今週の礼拝メッセージ
2000.9.24(SUN)
クリスチャンの祝福
新城教会牧師 上條 実牧師

<今週のメッセージの御言葉>
新約聖書 コリント人への手紙第一 15章3節〜5節

私があなたがたに最も大切なこととして伝えたのは、私も受けたことであって、次のことです。キリストは、聖書の示すとおりに、私たちの罪のために死なれたこと、また、葬られたこと、また、聖書に従って三日目によみがえられたこと、また、ケパに現われ、それから十二弟子に現われたことです。
 

    ハレルヤ!いつもお祈りを感謝いたします。お祈りしていただきましたスーパーミッション二〇〇〇東京大会も祝福のうちに終わり、今度は十二月に行われるスーパーミッション二〇〇〇大阪に向けて準備が始まっています。すでに色々な所で決起大会が開かれています。本日も週報に掲載されています今週の決起大会のためにぜひお祈り下さい。また更多くの決起大会が開催されるように祈ってください。 さて本日は多くの小学校が運動会です。我が家の小学校四年生である聖都も、いつも集合時間に遅れてしまうような状況なのですが、今日は違いました。昨日の夜から「明日は晴れるかなあ?」心配し、今日は起こさなくても自分で早く起きてきて「晴れた」と大喜びしていました。普段は眠たそうにゆっくっり支度するにも関わらず、今日の朝は興奮してしゃべりまくり、いつもは遅れていく集合場所に十分以上前は出かけていきました。私も小学校の時運動会はとても楽しみだったことを覚えています。子どもたちは喜びがあると興奮します。落ち着けといってもジッとしておられない状況です。私たちクリスチャンは子どもとは比べることのできない興奮する出来事をいつも体験しています。メッセージタイトルを「クリスチャンの祝福」としましたが、私たちクリスチャンは祝福の連続であり、神様によって興奮する毎日です。私たちクリスチャンはイエスキリストを信じる事によって救われます。だからお金を積んだら救われるとか、難行苦行することも必要なく、ただイエスキリストが私たちの罪のために十字架にかかって死に、葬られ、三日目によみがえられたことを信じただけで救われるのです。また主の御名を呼び求めれば救われるとも書かれています。誰もが救いを受けることができます。そして救われる事によって大きな祝福が与えられると言う事を今日覚えて頂きたいのです。ある人はイエス・キリストは過去の人物だと言われるかも知れません。しかし今も確かに生きていて、私たちにいつも祝福を与えて下さる神様、生きている神様であることをぜひ覚えていただきたいのです。あなたの生活全部を知っており、あなたの生活に密着してくださる神様なのです。ではどのような祝福を神様が私たちに与えて下さるのでしょうか。 
 クリスチャン生活の祝福の第一番目は、罪がすべて赦されます。イエス様は私たちの罪のために十字架にかかって下さり、血を流して下さいました。その血によって私たちの罪は聖められるのです。完全に赦されるのです。人間は罪を犯してしまったら取り返しがつきません。その罪の結果、さばきに遭うと聖書は言っています。また罪を犯してしまうと罪責感があります。多くの方はその罪を思い起こし、責められるのです。いつもその罪責感を持ち続けて苦しみ悩み続けるのです。しかし、今日覚えてください。イエス・キリストは全ての罪のために罰を受けてくださり、滅んでくださいました。そうしたらすべて赦されるのです。イエス・キリストが神様であると信じる時、罪が赦されるのです。罪はもう二度と思い出さないと書かれてます。私たちは人生をやり直すことができないと思っています。しかしイエス・キリストを信じたらすべての罪を赦して下さり、赦されることによって罪責感からも解放されます。スーパーミッション東京でも、牧師先生方が按手の祈りをして下さいました。イエスキリストによって罪が赦されるように、牧師先生がお祈りをされ、アーメンと祈り終えた時の祈りを受けられた方の顔を見るとき何とも言えない、喜びに満たされる顔がありました。皆が涙を流し、今までの暗い顔をしていた人物とは全くちがう赦された喜び、勝利に満ちた姿を見る事ができました。私たちは罪だらけの人間です。しかしすべての罪から解放され、救われるという大きな祝福、過去の忌まわしい罪に対しても悩まされることがない、もう二度と思い出さないと神様が言って下さる祝福を今日ぜひ体験して下さい。 
