今週の礼拝メッセージ
2002.10.27(SUN)
ジョー・ハイト師特別講演記録
祝福となるために、祝福となる
Valley Fellowship ジョー・ハイト師

旧約聖書 創世記12章2節、3節
そうすれば、わたしはあなたを大いなる国民とし、あなたを祝福し、あなたの名を大いなるものとしよう。あなたの名は祝福となる。あなたを祝福する者をわたしは祝福し、あなたをのろう者をわたしはのろう。地上のすべての民族は、あなたによって祝福される。」

 今日私がここにいることを感謝します。今朝は、ヤキマで私たちが学んでいることを、すこし分かち合いたいと思います。
 神様が私たちに「祝福となる」ことを語られています。そして、私たちの教会のモットーは「祝福となるために、祝福される」ことです。
 創世記十二章二節から三節で、神様はアブラハムに「わたしがあなたを祝福するので、あなたは祝福となる」と語られました。それが今日の教会のモデルになったと信じます。
 新城教会に十年前に神様の注ぎがあったことは祝福であり、今はその祝福を全国に放っています。そして私たちも祝福となることを学んでいます。
 また私たちは、土地を正しく扱うこと、土地に住んでいる人々、土地そのものが主のものであることを学んでいます。そして、そこに住んでいる人たちを正しく扱うようにと、主は願っておられます。ヤキマには、多くの神に仕えない人がおり、土地をよく扱っていません。土地を扱う権利は、神から人に与えられています。しかし人が神様に対して反抗しているので、その土地において行うことは呪いとなります。土地が呪われるには、正しく扱っていない四つのことのゆえに起こります。
 まず一つは「偶像礼拝」です。そして「不品行」、「血を流す」こと、「神との契約を破る」ゆえに起こるのです。これらすべてにおいて、土地が呪われます。聖書では私たちはその土地に対して、祝福を持っていき、また呪いを打ち砕くように教えています。
 エレミヤ十二章四節に、「あなたはどんなに長くこの土地が呪われるようにするのか。どうかこの呪いを取り除いて私の祝福を解き放って下さい」という御言葉があります。私たち、バリー・フェロシップ教会は神による祝福があるので、神から土地を祝福することを学んでいます。そして、私たちがそこにおいて、「私たち自身がイエス様となる」ことを信じます。
 教会はキリストのからだです。しかし、多くの場合、実際にはキリストのからだとなっておらず、名だけです。聖書は私たちがイエス様を現すことを願っています。新城教会も日本においてイエス様を現しています。もし、イエス様となっていたら、そこにはイエス様のご性格があり、ガラテヤ書五章二十二節からは御霊の実について書かれていますが、それはイエス様のご性格を教えています。愛、喜び、平安・・・など、イエス様の性格そのものです。それが私たちを通して現されます。そして私たちがイエス様であるならば、イエス様の能力をも持ちます。イエス様はヨハネの福音書で、「あなたがわたしを自分の地域で現しているならば、わたしが今行っていることよりも、あなたがたはさらに偉大なことを行う」と語られました。聖書には御霊の賜物についてのリストが三つ記されています。これは力強い賜物です。これは私たちを通して、イエス様の能力が働く例えです。もし私たちが、自分のコミュニティにおいてイエス様となるならば、土台がしっかりしているべきです。霊的戦いを行うためには、堅い土台が必要です。出て行ける堅い土台がなければ伝道もできません。
 アメリカで戦いの勇士になりたいと願っているクリスチャンはたくさんいますが、教会の一部にならない人々が多くいます。彼らは霊的戦いの剣を受け取りますが、一人で出ていきます。しかし、敵の軍隊は多いのです。それは良いことではありません。
 今回一緒に来ているロン牧師は、自分の家族で二人目のパイロットでした。初めに十六才の時に、奥さんがパイロットとなりました。そしてロンも二十一才で初めて飛行機を操縦しました。ロン先生は以前、日本に来たことがあります。彼はベトナム戦争の時に、海軍兵士で戦闘爆撃機に乗っていました。航空母艦から離陸し、戦いに出て行きます。そしてまた航空母艦に戻ってきます。昨日話されていましたが、彼らは敵を恐れているのではなく、船に戻ること、着陸しなければならないことを恐れていました。この戦いの一番の難点は、戻って着陸することです。ヤキマではこのことを学んでいます。
 霊的戦いで一番難しいことは、「土台の一部となる」ことです。私たちが戻ってくるところ、土台となるところがあれば戦いに勝つことができます。この戦いに出ていく前に、教会としての土台を持つことを学びました。土台も段々強められています。それを見ると、私たちは戦いに勝利することを見ることができます。
 今回はヤキマのいくつかの教会から、新城に来ています。一つ以上の教会の、大きな土台が敷かれていると信じます。それにより、より大きな戦いに勝つことができると信じています。
 初めて順先生がヤキマに来たときに、教会が地獄の門前にある「軍隊の基地」であること、そして「軍服を着る」ということを学びました。そして今から学ぶ十のポイントが、大切であることを神様から学んでいます。

