今週の礼拝メッセージ
2002.11.10(SUN)
ですから、皆さん。元気を出しなさい!
新城教会 滝元 順 牧師

新約聖書 使徒の働き 27章25節
ですから、皆さん。元気を出しなさい。すべて私に告げられたとおりになると、私は神によって信じています。

 ハレルヤ!今日皆さんとともに、御言葉を学ぶことができ感謝します。今朝は「ですから、皆さん。元気を出しなさい!」というタイトルで学びます。
 皆さん、お元気ですか?私たち日本人は「お元気ですか」と挨拶をしますが、「はい、元気です」と答えることが出来る人、「ちょっと風邪を引いていて、元気がありません」と答える人、また「心に元気がありません」と言われる人もいるかも知れません。しかし、この御言葉を自分自身への言葉として受け取るならば、素晴らしい神のわざが現れます。「皆さん」というところに自分の名前を入れて下さい。わたしならば、「順さん、元気を出しなさい」と語られているとして受け取って下さい。

『ですから、皆さん。元気を出しなさい。すべて私に告げられたとおりになると、私は神によって信じています。』

 今日は全員、元気になって帰っていただきたいと願います。さて、この言葉はどのような状況の中で語られたのでしょうか。
 パウロがローマに行く途中、船に乗っていました。すると暴風になり、船は今にも沈没しそうなときにこの言葉が語られました。しかも、同じ船に乗っていたパウロによって、同じ危機を体験していた仲間たちに語られた言葉です。使徒二十七章十四節から十五節に、

『ところが、まもなくユーラクロンという暴風が陸から吹きおろして来て、船はそれに巻き込まれ、風に逆らって進むことができないので、しかたなく吹き流されるままにした。』

また十八節から二十節には、

『私たちは暴風に激しく翻弄されていたので、翌日、人々は積荷を捨て始め、三日目には、自分の手で船具までも投げ捨てた。太陽も星も見えない日が幾日も続き、激しい暴風が吹きまくるので、私たちが助かる最後の望みも今や絶たれようとしていた。』