 第2番目の祝福は必要を満たしてくださる神様です。経済的にも必要を満たしてくださる神様です。七月、八月にかけて四十日間行われたスーパーミッション東京でも前半人数も集まらず、経済的にも非常に難しく人間的にはあきらめているところがありました。しかし神様は必要なものを備えていてくださいました。経済的に丁度よく神様が与えてくださいました。今リストラなど就職先がなく悩んだり、悲しまれている方もおられるかと思います。しかし覚えて下さい。神様は必要な職場を与えてくださいます。また経済的にも満たして下さいます。また経済的だけではなく、すべてのことについて必要を満たしてくださる神様です。今日覚えていただきたいのです。私たちの信じているイエス・キリストは慰めてくださる神様です。高いところから言葉だけをかけるような神様ではありません。すべてあなたの傷み悲しみを知っている神様です。あなたが悩みもご存じであり、私たちの必要を満たして下さいます。先週順牧師が語らえた御言葉の中で、隣人を愛しなさいと語られました。私たちは人に傷つけられて、また人を傷つけてしまいます。そして人間関係で悩み苦しんでしまいます。しかし聖書の中に愛があり、そのキリストの愛をいただいたとき人々を愛することができます。心から仲直りすることができます。友だちいやそれ以上の親友になることができるのです。どんなことでも必要を満たして下さいます。 
 また三つ目の祝福は悪習間から解放して頂くことができます。今まで新城教会は五十年の歴史があり、多くの方が福音を聞いて救いを体験しています。教会に初めて来られた時には色々な問題をもって来られる方がいます。その中でアル中で酒が止まらずに苦しんでいる方、たばこをやめたいけどやめることができない、自分で始めたことなのに止めることができない。悪習慣に束縛され、苦しんでいた人が大勢います。しかしイエス・キリストを心の中に受け入れたときから、不思議と解放を受けることができるのです。自分ではどうすることもできなかった悪習間から解放されることができるのです。酒がいらなくなったり、またタバコがいらなくなったりと神様の祝福は一人一人に注がれるのです。ある人はイエス様を信じて帰られました。そしていつもと同じ調子で家に帰る前、飲み屋に入って一杯飲もうと思いました。今まではおいしく飲んでいたビールがその日以来全く味が変わってまずくなり、受け付けなくなりいらなくなったという証を聞いたことがあります。その方はもう既に天に帰られた方ですが、不思議と神様はそのような悪習慣から解放してくださいました。イエスキリストは力があり、今も生きておられる神様であることを覚えてください。また数限りないほどの素晴らしい祝福を与えて下さる神様です。 
 もう一つはイエス様を信じた時、私たちは祈ることができます。そして祈ったら必ず神は答えて下さいます。ある神道を信仰しているおばあさんと話したことがあります。畑で草を取っておられました。私はチラシ配布をしており、その時立ち止まってゆっくり話しをしました。おばあさんに「これはキリスト教の話ですのでぜひ読んでください。」と言うと、「キリスト教か。家に神様が祭っているからいらない。」というのです。「でもその神様とは違うから、ぜひ、読んでください。」と紹介しました。すると、「どんな神様だねぇ。」と聞かれたので色々なことを話しました。そんな中で私は「どこでも祈ることができる。祈ったときに答えてくださる」と話しました。するとそのおばあさんは話しをまじめに聞きはじめました。自分の祈りが答えられた証しを話していくうちに、「私は今の話を聞いてイエス様を信じたい。」と言われました。彼女は立派な家に住み周りの人は裕福で何も心配がない、嫁も良くしてくれて何も心配ないように見えるかも知れないけれど、実は色々な問題があり、自分は祈らなければいけないと思いいつも神棚の前で祈っている。しかし今話しを聞くと、あなたの信じている神様の方が数段上だと言われました。なぜなら自分は神棚の神様に祈るためにはその場所に行かなければ祈ることができない。