今週の礼拝メッセージ
2003.3.16(SUN)
国籍はパラダイス
新城教会 滝元 順 牧師

新約聖書 ピリピ人への手紙 3章17節〜21節
兄弟たち。私を見ならう者になってください。また、あなたがたと同じように私たちを手本として歩んでいる人たちに、目を留めてください。というのは、私はしばしばあなたがたに言って来たし、今も涙をもって言うのですが、多くの人々がキリストの十字架の敵として歩んでいるからです。彼らの最後は滅びです。彼らの神は彼らの欲望であり、彼らの栄光は彼ら自身の恥なのです。彼らの思いは地上のことだけです。けれども、私たちの国籍は天にあります。そこから主イエス・キリストが救い主としておいでになるのを、私たちは待ち望んでいます。キリストは、万物をご自身に従わせることのできる御力によって、私たちの卑しいからだを、ご自身の栄光のからだと同じ姿に変えてくださるのです。

 ハレルヤ!今日このように、皆さんと共に主をほめたたえ、御言葉を学ぶことができ感謝します。先週、私は新潟に行きましたが、四日間ずっと雪でした。同じ日本でも、全く天候が違います。私たちは色々な地域に住み、人生を送っていますが、イエス・キリストを信じるならば、国籍は天にあることを感謝します。
 人生は次の瞬間、何があるかわかりません。しかし、イエス・キリストを信じる者の国籍は天にあります。国籍とは、「一定の国家の所属員たる資格」と定義されていました。
 新城教会には、色々な国籍の方々がおられます。日本人だけではなく、韓国籍、中国籍、ブラジル籍、ペルー籍、アメリカ籍など、色々な国々から来られています。土曜日の八時半からは、インター・ナショナル集会があります。一度覗いてみて下さい。毎週、百名近いの方々が母国語で賛美し、私たちと同じようにイエス様を礼拝しています。
 今週私は、ブラジルに行きます。なぜなら、この教会には、南米の方々が多く集まっており、ここでイエス様を信じて、母国に帰られた方も多くおられるからです。私は、二年に一度くらいは南米を訪問して、皆を励まし、私たちも恵みをいただき、同じ神の国の国籍であることを確かめ合うようにしています。今回は、特に、ブラジルのとりなしの祈りを中心に訪問することに決まりました。ブラジルはキリスト教国のように見えますが、実は偶像礼拝が強い国です。多くの人々が、「黒いマリヤ像」を拝んでいます。それは、「アパレシーダ」と呼ばれ、その支配力は強いものです。十月十二日は「アパレシーダの日」と呼ばれ、国民の休日です。小さな町に何十万人という人が集まり、アバレシーダを拝みます。このように、ブラジルは日本と同様、偶像礼拝に強く縛られている国です。新城教会でブラジル人ミニストリーをさせていただいていますが、その中でよくアパレシーダが顔を出します。それで、「これは祈りに行かなくてはならない」と教えられ、ブラジルや、他の南米国籍を持つ兄弟姉妹と共に、行くことになりました。私を含み十名で行きます。また、現地教会も「一緒に祈らせて下さい」と言われ、共にとりなしに行きます。ぜひ、祈って支えて下さい。
 日本とブラジルは、共に地球の真反対に位置します。しかし、両国には、共通点があります。日本のリバイバルのためには、ブラジルで祈る必要があり、また、ブラジルのリバイバルのためには、日本で祈る必要があると強く感じます。なぜならば、日本に福音が伝えられたのは、ローマ・カトリック「イエズス会」という宣教会によるもので、ポルトガル宣教師達によるものでした。ブラジルも同様に、「イエズス会」により宣教されました。イエズス会の宣教目的は、プロテスタント教徒撲滅でした。反宗教改革に燃えて海外に出ていった背景があります。当時のカトリック宣教は、国の支配と共に遣わされました。ですから、ブラジルも植民地支配と共にカトリック宣教がなされ、ブラジルはポルトガルの植民地と化しました。
