今週の礼拝メッセージ
2000..2(SUN)
しるしの伴う宣教
新城教会牧師 滝元 順

<今週のメッセージの御言葉>

新約聖書 マルコの福音書16章15節〜20節

それから、イエスは彼らにこう言われた。「全世界に出て行き、すべての造られた者に、福音を宣べ伝えなさい。信じてバプテスマを受ける者は、救われます。しかし、信じない者は罪に定められます。信じる人々には次のようなしるしが伴います。すなわち、わたしの名によって悪霊を追い出し、新しいことばを語り、蛇をもつかみ、たとい毒を飲んでも決して害を受けず、また、病人に手を置けば病人はいやされます。」主イエスは、彼らにこう話されて後、天に上げられて神の右の座に着かれた。そこで、彼らは出て行って、至る所で福音
を宣べ伝えた。主は彼らとともに働き、みことばに伴うしるしをもって、みことばを確かなものとされた。

 

 ハレルヤ!皆さんのお祈りに支えられ、先週、私は、新潟の決起大会にて奉仕させていただきました。どこに行っても主が共におられて祝福されたことを感謝します。スーパーミッションまで、あと十六日です。約二週間です。この最後に私たちは何をすべきかと考えていますが伝道は霊的戦いですので、目に見えない壁が崩されることを祈っていくべきだと思います。今週はスーパーミッション直前ということで、明日から金曜日まで県民の森や総合公園で夜、祈祷会を行う計画があります。ぜひ、お出かけ下さり、スーパーミッションの勝利のために祈っていただきたいと思います。
 今日はイエス様が、「福音を宣べ伝えなさい」と命令された中から、福音を宣べ伝える時に、しるしと共に働いて下さるという、有名な箇所から学びたいと思います。先週は、使徒の働き八章から、サマリヤの町でピリポが伝道したときに起こった事柄について学びました。八章五節から六節に、

『ピリポはサマリヤの町に下って行き、人々にキリストを宣べ伝えた。群衆はピリポの話を聞き、その行なっていたしるしを見て、みなそろって、彼の語ることに耳を傾けた。』

と書かれています。サマリヤにおいて起こったリバイバルは、御言葉が語られただけではなく、しるしが伴っていました。人々がしるしを見ることにより、更にリバイバルが拡大したのです。今回のスーパーミッションも、初めの集会から主のしるしが伴うように祈りたいと思います。しるしは過去のことで、そんなことは起こるはずがない、と言われる人もいます。しかし、「宣教に伴ってしるしが起こる」とイエス様が言われました。どこの教会でも宣教活動を行っています。この宣教が全て終わってしまえば、しるしも終わっても良いかも知れません。しかし、福音が宣べ伝えらえている以上、しるしが伴うべきなのです。しるしが伴わない方がかえって不自然に思います。主の御言葉が回復されるように祈って下さい。そして今回のスーパーミッションにおいては、御言葉に伴うしるしが起こされるように祈っていただきたいと思います。

『信じる人々には次のようなしるしが伴います。すなわち、わたしの名によって悪霊を追い出し、新しいことばを語り、蛇をもつかみ、たとい毒を飲んでも決して害を受けず、また、病人に手を置けば病人はいやされます。」』

 このようなしるしが伴うと、イエス様は約束して下さいました。イエス様は私たちのただ中におられるのですから当然だと思います。
 「しるし」について教えている箇所ですが、「福音宣教」という視点で述べられていますので、どのように福音宣教を展開するときにしるしが起こされ宣教が拡大するか、「福音宣教の手順」についても教えていると思います。この手順に従って福音宣教を展開するならば、しるしの伴う宣教ができる、ということを教えていると思います。そんなわけで、この箇所から、「福音宣教の手順」について学んでいきたいと思います。

『信じる人々には次のようなしるしが伴います。すなわち、わたしの名によって悪霊を追い出し』

と書かれています。福音を宣べ伝える手順としての第一条件は、悪霊に支配された人に向かって「イエス・キリストの名によって悪霊よ出て行け」という働きがあります。しかし、この御言葉には、もっと深い意味があると思います。
 イエス様の宣教活動の中で、私が最も心を躍されるのは、ゲラサでの働きです。イエス様がゲラサに到着すると、一番嫌われ恐れられていた男が、イエス様を遠くから見つけて駆け寄ってきた、と書かれています。この記事は不思議です。マルコの五章に書かれています。

