今週の礼拝メッセージ
2000.12.10(SUN)
解放!
新城教会牧師 滝元順牧師

<今週のメッセージの御言葉>
新約聖書 ルカの福音書1章24節〜25節

ところで、その六か月目に、御使いガブリエルが、神から遣わされてガリラヤのナザレという町のひとりの処女のところに来た。この処女は、ダビデの家系のヨセフという人のいいなずけで、名をマリヤといった。御使いは、はいって来ると、マリヤに言った。「おめでとう、恵まれた方。主があなたとともにおられます。」しかし、マリヤはこのことばに、ひどくとまどって、これはいったい何のあいさつかと考え込んだ。すると御使いが言った。「こわがることはない。マリヤ。あなたは神から恵みを受けたのです。ご覧なさい。あなたはみごもって、男の子を産みます。名をイエスとつけなさい。

 ハレルヤ!「スーパーミッション2000大阪」も皆さんのお祈りによって祝福されていることを感謝します。東京ではトラクトを百万部を配るのが大変でしたが、大阪では八十万部をアッという間に配ってしまいました。今回、一般配布と共に、配布を教会が担当し、教会の名前を刷り込んで地域に配りました。昨日は、その中から約六百名くらいの方々がミッションに出席されました。トラクトには教会名が印刷されているので、それを集計して教会にお渡しし、フォローすれば良いという方法を与えて下さいました。
 集会内容もとてもよく、7日はクリスチャンのための集会でしたが、その他は伝道メッセージであるのが今回のプログラムです。私は7日のクリスチャンの集会を担当させていただきましたが、千名ほどの方が来られ良い集会でした。癒しや解放もたくさん起こされて感謝でした。
 一人のお母さんが私の所に来て、「先生、昨晩のメッセージを聞き、聞いて欲しいことがあります」と話し出され、「実は娘が分裂症で大変です。」と言われました。「何才か」聞くと「19才」というのです。一人娘で、中学三年の時から病院に入っていて、どうして良いかわからないと言うのです。私の娘も19才なので、それを聞いてかわいそうに思いました。するとその後、娘さんを病院から連れ出して来られました。それで、家族を攻撃する暗闇の力が打ち破られるように祈りました。
 すると、翌日、娘さんが明るい顔をして来ていました。「先生、今日は娘が自分からスーパーミッションに行きたいと言ってきたのです。昨日から明るくなりました。」と娘さんもニコニコしておられました。それを見て感謝でした。イエス様が集会の中に働かれているのを感じました。
 先週はルカの福音書からお話しました。特に、クリスマスにどのようなことが見えない世界で起きるかについて話しました。クリスマスには天使たちが動員され、聖霊様も働く。また、悪霊たちも働くと話しました。特に、東の博士たちは魔術師だった、という話をしました。驚かれた方もいたかも知れません。しかし、聖書は詳しく読むと、面白い発見が多くあります。東の博士が「黄金、乳香、もつ薬」をイエス様にささげたと書かれておりますが、それを読んで、「素晴らしい献げものをした」と思いますが、イザヤ書66章3節には、

『牛をほふる者は、人を打ち殺す者。羊をいけにえにする者は、犬をくびり殺す者。穀物のささげ物をささげる者は、豚の血をささげる者。乳香をささげる者は、偶像をほめたたえる者。』

と書かれています。東の博士がささげた「乳香」は、偶像礼拝者たちのささげ物でした。また、「星占い」は、当たるかも知れませんが、結果が悪いと話しました。星占いによってイエス様の居場所も特定され、その後、イエス様のいのちが狙われ、2才以下の子どもたちが殺されるという、悲惨な事件が起こったのです。クリスマスの中に隠されている策略を学びました。
 さて、先週も触れたところですが、ルカの1章24節25節を読むと、