 日本には初め、ポルトガルから鉄砲が伝えられました。その直後、ポルトガル人宣教師ザビエルが入ってきました。織田信長はカトリック宣教を歓迎しましたが、豊臣秀吉は真剣に排除しました。それは、キリスト教が嫌いということ以上に、鉄砲が入り、カトリックが入ったら国が乗っ取られると心配したからです。当時、そのような国際情勢があったからです。だから、秀吉も家康もキリスト教迫害を真剣に行いました。歴史の歯車が少しでも狂ったなら、日本もポルトガルかスペインによって、植民地化されていたかも知れません。そうしたら、今、日本人は、日本語ではなく、ポルトガル語かスペイン語を話しているでしょう。そのように、両国には、霊的には、似通った点がありそれらについて祈る必要があると思っています。
 世界には多くの国々、国籍があり、それぞれ利害関係があります。そして、「パラダイス」と呼べる国など、どこにもありません。今、イラク情勢が緊迫しています。私たちは、真剣に祈る必要があります。戦争はあくまでも、良いものではありません。戦争が起こったら大勢の人が死ぬことは確かで、神のみこころではありません。私たちは祈らなければなりません。国々の間に働く暗闇の力が打ち砕かれ、神の国の平和が訪れるように祈るべきです。 世界中、どこに行ってもパラダイスのようなところはありません。しかし、聖書は神の国の訪れを私たちに教えています。イエス・キリストを信じるならば、国籍は天にあるというのです。地が滅びてしまうような、第三次世界大戦のようなことが起こったとしても、私たちの国籍は天にあるので神が守って下さいます。国家は国家の構成員、国民を守る義務があります。戦争が始まったら日本国政府は特別機を出し、邦人救出を行います。日本国は日本国民を守らなければなりません。同じように、国籍が天にあるならば、どんな問題が起こったとしても、神は天国籍の者を守る義務があります。ですから、今日、ここにおられるすべての方が、天の国籍を受けて帰っていただいきたいのです。
 国民は、ある領域の体験を共有します。天国籍の人は、天国の素晴らしい経験を共有することができます。今日も私たちは礼拝に集い、神の国の体験を共有しています。
 私たちはこの地上においては、不自由な肉体の中に捕らわれています。やがて、私たちはこの地上から出て行かなければなりません。人間は死んでしまえばおしまいだと言う人がいますが、決してそうではありません。魂は永遠に不滅です。この地上だけではなく、人生は永遠に続くのです。私の人生も、あなたの人生も永遠に続き、なくならないのです。
 キューブラー・ロスというアメリカの医者が「死ぬ瞬間」、また、「続・死ぬ瞬間」という本を書き、世界的ベストセラーになりました。彼女は二千五百人の「臨死体験」をした人々にインタビュー調査したそうです。そうしたら、興味深いことに、いくつかの共通項が浮かび上がったそうです。それは、死んだ瞬間、自分の魂が体から抜け出て、自分の亡骸や、周りで家族が泣いている姿を見たというのです。また、その状態になったときは、時間空間を越え、遠くに住む家族、親族のところにも行くことができたというのです。そして、神々しい光に包まれ、そっちに行きたいと思った瞬間、地上に引き戻されたという共通の体験があったそうです。それで、キューブラー・ロスは一つの結論を導き出しています。
 「私は死後の世界があることを信じる、死んだ後にも、何かがあるはずだ」聖書は、初めから「死後の世界がある、人生はこの地上だけで終わりではない」と語っています。
 先ほど、共有した体験と言いましたが、誰もが共有する体験、それが「死」です。ここにいる人々全員、やがて死に直面するのです。人間と死とは紙一重です。道を歩いていると車が横を走り抜けて行きます。歩いていると、車の速度はすごいものだと感じます。私は道を歩きながら、五十センチも前に出れば死ぬといつも思います。私と死との距離はたった五十センチだ、と思う時があります。私たちはやがて、死ななければなりません。
 私は牧師で、今まで何度も人が死ぬ瞬間に立ち合ったことがあります。私はそれを見ながら、「死なんて、大したことはない」と思い始めました。死ぬことなんて、大変なことではないと思います。人が死ぬのは、あっと言う間です。別に怖くはありません。丁度、自分が寝付く瞬間がわからないようなものです。けれども、死は、その瞬間は良いのですが、その後の世界があるのです。
 神はパウロという伝道者に、特別な体験を与えました。それは一度死んで天国に生き、また戻ってくるという体験でした。コリント人への手紙第二十二章一節から四節に、

