今週の礼拝メッセージ
2001.9.30 (SUN)
何でも
新城教会 滝元明牧師

新約聖書 ヨハネの福音書14章1節
あなたがたは心を騒がしてはなりません。神を信じ、またわたしを信じなさい。

 ハレルヤ!今日は皆さんと一緒に礼拝を守ることができることを心から感謝します。いつも私のために祈ってくださっていることを感謝します。昨日は国会議事堂に行って祈りを持ちました。「日本のために祈る」という時間を持ち、九十名程の方々が集まり、素晴らしい時を持ちました。参議院、衆議院、首相官邸前、外務省などを見ながら日本のために祈りました。恵まれた時を持つことができ感謝します。神様は必ず私たちの祈りに答えて下さる方です。これから聖書の御言葉を学びます。

『あなたがたは心を騒がしてはなりません。神を信じ、またわたしを信じなさい。』

 今の時代は心配な時代です。九月十一日にニューヨークの世界貿易センターが攻撃を受け、テロが起こりました。それに伴って世界経済が揺れ動いています。これからの日本はどうなっていくのかと考えると、色々、不安があります。今朝の新聞では、今度の戦争は十五年位かかるだろうと言われています。しかし、歴史を支配するのは神様です。だから私たちは神を信じて進むべきです。イエス様が『あなたがたは心を騒がせてはなりません。神を信じ、またわたしを信じなさい。』と語られました。これからどんな時が来るかわかりませんが、私たちは神を心から信じて信頼したら解決できない問題はなく、これからどんな時代が来ても平安な生活をすることができます。
 今日は「何でも」というタイトルで御言葉を学びます。どんな時が来るかわかりませんが、今日は「何でも」という御言葉を捕まえ、聖書を学んでいきます。ヨハネの福音書十四章十二節から十四節には、

『まことに、まことに、あなたがたに告げます。わたしを信じる者は、わたしの行なうわざを行ない、またそれよりもさらに大きなわざを行ないます。わたしが父のもとに行くからです。またわたしは、あなたがたがわたしの名によって求めることは何でも、それをしましょう。父が子によって栄光をお受けになるためです。あなたがたが、わたしの名によって何かをわたしに求めるなら、わたしはそれをしましょう。』

と書かれています。これからどんな時代になるか分かりませんが、何でもイエス様にお祈りしたら、「父はこれを聞いて下さる」という約束があります。信仰を持ちましょう。最近この御言葉を読み恵まれました。
 私は一九四五年二月十三日にイエス様を信じました。洗礼を五月三十日に受けました。東京都の久留米川でバプテスマを受けました。私が洗礼を受けるときに穐近先生が、「兄弟、今日は罪に対して死に、神に生きるのだ。わかったか。」と言われました。「はい。わかりました。」その時先生が、「滝元兄弟、バプテスマを受けるときには何でも祈りが聞かれるんだ。」と言われました。この言葉には魅力があり、私は何でも祈ろうと思いました。その時、私はすでに伝道者になることを心に決めていましたので、「イエス様。私の人生をささげます。日本中、世界中を回る伝道者になることができるように。アーメン」と祈りました。私は水から上がった後、考えました。ちょっと大きなことを祈ってしまったかと思いました。今の時代、世界を旅行することは大したことはありません。一年に一千五百万人が海外旅行する時代です。しかし今から五十二年前、戦争が終わったすぐ後で世界を廻って伝道するなどは夢のまた夢でした。その時は大きなことを祈ったと思いました。しかし今思うと、その祈りが聞かれています。イエス様がその時の祈りを受け入れて下さり、今日まで毎週のように色々な教会を巡回することができ、四十八年も経ちました。世界の色々なところに行き伝道しました。これは祈りが聞かれたことです。
 バプテスマの時に「何でも良いから祈れ」と言われて、「痔が痛い」と思っていましたが、それを言うことができずに受けました。しかし、バプテスマの時に完全に癒されて、あれから痔が悪くなったことはありません。そのような話しをあちらこちらでしています。
 「バプテスマの時に祈った祈りは何でも聞かれる」と言われましたが、今考えると、「そんな教えが聖書のどこに書かれているだろうか」と思いました。しかし最近、聖書を読みました。十三節に、

