しかし、もっと強い者が襲って来て彼に打ち勝つと、彼の頼みにしていた武具を奪い、分捕り品を分けます。

 

   ハレルヤ!いつも皆さんの祈りに支えられて守られていることを感謝します。スーパーミッションの働きも拡大してますが、今年は日本のリバイバルに結びつくよう、ご一緒に働きましょう。
 又、今日は母の日です。多くのお母さま方が来られていますが、心から感謝します。母の力は偉大です。お母さんたちが、主に祝福していただく時間がありますので期待して下さい。
 今日は、母の日とは結びつかない、「騙されるな」というタイトルで聖書を学びます。最近は騙し事の多い時代です。
 先日、私の携帯電話に一つの電子メールが入ってきました。素晴らしいことが書いてありました。私はiモードという機種を使っていますが、「iモード四百万台突破記念!」ということで、「あなたが受け取ったメールを五人のお友達に転送して下さい。そうしたら二月から五月までの基本料が無料です。そして何月何日から何月何日までの通話料は無料になります」というまことしやかな文章と、担当者○○と名前が書かれていました。そんなメールを受け取りました。家内も同じように受け取っていました。しかし私は、見てすぐに転送しようとは思いませんでした。誰が転送してきたかと見ると、私の一番近い身内の者でした。私は、そんな簡単に通話料や基本料が無料になるわけがないと思いました。そこで、私はすぐにドコモのホームページを開きました。「悪戯メールにご注意!」と書かれており、同じ文面がありました。私にメールを転送してきた人物は、全く騙されていました。世の中は騙し事に満ちています。日頃の生活の中でも詐欺師に出会って騙されたりすることもあります。今の時代は注意深く生きるべきです。と言っても互いに疑心暗鬼になってもいけません。聖書を見ると、騙し事の張本人は「悪魔」だと教えています。また。不幸の歴史は、悪魔によって人類が「騙された」ところから始まっています。ですから騙し事の中心にサタンが座っているのです。そもそも、初めの人間アダムとエバが悪魔によって騙されて、食べてはならない実をとって食べた事によりエデンの園から追放され、神様との親しい交わりを失いました。人類の根元に「騙し事」という策略がサタンによって置かれているのです。しかし、イエス様が来られたのは、騙し事の張本人である悪魔の力を滅ぼすためでした。イエス様がこの地上に来られたことにより、騙し事から人類が解放されました。
 イエス様がこの地上に来られたときに、人類の中に起こり得ないことが起こりました。その最大の事件が、人の背後から悪霊が姿を現したという事です。今日の読んだ箇所も、人の背後で束縛を与えている悪魔の力が暴かれたという記事の延長です。それまでの歴史の中でそんな事件はありませんでした。
 旧約聖書には、人々が悪霊から解放されたという記事は見あたりません。しかしよく調べてみると、サウル王が悪霊の影響を受けていたけれど、ダビデの賛美によって離れていったという記事があります。しかし、イエス様が来られたときに突如として悪魔の力が打ち破られたのです。イエス様がこの地上に来られたのは悪魔の力から人類を解放するためでした。イエス様が来られたとき普段隠れている悪魔の姿が現されるのです。
 このように考えると、今の日本、普段では見えない悪魔の姿が見えるような気がしませんか。普段隠れて働いている悪魔の力が社会の中に現わされています。最近起こった事件は、絶対に人間の出来ることではありません。十七歳の少年たちによって起こされた事件は、高校生が起こすような事件ではありません。この近くでも悲しい事件がありました。ニュースを見ていると、少年たちが共通して、どこかで変な、霊的な声を聞いているのです。「人を殺せ」と言う声を聞いたとか、小さな子どもが夢の中に現れて「お前は誰かを殺さないと殺されるぞ。」と聞いて凶行に走ったというのです。そして、起こった事件は、少年では到底できないと思われることが多いのです。被害者も加害者も気の毒です。これから長い人生があるのに、どうして台無しにしてしまったのだろうかと心が痛みます。これはある意味で社会の中に見えない悪魔の力が暴かれているのです。今こそ、クリスチャンは祈るべきです。この社会に働いている悪魔の姿が暴かれるだけではなく、人々が気づき、悪魔が打ち砕かれるように。この日本にイエス様以外に救いがないことがわかるように祈るべきです。
 イエス様が地上に来られた時、日頃では見ることができない、背後で働いている悪霊が姿を現しました。人々は驚き怪しみました。人々はイエス様が救い主だとは知りませんでした。それで、当時その地方では、ベルゼブルのという悪霊が名前が有名でした。だから、人々は「イエスはあのベルゼブルという、悪霊の親玉にとりつかれてあのようなことをしているのではないか」と噂しました。そんな時にイエス様が言われた言葉が今日読んだ言葉です。

