今週の礼拝メッセージ
2002.1.20(SUN)
人生飛行
新城教会 岡本信弘牧師

新約聖書 マタイの福音書16章26節
人は、たとい全世界を手に入れても、まことのいのちを損じたら、何の得がありましょう。そのいのちを買い戻すのには、人はいったい何を差し出せばよいでしょう。

 ハレルヤ! 神様の恵みの中で、共に主を賛美することができることを感謝します。また、皆さんのお祈りに支えられ、健康で主に仕えることができることを感謝します。

 今、多くの人々が不安を覚えていると思います。昨年のアメリカのテロ事件、また、日本においては経済不況があり、いつ会社が倒産するかわからないような、いつリストラされるかわからないような時代にあります。私もプレイズ出版という印刷・出版の仕事をしています。教会関係が多いですが一部一般の仕事もしています。
 最近、ホームセンター関係の仕事をさせていただいていますが、昨年一年間の内に、四百数社あるホームセンター中、四十数社が倒産したり、閉店したりしたと聞きました。全体の約一割程がダメになっているのを聞き、不況のひどさをあらためて思わされました。皆さんの中にも深刻な人がいるかも知れません。
 プレイズ出版にも多くの業者が来ます。少し前は、「社長、儲かりますか?」と聞かれ、「ぼちぼちだなぁ」というように挨拶をしていました。どこへ行っても「儲かっている」と答えるところは少ないと思いますが、その状況の中でも、そこそこビジネスとして成り立って、お互い潤されていました。しかし最近では「儲かりますか?」などと聞こうものなら、「あんた、馬鹿にしてるのか」と怒られてしまうような時代です。どこも経営が苦しくなっているのを感じます。今は、小さな会社だけではなく、大きな会社だから大丈夫という時代ではなくなっています。
 今日は、初めにお読みしました御言葉、『人は、たとい全世界を手に入れても、まことのいのちを損じたら、何の得がありましょう。そのいのちを買い戻すのには、人はいったい何を差し出せばよいでしょう』を通して、人間にとって、大切なものは何かを学んでいきたいと思います。

 今日のメッセージは、『人生飛行』というタイトルをつけさせていただきました。人間は、この地上で生まれたなら、もう戻ることはできません。一度飛行機に乗って離陸してしまったなら、今すぐ降りたいと思っても、簡単には降りることはできません。人生も、簡単にはやめることができません。
 人間は、物事を損得で考え、得になる事はするが、損な事はしないというところがあります。自分に得になることは一生懸命しますが、得にならない事は一切しない、自分さえ良ければ良いという、自分勝手な人が増えているのではないでしょうか。その自分勝手な考えによる連続殺人、放火、ストーカーなどの犯罪が多くあります。また、愛し合って結婚したはずなのに、愛が冷えきってしまい、三組に一組が離婚すると言われます。家庭が崩壊し、傷ついている人がたくさんいます。このような時代、何を得たら安心できるのかを考えてみたいと思います。
 ルカの福音書十二章十六節から二十一節をお読みします。

『それから人々にたとえを話された。「ある金持ちの畑が豊作であった。そこで彼は、心の中でこう言いながら考えた。『どうしよう。作物をたくわえておく場所がない。』そして言った。『こうしよう。あの倉を取りこわして、もっと大きいのを建て、穀物や財産はみなそこにしまっておこう。そして、自分のたましいにこう言おう。「たましいよ。これから先何年分もいっぱい物がためられた。さあ、安心して、食べて、飲んで、楽しめ。」』しかし神は彼に言われた。『愚か者。おまえのたましいは、今夜おまえから取り去られる。そうしたら、おまえが用意した物は、いったいだれのものになるのか。』自分のためにたくわえても、神の前に富まない者はこのとおりです。」』

