今週の礼拝メッセージ
2002.9.22(SUN)
天国への招待
新城教会 滝元 明 牧師

新約聖書 マタイの福音書20章1節〜16節
 天の御国は、自分のぶどう園で働く労務者を雇いに朝早く出かけた主人のようなものです。彼は、労務者たちと一日一デナリの約束ができると、彼らをぶどう園にやった。それから、九時ごろに出かけてみると、別の人たちが市場に立っており、何もしないでいた。そこで、彼はその人たちに言った。『あなたがたも、ぶどう園に行きなさい。相当のものを上げるから。』彼らは出て行った。それからまた、十二時ごろと三時ごろに出かけて行って、同じようにした。また、五時ごろ出かけてみると、別の人たちが立っていたので、彼らに言った。『なぜ、一日中仕事もしないでここにいるのですか。』彼らは言った。『だれも雇ってくれないからです。』彼は言った。『あなたがたも、ぶどう園に行きなさい。』こうして、夕方になったので、ぶどう園の主人は、監督に言った。『労務者たちを呼んで、最後に来た者たちから順に、最初に来た者たちにまで、賃金を払ってやりなさい。』そこで、五時ごろに雇われた者たちが来て、それぞれ一デナリずつもらった。最初の者たちがもらいに来て、もっと多くもらえるだろうと思ったが、彼らもやはりひとり一デナリずつであった。そこで、彼らはそれを受け取ると、主人に文句をつけて、言った。『この最後の連中は一時間しか働かなかったのに、あなたは私たちと同じにしました。私たちは一日中、労苦と焼けるような暑さを辛抱したのです。』しかし、彼はそのひとりに答えて言った。『私はあなたに何も不当なことはしていない。あなたは私と一デナリの約束をしたではありませんか。自分の分を取って帰りなさい。ただ私としては、この最後の人にも、あなたと同じだけ上げたいのです。自分のものを自分の思うようにしてはいけないという法がありますか。それとも、私が気前がいいので、あなたの目にはねたましく思われるのですか。』このように、あとの者が先になり、先の者があとになるものです。」

 ハレルヤ!久しぶりにこの講壇に立つことができ心から感謝します。七月二十四日から九月一日まで「関西40DAYS」が行われ、その間大阪に住み着いてご奉仕させて頂きました。皆さんのお祈りにより健康で無事奉仕を終える事ができました。ゲストにロンブラウンさんが40日間来てくださいました。彼は世界的に有名なミュージシャンです。今回彼はアメリカの方で、とても有名なミュージシャンから共演してほしいと依頼がありましたが、日本を愛するゆえにそれを断って日本に来てくださり、素晴らしい奉仕を毎日して下さいました。「関西40DAYS」のホームページをご覧くださった方もいると思いますが、私は四十日の間に三十三のリレー伝道を四十一の教会で行い、ファイナルウィークも含めて四十六回のメッセージをさせて頂きました。皆さまのお祈りによって、守られた事を感謝します。お祈りを感謝いたします。では今日はマタイの福音書の二十章から「天国への招待」というテーマで御言葉を学びます。

『天の御国は、自分のぶどう園で働く労務者を雇いに朝早く出かけた主人のようなものです。彼は、労務者たちと一日一デナリの約束ができると、彼らをぶどう園にやった。』

と書かれています。ある主人が、多くの人を雇い最後に報酬を与えました。聖書では皆に一デナリの報酬を支払ったと書いてあります。朝から働いた人たちは、主人に「私たちは暑い日中から働いたのに、一時間しか働かなかった人と同じように賃金を払うことは何事か」と文句を言いました。しかしぶどう園の主人はあなたと初めから一デナリ約束をした。私が気前が良いから妬ましく思うかと言いました。その後イエス様は「あとの者が先になり、先の者があとになる」と言われました。ぶどう園の主人とは神様のことです。朝早く行って人を雇い、九時、十二時と雇ったことは忙しい収穫の時だったと思います。私は九月二十日で誕生日を迎え、今年で七十三才になりました。ある方が誕生プレゼントとしてぶどうをたくさん送って下さいました。ぶどうが大好きな私にとって大変嬉しかったです。この聖書では朝早くと九時、十二時だけでなく、三時と五時にも人を雇ったと言う事は、大変忙しい収穫時だと思います。夕方五時に雇われた人はたった一時間しか仕事をしませんでした。それほど忙しい時でした。今の時代は霊的な世界から見ると魂の収穫時だと思います。ですからどうしても働き人が欲しいのです。マタイの九章三十七節から三十八節に、