『またわたしは、あなたがたがわたしの名によって求めることは何でも、それをしましょう。』

と書かれています。私たちがイエス様を信じたら、「何でも」祈りを聞いて下さるという約束です。これは素晴らしいことです。「祈りが聞かれるから祈りなさい」と言われたことは聖書に書かれていることだと思いました。ですから、これからどのような時代が来るかわかりませんが、何でも祈ってみて下さい。
『あなたがたがわたしの名によって求めることは何でも、それをしましょう。』です。イエス様が私たちに約束されたことは確かなことです。何でも良いので祈りなさい、そうしたら祈りを聞いてあげると言われました。
 今朝願い事がありますか。何でも良いから祈りましょう。求めましょう。今日は信じて祈ってみて下さい。何でも信じて何でも祈って下さい。ヨハネの十五章五節から七節に、

『わたしはぶどうの木で、あなたがたは枝です。人がわたしにとどまり、わたしもその人の中にとどまっているなら、そういう人は多くの実を結びます。わたしを離れては、あなたがたは何もすることができないからです。だれでも、もしわたしにとどまっていなければ、枝のように投げ捨てられて、枯れます。人々はそれを寄せ集めて火に投げ込むので、それは燃えてしまいます。あなたがたがわたしにとどまり、わたしのことばがあなたがたにとどまるなら、何でもあなたがたのほしいものを求めなさい。そうすれば、あなたがたのためにそれがかなえられます。』

と書かれています。イエス様がぶどうの木で、あなたがたは枝なので、枝が木についていれば実を結ぶことができる、しかし枝が木についていなかったら実を結ぶことができないと言われました。だから、クリスチャン生活は難しいことではなく、ただイエス様と一緒にいるということです。そうしたら多くの実を結ぶと言われています。

『あなたがたがわたしにとどまり、わたしのことばがあなたがたにとどまるなら、何でもあなたがたのほしいものを求めなさい。そうすれば、あなたがたのためにそれがかなえられます。』

と書かれています。これは素晴らしいことです。今朝、欲しいものを何でも求めて下さい。聖書には、神に求めたことが書かれています。ソロモンに神が現れ、何が欲しいかわたしに求めなさいと言われました。彼の父ダビデは素晴らしい王様でした。そしてソロモンはお父さんから王の位を受け継ぎました。その時彼は神に求めました。
「神様。私はまだ若い者です。あまりにも民が多くて、出入りすることができないほど私は小さい者です。どうぞこの人々を正しく裁くことができるように、私に知恵を与えて下さい。」と祈りました。その時、神様は喜んでソロモンに、「あなたは敵のいのちを下さいと言うのではなく、富を下さいと言ったのではなく、正しく人々をさばく知恵をくださいと言ったので、わたしはあなたに知恵を与えよう。それと同時に、あなたに素晴らしい富も誉れも与えてあげる」と言われました。そして彼は、素晴らしい神様からの祝福をいただき、ソロモンの先にソロモンなく、ソロモンの後にソロモンなしと言われるほど素晴らしい祝福を受けました。これは彼が、「神のみこころの祈り」をしたからです。今日皆さんの中で知恵の欲しい方は

『あなたがたの中に知恵の欠けた人がいるなら、その人は、だれにでも惜しげなく、とがめることなくお与えになる神に願いなさい。そうすればきっと与えられます。ただし、少しも疑わずに、信じて願いなさい。』

