今週の礼拝メッセージ
2000.827(SUN)
神のみにより頼む
新城教会牧師 滝元順

<今週のメッセージの御言葉>
新約聖書 コリント人への手紙第二 1章7節〜11節

私たちがあなたがたについて抱いている望みは、動くことがありません。なぜなら、あなたがたが私たちと苦しみをともにしているように、慰めをもともにしていることを、私たちは知っているからです。兄弟たちよ。私たちがアジヤで会った苦しみについて、ぜひ知っておいてください。私たちは、非常に激しい、耐えられないほどの圧迫を受け、ついにいのちさえも危くなり、ほんとうに、自分の心の中で死を覚悟しました。これは、もはや自分自身を頼まず、死者をよみがえらせてくださる神により頼む者となるためでした。ところが神は、これほどの大きな死の危険から、私たちを救い出してくださいました。また将来も救い出してくださいます。なおも救い出してくださるという望みを、私たちはこの神に置いているのです。あなたがたも祈りによって、私たちを助けて協力してくださるでしょう。それは、多くの人々の祈りにより私たちに与えられた恵みについて、多くの人々が感謝をささげるようになるためです。
 

  ハレルヤ!しばらくぶりで皆さんと共に礼拝を守ることができ感謝します。新城教会に帰ってきて一緒に礼拝を守れることをうれしく思います。四十日間、皆さんの祈りによって支えられ、今日こうして戻ってくることができ感謝します。まだ、東京で残務整理をしている者もおり、今頃向かっている者もいますが、誰一人として損なわれることなく、健康で戻れたことを感謝します。
 ある意味で新城教会は軍事基地のようで、戦時中は基地からどんどん兵士は飛び立って、前線で戦っていますが、戦争が終わるとまた基地に戻って来ます。愛する兄弟姉妹と共に礼拝できることを感謝します。
 四十日間の戦いは、困難なところもありましたが、結果的に主は素晴らしい御わざを現して下さいました。四十日間で出席した延べ人数は、午後と夜の集会を合わせる数え方で、四万七千六七七人の方が来られました。教会に一度も行ったことのない方々が、招待券やトラクト、チラシで三一六〇名来会されました。今回、百万枚のトラクトが配られましたが、そこから二五八八名が来られました。一枚のトラクトで何人も入ることができますので、もっと多くの方が来られたと思います。そして、将来と希望カードに決心を表明された方は、一〇六五名でした。そして、クリスチャンで何らかの決断をされた方が、七三四七名でした。多くの方が主の元に立ち帰り、信仰を回復し、癒されたことを報告させていただきます。四十日間の戦いがなければ、これだけの方がイエス様を知ることはできませんでした。これが一つの種となり、そこから多くの方が救われていくように祈るべきだと思います。
 一昨年前行われた東京ミッションにおいても、多くの方が救われました。東京ミッションで救われ、今回は働きを支えて下さった方もおられました。ボランティアで奉仕して下さった一人は、東京ミッションの時にある人からファックスで誘われて救われ、スーパーミッションでは四十日間奉仕して下さいました。現在、その人は献身してリバイバル聖書神学校で学んでいます。神様は一人の人生を変え、多くの人々の救いのために用いられます。今回一〇六五名の方がイエス様を信じる決意をしましたので、この方々が勇士となるように祈っていただきたいと思います。
 今回は、四十日もありましたので参加人数も分散したり、予想していたペースで献金も集まらず、始めは大へん心配でした。四十日間の集会のための予算は、一億二千万円程計上されていました。
 何しろ東京は物価が高いです。ある教会で月一台の駐車場代がどのくらいかかるかと聞くと、六万円と言われました。私たちのように自由に車を止めることはできません。しかし経済的必要に関しても助けを与えて下さいました。このままでは借金も残るし大変なことだと思いました。やっと甲子園ミッションであった借金が返済されたのに、ここでまた借金したら、私たちの将来と希望は全くなくなってしまうと心配しました。「これで全ての必要が満たされ着地できたら主のわざ以外に何もない」と思いました。人は時々不信仰になるものです。私も不信仰になり暗くなっていた時がありました。運営本部に行くと、信弘先生や平岡先生も眉間にしわを寄せて、暗くなっていました。本部に入るのが嫌になるような時もありました。しかし、結果的には席上献金と予約献金を合わせて、昨日までに一億二千三百六十二万七千四百八十二円が与えられました。予算に合わせてピタリと与えて下さいました。この献金額を見ても主は生きておられることがわかります。心からイエス様をほめたたえましょう。
 あるメンバーが二人しかいない教会があります。二人、三人集まるならそこは教会ですが、その教会が六十万円献げて下さいました。また、ある教会は会堂の土地を買うために貯めていたお金の中から、三百万円献金して下さいました。そのような方々がたくさん起こされ、外部から三一〇〇万円が献げられました。時々、目の前が真っ暗になって、このままどうなってしまうのだろうかと思うことがありますが、イエス様に望みを置き、信仰を持って進むとき、必ず主は助けて下さいます。四十日の戦いの中でも主は私たちを助けて下さいました。献金して下さる方々は、あと、どのくらい献金したら一億二千万円になるかとは考えてはいないと思います。その調整はなかなか難しいです。しかし、一億二千三百万円ぴたりと与えられたことは、まさに神の御わざです。主が全てをコントロールされているということです。
 さて、今日お読みした御言葉は、パウロの宣教についての記録です。エルサレムから始まったリバイバルは、エルサレム、ユダヤ、サマリヤそして全世界に発展していきました。パウロは特に異邦人伝道、即ち、ユダヤ人以外の救いに力を注いだ人物でした。彼は全力で宣教を進めていきました。当時は交通手段や社会情勢も今とは比べものにならない困難の中にありました。しかし、そんな中でも力強く福音を宣べ伝え、多くの収穫を得ました。しかし、その影に、今日お読みした箇所にあるような困難も体験しました。この箇所は彼が体験した事柄の集大成が記されています。一章八節に、

