今週の礼拝メッセージ
2000.8.13(SUN)
主を慕い求める
新城教会牧師 滝元明

<今週のメッセージの御言葉>
旧約聖書 詩篇42章1節〜10節

鹿が谷川の流れを慕いあえぐように、神よ。私のたましいはあなたを慕いあえぎます。私のたましいは、神を、生ける神を求めて渇いています。いつ、私は行って、神の御前に出ましょうか。私の涙は、昼も夜も、私の食べ物でした。人が一日中「おまえの神はどこにいるのか。」と私に言う間。私はあの事などを思い起こし、御前に私の心を注ぎ出しています。私があの群れといっしょに行き巡り、喜びと感謝の声をあげて、祭りを祝う群集とともに神の家へとゆっくり歩いて行ったことなどを。わがたましいよ。なぜ、おまえは絶望しているのか。御前で思い乱れているのか。神を待ち望め。私はなおも神をほめたたえる。御顔の救いを。私の神よ。私のたましいは御前に絶望しています。それゆえ、ヨルダンとヘルモンの地から、またミツァルの山から私はあなたを思い起こします。あなたの大滝のとどろきに、淵が淵を呼び起こし、あなたの波、あなたの大波は、みな私の上を越えて行きました。昼には、主が恵みを施し、夜には、その歌が私とともにあります。私のいのち、神への、祈りが。私は、わが巌の神に申し上げます。「なぜ、あなたは私をお忘れになったのですか。なぜ私は敵のしいたげに、嘆いて歩くのですか。」私に敵対する者どもは、私の骨々が打ち砕かれるほど、私をそしり、一日中、「おまえの神はどこにいるか。」と私に言っています。わがたましいよ。なぜ、おまえは絶望しているのか。なぜ、御前で思い乱れているのか。神を待ち望め。私はなおも神をほめたたえる。私の救い、私の神を。
 

 ハレルヤ!お早うございます。今日久しぶりにこの教会の礼拝に帰ることができ感謝します。昨日はスーパーミッションに行かれ、夜中に帰られた方もおられると思います。私も夜、十一時少し過ぎに新城に着きました。今日も礼拝後に出かけていきます。
 私が現在、東京で住んでいる所は、東高円寺という地下鉄丸の内線の駅から歩いて五分くらいの所です。家から会場まで三十分くらいかかります。暑い日が続いていますが、電車の中は涼しく、会場も涼しいのであまり暑さを感じませんが、皆さんの祈りによって支えられていることを感謝します。スーパーミッションもいよいよあと二週間です。もうすでに、二十六日間が過ぎてあと十三日間と思うと、何となく寂しい感じがしますが、この後半に向かって特別祈って下さい。今度四十日間の集会は日本の歴史の中で初めての挑戦です。四十日はなかなか人々の出足が悪く、教会にも色々な行事があります。ある意味で戦いが多くあります。この集会のために御言葉が与えられました。七月十四日にイザヤ書五十四章四節の御言葉が与えられました。

