今週の礼拝メッセージ
2001.10.7 (SUN)
健康!
新城教会 滝元順牧師

新約聖書 テサロニケ第一 5章23節
平和の神ご自身が、あなたがたを全く聖なるものとしてくださいますように。主イエス・キリストの来臨のとき、責められるところのないように、あなたがたの霊、たましい、からだが完全に守られますように。

ヨハネの手紙第三 2節
愛する者よ。あなたが、たましいに幸いを得ているようにすべての点でも幸いを得、また健康であるように祈ります。

 ハレルヤ!しばらく振りで皆さんと共に礼拝が守れることを心から感謝しています。いつも私の働きのために祈って下さり、支えてくださっていることを感謝します。健康が守られていることは、皆さんのお祈りがあることと心から感謝しています。今日は「健康!」というタイトルで皆さんと共に学びます。聖書はある特定の人物に宛てた手紙であったり、ある教会への手紙であったりしますが、これらを自分に適応させ受け取っていただきたいと思います。第一テサロニケ五章二十三節に、

『平和の神ご自身が、あなたがたを全く聖なるものとしてくださいますように。主イエス・キリストの来臨のとき、責められるところのないように、あなたがたの霊、たましい、からだが完全に守られますように。』

ここに『完全に守られますように』という言葉がありますが、これは「全く整った、非の打ち所がない健康」という意味もあります。それは「構成部分が全く整っていて欠けたところがない」、「仕上げられて完成されている」という意味です。今日、神様が皆さんに願われていることは、試練を与えて苦しめることではありません。欠けることがない、完全な健康を与えて人生を楽しませようとされている、と信じていただきたいと思います。
 第三ヨハネの二節には、

『愛する者よ。あなたが、たましいに幸いを得ているようにすべての点でも幸いを得、また健康であるように祈ります。』

と書かれています。これはヨハネがガイオに宛てた手紙の一節です。しかし、これは神が私たちに対して願っておられる御心でもあります。私にであれば、「愛する滝元順よ。あなたが、たましいに幸いを得ているように、すべての点でも幸いを得、また健康であるように祈ります。」とイエス様が御座の前でとりなして祈って下さっているのです。神様は良い方です。私たちに良いもので満ち足らせようとされています。ですから、この御言葉を自分自身への言葉として受け取って下さい。
 『愛する者よ。あなたが、たましいに幸いを得ているようにすべての点でも幸いを得、また健康であるように祈ります。』・・・この御言葉をお互いに宣言し合って下さい。これは祝福の言葉です。一般社会においては、呪いの言葉によって傷ついているかも知れません。しかし、教会は神の祝福を受け取る場所です。御言葉を宣言し合うことにより、祝福がもたらされるのです。
 『あなたがたましいに幸いを得』とありますが、イエス・キリストを信じる者たちはたましいに幸いを得ています。これは重要なことです。今日、全員の方が健康ではないかも知れません。ある方は病み上がり、ある人は病気かも知れません。また、病気で教会に来れない方もおられます。私は病の方々のいやしのために祈っていますが、イエス・キリストを信じている者はたましいに幸いを得ています。どんなことがあっても、永遠のいのち、永遠の救いを受けていることは事実です。イエス様をまだ信じていない方はぜひ、信じて下さい。イエス様を信じたら「たましいに幸いを得る」ことができるようになります。
 「たましいに幸いを得る」という意味は、「たましいに道が開ける」、「たましいが順調な旅をする」という意味があります。人生に閉塞感が漂っていても、イエス様を信じるときにたましいに道が開け、順調な人生行路が始まります。
 今回、教会ニュースに「人生街道」というメッセージを書きました。これをぜひ誰かに渡して下さい。これを読むと驚いてイエス様を信じると思います。イエス様を信じるとたましいに幸いを受けます。
 クリスチャンはたましいが幸いであれば良い、と言われるかも知れませんが、「全てが幸いを得」、「健康であるように」と祈られています。イエス・キリストの救いは「全人的な救い」です。すべてにおいて救いを祝福を受けることができます。その秘訣を今日は学びたいと思います。
 聖書は人間の構造について教えています。人間の構造を一言で現すことはできませんが、聖書に基づく理解によると、テサロニケ五章二十三節に、

