今週の礼拝メッセージ
2001.12.16 (SUN)
恐れからの解放
新城教会 滝元順牧師

新約聖書 ルカの福音書2章8節〜18節
さて、この土地に、羊飼いたちが、野宿で夜番をしながら羊の群れを見守っていた。すると、主の使いが彼らのところに来て、主の栄光が回りを照らしたので、彼らはひどく恐れた。御使いは彼らに言った。「恐れることはありません。今、私はこの民全体のためのすばらしい喜びを知らせに来たのです。きょうダビデの町で、あなたがたのために、救い主がお生まれになりました。この方こそ主キリストです。あなたがは、布にくるまって飼葉おけに寝ておられるみどりごを見つけます。これが、あなたがたのためのしるしです。」すると、たちまち、その御使いといっしょに、多くの天の軍勢が現われて、神を賛美して言った。「いと高き所に、栄光が、神にあるように。地の上に、平和が、御心にかなう人々にあるように。」御使いたちが彼らを離れて天に帰ったとき、羊飼いたちは互いに話し合った。「さあ、ベツレヘムに行って、主が私たちに知らせてくださったこの出来事を見て来よう。」そして急いで行って、マリヤとヨセフと、飼葉おけに寝ておられるみどりごとを捜し当てた。それを見たとき、羊飼いたちは、この幼子について告げられたことを知らせた。それを聞いた人たちはみな、羊飼いの話したことに驚いた。

 ハレルヤ!皆さんと共に礼拝が守れることを感謝します。クリスマス期間中は、普段では学べないクリスマスの箇所から学んでいます。また特に新しく教会に来られた方を大歓迎します。昨日はゴスペルクワイヤコンサートが行われ、主の御名をあがめました。クリスマスは全世界でイエス様の誕生が祝われています。イエス様は幸せだと思います。誕生日を世界中の人々に祝われているのですから。しかし、イエス様の誕生を祝うとき、私はいつも赤子のイエス様が出てくることが気に入りません。なぜならば、私の誕生日に、毎回、生まれた時の写真を持ち出されたら恥ずかしいです。やはり成人になった私を祝って欲しいです。イエス様はよみがえられて今も生きておられる、私たちの救い主です。目には見えませんが、ここにおられるイエス様を心から礼拝していきましょう。
 今日は、クリスマスとは、神が人類を恐れから解放するために人となって地上に来てくださった日であることを確認し、クリスマスのテーマである平安、愛、喜びを手に入れたいと願います。
 創世記に、『はじめに、神は天と地を創造した』と書かれています。神は天地をご自身のことばによって創造されました。神が『光よあれ』と語られたときに光があり、続いて天地万物ができたというのです。
 旧約聖書は言葉なる神の現れについて記されています。声はしますが、姿は見えません。その神の声を伝えるために用いられたのが預言者でした。「神が、このように語っておられるから実行してみてください」と語り、人々は預言者の言うことを実行してみるとその通りになりました。それで目に見えない神がおられることを人々は知り始めました。特に、幸せに生きるために実行するよう、神から中心的に語られたことが、「手で造った神々を拝んではならない」でした。「神とは石や木、宮などの中に住む存在ではない、目に見えない唯一の存在、天地宇宙を造られた創造主なる主を礼拝しなさい」と語りました。しかし、人々は形がないと安心できず、偶像、即ち、木や石の神を拝みました。すると、たちまち国は滅び、人生は破壊的なものとなりました。すると、神は預言者を遣わされ、「天地宇宙を造られた神様を拝むように語ったではないか。石や木の神を拝むのをやめなさい」と語られ、人々は偶像礼拝をやめました。やめるとまた幸せになりました。その繰り返しでした。しかし、人間は何か形がないと神を礼拝しにくいものでした。神は「そんなに形が欲しいのか。それでは、神の宮を造ろう。しかし、そこは神が住む場所ではない。祈りの場だ」と語られました。宮の設計図まで神は人に与え、「この通りに作りなさい。そして祈りをささげなさい。そうすれば神の栄光が現れるから」と語られました。人々は神が言われたとおりに宮を作りました。すると、神の栄光が現わされました。しかし、人間は愚かなもので、しばらくするとまたもとの偶像礼拝に戻ってしまいました。それが何度も繰り返されました。そのような中で、神は「人間には、ただことばだけで伝えているだけでは駄目だ」と思われたのでしょうか。人類に対して言葉だけをかけていた神が、人となって現れたのがクリスマスです。ヨハネの福音書一章十四節に、

