今週の礼拝メッセージ
2002.2.17(SUN)
奥山実師特別講演記録
「もう一つの人生」
新城教会 奥山実師

新約聖書 使徒の働き20章21節
ユダヤ人にもギリシヤ人にも、神に対する悔い改めと、私たちの主イエスに対する信仰とをはっきりと主張したのです。

 ハレルヤ!神様の導きでこの教会で説教できることを感謝します。今年の十月二十二日から二十五日まで、カイロで世界宣教会議が行われます。日本でも三年前に行いました。そのとき私は議長をしました。私は留学をしていませんが英語ができます。日本の英語教育は立派なもので、中学の英語を覚えたら話すことができます。きれいな英語を学んでいます。私は英語を使って働いていますが、私は中学高校で英語の試験で三以上を取ったことがありません。神様は弱い者を用いてくださいます。私は野球選手をしていました。高校三年生の時には県大会で優勝した野球部のキャプテンで四番打者でした。遊ぶ間もなく練習していました。だから勉強もしませんでした。神様はこのような者を学者として用いて下さっています。第三世界宣教会議があります。第三世界とは、アジア、アフリカ、南米です。今は第三世界の宣教師が白人よりも多いです。モンゴルは一九九〇年に共産党が崩壊し、教会が成長しました。そのころ私は招かれてモンゴルに行きました。その時宣教師が五十人のおり、その内三十人は韓国人で日本人は六名でした。第三世界は宣教師が多いです。第三世界のリーダーとして私が導かれました。第三世界は交わりが濃く、宣教団体の交わりがあります。三年ごとに会議を開いていますが、京都で行われたときに始めて「世界宣教会議」という名前で行いました。それは白人よりも第三世界からの宣教師が多くなったからです。今年はエジプトです。アラブ世界・イスラム世界で最初のキリスト教界の世界宣教会議です。ビリー・グラハムが以前に大きな会議を開かせて欲しいと申し込みましたが、「ノー」と言われました。しかし、今回は許されました。イスラムに近づく方法があります。政治の指導者は皆イスラムです。アラブ世界のリーダーです。九月十一日の自爆テロ以来イ、スラムが問題になっています。あちらこちらでイスラムについて教えて下さいと言われます。ビン・ラディンがイスラムだと思ったら間違いです。あれは一部の人です。イスラム原理主義者は特別な人たちです。彼らはアメリカやクリスチャンを憎むようにとマインド・コントロールされた人々です。普通のイスラム教は日本人と同じです。ただイスラム教という宗教を持っているだけです。だからいくらでも伝道することができます。しかし、イスラム原理主義者には伝道しても難しいです。普通のイスラム教と原理主義とは別です。私はエジプトに会議の交渉をしましたが、イスラム教です。しかし、皆ミッションスクール出身でキリスト教についてわかっています。普通の人です。なぜならば、日本とは違い国立よりもミッションスクールの方が質が良いからです。そこには優秀な人材がたくさんは入ってきます。彼らはキリスト教をわかっているので、一緒に仕事ができます。イスラムは一色ではありません。三千五百以上の教派があります。インドネシアでさえもジャワ・イスラムとマドラ・イスラムがあります。ジャワ・イスラムは、アニミズム(土着宗教)です。石も木も、狸でも人間でも何もかもが神になります。日本と同じです。だからイスラムという衣を着ているだけです。中身はアニミズムです。マドラ・イスラムは全く別です。子どもは小学校に行かせずにイスラム寺院で教育を受けさせます。宗教はイスラムだけと教えています。だから子どもでも伝道が難しいです。子どもたちがよく貝殻で作った装飾品を売っています。宗教はイスラムだけと教育されているので、子どもに伝道しても全く伝わりません。イスラムは五回の礼拝があると言われています。それは五回する人もいて三回の人も一回の人もいます。色々あります。イスラム教は唯一の神を拝んでいると言いますが、神秘主義者もいて彼らは「私は神」というのが悟りです。色々なイスラムがあることを知ってください。日本はイスラムから遠いですが、今世界中で問題になっている、イスラム原理主義とは何でしょうか。それはテログループです。
