今週の礼拝メッセージ
2001.8.12(SUN)
あなたの重荷を主にゆだねよ。
新城教会牧師 滝元 明牧師

旧約聖書 箴言16章3節
あなたのしようとすることを主にゆだねよ。そうすれば、あなたの計画はゆるがない。

 ハレルヤ!今日は久しぶりにこの講壇でお話できることを感謝します。私が前回ここで話したのは六月二日でした。その後、ノルウェイ、フィンランド、スウェーデンに伝道旅行してから、帰ってきて名古屋に行き、次は四国と色々なところを転々としましたが、皆さんのお祈りに支えられて、今日ここで奉仕できることを感謝します。
 三週間北欧に行き、素晴らしいと思ったのは三国とも国教がキリスト教、プロテスタントであることです。マルチン・ルターの宗教改革後に広がり、聖書を土台として国が建てられています。スウェーデン訪問は三回目でした。毎回、行ってみて思うことは、向こうに偶像が無いことです。仏壇、神社、地蔵がなく唯一の神を信じています。北欧に一度行ってみると良いです。国全体が軽井沢のようです。国中が公園のようで生活が豊かです。大体、平等で祝福されています。いつか日本もそのようになる日が来るに違いないと信じます。特に聖書を土台にしているので、老人や身体障害者に対する福祉が進んでいます。優しさや同情心がある国です。皆さんのお祈りにより良い旅ができたことを感謝します。
 また、帰ってきてからすぐに名古屋の水野先生の教会に奉仕に行きました。名古屋で二〇〇三年にリバイバルミッションを計画しており、そのための集会でした。その後は純福音教会で決起大会をしました。私は色々なところで集会をしていますが、自分の教会だけではなく、人のために祈ることは大切だと思います。「受けるよりも与える方が幸い」と聖書に書かれていますので、与える教会になることは幸いです。ですから、ぜひ祈って下さい。九月には「ペンテコステ聖霊運動百年祭」が大阪の国際会議場で行われます。このために私たちの教会でも献金をしようということで、来週は献金したいと思っています。チョー・ヨンギ師とベニー・ヒン師が説教者になっていますが、日本人の説教者を一人立てた方が良いということで、私が話すことになりました。ぜひ、お祈りください。今日は始めての方の集会です。これから聖書の御言葉を学びます。箴言十六章三節に、

『あなたのしようとすることを主にゆだねよ。そうすれば、あなたの計画はゆるがない。』

と書かれています。この御言葉を読み恵まれました。人生には色々な計画があります。しかし、『あなたのしようとすることを主にゆだねよ。そうすれば、あなたの計画はゆるがない。』と書かれていますので、自分で悩んだり、重荷を負わずに主にゆだねて下さいということです。人生に寄り頼むところがあることは幸いです。
 毎週のように旅行していると、色々な場所で恋人たちを見ます。昨日は東京に行きましたが、恋人同士が仲良く歩いている姿を見て、「良いなあ」と思いました。また、親子で一緒に歩いている姿を見るときも素晴らしいと思います。喧嘩をしていると嫌な気持ちになります。私たちの人生は委ねる場所が必要です。どんなに強く見えても強い人はありません。どんなに愛する人ができて「君を骨まで愛する。絶対に幸せにする」と言われても破綻が来て崩れ去るときもあります。また、親子の間も時々悲しいことを聞きます。ですから、私たちは本当にゆだねがいのある場所に、ゆだねることが必要です。あなたの一番より頼むところは何でしょうか。ある人は金と言います。アメリカの素晴らしいところはコインに「私たちは神に寄り頼む」と書かれている事です。『あなたのしようとすることを主にゆだねよ。』と書かれている「主」というのは、一番、素晴らしく高い方です。家の中で主人が一番上です。しかし、「主に委ねる」とは、天地を造られた主です。一番素晴らしい神様にあなたの人生を委ねることが必要です。そうすれば神様があなたの計画を導いてくださるから、心配しなくて良いということです。
 預言者モーセがホレブの山で神にお会いしました。真の神様がモーセに現われた時、「あなたの立っているところは聖なる地である。あなたの足の靴を脱ぎなさい。」と言われ、神はモーセに「あなたをエジプトに遣わす。あなたはイスラエルの人をエジプトから解放しなければならない」と語られると、モーセは心配になり質問しました。「神様。もし私がエジプトに行ったときに、あなたを遣わされた神は誰かと聞かれたらどのように答えれば良いのですか」と聞きました。その時神が言われたことは、「わたしはある」でした。そして、「わたしはある」と言うことばが「主」と訳されています。文語体では「エホバ」と訳されています。「わたしは主。わたしはある」と言われました。神様は永遠から永遠まで存在されている方です。自己存在されている方です。
 私は「ある」と言うことができません。私は今日はあってもいつかはなくなります。口語訳聖書では、「あってあるもの」と書かれているので、永遠から永遠まで存在している真の生ける神だと語っています。その神様にあなたの人生を委ねてみなさいと言われます。『あなたのしようとすることを主にゆだねよ』とは、自分の力ではなく、これから「イエス様。私はあなたに委ねます」と主に委ねて下さい、という意味です。私が信じているのは主イエス・キリストです。主は天地を造られた主であり、イエスは彼は罪から救われる方、キリストとは油注がれた方です。永遠におられるイエス様にあなたのしようとすることをゆだねなさい、ということです。そうすればあなたの計画はゆるがないのです。そうしたら絶対に失望することはありませんと書かれています。
 エレミヤ書二十九章十一節に、