『ことばは人となって、私たちの間に住まわれた。私たちはこの方の栄光を見た。父のみもとから来られたひとり子としての栄光である。この方は恵みとまことに満ちておられた。』
 『光よあれ』と語られた神が、人となって私たちの間に住まわれました。それがイエス・キリストです。私たちがイエス様の生涯を見るとき、神の姿を見ることができ、また、神の心が見えます。神が人類に対してどのように願っておられるのか、また、クリスマスに起こった事柄をよく見ると、神が人類にどのように救いの手を差し伸ばしておられるかがわかります。
 クリスマスには静けさ、平和、喜びというテーマがあります。十二月になった途端、クリスマスムードとなり、心は穏やかにされ、平和な気分になります。「きよし この夜 星はひかり・・・」と歌う度に、心が平安になります。しかし、オリジナル・クリスマス・ストーリーには、決して平安、喜びとは言えない現代のムードとはほど遠い事件が起こっているのをご存じでしょうか。原点は何を現しているのか。クリスマスの原点は人間の持っている恐れや混乱が一度に暴露された事件であったということです。
 さて、クリスマス・ストーリーは、ザカリヤとエリサベツという老夫妻から始まりました。ザカリヤは神に仕える敬虔な人物でした。彼も、奥さんのエリザベツも、すでに老人でしたが、突然天使が現れてザカリヤに言いました。「あなたの奥さんエリサベツは、妊娠して子どもを生みます。」それからしばらくするとエリザベスは本当に妊娠していました。これはまさに大事件です。
 毎週、私たちはお産を控えた姉妹方のためにと祈っていますが、突然この中におばあさんの名前が載ったらどうでしょうか。例えば、私の母、滝元清子の名が載ったら大変な騒ぎになると思います。本人も周りも穏やかではありません。
 エリサベツは妊娠後、五ヶ月間引きこもってしまいました。当然だと思います。普通なら、恥ずかしくて外を歩けないと思います。それから半年経つと、エリサベツの親族のマリヤのところに天使が現れました。マリヤは婚約していましたが結婚していない処女でした。当時は結婚する前に肉体関係があったら、石打の刑になる厳しい世界でした。しかし処女が妊娠するという大事件が起こりました。これも大変なことだったと思います。マリヤはすでに自分の身内、エリサベツのところに子どもができたという噂を聞いていました。これからどうなるのだろうと不安に思っていたら、今度はまだ結婚もしていない自分が妊娠すると言うお告げを受け、胎内に子どもを宿しました。そして言われたことばは、「あなたの胎に宿っているのは人類の救い主です」と言われました。
 人間は今までに得た情報と照らし合わせて、問題に対処していきます。しかし、過去に全く経験のない情報が飛び込んだ時には混乱します。
 日本人は多くの情報を持っています。世界でもトップレベルの情報を持った国民です。私は三週間ほど前にロサンゼルスに行きましたが、テロ事件のことをアメリカ人よりも日本人の方がよく知っているという感じがしました。テレビ局で働いている人がニューヨークの事件や、アフガン情勢について色々と教えてくれました。長い時間、食事をしながら話してくれました。しかし私は、それらのほとんどを知っていました。日本では報道されているので知っていました。「ニューヨークで、最も良いところにカメラを据えているのは日本のテレビ局です」と言っていました。
 また七月にはペルーに行きましたが、今年ペルーで大地震がありました。そうしたらペルーの日本の宣教師の方が言われました。ペルーで起こった地震を知ったのは日本からの電話でした。そして、日本からのテレビ番組で地震を知ったと言われました。日本からの報道からしばらくして、ペルー公営テレビがそのニュースを報道したと言っていました。日本は多くの情報を集めて国民に提供しています。しかし、情報が閉ざされたとき、私たちは大きな恐怖を感じます。ある意味でクリスマスに起こってきた最初の事件は、全く人類が経験したことのない大事件ばかりでした。しかし、その意味は、神はそんな恐れの中から人類を解放するためにこの地上に来てくださったという、預言的な意味合いが込められているのです。
 続いて起こった事件は、野原で焚き火をして羊を飼っていた羊飼いの所に救い主がお生まれになったという知らせが届いた事件でした。羊飼いが野宿をすることや、羊の番をするのは通常の業務でした。まさか野宿している羊飼い達に天使が現れ、救い主がお生まれになるということが知らされるなど、考えても見なかったことです。彼らの通常の生活のただ中に超自然的な事件が起こったのです。