『恐れるな。あなたは恥を見ない。恥じるな。あなたははずかしめを受けないから。』

確かにスーパーミッションは戦いです。約一ヶ月前に田中先生が脳内出血で倒れられました。しかし、先生は立ち上がって御言葉を取り次ぐまでになりました。これは勝利です。先生は北海道で倒れられ、集中治療室に入り医者は危ないかもしれないと言われました。その時、悪魔がきて、「もうおまえはダメだ、手も足も動かない。お前はスーパーミッションに行くこともできない。」と言われたそうです。その時、はっきりと悪魔の訴えであることがわかり、あまり言葉が出ない時に、「イエスの御名によって、悪魔よ退け。」と祈ったそうです。すると、悪魔が火矢を打ってきて、「おまえは記憶もなくなる。説教もできなくなる」と言われたことがわかったそうです。その時、フッと恐れが入ったそうです。記憶がなくなってしまったらどうなるだろうかと思ったそうです。そこで自分の知能を確認するために「使徒信条」と「詩篇二十三篇」「詩篇一〇三篇」を暗唱したそうです。全部覚えていたそうです。大丈夫だと思いました。勝利がありました。御言葉による勝利を取りました。これだったら絶対に立つことができると確信したそうです。私が見舞に行ったときは、「私は祈りが少なかったので主が静まる時を与えて下さった」と言われていました。大丈夫だと思いました。左側の動きが悪いですが、一昨日は手を挙げて「ハレルヤ!」と賛美していました。有賀先生も私も血圧を測ってみました。有賀先生は上が二四〇でした。機械が壊れているのではないかと思い、もう一度測りましたが、やはり二四〇でした。挑戦を受けていました。そして私も説教の前にはかると一八〇でした。しかしその時私も祈りました。「イエス様。血圧が一八〇です」と祈りました。私はスーパーミッションのためにいのちをかけていますので、祈ると御言葉が与えられました。「二羽の雀は一アサリオンで売っています。しかしそんな一羽も神の前に忘れられていない。天の父の許しがなくては地に落ちることはできない。」とイエス様が語りかけて下さいました。非常に安い値で売っている雀でさえも神様は覚えておられ、天の父の許しがなくては死ぬことはないと教えています。ですから、私はその夜はっきりと言いました。「皆さん。私は死ぬまでは生きますから」と言いました。終わってからすぐ看護婦さんが来て血圧を測ったら、感謝なことに三十下がっていました。百五十でした。ある意味で戦いがあります。私たちの戦いは日本の救い、東京のリバイバルです。東京に救いが来るようにということで、私たちの戦いは血肉ではなく、悪霊との戦いです。相手があります。人ではありません。出足も悪く、日本教育会館、恵比寿303も参加者少なかったです。予算も一億円をかけていますが、献金がとても少ないです。戦いがあります。サタンとの戦いですので、このままではいけないと思いました。今回ほど祈ったことはないという程に、夜中にイエス様と取り組んで祈りました。聖書の中でイエス様がゲッセマネの園で血の滴るような汗を流しながら祈った、と書かれていますが、私も、「どうしてもこの戦いに勝利させて下さい。」と中途半端に祈ったのではなく、夜中中、小さな声で「主よ。どうかお願いします。リバイバルを起こして下さい。」と祈りました。しかし、ふと、「東京は難しい、かたくなだ、これではさばきが来るかなあ」と恐れが来るときがあります。しかしどんなに頑なでも、神の前に東京に対する愛をわすれることがないように、「愛を与えてください、日本を愛します。さばきではなく日本にリバイバルが来ますように。」と祈りました。「神様助けてください」と祈りました。

『鹿が谷川の流れを慕いあえぐように、神よ。私のたましいはあなたを慕いあえぎます。』

切に水を求める鹿のように神を求めました。どうしてもリバイバルを与えて下さいと祈りました。その時、七月二十五日にイザヤ書四十九章十五節を与えて下さいました。

『女が自分の乳飲み子を忘れようか。自分の胎の子をあわれまないだろうか。たとい、女たちが忘れても、このわたしはあなたを忘れない。』

と語られました。イエス様は今の現状を知っています。またこの願いを知っておられると確信したときに楽になりました。その次の日から門が開かれました。集会そのものも最高で、人数も少しずつ増えて、毎晩救われる魂が与えられました。
 今度の集会で神が教えて下さっていることは、「神に対する信頼」です。時々難しかったりすると、信頼が動いてしまうことがあります。詩篇一一五篇に、

『イスラエルよ。主に信頼せよ。この方こそ、彼らの助け、また盾である。アロンの家よ。主に信頼せよ。この方こそ、彼らの助け、また盾である。主を恐れる者たちよ。主に信頼せよ。この方こそ、彼らの助け、また盾である。主はわれらを御心に留められた。主は祝福してくださる。イスラエルの家を祝福し、アロンの家を祝福し、主を恐れる者を祝福してくださる。小さな者も、大いなる者も。主があなたがたをふやしてくださるように。あなたがたと、あなたがたの子孫とを。あなたがたが主によって祝福されるように。主は、天と地を造られた方である。』