草を取って野良仕事をしながら、考えていると心配なことが一杯になって祈らなくてはと思うけど、祈りに行くにはまずお風呂に入ってきれいにし、服を着替えてからその場所に行って拝まないと祈ることができないというのです。そうこうして神棚の前行くときには何のために祈らなければならないか忘れてしまう。今が祈り時だと思っても祈りができない。また答えられたなんて言うことは無いと言うのです。私たちの神様は私たちの心の中に入ってくださる、だからいつでもどこでも祈ったら良いと証しをしました。すると、どんな時でも良いのと言われました。私はその通りいつでも問題を思い出したり、大変だと思うときに祈れば良いと教えて上げました。祈りたい時祈ればよいと言って上げました。すると私もイエス様を信じたいとおばあさんは信じてくれました。その後何度か訪問に行き、教会には来れませんでしたが、数年前その方が天国に帰ったと近くに住む人から聞きました。私たちは神様にいつでもどこでも祈ることができます。またその祈りに答えてくださる方です。あなたが困ったときに自分の言葉で祈ればよいのです。どのように祈れば良いかわからない時にも主の御名を呼び求めたら救われると書かれていますので、「イエス様。」と名前を呼び求めてください。あなたが何でも祈ったら神様は必ず祈りを答えてくださいます。本日の礼拝では岡本先生が代表して祈ってくださいましたが、あのようにすらすらと祈れない。私はお祈りが上手ではないと言われる方もいるかと思います。先日水曜礼拝の時に一人の姉妹が言われました。一番嫌なことは二人でペアになって祈ることだと言うのです。相手が祈り終わるときに、もうすぐ終わる、自分は何て祈ろうか。と思い苦痛を覚えておられるという人がいました。実際そういう方がおられるかも知れません。しかし、神様は私たちの親のような存在です。親は子どもが何を言っているか、何を思っているかわかります。昨日保育園が休みで教会に四元兄の子どもが教会に来ていました。下の子が私に話してくれるのですが、何を言っているのかとサッパリわかりませんでした。しかし親は何を言っているかわかります。皆さんも子育てをされた方は経験していると思いますが、大きくなるといつまでも手伝ってあげるわけではありません。自分でやれる事は自分でしなさいと言います。しかし子どもが小さく、カタコトの言葉しか話せないときは手をかけて、その子が何を要求しているのかをじっと見て読みとります。上手にしゃべれなければしゃべれないほどその子どもに注目して聞いて上げます。ですから祈りが下手だから祈りを答えてもらえないなどと思わないでください。あなたのできる表現で良いのです。「神様」「イエス様」「天のお父様」難でも結構です。神様これをしてください。こういう風にしてくださいとあなたの表現できる言葉で祈ってください。祈りが短くても、下手でも関係ありません。あなたが祈ったときに子どもは何を考えているかご存じで、答えて下さいます。祈りの答えはたくさんあります。今日クリスチャンではない方はお隣りに座っているクリスチャンの方にどんなことが答えられましたかと聞いてみて下さい。沢山紹介して下さいます。週報に病気の方のために祈りましょうと言うことで名前が載っています。私の息子のためにも祈って下さっていますが、感謝なことに彼はスーパーミッションに三十六日間程奉仕し、毎日脂っこい弁当を食べていました。潰瘍性大腸炎ですので油は腸に悪いのですが、感謝な事に今の所調子が良いと言っています。中学二年に発病して以来、一番調子の良い夏を迎えることができました。これも皆さんが祈って下さっている祝福だと思います。また今日の週報に原田猪津夫兄の名前が書かれています。今、新城市民病院に入院しています。男性の病気で前立腺肥大という病気で先週火曜日に入院し、二十日に手術をし、今週の金曜日くらいには退院できるとの事です。先程もお祈りしましたが続けてお祈りして上げていただきたいと思います。私は田口の家庭集会に行かせていただいておりますので、先週金曜日にお見舞いに行かせて頂きました。猪津夫兄と奥様のちか姉が病室におられ、良き交わりを持たせていただきました。私が病室に入ったとき丁度猪津夫兄は立ちあがって着物を直しておられました。