今週の礼拝メッセージ
2001.8.5(SUN)
福音を伝えよう!
新城教会牧師 滝元 順牧師

新約聖書 ローマ人への手紙1章8節〜16節
まず第一に、あなたがたすべてのために、私はイエス・キリストによって私の神に感謝します。それは、あなたがたの信仰が全世界に言い伝えられているからです。私が御子の福音を宣べ伝えつつ霊をもって仕えている神があかししてくださることですが、私はあなたがたのことを思わぬ時はなく、いつも祈りのたびごとに、神のみこころによって、何とかして、今度はついに道が開かれて、あなたがたのところに行けるようにと願っています。私があなたがたに会いたいと切に望むのは、御霊の賜物をいくらかでもあなたがたに分けて、あなたがたを強くしたいからです。というよりも、あなたがたの間にいて、あなたがたと私との互いの信仰によって、ともに励ましを受けたいのです。兄弟たち。ぜひ知っておいていただきたい。私はあなたがたの中でも、ほかの国の人々の中で得たと同じように、いくらかの実を得ようと思って、何度もあなたがたのところに行こうとしたのですが、今なお妨げられているのです。私は、ギリシヤ人にも未開人にも、知識のある人にも知識のない人にも、返さなければならない負債を負っています。ですから、私としては、ローマにいるあなたがたにも、ぜひ福音を伝えたいのです。私は福音を恥とは思いません。福音は、ユダヤ人をはじめギリシヤ人にも、信じるすべての人にとって、救いを得させる神の力です。

 ハレルヤ!久しぶりに礼拝で奉仕できますことを感謝します。皆さんのお祈りに支えられ、ペルー旅行も無事に終えることが出来て感謝します。
 さて、今日は何の日でしょうか。それは記念すべき日です。私は今日、メッセージを語れることを光栄に思います。なぜならば、本日は私の五十歳の誕生日だからです。五十年間支えられ、主のために働くことができて感謝します。神様に栄光をお返しします。
 さて今朝は「福音を伝えよう」というテーマで御言葉を学びます。私は八日間ほどペルーを伝道旅行しましたが、出発前に与えられた御言葉がありました。それはローマ人への手紙一章十一節と十二節の御言葉です。

『私があなたがたに会いたいと切に望むのは、御霊の賜物をいくらかでもあなたがたに分けて、あなたがたを強くしたいからです。というよりも、あなたがたの間にいて、あなたがたと私との互いの信仰によって、ともに励ましを受けたいのです。』

 新城教会へ南米から兄弟姉妹が来られるようになって、約十年経ちます。初期に来られた方はすでに帰国され、十年近く経っています。私は九年前、ペルーを訪問した事がありますがそれから一度もペルーを訪問していませんでした。新城でペルーからの兄弟姉妹に会うと、「順先生。ペルーにいつ行く?」と聞かれました。「そのうち行く」と答えていましたが、なかなか行けませんでした。しかし今回決断し、帰国された方々を訪問し、私の賜物によって彼らが少しでも励まされたら良いと思って出かけました。しかし、この御言葉の通り、励ますどころか逆に励まされて帰ってくることができました。そこで感謝したことは、日本の片田舎、新城で海外から来られた方々に伝道することにより、この箇所にもあるように、「全世界に福音が伝えられている」ことです。それは、自分の国に帰られた方によって、さらに宣教が前進しているからです。色々な方と出会いましたが、大へん懐かしかったです。新城でイエス様を信じ、人生が変えられた方々が現地の教会に属しているばかりか、家族が救われたという証を聞き、実際にも会うことができました。
 九年前ペルーにおいて、私はこの教会に来られていた方々の家族を訪問しました。当時、娘さんとお母さんが新城教会に来られていて、娘の名をエリカと言いました。そのお宅は大変貧しい地域にあり、大変な家庭でした。お母さんと娘は日本に来られていましたが、息子は現地の警察官でした。しかしその息子は麻薬中毒者となって、自分の家の財産を全部麻薬に使い、やがて職もなくなっていました。
 今回、同じ家族から招きを受けて、再び訪問しました。今住んでいるところは、たいへんきれいなマンションでした。そこで、一人の男が私を迎えてくれました。彼に何の仕事をしているのか聞いてみました。すると彼は、「僕は聖書学校の神学生です。」と答えました。しかしその人が麻薬中毒の息子でした。彼は「あの後、イエス様を信じて薬からも解放され、今は献身して神学校二年生です。あと二年間勉強したら、同じように麻薬で苦しんでいる人々に伝道したい」と語っていました。神様の祝福がその家に注がれているのを見ました。家庭のほとんどがクリスチャンになっていました。お父さんだけまだクリスチャンではありませんでした。しかし、私が訪問したことにより、お父さんもイエス様を信じ、家族全員が喜びに満たされました。
 日本の片田舎で伝道がなされていますが、田舎だけの働きではなく、世界に広がり多くの人々に福音が拡大している現実を見ることができました。土曜日には海外から来られた方々が百名以上礼拝を守っています。新城教会は、日本人のセクションも外国人のセクションもバラバラではなく、一つとなって世界宣教が広がっていくことを願います。パウロが目指したのも世界宣教でした。ローマ人への手紙は、何とかローマに福音を伝えたいという熱い願いが込められています。そのような中、パウロの福音伝達に対する理解が記されています。一章十四節に、