 第一は「神が私たちを愛されている」こと、そして「神が私たちを求めておられる」ことです。ヨハネの三章十六節に、

『神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。』

と書かれています。何かをどうしても手に入れたくて、一人息子を犠牲にする人はいますか。たぶんそういう人はいないと思います。しかし、神様はそれほどに、私たちを求めていたということです。それを聞くと、いかに私たちを神様が求められているかがよくわかります。これは、すべての造られた人々に対することです。神様は全人類を愛して求めています。それを知るならば、私たちは神様から土地を扱うこと、霊的戦いを行うことがより楽になります。そして勝ち取るために、教会に一致をもたらすことも楽になります。神様が愛されている、求めている人たちが主の元に戻るのを見るためです。
 過去十四ヶ月はアメリカは困難な時でした。去年十一月に、ニューヨークで世界貿易センタービルが攻撃されました。その一ヶ月後、以前日本に来たジョン先生と共に、ニューヨークに祈りに行きました。その時に神様から語られたことは、世界に私たちが置かれたのは、居心地の良い生活を送るためではなく、家を建てるためではなく、お金を儲けるためでもなく、「神の代表として」この世界に置かれていると教えられました。そして、戦争の中で、危険なところで戦いをするために置かれました。それは、サタンに勝利するため、多くの人が解放されるのを見るためです。神様が愛して求めている人たちのことです。

 第二に、私たちは私たちの王、「イエス様を礼拝し、賛美すべき」だと教えています。神様のために色々なことを行うだけで十分ではなく、神様を礼拝し、賛美することが大切です。それは彼が私たちの主であり、王だからです。彼の方が全てのものの上です。私たちは全生涯を持って、主に仕えるべきです。戦いに出かけて行くときに、自分の司令官が敵に対して勝利することができることを信じていなければ、恐ろしくて戦う気が失せます。しかしイエス様を礼拝するならば、聖霊様に支配されて主に信頼するならば、神様以上に力強いものはないということがわかります。ヨハネ四章二十三節に、

