今週の礼拝メッセージ
2000.10.8(SUN)
しあわせに生きる道
新城教会牧師 滝元明牧師

<今週のメッセージの御言葉>
旧約聖書 詩篇34章8節〜15節

主のすばらしさを味わい、これを見つめよ。幸いなことよ。彼に身を避ける者は。主を恐れよ。その聖徒たちよ。彼を恐れる者には乏しいことはないからだ。若い獅子も乏しくなって飢える。しかし、主を尋ね求める者は、良いものに何一つ欠けることはない。来なさい。子たちよ。私に聞きなさい。主を恐れることを教えよう。いのちを喜びとし、しあわせを見ようと、日数の多いのを愛する人は、だれか。あなたの舌に悪口を言わせず、くちびるに欺きを語らせるな。悪を離れ、善を行なえ。平和を求め、それを追い求めよ。主の目は正しい者に向き、その耳は彼らの叫びに傾けられる。
 

    ハレルヤ!皆さんの祈りに支えられ、久しぶりにメッセージをすることができますことを感謝します。私がここでメッセージをするのは八月末以来の事です。忙しい毎日ですが健康が守られていることを感謝します。夕べも大阪から帰りました。また本日の礼拝後に大阪総決起大会のために大阪にむかいます。続けて私のためにお祈り下さい。今日は「しあわせに生きる道」というタイトルで学びます。

『主のすばらしさを味わい、これを見つめよ。幸いなことよ。彼に身を避ける者は。』

と書かれています。イエス様に身を避けることが幸いな道だと教えています。スーパーミッション東京大会以来、初めてここで語りますので、まず東京大会の感謝をしたいと思います。今度の戦いはとても大きなものでした。七月十四日に、『恐れるな。あなたは恥を見ない。恥じるなあなたは辱めを受けないから。』という御言葉が与えられ、その御言葉を頼りに戦いを進めました。初めは大変でしたが、結果的に恥を見ないように神様が導いてくださいました。順牧師が、九月の全日本リバイバルミッションのニュースにこう書いています。

「まさにこの四十日は霊的戦いであり、外には戦い、うちには恐れがありました。しかしそんな中で主が教えてくださったことは、もはや自分自身を頼まず、死者をよみがえらせてくださる神により頼むものとなるためでした。そしてスーパーミッション東京を終えてはっきり見えるのは主の力強い御手だけです。」

と書いています。難しい中で神様の御手を見せてくださり、素晴らしい祝福をいただいたことを感謝します。既にニュースを見られてご存知かも知れませんが、四十日間で四万七千六百七十七名の方が来られました。また決心された方も千名以上いました。特に七月の時は人の集まりが少なく、献金も少なかったので非常に困難を覚えました。しかし十月号の会計報告を見ると、席上献金が四千百三十六万八千百七十七円、またミッションに振替で送られてきた献金が、五千七百九十万千百六円という金額で総計一億七百三十万三千百五十三円という報告がされています。その上予約献金が四千万円ほどあり、大会費用が与えられたことは神様の恵みだと思い、心から感謝します。確かに主の御手、確かにイエス様が生きておられるということを見せていただき心から感謝します。九節から十節に、

『主を恐れよ。その聖徒たちよ。彼を恐れる者には乏しいことはないからだ。若い獅子も乏しくなって飢える。しかし、主を尋ね求める者は、良いものに何一つ欠けることはない。』

と書かれています。私たちが心からイエス様を恐れ、従っていくならば、乏しいことはなく、飢えることもない、何一つかけることはないという素晴らしい約束があります。この約束をイエス様が成就してくださったことを心から感謝します。十二節から十三節に、

『いのちを喜びとし、しあわせを見ようと、日数の多いのを愛する人は、だれか。あなたの舌に悪口を言わせず、くちびるに欺きを語らせるな。』

今日ここにおられる方の中で不幸に生きたいという方は一人もいません。誰もがしあわせに生きたいと思います。人生を見るとある人は幸せに生きる人もいますし、ある人は不幸に生きる人もあります。しかし、聖書は、

『いのちを喜びとし、しあわせを見ようと、日数の多いのを愛する人は、だれか。』

と書かれています。早死にしたい人はありません。幸せで長生きしたい人はどういう人かというと、

『あなたの舌に悪口を言わせず、くちびるに欺きを語らせるな。』

と書いてあります。これは難しいことではありません。悪口を言ってはいけない、嘘を言ってはいけない、そうすれば幸せになるというのです。聖書は非常に簡単なことを教えています。私たちがしあわせになることは唇が大切なことです。唇の一言で幸せになったり不幸になったりします。唇の力は大きいものです。実際にこの近くの病院で随分昔に一人の看護婦さんがおばあさんを「言葉」で殺してしまったそうです。一人のおじいさんが虫垂炎になり手術しました。おばあさんがとても心配し、おじいさん大丈夫かと思っているときに看護婦さんが手術室から出てきました。おばあさんは看護婦さんに、「おじいさんはどうですか」と聞きました。すると看護婦さんは「無事手術が成功しました」と言ってあげたら良かったのですが、「済んだ」とだけ言ったそうです。この地方の方言で、誰かが死んだ時、「あいつ済んだ」と言います。その言葉でショックを受け、おじいさんは死んだと思い倒れて、おばあさんはショック死してしまいました。ですから、私たちの日常生活は言葉が大切です。私たちは言葉が守られることは大切なことです。詩篇一四一篇でダビデ王が祈っています。三節〜四節に、

