今週の礼拝メッセージ
2001.5.6(SUN)
直訴の祈り
新城教会牧師 滝元順牧師

<今週のメッセージの御言葉>
新約聖書 ヘブル人への手紙4章14節〜16節
さて、私たちのためには、もろもろの天を通られた偉大な大祭司である神の子イエスがおられるのですから、私たちの信仰の告白を堅く保とうではありませんか。私たちの大祭司は、私たちの弱さに同情できない方ではありません。罪は犯されませんでしたが、すべての点で、私たちと同じように、試みに会われたのです。ですから、私たちは、あわれみを受け、また恵みをいただいて、おりにかなった助けを受けるために、大胆に恵みの御座に近づこうではありませんか。

 ハレルヤ!主の御名を賛美します。お互いを歓迎し、挨拶しましょう。教会は神の家族です。イエス・キリストをかしらに、共に集まることができることを感謝しましょう。お互い、各器官によって支えられていることも感謝です。今日は「直訴の祈り」というタイトルで学びます。

『さて、私たちのためには、もろもろの天を通られた偉大な大祭司である神の子イエスがおられるのですから、私たちの信仰の告白を堅く保とうではありませんか。私たちの大祭司は、私たちの弱さに同情できない方ではありません。罪は犯されませんでしたが、すべての点で、私たちと同じように、試みに会われたのです。ですから、私たちは、あわれみを受け、また恵みをいただいて、おりにかなった助けを受けるために、大胆に恵みの御座に近づこうではありませんか。』

 ここには、おりにかなった助けを受けるために、大胆に恵みの御座に近づくことができると書かれています。「おりにかなった」ということは、「その場に適した」、「その時に必要な」という意味です。私たちは助けを受けるために、大胆に御座に進むことができるのです。
 さて、「直訴」の意味について広辞苑で調べてみると、「直訴とは英語では(direct Appeal)」と言いますが、「一定の手続きを経ずに、直接お上に訴えること。特に、徳川時代に、将軍又は領主に越訴(おつそ)すること」。と書かれていました。直訴とは、直接的に将軍にお願いすることです。
 江戸時代前期に、佐倉宗吾郎という男がいました。彼は今の千葉県に住んでいました。そこは印旛藩と言いました。時は四代将軍、家綱の時代、その地方に大きな飢饉があり米がとれなくなり人々は苦しみました。しかし、印旛藩は農民たちに年貢を要求しました。彼らは年貢を払うことができませんでした。それで、「これは将軍様に直訴するしかない」ということになりました。それで、何人かで将軍家綱に直訴することになりました。当時、直訴は禁制で、殺されることを覚悟しなければなりませんでした。何人かで直訴しようとしましたが、皆、怖くなり佐倉宗吾郎だけが残りました。そのため彼は、自分の妻子を帰し、家綱が墓参りに来るという情報を得、お籠に乗った将軍の前に飛び出して「お願いがございます。」と直訴したのです。当然、彼は捕らえられ、訴状も取り上げられ、牢屋に入れられました。
 しかし、その訴状を家綱が読みました。そして、家綱は、印旛藩を調査するように命令を出したのです。調査してみると大変なことがわかりました。それで、宗五郎の直訴により、三年間年貢を納めることが免除されたという歴史があります。
 しかし、宗五郎は直訴した罪で、張り付けにされて殺されました。この話は歌舞伎にもなっているようです。
 直訴は命がけのものです。今日の主題である、「直訴の祈り」というのは、「命がけの祈り」と思うかも知れません。聖書の中にも、直訴について記されています。
 イスラエルがエジプトから脱出した時、モーセはパロの所に行って直訴しました。「イスラエルを去らせよ。この国から去らせよ!」と言って直訴しました。そのことによって、彼らは国から出ることができました。モーセにとっては直訴は命がけでした。出エジプト記六章十節に、

