今週の礼拝メッセージ
2000.10.15(SUN)
かおり
新城教会牧師 滝元明牧師

<今週のメッセージの御言葉>
新約聖書 コリント人への手紙 第二 2章14節〜17節

しかし、神に感謝します。神はいつでも、私たちを導いてキリストによる勝利 の行列に加え、至る所で私たちを通して、キリストを知る知識のかおりを放っ てくださいます。私たちは、救われる人々の中でも、滅びる人々の中でも、神 の前にかぐわしいキリストのかおりなのです。ある人たちにとっては、死から 出て死に至らせるかおりであり、ある人たちにとっては、いのちから出ていの ちに至らせるかおりです。このような務めにふさわしい者は、いったいだれで しょう。私たちは、多くの人のように、神のことばに混ぜ物をして売るような ことはせず、真心から、また神によって、神の御前でキリストにあって語るの です。
 

    ハレルヤ!今日は幸いなことに先週に引き続き、ここに立つことができ感謝 します。また、今週水曜日には水曜礼拝でも話しますので、私のために祈って 下さい。
 昨日は「スーパーミッション大阪大会」のために、トラクト配布に行きまし た。こちらから二十数名の方が参加しました。私と家内は大阪の南港町にトラ クト配布しました。昨日のトラクト配布はとても嬉しかったです。なぜなら ば、たくさん配ることができたからです。東京大会のためのトラクト配布の時 には、雨が降って苦戦したこともありました。しかし今回は素晴らしい天候が 与えられ感謝でした。私は九名のグループで配りました。私は一人で千軒配り ました。家内は九百軒に配ることができました。九名で九千軒に配りました。 新城の人口は三万六千人ですが、戸数にすると九千戸です。戸数で言うと新城 中に九名で配ったような感じです。三時間の間に配りました。新城は家々が離 れていますが、私が昨日配ったところはマンションが並んでいると所で、一つ のマンションにはいると二百軒から三百軒一度に配ることができました。東京 には百万部配りましたが、大阪には三十万部ほど配る予定があります。今、 色々な教会でトラクト配布したいと言われ、二十一万部ほどの申込みがあった ようです。今回はレーナ・マリアさんの証が入っており、一枚通常六円〜七円 かかりますが、無料で配布しています。今度十二月の大阪大会では素晴らしい 勝利を確信しています。
 さて、今日は、「かおり」というテーマで話します。今日お読みしたコリン ト人への手紙、第二の二章十四節から十七節には、「かおり」という言葉が多 く出てきます。

『しかし、神に感謝します。神はいつでも、私たちを導いてキリストによる勝 利の行列に加え、至る所で私たちを通して、キリストを知る知識のかおりを 放ってくださいます。私たちは、救われる人々の中でも、滅びる人々の中で も、神の前にかぐわしいキリストのかおりなのです。ある人たちにとっては、 死から出て死に至らせるかおりであり、ある人たちにとっては、いのちから出 ていのちに至らせるかおりです。このような務めにふさわしい者は、いったい だれでしょう。私たちは、多くの人のように、神のことばに混ぜ物をして売る ようなことはせず、真心から、また神によって、神の御前でキリストにあって 語るのです。』 