 イスラム教にはシャリヤというイスラム法があり、全イスラム教徒が守るべきものです。国境を越え、時代を超え、それをイスラム教徒が守っています。ところが、どの国も実際には守っていません。インドネシアは国の法律を重んじます。信教の自由を唱っています。その法の下にイスラム法があります。シャリヤにおいては改宗者は死刑です。イスラムを捨てたら誰でも死刑です。シャリヤに書いてあるからです。国の法律がその上にあるので、それを守らなくても死刑にはなりません。マレーシアもエジプトもそうです。その法律を守らないのです。守りましょうと決めながら守らないのです。なぜ守れないのでしょうか。それは守りきれないからです。改宗者死刑の他に、ひどいのは盗みをすると手を切られます。目をえぐられるなど残酷な刑があります。だから守らないのです。守りきれないのです。シャリヤを上にした国はイランです。ホメイニが守れと言ってイスラム法を上にしました。だからイランの人はホメイニ革命の後、多くの人がアメリカに逃げました。シャリヤを実行するのでイランの人は苦しんでいます。その法が上になっています。先日銀行に行くとそこに写真の雑誌がおいてありました。イランでは今片腕の人が増えていると書かれていました。これはシャリヤでやられたと思いました。またアフガニスタンもそうです。これはタリバンが法を上にしました。シャリヤによると女性は教育を受けてはいけないということで、女性教諭は皆首になり、収入の道を失いました。多くの国がその法を守りきることができません。しかし、それを守れというのが原理主義者です。彼らがシャリヤを上にするように運動を起こしているのです。これがテログループです。だから、イスラムがイスラムに困っています。アメリカテロ事件後、ブッシュ大統領がビン・ラディンがやったということで立ち上がりました。同時にイスラム諸国もアメリカに同調して立ち上がりました。これはイスラム国が原理主義者に困っているゆえの事です。エジプトの国も困っています。原理主義者が入る国では困っています。三、四年前にエジプトで原理主義者が観光客を撃ったので、観光客がいなくなりました。エジプトは貧しい国なので収入がなくなり、大変な状態になっています。最近少しずつ行くようになりましたが、以前と比べると少ないです。だからイスラム政府もイスラム原理主義者に困っています。このような状態です。そのような守りきれない法律を作ることは間違っています。実は、日本でも守りきれないものがあります。それは交通標識です。それを守っていたら交通渋滞で身動きがとれなくなってしまいます。警察は可愛そうです。誰が作ったか知りませんが、法定速度を守らない人を警察は捕まえなくてはいけないのです。警察の人もそれ以上だして走っているので捕まえたくはないと思います。守りきれないものを作ってはいけないと思います。日本国憲法もおかしいです。軍隊を持たないと言いながら軍隊を持っています。だから偽りの人生を持っています。それは警察だと偽っています。警察がジェット機や潜水艦を持っています。そんな警察はどこにもありません。だから皆嘘に慣れています。日本人にはそういうところがあり、憲法を変えたこともありません。今守っているのはマッカーサー憲法であり押しつけられたものです。ドイツは戦後十五〜十六回憲法を変えました。ドイツは法律を守るからです。守るから守れる法律を作ります。日本人は守らなくても良いので理想を書いています。日本の法律は理想です。この速度で走ったら安全だという理想が書かれているのです。これは日本の法律の観点です。
 ドイツの宣教師が日本に来て、彼らは真面目なので書いてある通りの速度で走っていたそうです。すると後ろからクラクションを鳴らされ、睨んで追い越していくそうです。彼は変に思って警察に行ったそうです。すると警察は驚いて、「あなた本当に法定速度で走ったのですか」と言われたそうです。しかも「十キロくらいオーバーしても良いのです」と言われて、彼はとても驚いていました。どういう国かと思います。警察が十キロくらいオーバーしても良いというとは・・・というような所です。守りきれない法律は良くありません。
 私はイスラムの村にいました。オクタビアヌス先生と共に村に住んでいました。イスラムの伝道の秘訣について聞きました。それはまずは、親切です。始めから伝道はできません。彼らが幸せになるために、こちらは徹底的に親切をします。すると心を開いて話すことができます。私は自動車を持っていました。当時はあまり自動車がなく、持っているのは私くらいでした。そのこともありましたが、村周辺に七十メートル道路を作りました。そのままではぬかるみで馬車は大通りまで出られない状況でしたので、村の人はとても喜びました。日本の軍隊は悪いので色々なものを奪っていったけれど、牧師はやっぱり違うと見直されました。普通では日本の兵隊のことしか考えません。彼らは暇なので噂話ばかりしています。それで私の評判が良くなりました。私に心を開いてきます。心を開いたら、「あなたは天国に行く確信がありますか」と聞きなさいと言われました。そこで誰一人「あります」と答えません。皆考え込みます。そこで彼らは「ひょっとしてそうなったら幸いです」と答えます。皆声が小さくなります。「五回も礼拝をしているのになぜないのですか。」と聞きます。律法を守って救いを求めているからです。