『その後、妻エリサベツはみごもり、五か月の間引きこもって、こう言った。「主は、人中で私の恥を取り除こうと心にかけられ、今、私をこのようにしてくださいました。」』

と書かれています。エリサベツは年をとって妊娠し、その後、五ヶ月間引きこもっていました。なぜ、引きこもってしまったのかを考えながら聖書を読むと楽しいです。「恥ずかしくて外に出られなかったのだろうかまた」、「つわりがひどかったのか」「精神的ショックがあったのか」と考えます。色々と推測できますが、聖書の言葉にはすべて意味があります。それも、預言的な意味合いがあります。ここで起こった事柄は、イエス様の誕生と大きな関わりがありました。
 聖書は細かく、詳しく読む必要があります。しかし、もう一つ、大きなスケールで全体を把握し、聖書は何を教えているのかを知ることも必要です。さて、聖書の大きなテーマは何でしょうか。旧約聖書から見ると、イスラエルは奴隷となって430年間エジプトで過ごします。しかし、その後、モーセによってイスラエルはエジプトから引き出され、男性だけで60万と書かれていますので女性や子どもを入れると、200万人位がエジプトから脱出しました。しかしその時、パロの軍隊が追って来て、危機一髪のところでした。目の前には紅海があり、200万人が右往左往していた時に、モーセが手を挙げると紅海がまっ二つに分かれ、イスラエルは渡ったと記録されています。
 去年、「プリンス・オブ・エジプト」という映画が公開され人気でした。今はビデオでも見られますが、私も少し見ましたが、素晴らしいコンピューター・グラフィックで紅海がまっ二つに分かれるシーンがありますが、それを作るだけで二年間程かかったと聞きました。
 紅海がまっ二つに分かれ、イスラエルが渡ります。しかし、後ろからパロの軍隊が追ってきて危機一髪のときに、イスラエルが向こう側に渡り切りました。パロの軍隊は、分かれた紅海の真ん中、その時、モーセが祈ると水が元に戻り、パロの軍隊が全滅してしまいました。これは実際に歴史の中で起こったことですが、霊的な意味合いもあります。紅海を渡ったということは、水の中をくぐったということです。新約聖書を見ると、それは「バプテスマ」という意味があります。バプテスマは決して儀式ではありません。霊的な意味合いがあります。バプテスマ前は丁度、エジプトから脱出し紅海の縁に立っているイスラエルのようです。バプテスマは案外、受けようか受けまいかと迷います。バプテスマについて考えてみると、別にどうってことないと思います。水の中に入って出るだけのことです。皆、お風呂に入るではないですか。そんなの毎日やっていることです。皆の前で、水の中に入って外に出るくらいは良いではないかと思います。水から出た途端、額にくっきり十字架が現れたら怖いですが、そんなこともありません。水の中に入って出るだけの話です。しかし、結構、躊躇します。それは霊的なものだと思います。後ろから、パロの軍隊がおってきています。「バプテスマなど受けるな!」と捕まえようと引っ張っているのです。しかし、バプテスマに飛び込んでいくときに、イスラエルと同じように悪魔の軍隊が葬り去られ、勝利が来ます。ある意味で、バプテスマはクリスチャン生活のスタートです。それによって古いものが葬り去られ、新しくなるということは素晴らしいことです。
 このように、聖書のテーマは、「脱出」です。エジプトからの脱出、そして、イスラエルはやがてバビロンに捕囚されますが、「神様、助けて下さい」と祈っているときに、神は彼らをバビロンからも引き出されました。聖書の大きなテーマは「連れ出す」ということです。そして、イエス様のお生まれも、人類を脱出させるためでした。イエス様は霊的意味で、モーセと同じ役目の方だと言うことです。イエス様が生まれる目的について、イザヤ書61章に預言があります。

『神である主の霊が、わたしの上にある。主はわたしに油をそそぎ、貧しい者に良い知らせを伝え、心の傷ついた者をいやすために、わたしを遣わされた。捕われ人には解放を、囚人には釈放を告げ、』

 イエス様は、捕らわれ人を解放するために、囚人を釈放するために来られると、イザヤは、イエス様が生まれる七百年前に預言しました。
 また、ルカの福音書1章71節、そして、74、75節には、

『この救いはわれらの敵からの、すべてわれらを憎む者の手からの救いである。』
『われらを敵の手から救い出し、われらの生涯のすべての日に、きよく、正しく、恐れなく、主の御前に仕えることを許される。』

と書かれています。ルカの福音書1章のザカリヤの預言は、新約聖書に記されていますが、旧約聖書に属する預言です。イエス様が生まれる直前ですから。また同時に、新約聖書の始めの預言でもあります。イエス様がこの地上に来て下さったのは、捕らわれ人が解放されるため、敵の手から解放されるためです。救いとは解放であり脱出です。
 それで、イエス様が生まれる前、エリサベツは五ヶ月間引きこもり、出てきたとき、

