今週の礼拝メッセージ
2002.5.26(SUN)
若々しく、みずみずしく
新城教会 滝元明牧師

旧約聖書 詩篇 92章10節〜15節
しかし、あなたは私の角を野牛の角のように高く上げ、私に新しい油をそそがれました。私の目は私を待ち伏せている者どもを見下し、私の耳は私に立ち向かう悪人どもの悲鳴を聞きます。正しい者は、なつめやしの木のように栄え、レバノンの杉のように育ちます。彼らは、主の家に植えられ、私たちの神の大庭で栄えます。彼らは年老いてもなお、実を実らせ、みずみずしく、おい茂っていましょう。こうして彼らは、主の正しいことを告げましょう。主は、わが岩。主には不正がありません。

 ハレルヤ!今朝は「若々しく、みずみずしく」というテーマで学びます。久しぶりにこの講壇に立つことができることを感謝します。明日はNRAで会議があり、また次の日からは韓国に行きます。ワールドカップを記念する韓国と日本の合同集会に招かれていきます。今年一月に、九州リバイバル聖会に行くと申賢均先生が、「先生、ずいぶん白髪が増えたね。年をとったように見えるよ。今度、韓国に来るときには髪を染めて来て下さい。」と言われ、初めて髪の毛を染めました。またもう一つ私が髪を染めた理由があります。数年前に台湾に行きました。パスポートを見せると、台湾では六ヶ月パスポート期間がなくてはいけないと言われ、三ヶ月間しか残っていませんでした。日本領事館に行きパスポートの申請をしました。その時には私は四十年代の時に撮った写真を見せました。当時の写真は髪が黒くて若かい顔をしています。だから最近、海外に行くときパスポートを見せる度に、違う人ではないかと感じていたからです。韓国のためにも祈っていただけたら幸いです。
 一九七一年に日本リバイバルクルセードを始めて間もないときに、軽井沢で聖会をしました。当時は佐藤栄作首相の時代でした。日本では一番長く総理大臣をした人物です。
 田中政男先生が興奮して、「先生。見た?」と言われました。「目の前に真っ黒い高級車が通って、佐藤総理が乗っていた。」と言うのです。そこで私は田中先生に、「すぐに総理に電話しなさい。面会するように申し込みなさい。」と言いました。というのは、私はクルセードをするときには、いつでも、市長や県知事を表敬訪問しているので、電話してみました。そうしたら、「総理は疲れているので、誰にも会わないようにしています。」と断られました。しかし田中先生は知恵のある方で、色々な働きを説明しました。「私たちは市長や県知事にあったときに、本を差し上げて特別に祝福のお祈りをしています」と言うと、「では、本とお手紙でも持ってきてください。それを私から総理に渡します。」と言われました。そこで私は生まれて初めて、総理大臣に手紙を書きました。
 「親愛なる佐藤首相。初めてお手紙できることをとても嬉しく思います。私の教会では毎朝五時半から、総理が良い政治ができるように、ご健康であるように毎日お祈りしています。これからも長く日本のために働いてください。私の本もどうぞお読みください。」と書き、田中先生と一緒に門衛までその本と手紙を持っていきました。すると、突然電話が入りました。「今朝、あなたが書いた本とお手紙を渡しました。総理はそれを見てとても感動し、ぜひともお会いしていただきたいと言っているのですが、どうでしょうか。会っていただけますか。」と言われ、驚きました。「良いですよ。お会いしましょう。」ということで私と田中先生とともに、総理に会いに行きました。秘書官に何分くらい話して良いですかと聞くと、二十分くらいならば話しても良いと言われました。彼は難しそうな顔をされていました。
「総理、始めてお会いして光栄です。しかし、毎朝私たちはあなたのために祈っているので、始めて会ったのではないような気がしています。」というと、総理はにっこりし、心を開いてあれこれと一時間二十分話しました。佐藤総理が語った今でも忘れられない言葉は、「最近、仏教の葬式は少しは分かる話をするが、何と言ってもキリスト教に勝るものはないよ。これからキリスト教はもっと若返って伝道してくれたまえ。」と言われました。一国の総理として、あの方は見る目があったと思います。「今の日本のキリスト教は、若返って」と言われたことは、ある意味で「年をとっている、老朽化している」ということです。
 昨日は悲しいことに、中華航空が墜落し、二百二十数名が亡くなりました。今朝新聞を見ると、あの飛行機は二十三年も経っており、老朽化していたと書かれています。私たち日本のキリスト教会を考えてみると、ある意味で老朽化しています。何が老朽化しているかというと、いつまでも平均礼拝出席者は三十七名ほどです。七千五百くらいの教会がありますが小さく、延びません。増えていきません。教会が老朽化したら、新しく増えるということがありません。夢もなければビジョンもなくなってしまいます。ですから、これから私たちは、若々しくみずみずしく生きるべきです。今日お読みした御言葉は昨年十二月に、十二日間断食て祈ったときに与えられた御言葉です。今年大阪で四十日の集会をすることで、これが神様の御心にかなうかどうかということで祈っているときに与えられました。そのとき特別、目に入った御言葉は、『しかし、あなたは私の角を野牛の角のように高く上げ、私に新しい油をそそがれました。』
十二日間断食をして、特別に力が来たことではありませんが、この祈りの十二日間の中で新しい油注ぎ、聖霊の注ぎをいただいたと確信しています。また、十三節から十四節に、