 この人は、元からたくさんの畑を持っている金持ちでした。今の時代は物があっても金持ちとは言えませんが、昔は作物が財産でしたから、蔵にたくさん蓄えている人が金持ちでした。そしてこの年、いつにも増してたくさんの作物が穫れ、困っているという贅沢な悩みをこの人は持っていました。そこで、蔵を取り壊して、もっと大きな蔵を建て、そこに収穫した作物をしまっておくことにしました。そして自分のたましいに、『「たましいよ。これから先何年分もいっぱい物がためられた。さあ、安心して、食べて、飲んで、楽しめ。」』と言いました。蔵を持ち、蓄えて安心を買いたいという彼の選択は間違ってはいなかったと思います。皆さんもそのように考えるでしょう(今はどこの銀行にお金を預けていても、安心できないような時代ですが・・・)。しかし、彼が蔵に十分蓄えたその晩、神様から『「愚か者。おまえのたましいは、今夜おまえから取り去られる。そうしたら、おまえが用意した物は、いったいだれのものになるのか。」』と言われたのです。
 皆さん、自分がジャンボ機に乗っていると考えてください。同じ飛行機に金持ちも、貧乏な人も一緒に乗ります。飛行の途中、事故が起きたらどうでしょう。非常事態に、金持ちがたくさんのお金を出して、「これをあげるから、私だけ助けてください」と言っても無理です。一緒に墜落してしまいます。自分の命を失ってしまったなら、どんなにお金を持っていても、高価な宝石を持っていても、たくさんの財産を持っていても、意味がないのです。
 皆さんは宝くじに当たったことがあるでしょうか。たくさんのお金を手に入れたなら、天にも昇る気分だと思います。私は宝くじはギャンブルと思っていますので買ったことがありませんが、たくさんのお金が手に入ったら、何も考えずに使ってみたいものだと思います。しかし、たとえ私たちがいくらたくさんのお金を持っていたとしても、命をなくしたら何にもならないと思います。この金持ちは、財産よりも重要なものに気づきませんでした。
 皆さんは今、楽しいかも知れません、喜んでいるかも知れませんが、それは、将来の何の保証にもならないことを知ってください。どんなにお金を儲けても、お金はいつかなくなります。物が私たちを救うことはできません。物質的にいくら豊かになっても、幸せに暮らすことができるとは限りません。しかし、人は誰でも自分の目で見える環境を豊かにしたい、楽しくしたいと思います。お金があれば、食べたい物を食べ、欲しい物を買い、やりたいことができると考え、それが豊かな生活だといって、むさぼるように金や物を追い求めているのではないでしょうか。
 また、人からの称賛を求める人もいるでしょう。しかし、たとえどんなに多くの人に称賛されても、いつかは忘れられ、消えるものです。財産より、人からの称賛より、もっと重要なことがあることを今日学んでください。私たちの見えるところと見えないところがあることを知ってください。

 皆さんの周りには、困った時、病気になった時、助けてくれる人がいますか? 家族や友人がいて、いつも助けてくれているかも知れません。しかし、この金持ちが神様から「お前のいのちは今夜取り去られる」と言われたように、私たちの肉体は滅びるときがあります。私たちはいくら一生懸命努力しても、年をとどめることはできません。たとえどんなに科学や医学が発達し、どんな難病でも治るという特効薬ができたとしても、また今の寿命が五十年延びたとしても、死ぬ時が遅くなるだけで、死からは逃れられません。人はいつか死ぬものです。私たちは、死んでいく人を助けることはできません。
 人間は、死んだら終わりなのでしょうか? いいえ、肉体は滅びても、魂があります。その魂が、どこへ行くかが重要です。
 今は“いやし”の時代と言われます。いやし系音楽、いやし系俳優など、いやしという言葉がもてはやされています。それは、裏を返せば多くの人の心が痛んでいるということではないでしょうか。そしてその傷を何とかいやしそうと、もがいているのです。
 日本は物質的にはどの国と比べても豊かです。毎日、食べ物に事欠くことはありません。しかし心はどうでしょうか。多くの人の心が病んでおり、傷ついています。ある人は失恋によって絶望し、またある人はリストラにより問題を抱え、またある人は人間関係に傷つき、解決を見いだせずに自殺したりします。日本では、毎年たくさんの人が自分自身でいのちを絶っていきます。悩みを持っている人に話を聞いてみると、大したことではない、頑張ればなんとかなる、と思います。しかし、その人にとっては、これ以上一歩も進めない、もう何をしてもダメだ、という絶壁に立たされてしまっているのだと思います。
 また、年をとればとるほど、老後のことが心配になります。将来、誰が私の面倒を見てくれるだろうか、生活の保証は大丈夫だろうか、と考えます。現代は、核家族化で、ひとりぼっちの老人が増えています。突然、家の中で具合が悪くなっても誰も助けてくれません。また、亡くなってから何週間も経ってから発見されたというようなニュースも耳にします。本当に悲惨です。
 このような心の拠り所を持たない多くの人たちが、いやしを求め、新興宗教に拠り所を求めて行きます。一時的に心が平安になったり、いいことがあるかも知れません。しかし、最終的にはたくさんのお金をだまし取られ、更に傷つけられ、初めの状態よりも、悪くなっていることもあります。占いに頼る人もいます。最近は、占いにもたくさんの種類があり、なんでも占いに結び付けられてしまう時代です。マスメディアが発達し、簡単に占ってもらうことができるのも、ブームを助長していると思います。
 占いの怖いところは、その背後に目に見えないサタンがいるということです。占い師は何も知らないのではなく、過去を当てたりします。初めは、他人が絶対知るはずのないことを言い当てたりするので、信頼し、心を開きます。しかし、占いで過去を言い当てても、将来に希望を与えることはできません。段々と締め付けられ、縛られ、どうすることもできなくなっていく人が多いのです。
 では、そこから解放される道はあるのでしょうか、本当の意味で心をいやすものとは何でしょうか。魂が救われ、魂の行くところがわかり、永遠のいのちを獲得できたら、素晴らしい喜びを持つことができます。そして、その答えは教会にあります。教会は、心の底から喜びが湧き出るところです。