午前中までは管が通っていたけれどお昼に管を抜いてもらい、自分でやっとトイレに行くことができるようになったと言っておりました。丁度トイレに行って帰ってきたところだと言うのですが、その猪津夫さんの顔がとても険しかったのです。手術後でまだ調子が良くなく、トイレをするにもすごい痛みがあり、トイレに行った後も痛みがあるというのです。そして排泄したのはたった二十ccだというのです。ほんの少ししか出なかった上痛みがありました。そんな中聖書を通して色々な交わりをしました。特にイエス様は生きている。祈りに答えて下さる。病気を通して猪津夫兄にイエス様が触れて下さる、神様が生きていることがわかるからとアドバイスして、一緒にお祈りしました。「手術したばかりでトイレに行ったときに痛みがあります。どうかこの痛みを取り除いて下さい。そして速やかに回復させて下さい。お願いします。神様が生きていることを教えて上げて下さい アーメン。」と静かに私は祈りました。その祈り終わって一分もしないうちにお父さんはムクッと立ち上がりました。奥様のちか姉が「どうしたの?」と聞くと、トイレというのです。排泄量が少ないので少しずつしか出なくて大変な病気だそうですが、ちか姉が「出たいという気分だけですよ。今行った分だからもう少し我慢しなさい。先生もせっかく来て下さったのだから、座っていなさい。」と言いました。でも行きたいと言ってトイレに出て行きました。そして数分して猪津夫さんが帰ってきました。すると表情が全く違いました。呆気にとられたような表情で入ってきました。何かと思うと興奮して私に言いました。本当に不思議だ。祈っている途中は行きたいと思わなかったけれど、祈り終わるとすぐにトイレに行きたくなって行ったと言うのです。さっきまでは二十ccですごい痛みがあったのですが、今度は何も痛みがなく、何と二〇〇cc尿が出たと言って喜び驚いているのです。こんなことはないと興奮して彼が帰ってきました。感謝しました。今回この病気を通してイエス様がどんな方かわかるように触れて下さいと祈ったから・・・「猪津夫兄祈りが答えられたね。イエス様が生きていることがわかるでしょう。」と言うと、「生きてる、生きてる。」と喜んで祈りが答えられたと感謝していました。今日あなたにも神様は触れて下さいます。祈りを聞いてくださいます。祈りは確かに答えられます。ですからあきらめないで祈り続けて下さい。そして神様が一番必要なときに触れて下さり癒して下さいます。また病いの癒しだけではなく、何でも祈ることができます。どんなことでも、無理のようなことでも祈ってみて下さい。必ず必要に応じて答えて下さいます。今日覚えて下さい。イエス・キリストを信じたらあなたの神様となって下さり、祈りに答えて下さる神様です。私たちは心配でどうしたら良いかわからない。人に打ち明けたらどの様に見られるかわからない?と人を気にして相談することができない、しかし神様には祈ることができます。イエス・キリストがあなたの側にいてあなたの必要に答えて下さいます。
 最後にクリスチャンの祝福は永遠の命が与えられるということです。『私があなた方に最も大切なこととして伝えたことは・・・』と書かれていますが、最も大切なことは何か。それは病気が癒されることでもなく、問題が解決されることでもありません。私は最近聖書の御言葉が心の中を巡っています。それは伝道者の書七章一節から四節の御言葉です。 

『良い名声は良い香油にまさり、死の日は生まれる日にまさる。祝宴の家に行くよりは、喪中の家に行くほうがよい。そこには、すべての人の終わりがあり、生きている者がそれを心に留めるようになるからだ。悲しみは笑いにまさる。顔の曇りによって心は良くなる。知恵ある者の心は喪中の家に向き、愚かな者の心は楽しみの家に向く。』