『兄弟たちよ。私たちがアジヤで会った苦しみについて、ぜひ知っておいてください。私たちは、非常に激しい、耐えられないほどの圧迫を受け、ついにいのちさえも危くなり、』

 彼は福音宣教の中で、数々の問題にぶつかり、ついには命さえも危なくなる場面にまで遭遇しました。特に「宣教」という視点の中で、「苦しみ」とはどのような目的があったのでしょうか。一章九節の後半に、

『これは、もはや自分自身を頼まず、死者をよみがえらせてくださる神により頼む者となるためでした。』

と結論づけられています。パウロは頭の良い人でした。また、聖霊の力をいただき、賜物も豊かな人でした。彼は神により頼んで働いていたはずですが、まだまだ人間的な部分があったのかもしれません。「今まで学んだ知識を使って色々なことができる」「神様からたくさんの権威をもらっているから、この権威によって色々なことができる」と考えていたかもしれません。しかし、そのような中で、主は彼を更に苦しいところに追いやり、自分自身に頼るのではなく、「完全に」「神のみに頼み、望みを置く」ことを教えられたのです。今回もある意味で、四十日の戦いの中で神が私たちに教えたかった事が、自分自身に頼むのではなく、死者をよみがえらせて下さった神に「全幅の信頼を置く」ことであったと思います。そして彼は十節で、

『ところが神は、これほどの大きな死の危険から、私たちを救い出してくださいました。また将来も救い出してくださいます。』

 彼は危険から救い出されたときに気付きました。「神が今、救い出して下さった。・・・ということは、将来も救い出して下さるに違いない」
 スーパーミッションのテーマは「将来と希望」でしたが、私たちを救い出して下さった神は、必ず、将来も救い出して下さるということです。私たちの神様は、ある時には救い出して下さるけれど、次は救わない方ではありません。皆さんも今まで、色々な問題の中で助けられた経験があると思います。しかし、新たな問題が起こってくると、「この間は良かったかも知れないけれど、今度は駄目かも知れない」という思いに駆られます。私たちもそのような思いに駆られました。甲子園ミッションの時は良かったけれど、東京ミッションの時には駄目だと思いました。東京ミッションは良かったが、スーパーミッションこそは駄目だと思いました。しかし主が助けて下さいました。ということは、将来に向かって、必ず、助けて続けて下さるということです。これこそ、今回のテーマであった、「将来と希望」に他なりません。また十一節に、

『あなたがたも祈りによって、私たちを助けて協力してくださるでしょう。それは、多くの人々の祈りにより私たちに与えられた恵みについて、多くの人々が感謝をささげるようになるためです。』

