今週の礼拝メッセージ
2002.3.24(SUN)
奥義
新城教会 滝元順牧師

新約聖書 エペソ人への手紙 3章3節〜11節
先に簡単に書いたとおり、この奥義は、啓示によって私に知らされたのです。それを読めば、私がキリストの奥義をどう理解しているかがよくわかるはずです。この奥義は、今は、御霊によって、キリストの聖なる使徒たちと預言者たちに啓示されていますが、前の時代には、今と同じようには人々に知らされていませんでした。その奥義とは、福音により、キリスト・イエスにあって、異邦人もまた共同の相続者となり、ともに一つのからだに連なり、ともに約束にあずかる者となるということです。私は、神の力の働きにより、自分に与えられた神の恵みの賜物によって、この福音に仕える者とされました。すべての聖徒たちのうちで一番小さな私に、この恵みが与えられたのは、私がキリストの測りがたい富を異邦人に宣べ伝え、また、万物を創造された神の中に世々隠されていた奥義を実行に移す務めが何であるかを明らかにするためにほかなりません。これは、今、天にある支配と権威とに対して、教会を通して、神の豊かな知恵が示されるためであって、私たちの主キリスト・イエスにおいて実現された神の永遠のご計画に沿ったことです。

 ハレルヤ!今日このように御言葉を取り次ぐことができることを感謝します。今日は「奥義」というタイトルで御言葉を語ります。
 「奥義」とは「伝授されたものだけに知ることを許されていること」いう意味です。奥義を知るとはすごいことです。どのような宗教でも奥義と呼ばれるようなものがありますが、「凡人ではわかない」と言われます。しかし、聖書の奥義は、誰にでも知ることができるのです。今日はその、隠された聖書の奥義について学びたいと思います。それをつかむことができれば、皆さんの人生が素晴らしく変えられると信じます。特に、今日は「創造の奥義」に着目して聖書から学びます。
 今日この教会に集まられた方々は、なぜか人間ばかりです。私は、「なぜ、人間だけが教会に集まるのだろうか?」と疑問に思います。他の動物が来てもいいじゃないか・・・?!。
 さて、皆さんは、人間に生まれて良かったと思われますか。数ある動物の中で、人間に生まれたことは、ある意味で幸せなことです。もしも犬に生まれていたら、今どこかにつながれているかも知れません。もしも猫に生まれていたら家もなく、どこかのゴミ箱を漁っているのかも知れません。また、ライオンやトラに生まれていたら、動物園のおりの中かも知れません。もしも魚に生まれていたら、いまごろ水の中を泳いでいるかも知れません。いや、食卓に上っていたかも知れません。そのように考えると、「人間で良かった!」と考えます。
 しかし、人間に生まれて良かったのか悪かったのか、時には考えてしまいます。動物の中で人間だけが悩んでいます。
 私の家の周りにはたくさんの野良猫がいます。明日の食事は保証されていないのですが、野良猫は全く悩んだ様子をしていません。いつも「明日は我がもの!」という顔で堂々と歩いています。野良猫は悩みがなくて良いと思います。それに引き換えて人間には、悩みがいっぱいあります。特に今の時代には多くの悩みがあり、何百万人もの人々が引きこもりで苦しんでます。人間で良かったのか、悪かったのか考えてしまうような現実です。
 そもそもなぜ、神様は人間を造られたのだろうかと思います。「なぜ、私は人類として創造されたのか?」と考えると、悩んで眠れなくなるかも知れません。私は神が人類を造られた理由についてよく考えます。色々な説明を聞きます。「神様はただひとりで寂しかったから人類を造った・・・」
 しかし、よく考えてみると、「神様は本当に寂しかったのだろうか」と思います。寂しいような神様では困ると思います。そんな寂しがりやの神様ではないはずです。「寂しい」というだけで気まぐれに人類を創造されたのではないはずです。何らかの目的を持って造られたはずです。その理由につい捨て、天地創造の場面から手がかりを学べます。
 創世記一章には天地創造の経緯が書かれています。それは地球を中心して記されています。それも簡潔に書かれています。一章二節に、

