今週の礼拝メッセージ
2002.4.7(SUN)
三拍子の祝福
新城教会 滝元明牧師

新約聖書 ヨハネの手紙 第三 1章2節
愛する者よ。あなたが、たましいに幸いを得ているようにすべての点でも幸いを得、また健康であるように祈ります。

 ハレルヤ!今日このように皆さんとともに礼拝できることを感謝します。四月に入り、学校に入学されたり、会社に入社されたり、色々な緊張があると思います。先週は皆様にお祈りいただき、私はハワイで奉仕することができて感謝します。
 昨年一月にアメリカに行ったときに、私は韓国人のクリスチャンの家を訪問しました。その時に息子にお嫁さんが与えられるように祈って下さい、と言われました。この度、彼に結婚相手が与えられ、結婚式に出席して欲しいと言われました。その兄弟は、リバイバル聖書神学校の通信教育で学ばれた方です。また、姉妹も神学校の通信生でしたので、祈りのカードに書いて祈っていました。彼女のお父さんは神戸で牧師をされています。祝福された結婚式でした。ハワイのマウイ島という所に行き、日本人教会でも奉仕しました。初めて奉仕に行ったので、どんな教会だろうかと心配していましたが、とてもリバイバルに燃えている教会でした。この国に必ずリバイバルが来ると信じて、集まって祈っていました。また、徹夜教会をしていることを聞き、私たちの教会でも行っているので励まされました。その教会は一番大きな教会で七千人が集まっていました。日本人の教会は、五十から六十人でした。その教会の伝道集会では、バプテスマを受ける決心をされる方が与えられました。聖霊が働いておられるのを見ることができて感謝しました。
 今朝は、これから御言葉を学びます。

『愛する者よ。あなたが、たましいに幸いを得ているようにすべての点でも幸いを得、また健康であるように祈ります。』

 これは使徒ヨハネが、ガイオという長老に送った手紙の中の祈りの文章です。神様のみこころは人間が幸せになることです。神様は良い方です。ですから、私たちがイエス様を信じたら、必ず幸せになることができます。魂にも霊的にも肉体的にも、すべての面で祝福されることができます。これからの人生を、神様が祝福して良い道を歩むことができると信仰を持って行きたいと思います。今、病気の方も信仰を持って下さい。元気になるという信仰が大切です。家庭に問題があっても必ず良くなる、イエス様に従ったら良くして下さると信じて下さい。
 ハワイに行った時に、結婚された姉妹のお父さんと話しました。彼は、神戸で韓国人教会の牧師をされており、数年前に、五億六千万円で四階建ての教会堂を建てたそうです。先生は静かな方です。彼は健康に気を使っておられます。なぜなら、京都で牧師をしていた時に病気になり、医者から死を宣告され、「何でもおいしいものを食べなさい」と言われたそうです。しかし今があるという事は、癒されたことです。どうして癒されたかを聞きました。先生の牧師になる前の仕事は、顕微鏡で水質検査をする仕事をだったそうです。水の中には細菌がたくさんいるので、絶対に生水を飲んだことがなく、必ず水を沸騰して飲んでいたそうです。しかしそんな水を飲んでいたら病気になって、死にそうになったというのです。水が沸騰すると水が死に、金魚などを飼うと金魚は死んでしまいます。それから彼は考えを変え、生水を飲むようにしたそうです。たくさんの水を飲んだそうです。そうしていたら癒されたそうです。
 私は朝昼晩、水を飲みます。私のために家内が特大のカップに用意してくれます。私も健康なのは、水をよく飲んでいることではないかと思います。先日、島根県に行った時、そこの先生も病気になって、三年間牧師を辞めていたけど復職したと言われました。彼は、脳梗塞で倒れ、話すこともできず、悪かったのですが完全に癒されたそうです。私がどうして治ったのかを聞くと、「水を飲んだ」と言われました。水は良いようです。しかし、本当は、神様の祝福が私たちに健康を与え、長生きすることができるのです。神を信じ、健康な毎日生活を送っていきましょう。健康の秘訣を聖書から見ると、エペソ人への手紙六章二節から三節に、