 私たちが普通に生きているときは良いのですが、超自然的な現象が起こったときには驚き怪しみます。しかし日本人は案外、超自然的な現象に脅えている国民であるかも知れません。日本には多くの神々がありますが、ほとんどが超自然的な出来事に対する恐れをもって神を祭っていることが多いのです。
 ヨセフはマリヤを連れて、自分が生まれたベツレヘムの町に帰らなければなりませんでした。なぜ、まだ結婚もしていなかったのに、一緒に行ったのだろうかと思います。これは当時の結婚のシステムにありました。当時は婚約した時点で、すでに法的には夫婦とみなされました。しかしながら、披露宴が済むまでは、決して一緒に住むことはありませんでしたし、肉体関係もありませんでした。そのような背景がありました。丁度イエス様がお生まれになったのは、婚約と披露宴の中間でした。だから法的に彼らは夫婦だったので、ヨセフはマリヤを連れて住民登録に行く必要がありました。しかし行く途中、マリヤは産気づいて子どもを生むという、緊急事態が起こりました。
 人生の中には、予想もしていないような緊急事態が起こることがあります。時として私たちはそれらに対応しなければなりません。ある意味でヨセフもマリヤも、この出産は緊急事態でした。今までに一度もお産など体験したことのないマリヤであり、ヨセフもどうやって助けるのかわからず、おろおろしていたと思います。彼らの中には緊急事態の恐れ、混乱があったと思います。
 またイエス様がお生まれになってしばらくすると、その国のヘロデという王様のところに東の方から星占い師達がやって来ます。「星を見ていたら、あなたの国に新しい王様が生まれたという情報を得たけれども、どこに生まれたのですか」と突然、東の方から星占い師たちが王を訪問しました。それを聞いたヘロデ王の心は揺らぎました。
 当時のイスラエルは完全な独立国家ではありませんでした。ローマの植民地のようなものでした。だから王様になるには、ローマ帝国の親任が必要でした。ヘロデはユダヤ人ではありませんでしたが、カイザルの親任をとりつけ、王として君臨していました。そのような中、突然星占い師が来て「あなたの国に新しい王様が生まれたらしいけど、それはどこか」と聞きました。彼は心穏やかではありませんでした。
 ある意味で今日、同じような恐怖を持っておられる方々がおられるかと思います。不況でいつリストラされるかわかりません。会社に出ていったら社長に呼び出されて、「今月末であなたは会社を辞めてもらいます」と言われたら心穏やかではありません。ある意味でヘロデには、自分の立場がリストラされるような恐怖がありました。それがクリスマスに起こったことです。その結果として、彼は自分の立場を守るために二歳以下の男子を皆虐殺しました。その地域の住民はその光景をつぶさに見て、悲しみ、心を痛め、死の恐れに捕らわれたと思います。
 クリスマスの原点は、人類の抱えていた恐れや混乱が一度に吹き出したような事件ばかりでした。イエス様のお生まれは、そのようなセンセーショナルな事件と共にあったということです。しかし私たちは、その中で神が人類に送っているメッセージを受け取る必要があるのです。
 人間には誰にでも恐れがあります。しかし、恐れは自己防御反応です。自分を守るためには恐れが必要です。例えば、毒蛇の前に行っても恐がれなかったら、噛まれて死んでしまいます。また、ライオンの前に行っても恐れがなかったら、食い殺されてしまいます。恐れとは、人のいのちを守るための防御反応です。すなわち、恐れの根底には、人は死と表裏一体で生きているという現実があるのです。そして、人類の恐れの中で、最も大きなものは死に対する恐れです。
 人生の入り口と出口は皆同じです。真ん中は違います。しかし、入り口と出口はどんなに地位があっても、お金や名誉があっても、太っていても、痩せていても皆同じです。皆、裸で生まれ、やがてこの地上から去っていくという、必ず通過せざるを得ない、入り口と出口があるのです。特にこの地上から出ていく時に通過する死が、恐怖の原点にあることをいつも感じています。しかし、イエス様がこの地上に来られた一番の目的は、ヘブル人への手紙二章十四節から十五節に、