『そのとき、弟子たちに言われた。「収穫は多いが、働き手が少ない。だから、収穫の主に、収穫のために働き手を送ってくださるように祈りなさい。」』

と書かれています。今は魂の収穫時ですのでリバイバルを期待しながら伝道しましょう。今回の「関西40DAYS」で三十三日間、教会伝道リレーをしましたが、四十一の教会のほとんどが会場にいっぱいの人が集まって下さいました。ある教会では会堂に入りきれないほど集まり、階段にも、別室にもモニターテレビを入れるほど人々が集まりました。真剣に人々を誘う時人々は集まります。ある教会では、月曜日という人が集まりにくい曜日にも関わらず、全日本リバイバルミッションニュースの期待の声に「私の教会の目標は二百人が集まり、五十人が決心する」と書かれていました。その教会では「あなたの敵を愛しなさい」という御言葉を準備していました。そこからどのように魂を導くかと重荷を感じつつ、真剣に祈り準備しました。感謝な事にその時の集会は二百五十人くらい集まりました。特に若者がたくさん集い、決心者が七十人くらい与えられました。私は伝道は常識では日曜日など休みの日は集まるが、月曜日などウイークデーは集まらないという考えは間違えだと分かりました。伝道するということはいつか機会があったらというのではなく、本気で伝道していったら、福音を伝達することができます。聖書は朝早く雇われた人も十二時、三時、五時に雇われた人もいましたが、これから私たちも伝道しなければなりません。私なりに解釈すると、朝早く招かれた人がどのような人かというと、朝早く招かれた人とは、日曜学校に出席した事のある人です。子どもの時に教会に来た人です。年をとって頭が固くなった人ではなく、小さな頃から教会に来てイエス様のことを聞く人の事ではと思います。この中にもおそらく昔日曜学校に行った事がある方がいると思います。朝早くということは心を開いている小さな時です。九時頃とは中学生、高校生の時です。この教会でも中学生、高校生が「レッツプレイズ」という集会を今計画準備しています。二百人の中高生を動員しようと計画をしています。中高生の時に教会に来る事が九時頃かも知れません。また十二時頃というのは、青年だと思います。今日本において希望があることは、青年たちが結婚式はキリスト教式で挙げたいという方々が大勢いらっしゃいます。六十〜七十パーセントくらいの方々だそうです。ホテルでもチャペルを作っています。なぜならば、若者が寺で結婚式をしたいということはほとんどありません。神式で結婚式をする人も少なくなっています。キリスト教でしたいというのは、その時が神様の招きの時だと思います。三時頃とは、壮年の時代だと思います。最近望みがあることは、今日本の経済は不況です。前に私が新潟に行ったときに一人のご主人が話にきました。そのご主人は奥さんだけが教会に来ていて、「私は行かない」と言われ続けていました。その方は大きな企業で働いている人でした。しかしなぜ教会に来られたかというと、突然友達がリストラに遭いました。今まで忠実に会社のためといって働いている方がリストラされ、ショックを受けるそうです。そしてその友だちが首をつり自殺をしてしまったようです。その事件に彼はとてもショックでした。自分もいつかそうなるかも知れないと思い、教会に来られました。そしてその日私の説教を聞き、イエス様を信じる決心しました。ある意味で不況は悪いようですが、神様の招きの時だと思います。今日本では自殺する人が年間三万三千人くらいいるといわれます。新城の人口が三万六千人ですので、一年間に新城市の市民がほとんどいなくなってしまうと言う事は大変なことです。しかしこのような困難があることはチャンスです。私は大阪にある救霊会館という教会に何回かご奉仕したことがあります。ここは毎日集会を開いており、いつもいっぱいです。集まる人のほとんどが男性です。職を失ったホームレスの人がたくさんいます。その教会では毎日集会が終わると、食事を出しています。その人たちはそこに来てイエス様に出会います。だからチャンスだと思いました。そして五時に来る人は、人生の夕暮れを迎えた人だと思います。