『彼はイエスを遠くから見つけ、駆け寄って来てイエスを拝し、大声で叫んで言った。「いと高き神の子、イエスさま。いったい私に何をしようというのですか。神の御名によってお願いします。どうか私を苦しめないでください。」』

 悪霊は最初からイエス様に降参してひれ伏しています。イエス様がガリラヤ湖を渡って近づいた時、男が岸辺から石を投げてイエス様に「早く帰れ。来るな」と言って抵抗したわけではありません。イエス様の足下にひれ伏して、「私を苦しめないで下さい」と懇願してイエス様を出迎えました。イエス様はゲラサに着く前に、すでに戦いに決着を付けておられました。私たちも福音宣教おいて、まず先に、霊的権威を取る必要性をここで教えられます。近代の戦争は、まず空軍が出動し敵陣を爆撃します。そして敵をせん滅してから地上軍が上陸します。ですから、ほとんどそこに犠牲がありません。敵がすでに攻撃され力を失っているからです。同様に私たちも、福音宣教を展開する中で、まず敵の悪しき力を打ち砕いてから福音を宣べ伝えるのです。
 今回のスーパーミッションにおいても、東京の空中の権威がまず勝ち取られるように、ぜひ祈っていただきたいと思います。今週の祈祷会で、完全にスーパーミッションにおける空中の支配権が奪い返され、それから福音が宣べ伝えられることを祈りたいと思います。
 又、私たちが家族や友人に伝道する時にもこの原則は適応されます。これは地域、国という大きなレベルだけではなく、誰かに伝道する時にもまず、その背後の権威が打ち破られるように祈らなければなりません。第二コリント四章一節にから四節に

『こういうわけで、私たちは、あわれみを受けてこの務めに任じられているのですから、勇気を失うことなく、恥ずべき隠された事を捨て、悪巧みに歩まず、神のことばを曲げず、真理を明らかにし、神の御前で自分自身をすべての人の良心に推薦しています。それでもなお私たちの福音におおいが掛かっているとしたら、それは、滅びる人々のばあいに、おおいが掛かっているのです。そのばあい、この世の神が不信者の思いをくらませて、神のかたちであるキリストの栄光にかかわる福音の光を輝かせないようにしているのです。』

と書かれています。私たちはイエス・キリストを信じて人々の前に立っています。皆さんの中で、あなただけがクリスチャンで、まだ家族はクリスチャンではないという方がいるかと思います。「なぜ家族が救われないのだろうか。伝道が良くできないのだろうか。口べただから、祈りが足らない・・」と色々理由付けするかも知れません。しかし聖書は、あなたがイエス様を信じて、人々の前でクリスチャンであることを宣言していてもなお、人々が福音を信じないのは、あなたの祈りの足りなさや、信仰の足りなさ、口べたなどは、あまり関係がないことを教えています。あなたがクリスチャンとして、人々の前にはっきりと自分自身を推薦して、それでもなお福音に覆いがかけられていたとしたら、四節に、

『そのばあい、この世の神が不信者の思いをくらませて、神のかたちであるキリストの栄光にかかわる福音の光を輝かせないようにしているのです。』

と書かれています。それは、あなたに原因があるのではなく、その背後の霊的な存在が止めているということです。ですから、祈りを持ってその背後で救いを止めている悪魔の力が打ち砕かれることを祈るべきです。新共同訳聖書には、