『無益なことですが、誇るのもやむをえないことです。私は主の幻と啓示のことを話しましょう。私はキリストにあるひとりの人を知っています。この人は十四年前に__肉体のままであったか、私は知りません。肉体を離れてであったか、それも知りません。神はご存じです。__第三の天にまで引き上げられました。』

 パウロは迫害を受け、石打の刑に遭いました。その時、死んだと思われて町の外に放り出されました。たぶんその時に彼はこの体験をしたのではないかと推測されます。彼の肉体の命が途絶え、瞬間的に第三の天にまで引き上げられたようです。彼は人生の体験の中で、第三の天に引き上げられたことを誇ると語っています。

『この人は十四年前に__肉体のままであったか、私は知りません。肉体を離れてであったか、それも知りません。神はご存じです。__第三の天にまで引き上げられました。』』

 彼は、肉体を離れてか、離れていないのかはわからないけれど、何しろ気付いたら第三の天にいたというのです。私たちも、やがてこの地上から出ていきます。第三の天に行きますが、自分では肉体のままか、肉体から離れてなのか、気にならないのです。自分は途切れることがなく、そのまま継続するのです。ということは、人生は一度も途切れることなく、死によって終わるものでもなく、永遠の続くというのが聖書の主張です。
 そして、一番大切なのは、肉体の生命力が終わった後、どこで生活するかをはっきり決定しなければなりません。聖書はそれをはっきりと教えています。イエスを信じたら、天の国籍を与える、パラダイスに行くことができると教えています。

『パラダイスに引き上げられて、人間には語ることを許されていない、口に出すことのできないことばを聞いたことを知っています。』

 パラダイスと呼べる国は地上にはありませんが、一カ所だけ天にパラダイスがあるのです。パラダイスについて、黙示録に詳しく記されています。黙示録二十二章一節から五節に、

『御使いはまた、私に水晶のように光るいのちの水の川を見せた。それは神と小羊との御座から出て、都の大通りの中央を流れていた。川の両岸には、いのちの木があって、十二種の実がなり、毎月、実ができた。また、その木の葉は諸国の民をいやした。もはや、のろわれるものは何もない。神と小羊との御座が都の中にあって、そのしもべたちは神に仕え、神の御顔を仰ぎ見る。また、彼らの額には神の名がついている。もはや夜がない。神である主が彼らを照らされるので、彼らにはともしびの光も太陽の光もいらない。彼らは永遠に王である。』