もう駄目だ、死ぬかも知れないという時だと思います。そういう時もチャンスです。その人たちに伝道し、信じたら天国に行けるというと、どんな頑固な人でも死に際になると、信じますかというと「信じたい」と言います。昔ムーディーという伝道者が伝道から帰ってきて「今日は二人半救われた」と報告しました。すると一人の人が聞きました。「先生、大人二人と子どもが一人救われたと言う事ですか。」と言うと「違う」と言われました。「子どもが二人で大人が一人」と言うのです。ロウソクは燃えてどんどん短くなっていきます。人生もロウソクと一緒です。だいたい五十才、六十才、七十才で教会に来られた方がいますが人生の夕暮れ時です。いつ消えるかわかりません。しかし、子どもはこれから燃えてきます。これは私なりの解釈でした。もう一つの解釈は、朝早く招待されたというのはユダヤ人の事です。イエス様が二千年前にユダヤの国に生まれ、十字架にかかって死なれ、三日目に復活しました。そして聖霊がそそがれた時、イエス様はこう言われました。「全世界に出て行って福音を宣べ伝えなさい。福音はユダヤを始め、エルサレム、サマリヤの全土、地の果てにまでわたしの証人となりなさい。」と言われました。最初に福音が伝えられたのはユダヤです。初代教会はイスラエルです。これが朝早くです。また九時頃はヨーロッパだと思います。福音は西から伝えられました。ヨーロッパが福音化され、クリスチャンが増えました。十二時頃とはアメリカだと思います。また三時頃は第三世界と呼ばれている国々です。アジアや中南米です。これは三時のリバイバルだと思います。五時は、後わずかイエス様の再臨の前、日本の時だと思います。この最後の五時にイエス様が日本に必ずリバイバルを起こしてくださると信じます。五時の人も一デナリくれたということは必ず日本にも大きなリバイバルを与えてくださると信じます。先日私は一冊の本を読みました。アメリカのアンドゥリュー・カーネギーという鉄鋼王の本です。今はカーネギーは財団や図書館や留学生のために奨学金を出したりする大きな財閥です。このカーネギーが一生懸命に働き、巨額の富を得ました。彼は晩年になってヨーロッパに旅行しました。そこで素晴らしいきれいな教会堂を見たそうです。そこにいたシスターが出てきて、この教会は一人の方が建てましたと聞かされました。その建てた人はおじいさんの時から財閥を受け継ぎ、金さえあれば何でも解決するというような思いがあった大金持ちでした。ある時一人娘がベランダから落ちてなくなってしまったそうです。その大金持ちは一人娘の死を通してショックを受け、仕事に手が付かなくなってしまい、悲しみに明け暮れてしまいました。今まで神はいらない、金さえあれば何でもできると思っていましたが、娘が死んだために落ち込んだ毎日を暮らしていました。しかしある日この方は夢を見ました。その亡くなった娘が天国にいるという夢でした。「娘よ、天国に入ったから幸せでしょう。」と言うと、娘は寂しい顔をして首を振り「お父さん。私天国に来たけど幸せではないです」と言ったそうです。「なぜ?」と言うと、「お父さん。私は天国に来たけど、天国に一つも宝が蓄えられていない。だから私は寂しい」と言ったと言うのです。天に宝を積めと聖書に書かれていますが、宝が何もなく、寂しいと言ったのです。そこで「お父さんが持っている金で、教会に献金するから」と言うと、娘さんは首を振りました。「お父さんわかっていない、天国の宝は愛とか、優しさという神様にしたことが天国の宝です」と言いながら夢の中から消えたそうです。そこで彼は目が開かれました。私も神を信じよう。それからその実業家の方が素晴らしい会堂を作ったとカーネギーは話しを聞きました。アンドゥリューカーネギーはその話でわかったそうです。私は鉄鋼王と言われるほど金を儲けたが、これからは与える人生にしよう。聖書の中に宝を天に積めと書かれています。マタイ六章十九節から二十節には、

『自分の宝を地上にたくわえるのはやめなさい。そこでは虫とさびで、きず物になり、また盗人が穴をあけて盗みます。自分の宝は、天にたくわえなさい。そこでは、虫もさびもつかず、盗人が穴をあけて盗むこともありません。』