『彼らは、主の家に植えられ、私たちの神の大庭で栄えます。彼らは年老いてもなお、実を実らせ、みずみずしく、おい茂っていましょう。』

と書かれています。佐藤栄作氏は七十一才でなくなりました。私は今年七十三才になります。若いとは言えませんが、年老いても実を実らせるという言葉は素晴らしいです。四十日続けて伝道集会を行うことは、ある意味で覚悟がいります。この集会でいのちをかけて働き、いのちを失うことがあってもしなければならないという覚悟です。しかし、この御言葉にあるように、年老いてもみずみずしくされ、四十日の集会ができると確信しました。私たちは若々しく、みずみずしく、私だけの問題ではなく、皆さんも若々しく、みずみずしくあって下さい。この教会も若々しく、みずみずしくあったら成長します。入ったら死んだような教会ではいけません。
 聖書にみずみずしく生きる秘訣が書かれています。使徒の働き二章で聖霊が下り、彼らが聖霊に満たされたときに教会が若々しくなり、いのちに満ち満ちて彼らは伝道し、教会は急成長しました。ですから、若々しく生活するためには聖霊に満たされる以外はありません。教会も聖霊を歓迎し、聖霊様が働いて下さる教会は、若々しくあることができます。個人的にも同じです。どんな問題があっても、神様から聖霊の力を受けたら若々しい生活をすることができます。ですから、お互いに聖霊に満たされて歩んでいきましょう。ここに「みずみずしく」と書かれていますが、どうしたらみずみずしい生活ができるでしょうか。詩篇一章一節から三節に、

『幸いなことよ。悪者のはかりごとに歩まず、罪人の道に立たず、あざける者の座に着かなかった、その人。まことに、その人は主のおしえを喜びとし、昼も夜もそのおしえを口ずさむ。その人は、水路のそばに植わった木のようだ。時が来ると実がなり、その葉は枯れない。その人は、何をしても栄える。』

と書かれています。水路のそばに植わった木は、みずみずしいです。砂漠の中で生える木はやせ細っていて惨めです。私たちも水路のそばに植わった木であったら、素晴らしいです。霊的な意味では、水は聖霊です。だから聖霊に満たされることが大切です。また、イエス様を信じ、主の教えに耳を傾けて良いわざに励むことが大切だ、と教えています。聖書の御言葉をよく読み、御言葉を愛することは大切です。詩篇十五章一節から三節に、

『主よ。だれが、あなたの幕屋に宿るのでしょうか。だれが、あなたの聖なる山に住むのでしょうか。正しく歩み、義を行ない、心の中の真実を語る人。その人は、舌をもってそしらず、友人に悪を行なわず、隣人への非難を口にしない。』

