今週の礼拝メッセージ
2001.1.7(SUN)
あなたの隣人を愛せよ
新城教会牧師 滝元明牧師

<今週のメッセージの御言葉>
新約聖書 ルカの福音書 10章25節〜37節

すると、ある律法の専門家が立ち上がり、イエスをためそうとして言った。「先生。何をしたら永遠のいのちを自分のものとして受けることができるでしょうか。」イエスは言われた。「律法には、何と書いてありますか。あなたはどう読んでいますか。」すると彼は答えて言った。「『心を尽くし、思いを尽くし、力を尽くし、知性を尽くして、あなたの神である主を愛せよ。』また『あなたの隣人をあなた自身のように愛せよ。』とあります。」イエスは言われた。「そのとおりです。それを実行しなさい。そうすれば、いのちを得ます。」しかし彼は、自分の正しさを示そうとしてイエスに言った。「では、私の隣人とは、だれのことですか。」イエスは答えて言われた。「ある人が、エルサレムからエリコへ下る道で、強盗に襲われた。強盗どもは、その人の着物をはぎとり、なぐりつけ、半殺しにして逃げて行った。たまたま、祭司がひとり、その道を下って来たが、彼を見ると、反対側を通り過ぎて行った。同じようにレビ人も、その場所に来て彼を見ると、反対側を通り過ぎて行った。ところが、あるサマリヤ人が、旅の途中、そこに来合わせ、彼を見てかわいそうに思い、近寄って傷にオリーブ油とぶどう酒を注いで、ほうたいをし、自分の家畜に乗せて宿屋に連れて行き、介抱してやった。次の日、彼はデナリ二つを取り出し、宿屋の主人に渡して言った。『介抱してあげてください。もっと費用がかかったら、私が帰りに払います。』この三人の中でだれが、強盗に襲われた者の隣人になったと思いますか。」彼は言った。「その人にあわれみをかけてやった人です。」するとイエスは言われた。「あなたも行って同じようにしなさい。」

 ハレルヤ!今日は九州リバイバル聖会が始まりますので、礼拝後すぐに出かけてますので、早速、「あなたの隣人を愛せよ」というテーマで御言葉を学びます。
 ある律法学者がイエス様を試そうとして質問しました。

『「先生。何をしたら永遠のいのちを自分のものとして受けることができるでしょうか。」イエスは言われた。「律法には、何と書いてありますか。あなたはどう読んでいますか。」すると彼は答えて言った。「『心を尽くし、思いを尽くし、力を尽くし、知性を尽くして、あなたの神である主を愛せよ。』また『あなたの隣人をあなた自身のように愛せよ。』とあります。」イエスは言われた。「そのとおりです。それを実行しなさい。そうすれば、いのちを得ます。」しかし彼は、自分の正しさを示そうとしてイエスに言った。「では、私の隣人とは、だれのことですか。」イエスは答えて言われた。「ある人が、エルサレムからエリコへ下る道で、強盗に襲われた。強盗どもは、その人の着物をはぎとり、なぐりつけ、半殺しにして逃げて行った。たまたま、祭司がひとり、その道を下って来たが、彼を見ると、反対側を通り過ぎて行った。』

と書かれています。祭司とは今の牧師のようなものです。

『同じようにレビ人も、その場所に来て彼を見ると、反対側を通り過ぎて行った。』

レビ人とは教会のスタッフのような人です。そして、最後にサマリヤ人が来ました。
 当時はサマリヤ人はユダヤ人と仲が悪く、挨拶もしないような敵対関係の中にある人でした。しかし彼は国や人種を見ず、近づいて彼を介抱してあげました。

『ところが、あるサマリヤ人が、旅の途中、そこに来合わせ、彼を見てかわいそうに思い、近寄って傷にオリーブ油とぶどう酒を注いで、ほうたいをし、自分の家畜に乗せて宿屋に連れて行き、介抱してやった。次の日、彼はデナリ二つを取り出し、宿屋の主人に渡して言った。『介抱してあげてください。もっと費用がかかったら、私が帰りに払います。』この三人の中でだれが、強盗に襲われた者の隣人になったと思いますか。」彼は言った。「その人にあわれみをかけてやった人です。」するとイエスは言われた。「あなたも行って同じようにしなさい。」』

