今週の礼拝メッセージ
2000.9.3(SUN)
イエス様の宣教開始から学ぶ
新城教会牧師 滝元順

<今週のメッセージの御言葉>
新約聖書 ルカの福音書4章1節〜15節

さて、聖霊に満ちたイエスは、ヨルダンから帰られた。そして御霊に導かれて荒野におり、四十日間、悪魔の試みに会われた。その間何も食べず、その時が終わると、空腹を覚えられた。そこで、悪魔はイエスに言った。「あなたが神の子なら、この石に、パンになれと言いつけなさい。」イエスは答えられた。「・人はパンだけで生きるのではない。・と書いてある。」また、悪魔はイエスを連れて行き、またたくまに世界の国々を全部見せて、こう言った。「この、国々のいっさいの権力と栄光とをあなたに差し上げましょう。それは私に任されているので、私がこれと思う人に差し上げるのです。ですから、もしあなたが私を拝むなら、すべてをあなたのものとしましょう。」イエスは答えて言われた。「『あなたの神である主を拝み、主にだけ仕えなさい。』と書いてある。」また、悪魔はイエスをエルサレムに連れて行き、神殿の頂に立たせて、こう言った。「あなたが神の子なら、ここから飛び降りなさい。『神は、御使いたちに命じてあなたを守らせる。』とも、『あなたの足が石に打ち当たることのないように、彼らの手で、あなたをささえさせる。』とも書いてあるからです。」するとイエスは答えて言われた。「『あなたの神である主を試みてはならない。』と言われている。」誘惑の手を尽くしたあとで、悪魔はしばらくの間イエスから離れた。イエスは御霊の力を帯びてガリラヤに帰られた。すると、その評判が回り一帯に、くまなく広まった。イエスは、彼らの会堂で教え、みなの人にあがめられた。
 