 これはパラダイスの情景をヨハネが見せられて書きとめたものです。「のろわれるものは何もない」、そして「もはや夜がない」と書かれています。夜がないとは、いつも明るくて大変だという意味ではありません。人生には夜があります。しかしパラダイスには、悲しみも苦しみも何もない、「のろわれるものは何もない」のです。そしてイエス・キリストを信じる者たちに、パラダイスの国籍をタダで下さるというのです。私たちはやがてそこにはいることができるという希望を抱きつつ、日々を楽しんでいます。
 パウロは第三の天に行って、口では表現できないほどすごかったらしいのです。私もあなたも、パラダイスに行くことができる、それは、素晴らしい特権です。
 さて、パラダイスは「第三の天」と表現されました。ということは、「第一の天」、「第二の天」があるという事です。私たちが今、過ごしている地上は「第一の天」です。そして、第二の天があり、第三の天があるのです。そしてパラダイスとは、第二の天ではなく、「第三の天」です。あなたは「第二の天」に入ってはいけないのです。
 第一、第二、第三というと、天高く上っていくような気がしますが、この意味は、「次元の違い」であると思います。
 私たちは三次元の空間に生きていますが、時間、空間を越えた神の次元があります。アインシュタインという科学者が、「相対性理論」を説き、時間が相対的なものである事を証明しました。私たちは普通、時間は不変的な流れであると考えます。しかし、時間は伸び縮みします。光の速度で走っている宇宙船に乗った者と、地上から見ている者では、過ごしている時間の流れが違うらしいのです。たとえば、双子が同じ時計を持って、一人は地上に残り、一人は宇宙船に乗ります。そして、宇宙船は光速で飛び、宇宙旅行に向かいます。光は秒速三十万キロです。地球から月くらいの距離を一秒で走ります。それほどのスピードが出る宇宙船に仮に乗ったとするのです。そして、三年間、宇宙旅行をしたとします。それで、双子の一人は宇宙体験をして、もう一人の片割れに伝えるために地上に戻ると、宇宙船の中では三年であったのが、何とこの地球では二百年が経っているというのです。神は時間も空間も支配されておられるのです。第二の天、第三の天という次元があるのです。
 「第三の天」・・それは、天地宇宙を造られた神が座しておられる次元です。しかし「第二の天」とは何でしょうか。それは暗闇の世界、悪魔と悪霊が主権を持っている国です。それが第二の天です。
 私たちは現在、第一の天に住んでいます。しかしやがて、第一の天から出ていきます。そしてどちらかの天に入国しなければなりません。第二の天に行くのか、第三の天に行くのかは、この地上で決定がなされます。だれ一人として、第二の天に行くことなく、第三の天、パラダイスに入国していただきたいと願います。
 ある国に入るためには、許可証がいります。それは「ビザ」です。今週私は、ブラジルに行きますが、そこに行くためにはビザがいります。ブラジル政府の「入っても良い」という許可がなければ、入国できないのです。それで私はブラジル大使館にビザを申請しました。短期旅行は、「観光ビザ」で良いのです。観光ビザを申請をすると、回答がありました。「あなたは牧師だから、一つの書類がいる」というのです。「どんな書類か」と聞くと、それは、「ブラジルに来て、いかなる宗教活動もしないこと。伝道はしないこと」という、「誓約書を書け」というのです。私はそのために行くのに、それを制約されては大変だと思いました。しかし、それは、形式的なことだけだから、ただ書いてくれれば大丈夫だというのです。いくら形式的といっても、その書類はブラジル政府が受け取るわけです。私の活動を霊的に規制する権威を国に取られてしまいます。せっかくブラジルに祈りに行っても、それでは力がありません。私は「そのビザでは都合が悪い」と言いました。「何か他の手はないの?」と聞くと、「伝道するためのビザもある。それは少しお金を出さなければならない。」というのです。仕方ないと思い、そのビザを申請しましたが、最終的には誓約書なしで、観光ビザをもらいました。
 「ビザ」なしでもブラジルの入国管理事務所の入り口までは行けます。しかし、国には入ることができないのです。そこで追い返されてしまいます。あるいは、捕まってしまいます。
 私たちが地上から出ていくと、まず最初に関所があります。ヘブル人への手紙九章二十七節から二十八節に、