いつも律法を破っているから不安があります。だからひょっとして、主が認めてくれたら幸いでしょうとしか言うことができないのです。政治家でも皆そうです。誰もが天国に行く確信がありますとは言いません。そのときに「私にはあります」と言うのです。すると彼らは驚きます。「なぜあるのですか」と聞かれます。そこでイエス様の十字架のことを話します。彼らはイエス様のことを預言者として認めています。預言者イエスとして認めていますが、メシヤ(救い主)としては認めていません。だからイエス様のことは知っています。イエス様が人間の罪を全部背負って十字架にかかって神の罰を代わりに受けた、だから、イエス様の十字架の死は身代わりの死だから、どんな人でもイエス様を信じたら罪が赦され、神の子どもになれる、天国行きだと話します。神の子どもというのは、彼らにとって魅力的です。彼らは神の僕とは思っていますが子どもにはなれないと思っています。私たちはイエス様の十字架のゆえに、罪赦されて神の子どもになれて天国に入ることができる、だから天国に行く確信があるのですと話します。すると彼らは欲しくなります。十字架はすべての人に対して救いの門です。だからイスラム教徒も感動します。
 私も福音には感動しました。私は十九才の時にイエス様を信じました。それ以前は幼稚園の時と中学一年の時に二回だけ教会に行ったことがありました。私は旧制中学に入り神風特攻隊に入ることに決めていました。しかし、一年で終戦が来てしまいました。愕然としました。そのとき昭和一桁時代はつまずきを覚えました。戦争が終わったこと、そして、学校の先生が今まで教えていたことは皆嘘でしたと言われたことは、とてもがっかりしました。私は本気で戦争に行き死ぬ気だったので、大人に裏切られた、日本に裏切られたと思いました。
 作家の三浦綾子さんは当時教師をしており、子どもたちに「今まで教えたことは間違えでした」と言ったことはとても辛かったそうです。しかし私たち子どもは先生の気持ちがわからなかったので、私はとてもがっかりしました。そんな中で九月から教会の閉ざされていた扉が開かれました。当時は皆腹を空かせていたので教会で何かくれると聞いたので私も行きました。小さな教会に中学生だけで二百人程が集まりました。なぜかそこでも代表に選ばれみんなの前で挨拶をし、「これから私は毎週教会に来ます」と言いましたが、それから野球部に入ったので教会には一度も行きませんでした。
 二百名が分級されました。そこで女の先生が、イエス様が十字架にかかった絵を見せ、「イエス様は君たちの罪の責任を背負って、十字架にかかって神の罰を身代わりになって受けたのです。だからイエス様の十字架は身代わりの死、だからどんな人でもイエス様を信じたら罪が赦されて天国に入れるのです」と話されました。私はこれは良い話しだと思いました。福音とは「良い話」という意味です。天国に入るためにはましな人間になり、自分を磨かなくてはいけないとか、お金をどれくらい納めたら良いかとか考えます。しかし、そんなものはいらないのです。イエス様を信じたら救われるというのが福音です。一発で私はわかりました。そこで「よし、宗教を持つならキリスト教」と決めました。しかし次の週から行きませんでした。福音は心にありました。それから十九才の時に教会に行きイエス様を信じました。いかに教会学校が大切かがわかります。私は教会学校は二回しか行きませんでした。教会学校に一度しか行かなくても、私のように牧師になるケースがあります。だから教会学校の先生方は失望しないで下さい。一度しか来ていない子どもでも何かを持って帰っています。福音は聖霊様が働かれ感動を与えられます。中国人もアメリカ人も日本人でもイスラム教でも皆救われます。皆人間は同じ条件です。イスラムの彼らも感動して欲しくなりました。神の子どもなりたい、天国に行く確信を持ちたいと思います。そこで次々に救われ、オクタビアヌス先生と私がその村に行きましたが、八十パーセントがクリスチャンになりました。大リバイバルが起こりました。だからイスラム教徒は仏教徒よりも易しいです。キリスト教に関する知識があるからです。イスラム教は四教典があります。コーラン(マホメットへの啓示)、モーセ五書(モーセへの啓示)、詩篇一五〇篇(ダビデへの啓示)、イエスへの啓示(四福音書)を持っています。四つの内三つまでは私たちが持っているものと同じです。ですからイスラム教徒はアブラハムという名前やヨセフという名前が多いです。それは旧約聖書があるからです。だから仏教徒よりもずっと話しやすいです。イスラム教徒は私たちと親戚のようなものです。なぜ難しいかというと指導者がうるさいからです。伝道したら国外退去だ、トラクトを渡すなということで難しいです。でも話し合ったら仏教徒よりもずっと簡単です。