『主はモーセに告げて仰せられた。「エジプトの王パロのところへ行って、彼がイスラエル人をその国から去らせるように告げよ。」』

と神から告げられたから彼は、パロの前に行き直訴したのです。
 イスラエルはその後、バビロン捕囚にもあいました。そこで彼らは、皆殺し寸前まで追いやられました。しかし、その時用いられたのが、王妃エステルでした。
 イスラエルは、七十年間もバビロンにいたので、彼らはその国でポジションを得ていました。そして、時代はバビロンから、メド・ペルシャの時代になりました。エステルはユダヤ人でしたが、王のお后として王宮に入っていました。また叔父のモルデカイは、王宮の門番でした。そこにハマンという男がいつも通りかかり、彼とモルデカイとの関係は最悪で、ハマンはモルデカイがユダヤ人であることを知り、ユダヤ人を全て殺すという計画を立てたのです。ついに、アダルの月の十三日に、ユダヤ人を皆殺しにすることになりました。それを知って、モルデカイは心を痛めました。「何とか、この計画を阻止する知恵はないだろうか・・・。そうだ。私の養女エステルが王宮にいるではないか。彼女を王のところに送って直訴させ、この計画を中止させよう」と考え、彼はエステルに、王の所にいき、直訴するよう頼みました。しかし彼女は言いました。「誰でも召されないで王の内庭に入ったならば、死刑にされてしまう。」
 しかし、入ったときに、王の機嫌が良くて、金の尺を延べてくれたら助かる、というものでした。モルデガイは、「あなたは命をかけて直訴しなさい。私たちは祈るから。」
 三日間エステルもユダヤ人も祈りました。民族の存亡に関わる戦いでした。「神様、助けて下さい。エステルが王宮には入ったときに、主が助けを与えて下さいますように。」三日後、エステルは王様の前に直訴するために入っていきました。五章一節から記されています。

『さて、三日目にエステルは王妃の衣装を着て、王室の正面にある王宮の内庭に立った。王は王室の入口の正面にある王宮の玉座にすわっていた。王が、庭に立っている王妃エステルを見たとき、彼女は王の好意を受けたので、王は手に持っていた金の笏をエステルに差し伸ばした。そこで、エステルは近寄って、その笏の先にさわった。王は彼女に言った。「どうしたのだ。王妃エステル。何がほしいのか。王国の半分でも、あなたにやれるのだが。」』

 なんと、エステルは王に受け入れられたのです。私はこの時に、「国を半分下さい」と言ったらどうなったか、といつも考えます。何れにしても、エステルは王の好意を受け、ハマンの計画が砕かれました。そして、ユダヤ人たちは助かりました。もしも、エステルが王様に直訴しなかったら、ユダヤ人たちは皆殺しにされてしまったかも知れません。そうしたら、イエス様誕生計画にも支障をきたしたかも知れないのです。このエステルの直訴は、私たちにも関係することでした。しかし、ここでも、直訴が大変なものであることがわかります。
 またイエス様の時代にも、カナンの女がイエス様に、「娘を悪霊から解放してくださるように」と直訴したことが記されています。
 イエス様がツロとシドンの地方に行ったときのことです。マタイの福音書十五章二十二節に、

『すると、その地方のカナン人の女が出て来て、叫び声をあげて言った。「主よ。ダビデの子よ。私をあわれんでください。娘が、ひどく悪霊に取りつかれているのです。」』

 カナンの女の娘が悪霊につかれていました。だからイエス様のところに来て、女が嘆願しました。「イエス様助けて下さい。私の娘が悪霊に取りつかれています。何とかして下さい。」しかし、その直訴に対してイエス様の答えは冷たいものでした。

『しかし、イエスは答えて、「わたしは、イスラエルの家の滅びた羊以外のところには遣わされていません。」と言われた。』

 イエス様はこの地上に、一つの目的を持って来られました。それは、旧約聖書の預言にあったように、選民(ユダヤ人)のためにメシヤであるイエス様は来られたのです。カナン人の女は異邦人だったので、救いから除外されていました。ユダヤ人がイエス様のところに「助けて下さい」と来たら、すぐに癒してくれたと思いますが、カナン人は異邦人だったので助けてもらえませんでした。
 私たちも、ユダヤ人ではないので異邦人です。もしも現在、イエス様がこの地上におられても、私たちはユダヤ人ではないので、イエス様に直訴しても、「わたしはイスラエルの滅びた羊以外のところには遣わされていない」と無視されてしまいます。しかし、そんな中でも、この女はイエス様に食らいつき、叫び求めました。
 「イエス様。そんなことを言わないで助けて下さい。」その時にイエス様はこの女の信仰に感動し、悪霊を追い出されたと書かれています。ここでも、直訴は大変でした。
 またルカ十八章一節からを見ると、一人のやもめが裁判官に、相手を裁いてくれるように直訴したことが書かれています。これはイエス様によるたとえ話です。