『地は形がなく、何もなかった。やみが大いなる水の上にあり、神の霊は水の上を動いていた。』

 天地宇宙が始まる前、「やみが覆っていた」その上に「神の霊」と記されています。これはただ明かりがなくて「暗かった」、ということではありません。「神の霊」に対応しているのは、「霊的環境」のはずです。そして創世記と対応して、新約聖書の創世記と言われる「ヨハネの福音書」に、『初めに、ことばがあった。ことばは神とともにあった。ことばは神であった。』そして、一章五節には、

『光はやみの中に輝いている。やみはこれに打ち勝たなかった。』

 この箇所と合わせて理解できることは、創世記の中で「やみ」と記されているのは、ただ暗いのではなく、人間が創造される前にすでに「悪が存在していた」という事実です。人間が創造される前に、すでに悪魔、悪霊たちが存在していたということです。
 創造以前、すでに神に仕える天使族が存在していたようです。しかし天使長が「私も神のようになりたい」と高ぶったことから、天から追放されたと記されています。イザヤ書十四章十二節と十三節に、

『暁の子、明けの明星よ。どうしてあなたは天から落ちたのか。国々を打ち破った者よ。どうしてあなたは地に切り倒されたのか。あなたは心の中で言った。『私は天に上ろう。神の星々のはるか上に私の王座を上げ、北の果てにある会合の山にすわろう。』

 この箇所は、悪魔の成り立ちも意味している記述だと思います。
 天地創造以前に、すでに悪魔、悪霊の存在、すなわち「暗闇」がありました。しかし、創造を通して、暗闇に光が投げ込まれたのです。神様は暗闇のただ中で、天地創造をなされたのです。
 そして男が造られました。それがアダムでした。アダム一人では良くないということで、助け手、エバが造られました。そこで世界最初の結婚式がおこなわれました。創世記二章十八節に、『その後、神である主は仰せられた。「人が、ひとりでいるのは良くない。わたしは彼のために、彼にふさわしい助け手を造ろう。」』とあります。そして二十四節に、

『それゆえ、男はその父母を離れ、妻と結び合い、ふたりは一体となるのである。』

と書かれています。人類はじめの結婚式の司式者は神でした。結婚式は、だれが司式すべきでしょうか。それは神です。牧師は、神が司式する補佐役です。天地宇宙を創造した神により、「二人は一心同体になる!」と宣言していただくのです。
 ここには、すでに結婚されている方々が多くおられますが、誰の前で「二人は一体となる」と宣言されましたか。天地宇宙を造られた神の前で宣言を受け取っていれば幸せなことです。しかし日本人の多くは、神ならぬ偽の神々の前で契りを結んでいます。縁結びの神として、「出雲の神」がありますが、これは悪霊です。しかも、「淫乱神」です。そんなところで契りを結んだら、浮気をするのも仕方がないかもしれません。
 結婚は天地宇宙を造られた神の前で、「二人は一体となる」という宣言をするのです。
 しかし神が宣言されたときに、二人をにらんだ存在がありました。それが「蛇」でした。ある意味で蛇は悪魔の象徴です。蛇を見ると「悪魔がいる!」という意識ができます。しかし、蛇は神の被造物なので、蛇=悪魔ではありません。蛇は霊的な世界にも「蛇みたいな存在がいる」ということを人に意識させる為に創られた存在なのかも知れません。
 結婚の宣言をした後に蛇が来たことは、一つの情報提供をしています。
 現在、一年に二十数万組が離婚しますが、その背後に蛇がいるのです。付き合っているときにはあまり悪魔はじっと見ませんが、結婚したら強く関わってきます。もしも今日、夫婦の危機を迎えている方がおられたら、その背景に蛇がいることを知って下さい。
 アダムとエバに結婚後すぐに蛇が来ました。そして、取って食べてはいけないという、善悪を知る木の実を取って食べてしまいました。神様は「この善悪を知る木の実を取って食べてはいけない。取って食べると死ぬから」と言われました。しかしその言いつけを二人は聞けませんでした。人間は神様の言いつけよりも、蛇の情報に耳を傾けました。ということは、蛇・悪魔はこの地上において、「かなり強い影響」を与えているのです。
 しかし、実を取って食べても彼らは死にはしませんでした。私はあの時に、「アダムでもエバでも、どちらでも良かったから死んでいてくれれば良かった」と思います。そうすれば、人類はその時点で終わりでした。こんな不幸な人類は生まれませんでした。「神様は嘘を言ったのか!?」
 ・・しかし、神は嘘を言ってはいませんでした。善悪を知る木の実は毒入りではありませんでしたが、死が現実となったのは、次の世代、カインとアベルの世代でした。これは罪の結果が現れる場所を現しています。何と、罪の結果は自分の子どもたち、すなわち、新しい世代の中に現れるのです。
 「教会はなぜ、罪について語るのだろうか。そんなことを言わなかったら、もっと人が集まるのに」と言われるかも知れません。しかしこれは、あなたの次の世代が守られる為なのです。罪には責任が伴うのです。
 アダムとエバが犯した罪の結果が、カインとアベルの世代に現れました。この時、悪魔はアダムにではなく、エバを誘惑しました。ここには女性の方々がおられますが、悪魔が人に関わるテーマがあります。それは「女」というテーマです。
 創世記は世の初まりについて書かれています。そして、世の終わりについては黙示録が扱っています。黙示録十二章十七節に、