と書かれています。ユダヤの国ではお金を隠す時、壁に泥を塗りその中に金を入れて隠しました。しかし盗人が来て穴を開けて盗みますというのです。だからイエス様が宝を天に積みなさい。そこには傷もさびも付かない。だから宝を天に積みなさいと言います。皆さんは宝をたくさん積んでいますか?この話を聞いたときにカーネギーは自分もこれから宝を天に蓄えようと思い、あちらこちらに図書館を造っては寄付しました。彼は素晴らしい働きをしました。ある時、大きな会社の労働者と管理職の人の中に闘争が起こりました。労働者がもっと給料を上げろ!休みを増やせ!とかを要求していました。その時にカーネギーは悩みました。どうするか?重役たちはストライキを起こしている人を首にしなさいと言いました。しかし、カーネギーは牧師の所に行き相談しました。今私は悩んでいます。労働争議が起こっています。そういうと牧師がマタイの福音書二十章一節から十六節を読みなさいと言われたそうです。そしてカーネギーはそれを読み、わかったそうです。皆さんがカーネギーだったらどうでしょうか。解決したそうです。聖書は味が深いです。聖書の箇所を読み、朝早く雇われ、九時、十二時、三時、五時に雇われ、皆一デナリをもらいました。カーネギーはどのように解決したと思いますか。もしあなたが社長で社員を募集したらどのような人を雇いますか?最初に雇う人は、君の学歴は?とか、テストをして成績が良いか悪いかで決まります。頭の良い人は朝早い人です。九時の人はまあまあ頭の良い人です。何もせずに立っていて、十二時頃雇われた人は九時よりも十二時の人は程度が低い人です。五時の人は、誰も私を雇ってくれる人がいないというのです。雇ってくれる人がないというのは落ちこぼれのような人です。これでカーネギーは、神様は落ちこぼれのような五時に雇われた人にも同じ一デナリ、三時の人も、十二時の人も、九時の人も同じようにされました。神様は頭が良くても悪くても同じように愛されているということです。労働者がカーネギーに「私たちがなぜストライキをやるかというと、社長が嫌いではないです。不景気になったら誰が首になるかというと、できの悪い人、成績の悪い人が首になります。頭の悪い人です。彼らが首を切られたら路頭に迷い、これからどうしたら良いかわからない。だから首にならないようにストライキをしていると言ったのです。カーネギーは、神様はどんなに頭が悪くても愛している、五時に雇った人も、三時も、十二時も九時も同じように愛されている。そこで彼は「私は誰も首にしません。首にするなら私です。私を首にしてください」と言いました。すると、「社長そんなことはいけません。どうぞ、いつまでも社長でいてください。」と言いました。そして私が悪かったです。働きもしないで、首にするなと闘争ばかりした私たちが悪かったのです。ごめんなさいと謝りました。そして労働争議は解決し、それからカーネギーの工場は祝福されました。聖書は問題のある時に読む時、必ず解決が与えられます。皆さん聖書を読んでください。カーネギーが人生において一番影響を与えられたのは聖書です。牧師でした。だから晩年になってからかも知りませんが、カーネギーは牧師のところに行ってお礼しました。「牧師先生、先生がマタイの福音書二十章の一節から十六節を読むように言われ、読んで解決しました。問題のあるとき、牧師先生の所に行き、聖書から教えてもらって素晴らしい祝福を頂きました。何とかして牧師先生にお礼したいと言って、牧師先生に二百五十万ドルあげたそうです。二百五十万ドルは今のお金で三億円です。恩になった人に少しでも良いので感謝する人になりたいと思います。ささげるクリスチャンになることは大切です。これは天国の招きです。これは差別がありません。人間は同じように愛されました。頭が良くても悪くても、金があってもなくても、神様は平等に愛しています。ここにおられる方皆が神様に愛され、天国に入れてあげたいと思われています。天国に行ける準備ができていますか?コリント第一の手紙六章九節から十節に、

『あなたがたは、正しくない者は神の国を相続できないことを、知らないのですか。だまされてはいけません。不品行な者、偶像を礼拝する者、姦淫をする者、男娼となる者、男色をする者、盗む者、貪欲な者、酒に酔う者、そしる者、略奪する者はみな、神の国を相続することができません。』