『いつでも祈るべきであり、失望してはならないことを教えるために、イエスは彼らにたとえを話された。「ある町に、神を恐れず、人を人とも思わない裁判官がいた。その町に、ひとりのやもめがいたが、彼のところにやって来ては、『私の相手をさばいて、私を守ってください。』と言っていた。』

 当時、やもめには立場はなく、社会的弱者でした。彼女が、裁判官の所に訴えてもなかなか聞いてもらえませんでした。しかし、毎日来て、「わたしと相手を裁いて助けて下さい。」と何度も願いました。この裁判官は良い裁判官ではなかったので、「うるさい。こんな奴の訴えは聞きたくない。・・・でも、あまりにもうるさいから、裁判をしてやるわ」ということになりました。
 これは、イエス様がいつでも祈るべきという教えの中で、

『まして神は、夜昼神を呼び求めている選民のためにさばきをつけないで、いつまでもそのことを放っておかれることがあるでしょうか。』

と語られたのです。夜昼叫び求めるとき、神は祈りに答えて下さるのです。こうしてみると、祈りが聞かれる為には、なかなか大変だということがわかると思います。私がここでメッセージを終えたら、皆さんは不安になるかも知れません。
 さて、常に祈ることをイエス様は教えられましたが、当時ユダヤ教ではイエス様とは全く正反対の教えをしていました。当時のユダヤ教の教えは、「日に三回以上祈ってはいけない」でした。なぜなら、「日に三回以上祈ると神はいやがる」と言うことでした。しかし、イエス様は、「絶えず祈りなさい」と言われました。これは画期的なことでした。絶えざる祈りによって、神は祈りに答えて下さると教えられました。
 ある意味で、イエス様の十字架の以前は、祈りを神様のもとに直接届けるのは難しいことでした。まして、直訴の祈りなどはできませんでした。イエス様の十字架の前は、個人レベルで祈ることは難しかったのです。日に三回、定められた場所に行き、祈るしかありませんでした。特に重要な罪の赦しは、大祭司を通して、年間一度だけ獣の血を携えて至聖所に入らなくては赦されませんでした。祈りが神の元に届くためには、命がけでした。
 しかし、イエス様の十字架を境目に、祈りは大変なものではなく、誰でも自由に御座に入る道が用意されました。
 イエス様が十字架にかかられ息を引き取らた時に、不思議な事が起きました。その一つが、マタイの二十七章五十一節に書かれています。

『すると、見よ。神殿の幕が上から下まで真二つに裂けた。そして、地が揺れ動き、岩が裂けた。』

 何と、神殿の幕が、上から下まで真二つに裂けました。この幕は、聖所と至聖所を隔てているものでした。至聖所には、年間一度だけ、大祭司が国を代表してはいることができ、一般の人は入ることはできませんでした。しかし、イエス様が十字架にかかったときに、幕が裂け、自由に中に入ることができるようになりました。今までは隔たられていた、聖所と至聖所の隔てが開らかれたのです。そして、だれでも、おりにかなった助けを受けるために、自由に父なる神様に直訴できるようになりました。
 日本の神々は隔たりのある神です。偶像の神です。何年か前にイギリスのエリザベス女王と、エジンバラ公が日本を訪れました。女王らは、国賓として日本に来ましたが、日曜日には、京都御所の宿舎に十字架を立てて、礼拝したそうです。そんなスケジュールの中で、彼女たちは伊勢神宮に連れて行かれたそうです。その時、宮司が伊勢神宮を案内しました。そして内宮に連れて行き、エリザベス女王とエジンバラ公に、「ここから先は神聖の場所です。皇室の人間以外は誰も入ることはできません」と説明しました。すると、それを聞いたエジンバラ公が、「そうですか。でも、大工さんは入ったでしょう。」と皮肉たっぷりに聞いたそうです。すると宮司は黙ってしまったそうです。彼女たちは神社に頭を下げませんでした。
 日本の神々を拝んで祈りを聞いてもらおうとしても、皇室以外だめならば、困ってしまいます。しかし、私たちが信じている神様は、偉い人だけの神ではないのです。身分にかかわらず、自由に神の前に出入りできるのです。イエス様の十字架の勝利によって、私たちはおりにかなった助けを受けるために、父なる神様の御座に入ることができるようになりました。
 ヘブル人への手紙十章十九節から二十二節に、