『もしもわたしが、ベルゼブルによって悪霊どもを追い出しているのなら、あなたがたの仲間は、だれによって追い出すのですか。だから、あなたがたの仲間が、あなたがたをさばく人となるのです。』

「あなたがたの仲間があなたがたをさばくようになるのです。」と語られました。これはどういう意味でしょうか。それは例えて言えば、ある人が恐喝事件に巻き込まれていたとします。そこに正義の味方風の存在が現れ、「あなたは何を恐れているのですか。脅されているのですか。私があなたを助けてあげましょう。」と言います。そこで、その人に助けを願います。すると、「助けるからには少しの報酬を下さい。」と要求されます。報酬を受け取ると、彼が行って脅迫者に、「なぜ、脅しているのか。この人から離れよ。」と命じます。すると、脅迫者はその人から離れていきます。しかし、恐喝している人も助ける人も共犯で、ぐるだったというのです。しばらくすると、同じような恐喝事件が起こるのです。するとまた、先日助けてくれた正義の味方のように見える存在のところに行きます。すると、「今度の相手は前回よりも手強そうですね。だから前よりも少し報酬を上乗せして下さい」と言うのです。「構いません。支払いますからやって下さい。」と言います。また彼が出ていきます。しかし、これまたぐるだったのです。「あなたがたの仲間があなたがたをさばく人となるのです。」
 私たちの身の回りにある、特に、宗教と呼ばれるものにそのようなものが多くあります。「脅し」と「助け」が繰り返し起こるのです。脅されて、助けられて徐々にはまっていくのです。これは騙し事です。あなたの宗教が、もしも脅されたり助けられたりの繰り返しだったら、本物の神様ではないのです。神は決して脅される方ではありません。神は愛なる方です。しかし、中にはキリスト教の名を語って、脅す人もいるので注意すべきです。
 聖書の神様は決して脅す方ではありません。助けて下さる方です。人類が悪魔に脅えて苦しんでいたところに、御子イエス様を送って助けて下さったのですから、相当、愛の深い方です。私たちは騙されてはいけません。特に悪魔の力に騙されてはいけません。先週、「最高です」と言っていた人物が捕まりましたが、あれも足の裏を見ては脅して、助けるふりをする繰り返しでした。悪魔のやり方そのものです。騙されてはいけません。イエス様はそのような恐怖から解放して下さる方です。そのような騙し事から私たちを解いて下さる方です。それが騙し事であったことがわかったら、全く気にすることではないのです。
 先日私は長野県に決起大会に行きました。皆さんの祈りによって素晴らしい集会でした。長野県に善光寺という大きな寺があるのですが、その裏側に教会がありました。真剣に祈って集会を行いました。その時、神様は素晴らしく働いて下さいました。色々な宗教に捕らわれていた人たちが解放されました。騙し事だった事がわかり、恐怖から解放されました。その教会から「月報」が送られてきました。そこに証が出ていました。その人は千葉県に本山がある新興宗教に月二回、長野市から通っていたそうです。自分の家に不幸があり、そこに行っては「お頼り」したそうです。ちょっとした御利益があったそうです。
しかし、だんだん条件がきつくなっていったのです。ついに「私はここから抜け出したい」と願ったそうですが、なかなか抜け出すことができなかったのです。行かないでいると、その地方の支部長が来て、「あなたのグループの○○さんが一年分の年会費を立て替えているので、○○さんに払って下さい。」と言いました。そこで払う気はなかったけれど、「あの人が代わりに払ったのなら払わなくては」と支払ったそうです。「もう次の年は払いたくない」と思っていたら、「○○さん、また年会費お願いします。」と言われたそうです。「私はもう払うの嫌ですよ。」と言うと、「そうですか。もしお断りすると、この家から死人が出るかも知れませんよ。不幸になりたくなかったらおつながりしていた方が御守護いただけるのではないの。・・・○○さん、××さんも・・・やめたんだよ。そうしたら間もなくご主人が亡くなっちゃってさ。この家で誰かが亡くなると困るでしょ。」と言われたそうです。それで恐れて、どうしようもなくなったそうです。神様だと思ってつながっていたのに、「そこから離れたら病気になりますよ。死人が出ますよ」・・これは神様ではありません。騙し事です。もし今日、同じような騙し事にあっていたならば、解放されていただきたいと思います。イエス様はそのような方を救うために来られました。イエス様を信じたらそのような騙し事にはまることはありません。祝福の中で生きることができます。イエス様は解放者です。この二千年の歴史の中で、イエス様のために命をかけた人は数えられません。また、今や世界の三分の一はクリスチャンだと言われています。これだけ多くの人が従っているのです。よく考えるべきです。天地宇宙を造り、自己存在しているイエス様を見上げるべきです。イエス・キリストを信じるときに、そのような騙し事から解放されます。