『わたしはあなたがたのために立てている計画をよく知っているからだ。主のみ告げ。それはわざわいではなくて、平安を与える計画であり、あなたがたに将来と希望を与えるためのものだ。』

と書かれています。神様に委ねれば、神様が持っている計画はあなたに将来と希望を与えます。わざわいを与える計画ではなく、平安と将来と希望を与えるものだと書かれています。イエス様に委ねることほど安全はありません。皆さんの人生を主に委ねて下さい。詩篇三十七篇五節に、

『あなたの道を主にゆだねよ。主に信頼せよ。主が成し遂げてくださる。』

と書かれています。「あなたの道」とはあなたの人生です。あなたの人生を主に委ねなさい、主に信頼しなさい、そうしたら主が成し遂げて下さると書かれています。
 私たちの人生には二つの道があります。一つは自分の道です。自由意志が与えられているので選択の自由があります。またもう一つは、神の道です。神の計画があります。しかし、あなたの道を主にゆだねよ。あなたの人生を主にゆだねて信頼しなさい、と書かれています。
 私はクリスチャンになり五十二年になりますが、イエス様に仕えてきた道を考えると、イエス様に委ねて幸せだったと思います。「イエス様。どのように生きれば良いですか。」と祈りました。その時、私に与えられた使命は、「神様の愛を伝える」ということで伝道者になり主の道を歩んできました。『生きることはキリスト、死ぬこともまた益です。』という御言葉に歩んできました。イエス様を信じない人生は自己中心です。関心が自分にあるように、ほめられるように、成功するようになど、自分があがめられるように考えます。しかし、神があがめられるように、そして、人のために神様のために生きるのは素晴らしいことです。ですから、皆さんの人生を神に委ねて下さい。そうすれば素晴らしい人生を歩むことができます。
 クリスチャンになってもわからないことはたくさんあります。しかし、すべてのことが益とされると書かれていますので、神様に委ねることが大切です。私は三年間、八つ橋マンガンで働いていました。そこでの仕事は特に、夏の間苦しかったです。木馬(そり)を担ぎ、一トンの鉱石を乗せて引いていました。暑いときは心臓が爆発するのではないかと思うほどでした。毎日鉱石を扱っているので体が傷ついて、家内が傷ついた背中を見て泣いたことがあります。「イエス様。主人がを早くこのところから解放してください。」と祈りました。そのあとで聖書を開くと、詩篇三十七篇二十三節の御言葉を読みました。