『すると、竜は女に対して激しく怒り、女の子孫の残りの者、すなわち、神の戒めを守り、イエスのあかしを保っている者たちと戦おうとして出て行った。』

 これは、創世記三章の御言葉に対応しています。創世記では、「蛇が女」に関わっています。しかし、世の終わりでは蛇はだいぶ大きくなって「竜」になっています。『竜は女に対して激しく怒り』と記されています。
 創世記の三章十五節には、

『わたしは、おまえと女との間に、また、おまえの子孫と女の子孫との間に、敵意を置く。彼は、おまえの頭を踏み砕き、おまえは、彼のかかとにかみつく。」』

と書かれています。創世記で蛇は「女」に関わり、「女の子孫」に敵意がおかれました。しかし、黙示録では「女の子孫の残りの者」と書かれています。これらから、悪魔が人に関わる筋が見えます。
 「女と女の子孫、そして女の子孫の残りの者に対して」です。悪魔が限りなく女性を追求し、関わり続ける姿を見ます。女性は悪魔に関わられる運命かも知れません。しかし心配しないで下さい。「女」というのは、黙示録十二章で見ると、「すなわち」と説明されています。

『すなわち、神の戒めを守り、イエスのあかしを保っている者たちと戦おうとして出て行った。』

 「女」とは、「クリスチャン」です。それでは、「クリスチャンの女性」が一番危ないのかも知れません。しかし、イエスの証を守っている「者たち」と複数になっていますから、この意味はキリストの花嫁「教会」です。そして、サタンが究極的に激しく怒っている対象は教会なのです。
 今、皆さんはどこにおられますか?そうです。教会にいます。サタンが最も激しく怒っている場所に、ようこそお出かけ下さいました。
 「大変なところに来てしまった!」と思われるかも知れません。しかし、心配しないで下さい。
 エペソ人への手紙五章には、神が男と女を創り、「二人が一心同体となる」・・・ここには奥義があるのです。五章三十一節、三十二節に、