『この世の神が、信じようとはしないこの人々の心の目をくらまし、神の似姿であるキリストの栄光に関する福音の光が見えないようにしたのです。』

 この世の神、即ち、悪魔、悪霊が福音に覆いをかけて神の似姿であるイエス様の栄光に関わる福音の光が届かないようにしているというのです。ということは、まず、「悪霊を追い出す」という、霊的戦いが重要なポイントです。私たちの宣教が、今まで、あまりにも地上戦が多かったと思います。伝道も、何とかその人を説得しようという工作から入っていたように思います。しかし聖書は、まず、覆っている暗闇の力を打ち砕くように教えています。
 地域において福音が届かないように覆っている黒雲があります。これは霊的な雲です。地域のリバイバルのためには、霊的な戦いの視点を持った祈りが必要です。空を打つ拳闘ではなく、その背後に働く悪しき業が打ち破られるように心を込めて祈るべきです。
 一九九二年七月九日は、「主が立ち上がられた日」という本に書きましたが、主が、地域に対する霊的戦いの祈りを教えて下さった日です。また、その事について、今週のリバイバル新聞にも記載されていますので、ぜひ読んでください。主が地域を覆っている暗闇の力に対して挑まれたのがこの七月です。今週はそのような意味でも重要な週です。今週はぜひ、霊的な戦いの視点を持って下さい。皆さんの家族の中においても霊的な視点を持って下さい。家族を覆っている暗闇の覆いが取り除かれるようにと祈って下さい。
 福音を宣べ伝える第一の手順は、地域や国家を覆っている悪霊を追い出すのです。
 次に、『新しい言葉を語り』と書かれています。多くの場合は異言を語るとか、賜物の領域で理解されることが多いのですが、そのような場合もあるとは思いますが、福音宣教の視点では「伝道」を意味すると思います。特に、今まで覆われていた耳栓が取られて、目隠しが取れて、福音が投げかけられたら、福音を聞く人々にとっても、語る方も、「新しい言葉」です。イエスキリストを信じるならば、福音を受け取るならば、永遠のいのちが与えられるのです。これを受け取らないことは、一億円の宝くじが当たっているのに受け取らない以上のことです。一人一人に素晴らしい祝福が人間に用意されています。しかし、それが受け取れないのは、まさに目や耳が塞がれていることです。覆いが取られて御言葉が語られるならば、それは「新しい言葉」として、人々の心の中心を射抜く言葉となっていきます。今回のスーパーミッションにおいて、覆いが取られた中で福音が語られますように。
 イエス様は、ゲラサの男から悪霊を追い出されました。しかし、ゲラサの住民の反応は、一番恐れられていた厄介者を解放したにも関わらず、「お帰り下さい」という反応でした。これはイエス様に対しての恐れでした。それは、住民が男に対して抱いていたのと同じ恐れでした。なぜならば、自分たちが一番恐れる男がイエス様の前にひれ伏していたからです。人々の目には、イエス様を「救い主」として見ることができませんでした。ヤクザの親分のような存在が来たと勘違いし、イエス様に立ち去ってくれるように望んだのでしょう。しかし、男が本当に解放されたのをゲラサの人々は後から知りました。その時、住民の心が開かれました。イエス様は恐ろしい存在ではなく、「救い主」であることが分かり人々の心が開かれました。そしてデカポリス一帯に福音が宣べ伝えられました。イエス様に対する偏見が除かれるように祈りましょう。多くの人々が偏見を持っています。「イエス・キリストは西洋の神様ではないか。日本には日本古来の神様がいる。」しかし、この背後に悪霊の力があります。これが取りのけられて、イエス様が救い主であるという福音の光が届くように祈るべきです。
 「悪霊を追い出し、新しい言葉を語り」そして、その次には、『蛇をもつかみ』と書かれています。先々週、南の島々に行きました。毒蛇ハブがいる島もありました。毎年何人も犠牲になります。そのような場所で宣教するには、この御言葉が必要だろうかと思います。その様な意味もありますが、それ以上のことがあります。聖書の中で「蛇」と語っているのは霊的な存在です。悪魔、悪霊のことを言っています。私たちの宣教活動の中で、「蛇をつかみ出す」とはどのようなことでしょうか。
  私は牧師の息子として生まれこの教会で育ちました。先日は宣教五十周年を祝い、この間守られたことを感謝しました。大へん感謝なことですが、一つの残念なこともあります。現在新城教会には三百人近くが集っています。頭数で一週間には約三五〇名がこの教会に集まっています。しかし、この五十年で教会に来て信仰を持った人は三百人や四百人という単位ではありません。千人単位だと思います。求道者として教会に来た人はもっと多くあります。しかし多くの方が一度は恵みを受けたものの、信仰を捨てて去っていきました。私たちの周りにそのような方々が多くおられます。一度は聖霊に触れられた方々です。その方々が回復されるよう心から願います。一度信仰を持った方々が、なぜ、あるとき信仰から引き戻されるのかと思います。