『そこで、子たちはみな血と肉とを持っているので、主もまた同じように、これらのものをお持ちになりました。これは、その死によって、悪魔という、死の力を持つ者を滅ぼし、一生涯死の恐怖につながれて奴隷となっていた人々を解放してくださるためでした。』

と書かれています。神が人間の姿をとる必要があった真の理由がここにありました。人間は一生涯、死の恐怖のにつながれて奴隷になっているのです。いつも死の恐怖の中で脅えて生きているのです。それは不完全な肉体を持っているからです。だから、そのような人間が救われるためには、神が人と同じ環境である血と肉を持つ必要があったのです。肉体という不完全さの中で、死の力を持つ悪魔の力を滅ぼさなければなりませんでした。イエス様がこの地上に来られたのは、実に、死の力を持つ悪魔の力を滅ぼすためだというのです。
 イエス様を信じて素晴らしいのは、永遠の希望が与えられることです。人間は入り口と出口が同じです。しかし出口、どこに出て行くのかがわかりません。出口がわからないから恐怖なのです。でも、イエス・キリストを信じるときに、出口がはっきりします。どこに出て行くのでしょうか。私たちは決して暗闇の世界に行くのではなく、神と共に生きる永遠のいのちが与えられるのです。悪魔の奴隷になっていたら、滅びに行かなければなりません。しかしイエス・キリストを信じるときに、永遠の天国に私たちを導いてくださる、この望みを与えるためにイエス様は地上に来て下さったのです。
 キリスト教の歴史を見るとそれは殉教の歴史です。多くのキリスタンと呼ばれる人たちが、命がけで自分の信仰を守っていきました。今でもそれがあります。イエス・キリストを信じる信仰のゆえに、多くのクリスチャンがいのちを捨てています。今年は色々な国で紛争がありました。インドネシアでは、イスラムの暴動がありました。どこがねらい打ちされたかというと教会でした。クリスチャンがねらい打ちにされました。礼拝をしているところに機銃が乱射され、イエス・キリストを信じる信仰のゆえにいのちを捨てた人が多いのです。クリスチャンは命がけで信仰を守り通します。なぜならば、出口がわかっているからです。私たちの人生はこの地上で終わるものではない、死は暗闇に入り何もなくなってしまうものではないのです。神を信じる者は、永遠の国天国に入り、神と共にある素晴らしい生活が始まる瞬間であることがはっきりとわかっているので、平安を持って生きることができるのです。
 イエス・キリストを信じるときに、どこから解放されるかというと、「死の恐怖から解放される」のです。さらに、死の恐怖をもたらし、人生の中で恐怖をもたらす背景に、悪魔という死をもたらす力が存在していると聖書は教えています。
 皆様の中で、色々な恐怖を体験し、恐怖によって縛られ前進できない人もいるかも知れません。それは、ただ過去に体験した出来事だけの問題ではないのです。超自然的な悪魔の力がその背後に働いているのです。そこから解放されるためには、イエス様の力が必要です。そしてイエス様の力がすべての恐れからあなたを解放し、人生を豊かなものにするというのがクリスマスに与えられているメッセージです。
 エリサベツもマリヤも混乱と恐怖があったかも知れません。しかし、彼らはそれが恐怖ではなく、喜びに変えられました。クリスマスは神が人に臨まれるとき、恐怖と思われる事柄が逆転し、素晴らしい喜びに変えられるというメッセージです。
 ルカの福音書を見ると、エリサベツは五ヶ月間家に閉じこもって出ることができませんでした。しかし神の子を宿したマリヤが、エリサベツを訪問しました。一章四十一節から四十二節を見ると、

『エリサベツがマリヤのあいさつを聞いたとき、子が胎内でおどり、エリサベツは聖霊に満たされた。そして大声をあげて言った。「あなたは女の中の祝福された方。あなたの胎の実も祝福されています。』

 エリサベツを引きこもりから引き出したのは神の霊でした。聖霊の力でした。イエス様がこの地上に来られたことにより、神の霊が私たちのところに注がれました。人間は物事を見たり聞いたりしている間は安心ですが、それが過ぎ去ってしまうとまた不安になります。しかし、イエス・キリストが地上に来られたとき、かつて預言者だけに注がれていた神の霊が全ての人に注がれ、神の霊に支配されて生きる道が用意されたのです。それまでは恐怖に陥れる悪魔の力によって影響されていましたが、イエス・キリストを信じるならば心の中に聖い神の霊が宿り、聖い神の霊が、常にあなたを導くのです。第二テモテの一章七節に、

『神が私たちに与えてくださったものは、臆病の霊ではなく、力と愛と慎みとの霊です。』

と書かれています。この世の中の神々から与えられたのは「恐怖の霊」です。しかし、真の神が与えるのは、恐怖の霊ではなく「力と愛と慎みの霊」です。またローマ書八章十五節には、