と記されています。自分がこの船に乗り合わせていたとしたら、どのような気持ちでしょうか。あまりにも激しい暴風で、自分の手で船具も全部投げ捨て、また太陽も星も見えない日が幾日も続き、「最後の望みさえも断ち切られた」という、絶体絶命の状況の中にあったのです。しかしパウロは、「元気を出しなさい!」と全員を励ましたのです。すごい自信です。
 人生の中にも、時々これと似たようなことが起こります。暴風が吹き始め、波に翻弄されて自らの手ですべてを投げ捨てなければならないことが起こったり、幾日にも渡り太陽も星も見えないような中を進まなければならない状況が訪れるかも知れません。また、全ての助けが断たれるような事もあるかも知れません。しかし、神はそのような中で、「ですから、皆さん。元気を出しなさい」と語られるのです。
 ここで、「ですから」という言葉に意味があります。パウロは人々が状況を見てあきらめかけている中、なぜ、このような大胆な言葉が語れたのでしょうか。「ですから」という言葉に秘められた意味について追求してみましょう。
 話しは変わりますが、今私たちはイエス・キリストを信じていますが、ここまで福音が伝えられた背景には、二千年の歴史の中、様々なことが起こりました。そして、時には、偶然と思われるような事柄によって、福音がここまで届けられたのです。少しでも状況が違っていれば、福音が届かなかったかも知れません。
 案外、歴史が動く瞬間は、組織的な出来事というよりも、ちょっとした偶然によって歴史が動いた現実を見ます。イエス様がお生まれになったのは、約二千二年前、イスラエルの片田舎ベツレヘムという町でした。そんなところで生まれて、なぜ今、世界の三分の一がクリスチャンになったのか不思議に思います。イエス様は、たった三年間しかご自分の姿を人前に現すことはありませんでした。しかし、福音は世界中に伝えられました。
 そこで大きな役割を果たしたのが、使徒パウロでした。それもパウロがローマに福音を伝えたことが、福音を世界に広めるために大きな役割を果たしました。ローマは当時最も大きな国であり、力がありました。その中枢に福音が投げ込まれたことにより、キリスト教は世界に広がったのです。
 パウロがローマに福音を伝えた後、ネロによってローマの大火がクリスチャンのせいにされ、クリスチャンに対する大迫害が起こりました。それで多くのクリスチャンが殉教しました。いまでも、ローマに行くと地下墓所と呼ばれる所があります。地下に迷路のような道が続いており、その壁面が墓になっています。その墓のほとんどがクリスチャンの墓です。クリスチャンたちは大迫害のゆえに、地下に潜り込んで信仰を守りました。夜になるとそこから出て、情報交換や食料を仕入れて、いつ止むかわからない大迫害に絶えた歴史があります。
 日本においてもキリスタン大迫害の中で、約二十五万人がいのちを捨てたと言われます。ローマにおいても数え切れない人たちがキリストのために命を捨てていきました。
 しかしコンスタンティヌスという王がクリスチャンになり、それによりローマにおいてキリスト教が公認されることになりました。
 コンスタンティヌスが、マクセンティヌスと戦いを交えたとき、彼はティベル川に進軍中、空に十字架が現れたのを見たのです。そこには「この印にて勝て」と書かれていました。彼はその夜も同じ夢を見ました。それで彼は全軍に十字架の旗を作って渡し、士気を高めてマクセンティヌスの軍隊に打ち勝ったのです。このコンスタンティヌスにより、紀元三百十三年、ミラノ勅令を通してキリスト教がローマで公認され、クリスチャンに自由が与えられました。それでクリスチャンたちは地下に隠れる必要がなくなりました。神は歴史の中に直接介入されたのです。不思議としるしが起こったのです。
 実は私も一度、空に十字架を見たことがあります。どんな意味があったのかと今も思いますが、それは一九九二年七月三十一日のことでした。名古屋に行き、集会前ひと休みしていたときに、空にくっきりと十字架を見ました。白く光る十字架を西の空にハッキリと見ました。私は寝ぼけているのではないかと思い、もう一度見ると、その下にもう一つの十字架を見ました。その夜家に帰る途中、雅也先生が、「今日何か見ませんでしたか。」と聞きました。「何で?」と言うと、「順先生、すごい顔をしていましたよ・・・。」と言われ、「実は・・・」と不思議な体験を語りました。
 私は家に帰ってその事を話すと、「お父さんは霊的に鈍感なので見えるわけがない。」などと家族に言われましたが、とりなし手の人たちは祈って、「順先生の働きの中に、これから不思議としるしが始まる証拠だ。」と言われました。
 その頃から私は変えられました。こんな小さな者の働きの中にも、不思議としるしが伴うようになりました。私たちの人生の中にも、神の偉大なときが訪れます。
 コンスタンティヌスがクリスチャンになったことにより、ローマが福音化したのです。それと前後して、ゲルマン人たちがローマ帝国に侵入しました。それはローマ帝国を揺るがした大きな事件でした。しかしそこにも神の計画がありました。ゲルマン人は主に、北ヨーロッパに住んおり、太陽礼拝を中心とした偶像礼拝者たちでした。しかしローマが福音化したのと時を同じくして、彼らがローマに侵入し、彼らが福音に触れたのです。
 いまではヨーロッパの多くがクリスチャンですが、昔はほとんどが偶像礼拝者であり、太陽礼拝者でした。私は偶像礼拝の原点に、「太陽礼拝」があると思います。科学が進んでいなかった時代、太陽は人々の目にどのように映ったのでしょうか。天文学の知識もなく、はじめて太陽を見たら大へんショッキングだと思います。毎日ギラギラした大きな物体が空に浮き、東の方から西に移動し、西の山の裏に入ってしまうのです。そしてしばらくすると、また東から出て来ます。地球が球体であることを知らなかったら、これを神として拝んでも仕方がないのかもしれません。
 その背景には日本とは違うヨーロッパの季節感がありました。日本は四季がはっきりとしており、冬になると少しは日が短くなりますが、夏とそれほど違いません。しかし北欧では、夏と冬の日照時間の差がすごいのです。フィンランドのヘルシンキでは、六月二十五日が夏至ですが、日照時間は十八時間四十三分です。しかし十二月二十五日の冬至では五時間四十三分です。三倍以上の差があります。そのような特殊性があり、太陽が消えてしまうことは彼らにとって恐怖でした。それで真剣に彼らは太陽を拝んだのだと思います。
 彼らは一つのことを体験的に知っていました。日照時間が短くなるけど、ある一点を過ぎると、その日を境に長くなることを知っていました。それが「十二月二十五日」でした。その日になると、今まで短くなっていた日照時間が段々長くなることを体験していたのです。それで、この日を「太陽再生の日」にしていました。そして盛大に太陽礼拝をしていました。そんな人たちがローマでクリスチャンになりました。ローマ人もまた、太陽礼拝をしていました。王は強制的にゲルマン人の太陽礼拝を禁止しました。そして、「その日は太陽再生の日ではなく、イエス様の誕生日にする」と勝手にクリスマスを定めてしまいました。
 午後からは、クリスマスのためのとしなしセミナーがあります。イエス様の生まれた日はハッキリしていません。いまのクリスマスは、太陽礼拝の日をただ置き換えたものです。ですから危険なところがあります。
 何れにしても、ゲルマン人がクリスチャンになったことにより、ヨーロッパが福音化され、やがて宗教改革が起こり、聖教徒たちがアメリカに渡りました。特に日本のプロテスタントの歴史は、アメリカ方面や北欧の宣教師を中心に、白人たちによって伝えられたのです。
 聖書を読むと、すでに神が西廻りで福音を伝える計画を持っておられたのを見ることができます。「使徒の働き」の記録を読むと、パウロははじめ小アジヤ地方、今のトルコ地方で伝道していました。そこでの体験が記されています。使徒十六章六節に、