『私は、ギリシヤ人にも未開人にも、知識のある人にも知識のない人にも、返さなければならない負債を負っています。』

と書かれています。パウロは福音を伝えることについて、「負債」ととらえました。今日はこの場に多くのクリスチャンの方々がおられるますが、皆さんはイエス様のことを伝えることをどのように感じておられますか。
 月末には多くの請求書が集まります。その請求を全部払い終えるまでは不安です。私の家内は請求書をトイレに貼る癖があります。トイレは重荷を下ろす場所ですが、トイレに座って目の前にあるのが請求書です。「こんなに払わなくてはいけないのか」と新たな重荷を感じてしまいます。パウロは福音を宣べ伝えることを「負債」ととらえました。
 私たちにも福音を宣べ伝えるべき世界の人々がたくさんいます。全世界とは、私たちが家から出た一歩から始まります。そこには多くの福音を必要としている方々がいます。また、教会の使命は福音を伝える事です。なぜ福音を伝えなければならないのでしょうか。一章十八節に、

『というのは、不義をもって真理をはばんでいる人々のあらゆる不敬虔と不正に対して、神の怒りが天から啓示されているからです。』

と書かれています。なぜ福音を伝えなくてはならないのか・・。それは神の怒りが神を信じない者の上にあるからだというのです。イエス・キリストを信じないと人々は滅びてしまうから福音を宣べ伝えなければならないと聖書は教えています。
 ユダヤの小話の中に、一人の男がニューヨークの摩天楼から落ちる話しがあります。落ちる途中、窓から顔を出している人とすれ違いざまに会話を交わしました。窓辺の人が、「大丈夫ですか?」と聞いたそうです。すると、落ちていく人は、「今のところは大丈夫です・・」と答えたそうです。落ちる途中は大丈夫かもしれません。しかし、やがて地面にぶつかって死んでしまいます。イエス・キリストを信じていなくても、今のところは大丈夫かも知れません。しかし、やがて人は誰でもこの地上から出て行かなくてはなりません。出て行くときに私たちがどの国に属していたかが、はっきりとわかります。暗闇の国に属していたのか、神の国に属しているのかはっきりわかります。イエス様を信じていないならば、悪魔の支配下にあるとはっきりと聖書は語っています。そんなことを言われると抵抗を感じるかも知れません。しかし支配とは、受けていても気付かないのが支配です。
 私は先日、ペルーに行くとき、名古屋空港から出発しました。名古屋からペルーまでは案外近いです。十八時間程で行けます。私にとっては、あっという間にペルーについてしまいました。なぜなら夕方七時くらいの飛行機に乗ったので、すぐに寝てしまい起きたらロサンゼルスでした。それで、寝ぼけ眼で飛行機を乗り換えて、また寝たらペルーに着いてしまいました。
 国を出るとき、自分の国籍をはっきりと意識します。「私は日本人だ」とはっきり意識します。なぜならば、日本人としての証明書であるパスポートを掲示しなければ国を出ることができないからです。人生が終わったら、やがて国から出なければなりません。神の係官にパスポートをみせなければならない時がきます。神の国のパスポートを持っている私たちは、永遠の国・天国に入ることができます。しかしイエス・キリストを信じないなら、滅びの国に向かっているのです。ですから、イエス・キリストを信じている者たちは、福音を一人でも多くの人々に伝えなければなりません。
 ローマ人への手紙一章十九節から二十節では、神様がおられることは誰の目にも明らかだと主張しています。日本人は神を認めているのか、いないのか、わけが分からない国民ですが、神の存在については、別に教会に来なくても誰にでも感じることができるように情報が与えられているというのです。十九節と二十節に、

