今週の礼拝メッセージ
2000.10.1(SUN)
神の時をつかめ!
新城教会牧師 滝元順牧師

<今週のメッセージの御言葉>
新約聖書 ルカの福音書 17章20節〜24節

さて、神の国はいつ来るのか、とパリサイ人たちに尋ねられたとき、イエスは答えて言われた。「神の国は、人の目で認められるようにして来るものではありません。『そら、ここにある。』とか、『あそこにある。』とか言えるようなものではありません。いいですか。神の国は、あなたがたのただ中にあるのです。」イエスは弟子たちに言われた。「人の子の日を一日でも見たいと願っても、見られない時が来ます。人々が『こちらだ。』とか、『あちらだ。』とか言っても行ってはなりません。あとを追いかけてはなりません。いなずまが、ひらめいて、天の端から天の端へと輝くように、人の子は、人の子の日には、ちょうどそのようであるからです。
 

    ハレルヤ!皆さんのお祈りに支えられ、先週はアメリカ、ワシントン州のヤキマという街で奉仕させていただき感謝します。大変恵まれ、健康も支えられて感謝します。
 早いものでもう十月になりました。そして間もなくクリスマスシーズンが来ます。クリスマスは伝道しやすいシーズンです。今年はクリスマスにロン・ブラウンさんが来られてコンサートをしてくださいます。またスーパーミッションに来られたバンドのメンバー、ドラムとキーボードとベースの皆様が来てくれることになりました。多くの方々に素晴らしい福音を宣べ伝えたいと思います。ぜひ、楽しみにしてください。