と書かれています。
 人の悪口や批判をしないことが若々しく、みずみずしく生きる秘訣です。私は四月にMTC(宣教師訓練センター)の全国大会に行きました。羽鳥明先生が来られて説教してくださいました。先生は、体も弱いのでお願いしたときに、二十分くらい話をしますと言われていました。しかし先生は一時間の説教して下さいました。その証を聞いて感動しました。
 羽鳥先生の家庭は、ご両親が学校の先生で家庭が冷えており、いつもご両親が喧嘩をしていました。そして苦しみの中で、自殺したいと思ったたそうです。戦争中、高校に行っていたときに軍人の教官が学校に入りました。その教官はキリスト教大嫌いで、「お前たちの中に耶蘇がいるか?耶蘇(クリスチャン)がいたらお前たちの腐りかけた心を、叩き直してやる。」と言いました。すると一人が手を挙げました。「先生。私はクリスチャンです。私はイエスが神であり、救い主であることを信じています。」堂々と戦時中に一人の少年が語りました。何とすごい人だと思いました。命がけの信仰です。あまりに素晴らしいと羽鳥少年は感動し、彼の行動をいつも見ていました。輝いた生活をしているので、何とか彼と友だちになりたいという気持ちで一緒にスポーツをして彼に近づきました。
 ある時、「羽鳥君。教会に一緒に行かないかい?」と言われました。そして初めて教会に行きました。すると教会の牧師が愛を持って話してくれました。「羽鳥さん、あなたは罪人であることがわかりますか。」と聞かれたそうです。「はい。少しわかったような気がします。」それまで自分が悪いとは思わず、両親を攻めていました。しかし、悪口を言わないと心に決めました。そしてイエス様を受け入れるお祈りをしたそうです。祈ってもらっている時に、ふっと牧師の顔を見ると、大粒の涙を流して「この羽鳥さんを救ってください。」と祈ってくれました。その時に、羽鳥少年はイエス様は真実だと感じ、信じる決意をしました。「今日、家に帰ったら、ご両親にクリスチャンになったことを言いなさい。」と言われ、「私は悪かったので許してください。イエス・キリストを信じました。」と言ったそうです。彼は両親から迫害を受けましたが、その時から彼の人生は変わったそうです。
 私はその証を聞いて感動しました。そして、その牧師が資金を援助してくださりアメリカで勉強できたそうです。アメリカにいたときに、その牧師が亡くなったことを聞いたときには悲しかったそうです。「私が今日あるのはこのイギリスの先生が祈ってくださり、導いてくださったこと、そして、私がここにある。」と感謝されていました。
 私もその時に思いました。私がここにあることは、宣教師によって救われたこと。穐近先生が日本に送られたことを考えました。時々先生の悪口を言ったこともありましたが、私はその時から決めました。先生の悪口を言うことはやめようと心に決めました。聖書には、

『その人は、舌をもってそしらず、友人に悪を行なわず、隣人への非難を口にしない。』

と書かれていますので、その時以来感謝し、悪口を言わないことに決めました。互いに悪口を言わない方が良いです。どんなひどい仕打ちを受けても、感謝することが大切です。それがみずみずしく生きる秘訣だと教えています。また、箴言二十九章十八節に、

『幻がなければ、民はほしいままにふるまう。しかし律法を守る者は幸いである。』

と書かれています。この聖書の訳し方を見ると、現代役では、

『神の啓示の御言葉を無視すれば、人々は自分勝手なことをやり出す。御言葉を守る人は幸いである。』
文語体は、

『黙示がなければ民は欲しいままにす。律法を守る者は幸いなり。』

と書かれています。口語訳、

『預言がなければ民はわがままにふるまう、しかし律法を守る者はさいわいである。』

新共同訳では、

『幻がなければ民は堕落する。教えを守る者は幸いである。』

と書かれています。私たちが人生で若々しくいきる秘訣は、幻を持つことです。ビジョンを持つことです。ある意味で私が今日まで健康で来れたことは、東京でイエス様を信じる前に、「朝が来て昼が来て夜が来て・・・同じ様な生活をして一生懸命勉強してもいつかは死んでしまう。人生は何だろう」と考えていました。そして、何かいのちをかけて働く仕事が欲しいと思っていたときに、一九四九年二月十三日に初めて教会に行きました。そこにいたクリスチャン達は輝いていました。若々しく、みずみずしく感じました。私もあんな人間になりたいと思いました。そして次の週に、教会に行ったときにイエス様を信じました。信じて一ヶ月ほどが経ちわかったことは、私が東京に勉強に来たのは、このことをつかむためだった、今まで探していたものはこれだった、生きる道がわかった、それは私のために十字架にかかり死んでくださったイエス様のために、人生をささげようということでした。今まで自己中心で、自分のことしか考えなかったけど、これから神様のために人のために、神の栄光のために生きていこうと考えました。今までイエス様を信じてきて、私のビジョンは福音をすべての人に宣べ伝えたい、時が良くても悪くても、イエス様の愛、神の救い、十字架の福音を伝えなければならない、これが私のビジョンです。今日皆さんにとっても同じです。イエス様が私たち一人一人のために死んでくださったことは、誰に対しても同じです。皆さんも幻を持ってください。「生きることはキリスト、死ぬことも、また益です。」神の愛を伝えていくことが、私のビジョンです。これを握ってから、ある意味で若々しく生きることができるようになりました。
 人間は幻がなくなると肉欲的な生活に走ります。旧約聖書を見ると、モーセに連れられて多くの奴隷が解放されました。荒野を通り、約束の地カナンに向かいました。彼らにとっての目標はカナンの地です。偉大なるモーセに連れられ、多くの人が導かれました。彼らは苦しい中でも、いつか約束の地・カナンに入れるというビジョンを持っていました。しかし、ある時にモーセがシナイ山に登りました。彼はシナイ山で十戒を受けましたが、彼は四十日間、神とともにいました。四十日も山からモーセが帰ってこないので、皆はビジョンを失い出しました。
「俺たちはカナンの地に行くといっているが、指導者がいなくてどうなるのだろうか。」四十日が経って、信じていこうという人と、信じられないと言う人がいました。「モーセはもう来ない」と言って、彼らは金の子牛を作ってその前にひれ伏しました。彼らはビジョンを失いました。
 「もうモーセはいない。」・・そこで彼らは何を求めたでしょうか。「彼らは座して飲み食いし、踊って戯れた。」と書かれています。幻がなくなると、「約束の地に行けないのなら、遊んで、飲み食いするしかない」という考えで肉欲の生活をし、結局幻を失った人たちは滅びてしまいました。私たちは、いつでも幻があります。どんなことがあっても天国があります。やがてイエス様が来られます。イエス様の前に出ることができるという希望があります。私たちは幻を持ちましょう。この世の中でもそうです。孫が結婚するまでは生きなくて、はと言って生きている人がいます。ある人は絶対にこのことがあるから死ぬことができない、と言って幻を持つことができます。
 先日、あるパイロットが一人で飛行機を操縦中に墜落してしまい、彼は下敷きになりながらSOSを出しました。それを聞いて、レスキュー隊が助けに行きました。「助けてー」と叫んでいるのを聞きながら、救助隊は返事をしませんでした。なぜなら、「助けにいく」という声を聞いたら、安心して眠って死んでしまうから、黙って近づいていき助けたということが出ていました。
 希望を失ってはいけません。多くの人が会社のために懸命に働いて、リストラされたら人生駄目だ、と終わります。定年で終わります。しかし定年になっても、リストラになっても、神のために働いたら若々しくあることができます。ビジョンを持ちながら生きていきましょう。また、エレミヤ書二章二節に、