『「あなたの父と母を敬え。」これは第一の戒めであり、約束を伴ったものです。すなわち、「そうしたら、あなたはしあわせになり、地上で長生きする。」という約束です。』

と書かれています。聖書の教えである、幸せな生活の秘訣は、「親孝行」です。私は韓国の方の結婚式に初めて出席しましたが、披露宴が終わってからもう一つの儀式があると言われました。それは親に対する挨拶の儀式だそうです。「祈って下さったので結婚が進みました」と言われ、私にも挨拶をしたい、ということで挨拶をされました。クリスチャンは親を敬うことが大切です。最近の若い人は、親を馬鹿にしたり、反抗します。しかし、世に習わず聖書に従って親孝行をすることは長生きの秘訣です。幸せになるために親孝行をしましょう。祝福されます。聖書を見ると神に心から従った者は祝福され、神に逆らった者は祝福されていません。そのことを通して私たちに、生きる道を提示しています。
 創世記には、アブラハム、イサク、ヤコブについて書かれていますが、皆、祝福されています。アブラハムは心から神を信じて、従っていました。彼の晩年について語っています。創世記二十四章一節に、

『アブラハムは年を重ねて、老人になっていた。主は、あらゆる面でアブラハムを祝福しておられた。』

と記されています。これから年輩になられる方は、アブラハムと同じように、心から神を信じて従えば、老人になってもあらゆる面で神が祝福して下さると信仰を持ちましょう。
 私も年をとってきましたが、これからの人生が楽しみです。健康も魂も霊的にも、全ての面で神様が祝福して下さるからです。また、アブラハムの子イサクについても記されています。創世記二十六章十二節に、

『イサクはその地に種を蒔き、その年に百倍の収穫を見た。主が彼を祝福してくださったのである。』

と書かれています。聖書は『人の勤労はそれに加えることはない。主の恵みは人を富ます。』と書かれていますが、私たちが神によって祝福されたら素晴らしい人生を歩むことができます。この箇所は、イサクがゲラルという地、ペリシテ人の地に寄留したことが書かれています。その時にイサクが種を蒔いたら百倍の収穫をしたというのです。これは経済的な祝福の面です。神様が心から従ったイサクに百倍の収穫を与えたのです。
 またその子ヤコブは、創世記三十二章十節に、

『私はあなたがしもべに賜わったすべての恵みとまことを受けるに足りない者です。私は自分の杖一本だけを持って、このヨルダンを渡りましたが、今は、二つの宿営を持つようになったのです。』

と記されています。
 ここには長い間クリスチャンの方がおられます。皆さんが神を信じた時から、今までの祝福を見ると素晴らしいです。私も東京からトランク一つを持って伝道に来ましたが、今こんなに多くの方と礼拝できることは素晴らしいです。ヤコブは杖一本もって、ヨルダン川を渡りました。そして伯父ラバンの地に行き、二十年後に帰って来た時には素晴らしい祝福を持ち帰ったのです。私たちも神に心を込めて従ったら、神の素晴らしい祝福をいただくことができます。
 またヨブ記を見ると、ヨブは試練に会いましたが最後は祝福されています。ヨブ記四十二章十二節に、

『主はヨブの前の半生よりあとの半生をもっと祝福された。それで彼は羊一万四千頭、らくだ六千頭、牛一千くびき、雌ろば一千頭を持つことになった。』

と書かれています。ヨブはすべてを失いましたが、心から神に信頼しました。そうしたら、彼の前の人生より、試練の後の人生が以前にもまして、祝福されたと書かれています。ですから、今までの人生よりも、これからの人生が必ず祝福されると信じましょう。
 聖書には心が踊るように御言葉あります。詩篇一章一節から三節に、

『幸いなことよ。悪者のはかりごとに歩まず、罪人の道に立たず、あざける者の座に着かなかった、その人。まことに、その人は主のおしえを喜びとし、昼も夜もそのおしえを口ずさむ。その人は、水路のそばに植わった木のようだ。時が来ると実がなり、その葉は枯れない。その人は、何をしても栄える。』

と書かれています。私たちが神を恐れ、悪い道に立たず心から神に従うと、必ず祝福され、時が来ると実がなり、その葉は枯れない、その人は何をしても栄えると書かれています。すべてが祝福されるということです。ですからこの御言葉を信じましょう。

