今週の礼拝メッセージ
2002.2.24(SUN)
神に会う備えをせよ
新城教会 滝元明牧師

旧約聖書 アモス書 4章12節
それゆえ、イスラエルよ、わたしはあなたにこうしよう。わたしはあなたにこのことをするから、イスラエル、あなたはあなたの神に会う備えをせよ。

イザヤ書 42章20節
あなたは多くのことを見ながら、心に留めず、耳を開きながら、聞こうとしない。

 ハレルヤ!今日はこの箇所から学びます。数年ほど前にイスラエルに行きました。ベエル・シェバというところに行きました。そこは聖書に出てくるアブラハムが住んでいたところです。アブラハムが神のお告げを受け、ひとり子イサクをモリヤの山にささげに行くという箇所があります。私は団長で行きましたので、皆にできるだけ前に行かせてあげました。ガイドさんが色々なことを説明して下さいました。しかし、私はよそ事を考えていました。その時に、神様が私に語りかけて下さいました。

『あなたは多くのことを見ながら、心に留めず、耳を開きながら、聞こうとしない。』

見たり、聞いていながら本気になって見聞きしていないと神様から語られました。私は悔い改めて祈りました。それからイスラエルを旅行しながら真剣に話を聞き祝福されました。私たちが毎週教会で御言葉を聞きます。ある方は心から御言葉を捕まえようとします。ある人は眠っていたり、ある人は「先生良いこと言うなあ」と批評しながら聞いている方もいます。しかしせっかくの時なので聖書の御言葉をよく聞き、御言葉を自分のものとして捕まえることは大切です。そして御言葉を自分のものとして信じて、また受け入れることは祝福された人生を歩む秘訣です。イザヤ書三十四章十六節には、

『主の書物を調べて読め。これらのもののうちどれも失われていない。それぞれ自分の連れ合いを欠くものはいない。それは、主の口がこれを命じ、主の御霊が、これらを集めたからである。』