『平和の神ご自身が、あなたがたを全く聖なるものとしてくださいますように。主イエス・キリストの来臨のとき、責められるところのないように、あなたがたの霊、たましい、からだが完全に守られますように。』

と書かれています。人間は体だけではなく、霊もたましいもあります。すなわち、霊・肉・たましいという三つの構造から成り立っていると教えています。人間は肉体だけの存在ではありません。しかし肉体も見える部分で大切なものです。私たちは互いに外観を見ています。そして肉体が健康であることはとても重要な条件です。やはり何がなくても健康が確保されていることは大切なことです。「あなたの人生で一番必要なものは何ですか」と聞かれると、お金や地位、名誉もありますが、やはり健康が一番だと思います。どんなに地位や名誉やお金があっても、健康がなくては悲しいことです。調べてみると、日本では多くの方々が病んでいることがわかります。厚生労働省が全国患者数という統計を出しています。その統計を見ると、今どれくらいの方が肉体の病を負っているかがわかります。平成十一年十月の調査で、高血圧で治療受けている人数は七百十九万人です。車でも長い間使っていると故障しますが、人間の肉体も土の器なので使っているとガタが来て、病気になったりします。しかし聖書は「肉体も健康でありますように」と祈りをもって我々を励ましています。
 同時に、人間は肉体だけではなく、たましいがあることがわかります。たましいとは何であろうかと辞書で調べてみました。すると、「人格から体を除いたもの。精神活動する主体。自我、自己、たましい」と記されていました。人間には人格があります。私たちの交わりは人格を通しての交わりです。聖書は素晴らしい教えをしています。『自分よりも人を優ったものと思いなさい』
 教会に来たら、お互いが自分よりも優っていると評価し合って下さい。この世の中では互いを低く見合って自分が優っていると考える価値観に基づいて生きています。しかし、聖書はそうではありません。お互いに優っていると言われます。キリストの体の中で一人一人優っています。なぜならば、人格は神様が造られたからです。今日ここにおられる全てが神の作品であり優れたものです。ですから私たちはお互いに尊ぶべきです。「あの人は・・・」と言う人がいてはいけません。たましいは重要な人間の中心部分です。そして、そのたましいも健康であるようにというのが神の御心です。しかし、残念ながら多くの方々がたましいに問題を持っています。平成八年十月の調査では、何らかの精神障害で治療を受けていた人が全国で三百八十万人と出ていました。治療を受けていないけれど苦しんでいる人を加えたらもっと多いはずです。三百八十万人とは人口の約三パーセントです。箴言は一日一章読むと一ヶ月で読めますのでぜひお読み下さい。十五章十三節に、

『心に喜びがあれば顔色を良くする。心に憂いがあれば気はふさぐ。』
また十五章十五節に、
『 悩む者には毎日が不吉の日であるが、心に楽しみのある人には毎日が宴会である。』
十七章二十二節には、
『 陽気な心は健康を良くし、陰気な心は骨を枯らす。』

と記されています。現在、皆さんのたましいは健康ですか。憂いがあったら気は塞ぎます。病気は気から来ると言います。喜びがある人はやはり健康です。今週の土曜日は寺田兄と徳永姉の結婚式ですが、見ただけで彼らは喜び溢れています。一生懸命喜びを隠そうとしても溢れてしまいます。結婚式が近い人は喜びが満ち溢れています。