と書かれています。ロン・ブラウンさんが関西40DAYSで毎日同じ証しをしました。「私は一九七六年から八一年まで私は麻薬に手を出し、落ちるところまで落ちました。」と言うのです。私は大阪みぎわ教会で、「ロンさんは麻薬で落ちるまで落ちたと言いましたが、今日この中に麻薬で苦しんでいる人はいますか?酒、たばこは麻薬です。たばこは麻薬と同じです。やめたくてもやめられません。たばこを吸う人は早死してしまいます。酒も体を壊します。」と話しました。その時大きな会社の社長夫人が来ていました。彼女はたばこがどうしても止めれませんでした。たばこは麻薬ですという言葉が彼女の心を貫きました。彼女から先日電話があり、「あの日からピタリとたばこをやめる事ができました。今はたばこを飲みたくないです。もう一ヶ月以上になります」と言われました。解放されたのです。聖書を見ると酒に酔う者、不品行な者と書かれています。大阪は好色や淫乱に満ちている町です。私は四十日間マンションに住んでいましたが、朝になると毎日必ずと言って良いほど広告が入っていました。それは娘さんたちに対する誘惑です。一日五万から六万円稼げます。最低一月五〇万から六〇万円稼げます。あなたも入りませんかという内容のチラシでした。誘惑が多いです。一日五万も儲かる女性の仕事は売春です。これは不品行です。今の時代は昔と違い、結婚してもないのに愛し合うことでラブホテルに入り肉体関係を結びます。金を儲けたいために体を売ります。滅茶苦茶です。結婚しても不倫します。聖書は正しくない者は天国に入ることができないと言っていることを知ってください。だから教会に来ると今の誘惑から守られ、天国に行ける準備ができます。なぜ天国に行くことができるのでしょうか。ローマ人への手紙五章六節から九節に、

『私たちがまだ弱かったとき、キリストは定められた時に、不敬虔な者のために死んでくださいました。正しい人のためにでも死ぬ人はほとんどありません。情け深い人のためには、進んで死ぬ人があるいはいるでしょう。しかし私たちがまだ罪人であったとき、キリストが私たちのために死んでくださったことにより、神は私たちに対するご自身の愛を明らかにしておられます。ですから、今すでにキリストの血によって義と認められた私たちが、彼によって神の怒りから救われるのは、なおさらのことです。』

と書かれています。聖書はこう語っています。「義人はいない。ひとりもいない。」すべての人は罪を犯した。心の中まで見たら完全な人はいません。誘惑に負ける、誘惑に合わなくても心の中には汚れがあります。しかし天国に行く道は、イエス様が十字架にかかって死んでくださったことを信じることです。四十日間御言葉を準備してわかったことは、悪霊を追い出した弟子たちに向かってイエス様が言われたことで、「悪霊どもがあなたがたの言うことを聞くからと言って喜んではいけない。あなたがたの名前が天のいのちの書に記されていることを喜びなさい。」と書かれています。この御言葉から語りました。イエス様が言われたことは「いのちの書に名前が記されていることを喜びなさい」と言われています。一番大切なことは金を設けたかということよりも、天のいのちの書に名前を書き記されることを喜ぶ事です。人生で一番大切なことは天国に行く準備をすることです。今日まだ天国に行く確信がない方は今日信じてください。信じるだけで良いのです。信じて義とされ、口にてイエスを主と告白して救われると書かれていますので、イエス様を信じますと告白することが大切です。これからの人生、第一のことを第一に考えてください。一番大切なことは天国に行くことです。このように日曜日に礼拝に来れることは素晴らしいことです。御言葉があることは私たちは反省し、自分の生き方を考えます。忙しいかも知れませんがまず第一に神を求めてください。先日、私の孫の堅志がアメリカから一時帰国しました。彼は世界的なミュージシャンたちと共に聖書を学んでいます。彼が聞きました。「皆さんのような素晴らしい演奏をするにはどうしたら良いですか」と聞くと、第一は聖書をよく読むこと、また神様にお祈りし、特別な知恵をいただいてそれを演奏する事と言われました。これは素晴らしいことです。よく聖書を読み、神様と交わることが素晴らしい人生を持つ秘訣です。一言お祈りします。
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