 基本的にイエス・キリストを信じていない方々は騙されていると聖書は告げています。そして、イエス・キリストを信じていない方への悪魔の騙し事は一つの嘘で済むのです。それは、「キリストを通さなくても救われる。」という嘘です。
 日本人の考え方の中に、富士山に登るのにも色々な道がある。山梨県側からも、静岡県側からも登ることができ、最終的に頂上に着けば良い、色々な宗教があるけれどもどの宗教でも頂上に着くことができると考えます。しかし、これは間違いです。神に出会うとは、「神の国に入る」ということです。日本に入るにはいくつ道があるでしょうか。今日は外国からの方々もおられますが「私は日本航空、私は全日空、アメリカン航空、バリグで日本に来ました・・・」と色々な道があると言われるかも知れません。しかし、入るには一つの道しかないのです。それは、日本国政府が発行した「ビザ」がないと入国できないのです。私たちもイエス様が十字架で発行して下さった、神の国入国ビザがいるのです。イエス様を信じない限り、決して御国に入ることはできません。
 また、悪魔はイエス・キリストを信じた者にも騙し事を持って接近して来ます。何とか騙そうとするのです。クリスチャンに対する嘘は、「イエス・キリストを信じたならば、悪魔はもうクリスチャンに近づかない」と言う嘘です。この嘘に騙されているクリスチャンは結構多いです。「もうイエス様を信じたら、悪魔は全く近づくことができない」と考えます。この考えは、根本的には間違いではありません。私たちの支配権は神の支配に移っているので、悪魔の根本的支配は関わってきません。しかし、私たちが住んでいる世界は暗闇の世界です。もしも、私たちが「罪」に関わるならば悪魔の「影響」を受けるのです。
 悪魔の攻撃には三つのタイプがあります。一つは「直接攻撃」です。皆さんの中には悪魔からの直接攻撃を受けて苦しんでいる人がいます。しかし、直接攻撃は大した攻撃ではありません。相手が誰かわかっている直接攻撃は恐れる必要はありません。神様が何らかの意図を持って攻撃を許しておられるからです。なぜ、攻撃を許されたのか、原因を祈り求める必要があります。だから、直接攻撃はある意味で、一番軽い攻撃と云えます。
 次にハードな攻撃は「誘惑」です。イエス様も悪魔の誘惑を受けられました。私たちの代表者として、誘惑に遭われたのです。今週も色々な罪の誘惑に遭うかも知れません。しかし、誘惑に対する勝率は五分五分です。自分に選択権が与えられます。「この罪を犯してごらん。楽しいよ」と誘惑されるとき、神の道を選ぶのか悪魔の誘惑にかかるのかは、自分に権利が残されています。「ちょっとこの罪を犯してごらん。みんなやっているよ。クリスチャンだなんて堅いことを言わない方が良いよ。もうこれは皆やっているではないか。少しなら良いではないか。やってごらん。」と誘惑にあったときに、悪魔の誘惑にかかってはいけません。神の道を選び取って下さい。
 しかし、一番大変な攻撃は、今日学んでいる「騙し」です。例えば私が皆さんを一人で束縛しようとしたらどのようにしたらよいでしょう。私が銃かマシンガンを持って、天井を撃ち、「おい、お前ら動いて見ろ。ちょっとでも動いたら皆殺しだ。」と言うのです。皆殺されるのは嫌だから席から立てないと思います。それで、一人で全員を拘束できます。しかし、一人でやっていると疲れます。お腹も空き、トイレにも行きたくなります。「ここでするのも嫌だし」と思います。「おい、俺はトイレに行って来るから待ってろよ、動くなよ。」と言って私が出ていくと、その間、待っている人は誰もいないと思います。その間も続けて拘束するには、何らかの策略を考えなければならないのです。「俺はトイレに行って来る。でも、この入り口と出口には全部ダイナマイトが仕掛けてある。スイッチを入れて行くからな。出た途端に大爆発するのだ。わかったか。」と脅します。それから、ちょっと腹ごしらえをしてきます。
 同様に、悪魔は私たちを騙して束縛するのです。悪魔は時には色々な騙しのシステムを置きます。「先祖を拝まないと家に不幸が来ます」とか、「あなたは神社の氏子だから、抜けたら大変ですよ。」といって策略を置きます。人はそのシステムに捕らわれて教会には来れません。「イエス様を信じませんか。」と聞くと、「私は先祖様を拝まなければなりませんから、離れるわけにはいけません。私は氏子になっているから離れることはできません。」と地域の人々を滅びに引き込むのです。これは騙し事です。「ダイナマイトが仕掛けてあるから大爆発だ。」と言われても、そんな仕掛けはないとわかったら、簡単に逃げることができます。悪魔は「あなたの家をたたりますよ、苦しみが来ます、病気が来ます」と言ってきますが、イエス様の前にはそれは全く「無力」です。