と書かれています。尾山先生の訳された現代訳聖書を見ると、『聖書を調べてよく読んでみるが良い。』と書かれています。聖書はよく調べて読んでみるようにと言われています。私たちが教会に来て聖書の御言葉を本気になってよく調べると、成長します。大切なことです。
 昔アメリカでは聖書が学校の教材に用いられていたそうです。時々聖書についてどれくらい理解されているかについて係官が来て子どもたちに質問したそうです。「君たち。エリコの城壁は誰が壊した!?」と聞きました。すると子どもたちは、「私じゃない!僕じゃない!」と言い出したそうです。すると学校の先生が「すみません。私が調べて修正しますから、宜しくお願いします。」
 聖書を見ると、エリコの城壁はヨシュアという人がイスラエルの人を連れて七日城壁を周り神によって壊されました。聖書を軽く見ていてはいけません。よく勉強しなければなりません。
 一九七二年に始めてスェーデンに行った時に面白い話を聞きました。聖書の中に放蕩息子の話が書かれています。ふたり兄弟の弟がお父さんの財産をもらい、遠い国に行き湯水のように全財産を使い、最後に何もなくなりまたその国に飢饉が来て、彼は最後に行き詰まり、豚の食べるいなご豆を食べて生きるという死ぬ寸前まで行ったときに、彼は目覚めました。「悪かった。私はお父さんに対し、天のお父さんに対しても罪を犯しました。私はここで死ぬばかりだけど、自分の家には腹一杯食べている雇い人が大勢いる。そうだ。お父さんのところに帰ろう。」と言ってへりくだって彼は帰ると、お父さんは息子が帰ってくる姿を見て喜んで迎え、子牛をほふって大きな祝いをしたことが書かれています。お兄さんが帰ってきて怒りました。「俺は一生懸命働いているのに、弟は遊んでいたのに帰ってきたら子牛をほふってごちそうするなんて何と言うことか」とお兄さんが怒ったことが書かれています。
 そこで日曜学校の先生が、放蕩息子が帰ってきたときに一番悲しんだのは誰ですかと聞くと、ある子どもは、「はい!」と手を上げました。「子牛だと思います。」と言いました。子どもたちは子どもたちらしく深く聖書を読んでいます。私たちも聖書をよく調べて読む必要があります。
 サムエル記にエルカナという人がおり、二人の奥さんをもらいました。ぺニンナとハンナです。ペニンナには子どもがありましたが、ハンナには子どもがいませんでした。しかしエルカナはとてもハンナを愛していました。しかし、あまりご主人がハンナばかりを愛したので、ペニンナは妬みを抱きハンナのことをいじめました。「神様はあなたを祝福されていない。子どもがない。私は子どもがある・・・」といつもいじめました。ハンナは悲しみ、ある時神の宮に行きました。その時泣いて「神様。赤ちゃんを下さい」と切に祈りました。そこにいた祭司エリが見ていると、ハンナの口だけが動いていました。声が聞こえないのです。エリはこの女は酔っぱらっていると思いました。「いつまで酔っぱらっているのですか?」と言いました。するとハンナは悲しい顔をして「祭司様。私を悪い女と思わないで下さい。私は憂い積もる悲しみがあり今神様の前に私の悲しみを訴えたところです。」と言いました。するとそれを聞いたエリは驚いて「安心して行きなさい。イスラエルの神があなたの願いを叶えて下さるように。」と言いました。祭司がハンナに向かって言いました。その時に彼女はその言葉を百パーセント受け止めました。神様が祭司を通して語って下さったと信じました。そしてその日以来、彼女は二度と悲しい顔をしなかったと書かれています。その結果彼女に赤ちゃんができました。その子がサムエルです。ハンナは御言葉をそのまま信じました。
 教会に来て、神様の話している言葉をそのまま信じたら癒されることもできるし、祝福されることもできます。
 イエス様がこの地上に来られたときにカペナウムという街に行きました。その町に行くと四人の人が中風の人を担いで連れてきました。その家には人が群がっていて入ることできませんでした。しかし、彼らはそのまま帰るわけには行かず、屋根に上って瓦をはがしてイエス様の目の前に中風の人を釣り降ろしました。そこでイエス様は彼らの信仰を見て、「子よ。しっかりしなさい。あなたの罪は赦された」と言われました。するとその時にいた律法学者たちが「この人は神を汚している。人間の罪を赦すのは神以外にはない。」と言ったときに、イエス様が彼の思いを知ってこう言いました。「罪を赦すのと、床を取って帰れというのとどちらが大切か。わたしが来たのは人間の罪を赦すために来た。」と言われました。「子よ。しっかりしなさい。あなたの罪は赦された」と言うと、彼は床を取って帰ったと書かれています。教会に来て御言葉を毎週聞いていますが、ある方は一度聞いただけで確信を持ちます。ある方は信じられずにどれだけ教会に来ていても「赦されるかなあ、どうかなあ。告白したけど・・・」という方もいます。しかし信じることが大切です。
 先週私は家内と一緒にテレビを見ました。ジャンヌ・ダルクの映画を見ました。十五世紀頃十七才の少女が神の御告げを受け、フランスの国を救い出す映画です。その映画には天使が何度か現れます。彼女は農家で生まれた女性で何の教養もありません。しかし、何回となく語られるので立ち上がり、兵隊を率いてイギリスの軍隊と戦いフランスを勝利へと導きます。しかし、最後にはイギリスの兵隊に捕まえられ裁判にかけられ、彼女は悪魔の女と言われ、火あぶりの刑に会うことになります。神様の御告げを受けたということは嘘だということをサインしなさいと言われ、彼女は自分の罪が告白できると言ってサインしてしまいますが、その後、「神様が私に語られたことは絶対なので撤回します。イエス様を信じます」と語りました。
 最後にひとりの人が出て来て、「あなたはこのような罪を犯しました。人を殺しました。自分も偉くなりたいと思ったことがありますね。罪を告白しなさい。」と言われ、彼女が色々な罪を告白します。そして最後にその方がイエス様であり、彼女に手をおいて「父と子と聖霊の名によってあなたの罪は赦されました。」と言います。その時にジャンヌ・ダルクは平安になります。そして火あぶりになるときに「十字架を下さい」と言って十字架を抱いて火で焼かれました。彼女は「イエス様!」と叫びながら人生を終えます。彼女は十九才でした。
 やがて何十年かの後に裁判のやり直しがあり、彼女は魔女ではなく聖女だということで復権しています。ここでも彼女は「あなたの罪は赦された」という言葉を信じました。イエス様を信じたら赦されない罪はありません。どんな罪も赦されます。このことを信じることが大切です。深く信じて下さい。イエス様が身代わりになって十字架にかかって死んで下さいましたのでイエス様の身代わりの死によって赦されない罪はないことを堅く信じましょう。
 聖書の中に賢い人と愚かな人の話が書かれています。一人の人は砂の上に、一人の人は岩の上に家を建てました。しかし洪水が来たときにその真価が問われました。岩の上に立てた家は建ち続けました。愚かな人の家は砂の上だったので洪水の時に倒れてしまったと書かれています。聖書を見ると、賢い人は、御言葉を聞いてそれを行う人が賢い人だと書かれています。今日賢い人は神の御言葉を聞いてそのまま信じて行う人が賢い人だと書かれています。ですから、御言葉を信じましょう。