と書かれています。私たちは毎週御言葉を学びますが、学んだことを自分のものとして実行することが大切です。
 私が新城に来てダンスホールを借り、伝道を始めました。ある時、臼子の河合さんがイエス様を信じたので家庭集会に行きました。当時は自転車で行っていました。夜、帰ってくると、教会のすぐ側で酔っぱらいが道で寝ていました。正直、私は酔っぱらいが嫌いです。絡まれたりするので、倒れていることはわかっていましたが、見て見ぬ振りをして通り過ぎようとしました。しかし、私は牧師なので良心的に責められ、五十メートルほど行ったところから振り返って暗闇の中で助けようか助けまいかと考えていました。するとそこに一台のオートバイが来て、「おじさん、こんな所で寝てては駄目だよ。風邪引くよ。オレが連れて行ってあげるからここにつかまれ。」と言って、彼が連れて行くのを見ました。私はその姿を見て、心が責められました。教会に帰り、悔い改めて祈りました。「イエス様。私は祭司です。」教会では「皆さん隣人を愛しましょう。」と言っていますが、実際には実行できていないのを思い、非常に恥ずかしくなり、悔い改めて祈りました。「赦して下さい。口先だけの者ですから、愛することができるようにして下さい。もし今度何かがあったら実際に何かができる力を与えて下さい。」と祈りました。
 丁度その年の夏、北海道のスウェーデン宣教師から聖会で説教を頼まれました。今は飛行機ですが、当時は列車で東京に出て、北海道まで行きました。二十四時間くらいかかりました。長男(当時小学五年生)と東栄の中村先生と共に行きました。旅はとても楽しく、上野から列車が止まる毎に「弁当、弁当」、・・・「アイスクリーム」と販売に来ます。長男は止まる毎に「弁当」、「アイスクリーム・・・」と買っていました。そして仙台で止まった時に、息子が「弁当下さい。」と言うと、一人の酔っぱらいが係員二人に支えられて列車に乗せられました。私はそれを見て、酔っぱらいが乗ってくると思い、すぐに「イエス様。こちらに来ないようにお願いします。」と自己中心的な祈りをしました。すると、隣の入口から乗ったので良かったと思いました。しかし、揺れる列車の中で彼はさらに酔いが周り、そのうちに暴れ出しました。そして「こっちに来ないように。」と祈っていると、向きを変えて私のいる列車の方に入り、手洗い付近の壁を叩きました。皆、恐がっていました。すると、私の斜め横の席に座ってしまいました。「臭いなあ。嫌な人が来た」と思いました。彼は疲れていたので、すぐに寝てしまいました。しばらくすると奇妙な音がして、彼は嘔吐し始めました。彼はたくさん汚物を出し、鼻水を垂らしていました。「汚い」と思いながら、私は、「今度何かあったら助けることができますように。」と祈ったことを思い出しました。「イエス様。愛が足りないことを赦して下さい。」と祈りました。そして隣にいたおばさんに、「おばさん。ちり紙持っている。」と聞くと、持っていたので彼の鼻を拭いてあげました。生まれて初めての経験でしたが、その途端、気持ちが悪いという思いがなくなり、心に喜びが来ました。きれいに片付けてあげました。その時に大きな喜びがきました。そして、聖書がわかりました。『あなたも行って同じようにしなさい』と聖書を実行してみることによってわかりました。彼が降りる時、私は荷物を持って彼を連れて行きました。「気をつけて帰りなさい。私は牧師だよ。これを読んで下さい。」と言ってトラクトを渡しました。彼は涙をためて「ありがとうございました。」と言って帰りました。聖書は見ただけ、読むだけではなく、実行してみることが大切です。『あなたも行って同じようにしなさい』と書かれていますので、今年はぜひ、あなたの隣人を愛してみて下さい。
 一月一日から二日は、ここで二十四時間PPHがありました。その時、ふっと考えました。『あなたの隣人を愛しなさい。』・・・私にとって、一番の隣人は誰かと考えました。それは、自分の奥さん、子ども、兄弟です。そして、今、私の兄が入院していることを考えました。彼は正月に家にも帰れず病院にいます。私は正月に雑煮を食べましたが、兄はたべていない。さみしいだろうと思いました。それですぐに家内に、「雑煮を作ってくれ。」と言いました。「雑煮?材料がない。ネギがない。」と言うのです。私の家では雑煮にネギを入れます。これから買いに行くかと思いましたが、菅谷姉がネギを作っているのを思い出し、聞いてみました。すると、「いくらでもどうぞ」と言われるので、ネギを入れた雑煮を作って病院に持っていきました。そうすると兄は喜んで食べました。一緒に行った麻輝君が、「あんな嬉しそうなおじさんの顔を見たことがない」と言いました。聖書の中に『行いのない信仰は死んだもの』と書かれていますので、今年は隣人に何かをする事です。何かすることはその人に対して心を開くことです。
 聖書を見ると、「間もなくイエス様が帰って来られる」と書かれています。マタイの福音書二十五章三十一節から四十六節に、