 今日は「神の時をつかもう」という話をします。
イエス様が二千年前にユダヤで生まれ、やがて公生涯においてご自分を現わされました。それを見てユダヤ人たちは驚きました。今までに起こったことのないことが起こり始めました。イエス様の行かれる所で奇蹟や癒し、死人が生き返り、悪霊が追い出されるという素晴らしいことが起こされました。人々は、「もしかしたら、これが待ち望んでいた救い主、メシヤではないか」と期待しました。
 イスラエルは王朝時代に栄えた時期がありました。それはサウル王から始まり、ダビデ、ソロモン時代に栄華を極めました。しかしそれが衰え、国が二つに分裂してしまい、バビロンに捕囚されてしまった悲しい歴史がありました。彼らはいつも、もう一度国を回復して欲しいという願いと共に生きていました。その間、預言者達によって国が回復される預言を受け取っていました。それでイエスさまが現れたとき、「この方こそ、国を再興して下さるかも知れない」と人々は期待しました。パリサイ人達はイエス様の行いに反抗していましたが、その反面、イエス様がもしかしたら国を再興される方ではないかという期待も入り交じっていたと思います。
 そんな中、一人のパリサイ人がイエス様に、「神の国はどの様に現れされるのですか」と質問しました。彼らはイエス・キリストによってイスラエルが目に見える形で回復される、現実的な回復を望んでこのような質問を投げかけたと思います。しかし、イエス様の答えは、「わたしは、しばらくするともっとパワーアップして皆の期待に答え、神の国を造るから」とは言われませんでした。
 神の国はどのようなものか、それは、人の目で見えるような「ほら、あそこにある」というようなものではない。「神の国はあなたがたのただ中にある」と語られました。神の国はどこにあるのでしょうか。私たちの「直中にある」とイエス様は語られました。そして、その文脈の中で、イエス様はやがて来る永遠の神の国についても言及されました。
 人類は自分勝手に歴史を進めていますが、今や、どうすることもできない現実にぶつかっています。「これ以上どうすることもできない、もう動くこともできない」という問題が山積みです。日本にはたくさんの問題があります。しかし、先週アメリカに行き、アメリカには更に大きな問題があるのを見ました。アメリカは日本より合理的な、日本とは違う文化があります。銀行もドライブスルーです。ドライブスルーでハンバーガーを買うようにお金を下ろしたり、書類を送ってまた戻ってくるシステムがあります。ドライブスルーで用事が足らない事柄がほとんどないような合理的な国です。しかし、社会や家族にはたくさんの問題があります。なぜ、キリスト教を土台としている国のはずなのに問題があるのでしょうか。今、世界は行き詰まっています。しかし、やがて私たちのただ中に、神の国の完全支配が現れる時が来ます。
 イエス様はやがて地上に帰って来られます。神が歴史をリセットする時が来ます。それはいつかわかりませんが必ず来ます。紀元二千年を迎えました。来年から二十一世紀です。しかし、終わりの日は誰も知らないと聖書に書かれています。本屋さんに行くと必ず、終末に関する本が置いてあります。昔から人々は終末について興味がありました。しかし、必ず終末は訪れますが、それにあまり捕らえられてはいけません。終わりのことばかり考えていると、働きが止まってしまいます。必ず来ますが、その時は知りません。だからイエス様が帰ってくるのは何年何月という言葉を信じてはいけません。それは異端で間違っています。なぜなら、聖書にはそれは誰も知らないと書かれているからです。
 同時に、私たちの人生にもやがて終末が訪れます。天国に行く日が来ます。まだ死にたくない、と言っても天国に入る日があります。しかし、クリスチャンは素晴らしいです。その時が来ても喜んで天国に行くことができますから。
 私は先週、前羽さんというおばあさんを訪問しました。この教会のおばあさんたちはよく祈っておられます。とても素晴らしいです。私たちのスケジュールも把握してくださり、祈ってくださっています。訪問すると、「順先生。四十日間お疲れさまでした。」と四十日のガイドブックがすり切れるほど祈って下さっていました。そして、「私は行くことができませんでしたが、神様は夢で、集会がどんなであったか教えてくれました」と言われました。「先週はアメリカでしたね。それも夢を見ました。」と熱心に祈ってくれていました。
 また、「天国の夢を見た」と言われました。どんな夢かを聞きました。それは、新城教会から天国に入ったおばあさんたちが集まって、なにやら天国で話をしていた夢であったそうです。私のおばあさんや、三国さん、河合さんが話をしていたそうです。
 前羽さんには一つの心配がありました。それが何かというと、彼女のご主人は教会に反対していました。しかし、ある時、彼は脳溢血で亡くなられました。「いつも神様に刃向かっているからこういう事になるのだ・・・。」と彼女は言っていました。ですから、ご主人が天国に行ったのか定かではなく、心配だったそうです。
 しかし、夢で見たそうです。三人のおばあさんが天国で話をしていると、その横で、ご主人が、天国の道路を竹ぼうきで掃除している夢を見たそうです。「あっ。家の主人だ」彼が辛うじて天国に入ったことを夢で知らされたそうです。
 私はこれを聞いて、この夢は神様の慰めだと思いました。「主イエスを信じなさい。そうすれば、あなたもあなたの家族も救われます。」という御言葉があります。時々「私はあの人に伝道できなかった、あの人は天国に行ったのだろうか、地獄に行ったのだろうか」と心配になります。しかし、「主イエスを信じなさい。そうすれば、あなたもあなたの家族も救われます。」という御言葉は、幅広い領域を含むものだと思います。だから家族一人がクリスチャンであることは大切なことです。神様は哀れみ深い方なので、家族を天国に入れて下さると思います。
 何れにしても、やがて私たちの人生の終りが訪れ、直中に神の国があります。しかし、今日、学びたいことは、世の終わりについてではありません。世の終わりについては大きなテーマに思うかも知れませんが、神様にとっては終末は、永遠の歴史の瞬間であり一つのプロセスです。それはただ、「神の時の現れ」にしか過ぎないのです。ということは、私たちのただ中に神の国が訪れる瞬間、それがからし種のように小さくても、「あなたがたの中に現される神の時をつかんで下さい」という意味をも、この箇所は投げかけていると思います。
 人生に訪れる神の時も、同じような手順で起こってくるのです。皆さんの人生の中に神の時が現されます。それは、

『いなずまが、ひらめいて、天の端から天の端へと輝くように、人の子は、人の子の日には、ちょうどそのようであるからです。』

瞬間的に、私たちの人生にも神の時が現されるのです。ルカ十七章二十七節では、ノアの洪水を例にあげて神の時についてイエス様は説明されました。二十七節から二十九節に、

『人々は、食べたり、飲んだり、めとったり、とついだりしていたが、洪水が来て、すべての人を滅ぼしてしまいました。また、ロトの時代にあったことと同様です。人々は食べたり、飲んだり、売ったり、買ったり、植えたり、建てたりしていたが、ロトがソドムから出て行くと、その日に、火と硫黄が天から降って、すべての人をを滅ぼしてしまいました。』