『「それゆえ、人はその父と母を離れ、妻と結ばれ、ふたりは一心同体となる。」この奥義は偉大です。私は、キリストと教会とをさして言っているのです。』

 神は男アダム、女エバを創り、ふたりが一体であると宣言しました。これは神の前での契約です。そして、この契約は、ただ結婚だけを意味するのではなく、さらなる「奥義」があると語っています。
 その奥義とは、「キリストと教会」を指しているのです。男性は「イエス様」を現しています。また、「女性」は教会を現します。そして「ふたりが一体」となるということは、「キリストと教会が一体」であることを表す奥義です。これから夫婦で、夫は妻を教会と評価して下さい。また夫はイエス様の役割であると評価してください。夫婦はキリストと教会が一つである事を象徴的に表しているのです。
 さて、キリストと教会が一つということは、どのような意味でしょうか。イエス様は天に帰られ、すべての支配、権威を持って君臨されているお方です。その方と一体となるということは「すべての祝福を共有する」ことを意味します。エペソ人への手紙一章二十節から二十三節に、

『神は、その全能の力をキリストのうちに働かせて、キリストを死者の中からよみがえらせ、天上においてご自分の右の座に着かせて、すべての支配、権威、権力、主権の上に、また、今の世ばかりでなく、次に来る世においてもとなえられる、すべての名の上に高く置かれました。また、神は、いっさいのものをキリストの足の下に従わせ、いっさいのものの上に立つかしらであるキリストを、教会にお与えになりました。教会はキリストのからだであり、いっさいのものをいっさいのものによって満たす方の満ちておられるところです。』

 教会には、一切のものを一切のものによって満たす方が満ちておられるのです。すごいことです。イエス様と一体とは、イエス様の資産を全て共有しているはずです。
 今、全国、いや、全世界で自分の口座からカードで現金を引き出すことができます。私は去年、自分の銀行カードをペルーで試してみました。するとちゃんと引き出すことができました。世界のネットワークがあるので、全世界で自分の口座からお金を引き出すことができるのです。
 イエス様の資産はどれだけありますか。教会がイエス様と一つになれば、何でも地上で引き出せるのです。それが夫婦の契約に対応しているのです。夫婦が自分のポジションをわきまえ、夫はイエス様、奥さんは教会の役割を果たすときに、イエス様と教会が対応し、一切のものが一切によって満たされるのです。家庭には祝福が満ち溢れます。しかし、そんなことになると悪魔は困るので、結婚した後にすぐにやって来て、夫婦を壊そうとしました。夫婦関係は霊的な戦いです。
 さて、キリストと教会が一つというテーマの中には、更に深い使命と奥義があります。それはエペソ三章に書かれています。パウロは神様からの啓示を受けて奥義を理解しました。三節に、

『先に簡単に書いたとおり、この奥義は、啓示によって私に知らされたのです。』

と書かれています。これはパウロに神様が直接、教えられた奥義でした。六節には、

『その奥義とは、福音により、キリスト・イエスにあって、異邦人もまた共同の相続者となり、ともに一つのからだに連なり、ともに約束にあずかる者となるということです。。』

と書かれています。ユダヤ人も異邦人もなく、皆がイエス様をかしらとした「教会に連なる」のです。また、
 その目的について、更に教えています。七節から九節に、

『私は、神の力の働きにより、自分に与えられた神の恵みの賜物によって、この福音に仕える者とされました。すべての聖徒たちのうちで一番小さな私に、この恵みが与えられたのは、私がキリストの測りがたい富を異邦人に宣べ伝え、また、万物を創造された神の中に世々隠されていた奥義を実行に移す務めが何であるかを明らかにするためにほかなりません。』

 この奥義とは「万物を創造された神の中に代々隠されていたものだ」と語っています。天地創造の時から秘密であり、今、解き明かされる奥義の意味について記しています。十節から十一節に、

『これは、今、天にある支配と権威とに対して、教会を通して、神の豊かな知恵が示されるためであって、私たちの主キリスト・イエスにおいて実現された神の永遠のご計画に沿ったことです。』