『人の子が、その栄光を帯びて、すべての御使いたちを伴って来るとき、人の子はその栄光の位に着きます。そして、すべての国々の民が、その御前に集められます。彼は、羊飼いが羊と山羊とを分けるように、彼らをより分け、羊を自分の右に、山羊を左に置きます。』

と書かれています。今世紀にイエス様は再臨されるかもしれません。世界をイエス様が治められます。

『さあ、わたしの父に祝福された人たち。世の初めから、あなたがたのために備えられた御国を継ぎなさい。あなたがたは、わたしが空腹であったとき、わたしに食べる物を与え、わたしが渇いていたとき、わたしに飲ませ、わたしが旅人であったとき、わたしに宿を貸し、わたしが裸のとき、わたしに着る物を与え、わたしが病気をしたとき、わたしを見舞い、わたしが牢にいたとき、わたしをたずねてくれたからです。』すると、その正しい人たちは、答えて言います。『主よ。いつ、私たちは、あなたが空腹なのを見て、食べる物を差し上げ、渇いておられるのを見て、飲ませてあげましたか。いつ、あなたが旅をしておられるときに、泊まらせてあげ、裸なのを見て、着る物を差し上げましたか。また、いつ、私たちは、あなたのご病気やあなたが牢におられるのを見て、おたずねしましたか。』すると、王は彼らに答えて言います。『まことに、あなたがたに告げます。あなたがたが、これらのわたしの兄弟たち、しかも最も小さい者たちのひとりにしたのは、わたしにしたのです。』

と書かれています。隣人を愛するとは、貧しい人に食べ物を与え、乾いたときに水を飲ませ、牢にいた時に見舞う、色々と苦しんでいる人を助けてあげることは「わたしにした事」と言われるのです。
 病院に行くと、看護婦さんお仕事は大変だと思います。看護婦さんの中で一番有名になった人はナイチンゲールです。彼女は若いときに教えてもらった先生から、ルカの福音書十章の『あなたの隣人を愛しなさい』という言葉を聞き、神に献身しました。そして、『心を尽くし、思いを尽くし、精神を尽くし、力を尽くして、神を愛する』と同時に、『あなたの隣人を愛せよ』という御言葉によって隣人を愛しました。アブラハムリンカーンも隣人として黒人を愛しました。ですから今年私たちの歩みがただ自分だけのことではなく、隣人のために働けるよう祈ることです。今年、私たちに委ねられた隣人がいます。隣人と聞き、全世界の人というくらい愛せたら素晴らしいことです。しかし、その人自身に委ねられた人がいます。私は日本人ですので、日本人を愛します。新城を愛します。兄弟、親族を愛しますと重荷を持つべきです。
 旧約聖書から、アブラハムの人生を見る時、彼は隣人を愛していました。ある時、天の使いが彼の所にやってきてもてなしたことについて書かれています。その後で神様が、「これからわたしがしようとしていることを彼に隠しておいても良いだろうか。」とアブラハムは神から信用されました。神様がアブラハムを「自分の友」と呼んでいました。「わたしのしようとすることを隠すことができない」と言いました。「今ソドムの町はあまりにも罪が重く、彼らの叫びがわたしに届いている。彼らが実際に何をやっているのかを見に行こう。」
 神様は全能な方であり、すべてをお見通しですが、天使に任せている領域があると思います。天使が、「神様、ソドムの町は汚いです。あまりにもひどすぎます。」と訴えたと思います。この時、アブラハムが創世記十八章二十二節で、