『 悩む者には毎日が不吉の日であるが、心に楽しみのある人には毎日が宴会である。』

いかがですか。毎日は不吉の日ですか。それとも宴会の毎日ですか?「先週は不吉な一週間だった」といわれる方がいるかも知れません。また、「先週は宴会の一週間でした」という方もいると思います。どこに原因があるかというとたましいです。たましいが健康であれば宴会のような日になります。また、『 陽気な心は健康を良くし、陰気な心は骨を枯らす。』と教えています。いつも喜んでいることが健康の秘訣です。ぜひ、色々な問題があってもイエス様に委ねて陽気な心で暮らしていただきたいです。変な新興宗教が同じように言っていますが、本元はクリスチャンです。イエス・キリストによって陽気な心があれば健康です。しかし、その条件は「たましいに幸いを得ている」ことです。心が癒されていなければなかなかこのようにはなりません。しかし、今日、心配しないで下さい。神様があなたに対して、たましいが健康であるようにと語られていますから。「肉体だけではなく、たましいも健康でありますように」と祈って下さい。たましいが健康であったら、体も健康になるのです。このように、一般的に肉体とたましいの領域までは認識があります。しかし、次の「霊」という領域に対しては、なかなか認識がありません。聖書は「霊」という領域があると語っています。神学事典で霊について調べると、「霊とは神を知る能力であり、神との交わり、神の愛を喜ぶことができる能力、言い換えれば生きておられる神とあなたと私という人格関係に立つことができる能力である」と解説されていました。イエス様を信じている人は、霊の領域で神様とつながっています。霊は魂の領域よりも、もっと深い領域なので自分では認識できませんが、そこで神とコミュニケーションしているのです。それは教会に来ていても、来ない時でも同じように二十四時間、神様と「あなたと私」という関係が成り立っています。
 賛美しているときに神の臨在を感じませんか。賛美の中で感動することがあります。神の臨在に触れて涙があふれ出るときもあります。聖霊様に触れられて泣いてしまうことがあります。それは主の臨在を感じるときです。そのような時には、主がここにおられるという感動があります。しかし涙が出ないときでも神の臨在の中にいるべきです。涙でしか臨在が確認できないのならば、二十四時間泣いていて仕事になりません。けれども、私たちは常に神につながっています。それは、霊の世界においてつながっているのです。人間に霊の世界があることを認識させるために、神様も私たちに信号を出されています。そもそも、宗教心があるということは霊の領域を現しています。宗教心があるのは人間だけです。動物にはありません。猿と人間は構造上変わりません。猿の世界から一番人間に似ているのを連れてきてここに立たせ、人間の中から一番猿に似ているのをここに立たせて、「どちらが猿でどちらが人間か?」と聞いたらわからないかも知れません。しかし猿と人間の違いは宗教心です。