神、罪までわかっているのですから、あとは赦しだけです。イスラム教徒はいずれ話せばわかります。難しいのは指導者が私たちに色々な迫害を加えるからです。伝道したら殺されたというのがあるので迫害があるから難しいのです。しかし話せばわかります。それがイスラムです。日本にもイスラム教徒がたくさんいます。日本でイスラム教徒が何人か救われました。救われてイランの人が私の教会にも来ました。彼の名前がマホメットというのです。名前が良くないから変えなさいと言い、アブラハムという名前に変えました。アブラハムは私たちのイスラム伝道に召された訓練生と結婚して日本におり、日本にいるイラン人伝道をしています。彼らはイランに帰ったら殺されます。シャリヤを実行しているからです。改宗者は死刑だからです。親にも会うのもイランではなくトルコであったそうです。イランも変わるという確信を持って祈っています。彼はやがてイランに帰って伝道したいのです。イラン人もシャリヤには反対していると思います。九十パーセントは今のやり方に反対していますが、イスラム教指導者が軍隊を持っているのでどうにもなりません。大統領もどうにもできないのです。創価学会もそうです。公明党が議席を取れば公明党から総理大臣が出ます。しかし、総理大臣は偉くありません。池田大作の方が偉いのです。彼が軍隊を持ち警察を支配します。それが創価学会です。だから創価学会は恐ろしいものです。そのような同じ体質がイスラムにもあります。大統領ではなくイスラムの指導者がトップにあります。彼が軍隊と秘密警察をみな持っているので、大統領は何もできずにいます。改革派から選挙に勝っても動きがとれないのです。だからイランを変えるためには革命しかありません。国民の九十パーセントがシャリヤに反対しても、どうにもできないのです。だからみんなで決めたことも反対しているのです。作った者が悪いのです。コーランを読むとわかりますがそれは悪魔的です。ジハードで死んだら天国に行けるというので大胆に自爆すると言いますが、コーランには書いてありません。そして救いの確信がないのです。ジハードで死んだら天国に行けるというのだけではありません。実は美女たちがグループで待っているというのです。そこで行きたいというのです。こんなことはテレビでは言われません。嫌らしいと思います。これは明らかに悪魔から来た宗教だと思います。ですからイスラム教徒は分裂した中で悩んでいます。私たちは福音で救われるべきです。あらゆる人は福音で救われます。私は仏教徒でしたが私も救われました。インドネシアではイスラム教徒がクリスチャンになりました。そこで今はイスラム教徒は七十パーセントです。私がいたときに宗教局が発表した統計は、イスラム教徒七十六パーセントと発表しました。するとイスラム指導者たちが怒りました。七十六パーセントとは・・・と言いました。そこで恐れをなした宗教局は九十パーセントと言いました。しかしこれは嘘です。クリスチャンが二十パーセント以上いるので、人口が合わなくなってしまいます。今インドネシアのクリスチャンは大変です。ビン・ラディンの息の入った人々が入ってきて、クリスチャンをどんどん殺していきます。
 セレベスという町でクリスチャンが殺害され、皆他のクリスチャンの多い町に逃げ込みました。すると九千人のイスラムジハードに囲まれました。六万五千人のクリスチャンが中にいて大量虐殺される可能性が出て来ました。町の中には警察もいました。また、陸軍の駐屯軍もあります。しかしそれは二千人くらいです。
 そこで私のところにメールが入ってきました。私はブッシュ大統領にメールを送りました。「放っておいたら六万五千人のクリスチャンが殺されます。アメリカが圧力をかけてインドネシアの政府が軍隊を送るように」
 軍隊を送れば、ジェット機が飛んでくるのでジハードでも逃げてしまいます。それで世界中が祈りました。祈りは最大の武器です。そこでインドネシア政府が動き、軍隊を送ると言ったのでジハードは動きました。イスラムファンダメンタリストに洗脳された人がインドネシアに入ってきているので、世界中にこの問題が起こっています。問題はこれから若者です。若者はイスラムジハードを作ったりジハードたちに影響されやすいです。ですから祈りが必要です。そのようなわけでイスラム指導者たちはイスラムに困っています。このような状況の中で、インドネシアから祈ってくださいというメールがたくさん来ます。しかし、「迫害が止むようには祈らないでくれ」と言います。迫害によって私たちがしっかりと主に結びついているから、というのです。どのような状況にあっても祈ってくださいと言います。