『真の礼拝者たちが霊とまことによって父を礼拝する時が来ます。今がその時です。父はこのような人々を礼拝者として求めておられるからです。』

と書かれています。私たちがイエス様を礼拝するときに、イエス様に従うこと、イエス様との関係を持つことを選びます。これは教会の土台で重要な部分です。 

 また第三に「他人を受け入れること、他人に仕えること、他人を尊ぶ」ことです。ローマ十五章には、私たちが自分を喜ばせるのではなく、三節に、『キリストでさえ、ご自身を喜ばせることはなさらなかったのです。むしろ、「あなたをそしる人々のそしりは、わたしの上にふりかかった。」』と書かれています。
 アメリカでは時々「この人は、この人ほど価値がない」と判断しがちです。しかしそれは悪魔からの嘘です。すべての人には価値があるものです。一人一人を尊ぶことを選択することこそ、霊的戦いです。悪魔は色々な人に、「あの人には価値がない」と言います。「あの人は大切ではない。あの人は教会において、あの人と同じくらいのことはできない」と悪魔は繰り返し、繰り返し、神の民に偽りを語ります。しかし、互いに尊び、自分が大切であることに気づく時に、私たちは悪魔に勝利します。全ての人は神様のために創造されたことを覚えるべきです。そして、すべての人が神を喜ばせるために造られ、すべての人が神の目的を果たすために造られました。神様がもし一人を創造して、その人を送られたならば、あなたには、「神様が造られた人を大切にする責任がある」のです。私の仕事は、神様の人を大切にすることです。
 順先生も神様の人のひとりです。私の人ではなく、あなたのものでもない。神様の人です。神様は、「順先生は、わたしの人です」と語ります。彼を大切にしなさい。励まして下さい。そして落として壊さないで下さい。大切にしてください、と言います。私が順先生のためにそれを行うことは楽です。彼は優しくて、またコーヒーをよく飲むからです。しかし、ある人を大切にするのは、もっと難しいのです。見ただけであきらめたいです。「主よ勘弁してください。彼から変な扱いばかりされるし、この人の方が大切にするのが楽だから・・・」と言いがちです。しかし、神様が言われるのは、「あなたに悪い行いをする人も、神様が創造された神の人です。その人を尊ばなければなりません・・。」これ自体が霊的戦いです。

 第四に、私たちは「交わり、一致し、協同意識を持って集う」ことです。ヘブル十章二十五節に、

『ある人々のように、いっしょに集まることをやめたりしないで、かえって励まし合い、かの日が近づいているのを見て、ますますそうしようではありませんか。』

と書かれています。アメリカでは、多くのクリスチャンという人が、「私は他の人を必要とせず、牧師も必要としない、私はただ神様と語るのだ」と言っています。しかし、聖書は、私たちが神様と共に集まることが大切だと教えています。私たちが一緒に集まってイエス様の名前を掲げるときに、力があるからです。皆が共に集まって同時に「ハレルヤ!」ということは力があります。
 毎週日曜日に悪魔は時計を見ます。「十時二十五分だ。あと五分で新城教会の奴等が集まるんだ。あいつら本当にうるさい!特に順先生、うるさい!開先生ももう頭に来る!・・・新城の牧師、会員が・・・もう!」美佐子さんがピアノから一つの音を出すときに、悪魔が恐れて逃げます。皆が集まっているからです。そしてイエス様への賛美を叫んで歌っているからです。「イエス様は主!イエス様には力がある」と繰り返して宣言するからです。それを聞くときに、悪魔の耳には、悪魔は主ではなく、力がないと聞こえます。そしてあなたがたが一緒に集まることによって、悪魔は負けたということを聞きます。また教会が勝利したことを聞きます。一緒に集まるときに、そこには安全があります。神様が互いに語ることを確かめることができます。また、互いに祈り合うことができるからです。そして戦いに勝利することができます。また、カレーライスも一緒に食べられます。

 第五に、「イエス様が主であること、主権があること、御国が今日存在している」ことを知るべきです。神の国が勝利し、支配していることを認めることです。他の王国の支配はありません。エペソ書にはパウロによって、教会を通して神様の知恵をこの地域・世界に現し、すべての教会を通して、神様の資源が用いられることを語っています。イエス様は主であり、御国が今ここに現れていることを信じます。それはサタンにとって、最低なニュースです。サタンの王国はもう敗北に向かっているからです。

 第六に、「私たちを癒し、私たちの人生を変革し、解放する力がある」ことを信じます。コロサイ二章には、

『キリストのうちにこそ、神の満ち満ちたご性質が形をとって宿っています。そしてあなたがたは、キリストにあって、満ち満ちているのです。キリストはすべての支配と権威のかしらです。』

と書かれています。神様が全ての上にあるから、私たちが満ち満ちたものとなり、敵の手から解放されることができます。

 第七番目は、私たちが「受けることではなく、与えていく、仕えていく」ことを知るべきです。あなたが持っているものは、全て神様のものです。今あなたは神様の空気を吸っているのです。あなたが与えられる全てのものは、神様からのものです。私たちは祝福されるように神様から習っているので、教会を通して祝福を人々に解き放つことを、神は願っておられます。あなたが神様から与えられているすべてのことは、まずあなたが大切にしているもの、それを奉仕のために用いることを願っています。それは、自分で握るためにあるのではありません。それを自分が神の指示に従い、解き放つために与えられています。