 先日、大阪の「スーパー勇士祈祷会」に行ったときに、西宮一麦教会の関谷 さんと話しました。その方は私と同じ年の方で、習字の先生をされています。 私にこう話されました。「この年になっても朝から晩までイエス様が共にいて 下さるから感謝です。勝利です。東京大会にはあまり行くことができませんで したが、今度の大阪大会では全力をあげて奉仕したいです。先日、私と同業の 四人で食事会をすると、一人の方が、関谷先生はいつでも喜んでいてとても素 晴らしいので、お願いがあります。今度私を教会に連れて行ってくれません か。」と言われたそうです。するともう一人の先生も、「私も先生のようにな りたいので教会に連れて行って下さい。」と言われたそうです。「あまり集ま りの中でクリスチャンであることや信じなさいといわないのに、その人たちが そのように見ていてくれて感謝です。」と言われました。この方はキリストの かおりを現しています。それで教会に来たい、そのような存在になりたいので す。見ているだけで「私もクリスチャンになりたい」と言われる香りを放ちた いです。日常生活の中にも良い香りを放つか、悪い香りを放つかは問題です。
 先日横浜に行くと、東京ミッションに来られた一人が、「滝元先生、名古屋 で十一月二十三日にジーザス・フェスティバルがあるので行きます。ところ で、新城教会に泊めて下さい。」と言われました。私は一瞬ギクッとしまし た。なぜならば、彼が来ると体臭がします。また、彼はクリスチャンになった ばかりで、タバコを吸うのでタバコの臭いもします。だから私は、「うん。家 はタバコを吸ってはいけないよ。泊めてあげても良いけど、風呂にも入ってお いで。」と言いました。「大阪にも行きます。先生、泊まるところお願いしま す。」と言われました。私は彼に清潔にしてくるようにと勧めました。ある人 は時々、悪臭を放ちます。私は大衆伝道者ですので、体臭伝道者にならないよ うにいつも気をつけています。汗臭くなるといけないので気をつけています し、個人伝道や祈りを頼まれるときには必ず口臭防止剤を持っています。だか ら良いかおりを放つように気をつけています。
 ドイツのケルンの町に行ったことがあります。香水があったので買ってきた ことがあります。香水は良い香りがします。良い香りは良い感じを持ちます。 良い香りは大切です。クリスチャンも同じことでクリスチャンとして良い香り を放つことは大切です。しかし、クリスチャンの香りとは、その人の人格から 出る良い香りでもあります。クリスチャンはイエス様を信じてイエス様の香り を放つことが大切です。
 横浜に行ったとき、何人かの牧師先生と一緒に夕食していました。夕日が落 ちて月が昇ってきました。海の水に光があたってキラキラときれいです。月自 体は美しくありません。近づけば近づくほど亀裂があります。しかし、月は太 陽の光で輝いています。クリスチャンも同じようであり、私たちは駄目でもイ エス様を信じたら、イエス様の香りを放つことができます。だから、イエス様 に近くあるほど、良い香りを放つことができます。十四節に、

『しかし、神に感謝します。神はいつでも、私たちを導いてキリストによる勝 利の行列に加え、至る所で私たちを通して、キリストを知る知識のかおりを 放ってくださいます。』

と書かれています。クリスチャン生活の中には色々なことがあります。私も五 十一年クリスチャン生活をしていますが、良い時ばかりではありません。クリ スチャンになっても、どうしてこんな事が起こるのだろうかと、失敗して負け てしまったと思うこともあります。しかし、イエス様にあったら必ず勝利しま す。なぜならば、十字架上で勝利されたイエス様が私たちと共におられるから です。だから信仰を持ってください。『キリストによるかおりを放ってくださ います。』と書かれています。 
 今朝、私はここで祈り、聖書を読みました。詩篇八十一章六節に、

『わたしは、彼の肩から重荷を取り除き、彼の手を荷かごから離してやっ た。』 

と書かれていました。この言葉を読み、もう一度恵みを感謝しました。私の人 生の中で、「あの事は益になった」ということがあります。私が伝道に入った 当初、八橋マンガンで仕事をしながら伝道しましたが、その仕事はとても苦し かったです。夏に木馬(そり)を背負っているときには心臓が爆発するのでは ないかと思うほどの重労働で、とても苦しいときがありました。そのような中 で、聖書の御言葉を読みました。