 私はインドネシアの神学校で八年間教えました。卒業生がインドネシアのあちらこちらで牧師をしています。インドネシアでクリスチャンが増えた理由のもう一つは奇蹟です。死人が生き返ることも起こりました。そのような奇蹟を通して、インドネシアはリバイバルを体験しています。ブキスという氏族はファナティック(狂信的)なイスラムです。彼らはよくクリスチャンを迫害します。ブギスの宗教指導者に生まれた娘が大学に入り、大学でイスラムのリーダーになりました。教会堂を壊したり、迫害したりとトップリーダーでした。彼女は五回礼拝ではなく、六回礼拝していました。朝の三時にも祈りました。ところが、朝の三時の祈りでイエス様が現れました。彼女は驚きました。朝の三時の祈りにイエス様が現れるようになりました。すると、彼女はイエス様を信じたくなり、教会に行きたくなりました。そこで迫害もリーダーもやめました。それで部屋に閉じ隠りました。お父さんに「私は教会に行きたい」と言うのです。すると「何を言っている。馬鹿なことを。家の家系を知っているでしょう。」と言うのです。しかし彼女は行きたいのです。お父さんはついに気が狂ったと思いました。家族会議になりました。親戚中が集まりました。そして彼女は教会にどうしても行きたいというのです。殺すしかないと思いました。インドネシアではシャリヤが実行されませんが、その氏族では実行されます。殺すしかないと言って家族会議で行うことになりました。そういうケースはお父さんが実行します。しかし、さすがに娘を殺すことができません。おじさんがやると言うのです。そこで刀をもって首切り式をしようとしました。彼女は両側で男性に押さえられています。その時彼女は恐くありませんでした。しかしなぜ教会に行きたいというだけで死ななくてはならないのだろうかと考えていました。ただ私は教会に行きたいとそれだけなのに・・・と考えていました。いくら待っていても刀が来ません。急に静かになり、彼女は目を上げました。すると刀を持っておじさんが倒れていました。そしてその他には誰もいませんでした。皆逃げてしまったそうです。後でおじさんによると彼女から光が出ていて、どこが首かわからなかったそうです。そのうちに電気に撃たれたように倒れてしまい、周りにいた人も逃げてしまいました。そして彼女は教会に行きました。次々に家族が救われました。始めに殺そうとしたおじさんが救われました。こんなことがインドネシアに起こっています。クリスチャンが彼女のために祈ったと思います。だからビン・ラディンでも祈っていけば隠れたところでイエス様が訪れ救われるかも知れません。だからビン・ラディンの救いのために祈りましょう。敵を愛しなさいというので必死になって祈ります。だから彼女も祈られ、イエス様が現れました。私たちも祈りましょう。私たちは誰でもイエス様に救われることができます。どうしたら救われますか。使徒の働き二十章二十一節に、

『ユダヤ人にもギリシヤ人にも、神に対する悔い改めと、私たちの主イエスに対する信仰とをはっきりと主張したのです。』

と書かれています。これはパウロが言った言葉です。神様に悔い改めすることによって救われます。神に背を向けて歩んでいるのではいけません。一番の罪は神を否定することです。悔い改めなければいけません。悔い改めとはギリシア語でメタノイアと言いますが「回れ右」ということです。神に背を向けて地獄に向かっている人生はやめて帰ってきなさいと言うのです。断崖も端まで行っても、くるっと回れ右をしたら救われます。神様に背中を向けて偶像礼拝をしたら、サタン礼拝なのでサタンのところに入ってしまいます。地獄行きです。悔い改めは回れ右です。だから神に背を向ける人生はやめて帰って来いと言うのです。クリスチャンは悔い改めた人です。私も一九才の時に教会に行き、神に帰ろうと言って回れ右しました。それまでは神に背を向けて地獄に向かっていました。悔い改めたら神に向かう人生なのでいつ死んでも天国に行くことができます。これが救いです。救いは決断です。そうしようと言う決断が大切です。一度でも話が分かって決断したら救われます。イエス様を信じなさい。それは悔い改めて神様に立ち返ることです。そして天国に入るためには罪があってはいけません。神様に逆らった罪、人を呪った罪など色々あります。その罪を赦されないと駄目です。どうしてもイエス様を信じなければなりません。罪を精算するべきです。それをイエス様がしてくれました。だから悔い改めてイエス様を信じたら救われます。悔い改めてイエス様を信じるこの二つのことで私たちは救われます。だから決断です。まだクリスチャンになっていない方は決断したら救われます。どうか決断してください。そして私たちを通して他の人が救われるように証ししていきましょう。そうしたら多くの人が地獄行きから天国行きに回復されます。お祈りします。
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