 そればかりか、主を信じるものには、悪魔がどのように攻めてくるのか、その道筋まで教えて下さいます。
 第二列王記六章にエリシャという預言者が出てきます。その頃、イスラエルはアラムと戦いました。アラムはイスラエルと戦いましたが、何回戦っても、毎回先に、イスラエルの軍隊が待っており、アラムの王はいつも敗北しました。アラムの王は、「どうして私たちはいつも先に読まれているのだろう。なぜ敗北するのだろうか。このアラムの陣営の中にスパイがいるに違いない」と言いました。するとある人が王様に対して、「いいえ、王様。イスラエルにいる預言者エリシャがあなたが寝室の中で語る言葉もイスラエルの王に告げているのです。」と語りました。私たちがイエス様を信じるときに、エリシャと同じような知恵が与えられるのです。エリシャは神の霊に満たされた人でした。アラムがどこから下ってくるのか、しっかり神から教えられていました。騙されたり、不意撃ちされることはありませんでした。
 神は人生の中で、悪魔がどんな道筋であなたを攻撃するのか、その道筋さえも教えて下さると約束しています。私たちも、エリシャが持っていたのと同じ力をいただきたいと願います。騙しから守られ、攻撃の道筋を先に知り、守ることができるのです。
 今週、あなたに悪魔が誘惑をかけたり、騙し事を与えたり、直接攻撃が来るかも知れません。しかし、祈りの中で、皆さんに教えて下さるのです。エリシャと同じように、祈りによって待ち構えていると、主が助けて下さるのです。今週はエリシャと同じ祝福を受けることができますように。
 この、新城教会においては、多くの方がとりなしの祈りをして下さいます。これは素晴らしいことです。とりなしの祈りはある意味で、「エリシャの油注ぎ」です。悪魔が攻撃してくる道筋を見抜く祈りです。これをもっと強化するべきです。あなたも、ぜひ、とりなし手となって下さい。教会全体が「とりなし型の教会」になるならば、そこに集っている方々全てが守られます。また、集っている兄弟姉妹の家族、親族、友人が守られるようになります。もっと教会に、エリシャの油注ぎを強めていただきたいと願います。しかし神は、それだけで満足されていません。もっと素晴らしい力を一人一人に注いで下さいます。
 「エリシャの油注ぎ」は悪魔の攻めてくる道筋を守るものでした。しかし、さらに敵陣の中に入り込み、敵陣を敵陣を打ち破るほどの能力を与えて下さるのです。
 士師記に、ギデオンという勇士がいます。彼はただ道筋を守っただけではなく、アマレク人と戦った時、彼はその陣営の中に潜り込みました。そこで勝利のサインを先に受け取りました。決戦に向けて、彼はミデヤン人の陣営の中に潜り込みました。そこで、兵士たちの会話に隠れて耳を傾けていると、「俺は昨晩夢を見た。俺たちの天幕に一つの大麦パンが転がってきて、天幕にパンがぶつかると天幕が倒れてしまったのだ。」と話しました。するともう一人の兵士が、「それはあのイスラエル人ギデオンの剣に他ならない。」と語りました。「俺たちは戦いに負けたのに違いない」と会話をしていました。彼は戦う前にすでに、勝利を得ていました。これがギデオンが頂いていた神の知恵でした。「敵の攻め込む道筋を守るだけではなく、敵陣に潜り込んで勝利を手にする力を与える」と神は言われています。今日ぜひ、イエス様を信じて悪魔の騙し事から解放されますように。イエス様こそが救い主であり、私たちの人生を祝福して下さる方であることを知って下さい。
 先ほど話しました、新興宗教から解放された方ですが、ちょうど脅されて困っているときに、教会の先生から決起大会の案内の手紙をもらったそうです。しかし、彼女の文章によると、「裏切り者ユダのような心境で集会に行きました。」と書かれていました。その新興宗教を裏切って申し訳ないという気持ちでその集会に出たそうです。
 私はその時、悪魔の騙し事から解放されなければならないと話しました。そして集会の最後に、「騙し事をする悪魔の力が打ち破られますように」と祈りました。
 証にはこう書かれています。『滝元先生の力強いメッセージとサタンを追放する祈りの最中に、「いいか、やめて見ろ。お前の家をつぶすことは簡単だ。犠牲者が出るぞ。覚えておけ。」という声が聞こえました』 しかし、その方は、集会が終わって皆帰ったのですが、「祈って下さい」と私のところに来たそうです。私は覚えていませんが・・・。 この方は新興宗教の神が本物の神だと思い、月二回も行っていました。その証をお読みしますと。