 私はクリスチャンの家に生まれ、ずっとこの教会で育ち、その成長を見てきました。その中で、教会ほど喜びに満ちたところはないと思います。教会は不思議な場所です。幼い子どもから、小・中・高校生、青年、老人に至るまで、また、日本人だけでなく、アメリカ人、ペルー人、ブラジル人も差別なく、喜んで話すことができる、励ましてもらうことができるところです。そして、この教会には喜びの賛美が満ち溢れています。
 ある人は、「あなたはキリスト教を信じる家庭に生まれたから、良いことばかりを言うけれど、私はそうではないからわかりません」と言われるかも知れません。それでは皆さんは、どこで喜びの体験をすることができるのでしょうか。
 たとえば、カラオケに行って一晩中歌って、また、色々なサークルに入り、楽しく時を過ごすことができるかも知れません。皆さんのことを考えてくれるところがあるかも知れません。しかし、教会ほど喜びに満ち溢れているところはないし、心から湧き上がるような喜びを経験できるところはないでしょう。
 また、教会には皆さんが今まで体験したことがない愛があります。『愛』という言葉は誰もが知っています。そして、愛という言葉の嫌いな人はいないと思います。皆さんも人間同士、夫婦、親子、友人が互いに愛し、愛されて生活しています。しかし、時には人間同士の愛には裏切りがあり、次第に冷めていき、終わりがあります。神様が与えてくださる愛は、永遠に変わることのない愛です。しかも、イエス様が示してくださったその愛は、受ける愛ではなく、与える愛です。イエス様は、あなたがイエス様を知らない時からずっと、あなたを愛し続けてくださっています。そのように愛のある、真の神様がおられるのです。
 教会にはこのような素晴らしい愛があることを知ってください。教会には、新興宗教や、占いでは与えられることのない、いやしや恵みがあることも知ってください。そして教会につながり、教会生活をする中で、初めは与えられる愛で満たされ、成長させられ、次に与える愛の素晴らしさをだんだんと知っていくなら、どのような与えられる愛よりも、もっと素晴らしい喜びを体験することができます。
 私が信じているは神様は、全知全能で、今も生きておられる神様です。私たちは、そのような素晴らしい真の神様に祈ることができ、神様はその祈りに答えてくださいます。
 クリスチャンとして生活していても、楽しい時ばかりとは限りません。時には問題があり、病気になることもあります。しかし、私たちには神様から与えられる将来と希望があることを覚えてください。どんなに世界が不況になろうとも、愛が冷えた世の中になろうとも、教会は皆さんに素晴らしい愛を与えることができ、魂の救いである永遠のいのちを与えることができます。