  ハレルヤ!今日はスーパーミッションの四十日が終わってから、感じていることをお話しします。イエス様が宣教を開始された最初の部分を学び、日本のリバイバルのため、一人一人の信仰生活のために、学んでいきたいと思います。
 イエス様はこの地上に三十三年間おられましたが、公に活動されたのは三年半でした。今日お読みしたルカ四章は、イエス様が公生涯に入られ、伝道を開始された時の状況について書かれています。ぜひ四章全体をお読み下さい。
 まず、『さて、聖霊に満ちたイエスはヨルダンから帰られた』と記されています。イエス様は神の子でしたが、地上に来られた時には私たちと同じようになって下さいました。イエス様は私たちの代表者です。私たちがイエス様の生涯にならって働いていくならば、又、その手順に従って行くならば、同じ御わざが現されると信じます。御霊に導かれることは大切なことです。御霊によって導かれる歩みをしたいです。神はあなたに完璧な計画を持っておられます。人間の計画は欠けたところが多いですが、神様の計画は完璧です。神様の計画書が人の上に現されるためには、聖霊の導きが必要です。「私は聖霊の導きはいりません」と言われる方がいますが、これは間違いです。聖霊の導きがなくて幸せな人生を歩むことができません。
 スーパーミッションが、御霊に導かれているという実感を伴ったことが四十日の中で何度もありました。時にはあまり良いことではなく見えることでも、それが御霊の導きであることを教える出来事に変えられることもあります。皆さんの中にも時々、予測もしていない悪いことが起こり、「なぜこんなことが起こるのだろうか」と思っても、栄光に変えられたことを経験していると思います。
 厚生年金会館で二週間の集会が行われました。その途中、一つの事件が起こりました。私が本部に行くと、皆がざわめいていました。何か起こったのかと思いました。献金が終わった直後でした。それは、献金袋を数えたら、はじめに数えた数より二つ足りなかったのです。二つ足りないということは、どこかでなくなったということです。会場係が相互に受け取るようにしているのに足りないことはおかしい。足りないとしたら、会場係か・・?と考えていました。しかし、祈るようにと教えられました。だから本部の兄弟姉妹と共に、献金袋を全部出して真剣に祈りました。「神様、助けて下さい。今日、二つ袋がなくなりました。誰が持っていったのかわかりませんが、何れにしても、盗みの力が入らないように。物質的にも目に見えない世界においても、悪魔が奪おうとしていますから、背後に働いている力を打ち砕いて下さい。」と真剣に祈りました。そして、「これから少し気を付けましょう」ということにしました。
 その後、私は司会と賛美リードをしました。最後に献金の時間がありました。その時、私から見て左側に初老のおばさんが賛美していました。恵まれていると思っていました。献金になり、献げたかなと思った瞬間、さっとお金を献金袋からつまみ出しました。「あっ!あの人、献金を取った」と思った次の瞬間、会場係が「駄目ですよ」と捕まえました。その方は賛美しているような振りをしてつかみ出していました。私は舞台上から目撃しました。会場係は持ち上げた瞬間の手をつかみました。お手柄だと思いました。しかし、「神様に献げるものだから、してはいけません」と厳しく話して、その場を納めたそうです。しかし、しばらくして祈りのチームの人が来て、「先生。先程のおばさんのために祈って下さい。」と言うのです。その方はお金を取っただけではなく、会場内で妖怪映画の割引券を配っているのです。私はその人に注意し、これはまだ余罪があるかと思い、「あなたは何度盗みをしたのですか。」と聞いて、持ち物を検査させいもらいました。すると、明らかに献金らしいお金がたくさん出てきました。「これは何だ・・。」と聞くと、「四回連続してつまみ出して盗んだ献金だ」と白状しました。「神様の前に返して下さい」と言うと返してくれたので、「もう二度とやらないで下さい。今度来て盗んだら警察に連れて行くから」と言いました。もう二度と来ないと思いました。
 しかし、二週間後、国際フォーラムにまたその人物が来ました。会場係が見張っていました。するとまた盗みました。それで捕まえて、約束通り警察に連れていき調べてもらいました。常習犯のようでした。泥棒が捕まったことも良かったのですが、それ以上に、主が、「そのために祈りなさい」と先に教えて下さったことが感謝でした。袋が二つなくなったことはその人とは関係ありませんでした。袋を持っていくのではなく、中からつまみ出して盗んだのですから。
 祈った時に、献金袋の中に神の手が入り守って下さるように祈りました。主が本当に守って下り、暴いて下さいました。嬉しかったのは、この集会に聖霊様の導きがあったということでした。そうでなかったら、二十日間近く盗まれ続けたことでしょう。良い集会だと思っていても、一方では悪魔が盗み出しているならば大変なことです。しかし、神様は全てをコントロールして下さいました。はじめ二つの袋が足らなかったのは、数をたぶん違えたのではないかということでした。しかし、そのことを通して、後に備えられたと思います。
 今週、皆さんの生活の中に、聖霊様の導きがあり、悪魔の攻撃を事前に察知し、主によって勝ち取られますように。
 イエス様は、御霊に導かれて荒野にのぼっていきました。そして、四十日間断食されました。私たちは、イエス様が宣教開始される前に四十日間断食をされたことを知っています。しかし、この四十日はただの断食ではありませんでした。四章二節には『四十日間、悪魔の試みに会われた。』とルカは記しています。断食が終わった後、悪魔が近づいてきたと書かれています。しかし、実際には、四十日の断食は悪魔との戦いでした。ここを読んで四十日間の「スーパーミッション東京」がダブってきました。
 断食もどのような目的かが大切です。皆さんも断食祈祷されることがあると思います。イスラエルに行くと、ユダヤ人は必ず断食をします。金曜日には安息日を前にして夕方から断食して、次の日の安息日に備えます。イスラム教徒も断食をします。特にラマダンは断食が続きます。しかし、彼らの目的は、自分自身を高める修行目的があります。しかしクリスチャンはそうではありません。断食についてイザヤ書五十八章六節に、

『わたしの好む断食は、これではないか。悪のきずなを解き、くびきのなわめをほどき、しいたげられた者たちを自由の身とし、すべてのくびきを砕くことではないか。』

と書かれています。イエス様が好まれる断食は、悪のくびきを打ち砕くためです。これは霊的な戦いです。イエス様が四十日断食されたのは、ただの修行ではありません。悪魔と戦って勝利を取ったとき、イエス様は次の段階に入られました。十三節に、