『「さあ、行って、主はこう仰せられると言って、エルサレムの人々の耳に呼ばわれ。わたしは、あなたの若かったころの誠実、婚約時代の愛、荒野の種も蒔かれていない地でのわたしへの従順を覚えている。』

と書かれています。恋人がある人は若いです。教会でも、良い人と巡り会って結婚する人の顔は変わります。婚約時代の愛があったら、若々しく生きることができます。私たちは誰を愛しますか。「イエス様に対する愛」です。私のために死んでくださるほど愛してくださるイエス様を愛します。これは最高だと思います。ですから、私はいつも三つの恋をしていると言います。「一つはイエス様に対する恋、また日本に対する恋、また私の妻を愛しています。」若々しい秘訣は「愛すること」です。夫婦喧嘩ばかりしている人は、早く年をとります。年をとっても愛し合っていたら、若々しく生きることができます。家庭の中で愛し合うことです。特にイエス様を愛していきましょう。「婚約時代の愛、荒野の種も蒔かれていない地でのわたしへの従順を覚えている。」と書かれていますが、イエス様も愛していくことが大切です。雅歌七章十節に、

『私は、私の愛する方のもの。あの方は私を恋い慕う。』

と書かれています。イエス様を愛したら、若々しく生きることができます。朝起きたら、「イエス様。あなたを愛します。あなたが大好きです。あなたを愛してます。」と告白してください。これが若返りの秘訣です。時々私は夜眠れないときに祈ります。「イエス様、愛します。」と告白し、十字架のことを考えると感謝で、愛でいっぱいになります。どこまでもイエス様を愛して生きるべきです。教会がイエス様の愛から離れてしまったら、堕落してしまいます。イエス様の愛にとどまって歩みましょう。だれでも若々しく生きるためには、聖霊の力に満たされることが大切です。求めていかなくてはなりません。イザヤ書四十章二十七節から三十一節に、

『ヤコブよ。なぜ言うのか。イスラエルよ。なぜ言い張るのか。「私の道は主に隠れ、私の正しい訴えは、私の神に見過ごしにされている。」と。あなたは知らないのか。聞いていないのか。主は永遠の神、地の果てまで創造された方。疲れることなく、たゆむことなく、その英知は測り知れない。疲れた者には力を与え、精力のない者には活気をつける。若者も疲れ、たゆみ、若い男もつまずき倒れる。しかし、主を待ち望む者は新しく力を得、鷲のように翼をかって上ることができる。走ってもたゆまず、歩いても疲れない。』

と書かれています。今日老朽化していても若返ります。疲れていても疲れがとれます。御言葉を信じましょう。若者も疲れます。

『疲れた者には力を与え、精力のない者には活気をつける。若者も疲れ、たゆみ、若い男もつまずき倒れる。しかし、主を待ち望む者は新しく力を得、鷲のように翼をかって上ることができる。走ってもたゆまず、歩いても疲れない。』

若くてもビジョンがなくなると老朽化します。どんなに年をとっていても主を待ち望んでいれば私たちは新しくされます。聖霊の力を受けて進むことができるように祈りましょう。
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