『そして、人間には、一度死ぬことと死後にさばきを受けることが定まっている・・・』

と書かれています。先ほど、死はだれでも経験すると言いました。しかし、死んだ後、「さばきを受ける」のです。「さばき」とは何でしょうか。それは「入国検査」のようなものです。私は海外に行って、入国の列につくとき、天国に入る前の列のように思います。列につくときはいつもドキドキします。なんとなく不安があります。言葉もわからないので、通過できるか不安になります。
 私たちも死後、さばきの座の列につくのです。そこで、「世界では大勢の人たちが死ぬんだなあ」と思うでしょう。そこで近くの人たちと、互いに話します。
 「あなたは何で死んだのですか?」「私は交通事故です。」「あなたは?」「ガンです。」「あなたは何ですか?」「私は老衰です・・」などと、話し合うのかも知れません。
 神の国入国管理官の前に立つときは、多分かなり緊張すると思います。手に持たされている書類を提出しなければなりません。
 私が書類を係官に提出すると、「あなたは第三の天のビザとパスポートを持っているので、今からパラダイスに入れます。おめでとうございます!ゲートを入ると、右側に金色の矢印が出ているので、あなたはその方向に進んで下さい。」などと言われるのかも知れません。
 私はゲートをくぐり進むと、突然ラッパの響きが聞こえ、「滝元順先生、大歓迎!」という垂れ幕があり、新城教会から先に天に帰った人たち一同が、「順先生、よくいらっしゃいました!」と迎えてくれる事でしょう。ある人は、「あんた、よくここに来れたねぇ」と言うかも知れませんが・・。
 イエス様が奧から出て来て、「順。よく来たなあ。お前の活躍はよく聞いていたぞ。ちょっぴり悪い時もあったが・・・」などと言われるかも知れません。そこはパラダイス、悪いものは何もないのです。
 しかしある人がパスポートを渡すと、係官の顔が曇ります。
「あんたのビザのスタンプは、第二の天と書かれている。」
「第二の天ではいけないのですか。」
「・・第二は良いところではありません。今、滝元さんが第三の天に入って行きましたが、あなたは第二です。」
「第二の天という国はどんなところですか?」
「それは、悪魔、悪霊の支配する暗闇の国です。」
「えっ、そんな所に私は行くのですか?」
「あなたは気付いていなかったかも知れないですが、地上も実は、悪魔、悪霊たちが支配していますよ。だから、地上にいたときは何も良いことがなかったでしょう。あなたの人生はいつも問題ばかりだったし、世界も戦争ばかりだし、不幸の連続でしたでしょう。あれが、何よりの証拠ですよ。しかし、それでは可哀想だから、第三の天に行けるように神が道を用意してくれたのです。そのビザをもらったら、第三の天に行けます。ビザの変更ができたのですがね。」
「えっ、どこで変更が出来るのですか?今から変更してもらえませんか?」
「残念だね。ここまで来てしまったら、どうしようもないですよ。その書き換え事務所は地上にしかありません。地上を見て下さい。いま、あなたの葬式をしていますよ。地上なら、書き換えることができたのですが・・」
「えっ、どこでできたのですか。」
「教会だよ。教会に行けば、すぐに変更ができたのですよ。あんた知らなかったの?」
「いや、私の町の教会は目立たなかったですね。」
「日本では、あまり目立たなかったかも知れませんね・・・。でも、路地裏にあったかも知れないよ。小さくて、あまりきれいではなかったかも知れないけれど・・・。」
「まさかそこで第三の天のビザを発行してくれるなんて、私は全く知らなかった。」
「・・そうか。日本では積極的にそのことを教会が語っていなかったかも知れないな。一応、同情はするけど、ここではどうしようもない!」
「私はこれから、どうなるのですか?」
「ここから入ると、左側に黒い矢印が出ています。そちらに行けばすべてがわかります。その後のことは、私にはあまりにも、恐ろしくて言えません・・・」
 第二の天に行ってはいけません。第三の天に、どうしても入らなければなりません。イエス・キリストを信じるならば、あなたの立場が変わります。この地上にいながら、第三の天の支配、恩恵を受けることができます。普通、生まれながらの人間は罪人であるために、第二の天の支配下にあります。けれども、教会に通い始めると、通常、第一の天では起きない、不思議なことが多く起こり始めます。なぜならば、第一の天においても第三の支配を受けるからです。それはクリスチャンの特権です。教会に来ると、色々な問題が解決されます。最近、教会に来られる方々の九十パーセント以上が問題を持って来られます。しかし新城教会に来て、「ここは明るいですね。」と言われます。そのような方々に、私は言います。「ここに来た人々は皆、問題があった人ばかりです。普通は暗い人たちです。」
 教会が明るく感じるのは、どうしてでしょうか。それは、問題があっても、第三の天の支配の恩恵を受けるからです。イエス・キリストを信じるなら、良いことづくめです。この地上においても、第三の天の祝福を受け、死んでも永遠に生きる体となり、パラダイスで永遠に過ごすことができるからです。
 あなたのパスポートを、第二の天仕様から、第三の天仕様に変更してください。そうすれば、第一の天にいながら、第三の天の恩恵を受けることができます。