『誘惑の手を尽くしたあとで、悪魔はしばらくの間イエスから離れた。』

と書かれています。新共同訳では「悪魔はあらゆる誘惑を終えて」と書かれています。悪魔は可能性のかぎりつけ込んでくる存在です。「このくらいは良い」というのはありません。とことん可能性があるならば攻撃するのです。私たちは悪魔の性格を知る必要があるのです。「少しくらい罪を犯しても、見逃してくれる」ではありません。一円支払ったら、必ずそれに対する報酬を持ってくる存在です。私たちは悪魔のやり方を知り、とことん戦っていくべきです。また、きよくあるべきです。日々の生活の中で、きよい歩みが悪魔の力と影響から守られる重要なポイントです。イエス様は悪魔の誘惑を受けましたが、それに勝利されました。そうしたら悪魔は「しばらくの間」イエス様から離れたと書かれています。ここを読むと、イエス様のところに悪魔が来て、「もう誘惑しても駄目だ。もう帰ろう。出直そう」とどこかに行き、また、しばらく様子を見に来るように思います。しかし、新改訳の「しばらくの間イエスから離れた」というのは、良い訳ではないと思います。他の訳を比べると、「悪魔はあらゆる誘惑を経て、時が来るまでイエスから離れた」と書かれています。「時」とは「カイロス」であり、「特定の時」です。悪魔は特定の時が来るまで、イエス様から離れました。これは、イエス様が十字架にかかる前までです。ここからわかることは、イエス様が、四十日の戦いを終えられたあと、十字架までの期間は、「悪魔は手を出すことができなかった」ということです。ですから、イエス様の働きは素晴らしい働きでした。
 私たちの働き、伝道、信仰生活も悪魔が手を出さなくなると、新しい段階に入ることができます。日本のリバイバルを悪魔は、あらゆる方法を使い、国や教会を揺さぶってきましたが、悪魔が手を離す時に、新しい領域に入ることができます。
 戦いが終わり、悪魔が去っていった時、十四節に、『イエスは御霊の力を帯びてガリラヤに帰られた。』と記されています。これを口語訳聖書で読むと、四章一節に、『さて、イエスは聖霊に満ちてヨルダン川から帰り、』となっています。そして四章十四節は、『それからイエスは御霊の力に満ちあふれてガリラヤへ帰られると、そのうわさがその地方全体にひろまった。』と書かれています。イエス様が、はじめ荒野にのぼって行かれたときには「御霊に満ちてのぼった」しかし、四十日が経ち、サタンとの戦いに勝ってからガリラヤに帰られた時は、「御霊の力に満ち溢れて」帰ってきたのです。霊的戦いの勝利のプロセスはこのようだと思います。戦いは御霊によって導かれていきます。しかし、次に悪魔に勝利すると、御霊に満ち溢れるようになります。日本のリバイバルのためにも、私たちの信仰生活のためにも必要なことは、御霊に満ちるだけではなく、「満ち溢れる」ことです。満ち溢れ、流れ出したならば、他の人に飲ますことができます。聖霊に満たされたクリスチャンは多いです。しかし、聖霊に「満ち溢れた」クリスチャンは少ないかも知れません。これから聖霊に満ち溢れたクリスチャンが多くなくてはなりません。また、聖霊に満ちた教会も多くなりました。しかし、今度は、「聖霊に満ち溢れた教会」が必要です。満ち溢れた教会とは、戦いに勝利した教会です。
 イエス様が福音宣教された場所は、ガリラヤが中心でした。ある意味でイエス様の宣教は、ガリラヤに限定されていました。しかし、イエス様が天にお帰りになってから、弟子たちによってそれが拡大され、エルサレム、ユダヤ、サマリヤ、そして、世界に、「聖霊に満ち溢れた者たち」によって働きが拡大されました。
 イエス様が聖霊に満ちあふれたとき、イザヤ書六十一章の預言が成就しました。十八節から十九節に、

『「わたしの上に主の御霊がおられる。主が、貧しい人々に福音を伝えるようにと、わたしに油を注がれたのだから。主はわたしを遣わされた。捕われ人には赦免を、盲人には目の開かれることを告げるために。しいたげられている人々を自由にし、主の恵みの年を告げ知らせるために。」』