 順先生が「耳元で○○の新興宗教の霊よ、出て行け!」と言う祈りが何回か繰り返されておりましたが、私の心は冷静でした。すると、「その新興宗教の悪霊よ、お前を引きずり出す!!」と二回祈られました。途端、腰がガクと打たれた気がし、一瞬気が遠くなってそのまま穴に引き込まれていくようでした。頭に手を置いて祈られると自然に引っ張られるように頭が下がり、体は硬直し、毒素に犯されたように全身がしびれ、体の中が何かを駆けめぐり、顔がひきつり、頭から血の気が引き、意識が薄れていきます。しかし、不思議に心は平安でした。突然、その時、霊気のようなものが台風のように吹き抜けて出ていくような感じがしました。体が楽になりました。人は死を迎えたとき、その一瞬の中でこんな道筋を通らなければならないのかもと、後になって思わされたほどです。しかし、その後どのような祈りをして下さったかは全く覚えていませんが、体も意識も元に戻っていました。また、もう脅えていた自分はそこにはありませんでした。そして今も平安な日々を過ごしています。感謝です。」

 これがベルゼブルの力だと思いますか。これはイエス様の力です。イエス様がその人に触れたのです。その方が今まで神だと思っていた存在は、神ではなかったのです。イエス様は悪魔の恐怖から、騙し事から解放して下さいます。今日、もしもそのような騙し事に会っている方がいたら、そこから解放されて下さい。今日も御言葉で読んだように、イエス様は家を回復して下さる方です。略奪されていた家が回復する、これはイエス様の力です。今日、私たち一人一人が悪魔の攻め込む道筋を知らせていただき、敵の陣営に潜り込み、勝利を受け取るようなエリシャ、またギデオンの油注ぎを頂くことができるように祈ります。
 
 
 
 

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