『それから彼らは、アジヤでみことばを語ることを聖霊によって禁じられたので、フルギヤ・ガラテヤの地方を通った。』

と書かれています。聖霊がアジヤで御言葉を語ることを禁じたと書かれています。また十六章九節には、

『ある夜、パウロは幻を見た。ひとりのマケドニヤ人が彼の前に立って、「マケドニヤに渡って来て、私たちを助けてください。」と懇願するのであった。』

と書かれています。パウロが滞在してた所から見ると、マケドニヤは西の方です。そこに福音を伝えて欲しいという幻を見ています。彼はその時、西に向かう強い印象を受けています。
 私は時々、なぜ福音が東向きで伝えられなかったのか、と思います。しかし、神は西廻りで福音を伝えるという、大きな計画を持っておられたのです。パウロがエペソに行ったときにも聖霊は彼に語りかけました。使徒十九章二十節から二十一節に、

『こうして、主のことばは驚くほど広まり、ますます力強くなって行った。これらのことが一段落すると、パウロは御霊の示しにより、マケドニヤとアカヤを通ったあとでエルサレムに行くことにした。そして、「私はそこに行ってから、ローマも見なければならない。」と言った。』

 これはエペソのリバイバルのただ中で語られたのです。エペソで御霊が「あなたはこれからエルサレムに行き、そしてローマに行かなくてはいけない」と語られ、さらに強い、西廻りの印象づけが与えられました。その後彼は、聖霊の促しによって行動を開始し、エルサレムに向かって進んでいきました。そしてツロという町に着いたときのことが記されています。二十一章四節に、

『私たちは弟子たちを見つけ出して、そこに七日間滞在した。彼らは、御霊に示されて、エルサレムに上らぬようにと、しきりにパウロに忠告した。』

 パウロはエペソにおいて、御霊に示され、「エルサレムに上れ、ローマに行け」と語られました。しかし、ここでは違ったことを聖霊が語られています。彼は混乱したと思います。パウロはそれを振り切ってカイザリヤに行きます。そこに着くと、更なることが起こりました。二十一章九節から十二節に、