『あなたがたは、人を再び恐怖に陥れるような、奴隷の霊を受けたのではなく、子としてくださる御霊を受けたのです。私たちは御霊によって、「アバ、父。」と呼びます。』

 私たちがイエス・キリストを信じるときに、奴隷の霊ではなく、恐れの霊ではなく、「子としてくださる御霊」を受けるのです。前回の礼拝で話させていただきましたが、イエス・キリストを信じるときに、私たちは「神の子」とされるのです。神の子は神の資産をすべて受け継ぐことができるのです。やがてこの地上からでていく時に、「神の子で良かった、神の資産を受け継いでいる」とわかるのです。それは、神の霊が私たちを導くときに起こされるのです。そのためには、私たちを恐怖に陥れる霊ではなく、私たちの人生を永遠の国、天国に導く神の御霊を受け入れることが必要です。そうすれば、人生に起こってくる色々な恐れにも対処できます。
 皆さんの中で、色々な恐怖で苦しんでいる方がいるかも知れません。今まで一度も経験したことのない、情報のない事件に遭遇されて脅えている方がおられたら、今日神の霊によって恐れの奴隷ではなく、解放されて喜びに変えていただいてください。
 また、ある方は超自然的な現象により恐れている方がいるかも知れません。それにもイエス様は対処してくださいます。
 先週、ある一人の会社の社長をしている人が来られました。彼は多くの社員を使っていました。近頃、ある新興宗教のところで修行して、自分を鍛え治そうと思ったそうです。鍛え治すために道場で一生懸命修行したそうです。それから良いことがあるかと思ったら、変な霊感が芽生えてしまったそうです。変な声が聞こえ、色々と霊的なものが見えて怖くなりました。そして、聞こえる声は「死ね、死ね」という声だったそうです。それで自分で死のうとしたそうです。家族はそれを見て、どうしようもなくなったそうです。しかし、妹がクリスチャンで、わざわざ四国からお兄さんを車で連れて来られました。私は、「イエス様はそのような超自然的な恐れから人を解放してくださる方です。悪魔の力に手を出すときに人生は崩れていく」と話しました。すると、「祈って下さい。」と言われました。しかし、彼は自分の信仰から離れることができませんでした。それを否定すると心を閉じてしまいそうなので、それは横に置いて、ただ、「イエス様に頼ってみましょう」と言って「イエス様。助けてください。私は今こんな状態です。仕事もできません。助けてください。」と祈りました。そこで彼は今まで受けていた奴隷の霊ではなく、聖霊を受けました。そして、家に帰って行きました。すると、今まで仕事ができなかったのが、できるようになったそうです。そうしたら、妹さんのところにまた電話がかかってきたそうです。「また悪霊が来た!」と言ったそうです。その時妹さんが、「お兄ちゃん、何かやったでしょう。」と聞くと、新興宗教の神様にもお礼を言わなくてはと拝んだそうです。するとてきめんに、悪霊がやってきたことがわかったそうです。「今ではお兄さんと一緒に毎日祈っています。」と聞きました。超自然的な出来事で恐れている人が多いと思います。イエス様はそこから解放してくださいます。
 人生の中で起こる緊急事態で脅えている人がいたら、イエス様はそのような中に救いを現してくださる方です。
 また、先行き不透明と言われる方がいるかも知れません。しかし、心配しないでください。私たちの神は未来を創り出すことのできる神様ですから、あなたに神の霊を注いであなたを守り、恐怖ではなく喜びの人生に導いてくださいます。今日は私たちの根底にあるすべての恐れから解放される時にしたいと思います。
 十二月は恐れの力が強い月かも知れません。日本の祭り事を見ると、十二月に祭りが集中しています。なぜならば、昔の人々は十二月になると日が短くなり、太陽がどこかに消えてしまう、もう出て来ないかも知れないと思いました。太陽が出てこないと作物が育たない、生きていくことができない、だから真剣になって十二月に集中して偶像礼拝をしました。特に、太陽礼拝を一生懸命しました。その結果が、十二月に反映されているのかもしれません。十二月はある意味で、死の力や暗闇の力の働きが強く、私たちの心に強い恐怖心や混乱が起こり易い月かも知れません。クリスマスはそのような中に、光が照った素晴らしい瞬間です。今日すべての恐れを取り除いていただき、クリスマスにある、本当の平安、喜びを人生の基本に据えていただきましょう。聖い霊が与える「力と愛と慎み」をいただくことができるように祈りましょう。

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