『人の歩みは主によって確かにされる、主はその人の道を喜ばれる。』

と書かれていました。これを読んだとき、私が苦しみながら鉱山で伝道していることを主が喜んで下さるなら、一生涯ここで伝道し、「働け」と言われてもこの道に喜んで従おうと考えたときに平安が来ました。その次の日、仕事が苦しくても喜びになりました。主に委ねることが必要でした。そして間もなく、家を出て新城に来ましたが、神様の道があるので委ねたら良いのです。一人一人に「歩む道」があるのです。そして、主に信頼することが必要です。信頼することはより頼むことです。中途半端ではなく信じることです。信じることはお互い様です。滝元明が主を信じたということは、イエス様も、「わたしもあなたを信じたよ。」と言われます。「あなたにお委ねします。」と言うと、「わたしもあなたに委ねたよ。」と言われます。神様を心から信頼して行くならば神様もあなたを信じて下さり、私たちは絶対に失望することはありません。
 旧約聖書にアブラムについて書かれています。彼が七十五才になった時に神様が、「わたしは全能の神である。わたしの示す地にこれから出て行きなさい。」と言われました。アブラムは天地を造られた神に本気で信頼していたので「はい。行きます。」と言って「行くところ知らずに出ていった」と書かれています。その子孫が今のユダヤ人です。神様は信頼する人を喜ばれます。彼には子どもがありませんでしたが、彼が百歳の時に神様は子ども、イサクを与えられました。そして、イサクを愛して喜びました。彼はあまりにも嬉しかったので、神様よりもイサクを愛したかと思います。
 ある時、神様がアブラムをテストしました。「アブラム。あなたの子イサクを全焼のいけにえとしてささげなさい。」と言われました。「全焼のいけにえ」とは羊を殺して薪で焼いて神様にささげることです。彼は驚いたと思いますが、その時アブラムは、「あなたの末によって皆祝福される」と言われたことを心の中で、「信じます。神様が私に約束の子イサクを与えたので、たとえ子をささげてもきっと生き返らせてくださるでしょう。」と信じました。三日間かけてモリヤの山に登り、彼を刀で切ろうと思ったときに、天使が、「待て!」と言いました。「あなたの愛がわかった。あなたはひとり子よりも私を愛していることがわかった」と言われました。私は自分にかけて誓って言う、あなたの子孫は必ず祝福されると言われました。彼は信頼しました。それによって神様が祝福して下さいました。ですから、皆さんの人生を神様にかけて信頼してください。
 詩篇五十五篇二節に、

『あなたの重荷を主に委ねよ。主は、あなたのことを心配してくださる。主は決して正しい者をゆるがされるようにはなさらない。』

と書かれています。イエス様を信じて神様に委ねたら、あなたのことは神様が心配してくださるのです。『あなたの重荷を主に委ねなさい。』主はあなたを心配されているのであなたは絶対にゆるがされることはないですよ、と約束されています。お祈りするとき、「天のお父様」「アバ父よ」と祈ります。神様が私たちの父であったら、この方に私たちの重荷を委ねれば素晴らしい平安な生活をすることができるのです。だから、あなたは主に委ねなさい。神様があなたのことを心配していてくださると書かれています。
 イエス様は『すべて疲れている人はわたしのところに来なさい。あなたを休ませてあげます。』と言われました。私たちの重荷を主に委ねることは大切なことです。重荷とは何でしょうか。
 昨日「ざわめきワーシップシャウト」に行きました。一人のおじさんが私のところに来て、「今日は先生が来ると思ってきました」と言われました。そして、「丁度一年前にスーパーミッションにいきました。」と言われました。この方は毎朝一時間くらい散歩をしていました。その時、案内をもらい「行ってみよう」と思ったそうです。そこでのメッセージを聞き、祝福されたそうです。この方はある銀行の重役です。それから彼は毎日来て、ついに信じる決心をしました。まだバプテスマを受けていませんが、去年の実が結ばれています。その方に、「日本の経済どうですか」と聞きました。すると、「今は大丈夫です。」「不良債権問題はどうですか?」「あれは最終段階になっていますので、大丈夫です」と言われました。経済を動かす人が「大丈夫です」と言われましたが、彼の言葉は大丈夫かどうかわかりません。しかし、神様は大丈夫です。
 昨日の集会の中でアーサー・ホーランド師が説教されました。彼は愛知県民の森に祈りに来て変えられました。彼はあまり祈れずに、私について来て一時間、私の祈りを聞いていました。「聞いていないで自分も祈りなさい」と言うとやっと祈り出しました。私と徹夜で山に登って祈り、神様からの啓示を受けたと思います。それから路傍伝道や十字架を担いだりと、素晴らしい働きをするようになりました。今は薬物依存症の人を助ける働きをしています。また、死刑判決を受けた人を救いに導く働きをされています。
 「今日は薬物依存症の五郎を連れてきたから五郎に証してもらいます」と紹介すると女の子が出てきました。「なぜ、五郎ですか」と聞くと、その両親が男の子が欲しかったので女の子が産まれたとき、五郎と名付けたそうです。子どもが産まれる前に男が良い、女が良いというのは、人間の選択はありません。神の計画があるので神から見て不必要な人はいません。彼女は十六歳から薬物を使い始めました。薬物を使っている人は絶対に悪くなります。シンナーを吸うと心が解放され「ここに生きる道がある」と思っても、一年程経つと精神病院に入ります。そして、「何とかして薬から解放されたい」と思っても解放されません。自分の力ではどうしようもできないことがあります。
 先日ナオス神学校の講義に行きました。校長先生は中島さんです。彼はミッション・バラバの一人です。その話を聞きました。彼も薬を使うようになりました。そうしたら、一人の人を殺そうを思ったそうです。なぜならば、薬で幻覚状態になり、同じ組員が自分の奥さんを見て笑っただけで「俺の家内を取ろうとしている」と思い、「殺してやろう」と考えたそうです。
 ある人は酒、たばこ、悪習慣をやめたいと思ってもやめれないのです。しかし、五郎さんは言いました。「私は薬の依存症でしたが、五年間やっていません。」また、中島さんやミッションバラバのメンバーが喜んでいるのは、イエス様の力です。ですから、皆さんの家庭が破局を迎えようとしても、あきらめてはいけません。早まって離婚してはいけません。絶対に神様が建て直してくださいます。私の知っているある方は、たばこ中毒になっていました。たばこは中毒になり、ニコチンが血液や細胞に入るとどうしてもやめることができなくなります。ある日彼は火鉢から吸いがらを出して、震えながら吸ったそうです。その時彼は、「惨めだ、こんな汚い吸いがらを飲まなくてはならないとは、何て惨めなのだ。神様、助けて下さい」と祈ったそうです。すると翌朝奥さんが、「あなたは変わった!!」と驚きました。彼は重荷から解放されたのです。
 イエス様のところに来なさい。イエス様が皆さんを助けることができますので、重荷を主に委ねると解放されます。
 人間にとって一番大きな重荷は、死の恐れです。死んだらどこに行くか?間もなく盆が来ますが、盆はめちゃめちゃです。あれは行く道がわからないのです。盆になると仏様が三日間帰ってくると言って仏壇に色々なものを捧げます。先祖が地獄の蓋が開いて帰って来るというのです。本来、仏教は哲学なので、本当は極楽も地獄もありません。しかし、本当はどこに向かうのかわかりません。死んだらどこに行くかはイエス様にしか解決がありません。『わたしが道であり、真理であり、いのちです。だれでもわたしによらなければ父のみもとに行くことはできません。』と書かれています。イエス様を信じたらどのような罪も赦され、罪からも解放されます。なぜならば、イエス様が十字架にかかられて私たちのために死なれただけではなく、三日目によみがえってくださったからです。その方が私を罪と死の恐れから解放され、永遠のいのちを与えてくださいます。こんな嬉しいことはありません。主に信頼してください。解放され素晴らしい人生を歩むことができます。 ペテロ第一五章七節に、