と書かれています。私たちは色々な難しさの中にあっても、主に信頼すると、絶対に辱められることはなく、信頼するものは失望することはないと書かれています。
 現実的に、裏方で働く人たちは大変です。岡本先生や上條先生や石塚兄の会計係などには、大きな影響があります。しかし、失望していたとき、大阪のあまり大きくない教会から、献金が送られてきました。五百万円でした。その教会は会堂を建てたばかりでした。東京と大阪では何の利益にもなりません。しかし、何とかして日本が救われるために、東京が救われて欲しいという祈りと共に、五百万円がささげられました。その時は皆が喜びました。また、四国のある先生が百万円を献げられました。一昨日前に平岡先生が、「ちょっと」と言われるので、何か問題が起こったかと思うと、「先生。今日一日、全国から送られてきた献金だけで、二六〇万円でした。」と言われました。日本中の方がスーパーミッションに重荷を持って助けて下さっています。勇気が与えられます。神様が覚えて下さっていると思います。東京の救いのために、日本中が祈っています。これで神様が東京を省みないわけがないと思います。もしこれで東京の人が悔い改めなかったら、さばきが来るのかも知れませんが、救われるように祈らなければなりません。神様が御言葉を持って励まして下さっています。主に信頼します。詩篇一一五篇十二節で、

『主はわれらを御心に留められた。主は祝福してくださる。』

と書かれています。この激しい戦いの中で、主がみこころに留めて下さると慰められます。大きな問題でも小さな問題でも同じです。皆さんの個人的な生活の中で、いかに主を求めるかということが大切です。私の持っている問題は、小さな問題ではありません。これは日本民族が救われるか、東京が救われるかという問題です。ですから、いつの間にか夜一時くらいから祈り出し、気が付いたら朝になり、汗をかく程の時があります。祈りでも中途半端で、「イエス様。今日の食べ物をありがとうございました。一日守られて感謝します。」ということではありません。どうしても神様のみこころを現していただきたい。どうしても、日本を救っていただきたい。リバイバルを起こしてもらいたいという主を慕い求める祈りです。
 しかし、最初からスーパーミッションにたくさんの人が来て、溢れていないことは良いことだと思いました。そのことによって、こちらも主を真剣に慕い求めることができます。そして、この仕事をしてみてわかることは、イエス様しか頼るところがない、イエス様だけに頼ります。今私の心に求めるものはイエス様しかありません。
 今、私が住んでいるところはマンションです。マンスリーなどを借りようと思っていましたら、一人の東京のクリスチャンの方が、「滝元先生、私はマンションを買いました。誰かに貸そうと思っているのですが、その前に、先生に四十日間使っていただきたいと思うのですが、使っていただけますか。」というのです。感謝なことに、素晴らしい部屋を四十日、ただで貸して下さっています。神様がみこころに留めて下さっていることは素晴らしいことです。そのような中で節に、主を求めることは感謝なことで、借りたところには冷房はありますがテレビはなく、新聞もないのです。ですから今、私は世離れしており、東京で約三十日住んでいますが、テレビを見たことがありません。中日が勝つか、巨人が勝つかは、日本の救いに関係ありません。ただ帰ると、風呂に入って主を求め、聖書を読みます。ただ、神を慕い求めます。何としても日本にリバイバルを与えていただきたいのです。そのような中で、主に信頼することを教えられました。私はこのことを通して、必ずイエス様が新しい素晴らしいことをして下さると信じています。八月八日にイザヤ書四十三章十八節からの御言葉を読みました。

『先の事どもを思い出すな。昔の事どもを考えるな。見よ。わたしは新しい事をする。今、もうそれが起ころうとしている。あなたがたは、それを知らないのか。確かに、わたしは荒野に道を、荒地に川を設ける。野の獣、ジャッカルや、だちょうも、わたしをあがめる。わたしが荒野に水をわき出させ、荒地に川を流し、わたしの民、わたしの選んだ者に飲ませるからだ。』

と与えられました。この御言葉は尾山令仁先生が訳した現代役では、

『出エジプトの時の出来事などはこれから起こることと比べては問題にならない。わたしはこれから新しいことをする。あなたがたはそれを知らないのか。確かにわたしは荒野に道を砂漠に川を設ける。』