『なぜなら、神について知りうることは、彼らに明らかであるからです。それは神が明らかにされたのです。神の、目に見えない本性、すなわち神の永遠の力と神性は、世界の創造された時からこのかた、被造物によって知られ、はっきりと認められるのであって、彼らに弁解の余地はないのです。』

と書かれています。神学用語で言うと、これを「一般啓示」と言います。創造主について、聖書を読まなくても自然界から感じとることができるのです。そして、聖書からの神についての情報を「特別啓示」と言います。聖書は神が特別に人類に与えた啓示です。私たちは一般啓示により、自然を見ながら神がおられる事を感じます。しかし、聖書を読んで初めて救いがどのようなものであるのかがわかります。
 この箇所はある意味で、自然界を通して人間に神の存在を明らかにされている事を教えている箇所です。大自然や宇宙を見るとき、これが創造主なしに出来たとは、考えにくいことです。日本では進化論が真理であるかのように教えられていますが、進化論が真実ならば、そこには「知的デザイン」は全くないはずです。なぜならば、それらは全てが偶然の産物だからです。何もかもが偶然のいたずらであり、そこにあるのは時間の経過と偶然だけです。進化論は突然変異により生命が誕生したとしています。進化論が事実なら、人生に意味があったらおかしいのです。人間ができあがったのも、人生も全て偶然の産物ですから、人生に意味がある方がおかしいのです。だから人生に意味を求めるのは無理なことです。なぜならば、人間は知的デザインのない偶然にできた無秩序なものだからです。そんなふうに考えると、嫌になると思います。進化論に人生の根拠をおいていたら、決して意義ある人生を送ることはできません。
 しかし、天地宇宙を創造された神がおられるとしたら、そこには知的デザインが入っているはずです。人間は物を造るとき必ず、知的デザインを施します。どのような単純な物であっても、人間の知恵と目的が込められます。だから有効に活用されるのです。人生も同じことです。
 聖書は天地宇宙を造られた神がおられること、また、自然界を見るならばそのことが明らかだと教えています。日本人も自然を見て、何らか神の力を感じていますが、一般啓示だけでは不十分であることがよくわかります。人々は自然を見て創造主を見い出すのではなく、かえって偶像を造ってしまいました。二十二節から二十四節に、

『彼らは、自分では知者であると言いながら、愚かな者となり、不滅の神の御栄えを、滅ぶべき人間や、鳥、獣、はうもののかたちに似た物と代えてしまいました。』

と書かれています。人間が神様を作るとはナンセンスなことです。しかし、人間に対して、神様が存在するかもしれないという問いかけがあることは確かです。
 人は自分で神を作るという愚かな行為に走ってしまいました。そして聖書は、偶像礼拝が諸悪の根元であると教えています。偶像礼拝を行ったことにより、人類に何が起こったのでしょうか。二十四節に、

『それゆえ、神は、彼らをその心の欲望のままに汚れに引き渡され、そのために彼らは、互いにそのからだをはずかしめるようになりました。』

と書かれています。人が天地宇宙の創造者なる神を求めないで、神の代用品である偶像を作ったゆえに起こった問題について聖書は教えています。それは第一に、「性的堕落」だと語っています。今、性的堕落がひどすぎます。日本においても世界どこにおいても性的にひどく乱れています。その原因について聖書は、人間が偶像を作ったことにより、人々が汚れと欲望に引き渡されてしまったと語っています。クリスチャンが偶像からはっきりと離れなければ性的な汚れに影響されます。また、教会がはっきりと偶像礼拝と戦わなければ、社会の腐敗も止まりません。そればかりか、二十九節から読むと、