『あなたがたの思い煩いを、いっさい神に委ねなさい。神があなたがたのことを心配してくださるからです。』

と書かれています。だれでも思い煩いがあります。今、薬物依存症の人は二五〇万人いるそうです。C型肝炎の人数と同じです。不登校者が十三万人、自殺者は三万三千人です。日本の状況は大変な状況です。日本に必要な方はイエス様です。今、失業してホームレスの人が多いです。しかし、イエス様は『あなたがたの思い煩いを、いっさい神にゆだねなさい。』と言われます。政府は色々なことを言っていますが心配です。自民党だけが良いのではありませんし、民社党だけが良いのでもありません。ある議員は将来、徴兵制度を作らなければならないと言っています。もし徴兵制度ができて子どもたちが兵隊にいくようになったらどうなってしまうのだろうか、と思います。しかし、私たちは何を着ようか何を食べようか思い煩うのはやめなさい、と聖書に書かれていますので、心配せずにイエス様に信頼して、これから何があるかわかりませんが、食べること、着ること何もかもをイエス様にお委ねしますと委ねてください。委ねたらそれを引き受けて必ず解決できる方です。信頼です。信仰です。
 スウェーデンでハンセン先生が十日間世話をしてくれました。とても柔和な人です。私の孫の里辺架と清香は、「ハンセン先生のファンになりました」と言っていましたが、とても柔和です。買い物に一緒に行って、彼女たちが約束の時間に帰ってこなくてもニコニコして待っています。普通ならばイライラすると思います。こんな人になれたら素晴らしいと思いました。
 しかし、彼は日本に来て浜名湖のキャンプ場を建てる時、どうしてもお金が足りなかったそうです。それで、思い切って自分の金を全部ささげたそうです。食べるものがない時が何日もありました。しかし先生は二週間、ミートボールをいくら食べてもなくならないという奇跡により、その間ずっと食べる事が出来たそうです。彼は、「私たちが宣教師になるときに、一つの誓約をする」と言っていました。それは「もし金がなくなっても、信仰でいきます」という誓約です。私たちは金に寄り頼むのではなく、誰により頼むのでもなく、イエス様により頼みます。これからどうなるのかわからない、しかし、イエス様は死ぬまで必要だけは与えられるので、心配しなくても良いと言われます。ですから、今日心配事がある方、重荷がある人はイエス様にお祈り、お委ねしましょう。
バックナンバー

戻る
戻る