 今回のスーパーミッションの会場に集まった人数は約五万人です。しかし日本中から、会場に来れない方々も真剣に祈って下さいました。いや、世界中から祈りの手が挙げられていました。皆、真剣に、スーパーミッションはどうなるか、と注目されていました。今回の集会のために、はらはらドキドキされていた方々、いても立ってもおれず、はせ参じて下さった方々が多くありました。新城教会からも、毎週兄弟姉妹が来て下さり、私たちを励まして下さいました。皆さんと出会うのは、戦場に家族が励ましに来たようなもので、とても励まされました。イスラエルがペリシテと戦っていた時に、ダビデが陣中見舞いに来ました。イスラエルの兵隊たちが縮こまっていたときに、「何をあなたがたはめそめそしているのですか。もっと信仰を持って立ち向かって行きなさい。」と励まし、ダビデによって勝利がもたらされました。同様に皆さんが私たちのところに来て下さったのは、そのような大きな励ましでした。なかなか私も忙しくて、皆さんと交わりを持てなかったことは心苦しく思いますが、皆さんの愛をもう一度感じ、感謝しました。同時に、日本全国からも来て下さいました。
 私は準備のために、色々な場所に決起大会に行きました。特に私は遠方に行きました。九州や島々に行きました。九州の天草というところにも行きました。スーパーミッションにある一団が来ていて、「先生!来ました。」と言われました。見てみると、天草のおばあさんの一団でした。牧師先生を中心として、平均七十代の方々が十数名、車で三十時間くらいかけて東京まで来られました。また私は奄美大島にも行きましたが、そこからも来て下さった方がいました。嬉しく思いました。日本のリバイバルのために日本教会が心を一つにして、苦しむことは大切だと思います。しかし、ある時には、一つのことについて共に喜び合います。キリストのからだは全体で一つであり、産みの苦しみをすることも大切です。今回はそのような意味合いもあったと思います。全国、全世界の祈りによって支えられています。祈りなくして神様の御手は動かさません。アメリカからもロン・ブラウンさんを中心に多くのクリスチャン音楽家がボランティアで来て下さいました。迫力十分の演奏でした。ドラムのランド・リチャードさんは安室奈美恵の専属ドラマーで日本に良く来られています。しかし今回、イエス様のために来て下さいました。素晴らしい助けがありました。キリストのからだは助け合って素晴らしい働きができます。
 パウロはアジアにおいて苦しみと共に伝道を推進しました。この「アジア」とは今のトルコの付近です。その結果が使徒の働き十六章に書かれています。十六章五節に、

『こうして諸教会は、その信仰を強められ、日ごとに人数を増して行った。』

 パウロは苦しみに遭い、戦いの中にありましが、主にだけより頼む信仰を受け取り、結果として諸教会は強められ、日毎に人数を増していきました。「日毎」に神が教会を建て上げて下さいました。今回もこの働きを通して、日本のキリスト教会の中に、人々を送り魂を救い出して下さる光景を見ることができるように祈っていきたいと思います。
 しかし神はアジアで働きを終了されませんでした。小アジア近辺だけで福音が語られていたとしたら今、私たちのところに福音は届いているかわかりません。
 苦しみの中で教会が力を増し、人数が増えていきました。そんな中でパウロは新たに神様からのビジョンを受け取ります。十六章六節に、

『それから彼らは、アジヤでみことばを語ることを聖霊によって禁じられたので、フルギヤ・ガラテヤの地方を通った。』

 神様が、「もうアジアで福音を宣べ伝えなくても良い」と言われました。そして違ったコースを通りました。すると九節に、

『ある夜、パウロは幻を見た。ひとりのマケドニヤ人が彼の前に立って、「マケドニヤに渡って来て、私たちを助けてください。」と懇願するのであった。』

 幻の中にマケドニア人が立ち、「私たちの方に来て福音を宣べ伝えて下さいませんか」と懇願しました。マケドニアとは今の東ヨーロッパです。トルコ付近で福音宣教が留まるのではなく、今度はヨーロッパに来てくれないかという幻でした。その幻を見たときにパウロは、「これは神の御心だ」と、すぐに行動を開始しました。パウロは御霊に語られることに対してとても敏感でした。神様が示されることは何でもする、彼はすぐにマケドニアに行きました。彼が御霊によって示されたことは神の御心でした。
 私たちが神様の御心に沿った歩みをするときに、心に平安が与えられます。ある意味で御心を見分けるために必要なのは、平安があるかどうかです。平安があれば神の御心ということができます。
 神がマケドニアで伝道することを良しとされ、伝道することを願っておられると受け取ったパウロは、すぐに行動を開始しました。そしてマケドニアに着きました。そのことがコリント第二の手紙七章に書かれています。「使徒の働き」と「パウロ書簡」は立体的な視点がないとわからない部分があります。「マケドニアに行け」と使徒の働きには書かれていますが、それを補足するようにコリント第二の手紙七章にも書かれています。七章五節に、