『この人には、預言する四人の未婚の娘がいた。幾日かそこに滞在していると、アガボという預言者がユダヤから下って来た。彼は私たちのところに来て、パウロの帯を取り、自分の両手と両足を縛って、「『この帯の持ち主は、エルサレムでユダヤ人に、こんなふうに縛られ、異邦人の手に渡される。』と聖霊がお告げになっています。」と言った。私たちはこれを聞いて、土地の人たちといっしょになって、パウロに、エルサレムには上らないよう頼んだ。』

と書かれています。パウロは聖霊によって、「エルサレムに行きなさい。そしてローマに行きなさい」と語られました。しかし、エルサレムへの途上、エルサレムに上らないようにと語られました。アガボという預言者は、当時の飢饉を預言した、当時最もパワフルな預言者でしたが、パウロの帯をとり、手足を縛って実演つき預言しました。「こうなってしまうから行くのを止めなさい」
 ただこれだけ見ると混乱します。しかし聖霊の働きは、時には、このような事もあるのです。キリストのからだの中には、預言の賜物があります。神が聖霊によって預言的な言葉を語ります。現在、日本のキリスト教界の間に預言の働きを強調する教会があり、預言集会もはやっています。しかし預言について、このような側面があることを知らなければなりません。普通では、全く反対のようなことが語られることもあり得るのです。
 さて、霊的戦いはどこに起こるのかというと、与えられている賜物を中心軸として戦いが起こるという原則があります。パウロは聖霊の働きによってエルサレムに上りなさいと語られました。しかしこれはどちらも賜物を中心としていました。パウロは預言的な賜物を持っていました。また周りの人も預言的な賜物をもらっており、その賜物の中で相反するような預言が語られています。しかし実は、これはどちらの預言も正しいのです。パウロはその時、すでに神から「エルサレムに上ったら、あなたは辛いことがある、しかし、あなたをエルサレムに送りたい」と語られていました。しかし、周りの預言者たちは、「パウロが苦しみを受ける」ことのみについて語りました。ここで学べることは、賜物は聖霊から来るものですが、そこには私情も巧みに絡んでいるという事実です。聖霊はパウロがエルサレムに行ったら苦しい目に遭うと語られました。しかし周りの弟子たちや預言者たちは、パウロのことをよく知っていたので、彼が苦しみに遭わないで欲しいと強く願っていました。だから「行かないように」と引き止めたのです。けれども、パウロはしっかりとした信念を持っていました。「神はそのような苦しみも含めて、私がエルサレムに上ることを願っている」という信念でした。
 預言的賜物はどのように扱われるべきでしょうか。聖霊は、本人にさせたいことの大筋を語ります。そして同時に、キリストのからだの中で、他の人にも語ります。それは本人に語られたみこころを補強するためであり、励ますためです。しかしパウロに関しては、まわりからの預言が「励ます」というよりも「引き止める」作用として働いてしまったのです。
 私たちは神が語られる「みこころの中心」をパウロのようにつかむことが大切です。神は私たち一人ひとりに、「この仕事をして欲しい、このために生きて欲しい」という「みこころ」があります。パウロの偉大さは、彼が周りというよりも、神が彼に何をさせたいかのという、「神の計画の中心」をがっちりと握っていたところにあります。みこころの中心をしっかりと握っていたゆえに、周りがどんなにエルサレムに上らないように懇願しても彼の決断は鈍りませんでした。「神は私がエルサレムに行くことを望んでおられる、それがみこころの中心的だ」と知っていたのです。
 やがて彼は、エルサレムからローマに向かう旅路に入ります。ローマの旅路の最中に大事件が起こりました。「もうだめだ。生きることができない、全員ここで死んでしまうだろう」というただ中にありました。しかし、パウロは「ですから、皆さん。元気を出しなさい」と言えたのです。それは、彼は、神から与えられた使命を信じていたからです。彼は自分自身の働きではなく、神が与えた計画・使命が果たされるまでは決して死なないことを知っていました。聖霊はエペソで「あなたをローマに遣わす」と語って下さった。だから今どんな状況であっても、私はここで死ぬはずはない・・。「ですから」「皆さん。元気を出しなさい」と語ることができました。
 どんな状況の中でも「元気を出しなさい」と言い切れる為には、「一人ひとりに神の確固たる計画がある」という事実を知ることです。あなたも神の目的が果たされるまでは、決して死ぬことはなく、害を受けることもないのです。どのような状況にあっても、神の深い計画の中で守られるのです。
 パウロは神が与えておられる使命をしっかりとつかんでいた人物でした。ですから「元気を出しなさい」と人々を励ますことができたのです。今日、元気がない人がおられたら、周りの風や波や状況を見ないで、あなたに神が与えて下さっている使命を見て下さい。「私の使命って何だろう」とわからないかも知れません。けれども、あなたにしかできない使命がすでに与えられています。神の計画書があります。そして神の使命を果たすまでは、決して死ぬことはなく、滅びることはなく、つぶされることもないと信仰を持つことが大切です。
 船に乗っていた人たちは、あまりにも長い試練のゆえに意気消沈していました。使徒二十七章二十一節に、