『主よ。私の口に見張りを置き、私のくちびるの戸を守ってください。私の心を悪いことに向けさせず、不法を行なう者どもとともに、悪い行ないに携わらないようにしてください。私が彼らのうまい物を食べないようにしてください。』

と書かれています。私たちの人生にあの言葉を言わなかったら良かったのに・・・と思うことがあります。あの言葉は失敗したと思うことが沢山あります。箴言十三章三節に、

『自分の口を見張る者は自分のいのちを守り、くちびるを大きく開く者には滅びが来る。』

と書かれています。毎日の生活の中で唇を守ってくださいという祈りが大切です。ダビデが詩篇十五章で、

『主よ。だれが、あなたの幕屋に宿るのでしょうか。だれが、あなたの聖なる山に住むのでしょうか。正しく歩み、義を行ない、心の中の真実を語る人。その人は、舌をもってそしらず、友人に悪を行なわず、隣人への非難を口にしない。』

と書かれています。一週間考えてみて下さい、舌をもってそしらないということを考えるとき、誰かの悪口を言わなかったということができる方はいますか?時々私たちは悪口を言うと間違えることがあります。一九九二年に聖霊が下ったとき、悪い噂がたくさんありました。その中には「預言者がこの新城教会にいて、牧師はじめスタッフが預言者の前にひざまずき、御告げを受けている。夜になると白装束を着て出て行き、縄を持って地蔵を縛り付けた」という噂が流れました。それは霊的戦いは聖くならなければできない、だから十字架の血潮で白い衣を着る必要があるということを誰からから聞き、それを新城の人は実際に白い衣を着て縄をもっていき地蔵を縛ったというとんでもない嘘が出回りました。時々人間は間違えることがたくさんあります。私がある教会に行ったときに、牧師先生が二階に住んでおり、降りるところに鏡があり、朝早天祈祷に出る前に先生は鏡の前で自分の顔を映してニコニコとして出てくるという事を聞きました。「どうしてですか」と聞くと、その先生はある日早天祈祷会へ出かけていくと教会の役員の方も来ました。その時牧師先生が悪い顔つきをしていました。見られたものではない、機嫌悪そうな顔をしていました。悪い顔をしてきた時に、その長老はその顔を見てつまずいたようです。「牧師のくせにあの顔は何だ」と言われ、それ以来ずっと教会に来ないというのです。牧師は顔に気を付けなくてはなりません。なぜ悪かったというと、先生の子どもがその夜病気で、一晩中寝ずの看病をしたそうです。そして一睡もしないまま、疲れきって早天祈祷会に出かけていって、疲れ果てた顔を見て来なくなったそうです。噂は色々ありますが、本当ではないこともあります。嘘もあります。だから聖書は悪口を言わないようにと言っています。今朝礼拝のために私は会堂で祈りました。この新城で五十年間伝道していると「あの時にあんな言葉をいってしまった」とか、「あの人の心を傷つけた」などと思います。だから今朝も「イエス様、私が口にした悪い言葉を赦して下さい。」と祈りました。私たちは唇で隣人を避難しています。悪口を言ってしまいます。しかしこれは祝福を失います。悪口そのものが祝福を失います。聖書には、旧約聖書の中にノアの箱船のことが書かれています。大洪水ですべての人が滅び、ノアの家族八人だけが助かりました。洪水後ノアは箱船から出て農夫になり、ぶどうを作るようになりました。ある時収穫したぶどうのジュースを飲みました。聖書を見るとそれまでは何百才まで生きたと書かれています。しかし、ノアの箱船以来、人間の齢は八十才から百才くらいまでしかありません。気候が変わりました。そのぶどうが発酵してぶどう酒になり、恐らくノアはそのことがわからずに飲んだと思います。するとノアは酔っぱらってしまい、素っ裸になって寝てしまいました。そこに息子のハムが来ました。お父さんが素っ裸で寝ている姿を見て、兄弟たちを呼びました。するとセムとヤペテはそのことを聞き、布を取り自分たちの肩にかけて反対向きになってお父さんの恥ずかしい姿を覆ってあげたと書いてあります。ノアが目覚め自分の息子たちが着物をかけてくれ、ハムが自分の裸を見て欺いたことを聞き、怒っています。

『ノアが酔いからさめ、末の息子が自分にしたことを知って、言った。「のろわれよ。カナン。兄弟たちのしもべらのしもべとなれ。」』

と書かれています。カナンはハムの子どもです。なぜ、呪われよハムと言わないで呪われよカナンと言ったかわかりませんが、その人が呪われると子どもにまで呪いが行くというのです。私の人生で非常に大切なことと思うことは、正しい結婚生活をすると子どもにも祝福があるということです。でたらめな結婚生活をしていると子どもも祝福を失うところがありますがノアが酔いから覚めて