と書かれています。時々、知恵が必要なときがあります。今後どこに就職しようか、これからどういう道に進んだら良いか、また、「私は知恵が欠けていますから知恵を与えて下さい」という願いもあります。「何でも」ですので、心から求めたら神様が知恵を与えて下さいます。
 また、箴言ではひとりの人が神様に求めました。彼が祈ったことは、「神様。たくさんの富を下さい。」と言うのではなく、「神様、なくてはならないもので私を養って下さい。あまり富まないようにお願いします。あまり豊かになるといつの間にか神様を忘れ、神がどうでも良くなってしまいますから、なくてはならないものを持って私を養って下さい。また、私の唇から嘘、偽りを取り除いて下さい。」という願いを持ちました。真実な生き方ができるように、ということです。これを神様は喜ばれました。「たくさんの金を下さい」それは悪いことではありませんが、「なくてはならぬものを持って養って下さい。」あまり豊かになると神様を忘れるかも知れないし、そうかといって貧乏すぎると人の物に手を出し、盗みをして神様を名を汚すことがあるかも知れないので、そうしないようにお願いします、という祈りです。
 先日、千葉県の教会に行きました。その集会はとても良かったです。立派な夫婦が来て、「先生。今日は恵まれました。最近私が教会に行き始めていますが、今日は聖書の話がわかり、なぜかわかりませんが初めから終わりまで涙が出て仕方がなかった」と言われました。彼が名刺を持ってきました。祈って下さいと言われました。彼は五十歳以上の方ですが、祝福を祈りました。彼は会社の取締役でした。「何をしているのですか。」と聞くと、「はい。パチンコ屋を経営しています。」と言いました。そこで私は「兄弟、たくさん儲け、たくさん献げなさい。」と言うと、「はい。私はこれから教会堂を建てたいと思っています。」と言っていました。彼はそのような願いを持っていました。私たちは神のために富が必要です。自分のためではなく、神様のために富を与えて下さい。貧しい人を助けるために私に必要なものを与えて下さい。そのような祈りは何でもの中に含まれますので求めて下さい。
 マルコの福音書十一章二十二節から二十五節に、

イエスは答えて言われた。「神を信じなさい。まことに、あなたがたに告げます。だれでも、この山に向かって、『動いて、海にはいれ。』と言って、心の中で疑わず、ただ、自分の言ったとおりになると信じるなら、そのとおりになります。だからあなたがたに言うのです。祈って求めるものは何でも、すでに受けたと信じなさい。そうすれば、そのとおりになります。

と書かれています。ある人がイエス様のところに来て、私の子どもがてんかんで火の中に投げ込まれたり色々苦しんでいます。そのために弟子たちが祈りましたが直りませんでした、と言いました。その時にイエス様が、「信仰の薄い者たち」と言われ、悪霊を追い出す祈りをされました。その時弟子たちが、「先生。どうして私たちは悪霊を追い出すことができなかったのですか」と言うと、「信仰が足らないからだ」と言われました。「神を信じなさい。」と言われました。神にはできる。神には不可能なことがないということを信じなさいと書かれています。ここに、「だれでも、この山に向かって、『動いて、海にはいれ。』と言って、心の中で疑わず、ただ、自分の言ったとおりになると信じるなら、そのとおりになります。」と書かれています。私たちの人生の中には動かすことができないような問題の山があります。どうして良いかわからない時に、信仰によればその山を動かすことができます。そしてイエス様は、

『だからあなたがたに言うのです。祈って求めるものは何でも、すでに受けたと信じなさい。そうすれば、そのとおりになります。』

と言われました。「祈って求めたことは聞かれた」と「何でも」信じることが必要です。私はこの言葉を信じました。「何でも」と信じました。イエス様が何でもと言われたのでお願いしますと信じて祈っています。今日何か問題がある方は何でもと言われていますので、家計、経済、対人関係、悪霊に関することなど、何でもイエス様のところに来て求めて下さい。そうすれば、神様が祈りに答えて下さると言われています。何でも聞いて下さると言われましたが、条件があると書かれています。