『マケドニヤに着いたとき、私たちの身には少しの安らぎもなく、さまざまの苦しみに会って、外には戦い、うちには恐れがありました。』

 これは少し矛盾しているように思います。神様の御心に沿ってマケドニアにやってきました。しかし、そんな中で彼らには平安どころか、外には戦い、内には恐れがあったというのです。「何だ。神様の御心に沿った歩みをするならば平安があると言ったのに」というかも知れません。しかし、特に、「宣教」という視点で御心に沿った行動をしたときは必ずしも、平安ではないという事を知らなければなりません。それは宣教に伴って、戦いも起こってくるということです。パウロは大きな戦いを経験しました。神様の御心に沿って行動した時、大きな苦しみがありました。内に外に戦いがありました。しかし、そんな中で彼は一つのことを神様から教えられました。七章十節に、

『神のみこころに添った悲しみは、悔いのない、救いに至る悔い改めを生じさせますが、世の悲しみは死をもたらします。』

 私たちクリスチャンが福音を宣べ伝えるところに、色々な苦しみや悲しみを経験することがあるかも知れませんが、「これは世の中の悲しみや苦しみとは質が違う」と教えています。私たちは今回、色々な悲しみや苦しみを、パウロとは比べものになりませんが、ある意味で体験しました。世の中でも苦しいとか悲しいと体験している人がたくさんありますが、宣教の中での悲しみや苦しみは、世の中の苦しみ悲しみとは質が違います。ということは、拡大すれば、クリスチャン生活の中で起こってくる苦しみや悲しみは、世の中の苦しみや悲しみとは質が違うものなのです。今日皆さんの中にも、苦しみ悲しみがある方がおられるかも知れません。しかし、イエス・キリストを信じてからの苦しみや悲しみは、この世のものとは違うのです。この世の中の悲しみは死をもたらしますが、「神の御心に沿った悲しみは悔いのない救いに至る悔い改めを生じさせます」とあります。クリスチャン生活の中で、色々な悲しみや苦しみがあったとしても、義の実を結ばせるための鍵となります。私たちの信仰生活の中で起こってくる全ての問題について、神様が勝利を与えて下さることをパウロは経験しました。今回私は、木場というところにウィークリーマンションを借りて住み、会場まで一時間くらい満員電車に揺られて通勤しました。東京は大変なところだと思いました。この辺だと自分の周りに一メートルくらいの空間がないと落ちつかないのですが、東京の人は接触していないと落ちつかないのではと思うくらい、満員電車でした。四十日間の中で私には色々な役割があり、司会や賛美リード、メッセージもありました。また霊的戦いのセミナーもありました。毎日色々なメニューがあるので覚えきれなくて、日曜日になると他の教会に案内に行って来るように命じられたりと、やることがたくさんありました。
 今回のセミナーを任されましたが、大勢の人は来ないだろうと思っていました。テキストを出して下さいと言われても出せませんでした。前日やっと作り、十か二十名だろうと思っていたらなんと百名来ました。なぜそんなにいるかと思いました。それは多くの方々が霊的な問題を抱えて苦しんでいて、何とかしなくてはならないという渇きを持っていたからでした。イエス様を信じて、主のために仕えてきましたが、身の回りに多くの問題や悲しみがある、どうしてこんな問題や悲しみがあるのだろうかという葛藤の中におられる方が多くおられました。セミナーが終わっても、多くの方が質問や祈りを必要として、十二時半までセミナーで、一時から司会でしたが身動き取れないような状況でした。そんな中で多くのクリスチャンが、生活の中で悲しみや苦しみを体験されているのを見ました。しかし、イエス様がそこにおられるときに解決して下さる姿も見せていただきました。
 ある日、一人の女性が連れられて来られました。その方のお母さんが今、大腸ガンから肝臓ガンに転移して腹水がたまり、危篤状態だから祈って下さいと言われました。「お母さんはクリスチャンですか」と聞くと、「クリスチャンではない」と言われるのです。私はそれを聞いて「難しいぞ」と最初に思いました。どこの病院に入院しているのかと聞きました。すると「東大病院」と言われました。東大病院で直らなければ、どこの病院でもできないだろうと思いました。病院では手を尽くしたけれど、もう何も出来ることはないと言われたそうです。祈るのもいいけど、後から恥をかきそうで祈りたくないと思いました。しかし、娘さんは真剣でした。だから私も時間をとって祈って上げました。その病気のお母さんは偶像を拝んでいるというのです。