 旧約聖書に、ロトという人が出てきます。彼はアブラハムの甥です。アブラハムと一緒に行動しましたが、財産が増えてしもべたちも多くなり狭い所では住めなくなりました。その時よくアブラハムのしもべとロトのしもべたちが喧嘩をしました。アブラハムはロトに言いました。「ロト。私たちは親戚同志だ。喧嘩はやめよう。あなたはここに土地があるからどこでも好きな所を選んで行きなさい。あなたがこちらを選べば私はあちらに行く。あなたがあちらを選べば私はこちらに行くから。」と言いました。するとロトが潤された地を選びました。それはソドムとゴモラの地でした。そしてアブラハムは痩せた山の方を選びました。しかしソドムとゴモラの地は悪い地で、淫乱と肉欲の町と書かれていますが、人々の性道徳は汚れて滅茶苦茶でした。あまりに汚れていたので神様もついにある時怒り天使を送って滅ぼすことにしました。その時に神様が「わたしのしようとすることをアブラハムに隠しておいて良いだろうか。」アブラハムは神様を信じて素晴らしい人でしたので、神様はアブラハムに打ち明けました。「わたしはソドムの町の叫びが大きくなったのでわたしは滅ぼそうとしている。」と言うと、アブラハムは「神様。あなたは天地の主であり、世界をさばく正しい方です。ソドムの町に正しい人も悪い人も一緒にいます。一緒に滅ぼすのですか。もしそこに五十人の正しい人がいたらどうしますか。」と訴えました。すると、「五十人いたらさばくのをやめよう。」「では、四十五人だったらどうですか。」「さばかない。」「三十人だったらどうですか。」「三十人だったら赦してあげる。」「二十人だったら、十人だったら・・・」と聞きました。アブラハムの考えの中にはロトのことがありました。そこにはロトがいるから滅ぼしてはいけない。良い方を選んだロトでも伯父のアブラハムは彼を愛していました。十人まで言い彼は言葉をやめました。そして天使がソドムの町に入りました。すると、ロトの家にやってきてロトは食事を勧めました。そこで夕方になり町の人がやってきて、「今日来たふたりの人を出せ」と言うのです。これは天使のことです。「あいつと一緒に寝たい」と言って天使を犯そうと思いました。するとロトが「待って下さい。家にはまだ二人娘がいて彼女たちはまだ男を知らないけれどこの二人を出しますから」というのです。すると、「何を言っている!」と言ってロトを押しつけようとしたときに、天使がロトを家の中にいれて目つぶしをくらしたと書かれています。そして男たちは門が分からなくなり、ロトは守られたと書かれています。
 そして天使が言いました。「この町を神が滅ぼそうとしている。だからすぐここから出なさい。その前にあなたの親戚にも言いなさい。この町に天から火が下って滅ぼされるから滅ぼされないうちに逃げるように言いなさい。」と言いました。そしてロトは了解して伝えに行きました。すると婿たちは、「おじさん。そんな、さばかれるようなことはない。」とあざ笑いました。「お父さん、娘も信じない。お帰り下さい。」彼らは信じませんでした。すると、天使たちが財産に魅力を持たずに出なさいと言いました。奥さんと二人の娘が引き出されました。ロトは躊躇しました。出てからわかりました。「さばきが来る、お願いです。天から火が降ってきてさばかれますから小さな町ツォアルまで逃げるので待って下さい」と言って彼らは逃げました。
 その時に神様が「後ろを振り向いてはいけない。真っ直ぐ見なさい」と言いました。すると神様が天から火と硫黄を下したと書かれています。その時にロトの妻は後ろを振り向いたので塩の柱になったと書かれています。今、死海の側に行くトロとの奥さんの塩の柱だというところがあります。これは神の言葉を軽く考えたのです。私たちも神の御言葉を軽く考えてはいけません。今の時代は世界中に罪が満ち、さばきの寸前です。大きな事は終わりの時代でイエス様ご自身が間もなく帰って来られるときです。
 今「レフト・ビハインド」という本が出ています。牧師が書いた本でアメリカで六百五十万部売れた本だと言われています。この本を私も買って読みました。この本はある機長がアメリカからイギリスへ飛行中の物語です。
 機長は時々教会に行っていました。最近奥さんが小さな教会で熱心になり、祈祷会、聖書研究会に行っていたのであまりの熱心さに奥さんのことが嫌になり浮気を考えます。スチュワーデスが優しい人でしたので彼女のことを気に留めるようになりました。そして彼は飛行操縦を他の人に任せ、彼女のところに行きました。すると、彼女は冷たい顔をするのです。いつもと違いました。そして彼女が「今大変なことが起こりました。機内に乗っている人が失そうしました。どこに行ったか分かりません。」「そんな馬鹿なことはない。どこかにいるだろう。」
 するとファーストクラスに乗ったおばあさんが泣いています。家のおじいさんもいなくなったというのです。そこで周りを捜しました。しかし、不思議なことは着物がそのまま下着も全部椅子に置いてあるのです。「家の主人は裸でトイレに行くようなことはありません。」と言っていました。するとこちらでもあちらでもそのようなことになっていました。百名ほどの人がいなくなっていました。彼は考えました。「家内が言っていた、イエスは再臨される・・。イエスは来たのか。」と言っています。聖書はこう書いています。「二人のものが一緒に寝ているとき一人は取り去られ、一人は残される。」また、「二人が牛を引いていると一人は取り去られ、一人は残される。」と書かれています。これは再臨かも知れないということでイギリスの空港に電話をかけると、今イギリスも大混乱している。降りるところがないということで、向きを変え、アメリカのシカゴの空港に降りて帰ったことが書かれています。帰ってみると彼の家は素晴らしい家ですが、奥さんと下の息子がいないのです。持ち物だけ全部残っていました。しかし、教会にあまり行くことが好きではなかった大学生の娘は残されていました。そして彼は七年間の大艱難時代の後で悔い改めてイエス様を信じるというストーリーです。
 聖書を見ると、ロトに向かって「あなたの婿、娘たちにここから出るように言いなさい」と言いました。
 皆さんにお勧めしますが、しっかりと子どもたちを神様の元に導かなければなりません。ある人は、段々大きくなり中学生になり、教会に行かないと言うと、やめた、ゲームの方がおもしろいとか、遊ぶ方がおもしろいとか、部活があると言いますが、子どものうちは何としても教会に結ばれることが大切です。もし、再臨があり子どもたちだけ残されたらどうなるでしょうか。家族が天国に行くことができるように導くべきです。
 岡本信弘師夫妻は息子さんと娘さんを毎週家庭集会にどこにでも連れて行きました。よく喧嘩をして落ち着いていませんでしたが、今は大学生になり立派なクリスチャンになっています。子どもたちを強制のように教会や家庭集会に連れて行きましたが、今は良いクリスチャンになっています。