『だれも長いこと食事をとらなかったが、そのときパウロが彼らの中に立って、こう言った。「皆さん。あなたがたは私の忠告を聞き入れて、クレテを出帆しなかったら、こんな危害や損失をこうむらなくて済んだのです。』

と書かれています。実は、船が出帆するときに神はパウロに「船を出さない方が良い」と語られていました。しかし人々は専門家たちの意見を聞き、パウロの意見は聞かずに船を出しました。それでこのような問題が起こりました。ある意味で、神様のみこころから外れた結果として、このような事件があったかと思います。時々私たちも、神様のみこころから外れると、試練に遭遇するようなことがあります。しかしここから学べることは、いくら私たちがみこころから反れたとしても、神のみこころは、決してなくならないという事です。そんなみこころから反れたような事柄をも通しても、神は奇蹟に導き、みこころを達成されるのです。
 彼らは十四日間程、食事をとっていませんでした。なぜ食べることができなかったのかを推測すると、一つは船酔いだったかもしれません。しかし彼らは、断食して神に祈っていたのかも知れません。
 時々色々な試練があるときに、神の前に断食して「助けて下さい!」と祈ると扉が開かれます。ここでも、パウロを含め人々は、十四日間食事もとらずに祈っていました。全員が神を信じる者ではなかったかも知れませんが、極限状態の中で、何しろ断食して各々の信ずる神に願掛けをしていた状況があったのでしょう。
 しかしここで、おもしろいことを発見できます。案外問題解決のために「これが神が祈りを聞いて下さる方法だ」と信じられる、一般的な方法とは違ったところに真理があったりするのです。
 私は時々質問されます。「あなたは霊的戦いや、悪霊を追い出す祈りをしますが、よほど断食をして祈り込んでおられるでしょうね。どんな祈りをされるのですか。どんな断食をしているのですか」と聞かれます。そうすると、私は何と答えて良いのかわからなくなります。実は、私は断食が好きではありません。今まで、最長三日間やったことがありますが、それ以上はできませんでした。もう、祈りどころではありませんでした。私は断食は駄目です。四十日間の断食などと聞くとすごいと思います。しかし私には、断食をしなくても神は働かれるという信仰があります。これを教理化しないでいただきたいのですが。
 私はアナコンディア先生とともに行動したことがあります。先生はとてもパワフルな働きをされる方なので聞きました。「先生はどれくらい断食しますか」すると彼は、「断食?あまりしたことがないですよ。」「お腹が空いていては、悪霊を追い出すことはできない。たくさん肉を食べて元気をつけて、悪霊を追い出すのだ」と言われました。それでちょっと安心しました。
 先週土曜日から三日間、私は天野先生の教会で奉仕しました。三日間で集会をしたのは、二回だけで、あとは個人の解放の祈りをしました。土曜日は、午後一時から祈りが始まり、終わったのが夜中の十二時でした。四十人以上の方が解放のための準備をされており、特に家系の問題と、家系にある束縛や偶像礼拝を調べて準備されていました。そこには、素晴らしい聖霊様の働きがありました。三日間連続で祈ったので、結構疲れました。しかし私は案外元気でした。なぜかというと、食事の時間がしっかり決まっていたからです。その時間を楽しみに祈りを進めました。食事の時間になりました。「何を食べに行きますか?」と聞かれたときに、私は迷わずに「焼き肉!」と言いました。そしてたくさん肉を食べて元気になって働きました。
 三日間が終わり天野先生が言われました。「私はとても恵まれました。そして、一つ学びました」と言われるので、どんな霊的なことを学ばれたかと思ったら、「神様のために働くためには焼き肉を食べること!」と言われました。やはり体力も必要です。
 時には、問題解決のために真剣に断食して祈ったら祈りが聞かれるという、難行苦行型の信仰を持ちやすいのですが、パウロがこの中で「彼らが元気になる」為に勧めているのが、二十七章三十四節に、