『「主は、人中で私の恥を取り除こうと心にかけられ、今、私をこのようにしてくださいました。」』

と語りました。これは、「私は人前に出ることができました」ということです。イエス様との関わりの中で体験できることは、「捕らわれているところから解放される」という事であり、このテーマの中で信仰生活が導かれていくのです。
 人は色々な事柄に捕えられ、束縛されているものです。十年、二十年、三十年前に起こった事件にずっと捕らわれ、閉じこもって生きている人がいます。また、ある人は悪い習慣の中に閉じ込められて、そこから出ることができず閉じこめられています。ある方は、病の中に閉じ込められて、そこから出ることができない人もいます。また、ある家族や家系の中には、同じような問題が次から次へと襲ってきて、問題から出ることができない家族もあります。そうしてみると、人に起こってくる問題を一口で言うならば、「捕らえられる」と言い換えられます。閉じ込められるというテーマがあると思います。しかしイエス様は、閉じ込めからの解放が聖書の大きなテーマでもあります。
 福音書と使徒の働きに目を向けるとき、救いがユダヤ人だけに閉じ込められていた所から、聖霊が注がれエルサレムからユダヤ、サマリヤ、そして、全世界に解き放たれていきました。聖書全体の流れは閉じ込められているところからの解放です。
 逆に言えば、悪魔が人間に持っている策略の根本は、「閉じ込める」ことです。「私は自由だ」と言いながら、人間は結構、閉じ込められています。今日、皆さんの心の中に、「私はちょっと閉じ込められている領域がある」と思ったら、イエス様は閉じ込めから解放して下さる方ですので、今日は解放をいただきましょう。すべての領域の解放を、私たちに、もたらせて下さるのです。悪魔は、逆に、私たちを閉じ込めようとして働きます。特に日本には強く悪魔が働いています。そして、日本において悪魔が持っている一番大きな策略は「閉じ込め」だと思います。日本は島国です。島国ということだけで閉じ込められています。また、日本の歴史を見ると、国家的閉じ込めがありました。江戸時代、二百数十年にも渡って「鎖国」によって国が閉じ込められてしまいました。鎖国は大きな日本の傷になっていると思います。二百数十年に渡り国が閉じ込められたということは、世界史でもあまり例を見ません。その間、日本は海外との接触を断ち、新しい文化も入りませんでした。しかし、その目的は、「クリスチャン撲滅」でした。徳川幕府は真剣になって実行し、五人組制度、寺請制度が熟成され、古来から発展してきた神道とも神仏習合して、偶像礼拝にしっかりと日本人が捕らえられた事件が「鎖国」でした。その時代に日本は捕らえられたので、未だに国民はなかなか仏教や神道から出ることができません。また、神道には教理がありませんが、最終的には日本書紀や古事記が神道の考え方の基礎になっていると言われます。その中心的なストーリーは、「閉じ込もり」です。天照が岩戸に閉じこもって、神々が踊ってそこから引き出すという話です。「閉じ込める」ことが悪魔の働きです。悪魔から日本を支配する悪霊のボスに命令があり、その策略により人々は縛り付けられ、出ることができない状況にあります。今、悲しいことに日本においては数百万人が家から出ることができず、閉じ込めにあっています。前にも話しましたが、六月に沖永良部島に雅也兄と私の娘と行きました。新城で三年間共にいた、今栄先生が開拓伝道されています。沖永良部島はストレスのないところで、辺りはサトウキビだらけで夏の日差しに風が吹き、時間がゆったりと過ぎていきます。島は人の心は温かいです。食堂に入ると、ウェイターやウェートレスが色々と話しかけて来てにぎやかです。「どこから来たのとか、一緒に写真とろうとか・・・」うるさいと思うくらい話しかけてきます。私が空港で、ラップ・トップ・コンピューターを開いてメールチェックをしていると、「何だ、それは」という感じで、島の人たちが集まってきて、「これか、コンピューターは、電子メールというのは?」と互いに話が始まります。この辺りでは見かけない人付き合いがあります。こちらは知らない人に話しかけられたら驚きます。向こうは話しかけられても、普通に話ができます。道ですれ違っても開放的です。しかし、驚いたことに、島の至る所に、また教会の周りにも、家から出られない人が多くいるのです。閉じ込められているというのです。率で言えば、本土の倍程いるそうです。信じられません。彼らは、宗教心の厚い人たちです。しかし、真剣に宗教をやっているにも関わらず、閉じ込められているとしたら、その宗教もおかしいです。閉じ込める力が働いているということです。私もそこで4、5年閉じこもっている人のためにお祈りさせていただき、その方が癒されたということを話しましたが、その方は風呂に4、5年入っておらず、体臭が漂っていました。4、5年も風呂に入っていない人に出会うなど、あまり人生の中でありません。始め私は彼の姿を見ていませんでしたが、彼の存在を感じました。近づいたら倒れてしまいそうな感じでした。しかし、彼を見てかわいそうに思いました。4年も5年も閉じ込められて、出ることができない状況でした。どうしてあげれば良いのだろうか・・。しかし祈りによって癒され出てきたのです。