『こういうわけですから、兄弟たち。私たちは、イエスの血によって、大胆にまことの聖所にはいることができるのです。イエスはご自分の肉体という垂れ幕を通して、私たちのためにこの新しい生ける道を設けてくださったのです。また、私たちには、神の家をつかさどる、この偉大な祭司があります。そのようなわけで、私たちは、心に血の注ぎを受けて邪悪な良心をきよめられ、からだをきよい水で洗われたのですから、全き信仰をもって、真心から神に近づこうではありませんか。』

と書かれています。旧約聖書の時代も、イエス様の時代も、神様に直訴するのは難しいことでした。しかしイエス様が十字架にかかって下さったことにより、私たちは国を代表する大祭司しか入ることができなかった至聖所にまで、大胆に入ることができる道が用意されました。ヘブル人への手紙四章十四節から十五節に、

『さて、私たちのためには、もろもろの天を通られた偉大な大祭司である神の子イエスがおられるのですから、私たちの信仰の告白を堅く保とうではありませんか。私たちの大祭司は、私たちの弱さに同情できない方ではありません。罪は犯されませんでしたが、すべての点で、私たちと同じように、試みに会われたのです。』

イエス様は神でしたが人となり、地上で私たちの受ける苦しみを全部受けて下さいました。ですから、私たちに同情できない方ではありません。
 神様から人間を見ると、あたかも蟻のような存在かも知れません。人間が蟻を踏んでも何とも思いません。何の傷みも悲しみも感じません。しかし蟻の世界では大変です。私たちが蟻のアリのままの世界を見たら、それは大変なニュースです。しかし人間は何とも思わないのです。
 しかし、神様は私たちに対して、そのようには感じておられません。罪以外は経験され、痛みも悲しみもすべて知っておられ、折りにかなった助けを人に与えてくださるのです。 ヨハネの福音書十四章六節に、

『イエスは彼に言われた。「わたしが道であり、真理であり、いのちなのです。わたしを通してでなければ、だれひとり父のみもとに来ることはありません。』

そして、私たちは聖霊によって、父なる神様を「アバ、父」と祈れるようになりました。ローマ人への手紙八章十五節に、

『あなたがたは、人を再び恐怖に陥れるような、奴隷の霊を受けたのではなく、子としてくださる御霊を受けたのです。私たちは御霊によって、「アバ、父。」と呼びます。』

と書かれています。「アバ」という言葉は、先週もお話ししたように、子どもがお父さんを呼ぶ言葉です。「お父ちゃん」と呼ぶことができるのです。命がけであった直訴が、今は、「天のお父ちゃん」と気軽に呼ぶことができるのです。そのように呼べるのは聖霊様の働きです。ここに三位一体の神を見ることができます。イエス様によって聖霊様が来られ、聖霊によって私たちは、父なる神を「お父ちゃん」と呼ぶことができるのです。
 ガラテヤ人への手紙四章六節には、