『彼らは、あらゆる不義と悪とむさぼりと悪意とに満ちた者、ねたみと殺意と争いと欺きと悪だくみとでいっぱいになった者、陰口を言う者、そしる者、神を憎む者、人を人と思わぬ者、高ぶる者、大言壮語する者、悪事をたくらむ者、親に逆らう者、わきまえのない者、約束を破る者、情け知らずの者、慈愛のない者です。』

と書かれています。このように、偶像礼拝が「社会の悪」をかもし出している根本的な原因であると教えています。日本も世界も悪くなり、どのようにしたら回復できるのだろうかと皆が頭をひねっています。構造改革が必要とか、色々な部分を見直すべきだと政治家たちは語っています。しかしどこを直すべきなのでしょうか。それは偶像礼拝から立ち返らなければならないのです。偶像礼拝から真の神に立ち返るとき、国は立ち直り回復すると聖書は語っています。イスラエルの歴史を見るとき、偶像礼拝を行った時、国が滅び、偶像から離れたとき祝福された歴史を見ます。同様に私たちも、偶像から離れるときに神の祝福を受けるのです。
 福音を宣べ伝える・・・何を伝えるのか、それは、「手で造った神々から離れて、天地宇宙を造られた真の神様を求めて下さい」と伝えなければなりません。もし今日、手で作った神々を拝んでいる方がおられたら、その神々を離れて天地宇宙を造られた神を信じることが必要です。その時、人生が回復されます。これが福音です。この事を私たちはしっかりと伝えるべきです。
 クリスチャンには福音を伝える使命がイエス様から託されています。あなたは今まで何人位に福音を伝えられましたか。ダニエル書十二章三節に、

『思慮深い人々は大空の輝きのように輝き、多くの者を義とした者は、世々限りなく、星のようになる。』

と約束されています。これは、福音を宣べ伝える事に関して、永遠に記念して下さるという約束です。皆さんが福音を伝えることは神が喜ばれ、代々限りなく星のように記念となるのです。申賢均師がよく言われます。多くの人を伝道して救いに導くならば、天で冠をいただくとき、そこにはその人数分の星が付いていると語られます。「あなたは多くの人を救いに導きましたね。その行いは永遠の記念ですよ」と勝利の冠を与えて下さると思います。
 今日は九名がバプテスマを受けます。天においては大きな喜びがあると思います。その中で、私の息子の友だちが一人バプテスマを受けます。彼はいつも我が家に遊びに来ていましたが、イエス様を信じました。息子も、「良かった!やっと星一つだ!」と喜んでいましたが・・・。星一つでも、二つでも福音を伝えることは素晴らしいことです。「福音を伝える」とは、洗礼を受けるまで導くことでもありますが、まずはじめに「知らせる」ことが必要です。だから教会に連れて来ることが大切です。
 ある神学者がこう語りました。「自殺した者は皆地獄に行ったのだろうか?いや、そうではない。その人が福音を聞いていたならば、飛び込み自殺をして落ちていく途中、イエスの名を叫んだら救われ天国に入っているに違いない。」
イエス・キリストのことを伝えておくことは大切なことです。聞いていたならば、危機的状況の時、イエス様がその人に現れて下さいます。『主イエスを信じなさい。そうすれば、あなたもあなたの家族も救われます。』と約束されていますので、一人が救われたら神様は愛なる方ですので、家族にも恵みを与えて下さると信じます。ですから、その為にも何とか福音を伝えなければなりません。
 今朝、クリスチャンの方々にお勧めしたいことは、ぜひ、この夏、誰かに福音を伝えていただきのです。そのチャンスがあります。来週の日曜日は、下條先生が来られてのゴスペルサパーがあります。また、九月十六日には、ロン・ブラウンさん一行が来られてのコンサートがあります。その時は良い機会ですので、誰か一人にターゲットを当てて、教会に導いて下さい。その時にあなたの冠に素晴らしい星がつきます。その役割は大きなことです。「私は口べただから伝道できない」とは言わないで下さい。「教会に来ませんか?」と誘うことが大切です。その時、主が超自然的にわざを行って下さいます。
 私たちが福音を宣べ伝える時に、しるしが伴うと聖書は約束しています。マルコ十六章十五節から十八節に、