『人の歩みは主によって確かにされる。主はその人の道を喜ばれる。』 

私の道をイエス様が喜んでいてくださる。私が重労働しながら伝道しているこ とをイエス様が喜んで下さるならば、死ぬまで八橋マンガンにいなさいと言わ れたらいようと決心したことがありました。その時から、鉱山の生活が非常に 楽になりました。ある時聖書を読んだ時、 『わたしは、彼の肩から重荷を取り除き、彼の手を荷かごから離してやっ た。』 と御言葉が与えられました。これを読んだとき、私のことが聖書に書かれてい ると思いました。毎日木馬を担いでいました。毎日石を入れるために荷かごを 持っていたので、この御言葉を読んで「私のためだ」と思いました。それから 間もなく、鉱山を辞めて新城に移りましたが、その三年間の生活は私にとって 益になりました。高ぶりが取られました。私は今日ここで奉仕していますが、 来週は九州で奉仕し、次の日曜日は茨城県で奉仕することになっています。毎 週のように荷物を下げて飛び回っています。時々、「先生大変ですね。」と言 われますが、私は鉱山にいたとき、「イエス様。もし、毎日イエス様のために 飛び回ることができたら嬉しいです。」と祈ったことがあります。今、祈りが 聞かれて、毎日のように伝道に行きます。トランクの重荷と石の重荷を比べた らトラクンの方が石よりも軽いです。あの時の祈りが聞かれたと思うと、本当 に感謝です。ですから、色々な道を歩んでいますが、その道は必ず勝利になる と、信仰持つべきです。 
 また、もう一つ、人生の中で悲しいことがありました。あんなに悲しいこと はありませんでした。それは、「ますみ」という娘を失ったことでした。生後 三ヶ月で亡くなりました。私は泣きました。あの時から私の家内の髪の毛は白 くなりました。私の家内はあまり泣きません。いつも心に秘めてこらえている ことが多いです。あの時私は信仰がなかったら死んでしまったのではないかと 思うほどでした。しかし、その時スウェーデンの宣教師アンダーソン先生が私 に、「先生。聖書には、『今はわからないけれど後でわかる』と書いてありま すよ。」と言ってくださいました。私が子どもを失ったことは、とても悲しい ことでしたが、ある意味でそれは良い経験ではありませんが、益になったこと はたくさんありました。
 随分前に北海道別海町に行きました。そこに牧場を経営している家族があり ました。牛だけで五百頭の大農場を持っていました。私は別海町の教会で説教 しました。「自分の子どもを失った悲しみ」、また、「子どもを失った事によ る天国に対する望みをもったこと」について話しました。その時、一人の方が 子どもを失った方を連れて来られ、「先生。先日この方は赤ちゃんを失いまし た。祈って上げてください。」と言われるので祈ってあげました。彼女は涙を 流していました。私はその悲しみがわかりました。手を置いて祈って上げまし た。「どうしたの?」と聞くと、その子が少し這うことができるようになった 頃、子どもが昼寝をしていたので買い物に行ったそうです。そして、帰るとそ の子がいないのです。一生懸命探し、もしかしてと思ってトイレを見に行く と、子どもがトイレの中に落ちていたそうです。それで死んでしまったそうで す。お母さんの不注意です。彼女にはトイレに子どもを落として殺してしまっ た、という悲しみがありました。だから私は、「姉妹。子どもは天国に行って るよ。私も子どもを亡くしたことがあるよ。」と言うと泣いていました。その 方のご主人はキリスト教が大嫌いでした。しかし次の日に電話がかかってきま した。「滝元先生。私の家で家庭集会をしてくれませんか。」「どうしてです か。」「家に帰ってから主人に赤ちゃんを亡くした牧師が話してくれて素晴ら しかった、と言うと招きなさいと言ったので・・・。」と言われました。そこ で私はその家庭に行き、イエス様の話をしました。ご主人はそこでイエス様の 話を聞いて信じられました。 