世界のどこに行っても宗教がない国はありません。一時期、共産主義が蔓延し「神はいない、宗教はいらない、宗教はアヘンと同じだ」という声が聞こえたときもありました。しかし、現在、ほとんどの共産主義国家が消えてなくなりました。これは神様がおられる一つの証拠です。スイスの神学者エミール・ブルンナーは、「神を否認することの中にも、やはり神の意識がある」と語りました。「神などはいない」という中に、すでに神様に対する意識があるのです。
 また、イギリスのエドワード・ヤングという牧師は、「夜になると無神論者も半数は神を信じるようになる。」と言いました。人生の中には夜があります。人は色々な問題が起こると神を信じるようになるのです。暗闇が訪れたときに、誰でも「神様。助けて下さい」と言う叫びが生まれます。これは霊の領域のサインです。
 世界から見ると、日本人は無宗教に見えるそうであり、日本人は神を知らない国民であると批判を受けます。一九四六年、ルース・ベネディクトという人物が「菊と刀」という日本に関する本を書きました。その副題には「日本文化の型」というタイトルがついています。彼女は日本に来たことがありませんが、日本人を鋭く分析しています。日本人の精神を西洋と比べて明らかにしています。「日本は恥の文化」、「ヨーロッパは罪の文化」と呼んで比較しています。「罪の文化」と呼ばれる人々は、神と自分との関係において物事を捕らえる、従って、罪意識によって自分自身を規制する、つまり、誰が見ていようと見ていまいと、絶対者なる神の前における自分の態度を選ぶようになる。ところが、恥の文化の日本人は、人の目に自分がいかに映るかについて考えて行動する、と分析されていました。日本人は他人がどのような判断を下すかを推測し、他人の判断を基準に自己の行動方針を定めると言われています。ある意味で日本人は恥の文化だというのです。人がどう思っているか、あの人が見ていなかったら良い・・・。
 しかし、罪の文化と呼ばれる人たちは神様と自分との関係で判断を下します。私たちは指摘されているように、恥の文化の中で生きてきたかも知れませんが、世界観の転換が必要です。それは、神の国の文化の中で生きるべきです。人が見ていなくても私たちは神の前にどのように生活するかを心がける必要があります。これは霊の世界のことです。霊の世界でどのように私たちが神とつながっているかということです。本当の意味で、一番必要なことは、霊の領域の健康です。これが全人的健康を左右します。暗い気持ちであると、顔も暗くなり、陽気な人は健康になりますが、これは内側のことです。見えない世界において見える世界がコントロールされるのです。これは神が定められた法則です。心において人間が支配されるとしたら、もっと深い霊的な領域がどのようであるかによって、心が変わり肉体の健康も変化するのです。ということは、私たちが一番留意すべき領域は「霊的健康度」です。そして霊の世界がクリアになるときに、たましいも体も健康になり御言葉が実現するのだと思います。
 ヨハネ四章二十四節に、