と書かれています。特に、『死の日は生まれる日にまさる』とあります。私たちは今生きています。その中で最も大切なこととは何でしょうか。ある人は自分の商売のこと、家族のこと、結婚、友達のことなどを最も大切なこととして生きています。しかし私たち人間はだれもが死にます。私たち人間は死ぬことが必ず決まっています。そんなことは考えたくないと正面向いて死について考えていません。縁起が悪いとよく言いますが、死について触れたくないのです。病院に行っても四階の病室と聞いて上がっていっても、その階の病室は五〇一から病室があったり、四号室がありません。死について全部隠されてしまう、お年寄りの間で死について話すことはタブーになってしまうような状況です。しかし、私たちは必ず死を迎え、聖書ははっきりと天国か地獄のどちらかに行くと言っています。最も大切なものは天国か地獄かということです。あなたは今どちらに行こうとしていますか。天国に行くためにはイエスキリストを信じるしかありません。あなたは今何を信仰していますか?この日本の多くの人が仏教を信仰しています。しかし、仏教には救いはありません。スーパーミッションの時に三国さんというお坊さんが救われました。数日前愛知県で集中豪雨があった時に、わざわざ電話を下さり色々お話ししました。彼に今どちらの教会に行かれていますかと聞くと、スリヤ佐野一夫師の教会に行っていると言っていました。僧侶である彼も話していました。仏教には救いはない。葬式のための仏教で何も救いはないと言っていました。私も五年前に住んでいる新城市の諏訪地区の組長をしました。任期一年のあと一週間で終わるというときに葬式が入ってしまいました。私は牧師なので寺で葬式をすると言われたときに何とかして避けたいと思いました。しかしそんなことを言っておれないので、行えることはがんばって行おうと思いました。私は教会で冠婚葬祭を担当させていただいておりますので、やれることは組の人も忙しいので、でできるだけ自分でやりました。すると組の人がクリスチャンでもそこまでできるのですねと喜んで下さり、感謝してくれました。そんな葬式のはじめに組長ということで喪主の方と寺の僧侶に呼ばれ、これからの葬式のことで打ち合わせしました。何時に来てくれと言われたので五分前に行きました。すると時間になってもなかなか出てきませんでした。やっと来たかと思うと普通だったら「惜しい人を亡くしましたね。」とお悔やみの言葉を言うかも知れませんが、何の一言も言わないで、「あっ、遅れてすいません。ところで・・・」と労いの言葉もないのです。ある程度葬儀のことを私も知っていますので、聞けば聞くほど何とむなしいことかと思い、更に怒りにまで覚えてしまいました。葬儀屋では葬儀屋で多大なお金を遺族は払います。しかし寺には別に多額のお金を納めます。それも破額の金額を言っています。しかし、不満だらけなのですが値切る交渉もできずに遺族はそのまま受け入れていました。何百万というお金で受けて、実際に僧侶が葬式で何をやってくれるかというと一般に言う通夜の時には、一番若い小僧が来て訳のわからない経を二十分くらい言い、そして葬式の時には五人の僧侶が来ていましたが、そこで二十分くらい拝んで終わり、あとで火葬場に誰がついていくかというとまた若い小僧が一人出かけて行って終わりでした。ただ二日間だけで何百万という金を請求し、言われるがままにお金を出しているような状況でした。そんな中で昼を挟んだので僧侶が食事を作って欲しいと言いました。それも仕出しをくれと催促するのです。なんと五千円ほどの仕出しを出せと言うのです。そしてその仕出しのパックのところに禅引きをつけて下さいと言いました。それは何ですかと聞くと、普通は大層なお膳を出すはずだが、こんなお膳で申し訳ございませんという意味で膳引きと封筒に書いて、その中に五千円入れるようにと指示がありました。またお茶を用意して下さい。それも最高の良いお茶を用意して下さいと言いました。そしておいしい饅頭も用意して下さいというのです。そこまでよくズケズケと言うと思いました。愛する方が亡くなった時に、苦しんで悲しみでいる遺族に対して、自分の儲け・商売のために葬儀しているのが日本の仏教です。スーパーミッションで救われた三国さんという僧侶に「金額的にそんなもんですか」と聞くと、「そんなものですよ。もっとすごいところありますよ。」と言うのです。しかし私たちの新城教会では全て教会員の手で、心込めてお葬式をし、特に金銭的にお花代で清算しても遺族にプラスでお返しすることのできる状況です。そして何よりも教会は愛し合う家族、兄姉の集まりであり、私たちクリスチャンは死ぬことも恐怖ではなく、永遠のいのちが与えられて確実に天国に行ける確信を持つことができる。