ここで、福音とは何かについて教えています。全体に要約すると、福音とは捕らわれ人が自由にされる、赦免される、解放されることです。福音とは、敵の手からの解放です。
 「救いとは何ですか。」と誰かから聞かれたら、どのように説明するでしょうか。キリスト教の救いとは何ですか。死からいのちへ、永遠のいのちが与えられるということです。これは素晴らしい答えです。これが救いであることは確かです。しかし厳密に言えば、それは救いの結果です。救いとは、救われなければならない環境がそこにあるということです。その環境とは、イエス・キリストを信じなければ暗闇の支配・悪魔の支配下にあるということです。悪魔の支配から神の支配に移される必要があるのです。救いの根本は「解放」「です。だからイエス様が、福音を宣べ伝えるとは、「解放を宣言する」ことだと言われました。今日ここにおられる方々は素晴らしいです。イエス様を信じたことにより、悪魔の支配下から神の支配に移っているのです。クリスチャンは悪霊に取り付かれることは決してありません。時々クリスチャンが、「私は悪霊に取り付かれているかも知れない」と言われますが、そういうことはありません。支配されることはありません。しかし、影響は受けます。イエス様もこのように影響を受けました。イエス様は私たちを代表して、影響を受けることがあると教えています。だから戦わなければなりません。私たちは絶対に悪魔に所有されることはありません。なぜなら、イエス様を信じたときに解放され、支配権が悪魔から神に移ったからです。イエス・キリストを主と告白したときに、支配権が移っているので、地獄から天国にすでに移っているのです。時々、「私は天国に行けるか確信がない」と言われる方がいますが、心配しないで下さい。あなたが今日、イエス様が主であると告白しているならば、もうあなたは天国の中にあります。「聖霊によらなければ、誰もイエスを主であると告白できない」と聖書に書かれています。だから、あなたがいま、イエス様が主であるとはっきり告白するならば既に神の支配下にあるのです。皆さんで宣言しましょう。「イエスは主です!」
 宣言できるならば、イエス様の支配にあります。今日、ここにおられる皆天国に行けます。福音は解放です。イエス様は四十日の戦いの後、解放を宣言されました。そして、それを実証するかのように四章十八節に、

『また、会堂に、汚れた悪霊につかれた人がいて、大声でわめいた。』

 先日もスーパーミッションの最後の日に、会場の中でわめいていた人がいましたが、あのようなことも起こります。イエス様が会堂に行き、教えをしているときにも叫んだ人がいました。これはある意味で悪魔が打ち破られている証拠です。だから、あのようなことは驚くのではなく勝利です。福音が現実的に宣言されている証拠です。イエス様の時代にも同じことがありました。しかし、この人は解放されました。『イエスは彼をしかって、「黙れ。その人から出て行け。」と言われた。するとその悪霊は人々の真中で、その人を投げ倒して出て行ったが、その人は別に何の害も受けなかった。』と書かれています。スーパーミッションでも、叫んだ人が解放されて元気になったことを先週話しましたが、悪魔の支配下から神の支配下に戻っていることが目に見える形で起こされたのです。三十七節に、

『こうしてイエスのうわさは、回りの地方の至る所に広まった。』

と書かれています。イエス様の福音宣教を影で大きく応援したのが「噂」でした。イエス様がガリラヤに行ったときに十四節に、

『イエスは御霊の力を帯びてガリラヤに帰られた。すると、その評判が回り一帯に、くまなく広まった。』

と書かれています。また三十七節には、「回りの地方の至るところに広まった」と書かれています。イエス様を中心に、噂が同心円を描くように広がりました。
 ある面で、噂は怖いです。甲子園ミッションの時に、悪い噂が至るところに広がりました。「最近、あなたがたは霊の戦いをやっていて、夜中になると白い衣を着て、地蔵を縄で縛って悪魔を縛った、と言っていると聞きましたが本当ですか。」と聞かれたことがあります。「どこで聞いたのですか。そんなことをするわけがないですよ。」と言ったことがありますが、噂はどんどん広がっていきます。
 また、昔、この近くの一つの銀行がつぶれるという噂が立ちました。それで預金をおろしに大勢が押し寄せたことがありました。それも、電車の中で女子高生が話していたうわさが広がったと言われています。噂は恐ろしいです。
 しかし、イエス様の良いうわさが、同心円を描いて地方に広がっていきました。そして皆、イエス様のことを聞いて近づいてきました。これから、イエス様の良い噂が広がるように祈っていきたいと思います。
 スーパーミッションの時に「親分はイエス様」という映画ができるということで、映画関係者の方々が来てくださいました。彼らは、「あのような人たちの人生があんなに変えられるとは、イエス様とはどういう人か」と言っていました。「映画を撮り終えたときには、クリスチャンになっているかも知れません」と言われましたが、本当になったら良いです。教育の力では絶対に変わらない人たちが、イエス様によって変えられました。それが噂によって日本中を覆うように。四十日の戦い以降、良いうわさが起こされるように祈っていただきたいです。
 イエス様の良いうわさが宣教を後押ししました。どんな病も癒される、また、悪霊からも解放してくれると聞き、人々が押し寄せました。四十節を見ると、