 今度も夕日を見ながら一人の牧師夫妻と話しました。するとその奥さんが涙 を流しながら話されました。スーパーミッション東京大会の時に青森県から一 人の娘さんが来られて奉仕されていました。その何日後かに電話が入りまし た。弟さんが大学生でキャンプで千葉に行き、その帰りに海で泳いでいたそう です。そこで行方不明になってしまいました。皆で祈りました。六名が一度に 波に飲まれました。その内五名は助かりました。しかし、彼だけ流されてし まったそうです。九日目に七十キロほど離れたところで発見されました。熱心 なクリスチャンでしたが亡くなられました。悲しいことです。その方が言われ ました。「今、生きていたら、今度の大阪大会では息子が奉仕したでしょ う。」お母さんはしっかりしていて、「私も人前では泣きません。」と言われ ました。しかし、私の家内の前では泣いて話しをされました。そして慰めを与 えることができました。人生の中に時々悲しいことがあります。しかし、必ず 勝利があります。 
 一九九二年九月、この教会から多くの方が出て行きました。痛かったです。 愛していた人たちです。ある方は、「僕は滝元先生に服従します。もし先生が 太陽が西から出て東に入ると言ったら信じます」と言った方も出て行かれまし た。とても痛いところを通りました。しかしそのことを通して、私たちは、赦 すこと、祝福することを学びました。「心の底から赦します。彼らを祝福しま す。」これは大きな財産です。私たちがリバイバルされたとしたら、あの時に 出て行かれたことを通して学ぶことができると思います。
 何年か前に、カナダの牧師から電話がありました。「滝元先生。私の教会で 一人の人がありもしないことを色々言って教会が分裂しました。もう私は牧師 を辞めます。」と言われました。私は、「先生。あなたは全面的に向こうが悪 いと思ってはいけないよ。こちらにも悪いところがあったから、悪口を言われ たのだよ。だから問題は出る事ではなく、赦すこと、祝福することですよ。新 城教会も傷みの中でなぜ勝利したのか、それは赦すこと、そして祝福すること によって勝利したのです。だから、赦しなさい。」この牧師はそれで息を吹き 返しました。教会で皆の前に自分が悪いことだけを謝りました。そして今は立 派な牧師になりました。これは素晴らしいことです。  つい最近、私の近い人に会いました。そこにも問題があり、「クリスチャン のくせにこんな悪口を言って、だから私は団体から出た」と話していました。 彼は力を込めて、「絶対あの人たちは裁かれる。」と言いました。しかし私 は、「ちょっと待て。さばかれる?あなたが言っていることは間違っている。 あなたがそう言うけど、さばくのは神様ですよ。だからあなたの悪口を言った 人にさばきが来るというのはおかしい。私は新城教会が逆境にあったときに赦 すことと、祝福することで勝利したから赦してあげなさい。」と言いました。 
 スーパーミッションの時に関根辰夫先生が伝道メッセージをされていまし た。群馬県であるクリスチャンの息子が若くして亡くなり、悲しんで、「イエ ス様。どうしてこんな事があるのですか。」と悲しみながら、小高い山の墓場 に葬ったそうです。その墓地に、『すべて労する者、重荷を負う者、われに来 たれ。われ汝を休ません。』と文語体で書いたそうです。『すべて疲れた人、 重荷を負って苦労している人はわたしのところに来なさい。わたしがあなたを 休ませてあげよう。』と大きく書いたそうです。この言葉は墓場らしくないよ うな気がします。なぜかわかりませんがそう書きました。すると一人の青年が 学校に行くときに、いつもその小高い山の墓場の側を通り、その言葉を見てい ました。その御言葉が心に入り込みました。やがて、彼は大学を卒業し、学校 の先生になり体育の時間に事故に遭い、半身不随になってしまいました。どん 底に落ち、生きる希望を失った時、『すべて労する者、重荷を負う者、われに 来たれ。われ汝を休ません。』という言葉を思い出したそうです。「キリスト 教の言葉だ。一度聞いてみたい」と思いました。その時に一人の友だちが聖書 を持ってきてくれたそうです。彼はそこでクリスチャンになりました。それが 星野富弘さんでした。彼は墓場の文字を見てクリスチャンになりました。 
 時々人生で失敗したり、問題がありますが、必ず勝利します。すべての事が 益にされ、勝利できると信じるべきです。クリスチャンは勝利者です。なぜな らば、勝利者イエス様が共におられるからです。クリスチャンは弱くても強い です。なぜならば、イエス様が強いからです。クリスチャンは平安です。平安 を持っておられるイエス様がおられるからです。

