今週の礼拝メッセージ
2001.6.17(SUN)
救いとは何でしょうか
新城教会牧師 滝元 順牧師

旧約聖書 イザヤ書61章1節〜3節
神である主の霊が、わたしの上にある。主はわたしに油をそそぎ、貧しい者に良い知らせを伝え、心の傷ついた者をいやすために、わたしを遣わされた。捕らわれ人には解放を、囚人には釈放を告げ、主の恵みの年と、われわれの神の復讐の日を告げ、すべての悲しむ者を慰め、シオンの悲しむ者たちに、灰の代わりに頭の飾りを、悲しいの代わりに喜びの油を、憂いの心の代わりに賛美の外套を着けさせるためである。彼らは、義の樫の木、栄光を現わす主の植木と呼ばれよう。

 ハレルヤ!今日皆さんと共に礼拝できることを感謝します。私も皆様のお祈りに支えられていつも神様のために働けることを感謝します。先週は霊的戦いセミナーが当教会であり、前回共に学んだ三十数名の先生方が集われました。日本のリバイバルのために大切な学びでした。今週も新たなる五十名ほどの牧師先生方が来られて霊的戦いの学びが持たれますので、ぜひ祈って下さい。
 今日は「救いとは何でしょうか」というタイトルで学びます。初めて教会に来られた方もおられると思います。「キリスト教の救いは何か」と考えておられる方もおられると思います。また、クリスチャンが救いが何であるかについてよく知り、福音を宣べ伝える為に共に聖書から学びましよう。
 イザヤ書六十一章の御言葉は、ルカの福音書四章によると、イエス様がご自分が育ったナザレで開かれた言葉であり、救いの本質として宣言された言葉です。
 イザヤ書は六十六章もあるぶ厚い書物です。昔、聖書はページものではなく巻物でした。イエス様はその巻物を受け取られ、昔は章も節もなかったのですが、この箇所を選び出されたのです。ということは、聖書の中でもこのみ言葉はとりわけ、大切な箇所だと思います。まず第一に、

『神である主の霊が、わたしの上にある。主はわたしに油をそそぎ、貧しい者に良い知らせを伝え、心の傷ついた者をいやすために、わたしを遣わされた。』

と記されています。「わたし」というのはイエス・キリストのことです。イエス様は神のみ子でしたが、この地上に人の姿をとって来て下さいました。そして、地上に来られた目的がありました。それは、『貧しい者に良い知らせを伝え』と書かれていますが、これをクリスチャン用語で「福音を伝える」と言います。
 教会に来ると普段ではあまり使わない用語がたくさん使われます。面白い団体だと思った方もおられるかも知れません。「ハレルヤ」と聞くと、今日は晴れたから良いけど、「アーメン」と言えば、「雨が降ってもいないのに・・」と思われるかも知れません。「ハレルヤ」、「アーメン」とはヘブル語です。「ハレルヤ」は「神を賛美します」という意味です。「アーメン」とは「その通り」という意味があります。クリスチャンは神を誉め讃える意味で使います。
 「福音」という言葉も普段はあまり使わない言葉かも知れません。しかし時々、一般のニュースなどに出てきます。ふりがなをフクオンと付ける人も多いです。この言葉は「良きおとづれ」という意味です。「ガン患者に福音」という具合に使われるときがあります。それは、ガン患者によく効く薬ができたというような意味合いで使われます。聖書の中の福音とは、普段ではできないことが、イエス・キリストによってできるようになりました、これは人類にとって福音だという意味です。イエス・キリストによって人類にもたらされた福音、それは、普段できないことが可能になった事柄を現します。その第一は何でしょうか。

『貧しい者に良い知らせを伝え、心の傷ついた者をいやすために、わたしを遣わされた。』

と書かれています。イエス様が来られた第一の目的は、「心の傷ついた人をいやすため」です。近頃の日本はどうなってしまったのだろうかと不安に感じます。先々週の金曜日に、大阪府池田市の小学校で起きた事件は大きなショックでした。被害者の方々は本当に悲しいと思います。育ち盛りで一番可愛い子どもたちが一度に八人も殺されたとは、大変な出来事です。しかしその事件は、ただ子どもたちや関係者を傷つけただけではありません。それにより、日本中が震撼し、全国民が傷を受けました。私も悲しかったです。なぜこんなことが日本に起こるのだろうかと考えます。信じられないような事件が毎年増え、どんどん凶悪になっています。どうしてでしょうか。どこを改革したら良いのでしょうか。