 今日ここにおられる皆さんは、誰一人として信仰から離れる人がないように祈ります。互いに励まし合って恵みから漏れる人がないように祈りましょう。
 しかし、今まで多くの方が一度福音を受け取りながら去っていきました。その理由として、交わりが足りない、聖書の学びが足りない・・・と色々考えました。もちろん、色々な要因があることは確かです。しかし、一つのことを主が教えて下さいました。それは私たちが宣教の過程の中で、蛇をつかみ出さなければ、その蛇に引き戻されてしまうということです。
 よく理解していただきたいのですが、イエス・キリストを信じるならば、もはや悪魔の支配下にはないと言うことです。しかしながら、イエス・キリストを信じても、もし私たちの内に「罪」があるなら、そこには悪魔の影響力が及びます。私たちの中から、罪を取り除かなければ、神の領域に属しながら悪魔の「影響」を受けつづけてしまいます。ですから、私たちは罪から離れて、きよい者になるべきです。
 「イエス様を主」と告白している時、既に、私たちは暗闇から光りに、サタンの支配から神の支配にあります。これは確かなことです。しかしながら、罪があるならば、その領域は悪魔の影響を受けます。この影響が「蛇」の働きです。それをつかみ出さなくてはなりません。
 人間は霊・肉・魂の三つの領域から出来ています。悪魔はこの三領域のどこかに影響力を保っていることを願います。そして、多くの場合、影響力を受けたままで信仰生活が始まります。やがて何かのきっかけ、即ち、誘惑があったり、何らかの節目に、悪魔は影響力の縄を丁度良いタイミングで引っ張ります。そして、人々は一度信仰を告白したのにも関わらず、脱落して行くわけです。
 主は、私たちに、この縄目を解く必要について教えて下さいました。「霊的な領域」における蛇の影響力は偶像礼拝です。それが最も大きな束縛です。偶像礼拝=悪魔礼拝です。絶対に悪魔と友だちにならないでください。良いことは全くありません。偶像礼拝から離れることは、悪魔から離れることです。私たちの神様は、悪をもたらす方ではなく、良いことをもたらすお方です。神様は良い方です。絶対に悪をたくらまれません。『あなたのために立てている計画は、わざわいではなく、将来と希望を与えるためのものです。』と聖書に約束されています。それにも関わらず、クリスチャンでも多くの人々が祝福を受けることができません。これは悪魔の影響が霊的領域に及んでいるからです。悪魔は人に二十四時間つきまとって、どうやって苦しめようかと考えます。それも彼らにとって最善の手口をもって攻撃してきます。その一番大きな原因が偶像礼拝です。
 私たちの偶像礼拝に対する悔い改めは、今まで、「ごめんなさい」という領域だけでした。しかし、偶像礼拝の一番恐ろしい側面は、神に対する反逆という側面だけでなく、「悪魔との契約が結ばれる」ことです。契約があると、その人に「関わり」が持たれます。神様に、「ごめんなさい」と言ったらその罪は赦されます。しかし、悪魔は人と契約を結んでいるので、「契約書」に基づいて人生に関わってきます。関わりが断ち切られるためには、契約書が破棄されなければなりません。そうしてみると日本人は生まれてから死ぬまで、次の世代に渡って契約書だらけです。サラ金地獄に陥っているかのように、多重債
務状態になります。だから、毎日のように、色々な所から請求書が来ます。一つ返したと思ったら次が来ます。悪魔との契約も似ています。日本人は生まれたら宮参りに子どもを連れて行きます。それをただの習慣だと思っていたら恐ろしいことです。それは悪霊に子どもの人生をささげることになるからです。そうしてみると、七五三、結婚式、葬式に至るまで多くの契約があります。悪魔の契約は一代では切れません。三代、四代に至るのです。人生は悪魔との契約でがんじがらめです。蛇の縄目があります。これをしっかりと取り除くべきです。
 このことを知ったとき、私たちの教会は今までの伝道の概念が変わりました。一人がイエス・キリストを信じて、洗礼を受けるまでの過程の中で、悪魔の影響力をかぎりなく取り除く為、最大限の努力を払うようになりました。最近、感謝していることがあります。まだまだ、完璧ではありませんが、昔は多くの人がイエス様を信じても信仰から去っていきましたが、最近は大へん少なくなりました。そして、一度信仰から離れても、戻って来られます。昨年でも、何人もの方々が信仰回復されました。今年も、すでにそのようなことが起こっています。悪魔との契約が砕かれるときに、影響力が少なくなります。引き戻す力が弱くなり、大胆に主の前に近づくことができるようになります。
 私は人々がイエス様を信じる過程で「蛇をもつかむ」という原則に基づいて悪魔との契約が打ち破られる為に働いています。多くの方が解放されています。まだ皆さんの中で、昔、偶像と関わったけれど、契約を解除する祈りをまだ受けておられないなら申し出てください。お祈りさせていただきます。私たちの信仰の土台に食い込んでいる束縛がうち破られるときに、人生はこんなにも自由であったのかとよくわかります。
 続いて、魂においての蛇の影響力は「憎しみ」です。