『ですから、私はあなたがたに、食事をとることを勧めます。これであなたがたは助かることになるのです。あなたがたの頭から髪一筋も失われることはありません。」』

 話しは変わりますが、先日、一つの奇蹟がありました。一人の外国人の方が、「先生。うちの子どものために祈って下さい。」と言って子どもを連れてきました。「どうしたの?」と聞くと、「うちの子、こんなに、はげちゃったの」と言うのです。見ると、髪の毛が部分部分抜けて、はげになっていました。私は、「俺に髪のことを祈れと言うのか・・」と思いましたが、頼まれたので祈りました。私はこの領域は駄目だろう、と思っていましたが一週間、二週間経ち、「先生、癒されました。全部きれいに髪が生えました」と言われました。嬉しかったですが、複雑な思いになりました。「何で俺の髪は生えないのだ・・」
 パウロは大嵐の中、「髪の毛一筋失うことはない」と言いました。今色々な問題があっても、皆さんにも神が語られます。これは私たちに対する保証の言葉です。彼は何をしたのでしょうか。二十七章三十五節から三十六節に、

『こう言って、彼はパンを取り、一同の前で神に感謝をささげてから、それを裂いて食べ始めた。そこで一同も元気づけられ、みなが食事をとった。』

 今まで彼らは断食して祈っていました。しかし、神は何と言われたのでしょうか。パウロを通して、食事をして力づけられなさい、と語られました。そこでパウロは三十五節に、

『こう言って、彼はパンを取り、一同の前で神に感謝をささげてから、それを裂いて食べ始めた。』

 これは「聖餐式」ではないでしょうか。神の前に感謝をささげ、パンを裂いて食べ始めました。苦しみのただ中で、彼らは聖餐式をしました。すると、船が浅瀬に乗り上げました。二十七章四十四節に、

『それから残りの者は、板切れや、その他の、船にある物につかまって行くように命じた。こうして、彼らはみな、無事に陸に上がった。』

と書かれています。全員が助かりました。
 皆は断食してましたが、パウロは断食を止めて「皆で食べる」ことにしました。それは聖餐式でした。その時に、新しい局面が起こりました。「私はいま、断食して、一つのことを祈っている」と言われる方がおられるかも知れません。それも尊い働きです。しかし今日、私たちは聖餐式をします。これには大きな意味があります。パウロは聖餐式の奥義を知らせていましたが、本当の意味で聖餐式の力を体験したのは、この時だったかも知れません。同時に彼が自分の使命を知っていたがゆえに、彼は問題の中でも動じることはありませんでした。
 今日、聖書の御言葉を学び、私たちにもパウロと同じように、神の計画があることを知りましょう。神は私たちを計画実現のために創造されました。そして計画達成のためには、万難を排して下さる方です。問題を解決して下さいます。それゆえ、私たちは元気を失いません。
 「ですから、皆さん。元気を出しなさい。」今、あなたの上に、絶大な神の計画があることを知って下さい。いまから聖餐式を行いますが、その中で問題解決の突破口を与えて下さることを信じます。お祈りしましょう。
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