『まことに、その人は主のおしえを喜びとし、昼も夜もそのおしえを口ずさむ。』

 御言葉に従って悪い道に歩まず、イエス様を心から愛して従ったら、「何をしてもあなたは祝福される」というのが聖書の教えです。これは素晴らしいことです。
 私は昨年十二月、北海道に行くときに与えられた御言葉を信じています。詩篇九十二篇十四節に、

『彼らは年老いてもなお、実を実らせ、みずみずしく、おい茂っていましょう。』

 これからの人生は、どうなるか分かりませんが、今日まで祝福されたことは感謝です。皆さんも心から神に従えば、「年老いてもなお、実を実らせ、みずみずしく、おい茂っていましょう。」と書かれているので、若さに溢れて生活することができます。これは素晴らしい祝福です。信仰を持ちましょう。しかし、ある方は現実的な問題があり、乏しい方もおられるかも知れません。日本の経済も悪くなっています。経済も大切なことです。色々な状況を見て不安になったりすると思います。
 ひとりの方が私に、「日本は大変ですね。銀行が統合しているし、どこの銀行に預けたら良いかわからないと思います。そういう問題に対して、クリスチャンは反対すべきです」と言われました。しかし、私にとっては議論する必要がありません。なぜなら、銀行に預けているものがないので、心配がありません。しかし持っている人は大変だと思います。持っている、いないに関わらず、私たちはイエス様に目を向けなければなりません。たとえどのようであっても、必ず私たちは祝福されるという信仰を持たなければなりません。ピリピ人への手紙四章十九節に、

『また、私の神は、キリスト・イエスにあるご自身の栄光の富をもって、あなたがたの必要をすべて満たしてくださいます。』

と書かれています。これは神様の約束です。この御言葉を捕まえることが大切です。今の状況がどのようであっても、必ず神が私に与えて下さる。神様が満たして下さると信仰を持ちましょう。そして神様に期待することが大切です。
 また、「魂に幸いを得る」と書かれています。私たちが本気で神に従う時に、魂に幸いを受けることができます。詩篇二十三章一節から六節に、

『主は私の羊飼い。私は、乏しいことがありません。主は私を緑の牧場に伏させ、いこいの水のほとりに伴われます。主は私のたましいを生き返らせ、御名のために、私を義の道に導かれます。たとい、死の陰の谷を歩くことがあっても、私はわざわいを恐れません。あなたが私とともにおられますから。あなたのむちとあなたの杖、それが私の慰めです。私の敵の前で、あなたは私のために食事をととのえ、私の頭に油をそそいでくださいます。私の杯は、あふれています。まことに、私のいのちの日の限り、いつくしみと恵みとが、私を追って来るでしょう。私は、いつまでも、主の家に住まいましょう。』

と書かれています。これはダビデが作った歌です。私は口語訳聖書の訳が好きです。一節は、

『主は私の牧者であって、私には乏しいことがない。』

と書かれています。イエス様が私の牧者だったら、乏しいことがない。私たちが乾いたときには飲ませ、やさしく助けて下さり、たとえ私が飢え乾いても魂を生き返らせてくださるということです。また四節からに、

『たとい、死の陰の谷を歩くことがあっても、私はわざわいを恐れません。あなたが私とともにおられますから。あなたのむちとあなたの杖、それが私の慰めです。』

と書かれています。私たちはいつか死にます。有名な人、貧乏な人、金持ち・・・皆死にます。昨日私は娘に迎えに来てもらいました。「悲しい知らせがある」と言われ、私にファックスをくれました。そこには、「本田弘慈先生が召されました。」と書かれていました。彼は九十才でした。福音を伝える勇士のような素晴らしい人ですが、彼は召されました。どんな人でもその時があります。聖書は、『たとい、死の陰の谷を歩くことがあっても、私はわざわいを恐れません。』と書かれています。どんな死の時が来ても心配はない、主が共にいてくださるというのです。また六節に、