『怒っても、罪を犯してはなりません。日が暮れるまで憤ったままでいてはいけません。悪魔に機会を与えないようにしなさい。』

と書かれています。今週も怒ることがあるかも知れません。しかし、一日の怒りはその日のうちで止めていただきたいのです。次の日まで憤りを保っていたら、確実に言えることは、「悪魔が機会を捕らえる」ということです。今日、皆さんの背後に悪霊が侵入しているかどうかのチェックポイントがあります。それは、「あの人をどうしても赦すことができない」「あの人のことを考えると、ムカムカする」という思いがあったら、すでに、悪魔が機会を捕らえて影響力の後押しがあると言えます。憎しみから解放されなければ人生に良いことはありません。憎しみから解放されることです。その背後の機会を捕らえているサタンの力が打ち破られますように!
 そして、肉体的な束縛は不品行、姦淫です。不品行・姦淫は相手と「一心同体」となり、全ての領域を「共有化」してしまうおそろしい罪です。自分がいくら、きよい生活をしても、共有化の契約が残されているならば、相手が何か罪を犯すならば、自分に影響が来る可能性があるということです。
 不品行や姦淫の罪は、「結婚」という契約とともにあります。結婚以外の性行為は罪であり、結婚以外の契約を、しっかりと断ち切らなくてはなりません。これを断ち切らなければ、依然として共有化されています。共有化が打ち破られなければなりません。それが「蛇をもつかみ」ということです。この点についても、徹底的に奉仕させていただくように変わってきました。蛇の影響力が取り除かれなければ後になって、その人が苦しみます。多くのクリスチャンが苦しんでいます。私も色々なところで奉仕させていただきますが、多くのクリスチャンが一生懸命主に仕えたいけれど、力が出ないのです。
 生活の中でも力が出ないので「おかしい」と感じて体温を測ると、三十七度五分ぐらいの熱がある時があります。それで、「大変なわけだ」と納得します。
 結構、霊的にも、体温が七度五分くらいの方がいます。なんとなく熱っぽく、なにかと疲れます。奉仕しても祈っても途中で息切れし、賛美しても・・ということがあります。これは、「蛇の束縛」です。何か主の前に出て行くときに、何らかの息切れするようだったら霊的体温を測ってみて下さい。
 先週も新潟の教会で奉仕させていただきました。ある教会で伝道会がありました。帰ろうと思っていたら一人の方が「祈って下さい」と言われ祈りました。問題をお聞きして、「御名によって、背後に働く悪霊よ出て行け」と祈りました。すると、その方が震え出して倒れてしまいました。そして、その人の解放の祈りになりました。そしたら、またひとりの方が、「先生。この人のために祈って下さい」と婦人を連れてこられました。すると、そこに人が倒れていました。すると、連れてこられた方は、「怖い」と言って逃げ出しました。その方は、初めて教会に来たので驚いたのです。「あなたのために、祝福を祈りますから、恐がらなくても良いです。」と言いました。その方のために祈ると、その人も聖霊に触れられてフラフラしてしまい、驚いていました。その後、祈りが始まったら解放が始まりました。帰ろうと思っていたのに、帰れな
くなり、結局、何時間もそこで祈ることになりました。夜の集会もその延長でした。もっと解放の祈りができる人が増えるように祈ってください。多くの人の背後に潜む、蛇の束縛に苦しめられています。これからの宣教の中で、人々の中から、蛇がつかみ出され、悪霊の影響力がなくされて神様の前に仕えるならば、どんなに素晴らしいことでしょう。