天国を待ち望むことができるという素晴らしい祝福をいただいているのです。何という最高の祝福でしょうか。一番大切な祝福です。この教会には多くのご高齢の方がおられますが、今日ぜひ聞いてみて下さい。お年寄りの方々は「私は天国に行けるのが嬉しい」と輝いて語るおじいさんおばあさんを見ると感謝します。私は病院にお年寄りのお見舞いに行ったりしますが、病室の中で「天国に行けることがうれしい。死ぬことはまったく恐くない。天国行ける確信がある」などなど大声でお話しすることがあります。その時みんな希望に輝いているのです。しかし多くの人は自分が何処に行くのかわからず、苦しみ、恐れているのです。豊田市に岡本兄姉のお友だちで本田さんという方がいます。その本田さんの奥さんである茂子さんが言われたことを忘れることができません。自分が病気して死について考えたときに、娘婿が医者であってその病院に入院し、退院してからもその娘の家で療養していました。そんな時自分が信仰しているというか、自分の家で祀っている阿弥陀様に一生懸命願ったそうです。自分が死ということを目の前にした時、恐くて恐くてたまらなかったそうです。その茂子さんが言うには、お化けで良いから「死んだらこうなる。三途の川で迎えに来るとか、死後どの様になると教えてほしかった」と言っていました。しかし自分の体が直ってしまったら忘れてしまったというか、病気のおじいさんの看病で忘れていました。そんな中で私はある時嫌われても良いと思い、死についてはっきりと語りました。クリスチャンのお年寄りの死について、聖書に死についてどの様に書いてあるか語りました。するとイエス様が救い主であり、素晴らしいとイエス様を信じて下さいました。しかし、色々な問題があり最近教会に来れていませんので祈っていただきたいのですが確かに、イエスキリストの中に勝利があります。永遠の命が与えられるのです。世の中の人は行くところがわからない、死について恐れがあるのです。最も大切なこと、それは天国に行くことです。クリスチャンでも目隠しされていませんか。今日クリスチャンの方でもクリスチャンではない人でも静かに考えて下さい。一度この世の中に生まれた者は絶対に死にます。早いか遅いかは定まった時があります。あなたは解決していますか?イエス・キリストをはっきりと自分の救い主として信じたら、死の恐怖がなくなります。私の祖母も「勝利は我がものハレルヤ!」と言って喜んで天に帰って行きました。多くのお年寄りは「葬式の時はお願いします」と笑いながら打ち合わせをするような状況です。今日もう一度あなたのために十字架にかかられたイエス様がいることを覚えて下さい。

『私があなたがたに最も大切なこととして伝えたのは、私も受けたことであって、次のことです。キリストは、聖書の示すとおりに、私たちの罪のために死なれたこと、また、葬られたこと、また、聖書に従って三日目によみがえられたこと、』

『私たちの罪のために死なれたこと、』私たちのというところに自分の名前を入れてみるとよくわかると思います。私でしたら、『上條実の罪のために死なれたこと、また、葬られたこと、また、聖書に従って三日目によみがえられたこと、』このことはあなたのために身代わりになって十字架にかかられ、地獄に行って下さり、三日目によみがえって下さったイエスキリストを信じることです。信じる時あなたに永遠のいのちを与えて下さいます。私たちクリスチャンはいつも死のことばかり考えているわけではありませんが、このことがしっかりと解決していたら毎日の生活が勝利です。今日覚えて下さい。二千年前の神様ではありません。今も生きて働く、あなたの神様がイエス・キリストです。そして今日もあなたの心の扉をノックしています。あなたが心の扉を開けるときイエスキリストはあなたの神となって下さいます。今日イエスキリストを信じて下さい。求めて下さい。必ずあなたに祝福を与えて下さいます。ぜひ自分の神様としてイエス・キリストを受け入れて下さい。神は真実で正しい方ですのであなたの神となり、生涯、あなたの救い主となってあなたを守り祝福して下さる、全能なる神様です。お祈りします。
 
 

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