 現在、小泉内閣が絶大な支持を受けています。なぜならば、改革を前面に押し出しているからです。これは国民の心の現れです。この国を何とか変えて欲しいという思いが現れているのです。小泉内閣というよりも、何しろ変えて欲しいのです。だから「変える」という人には期待するのです。このまま日本はどうなってしまうのでしょうか。聖書は、放っておけばどんどん国は悪くなると預言しています。いくらか科学が進み、経済的に豊かになっても、多くの知恵を得たとしても、人間は放っておけばどんどん悪くなるのです。それを証拠立てるかのように、この十数年来の日本を見ればよくわかります。今年よりも来年のほうがっもっと悪くなります。私たちはそのような時代に生きています。私たちの子どもや孫の時代はどのような時代になってしまうだろうか、と不安になります。どこを改革したら良いのか。「改革」と叫んでいますが、なかなか根本的な部分は見えてきません。聖書に照らしてみるときに、それは構造改革ではなく、人の心の改革が優先されるべきです。人の心が変わらない限り、国は変わりません。人の持ち合わせている価値観が変わらなかったら、国は変わりません。しかし、その為には、心がいやされなくてはなりません。
 多くの事件が起こっていますが、目には見えませんが背景に大きな問題が潜んでいます。それは、心の中にある深い傷です。色々な事件は心の傷の現れであり結果です。まず人々の心の癒しが先決だと思います。
 心理学者によると、人は耐えられない事件に遭遇すると、電気を使い過ぎたときブレーカーが落ちるような機能を持ち合わせているといいます。ケニアに行ったとき、多くのストリート・チルドレンを見ました。彼らには親がいません。また、食べる物もなく、定まって寝る所もありません。しかし、結構明るくやっていました。初めは精神的に強い子どもたちだと思いました。しかし、そうではありませんでした。幼い彼らにとって耐えられない事件が国に起こったのです。両親が瞬間的に死んでしまったり、住む家を失ったり、周囲の環境が内戦や飢饉で最悪になったのです。それで、心のブレーカーが飛んでいるのに過ぎないのです。今日、世界中で多くの人たちの心のブレーカーが飛んでいます。
 家のブレーカーが飛んだらどうでしょうか。どんなに優れた電化器具があっても使えません。同様に、人間は優れた存在ですが、心の回路が遮断されたら、全く使いものになりません。
 先日、一人のお年寄りと共にお祈りの時を持ちました。その方は、太平洋戦争に参加された方でした。「どんなふうでしたか」とお聞きすると、「私は内地にいましたから、大したことはありませんでした」と言われました。「軍隊では、どんなお仕事をされていたのですか」と聞くと、「私は国内での仕事で大した仕事はしていません」と再び答えられました。しかし、私は何かその方のためにお祈りする必要があると思ったので、もう一歩詰め寄りました。「どんなお仕事でしたか?」
 すると、「私が戦争に参加したのは終戦間近の頃でしたので、爆撃がひどい時期でした。東京から少し離れたところに部隊があり、東京に爆弾が落ちたときに、焼け跡に入って死体を片付ける仕事でした。来る日も来る日も、死体を片付けていました。しかし、その時には、私は何も感じませんでしたよ。ただ、黒こげになった死体を物のように、山のように積み上げることをしていました。しかし臭かったです」と答えられました。
 「あの時、死体の山を見ても何とも思いませんでした」と言われました。人間はそんなふうになれるのだろうかと思いました。「しかし、今は少しでも血を見ても恐ろしく思います」と言われました。
 その時は、「戦争だから仕方ない」と割り切っていたのでしょうか。決してそうではないと思います。人間の力ではどうすることもできない戦争に遭遇して、心のブレーカーが落ちたのです。だから人の死に対しても無感覚になり、そんな仕事が無感覚にできたのだと思います。