『まことに、私のいのちの日の限り、いつくしみと恵みとが、私を追って来るでしょう。私は、いつまでも、主の家に住まいましょう。』』

と書かれています。また他の箇所には、

『だから、神の国とその義とをまず第一に求めなさい。そうすれば、それに加えて、これらのものはすべて与えられます。』

と書かれています。心から神を信じたら、いつくしみと恵みが追ってくると書かれています。今私に照明が当たっていますが、私が太陽に向かっていると影が後ろの方に来ます。しかし太陽に背を向けると、影が前に来ます。私たちが神様に顔を向けたら、いつもいつくしみと恵みが私たちを追ってくると書かれています。まず、神の国とその義を求めたら、すべての必要が満たされるから心配しなくても良いと書かれています。だからこれからの人生は「祝福される、良いことばかりだ」と信じましょう。悪いことがあっても良くなると信じましょう。年をとっても大丈夫です。若い人も大丈夫です。信仰を持ったら皆さんの家庭も良くなります。良い人も更に良くなります。今は悪くても良くなります。信仰を持ちましょう。
 また、もう一つは、神様は良い方ですが、実際を見ると苦しみや悪いことがたくさんあります。なぜ、戦争をするのだろうか。なぜ、差別があるのだろうか。貧乏があるのだろうか。様々な問題があります。しかしこれは背後に「悪霊の力」があります。クリスチャンが素晴らしい人生を送るためには、サタンの力に打ち勝つことが大切です。すでにイエス様が十字架で身代わりになって死んでくだっさったことにより、死の力を打ち破ってよみがえって下さったことにより、イエス様のよみがえりの力によって、私たちは素晴らしい生活を送ることができます。ガラテヤ人への手紙三章十三節から十四節に、

『キリストは、私たちのためにのろわれたものとなって、私たちを律法ののろいから贖い出してくださいました。なぜなら、「木にかけられる者はすべてのろわれたものである。」と書いてあるからです。このことは、アブラハムへの祝福が、キリスト・イエスによって異邦人に及ぶためであり、その結果、私たちが信仰によって約束の御霊を受けるためなのです。』

と書かれています。イエス様が呪われたものとなって下さったのは、私たちを呪いから解放するためでした。罪から私たちを贖うためでした。そして死の力を打ち破りよみがえって下さいました。イエス様を信じたものは、呪いから解放されます。三、四代の呪いがあり、家族の呪いがあってもイエス様の十字架、血潮、あがないが私たちを呪いから解放して下さいます。今まで、たとえ呪われたような悪いことがあっても、イエス様を信じたら呪いではなく祝福して下さいます。そして今日から必ず祝福してくださるという確証として、神は聖霊を与えて下さいます。私たちが信じたら、聖霊様が共にいて下さいます。世の終わりまで、決してあなたを見放さず、見捨てないというのが神の約束です。今日、病気の方も、「この病が神のみこころだ」と言ったらそこまでです。しかし「この病を、神が癒すことができる」と信じるべきです。イエス様がこの地上に来られたときに、様々な人に触れて下さいました。イエス様はらい病人をきよめたことが書かれています。
 ハワイのマウイ島から見える島に、かつて、らい病の人のために人生を費やした人がいました。彼は最後には自分もらい病になって死にました。彼はクリスチャンでした。今は感謝なことにらい病は少ないです。旧約聖書を見ると、らい病は呪われた病気のように記述があります。イエス様が来られた時に、らい病の人たちに、「わたしの心だきよくなれ」と言われ、癒されたことが書かれています。
 また、新約聖書には姦淫の現場で逮捕された女のことが書かれています。イエス様に「この女は姦淫の現場で逮捕されました。モーセの掟によると石で打ち殺すようにと書かれているからそうしても良いですか」と聞くと、イエス様は、「あなたがたの中で罪のない人が、まず石にて投げ打ちなさい」と言われました。すると、一人去り、二人去り、最後にはその女性とイエス様になったときにイエス様が、「婦人よ。あなたを罪に定める人はなかったのか。」と言うと、「誰もありません。」「わたしも罪に定めない。」と言われました。イエス様は、当時嫌われていた収税人や遊び女と一緒に食事をされました。ある意味でこの世の中の底辺と言われるような人の所に行き、イエス様は食事をされました。愛に満ちた方です。ですから、今どんなに惨めな状況にあっても、イエス様を迎え入れたら祝福された人生を与えて下さいます。ですから信仰を持ちましょう。

『愛する者よ。あなたが、たましいに幸いを得ているようにすべての点でも幸いを得、また健康であるように祈ります。』

今日、幸せになって帰って下さい。今日、悪いところがあったり、問題があったり、霊的に恵まれていないと言われる方も祈って下さい。また、ガイオに「愛する者よ」と書き送ったように、私たちも、主にあって「愛し合い」幸せな人生を送りましょう。お祈りしましょう。

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