 第八は「神様の目的を果たすために、私たちは聖霊によって力づけられ」ます。「力づけられる」というのは「生き生きとする」という意味があります。聖霊によって「動かされる」ということは「アニメ」という語源から来ています。いのちが与えられ、戦いに勝利することができます。ルカ二十四章四十九節に、

『わたしは、わたしの父の約束してくださったものをあなたがたに送ります。あなたがたは、いと高き所から力を着せられるまでは、都にとどまっていなさい。」』

と書かれています。クリスチャンの戦いは肉体の現実で見える世界ではなく、霊の世界における戦いです。ニューヨークで飛行機が世界貿易センターに突入したとき、私たちはそれを現実の世界で見ていましたが、霊的世界でも戦いがありました。鉄砲での戦いよりも霊的世界の戦いの方が重要です。私たちが今日生きる危険な世界で一番重要なことは、霊の世界で戦うことです。だからあなたがたは、この世界で最も重要な軍隊になっているのです。

 第九に私たちの「奉仕は、聖霊によって満たされていること」から出てきます。ある時、私は順先生に、なぜこんなふうにできるのか。なぜ、悪霊に命じると悪霊が出ていくのか。その秘訣は何か。何をしているのか。聖書のどこを暗記しているのか。何を食べているか。何を飲んでいるのかと尋ねました。
 彼はコーヒーを一口飲んでから、「コーヒーを飲んでいるからではない」と言いました。そして、「私は県民の森で行われる祈祷会において、主よ。私を満たしてください、と祈るだけです。」と言われました。そして聖霊は順先生のところに来ます。そして行く先々で、「悪魔よ。去って行け。悪魔よ出て行け!」と宣言することができるのです。これは自分で止めることはできません。聖霊が溢れているので、自然に出てくるのです。

 そして第十に、「弟子を作らなければならない」のです。それは自分をコピーすることです。あなたが霊的戦いの勇士であったら、あなたはもっと戦いの勇士を作らなければなりません。治さんはもっとたくさんのドラマーを作ります。PAの人は、それができるように他の人に教えます。そして料理することに関わる人は、その技術をもっとたくさんの人に教えます。これは神様からの賜物だからです。才能です。聖書では賜物は自分だけのためではなく、「神様のからだなる教会のためである」と教えています。イエス様は地上に来て、ご自分を私たちにコピーされました。最も才能のある賜物のある所を、あなたは他の人にも教えなければなりません。その人にも同じ賜物、力が与えられるという模範です。
 もしかしたら、順先生がアメリカ人であったら、自分の持っている霊的戦いの秘密を人には教えないと思います。アメリカであれば、順先生が自分のテレビ番組を作ります。たくさんの人が倒れたり、悪魔が出ていったり、コマーシャルでたくさんお金が入ります。アメリカ人はいつも、自分が有名になってお金儲けができないとその秘訣を人には教えないと考えます。しかし順先生はそういう人ではありません。私が知っているのは、私が順先生と関わっていく度に、彼は、力や時間、コーヒーを失っていくばかりであることです。
 新城教会の牧師、リーダーたちは、教会に大切なものが託されていることを理解しています。これは神様にとって大切なことです。神様が、この祝福を受け取り、また人に分かち合うように、あなたは祝福となるために、祝福されたと神様は語られています。
 外国人も日本人も一つになるときに、素晴らしい力があることを学んでいます。悪魔は戦争で私たちを引き離そうとしました。それを見ると、アメリカ人と日本人が一つになることの大切さがよくわかります。神様が私たちと一緒になり、どうあるべきかを理解することができるように祈りましょう。ともに強い土台を作り、そこから戦いに出ていくことができるように祈りましょう。

 「天の父よ。私たちの心を一つにして下さることを祈ります。多くは言葉を使い話すことができません。しかし霊によって一つになることができます。また戦略を使ってともに戦うことができます。神の御国をともに宣言することができます。国々の解放のためにともに働くことができます。そして敵に勝利することができます。主よ。あなたが一つの大きな基地で、大きな土台とともに一緒にして下さい。これを通して私たちがより敵にとって恐ろしいものとされますように。そして主イエス様が栄光を受けて下さい。イエス様の御名によって祈ります。アーメン。」
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