『神は霊ですから、神を礼拝する者は、霊とまことによって礼拝しなければなりません。」』

と書かれています。これはイエス様の言葉です。神様は霊なる方ですので、私たちは霊的領域で神とつながっているのです。
 最近、コンピューターがどこ家庭にも入っています。特にインターネットというシステムが家庭の中に入ってきています。インターネットは電話線を通して世界の大型のコンピューターにつながっています。そして大型コンピューターが何か新しい情報を受け取ると、家庭の小さなコンピューターも、最新情報を受け取ることができます。だから、世界に起こっているニュースもすぐにわかります。相手の情報が変わればこちらの情報も変わります。
 クリスチャンになるまで私たちは、神の国の領域につながっていませんでした。どこの領域につながっていたかというと、暗闇の領域、悪魔の領域につながっていたのです。それも、常に接続されていました。だから悪い情報が常に流れて来ます。
 去年、私のコンピューターがウィルスに感染しました。コンピューター・ウィルスに感染するとコンピューターの中に悪い情報が入ります。一度入ると、ウィルスは自分の知能で動き、情報を壊していきます。私は丁度コンピューターをつないでいなかったから良かったのですが、常時コンピューターを電話線につないでおいたら大変なことになってしまったと思います。今まで苦労して情報を集めたのにも関わらず、コンピューターウィルスに感染すると、情報が全て失われてしまうのです。
私のコンピューターから情報が引き出しても、相手が伝道されたり、霊的な解放を受けるだけだと思いますが。会社や銀行のデータが抜き出されたら大変なことになってしまいます。神を信じない時代も霊の世界は存在していました。しかし、気付かないうちに悪霊の世界に常時接続されていました。そこから流れる情報は、良い情報ではありませんでした。コンピュータ・ウィルスのような人生を破壊するものでした。
 先週私は山口県で奉仕しました。山口県の方々はとても信心深く、浄土真宗の人が多いようでした。彼らは阿弥陀仏の力を借りて極楽浄土に往生しようと真剣に精神修養に励んでいました。熱心な人たちです。真剣に阿弥陀仏の寺院にすがっている人達でした。しかしそのような中、色々な問題があるのをみました。私が奉仕した集会では、特に、精神的な病で苦しんでいる方が多かったです。皆、親鸞の説いた浄土真宗が真理だと思いつながっていますが、悪い情報をもらっている人が多いのです。
 先週ある方が「私の家は本当に信心深く、ありとあらゆる神を拝み、月に二回は坊さんを呼んで拝んでもらっているんです。でも、家の中には不幸だらけです」と言って教会に来られました。私は、「あなたが常時接続している相手先が、本当の神様のところにつながっているのか、そうでないかをチェックした方が良いですよ」と話しました。
 イエス・キリストを信じていないときは、ウィルスがたくさん入っているホームページにつながっているようなものです。だから、悪いものが流れてきます。しかし、イエス・キリストを信じると、「イエス・キリスト」というパスワードで神の国につながります。だから、天国の素晴らしい情報が私たちのところに常時流れます。
 今はおもしろい時代です。私の息子がアメリカに留学して一ヶ月ほど経ちました。私は彼は英語ができないので苦労しているだろうと思い電話をしました。すると、「・・・何ともないよ。」と言っていました。息子はパサディナというところにいますが、その町に誰がつけたか知りませんがカメラがあり、インターネットにつながっています。それで、その町の様子を二十四時間実況中継しています。車の通りや人の通りが全部手に取るように見えるのです。それがなんと、私の息子と滝川兄の通学路に付いているのです。だから、じっと見ていれば本当に学校に行っているかどうかも見えます。日本にいながら、何千キロも離れた遠い街が見えます。
 先日、彼らから、「カメラの前に立つから見てて」と電話が来ました。彼らはカメラの前で三十分間ほどパフォーマンスしていました。しかし残念ながら、私たちには見えませんでした。なぜならば、その時に限ってカメラが故障していたことが後からわかりました。彼らは、はっきり言ってピエロでした。三十分間色々な格好をしたようですが、こちらでは全くわかりませんでした。調べたら、朝の九時の時点でカメラの画像が止まっていました。回線に異常があったのです。
 私たちも神の国につながっています。しかし時々、回線が異常なときがあります。神様は一生懸命私たちにサインを送っていますが、私たちはさっぱりわからない時があります。しかし、その回線が直ったらどうでしょうか。神の国の領域の一部始終が、手に取るようにわかります。そして、よい情報も流れてきます。私たちの内なるものが日々新しくされ、イエス様と似た者になることができます。今週は私たちの霊の領域が、神の国に常時接続されていることを祈りましょう。

 そして、その領域を邪魔するものが何かについて教えています。第一ヨハネ四章一節に、

『愛する者たち。霊だからといって、みな信じてはいけません。それらの霊が神からのものかどうかを、ためしなさい。なぜなら、にせ預言者がたくさん世に出て来たからです。』

と書かれています。新興宗教などには必ず、予言者がいます。そして人々に何らかのお告げをします。「お宅の家系にはこんな人がいませんか?その先祖の○○があなたにたたっていますよ。」と言われ恐れが来ます。先週も、ある新興宗教で予言を受けている人がいました。「結果はどうですか?」と聞くと、それは悲惨なものでした。だから、「霊だといって全部信じてはいけない」と聖書は語っています。そして第一ヨハネ五章二十一節に、