『日が暮れると、いろいろな病気で弱っている者をかかえた人たちがみな、その病人をみもとに連れて来た。イエスは、ひとりひとりに手を置いて、いやされた。』

と書かれています。イエス様に手を置いて祈ってもらうと癒されるという噂が噂を呼びました。ここで「日が暮れ始めると、いろいろな病気で弱っている者をかかえた人たちがみな」と書かれています。病人が自分で来たのではなく、病人を抱えた家族がイエス様のところに来たのです。なぜ、日が暮れてからでしょうか。それは、日中は熱くて病人を運び出すことができなかったからです。日暮れを待ち、家族が家からイエス様のところに病人を抱えて来て、「イエス様祈って下さい」と来ました。
 今大勢の方が病んでいますが、同時に病人を抱えておられる、家族が病んでいます。先日もスーパーミッションの中で一つの祈りを持ちました。「皆さんの中でガンで苦しんでいる人はいますか。」と聞くと何人かの方が手を挙げられました。同時に、「皆さんの家族でガンで苦しんでいる人は手を挙げて下さい」と言うとたくさんおられました。その方々が出て来て一緒に祈りました。恐ろしいと思いました。また、「皆さんの中で精神病の方がいますか」と聞くと結構手が上がりました。また、「家族の中に精神病の方がいますか」と聞くと倍以上の方々が手を挙げました。その方々も前に出られて真剣に祈りました。色々な問題はその人だけではなく、家族や周りに大きな影響を与えます。癒しは家族全体に必要です。
 スーパーミッションの時に、一人の奥さんが来られました。「先生。この間祈っていただいて有り難うございました。」と言われました。私は全く覚えていませんでした。ある教会に決起大会に行くと、その方が自分の息子が不登校で、家庭内暴力があると言われたそうです。その時私は、「そうですか。でも大丈夫ですよ。イエス様は癒してくださいます。」とニコニコしながら、問題ではないかのように答えたようです。無責任なことを言ったと思います。「この人は、私の問題がどれくらい大きいのかわかっているのか」と思ったそうです。何と、その方は息子さんのことを悩んで、息子をナイフで刺して殺して、自分も死のうと思っていた矢先だったそうです。危機的な状況だったそうです。私がその時に祈ったようですが、「家系の背後の悪霊が打ち破られるように」と祈ったそうです。その人が癒されるというよりも、家系を苦しめている悪魔の力が打ち砕かれるようにと真剣に祈ったそうです。
 そうしたら不思議なことが起こったそうです。家に帰ると、息子が暴力を振るわなくなったそうです。学校に行っていなかったのが「お母さん、僕はやっぱり学校に行く。」と言いました。「僕は今まで人生について、将来についてあまり考えていなかった。僕は人生についてまじめに考えたい」と今では大学に入るために真剣に勉強していると言われました。また、ご主人が神などいるかと言っていたのが、その姿を見て、神が生きていることを知り、イエス様を信じたそうです。その方は喜んで、「本当に有り難うございました。」と言われました。私は全く覚えていなかったです。イエス様がその家に働かれました。その息子さんを癒されただけではなく、お母さんも死なずにすみ、お父さんもイエス様を信じ皆幸せになりました。
 イエス様の癒しは、本人だけに止まりません。皆さんの中にも、「家族の病気を何とかして欲しい」と言われる方もおられます。イエス様はそこにも触れて下さいます。
 イエス様は、この四十日の戦いを終えた後、病人一人一人に手を置いて癒されたと書かれています。ここからイエス様の「愛」を感じます。地方一帯から人々が来たので、イエス様は面倒くさかったのではなかったかと思います。一人一人手を置くことは大変です。「時間もないことですから、今から一言祈ります。集まって下さい。病気のところに手を置いて下さい。病気よ出て行け。」と祈ることもできたはずです。しかし、イエス様は一人一人に手を置いて癒されました。そこにイエス様の深い愛の動機付けがあります。イエス様は私たち一人一人に、家族に、個人的に目を止めて愛して下さっています。愛を根底に働かれたということがわかります。イエス様は愛と共に宣教をされました。四十三節に、

『「ほかの町々にも、どうしても神の国の福音を宣べ伝えなければなりません。わたしは、そのために遣わされたのですから。」そしてユダヤの諸会堂で、福音を告げ知らせておられた。』

 イエス様はこのような態度と手順で町々村々を巡って行かれました。それが四十日の悪魔との戦いに勝利された後に起こされました。先週、この箇所を読みましたが、スーパーミッションの四十日は霊的な世界で大きな意味があったと思います。神様は、これから、このような宣教を日本に開くために、スーパーミッションの戦いを開かれたと思います。個人にも、教会にも、国にも、リバイバルが起こされるように祈るべきだと教えられました。
 主が更に、聖霊に満たし、満ち溢れさせていただき、この国のリバイバルのために用いられるようにお祈りしましょう。
 
 

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