『それから、イエスは彼らにこう言われた。「全世界に出て行き、すべての造られた者に、福音を宣べ伝えなさい。信じてバプテスマを受ける者は、救われます。しかし、信じない者は罪に定められます。信じる人々には次のようなしるしが伴います。すなわち、わたしの名によって悪霊を追い出し、新しいことばを語り、蛇をもつかみ、たとい毒を飲んでも決して害を受けず、また、病人に手を置けば病人はいやされます。」』

と書かれています。私たちが福音を宣べ伝える時、しるしが伴います。一番聖霊様が働かれるとき、それが福音を伝えるときです。福音を伝えるときに、聖霊様が強く働いて下さいます。ですから、この夏、誰かに福音を伝えて下さい。その時に皆さんに聖霊様が強く働いて下さいます。それははじめ小さく見えるかも知れません。ただ、教会にお招きすることだけのように見えるかも知れません。しかしやがてそれが大きくなるのです。神の国は初めからし種のように小さなものですが、最後には鳥が来て巣ができるほど大きくなると聖書は教えています。知らないうちに神が成長させて下さるのです。聖霊様が働かれ大きく成長させて下さいます。
 この教会では、海外から来られた方々に愛を表し、色々な必要に答えました。また伝道しました。それは小さな事かも知れません。しかし、種が蒔かれて帰国して、それが大きく広がっています。今回私はペルーに行きそれを見てきました。私は日頃の働きの中で、何とか福音を伝えたいという意欲を持っています。何とかイエス様のことを伝えなければならない、と意識しています。そうすると、神様は、不思議と福音を宣べ伝える場を与えて下さり、そのように導いて下さいます。それは聖霊様の働き以外ありません。今回ペルーにおいても何人かを救いに導くことが出来ました。
 さて何年か前に、教会にブラジル人の奥さんが来ました。そして、「夫婦の中に今、大きな問題がありますので祈って下さい」と言われました。聞いてみると、ご主人はイラン人でした。奥さんがブラジル人、ご主人がイラン人という不思議なカップルでした。奥さんは日本語がほとんどできませんでした。「あなたがたは何語でコミュニケーションをしていますか」と聞くと、「日本語です」と答えられました。片言の日本語で結婚生活がうまく行くわけがないと思いました。ブラジルの文化とイランの文化では、全く違います。イランはイスラム文化です。砂漠の遊牧民の文化を引きずっています。イランの文化は面白いです。家に来る人は誰であっても大歓迎します。敵でも家に入ったら歓迎して食べさせてあげるという精神の人たちです。自分のテントに入ったら戦争はしないのです。敵であっても腹一杯ご馳走して、外に出たときに殺すと言われるほどです。ですから、イラン人のご主人のところに友だちが来ると大盤振舞をします。お金があってもなくても、思いっきり友達にご馳走します。それにブラジル人の奥さんは耐えられません。私も一度彼のアパートに行ったことがありますが、「大丈夫だろうか」と思うくらいご馳走が出てきました。そして「泊まっていきなさい」と言われます。
 やがてブラジル人の奥さんはまいってしまいました。プライバシーは全くないのです。それでご主人に、「こんな生活は嫌だ。やめて」と言いました。すると、「うるさい、お前は黙っていろ!!」とすごい勢いで怒るのです。
 イスラムは一夫多妻主義なので、女性の地位が大へん低いのです。しかしブラジルでは男女同権です。全く文化が違います。私はそんな相談を受け、初めからそれは無理な結婚だと思いました。どんなアドバイスをしようか、別れるように勧めようかと思いましたが、そのようには言えません。それで、「神様は助けてくれます」と語りながらも信仰が持てませんでした。しかし、まずは伝道しました。「イエス様は人生に奇蹟をもたらして下さる方です」と言いました。すると、その奥さんはイエス様を信じました。
 やがてご主人を教会に誘ってきました。福音には力があります。すると、ご主人もイエス様を信じました。彼はイスラム教を捨てて、イエス様を信じると言いました。これは命がかかっています。イスラム法では、生まれたときの宗教を一生続けなければならないのです。しかし彼はイエス様を信じ、イスラム教を捨てました。彼には命がかかっていました。