『しかし、神に感謝します。神はいつでも、私たちを導いてキリストによる勝 利の行列に加え、至る所で私たちを通して、キリストを知る知識のかおりを 放ってくださいます。私たちは、救われる人々の中でも、滅びる人々の中で も、神の前にかぐわしいキリストのかおりなのです。ある人たちにとっては、 死から出て死に至らせるかおりであり、ある人たちにとっては、いのちから出 ていのちに至らせるかおりです。』 

と書かれています。私たちの存在は大切です。私は伝道者としてある意味で一 つの責任を感じています。スーパーミッションの時にも三十分間のメッセージ をしました。たとい三十分のメッセージでも、私は真剣にやります。はっきり と、「イエス様を信じてください。救われなければいけません。天国に行きま しょう。信じて救われなかったら滅びます。」 
 私の仕事は短いメッセージで、ある人にはいのちの道を与えるのです。つま らないと思ったら滅びの道です。

『十字架のことばは、滅びに至る人々には愚かであっても、救いを受ける私た ちには、神の力です。』 

と書かれていますが、私たちの言葉によってある人はイエス様を信じて天国に 行けます。またある人は滅びてしまいます。これはとても大切な事です。です から皆さんの日常生活の中でどのように生活し、イエス様と共にあるというこ とは、ある人にとってはいのちに対する香りであり、ある人には「あれがクリ スチャン?私は絶対にクリスチャンになりたくない」と言ったら、死から出て 死に至らせる香りを放つことになるので、いつでも私たちはイエス様にあって 素晴らしい喜びに満ちた人生を持つべきです。コロサイ人への手紙二章十四節 〜十五節に、

『いろいろな定めのために私たちに不利な、いや、私たちを責め立てている債 務証書を無効にされたからです。神はこの証書を取りのけ、十字架に釘づけに されました。神はキリストにおいて、すべての支配と権威の武装を解除してさ らしものとし、彼らを捕虜として凱旋の行列に加えられました。』 

と書かれています。コロサイ二章十二節に、

『あなたがたはバプテスマをによってキリストとともに葬られ、また、キリス トを死者の中からよみがえらせた神の力を信じる信仰によって、キリストとと もによみがえらされたのです。』 

と書かれています。バプテスマは素晴らしいことです。イエス様と共に死に葬 られ、よみがえるということです。そのバプテスマを受けた人に十四節で、

『いろいろな定めのために私たちに不利な、いや、私たちを責め立てている債 務証書を無効にされたからです。神はこの証書を取りのけ、十字架に釘づけに されました。神はキリストにおいて、すべての支配と権威の武装を解除してさ らしものとし、彼らを捕虜として凱旋の行列に加えられました。』 

 数年ほど前にこの教会に来られていた一人の兄弟が、「先生には迷惑をかけ ないので保証人になって下さい。」と言われ、私は保証人になりました。しば らくして、彼がその会社で失敗したため、会社から電話がありました。「滝元 明さん、あなたは○○さんの保証人になっていますから保証人として金を支 払って下さい。」というのです。これは保証人になった以上どうにもなりませ ん。彼は、「絶対に迷惑かけない」と言いました。しかし、私は毎月のように 支払いました。債務証書は保証人になるようなものです。保証人になることは 気をつけなくてはなりません。
 この教会が建ったときに、この教会は二百九十四坪の土地を買いました。今 から四十年ほど前です。その時、私が持っていた家を売りました。しかしお金 が足りませんでした。その時、穐近先生が、「僕が十万円貸してあげる」と言 いました。二百九十四坪で坪八百円で買ってくれと言われ、それでは悪いから と言って千円にして二十九万四千円で買いました。そこで、穐近先生に、新城 教会代表役員滝元明の名前で借用証書を書きました。すると、教会を作った後 で先生が証書を持って来て、「兄弟、この証書を破りなさい。」と言われまし た。驚きましたが、「ありがとうございます。」と言って、破り捨てました。 とても嬉しかったです。破ったということは支払わなくても良くなったという ことです。私たちには罪人としての債務証書があり、これがあったら必ず地獄 に行く。しかし、イエス様が十字架上に私たちの罪をかけてくださったことに より、あなたの罪は赦されたと宣言されたのです。あなたは赦されて天国に行 けるという確信が与えられているのです。ですから、クリスチャンの香りは赦 されている、天国に行けるという香りです。今週、喜んで良い香りを放ってい きましょう。一言お祈りします。
 
 

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