と書かれています。滅びも神の時です。ということは、食べたり飲んだり、めとったり嫁いだり、また、売ったり買ったり、植えたり建てたりしているただ中に「神の時」が「瞬間的」に現されるのです。
 私たちは神の時をつかみたいと願っています。その時はいつでしょうか。礼拝の中で瞬間的に聖霊様が訪れ、神の時が来て人生が瞬間的に改革されるようなことが起きて欲しいと願います。しかし、神の時は売ったり買ったり、また、寝ているとき働いているときとも書かれています。それは、「一般生活の中」で神の時が現わされるのです。あなたに神の時が必ずあります。それは特定の時です。
 今日からサンデースクールが始まりましたが、ギリシア語で時を表す言葉が二つあり、連続的した時の流れを現す「クロノス」という言葉と、特定な時を現す言葉は「カイロス」と言います。私たちの一般生活の中に神様は特定の時、神の時を持っておられます。その時を捕まえることは神の国の実現です。今週、生活の中でただ中に、神の時が訪れるように、また訪れたら捕まえることができるよう祈るべきです。
 先週私は、アメリカに行きました。アメリカと日本の間には時差があります。それはマイナス十六時間です。今、ワシントン州は夕方です。ジョー先生の教会は土曜日の夜に礼拝をしているので、今頃礼拝をしていると思います。名古屋からポートランドまで、飛行機で八時間かかります。本を読んでいると、アッという間に着いてしまいます。こちらを夕方に発つと、向こうは朝でした。日本は真夜中の二時頃でした。そして、今回の集会は大変でした。とても忙しかったです。ヤキマの五つの教会が合同で、「町を勝ち取る」というテーマで霊的戦いのセミナーを行いました。誰を講師とするかということで、ジョー先生が私の書いた本の訳されたものを皆に読ませたところ、「この人を講師に呼ぼう」と私を招いてくださいました。それで、到着した夜から集会があり、翌日からは朝九時から十二時までセミナーがあり、四日間続きました。大へん眠たかったのですが、そうも言っておられず頑張ってやりました。大変恵まれた集会でした。何れにしても、時差があるとそれに対応できません。南米に行くと十二時間時差があります。というのは、全く生活が逆です。今は朝の十一時ですが、向こうは夜中の十一時です。日本時間で生きていたら、南米では生きることは辛いです。「明日のスケジュールはこうです」と言われても、覚えていなかったりするのです。
 私たちも生活の中に神の時が訪れますが、受け取るためには、神の国時間に生きなければなりません。神の国の時間と、この地上の時間とは時差がありますから、あなたがこの世の時間に生きているならば、神の時が現わされてもつかみそこね、通り過ぎてしまいます。神の国時間に生きることができますように。神の国のスケジュールで、神の時を捕まえることができますよう、時差を調整していただきましょう。
 神の国の訪れは小さなものかも知れません。聖書が言っているように、からし種のように、吹いたら飛んでしまうものかも知れません。しかし、それがやがて、大きく成長するのです。だから、小さいと思ってばかにしてはいけません。いつも神の時を待ちわび、どんな小さな神の時も見逃さないようにすべきです。
 今回ヤキマに行って、とても不思議に思いました。「日本人の私がなぜ、ここに導かれたのだろうか」と思いました。それはある意味で、私が神の時をつかんだからだと思います。一つの小さな出来事が、このように導かれました。
 遡ると今から十五年前の事です。この会堂が建ってしばらくして、教育館を建てる計画がありました。教育館を建てるのは案外難しく、将来的展望がないと建てることができません。何をどうしたらよいのか、悩んでいました。当時、新城教会に建築委員会がありました。いつも集まって話し合っていましたが、わからないことだらけでした。会堂は良いものができましたが、教育館を建てるのは難しいと思いました。そこで教育館とはどのようなものか、アメリカに見学に行きました。しかし、行く間際になって、色々な問題が起こり、行けなくなるようなことがたくさん起こりました。しかし何とかアメリカに行きました。そして大きな教会堂を見せてもらいました。サンデースクールに力を入れている教会は、普通の学校以上に教室があり、何千人も集まっているメガチャーチを見て圧倒されました。