『ほめたたえよ。セムの神、主を。カナンは彼らのしもべとなれ。』

三人の兄弟たちの中でお父さんの裸を見て暴露して笑った人が、しもべとなったと書かれています。私たちの人生の中で人の悪口や噂話を聞きますが、一緒に笑うのではなく、覆ってあげるべきです。その人のために覆ってあげるべきです。特にクリスチャンの場合は色々な悪口を言われても祝福するべきです。三十四篇の十四節には、

『悪を離れ、善を行なえ。平和を求め、それを追い求めよ。』

と書かれています。クリスチャンの場合は悪口を言われても悪口を返してはいけません。ローマ人への手紙十二章十七節に、

『だれに対してでも、悪に悪を報いることをせず、すべての人が良いと思うことを図りなさい。あなたがたは、自分に関する限り、すべての人と平和を保ちなさい。』

と書かれています。私たちは平和を保つべきです。全日本リバイバル甲子園ミッションが行われたとき素晴らしい、聖霊の臨在と働きがあり、喜びがありました。しかし、私たちが甲子園をやったということで私が所属していた伝道者協力会が声明書を出しました。私たちのことを言いました。「今までに一緒にやってきた人がとんでもないことをした。」癒しや悪霊追い出しや、賛美など今までの日本の教会のスタイルと違うので中傷の声明文が出されました。それまで百名ほど集まっていた日本伝道者協力会が激減しました。ある時、声明書を出した人に会いに行きました。東京ミッションの前でした。その先生は「滝元先生。日本の教会が今二つに分かれ、カリスマ・ペンテコステ派と福音派に分かれているのは、あなたのせいです。」というのです。どうしてですかと言うと、先生が甲子園ミッションをしたから半分に分かれてしまったのですよと私にハッキリ攻撃されました。しかし、今度の四十日の集会が終わった後、日本伝道者協力会から要請が来ました。もう七年程が経っています。四十日の集会の結果について報告するように言われました。正直言って私は行きたくありませんでした。私の悪口を言われたのですから。しかし、聖書は、『自分に関する限り、すべての人と平和を保ちなさい。』と教えているので嫌だと思いながら行きますと答えました。しかし一人で行くのが嫌だったので平岡先生を連れていきました。しかし何と集まった人が十四名しかありませんでした。各団体の委員長たちが集まっていました。今回一番私を非難していた人がその集会に来て、非難ではなく「滝元先生。とにかく四十日日本でだれもやったことがない伝道をやり遂げたことは尊敬し敬意を払います。」と言うのです。四十日良かったと思いました。その以前反対した先生の奥様や教会の役員が、スーパーミッションにこっそり来て「先生。今度伝道者協力会に行かれますよね。祈ってます。」と言われました。「わかりました。祈ってください。」と言いました。感謝な事に理解して下さったのです。二十一世紀に向けてこれからは聖霊派とか福音派と言わないで皆心を一つにして互いに愛し合い、間違ったところを認め合いながら協力しなければならないと思います。交わりが回復しました。感謝なことです。東京でかつて反対していた先生が説教してくださったり、感謝です。私たちは平和で愛し合うこと、赦し合うことが祝福です。ですから、聖書を見ると、

『悪を離れ、善を行なえ。平和を求め、それを追い求めよ。』

ローマ人への手紙の十二章には、

『だれに対してでも、悪に悪を報いることをせず、すべての人が良いと思うことを図りなさい。あなたがたは、自分に関する限り、すべての人と平和を保ちなさい。愛する人たち。自分で復讐してはいけません。神の怒りに任せなさい。それは、こう書いてあるからです。「復讐はわたしのすることである。わたしが報いをする、と主は言われる。」もしあなたの敵が飢えたなら、彼に食べさせなさい。渇いたなら、飲ませなさい。そうすることによって、あなたは彼の頭に燃える炭火を積むことになるのです。悪に負けてはいけません。かえって、善をもって悪に打ち勝ちなさい。』

と書かれています。クリスチャンの勝利の道はどんなに悪口を言われても悪口を言い返さないことが勝利の道です。どんなことがあっても人の噂話や悪口に突っ込んではいけません。赦します。祝福しますというのが祝福への道です。私たちも祝福された人生を歩みましょう。エペソ人への手紙六章一節から三節に、

『子どもたちよ。主にあって両親に従いなさい。これは正しいことだからです。「あなたの父と母を敬え。」これは第一の戒めであり、約束を伴ったものです。すなわち、「そうしたら、あなたはしあわせになり、地上で長生きする。」という約束です。子どもたちよ。主にあって両親に従いなさい。』

と書かれています。今日ここに子どもたちがいますが、親孝行は幸せになる、長生きできると書かれています。今私たちに両親がいたら心から愛しましょう。そしてこれから悪口を言わないで、人を祝福したらあなたも幸せになることができると書かれています。今日幸せに生きるために悪口から聖めて頂き、祝福されていきましょう。一言お祈りします。
 
 

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