『また立って祈っているとき、だれかに対して恨み事があったら、赦してやりなさい。そうすれば、天におられるあなたがたの父も、あなたがたの罪を赦してくださいます。」』

と書かれています。「恨みを持って祈っても聞かれない」と言うことです。恨みごとがあったら恨みごとをやめなさい。赦すことが大切です。赦してあげたら祈りは聞かれるというのです。マタイの福音書十七章二十節から二十一節に、

イエスは言われた。「あなたがたの信仰が薄いからです。まことに、あなたがたに告げます。もし、からし種ほどの信仰があったら、この山に、『ここからあそこに移れ。』と言えば移るのです。どんなことでも、あなたがたにできないことはありません。〔ただし、この種のものは、祈りと断食によらなければ出て行きません。〕」

 「どんなことでも」と書かれています。昨日国会で祈りましたが、昨日祈った祈りが聞かれたと思いますか?聞かれないと思いますか?色々なことを祈ってきましたが、聖書には「わたしに求めなさい。そうしたらあなたがたに国々を与える」と語られています。歴史を支配されているのは神様ですから、この国が素晴らしい国になるようにクリスチャンが「何でも」この国を愛して、真剣に祈ったら祈りが聞かれて素晴らしいことが起こされます。今日の御言葉を捕まえて小さなことから大きなことまで祈って下さい。「イエス様。お腹が痛いです。直して下さい。」というのも良いことです。何でもです。しかし、私の家を祝福して下さい。夫婦間がうまく行くように。対人関係が良くなりますように・・・などと祈っていくことも素晴らしいですが、段々祈りが広がり、「国のため」に祈ることは素晴らしいことです。この国を正しく導いて下さい。正義がまかり通りますように。不倫が横行しないように。暴力をなくして下さい。ヤクザも救われますように。自殺者がなくなるように。離婚が少なくなりますように。交通事故がなくなりますように・・・などと信仰によって祈ることが大切です。聖書の中に、「上に立つ人のために、地位の高い人のために、王のために祈りなさい」と書かれています。上に立つ人のために祈ったら神様が祈りを聞いて下さり、あなたがたが安らかな生活をすることができる、すべての人が救われて神を知ることに至ると書かれていますから、全てのことについて私たちが信仰を持って祈ることが大切です。憎んだ人を赦すこと、そして、どうしても難しいときには断食をして祈ったら、祈りが聞かれると書かれています。アメリカのテロ事件以来、日本も景気が悪いです。これからもっと経済が悪くなるかも知れません。アメリカの航空業界でもリストラにあった人が七万人と言われます。航空業界は旅行キャンセルのために多くの損害を受けているというのです。人生に何が来るかわかりませんが、心配しないでください。マタイ六章三十三節に、

『だから、神の国とその義とをまず第一に求めなさい。そうすれば、それに加えて、これらのものはすべて与えられます。』

『空の鳥を見なさい。種蒔きもせず、刈り入れもせず、倉に納めることもしません。けれども、あなたがたの天の父がこれを養っていてくださるのです。あなたがたは、鳥よりも、もっとすぐれたものではありませんか。あなたがたのうちだれが、心配したからといって、自分のいのちを少しでも延ばすことができますか。なぜ着物のことで心配するのですか。野のゆりがどうして育つのか、よくわきまえなさい。働きもせず、紡ぎもしません。しかし、わたしはあなたがたに言います。栄華を窮めたソロモンでさえ、このような花の一つほどにも着飾ってはいませんでした。きょうあっても、あすは炉に投げ込まれる野の草さえ、神はこれほどに装ってくださるのだから、ましてあなたがたに、よくしてくださらないわけがありましょうか。信仰の薄い人たち。そういうわけだから、何を食べるか、何を飲むか、何を着るか、などと言って心配するのはやめなさい。こういうものはみな、異邦人が切に求めているものなのです。しかし、あなたがたの天の父は、それがみなあなたがたに必要であることを知っておられます。だから、神の国とその義とをまず第一に求めなさい。そうすれば、それに加えて、これらのものはすべて与えられます。』