 私は今週ブラジルに行きますが、ブラジルに帰った一組の夫婦について最後に証したいです。それは、この教会に以前来られていた、イラン人のご主人とブラジル人の奥さんカップル夫婦の証です。彼らは教会に来たときに、深く傷ついていました。奥さんは、「私の結婚生活はどうしようもない。壊れている」と言いました。そして、「私の夫はイラン人で、イスラム教徒だ」と言いました。しかし、奥さんがイエス様を信じ、やがてご主人も教会に来るようになりました。二人とも問題のただ中にありましたが、イエス様を信じて、二人ともバプテスマを受けました。ご主人のバプテスマは、今でも忘れられません。彼は、イスラム教典・コーランを持ってきて皆の目の前で焼きました。イスラム教徒のイラン人が改宗すると、イスラム法で死刑になります。しかし彼は、「死刑になってもイエス様を信じていく」と私たちの前で宣言しました。
 日本人がイエス様を信じても死刑になることはありません。しかし、日本にもイラン人スパイがいて、イスラム教徒のイラン人がクリスチャンになったという情報があると、本国に通報されるのです。すると、本国の家族のところに警察が来るそうです。私は、彼は大丈夫かと思いましたが、その後、崩れかけた家庭は立て直され、夫婦は仲良くなりました。今までは夫婦であっても夫婦ではないようでしたが、仲良くなり子どもができました。「子どもができた」と喜んでいると、次の問題が起こりました。奥さんはあまり日本語ができないので、母国で赤ちゃんを産みたいと、ブラジルに帰ることになりました。しかし問題が起こりました。ご主人は数年に渡り、日本に不法滞在だったからです。だからブラジルに行くことは容易ではありません。彼は入国管理事務所に出頭し、不法滞在を悔い改めて来るというのです。私たちは心配しながら、祈って彼を送り出しました。彼は入国管理事務所において、正直に事情を話し、妻とともにブラジルに行きたいと願いました。すると係官は、「こんなに長い間、不法滞在を続けているのは悪どい・・・すぐに逮捕だ。そして、自国に強制送還だ」と言いました。
 彼は、「私はクリスチャンに改宗したので、国に帰ると殺されてしまいます。また、身重の妻が待っているのです。」と言うと、「今日逮捕するのはやめるけれど、_月_日に再び出頭せよ。その時、お前を逮捕して、強制送還するから。」と通告されて、彼はアパートに帰ってきました。私たちはそのことを聞いて、心が暗くなりました。「これは大変なことになった・・・。彼はイランで殺されてしまうかも知れない・・。」
 みんなで真剣に主に祈りました。それで、私は牧師として、一通の書類を入国管理事務所々長宛に書きました。
 「彼は、新城教会でクリスチャンになったので、本国に送り帰さないで下さい。殺される可能性があります。ぜひ、奥さんと一緒に、ブラジルに行かせてあげてください。」と書きました。そして、私は書類にサインしました。
 そして、彼に、「これを持って行けば、滝元順という権威あるサインがあるから、きっと良いことがあるはずだ。係官に見せなさい。」と手渡しました。
 彼は私から渡された書類を持って、指定された日に入管に出頭しました。係官は、「今から、お前の強制送還の手続きをする」と言いました。そのとき彼は、「この書類を読んで下さい。」と言って私の書いた書類を出しました。すると、係官は、「滝元順ってだれだ?」
 残念なことに、私の書類は何の役にもたちませんでした。しかしその時、奇跡が起こりました。
 入国管理事務所で彼が係官とやりとりしているとき、事務所にはテレビがついていました。そして、そこでニュースをやっていました。そのニュースとは、どんなニュースでしたでしょうか。
 それは、「近頃、イランでクリスチャンが多く逮捕され、処刑されている」というニュースでした。私の書類を読んだ係員が、ニュースをじっと見たのです。係員は、彼にしばらく待つように言って奧に入っていきました。・・・やがて係官は、一枚の書類を持って帰って来ました。
 「第三国への出国を許可する」
彼らは喜びの涙を流しながら、二人でブラジルに旅発っていきました。
 四年前私は、ブラジルに行きました。すると、八百キロくらい先から、会いに来てくれました。それは、神の奇跡でした。今回も彼らに会えることを期待しています。
 神はあなたの人生にも、同じような奇跡を起こして下さいます。この地上にいながらも、第三の天の奇跡を味わうことができるのです。
 イエス・キリストを自分の救い主として受け入れる為には、「私はイエス様を信じます」と告白することが大切です。そして、今日はバプテスマがありますが、バプテスマを受けるとさらにその確信がはっきりするのです。「信じてバプテスマを受ける者は救われます。」と聖書は教えています。
 今、「心に信じて議と認められ、口で告白して救われる」とありますので、まず、口で「イエス様、私はあなたを信じます。私にパラダイス入国許可書を下さい。」とお祈りして下さい。そうすれば、今日あなたは、何の審査もなく許可書が与えられます。罪があっても、罪は帳消しにして許可を下さいます。ここにおられる全員が、「国籍はパラダイス」という素晴らしい祝福に、預かっていただきたいと願います。今なら間に合います!

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