と書かれています。これが結論です。「天にある支配と権威」とは、エペソ六章十二節に対応するものです。

『私たちの格闘は血肉に対するものではなく、主権、力、この暗やみの世界の支配者たち、また、天にいるもろもろの悪霊に対するものです。』

 エペソ三章に「支配、権威」と書かれていますが、これは六章の「主権、力」と同じ意味です。原語で見ると同じ言葉として対応しています。
 「支配と権威」に対して、教会を通して知恵が示されるとは、「悪魔、悪霊の組織に対して、教会を通して勝利が与えられる」ということです。
 教会の使命とは、イエス様とひとつとなって、天にある支配・権威に対して神の豊かな知恵を宣言するものです。
 神は天地宇宙を造る前に、ご自分の栄光を傷つけられていました。それは悪魔、悪霊が存在するようになっていたからです。神様は、栄光を回復しなければなりませんでした。神がご自分で、ご自身の栄光を回復することは難しいことではありませんが、「一つの手段」をとられました。それが、「暗闇のただ中」で、「天地宇宙を造られ」、「人を造られ」、「男と女を創り」ました。この男とは究極的には「イエス様」につながり、女とは「教会」を預言的に意味しました。そして、「ふたりが一体となる」とは、「イエス様と教会が一つになる」ことを意味し、「天にある支配と権威に対して戦いが挑まれる」ということなのです。
 神様が、ご自分の栄光を回復するためにとられた手段、それは、天地を創造し、人間を創りこの地上に「教会」を創造された事です。そしてそこに、「御子・イエス様を遣わし」、「接ぎ木して一体にし」、「ご自身が失われた栄光を回復する」という大きな使命があったのです。
 人類が創造されたのは、神が天地創造以前に失った栄光を、「人類を通して回復する」ためでした。そのための役割を担っているのが教会です。
 なぜこれほどまでに、悪魔が人間に関わるのかについて理由が分かります。なぜなら、人間はそもそも、神がご自分の栄光を回復するために造られた存在だからです。悪魔はどうしても、人間を破壊しなくてはならないのです。人が教会につながったら、霊的戦いが始まるからです。そうしたら、自分たちが打ち破られることを、彼らはよく知っているのです。神が人類と教会を創造した意味をよく知っているのです。だから悪魔は真剣になって、人類と教会に関わるのです。
 しかし、教会がこの事に気付いたら変わります。すなわち、教会とは神が失った栄光を取り戻す手段として、神がこの地上に建てられた最強の場所であることを知ったら、教会は勝利に変えられるのです。
 私たちはいつも目の先のことだけで生きているかも知れません。しかし、あなたがこの地上に生まれた究極的な目的は「教会の一部として、教会を通して神の栄光を回復する」という、大きな使命があるのです。

 今日、日本においては、神の栄光が奪われています。それを回復しなければなりません。どのようにして悪魔をやっつけるのでしょうか。どのようにして神の栄光を回復できるのでしょうか。神はこのことについて、「福音を宣べ伝えること」だと言われました。
 使徒の働き二十六章には、「救い」について定義されています。これは「暗闇から光に、サタンの支配から神の支配に立ち返らせる」ということだと書かれています。私たちが福音を宣べ伝える、伝道するとは「サタンの支配下から、神の支配下に人が移される」ことです。
 ということは、私たちが福音を宣べ伝えることにより、背後の悪魔の力が打ち破られるゆえに、人が救われると同時に、「神の栄光が回復」しているのです。
 神が、人類を造られた目的は、このように大きなものです。伝道は、人が救われるという目的と共に、究極的には「神の栄光の回復」です。天地創造の前に、傷つけられた栄光が、私たち人類を通して回復するとは、何と素晴らしいことでしょう。
 そのために、イエス様はこの地上に来られ、十字架にかかられ死んで、よみがえって下さいました。
 来週は復活祭です。ぜひ、多くのお友達をお誘い下さい。これは神の栄光回復のためのあなたの使命です。あなたが生きる使命は、神の栄光の回復です。
 新城教会の使命は、「神の栄光の回復」です。ただ、神の栄光の回復のために働きたいと願います。この使命のために生きていきましょう。
 創造の原点を知るときに、色々な面で価値観が変わります。行き詰まりも打破できると期待しています。神の栄光を回復するために用いられるよう、祈りたいと思います。

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