 今の日本について考えるとき、その背景に、国が受けた大きな傷があると思います。私は、国家レベルで日本のブレーカーが飛んだのが、「第二次世界大戦」ではないかと思います。第二次世界大戦では、数年の戦闘で二百二十万人が死んだといわれます。私は最近、そのために真剣にとりなして祈らなくてはならないと教えられています。新城は二万人にも満たない小さな町でした。しかし、太平洋戦争の時、新城だけで千二百人が死んでいます。また、豊川市は、終戦を前にして、広島に原爆が落ちた次の日、一九四五年八月七日、海軍工廠が爆撃を受けました。一瞬にして、二千五百名以上が亡くなりました。この地が大きな悲しみに沈みました。
 日本人は、他国の人たちと比べると感情が欠如しているようにも感じます。この教会には南米からの兄弟姉妹がおられます。その兄弟姉妹は、とても感情豊かだと思います。楽しいときには笑い、悲しいときには涙を流します。しかし、私はなかなか涙が出ません。世界の国々に行くと、大体の人たちが日本人よりも感情豊かです。しかし、日本人は無表情です。嬉しくてもあまり嬉しくなさそうですし、悲しくてもあまり悲しくなさそうです。どこに原因があるのでしょうか。
 ある意味で、第二次世界大戦に日本が受けた傷によって、心のブレーカーが国民的に落たのかも知れません。私たちはこの国の傷がいやされるように祈るべきです。
 先日は、その老兄弟と共に「戦争で受けた国の傷をいやして下さい。」と祈りました。素晴らしい祈りの時でした。
 飛んでしまった心のブレーカーをどのように戻したら良いのでしょうか。それは人間の力では無理です。しかし、聖書は約束しています。イエス様がこの地上に来られたのは、「心の傷をいやすため」に来たというのです。イエス・キリストを信じるときに、心の傷がいやされます。
 最近、色々な外来語が使われ、意味のわからない言葉が多くあります。先々週の大阪の悲しい事件の後に、「これから子どもたちのPTSDが心配だ」と言われていました。これは最近話題になっていますが、「Post Traumatic Stress Disorder」日本語では、「心的外傷後ストレス障害」と言います。これは自分の身に、死の危険が及ぶような極限体験をしたり、見たりするときに、そのとき入った画像で心に傷を受けるものだと言われます。震災を経験をした人や、幼児虐待、レイプ、その他、危険にさらされた人が後になって強い心理的苦痛、不安、不眠、悪夢、恐怖、戦慄に悩まされるような症状を「PTSD」というのです。
 私たちは多かれ少なかれ、過去に体験した悲惨な出来事を目撃したことによって傷を受けています。百聞は一見にしかずと言いますが、「見る」という画像情報は大きなものです。コンピューターを扱っている人は良くわかると思いますが、文字情報よりも画像情報の方がずっと容量を必要とします。同様に、目撃することは、それだけたくさんの情報を受け取っているのです。瞬間的に、大きな情報を受け取ります。この領域は脳裏に焼き付いて、なかなか離れないものです。
 私たちの教会の一人の女性のいやしの為にお祈りしました。その方は、自分が幼いときに最愛のお母さんを亡くすという悲しい経験をされました。八歳の時だったそうです。それは幼い子どもにとっては受け入れがたい悲しい出来事でした。お父さんと一緒にお母さんの最期を看取ったのです。そして、亡くなったお母さんの遺体を乗せて、車で家まで帰ってきたそうです。そのとき、高速道路を走ったそうです。夕焼けで町が赤く染まっていたそうです。お母さんの遺体を乗せた車のイメージが頭に強く焼き付いたのです。今でも、同じような情景に出会うと、突然心に悲しみが込み上げ、涙が溢れるというのです。素晴らしい聖会に出て帰る途中、同じような夕焼け空の景色を見ると、祝福は全部飛んでしまい、目から涙が溢れるのです。ある意味でそれは、PTSDです。そんな領域をどのように治したら良いでしょうか。皆さんも多かれ少なかれ、過去に体験した悲惨な出来事で心に傷を受けていると思います。「あの光景が私の頭から離れない・・・」同じような情景に出会ったときにいつも、苦しみが心に湧いて来る・・・。