『それゆえ、イスラエルよ、わたしはあなたにこうしよう。わたしはあなたにこのことをするからだ、イスラエル、あなたはあなたの神に会う備えをせよ。』

と書かれています。神に会う備えが必要です。イエス様が天に帰られてから聖霊が下りました。そしてペテロが説教し一日に三千人が悔い改めたと書かれています。使徒二章三十七節から三十八節に、

『人々はこれを聞いて心を刺され、ペテロとほかの使徒たちに、「兄弟たち。私たちはどうしたらよいでしょうか。」と言った。そこでペテロは彼らに答えた。「悔い改めなさい。そして、それぞれ罪を赦していただくために、イエス・キリストの名によってバプテスマを受けなさい。そうすれば、賜物として聖霊を受けるでしょう。』

と書かれています。これを聞き、まともに御言葉を受け入れた人三千人が救われたと書かれています。これは聞いたことをそのまま受け入れました。私たちはバプテスマを受けています。
 先日、リバイバル拡大聖会がありました。その時に素晴らしい御言葉を順牧師が語っていましたが、実際は聖書に書かれていることをそのまま信じて話しているだけです。それを深く信じるか信じないかです。順牧師は聖書を深く信じて語っています。皆と変わりません。同じ聖書を読んでいます。その中に悪霊の力から解放される道がある、それは難しくはありません。罪に対して死に新しくよみがえること。それは人間の力ではできませんが、バプテスマを受けたらキリストに死に、葬られてキリストと共によみがえる、バプテスマでよみがえってキリストと同じところに座ることができる、これはよみがえりのポジションであり、キリストと同じポジションなのでサタンに勝つことができると言っていました。私たちもバプテスマを受けたらイエス様と同じポジションで権威を持って戦うことができるというのです。力強く感じましたが、聖書を信じるか信じないかです。見ても信じない人と聞いても信じない人がいます。彼がバプテスマを受けた動機は聖餐式を受けたかったからと言っていますが、後から分かったことは、バプテスマは素晴らしいことだと言っています。バプテスマによって罪が赦され、訴える債務証書が全部無効にされることは先祖の呪いから解放され、悪魔を打ち砕く権威が与えられることを強調していますが、これは御言葉を信じるかどうかです。信じてバプテスマを受けるものは救われます。バプテスマを受けるものは救われると信じましょう。力が与えられていると信じましょう。サタンに勝つことができると信じましょう。信じるかどうかです。今日イエス様ご自身がおられるので今日の御言葉を信じましょう。「子よ。しっかりしなさい。あなたの罪は赦された。」とありますが、彼はこの御言葉を信じました。これは受けれたのです。今日ここにイエス様がおられますのでどのような罪の呵責があっても赦されることを信じましょう。御言葉をもう一度確認しましょう。信じたら祝福されます。重く御言葉を信じて行きましょう。神は愛です。良い方です。必ず幸せになることを信じましょう。
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