何日にも渡りそれをレポートし、私たちが将来、どのような展望を持って神の宮を築くべきかについて祈りました。ロサンゼルス近郊の教会を主に訪問しました。そこまで行ったから、帰りにハワイの教会も見せてもらおう、ということになり、ハワイに立ち寄りました。ハワイの教会は平凡な教会でした。「教会はどこですか」と聞くと「ビーチです」と言われるような感じで、あまり参考になる教会はありませんでした。二日ほど滞在し帰途につきました。飛行機に乗り、日本に来るまでの時間退屈なので、普段は新聞をもらって読んだり、寝たり、雑誌を読んだりしています。機内で聖書を読むのは字が細かいこともあり、とても眠たくなってしまいます。しかし、その時、私はなぜか知りませんが、飛行機の中でずっと聖書を読みました。一時間、二時間、三時間と読み続けました。それは異例なことでした。なぜかわかりませんが読んでいました。そして、二時間以上経ったとき、通路を挟んで斜め後ろの人が私をつつきました。「あなたはクリスチャンですか。私もクリスチャンです」と声をかけた人がいました。少し白髪混じりのおばさんでした。「私はハワイに住んでいる、日系のアメリカ人です。日本に伝道旅行に行くことにしました。」と声をかけられ話しました。その方はアヤコ・ビラップス先生でした。彼女と話をしていて、「日本に来たら、時間があったら新城に寄ってください」と言っておきました。まさか来ないだろう、と思っていました。しかし、何日経ってから電話がありました。「飛行機の中で出会ったアヤコですが、そちらに立ち寄って良いですか。」と言われました。その時、丁度、他のアメリカ人のお客さんが来ていたのですが、彼女に来てもらいました。そして交わりが始まりました。
 彼女は家に来てこう言いました。私と飛行機で出会いましたが、その前日に彼女は祈ったそうです。すると神様が、「あなたは明日、飛行機に乗ると一人の男性と出会います。それはとても重要なことです。」と語られたそうです。彼女はその前の日に真剣に、「神様。明日大切な人と出会うようですが、それはどういうことですか。助けてください。」と祈ったそうです。そして飛行機に乗ってすぐに、「誰がその人だろうか」と見回したそうです。大した人はいないと思い、見ていたそうです。すると彼女の斜め前に青年が座って、おもむろにバックから聖書を取り出して読んでいました。しかし、初めは信用できなかったそうです。二時間くらい祈ったそうです。「神様この人でしょうか。重要な人のように見えませんが。この人が本当にあなたが語られた人ですか。」と祈ったそうです。すると主が、「そうです。私が語ったのは、この青年の事です。」と語られたそうです。
 そんかわけで、交わりが始まりました。そうこうしていると、ある時、アヤコ先生から、「私はワシントン州タコマに移りました」という手紙が来ました。「どこに住んでも良い」と私はあまり場所には関心ありませんでした。すると再び手紙が来ました。「先生のところに英会話の先生が必要と言われましたよね。私の教会に日本に行っても良いと言っている女性がいるから、どうですか。」と言われ、紹介してくれたのがジョイさんでした。そして、その教会の牧師がジョー先生でした。
 私たちは、教会の英会話クラスの生徒と共にタコマにある教会にお邪魔して交わりが始まりました。数年前、ジョー先生が、「私はヤキマという場所の、つぶれた教会の牧師になります。」と言われました。「そんな教会に行って大丈夫なのか」と聞くと、「大変な教会だ」と言われました。廃屋になったような教会堂で礼拝を始めました。そこの教会には色々な問題があり、傷ついていました。しばらくすると彼からまた手紙があり、「もうしばらくして、この教会を辞めるつもりだ」と言われました。私は、「そうだろう。彼では無理だろう」と思いました。