 私は先週、スーパーミッションでそのことを話そうと思い、もう一度電話をしてみました。彼はどうなったのかと思いました。また閉じこもっていたらいけないと思って電話をしてみました。すると、何と彼は、沖縄に出張中でした。沖縄に仕事捜しと免許の書き換えに行ったそうです。じっとしていることができない程に回復したのです。素晴らしいことです。しかし、その背後には、愛の深い今栄先生がいました。私が祈りに行った後、神様から語られたそうです。「これは霊の戦いだから、この人のために真剣に祈りなさい。」訪問に行く度に、家の周りを毎回七回まわって祈ったそうです。「神様、この人を解放してあげて下さい。」祈っているときに、「この人を風呂に入れろ」と語られたそうです。「風呂に入ろう」と言うと「絶対に入りません」と全く動かなかったそうです。しかし、今栄先生はタオルを持っていき、消臭剤をまき、吐き気を催しながら擦ってあげたそうです。いくら擦っても垢が落ちなかったそうです。しかし、何度か神様の言葉に従って擦ってあげたそうです。一ヶ月くらいして、彼は起きて自分から風呂に入るようになったそうです。今では沖縄まで行っているというのです。これは福音の力です。預言的なことです。神様は捕らわれている人々を解放します。精神的な病だけでなく、すべての領域において死の力に捕らわれている人々を解放します。家庭の中で問題で苦しんでいる人々を解放します。イエス様がこの地上に来て下さったのは、解放するためです。イエス様が「この日本解放してあげます」という預言的な奇跡であると信じます。今回のスーパーミッションでも、神様はこのことをして下さっています。神様は日本を解放するために、人々を呼び集めて「大阪で祈れ、皆で祈りなさい」、「伝道しなさい」と語られています。
 特にクリスマスは捕らわれ人を解放するためにイエス様が真剣に働いてくださる時です。今週からクリスマス集会がありますが、ぜひ、新しい方をお連れ下さい。イエス様を信じていなかったら、死の恐怖に捕らわれています。そこから解かれ、実際的な問題に捕らわれていても解放されます。これは福音の力です。
 先週、私は嬉しいことがありました。それは、十月に私の所にある牧師から電話がかかってきて、「順先生一人の人の為に祈って欲しいです。紹介しますのでお願いします」と言われました。その方はある、新興宗教に捕らわれて、家族が苦しんでいるから何とかして欲しいということでした。とても忙しい時に電話がかかってきたので、私はあまり詳しいことを聞かずに、「まず、新城に来るように言って下さい」と電話を切りました。あとから詳しく聞いてみると、一人の娘さんが日蓮系の新興宗教で、武力闘争するような恐ろしいグループに入ってしまったそうです。それからその人はおかしくなってしまったそうです。精神的にもおかしく見えるし、家には居着かず、家族は真っ暗になりました。何とか入院させようと彼女を連れていくと、医者が「これは病気ではない、これ以上、医学ではどうすることはできない。宗教関係に連れていってくれ。」と言ったそうです。また、組織の人々が毎日来て、隙があったら連れ出そうとしているのです。毎日、家の近くに車を止めて監視しているのです。警察に通報すると、「何か動きがあれば対処することができるけど、何もないので動けない」と言う答えでした。家族は近くの教会に助けを求めたそうですが、その教会も困ってある先生に助けを求めたのです。それが、又、私の所に回ってきたわけです。しかし、その方がすでに団体から離れているなら、何とかできると思いましたが、現役の人です。出家信者になる寸前の人です。話を良く聞いてみると、何しろ、その人をこっちで面倒を見て欲しいらしく、私はそれをよく聞かずに引き受けてしまったわけです。
 数日後、親族一同が彼女をうまく騙して外に連れ出し、ワゴン車に監禁して新城まで連れて来ました。教会に来ると、「ここは気味が悪い」と言って入ってきません。私は、「そんなことを言わないでお茶でも飲んで下さい」と言って迎えました。「ここはめまいがする」と言っていました。その方に話しかけても全く聞きません。食事を出しても断食していて食べません。そして、「電話貸して下さい」と何回も言うので、しかたなく貸して上げました。その時、非通知にするのを忘れて貸しました。すると彼女は組織の幹部に電話をしているのです。「今、私はどこどこにいて、監禁されています。この辺の風景は・・・、目標物は・・・」と言っているので、焦って強制的に切りました。