 私も小学校二年生の時に、川でおぼれた経験があります。今でも忘れないのが水面がぎらぎらしている光景です。強いライトはその光景に似ていると思います。助かったのでよかったですが、記憶には焼き付いています。これは軽いPTSDかも知れません。その癒しのために、色々な人間的手法が開発されていますが、完璧ないやしはありません。しかし、イエス様こそ、そのような焼き付いた画像を消すことができる唯一の方なのです。
 私は、その方の為に祈りました。「イエス様。八歳の時に焼き付いた不必要な画像を消して下さい。」コンピューターのファイルを削除するかのように祈りました。すると、それが瞬間的に消えたのです。その後、同じような情景に出会っても反応しなくなったそうです。「あれ?同じ情景なのに、なぜ悲しくないのだろうか・・」
 イエス様が治してくれるのです。今日、皆さんの中でそんな領域で苦しんでおられる方がおられたら、ぜひいやしを受けて下さい。戦争で爆弾が降り注いでいる中で逃げまどう記憶が消えないという方も、イエス様に頼んで下さい。交通事故の場面が焼き付いていると言われる方も、イエス様がまとめて面倒を見て下さるのです。イエス様がこの地上に来られたのは、心の傷を癒すためです。これが福音です。病院に行ってお金をたくさん払ってもなかなか治りません。しかし、イエス様を信じたら解放されます。今こそ、教会が一生懸命働く時代です。心に傷を負って苦しんでいる方に福音を伝えて下さい。第二に福音とは、

『神である主の霊が、わたしの上にある。主はわたしに油をそそぎ、貧しい者に良い知らせを伝え、心の傷ついた者をいやすために、わたしを遣わされた。捕らわれ人には解放を、囚人には釈放を告げ・・・』

と約束されています。捕らわれている人が釈放されるためにイエス様は来られたのです。
 前にも話しましたが、私は先日、オウム真理教の裁判に行きました。裁判を受けた人たちは判決で執行猶予となり、その場で釈放されました。そこで囚人が釈放される瞬間を見ました。彼らはとても嬉しそうでした。拘置所から荷物を運び出し、看守に大声で「バイバイ!」と叫んで車で走り去って行きました。車の後ろ姿が笑っているかのようでした。
 イエス様がこの地上に来られたのは、「捕らわれ人が解放されるため」と言うのです。
「人間は誰かに捕らわれているのか」と言われるかも知れません。しかし、聖書は、イエス・キリストによらなければ、人類は皆、「サタンの奴隷だ」と言うのです。サタンに捕らわれているのです。どういう意味でしょうか。
 現代は、聖書を読んでなくても、日本に人間以外の目に見えない何らかの力が働いていると誰もが感じている事でしょう。次から次へと人を刺し殺すなど、普通の人には絶対にできない事です。何か日本に、不幸の為に専門に働く透明人間がいるかのように感じます。
 例はあまり良くありませんが、例えば、私に大嫌いな家族がいたとします。「あの家族は大嫌い。何とか意地悪してやりたい」と思ったときに、「あなたを一日だけ、透明人間にしてあげるから、家族の中に入って何でも好きなことをしてこい」と言われたらどうでしょうか。そうしたら、家族をぐちゃぐちゃにすることは簡単だと思います。互いに争わせる位のことは簡単にできると思います。
 夫婦でいこいの一時、お茶を飲みながらテレビを見ているときに、奥さんが持っている熱いお茶をそっと透明人間である私がつかみ、主人の顔にかけます。「熱い!お前、何をするんだ」「お前は私のことが憎いのだろう・・」と喧嘩になります。
 しばらくして、主人の手を取って奥さんの頬を叩くのです。「何をするの、あなた・・・」とやりたい放題だと思います。透明人間が家の中で悪さをしていることがわからなかったら、お互いが敵となります。しかし、透明人間の私はそばで笑っています。
 今、日本の中に透明人間が入って暴れまくっているように感じませんか。聖書はそのような霊的存在があると語っています。その存在に気付かなかったならば、皆、その存在の餌食になると聖書は教えています。