『子どもたちよ。偶像を警戒しなさい。』

と書かれています。英語の訳だと「偶像から自分自身を守りなさい。」となっています。パウロは偶像の背後に悪霊の働きがあることを指摘し、偶像礼拝を厳しく戒めています。私たちが、神の国とのつながりを止める一番大きな原因が「偶像礼拝」なのです。今は秋祭りの時期で、偶像礼拝が日本で盛んですが、ぜひ、警戒して戦って下さい。偶像礼拝は神の国に接続するものではなく、悪魔の国に接続するものです。偶像礼拝は悪霊との契約ですので、過去の偶像礼拝の契約が残っていると神の国の回線を妨害します。本当は十の情報が来るべきなのに五になってしまったり、変わってしまっていたり、色々な影響を与えます。だから私たちクリスチャンは偶像礼拝からはっきりと離れ、悪霊との契約書を打ち破っていくことが大切なのです。偶像礼拝から離れるとは、霊の世界が変えられるのです。そうすれば、神の国の情報が私たちに豊かに流れて来ます。すると、人生が根底から健康になり、霊が健康になれば、たましいも肉体も健康になるという法則があるのです。
 二週間前、私は富山で礼拝を持ちました。その時に悲しそうな顔をした家族が来られていました。十八歳の息子さんが松葉杖で来ました。足がくの字型に曲がっていて、動かないというのです。どうしてそんなふうになったかを聞きました。彼は柔道で肉離れを起こし、そのまま固まってしまったというのです。医者が調べたようですが、どこが悪いかわからないというのです。それで、しばらく様子を見ると言われて二ヶ月になるけど、あまり良くならないと言われていました。ご両親は泣いておられました。私はかわいそうに思いました。私たちの神様は、肉体もたましいも、霊も癒すことができる方ですからと話し、特に、「霊的領域が健康であったら、たましいにも肉体にも影響を与えるから祈りましょう」と話しました。そして霊の世界の癒しについて話し、「偶像礼拝に関わったことがありませんか」と話しました。病の癒しを祈ってくれるかと思ったら、どうしてそんなことを聞くのだろうかという顔をしていました。その方々はクリスチャンでしたが、まだご主人の家は偶像礼拝から離れていませんでした。「私は長男で、富山に住んで仏壇や偶像礼拝から縁を切ることは大変なことです」と話されました。しかし、「霊の世界の法則がありますのでしっかり断ち切った方が良いですよ」と話しました。そしてお母さんに、「あなたは偶像礼拝をしたことがありませんか。どこのご出身ですか」と聞くと、「沖縄の出身です。」と言われました。沖縄というと、県民の多くが偽予言者ユタに関わっています。ユタに聞いて物事を決定しています。ユタとの関わりを聞いてみました。すると、たくさん関わりがありました。でも「沖縄では普通のことです」と言っていました。しかしそれが危ないのです。それらをしっかりと悔い改めて、悪霊の影響をとっていただき、霊の世界が神の国に百パーセントつながり、霊もたましいも肉体も癒されるように祈りましょう、と言いました。家族四人が手をつなぎ真剣に祈りました。「私たちの偶像礼拝を赦して下さい。わが家はイエス様に従っていきます。百パーセントイエス・キリストにつながることができますように。息子の足をいやして下さい。アーメン!」と涙ながらに祈りました。最後に私も祈ってあげました。そして、「イエス様の名によって足よ伸びろ!」っと大胆に宣言し、「歩いてみなさい」と言いました。しかし足は伸びませんでした。「十人のらい病人が家に帰る途中に癒された記事が聖書にあるから期待して下さい」と言いました。
 そして彼らは帰っていきました。すると次の人が来て、「先生。込み入った話があるので二階で祈って下さい」と言われるので二階に行きました。
 しばらく話を聞いていると一階で「ハレルヤ!」という叫び声が聞こえ、拍手が聞こえました。一緒に祈っていた先生が下に降りていき、またすぐに戻ってこられ、「先生。あの息子さんが歩いて戻ってきました。」と言われました。彼は松葉杖で駐車場まで行く途中、足が伸びて戻ってきたのです。私も嬉しかったです。霊の世界が変わる時に、現実の世界が変わることを見せてもらいました。だから私たちは霊的健康を求めなくてはなりません。霊的健康度がある意味で私たちの人生を建て直します。ですから今週は霊的に健康が与えられますように。神様にしっかりとつながり百パーセント情報をいただき、霊・肉・たましいが健康で歩むことができますように祈っていきたいと思います。お祈りします。
バックナンバー

戻る
戻る