 ある意味で甲子園ミッション以降、新城教会が息切れしないで継続して働ける背景に、個人を含めて、教会に対する蛇の束縛が砕かれた結果であると信じます。教会自体の体温が高かったら疲れて倒れてしまいます。同じテンションでやっていける背景には、徐々に束縛が砕かれているのです。更に戦いの前進のために祈り続けるべきです。
 次に、『たとえ毒を飲んでも決して害を受けず』と書かれています。これは、私たちの宣教の現場について教えています。私たちが福音を伝えようとしている現場である、会社や、学校はどのような場所でしょうか。そこは、毒に満ちています。朝から交わされている会話は、汚れたことばかりです。解毒剤をもらわないでそこに関わるならば、ミイラとりがミイラになる現状が多くあります。私たちが福音を宣べ伝える時に、『毒を飲んでも害を受けない』という、「血清を与えてください」と祈って出て行くべきです。
 そして、『病人に手を置けば病人は癒される』と言う言葉につながります。「病人に手をおけば病人は癒される」という領域に行き着くまで、前半の霊的戦いが必要です。
 宣教には、地域的な霊的戦いがなされ、新しい言葉である福音が語られ、蛇がつかみ出され、解毒剤をもらって祈るときに、病が癒されるという、手順があるように思います。
 そして、病の癒しと霊的戦いは大きな関わりがあると思います。その背後の悪魔の力が打ち破られないと、なかなか病の癒しにつながらないのではないかと思います。日本において、なかなか御言葉が実現しない背景には、霊的束縛が強くあります。しかしこれが破られていく時に、しるしが現れると信じます。
 昨年、ある姉妹が私のところに泣いてきました。「先生祈ってください」と言われました。その方は花粉症だと思って鼻を調べると、鼻の中にポリープがあったそうです。そこで検査のために顔全体のレントゲンを撮りました。すると骨の隙間に、沢山のポリープができていたそうです。「これは手術してとらなくてはならない」と言われたそうです。それを聞いたときに、私は、「これはただならぬ病だ」と思いました。どうなるのだろうか思いつつも祈りました。まず、その方に昔、どのような悪霊との関わりがあったのかについて聞いて祈りました。聞くと、その方の家族もその人も、オカルトに凝っていた事が分かりました。それも、先祖の霊を呼ぶという、オカルトに関わっていました。夜、先祖の墓に行き、手をつないで先祖の霊と偽る悪霊に祈っていたのです。
 その人のいやしのためにイエス様の名によって祈りました。「この人の背後から、悪霊よ。完全に手を引け」と祈りました。そしたら体が震え出し、突然、「この女はオレのものだ!」と言い出しました。自分で叫んでいるのです。「この女はオレのものだ。オレはこいつを絶対に殺してやる。」というのです。しかし、「イエス様は勝利者だ。絶対にこの人を殺すことはできない!」と祈りました。
 彼女が病院に行って再検査したら、ポリープは全て消えていました。癒されていました。私はそれを見て、悪霊とのつながりがあるとなかなか癒しが来ないと感じました。この奇蹟を通して、御言葉がよくわかりました。やはり、日本の宣教は霊的戦いと共にあると思いました。
 今回のスーパーミッションにおいても、霊的な戦いと共に福音が宣べ伝えられて、人々がしるしを見るならば、福音が更に拡大していくことを、マルコの福音書十六章から、また、先週学んだ、使徒の働き八章から知ることが出来ます。それは、人々が滅びないためです。皆が救われて、永遠のいのちを受けるためです。お祈りします。
 
 
 

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