 悲しいことに日本では自殺者が増加しています。昨年は毎日百名位が自殺したそうです。百人自殺するとは、一年では三万数千人です。ということは、一年で新城市からだれもいなくなる計算です。信じられないことです。しかし、これが日本の現実です。人間には何とか生き抜きたいという本能があります。先程も触れましたが、私も溺れた時、何とか這いあがろうと真剣でした。溺れていたけれど手足をバタバタさせて一秒でも長く生きようとするのが人間の本能です。しかし、自ら死んでいくことは異常です。それには色々な原因があり、経済的原因、精神的な原因、人間関係のもつれなどあるかも知れませんが、それはある意味で同士打ちです。本当は、透明人間の声を聞いているのです。辛いことがあると透明人間はあなたの耳元に来ます。そして、「死んでしまえ。死んでしまえば楽になるぜ・・。」そんな声を聞いたことはありませんか。もしも、そんな声が心に響いたことがあったら、あなたは悪魔の声を聞いたことになります。絶対にその声に耳を傾けないで下さい。悪魔は殺しが専門です。滅ぼすものです。今、日本中に悪魔が働いています。それに気付かなかったら、日本はやがて滅ぼされてしまいます。私たちクリスチャンは、見えない霊的存在、透明人間のような悪魔とその一族、悪霊に気づかされた存在です。それらと戦わなくてはなりません。
 話しは変わりますが、私の本ができました。「悪霊を捕虜とせよ。」というタイトルです。これを読んだら私たちを苦しめる悪霊を捕虜にする方法がわかります。必ず読んで下さい。皆さんが知らない新城教会で起こされている素晴らしい証が記録されています。また、人類が勝つことができなかった透明人間のような存在である、悪魔や悪霊に勝つ秘訣についてわかりやすく書きましたので、ぜひお読みください。
 人間には死の恐怖があります。なぜならば、死後の世界があるからです。もしもイエス・キリストを信じなければ、悪魔の奴隷ですから暗闇の国に行かなければなりません。しかし、イエス・キリストを信じるならば神の民となり、神の国・天国に入ることができます。ということは、救いの根本は永遠の命というよりも、「暗闇の支配者からの解放」です。
 やがて私たちはこの地上から出ていかなければなりません。その時、誰に支配されていたのかわかるはずです。
 国の支配を実感するのは海外旅行の時です。出国するとき、パスポートを出したとき、日本人だと意識します。パスポートがなかったら国から出ることもできず、相手国に入ることもできません。
 やがてこの地上から出るときに、暗闇の支配なのか、神の国の支配なのかがわかります。この地上から出ていくときに、一人ひとりに何らかの書類が持たされているはずです。丁度出国を待つ空港のイミグレーションの列に並ぶように、そこには、大勢の人がついています。そのとき、「世界では一度にこんな多くの人が死ぬものか」とわかると思います。一人ひとり進み出て、持っている書類を神の係官に見せるのです。神の係官がそれを開いてチェックします。「・・あなたのパスポートは神の国のパスポートですね。良かったですね。おめでとうございます。どうぞ、右の方にお進み下さい。天国ですよ!」と言われます。ある人が自分が持っているパスポートを神の係官に差し出します。係官の顔がにわかに曇ってこう言います。「ああ、残念だ。あなたのパスポートは暗闇の支配だ。地獄は人間のために造られたのではなく、悪魔のために造られたけれど、あなたが悪魔の支配下にあるならば、残念ながらそこに行かなければならない。左の方に進んでください。」そこでは、暗闇の支配者が待っていてその人を捕まえ、永遠の滅びに連れていくのです。
 私たちがイエス・キリストを信じることは、永遠の世界の変化につながる大きなことです。この地上でも祝福を受けますが、それ以上に、永遠の住処を変える大きな鍵となります。
 クリスチャンは素晴らしい福音を持っています。永遠を変化させる福音を持っています。暗闇から光に、サタンの支配下から神の支配下に移す事の出来る「福音」を持っているのです。こんな素晴らしい救いはありません。イエス・キリストの中だけにあります。
 まだ、イエス・キリストを救い主として信じていなかったら、信じて下さい。永遠が変化します。心の傷で苦しんでいる方もぜひ、いやしを受けて下さい。心のいやしを体験したらやがて国が変わります。
 『神である主の霊が、わたしの上にある。主はわたしに油をそそぎ』と書かれています。イエス様は父なる神様から聖霊の油注ぎをもらいました。それを私たちに注いで下さいます。共にお祈りしましょう。
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