すると、今度は組織から五秒に一回のペースで電話がかかってきて、大バトルになってしまいました。大変なことになってしまった。どうしようかと思いました。組織が一挙して押し寄せてくるのではないかと平安を失いました。親族も程々困りました。しかし、イエス様は捕らわれ人を解放して下さる方だから、祈らなくてはと思い、「神様助けて下さい」と祈りました。しかし、何か祈りが力無く、落ちるような気持ちでした。「主よ。助けて下さい。どうしたら良いですか。」すると、主は、まずは両親に話すようにと教えてくださいました。娘は全く話にならないので、逃げないように他の人に監視してもらい、両親に伝道しました。「お父さん、お母さん。あなたがたの宗教は何ですか」と聞くと、「仏教です」と言われました。「娘さんの宗教はカルト的かも知れませんが、元々あれは仏教です」と言いました。すると、「そうか。地下水脈はつながっているんだ・・・。」と言っていました。 「仏教も真剣にやれば娘さんと同じになるのですよ。先祖がこんな事をすると思いますか。」というと「そんなはずはない・・」と言われました。「これは人間以外の力が働いているということです。神様もおられますが、悪魔もいます。しかし、イエス様が神であり、お嬢さんを解放して下さる方です。だから、イエス様を信じてください」と言いました。すると、「はい。わかりました。イエス様を信じます。」と言うのです。そういうことになると人は、すぐにイエス様を信じます。そして、悪霊との裁ち切りの祈りをしました。解放の祈りをして外に出ると、爛々としていた娘さんの目が少ししぼみ、静かに座っていました。娘さんに「一緒に祈ろう」と言うと、「いやだ。絶対に祈らない。」と言うのです。でも、「あなたの人生が幸せになるために祈ってあげるから。」というと、「じゃあ、祈って下さい。」と言うのです。後について祈るように勧めて、「イエス様」と言うと、彼女は言えないのです。「幸せにして下さい」と言うとそれは言うことができるのです。しかし、イエス様というと、○○様と教祖の名前を言うのです。いくらやっても駄目です。「イエス様」というと、教祖の名前になってしまうのです。これは戦いだと思いました。そこで見ていた牧師の奥様が、「聖書に書かれていることは本当なのですね!」と言っていました。そこに親族の方がいるのに気づきました。この人に伝道しなくてはと思い、「おじさんたちも来てください。一緒に祈りましょう。」と言うと、「はい。イエス様を信じます。」と言うのです。そして、おじさんたちもイエス様を信じて偶像の神々と裁ち切りの祈りをしました。すると、彼女の目が更に力を失っていました。それで、ちょっと取引しました。「あなたが私と一緒に祈ったら、家に帰して上げる。でも、あなたが祈らなかったら、ご両親はあなたを新城に預けたいと言っていますから、私たちと一緒にいますか。」と言いました。すると、「いやだ。いやだ。こんな頭が痛くなるような所、めまいがするような所からは早く出ていきたい。」と言うのです。しかし、「イエス様。」と祈ると、また「教祖様」と祈るのです。言おうとしてもそうなってしまうのです。しかし、繰り返し祈る内に、段々教祖様とイエス様との中間になってきました。そして、かすかな声で「イエス様・・」と告白しました。同時に、私は最後に、「御名によって祈ります」と言わせるのが勝負だと思っていました。イエス様の「御名に力がある」ので、「御名によって祈ります」という言葉を隠し玉として持っていました。言わせたら勝利だと思ったので、「御名によって祈ります。アーメン。」と言わせました。一日かかりました。
 それで彼らは帰ることになりました。帰る前に私は、お父さんとお母さんに言いました。「これから、続けて教会に行かないと、地下水源が断たれないから駄目ですよ。娘さんをしばらく病院に預けて、ご両親が真剣に祈ったら絶対に変わるから」と言いました。しかし私は、その後のことをあまり考えたくありませんでした。
 しかし、先週、関係している牧師先生から手紙が来ました。何とそれから、ご両親が教会に通うようになり、娘さんは病院から出て、組織とあまり連絡を取らなくなり、家でじっとしているようになったというのです。
 イエス様は捕らわれ人を解放して下さる方です。イエス様が地上に来て下さった目的は、捕らわれ人を解放するためです。この中心的テーマをしっかり理解すれば信仰生活も変わると思います。また、悪魔の中心的策略タイトルは「封じ込め」です。私たちも封じ込められることがないように、解放されるように祈りたいと思います。
 クリスマス、イエス様の働きは、封じ込められている人々を解放するのです。多くの方が解放され、自由にされますように。新しい命に変えられるように祈りましょう。

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