 聖書の中に天国について書かれたたとえ話が出てきます。マタイの福音書十三章四十四節から四十六節をお読みします。

『天の御国は、畑に隠された宝のようなものです。人はその宝を見つけると、それを隠しておいて、大喜びで帰り、持ち物を全部売り払ってその畑を買います。また、天の御国は、良い真珠を捜している商人のようなものです。すばらしい値うちの真珠を一つ見つけた者は、行って持ち物を全部売り払ってそれを買ってしまいます。』

 この御言葉を読んだとき、永遠のいのちを与えるから、全財産を差し出しなさいと、思い違いをする人がいるのではないかと心配になりました。しかし、ここで言っているのは、真珠にたとえられている永遠のいのちは、どんな真珠より、どんな宝よりも、もっと素晴らしい祝福だと教えているのです。皆さんにも今日、是非この素晴らしい永遠のいのち・魂の救いを受け取っていただきたいのです。

 聖書の中に、パウロという伝道者について書かれています。初め、彼はクリスチャンを迫害する者で、キリストはいない、救いはないと言い続けていました。しかし彼は真の神に出会ったときに変えられました。
 ピリピ三章七節から九節に、パウロが変えられた後、語った言葉が書いてあります。

『しかし、私にとって得であったこのようなものをみな、私はキリストのゆえに、損と思うようになりました。それどころか、私の主であるキリスト・イエスを知っていることのすばらしさのゆえに、いっさいのことを損と思っています。私はキリストのためにすべてのものを捨てて、それらをちりあくたと思っています。それは、私には、キリストを得、また、キリストの中にある者と認められ、律法による自分の義ではなくて、キリストを信じる信仰による義、すなわち、信仰に基づいて、神から与えられる義を持つことができる、という望みがあるからです。』

 彼は、学歴や地位、その他、素晴らしいものをたくさん持っていました。しかし、キリスト・イエスを知ったことによって、今まで持っていたそれらすべてを損と思うようになったと言い、すべてを捨てて神様にいのちをかけて働きました。私もイエス・キリストを信じたときに、一番大切なものが何であるかを知り、神様のために働きたいという思いが与えられました。
 私たちは神によって、神に愛される存在として創造されました。しかし、初めの人間アダムとエバによって人類に罪が入り、その罪は、神と私たちとの間に壁となり、人間は神様との交わりができなくなってしまいました。愛なる神様は、そのような状態から、もう一度人間との関係を回復したい、もう一度私たちを助けたいと思われ、救いの計画を現してくださいました。
 私たちの人生は、行き先もわからず、操縦しているのが誰かも知らない状態でジャンボ機に乗っているようなものです。飛行機には誰でも乗ることができます。初めはジャンボ機の中で、旅を楽しんでいるかも知れません。しかし、罪によって、そのジャンボ機はサタンにハイジャックされ、操縦しているのはサタンであり、向かっているところは永遠の破滅、滅びの場所なのです。そこへ、サタンの支配下に置かれたそのジャンボ機を救うために、人々を奪回するために、神様がイエス・キリストを乗り込ませてくださいました。そして、サタンに捕らえられた人々の身代わりに人質になってくださり、救いの道を与えてくださいました。永遠のいのちへ至る道へと方向転換したいと願う者はすべて、イエス様ご自身が操縦してくださる、安全な飛行機へと乗り換えさせてくださるのです。
イエス・キリストを信じた者にはすべて、永遠の天国に行く喜びの人生が続いていきます。ある方は、イエス・キリストは今から二千年前の人だと思われているかも知れません。しかし、イエス・キリストは、私たちの罪の身代わりとなって十字架にかかり、一度は死んだけれども、三日目によみがえってくださり、今も生きて働いておられる神様です。そして、それを私たちが受け取り信じるだけで、ハイジャックされた飛行機から天国行きの飛行機に乗り換えることができます。ただ信じるだけで何もいりません。

『神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。』

 私たちは罪を持っています。罪があっては永遠のいのちの飛行機に乗ることができません。しかし、神は私を愛し、この世を愛し、「御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく」とありますが、全員の方にイエス様が今、「私の飛行機に乗り込むように」と呼びかけています。今もこの契約が生きています。努力や財産はいりません。難行苦行も必要ありません。ただ信じて受け取るだけです。私たちが神様とこの契約を結ぶときに、素晴らしい神と共に歩むことができ、神様の与えてくださる将来と希望によって、素晴らしい人生を生きることができるのです。
お祈りします。
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