 しかし、そんな中で、彼が霊的戦いに目が開かれました。問題が起こったのは、人間的な問題ではない。霊的なことだ。町を支配している悪霊がいるのではないか。この存在と戦わない限り、どこに行っても同じだ。町に献身して戦わなくてはならない、と示され、祈りはじめました。昨年は、教会の主要メンバーを新城に連れてきて、県民の森祈祷会で聖霊に触れられました。そして、彼らが戦いの勇士となり、祈り出しました。「神様。この町をどうか変えてください。」と祈り出しました。そこは、インディアン・リザベーションという、インディアン保留地の中に街があります。今はインディアンとは言わず、「ネイティブ」という言葉を使わなければなりませんが、彼らは持っている土地を白人達に貸しています。彼らは何も仕事をせず、酒ばかり飲んでいて問題があります。犯罪が多いのです。そのような中でヤキマの教会が祈り出しました。町には毎日のように、殺人や強盗がありました。ある地域には毎日問題がありました。しかし、新城に来た人たちを中心に、先生方が町のために真剣に祈りだしました。「この町の悪しき業が砕かれますように。」と祈り出しました。また、山に登って祈るようになりました。山の上は、ネイティブの人たちが悪霊を招いているところです。その力が打ち破られ、町が祝福されますようにと祈り始めました。すると不思議なことが起こり始めました。祈りはじめてから、ある地域の犯罪が全く起こらなくなりました。それが新聞に載りました。毎日起こっていた犯罪がピタリと止まりました。警察はそれを調べていますが、なぜこのように犯罪がなくなったのかわかりません。教会は、「祈りの答えだ」と確信したそうです。それと同時に、周りの先生方との交わりが始まり、一緒に祈るようになりました。そしてその方々ともビジョンを共有し、街を変革していただくために戦おうと、今回私がそこに招かれました。
 ということは、私が十五年前に飛行機の中で聖書を開かなかったら、今回のヤキマでの奉仕は起こりませんでした。神の時をつかむことは大切なことです。その時、私にとってはただ聖書を開いて二、三時間じっと座っていることでした。しかし、それが「神の時」でした。また、アヤコ先生にはもう一つの時が訪れていました。「一人の人と出会う」と語られ、彼女も祈らされました。神の時が重なりました。
 それから十数年が経ち、考えても見なかった神の時が大きく開かれました。これからもどんどん発展していくと思います。
 皆さんの生活も同様だと思います。小さく見えるような、ある時は聖書を開いて読むような事、ある人に話しかけるような事、それらを忠実に神の時の中で行っていくときに、大きな神の国の働きとして広がっていくのです。だから、「神の時を捕まえなさい」ということです。今週も神の時の中に生きていただきたいと思います。
 さて、神の時を捕まえるためにどうすべきでしょうか。イエス様は言われました。「神の国とは十人の娘たちがランプをもって花婿を迎えるようなものだ」というのです。五人は油の入ったランプを持っていましたが、五人は油のないランプを持っていました。花婿が来るのが遅れ、夜中になりました。もう来ないと思っていねむっていると、突然、「花婿が来た」という声が聞こえたのです。その時、十人の娘は起き上がってランプに火を付けようとしました。五人の娘は油を持っていたから火を付けることができました。しかし、後の五人は油を持っていなかったので、ランプに火が付かなかったとマタイの福音書二十五章に書かれています。突然来る神の時に対応するために必要なものは「油」です。それは聖霊の油注ぎです。
 私たちの中に聖霊の油注ぎがあるときに、神の時に対応できるのです。突然あなたのところに神の国が訪れたときに、聖霊の油があるとそれに即対応し、時に間に合うことができるのです。私たちが神の時を捕まえるために、神の国に生きることができますように、神の時を捕まえることができますよう、油そそぎを祈りたいと思います。
 今週皆さんの中に神様の素晴らしい時が起こされるように。神の国拡大に導かれることを今日この御言葉から学び、突然起こってくる神の国の時に対応するため、賢い五人の娘たちのように聖霊の油を満たしていただくように祈りたいと思います。
 日曜日の礼拝は、ランプの中に油が満たされ、神の時に備える時です。そして食べたり飲んだり、働いたり寝たりしている一般生活の中で、突然、神の時が訪れます。油注ぎがあれば即対応することができます。そんな素晴らしい神の国の中に、今週も生かしていただくことを願います。お祈りします。
 
 

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