『そして、あなたがたは子であるゆえに、神は「アバ、父。」と呼ぶ、御子の御霊を、私たちの心に遣わしてくださいました。』

と書かれています。あなたがたは「子ども」だから、父親の所に入ることができる。そして、「アバ父よ」と呼べば良いのです。子どもは親の所に入っていく権利があります。
 昨夜、「お父さん、お父さん。早く来て。一刻も早く来て」と娘が叫ぶので、私は二階の娘の部屋に行きました。すると、娘のベッドの上に、大きなムカデがいました。私のことをアバ父よ!と呼ばれても、一瞬ひるみました。しかし、この時に戦わなければ私の株が下がります。私はすぐさま、スリッパを持ってムカデと格闘しました。その時には家内も娘も、私の後ろに隠れていました。スリッパはうまくムカデにヒットし、ムカデは死にました。
 「お父さん、すごい!」それで私は株を上げました。それを退治できなかったら、昨夜は寝れなかったかも知れません。父親は、娘が「助けてくれ!」と緊急事態を告げるときには、すぐに飛んで行くのです。
 私たちは祈りという武器を持っています。一日三回ではなく、常に父なる神に頼るのです。おかしな裁判官は、「うるさい程にやって来るから」と言いましたが、私たちのアバ父なる神様は、そうではなく、私たちが入っていく時にいつも喜んで下さいます。
 時々私たちは、「イエス様」「聖霊様」と親しみを込めて祈ります。これは間違いではありませんが、イエス様や、聖霊様への祈りは、ある意味で、父なる神に「とりなしを頼む祈り」です。イエス様は父なる神様に、とりなしの祈りをされます。聖霊様もとりなす方です。私たちは、アバ父なる神様に「直訴」して祈ることができるのです。そのための道をイエス様は十字架で用意されました。また、聖霊様は、「アバ父よ」と簡単に呼ぶことができるように私たちを助けます。その結果、私たちは至聖所に入って、「アバ父よ!」と助けを求めて祈ることができるのです。
 先週、「わたしを呼びなさい。わたしはあなたに答える」という御言葉から語りましたが、皆さんは祈りましたか。今週はもう一度、「直訴の祈り」をしてみて下さい。私たちは、はばからず、神の前に出て、「アバ父よ。助けて下さい」と叫び求めることができます。問題があっても、アバ父よと叫び求めることができる素晴らしい特権があります。今日は「アバ父よ!」と祈りましょう。心配しないで下さい。
 しかし、週報に記されているような祈りの課題もあります。特に、石塚勇喜君のために祈って下さい。先週、彼が、風邪を引いてレントゲンを撮ると、背中に腫瘍が見つかりました。今、豊橋の市民病院に入院しています。十五日に手術の予定ですから、祈って下さい。「アバ父よ!」と祈りましょう。神様は助けて下さいます。
 また、先週もう一つ、大変なことがありました。以前、私が祈ってあげた人で、まだクリスチャンではない人ですが、その方が危篤という知らせが入りました。その方は白血病でしたが、ドナーが見つかり昨年、手術を受けました。近頃良くなり、仕事も始めました。しかし、仕事を始めてまもなく、風邪を引き、抵抗力がないので肺炎になってどんどん悪くなってしまったのです。入院しましたが、医者が家族全員を呼び出し、「もう駄目かも知れません。三日と持たないかも知れない」と言われたそうです。
 私はその方が入院する前に癒しを祈ってあげました。危篤という知らせを聞いて、「ああ、大胆に癒されるようになどと、祈らなかった方が良かったかも知れない」と不信仰を持ってしまいました。私の所にいつ亡くなった、という知らせが来るかとドキドキしていました。
 すると先週月曜日に、二人の娘さんが突然教会に来られました。お姉さんはよく教会に来ていますが、妹を連れて来ました。それもPPHの最後の時間に入って来ました。これは、亡くなったか、危篤の知らせの為に来たのだろうと思いました。PPHの最後は、すばらしく聖霊様が働いて下さいました。その時二人が前に出てきました。お父さんが危ないから二人で祈りに来たのです。私も、「アバ父よ!助けて下さい。お父さんを助けてあげて下さい。」と真剣に祈りました。その後も皆で祈りました。「アバ父よ。お願いします。」と直訴して祈りました。すると、肺が悪くなって、酸素吸入をして、今にも死にそうなお父さんが、急に、「プリンとイチゴを食べた」と言うのです。しかしその時はまだ、肺がくもっていました。
 しかし、翌日、私のところにまたメールが来ました。「お父さんの肺がきれいになりました。峠を越えました。良くなりました。」
 私たちが、「アバ父よ」と直訴して祈るときに、父は聞いて下さると確信しました。だから、どのようなことがあっても、子どもとして、父なる神様の前に行き、「アバ父よ。お願いします。助けて下さい。」と直訴して祈るべきだ、と主が教えて下さいました。おりにかなった助けを受けることができます。共に祈りましょう。バックナンバー

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