と訳しています。「出エジプトの時の出来事など、これから起ころうとしていることと比べては問題にならない。わたしはこれから新しいことをする。あなたがたはそれを知らないのか。確かにわたしは荒野に道を砂漠に川を設ける。」と訳しています。
 東京の霊的な姿は、荒野のようです。人がたくさんいますが、快楽を求め罪を求め、霊的には堅いです。昨日、集会で献金のすすめをしました。五百五十名くらいが来られていました。東京都以外の方はお立ち下さい、というとほとんど東京からきていません。東京は霊的な荒野です。砂漠のようです。しかし神様が言われたことは、「出エジプトの時の出来事などはこれから起こることと比べては問題にならない。わたしはこれから新しいことをする。あなたがたはそれを知らないのか。確かにわたしは荒野に道を砂漠に川を設ける。」と書かれています。困難な中で必ず神様が東京に素晴らしいことをして下さると確信しました。八月十日に第二歴代誌二十章十五節からの御言葉が与えられました。

『彼は言った。「ユダのすべての人々とエルサレムの住民およびヨシャパテ王よ。よく聞きなさい。主はあなたがたにこう仰せられます。『あなたがたはこのおびただしい大軍のゆえに恐れてはならない。気落ちしてはならない。この戦いはあなたがたの戦いではなく、神の戦いであるから。あす、彼らのところに攻め下れ。見よ。彼らはツィツの上り道から上って来る。あなたがたはエルエルの荒野の前の谷のはずれで、彼らに会う。』

「この戦いはあなたがたの戦いではなく、神の戦いである。」と書かれています。私たちは魂の救いのために伝道することは自分のためではありません。特にこの教会は祈りの援助をして下さってます。東京で集会をして人が救われることは新城には何も利益がありません。しかし私たちが働いていることは東京のためです。「主の戦い」と書かれています。主が言われることは「恐れてはならない。気落ちしてはならない。」と言われています。時々難しいと思います。しかし主の戦いなので「恐れるな。勝利を得るのは主である。」と言われます。私たちはどのような大問題にぶつかっても、これは主の戦いであるから必ず勝利することを信じなければなりません。ヨシャパテは、

『彼は民と相談し、主に向かって歌う者たち、聖なる飾り物を着けて賛美する者たちを任命した。彼らが武装した者の前に出て行って、こう歌うためであった。「主に感謝せよ。その恵みはとこしえまで。」彼らが喜びの声、賛美の声をあげ始めたとき、主は伏兵を設けて、ユダに攻めて来たアモン人、モアブ人、セイル山の人々を襲わせたので、彼らは打ち負かされた。』

と書かれています。彼らは心から賛美したときに主がすばらしいことをして下さいました。だから私も主がどのようなことをして下さるかを見ていることが今の現状です。祈っていただきたいことは、私たちが谷川の水を鹿が慕い求めるように、主を求めてこの戦いにおいてイエス様が日本に現れて下さり、「主こそ神である。イエス様以外に救いはない」ということを現して下さるように祈って下さい。
 リバイバル新聞に出ていますが、寺の住職だった人が毎晩来て祈り求めています。彼も救いの確信を持ちました。また、町田市で会社の上役をしている方が、毎日二時間ほど散歩していたそうです。すると、スーパーミッションのパンフレットが手渡されたそうです。そしてその日に、ミッションに来たそうです。その時、金斗植先生がメッセージをしました。それを聞いたとき、「ここには何かがある」と思ったそうです。そして帰って次の日の集会にも来ました。そして毎晩、決心して祈っています。また一人の青年は教会にふらっと来て、聖書を勉強したいと言われ、スーパーミッションに誘われてきたそうです。そこでイエス様を信じ、今は一生懸命になってパンフレットを配り、昨日はバプテスマを受ける決心をしました。すでに多くの方が決心しています。毎日来られているおじさんがいますが、その方はホームレスです。四国から出てきて職探しをしているそうです。その方がパンフレットをもらって来られています。「先生。この方救われました。イエス様を信じました。そして仕事も与えられました。」と言われました。戦いはサタンとの戦いですので厳しさもありますが、主が働かれています。私たちはどこまでも、「主は生きておられる、主にとって不可能なことはない。」と本気で信頼し、この期間中に大きなリバイバルが来ることを祈って下さい。
 厚生年金会館は二千人が入るところです。二十日まで集会があります。次には国際フォーラムです。そこにも多くの方が参加することができるように祈って下さい。主を求めて、難しいときこそ、切に祈りリバイバルを見ることができるように祈りましょう。リバイバルを共に喜ぶことができるよう、助けていただきたいと思います。一言お祈りします。
 
 
 
 

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