と書かれています。しかし「与えられる」にも一つの原則があります。ピリピ四章四節から七節には、

『いつも主にあって喜びなさい。もう一度言います。喜びなさい。あなたがたの寛容な心を、すべての人に知らせなさい。主は近いのです。何も思い煩わないで、あらゆるばあいに、感謝をもってささげる祈りと願いによって、あなたがたの願い事を神に知っていただきなさい。そうすれば、人のすべての考えにまさる神の平安が、あなたがたの心と思いをキリスト・イエスにあって守ってくれます。』

と書かれています。
 よく私は質問されます。「先生。お元気ですね。」と言われます。元気だと思います。しかし、今日は元気でも明日はわかりません。しかし、時々健康の秘訣は何ですかと聞かれます。私の健康の秘訣は節制を守る事です。寝る時間を気をつけています。若いときに友だちが来ると朝方まで話し込んでしまうことがありました。しかしそれはやめて、お客さんが来ても十一時になったら、もう寝ましょうと言って寝ます。私は十一時に寝て朝五時に起きるようにしています。四十数年これをしています。節制したことが健康な秘訣です。寝不足にならないことです。もう一つは、思い煩わないことです。心配事があるとすぐにイエス様のところに行きます。時々、心配事があると夜中でも起きて教会に来て祈ります。平安がきます。心配しない、思い煩いを委ねることは健康の秘訣です。健康であることのもう一つは、イエス様を信じてから酒やたばこを飲まないことです。酒を飲む人は早死にです。肝臓を痛めます。だからこれも健康の秘訣だと思っています。一番今日まで健康があることは主が私を守って下さったことです。
 九月二十日で七十二歳になりました。子どもたちと孫たち二十九名が集まってお祝いをしてくれました。色々なプレゼントをくれました。その中で気になる言葉がありました。私の息子が「ぼけないで頑張ってくれ」と書いてありました。「ぼけないで!」と言われてぼけるかなあと考えましたが、私はぼけないことを信じました。なぜ、信じたかというと、私が伝道に入った時に、『わたしはあなたを必ず恵み恵まん。増やし増やさん』と語られたことを信じています。私が持っている信仰は必ず祝福して下さるということです。神様がアブラハムにして下さった約束を信じますということです。そして、私は聖書を読み、アブラハムの晩年を見ました。アブラハムは年をとってぼけたと思いますか。

『アブラハムは年を重ねて、老人になっていた。主は、あらゆる面でアブラハムを祝福しておられた。』

と書かれています。神様はアブラハムに年をとって老人になり、彼のあらゆる面で神様は彼を祝福したことが書かれています。私もこれから、将来、あらゆる面で祝福されるということを信じました。このアブラハムの年は百四十才でした。彼が死んだのは百七十五才でした。神様がアブラハムを祝福され、晩年も祝されたらぼけないと信じました。私は皆さんに言えるのは、死ぬまでは絶対に生きるということです。生きている限りは神様が恵んで下さると信じています。テサロニケ第一の五章十六節から十九節に、

『いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。すべての事について、感謝しなさい。これが、キリスト・イエスにあって神があなたがたに望んでおられることです。御霊を消してはなりません。』

と書かれています。イエス様が何でも聞いて下さると言われましたが、神様が要求されていることがあります。それが「いつも喜んでいること」です。つぶやくことをやめましょう。心配することはやめましょう。いつも喜んでいることです。絶えず祈りなさいということは、何でもすぐにお祈りすることです。全てのことについて感謝しなさい。今日皆さんの中に何か問題のある方は問題があることも感謝しましょう。神様がそのことを通して栄光を現して下さいます。問題が神様によって解決されて良くなります。悪いことは良いものに変わります。悩みがある人は喜びに変わります。心配事は神様によって解決します。今日の御言葉は、「何でも」です。何でも信じますか。今日はこの事を信じましょう。今週は何でも祈って下さい。そして何でも感謝しましょう。素晴らしいことが起こされることを信じましょう。お祈りします。
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