病の背後に悪霊の力が働いて人々を苦しみに陥れるのですから、どんな偶像に関わっていたかを聞き、見えない世界での勝利を祈りました。「イエス様。今、この娘さんがお母さんのために来ています。背後の悪霊が打ち破られますように。今、瀕死のお母さんを助けて上げて下さい。」と真剣に祈りました。聖霊様が働いて下さいました。それがEBIS303での集会の時でした。次から次へと祈りの方が来るので、私もそのことがあったことも忘れていました。すると、国際フォーラムの集会になった時に、その娘さんが来て、「先生。母のために祈っていただきありがとうございました。」というのです。「そう言えば」と思い出しました。「どうしたのですか」と聞くと、何と、お母さんの腹水がその後、無くなってしまったそうです。肝臓の数値が六〇〇近くあったのが、先週検査すると、三十五になっていたそうです。医者が驚き、「あなたは病人ではありません。退院して下さい。」と言われたそうです。そしてお母さんは自分で車を運転して退院したそうです。しかしその人はクリスチャンではなく、占い師にかかっていたようで、「私は占い師に祈ってもらって助けられた」と言ったそうです。その占い師から水をもらって飲んだそうです。すると、大変な下痢になったそうです。だから娘さんに言いました。「イエス様が直してくれたと言いなさい。お母さんが何かを言っても、イエス様が癒してくれたから、イエス様に頼り続けないと駄目だ、と話しなさい」と言いました。これは奇蹟です。今まで病院でそんなことが起こったことはないと言われました。完全に勝利するように祈っていただきたいと思います。そのように神様が働いて下さっています。
 昨日は最後の集会でしたが悪魔が妨害しました。メッセージ最中に一人が叫びだし、皆に恐れが生じました。私は司会でしたのでそこに行けませんでした。大変手強くて、なかなか止まりませんでした。撹乱して大変だったそうです。
 集会が終わって帰ろうとすると、「先生。先程、騒いでいた人知っていますか。あの人のために祈りましたが、色々と大変でした。」と祈りのチームの方が言われました。そして、「それで、あの人は順先生にだけは祈って欲しくない、と言っています。」と言われました。その人のお姉さんが来て、お姉さんのためにだけ祈ってくれ、というのです。本人はどこかに隠れていました。私は、「嫌と言っても祈ってあげる」と言いました。しかし、「絶対ダメだ」と言うのです。それで、私はその祈りの前に、他の人のために祈りました。すると国際フォーラムの玄関先で、もう一人の人から悪霊が出て叫びだし、フォーラムの職員が驚いたので、柱の影に移動して祈ろうと思いました。荷物を持っていたので置こうとしてベンチの所にいきました。すると、なんとその横に、集会中叫びだした人が隠れていました。祈りのチームの人は、「先生そこに行かないで」と思っていたそうでしたが、私は何も知らずに、ただ、荷物を置きに行ったのです。
 その人と目が合いました。「どうしたのですか」と聞きました。すると、「私は二十年間、精神的な病で苦しんでいます。」と言われました。「それは病気だけではなく、背後であなたを苦しめている悪魔の力があるから解放されるように祈りましょう。」と優しく言いました。手を置いて祈りました。「イエス様。この人を解放して下さい。二十年間、この人を捕らえている悪霊よ。良く聞け。ここに姿を現せ」と祈ると倒れてしまいました。そして歯をむき出して苦しみ出しました。「イエス様。この人の束縛を解いて上げて下さい。」と祈りました。すると、聖霊様が触れ下さいました。しばらく気を失ってしましたが、起き上がらせてあげました。すると顔つきもすっかり変えられました。笑顔がでて、喜びに満たされて「ハレルヤ」と叫びました。昨日は途中まで一緒に帰ってきました。
 時々、主はクリスチャン生活の中に問題を残されますが、それは決して悲しみに終わるのではなく、勝利に結びついていくのです。素晴らしいことです。今回スーパーミッションで起こった証をしたら切りがありません。神様がたくさんのことを教えて下さいました。四十日間の戦いの中で御わざを現して下さったことを感謝します。
 イエス様も四十日間御霊に導かれて荒野におり、四十日間悪魔の試みに会われたことが書かれています。しかし、それを通して、

『イエスは御霊の力を帯びてガリラヤに帰られた。すると、その評判が回り一帯に、くまなく広まった。』

と書かれています。これから主が新しいことをしてくださり、将来と希望を与えて下さると信じます。一言お祈りします。
 
 

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