『その人たちはそこからソドムのほうへと進んで行った。アブラハムはまだ、主の前に立っていた。アブラハムは近づいて申し上げた。「あなたはほんとうに、正しい者を、悪い者といっしょに滅ぼし尽くされるのですか。』

と言いました。神に対する訴えです。この訴えの中には、ソドムの町にアブラハムの甥のロトがいました。ロトはアブラハムと一緒にウルの地を出て行動を共にしましたが、途中で喧嘩をしました。その時アブラハムはロトに向かって、「親戚同志が喧嘩してはいけない。あなたがあちらに行ったら私はこちらに。あなたがこちらに行ったら私はあちらに。どちらか良い方の道を選びなさい」と言いました。ロトはお世話になっていたにも関わらず、ソドムとゴモラの地がとても裕福に見え、エデンの園のような所だったので、そちらを選びました。普通ならば、これだけお世話になったので、「おじさん、先に選んで下さい。私はどこでも良いです」と譲るでしょう。しかし、彼はそうではありませんでした。その後、ロトが行ったソドムとゴモラの地が罪だらけになった時、そんな甥であっても、アブラハムはロトのことを考えて神様に訴えました。

『正しい者を悪い者といっしょに殺し、そのため、正しい者と悪い者とが同じようになるというようなことを、あなたがなさるはずがありません。とてもありえないことです。全世界をさばくお方は、公義を行なうべきではありませんか。」主は答えられた。「もしソドムで、わたしが五十人の正しい者を町の中に見つけたら、その人たちのために、その町全部を赦そう。」アブラハムは答えて言った。「私はちりや灰にすぎませんが、あえて主に申し上げるのをお許しください。もしや五十人の正しい者に五人不足しているかもしれません。その五人のために、あなたは町の全部を滅ぼされるでしょうか。」主は仰せられた。「滅ぼすまい。もしそこにわたしが四十五人を見つけたら。」そこで、再び尋ねて申し上げた。「もしやそこに四十人見つかるかもしれません。」すると仰せられた。「滅ぼすまい。その四十人のために。」また彼は言った。「主よ。どうかお怒りにならないで、私に言わせてください。もしやそこに三十人見つかるかもしれません。」主は仰せられた。「滅ぼすまい。もしそこにわたしが三十人を見つけたら。」彼は言った。「私があえて、主に申し上げるのをお許しください。もしやそこに二十人見つかるかもしれません。」すると仰せられた。「滅ぼすまい。その二十人のために。」彼はまた言った。「主よ。どうかお怒りにならないで、今一度だけ私に言わせてください。もしやそこに十人見つかるかもしれません。」すると主は仰せられた。「滅ぼすまい。その十人のために。」』

 結局はソドムとゴモラは天からの火で焼き滅ぼされました。日本について考えるとき、悪いことばかりです。毎日殺人事件があります。性道徳が乱れ、罪が多くありますが、さばくことは神様のことであり、私たちは隣人を愛することです。今年あなたが福音を伝えなくては滅びてしまう人がいます。あなたが愛さなくては滅びてしまう隣人がいます。だから愛をいただき、難しいことではないのでやってみましょう。そうしたら隣人が救われます。今日はあなたの隣人はだれか考えて下さい。病んでる人、貧しい人、乾いている人、宿のない人か、あなたの示された人のために心を開いて実行してみたら祝福されます。今年は口先だけではなく、愛を現すことができるようお祈りしていきましょう。

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