 二人がイエス様を信じたときに奇跡が起こりました。お互いの文化を認めることができるようになりました。イラン人の男性は、「ブラジルでは奥さんは強いものだ」と理解しました。また、イランの女性は黒い服を着て、目しか出していません。ブラジル人の奥さんは、「イランの男性には、あまりつべこべ口を出してはいけない」と段々わかってきました。奇跡が起こって、互いに愛し合うようになりました。すると子どもができました。しかし、子どもができた時、また一つの問題が起こりました。奥さんは日本語ができません。日本で子どもを産むことができないので、ブラジルに帰って産まなくてはなりません。しかし、そこにまた一つの問題が起こりました。イラン人の夫は、五年間日本に不法滞在していました。彼は奥さんと一緒にブラジルに帰りたいからと言って、入国管理事務所に、「すみません。私は不法滞在をしていました。」と出頭すると、「お前は強制送還だ」と言われました。彼はイランに強制送還されるというのです。しかし、「家には妻が身重で待っています」と言うと、数日後、もう一度出頭するようにと言われました。そして、その時、強制送還の日程が決まるのです。彼はクリスチャンです。イランに強制送還されれば殺されてしまいます。日本に滞在中のイスラム教徒が宗教を変えていないか情報活動している者もあるようです。だから日本でクリスチャンになった事が分かると、本国の自宅に警察が来るそうです。彼はすでに友達に伝道しましたから、本国に情報が伝わっているに違いないと言いました。強制送還されたら殺されてしまいます。「困った。どうしたら良いか」と思いました。しかし、福音を宣べ伝える時に奇跡が起こると信じて、イランのパスポートとブラジルのパスポートを出してもらい、みんなで手を置いて祈りました。
 「神様、助けて下さい。あなたは天においても地においても一切の権威をお持ちの方ですから、全ての国々の権威の上に、あなたの権威があることを宣言します。どうかこの夫婦が、ブラジルに出国できますように」と真剣に祈りました。
 それと私は、入国管理事務所長宛に手紙を書いてあげました。「この人は新城教会でバプテスマを受けて、クリスチャンになりました。これからイランに帰ると命が危ないので、どうかイランに送還しないで下さい。ブラジルに出国させてあげて下さい。」そして、「滝元順」と権威ある私の名前をサインし、入国管理事務所で見せるように彼に手渡しました。
 彼は入国管理事務所に行き、「この書類を見て下さい。」と差し出しました。すると、入国管理事務所の係官が私の書いた書類を見て、「滝元順・・・一体、誰だこれは・・??。」全く効果なしでした。
 しかし、その瞬間、奇跡が起こりました。彼がその書類を提出したとき、入国管理事務所内のテレビでニュースが流れていました。それは、「最近、イランでクリスチャンが殺されている」というニュースでした。私からの書類を受け取った係官がニュースを見ました。それで、「ちょっと待って下さい」と言って奥に入っていきました。しばらくして、係官は一つの書類を手に持って出てきました。
 それは、「第三国、ブラジルに出国することを許可する」という書類でした。彼はブラジルに出国することができました。神は奇跡を行って下さいました。
 二年前に私はブラジルに行きました。あるところで集会をしました。八百キロの彼方からオンボロ車がやってきました。誰かと思うと、なんと、彼と奥さんと彼の子どもでした。なんと彼は喜んで、自分の現在所属している教会の牧師まで連れて来ました。彼はすでに、ブラジルの永住権まで取っていました。また、ポルトガル語を自由に話していました。
 先週彼から新城教会に電話がありました。彼はイランに残っている八人の親族のためにブラジルから聖書を送ったりして伝道したそうです。すると近頃、八人中、四人がクリスチャンになったというのです。それで彼らは、自分の国でクリスチャンとして生活できないので、オランダに移住したそうです。
 「福音を宣べ伝える」・・・それは小さな事ではありません。神様は大きな業を起こします。ですから、まず、あなたの一番愛している人に福音を伝えて下さい。その後、神様が責任を持ってそこに聖霊を注いで奇蹟を成し、み業を進めて下さることを私は体験しています。
 この夏、一人でも多くの人に福音を宣べ伝えましょう。福音を伝えることができますように。「私に負債として感じさせてください」と祈って下さい。最後にご一緒にお祈りしましょう。

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