今週の礼拝メッセージ
2003.3.30(SUN)
奥山実師特別講演記録
奥山 実 先生

新約聖書 コリント人への手紙第一 1章21節
事実、この世が自分の知恵によって神を知ることがないのは、神の知恵によるのです。それゆえ、神はみこころによって、宣教のことばの愚かさを通して、信じる者を救おうと定められたのです。

 ハレルヤ!主に感謝します。第一コリント一章二十一節から学びます。

『事実、この世が自分の知恵によって神を知ることがないのは、神の知恵によるのです。それゆえ、神はみこころによって、宣教のことばの愚かさを通して、信じる者を救おうと定められたのです。』

 今日はカメル博士が来日する予定でしたが、来ることができなくなってしまい、急遽私が御言葉を取り次がせていただくことになりました。カメル博士はエジプト人ですが、アメリカのカルフォルニアにいます。ナセル時代に迫害があり、エジプトのクリスチャンたちは大学にも入れず、まともな就職もできないということで、多くがアメリカに移住しました。そして彼は若い頃、アメリカに移住した人たちを牧会するために、エジプトからアメリカに派遣され、牧会しています。それと同時に、彼はアラブ人伝道をしています。アラビック・コミニュケーション・センターを持っており、アメリカに来たエジプト人を助けることをしています。アラブ人はほとんどがイスラムです。イスラム伝道の秘訣は、親切にすることです。何の下心もなく、親切にして心を開かせて福音を語ります。次々とクリスチャンが起こされています。彼はイスラム改宗のベテランです。彼はラジオで中近東の伝道をしています。今度はテレビでやりたいということで、資金を集めるために日本に来るということで大きな教会をアレンジしました。しかし、突然、キャンセルになってしまいました。アラブ人は、今アメリカから出ることができません。
 私は今第三世界宣教協議会をやっています。第三世界とは、アジア、アフリカ、南米のでことす。広大な地域に宣教団体が生まれ、たくさんの宣教師を送り出しています。ペルーでは、一つの宣教団体から千人以上ヨーロッパに宣教師を派遣しています。貧しいペルーが、なぜ宣教師を送ることができるのでしょうか。それはサポートをしないからです。五年間訓練し、派遣するだけです。ロンドンに行ってサポートがなければ、皿洗いをしながら伝道します。そして今ロンドンの教会は、三千人の会員です。四年前に京都で宣教会議を開きました。ペルー人の宣教師は三千人の会員になり、もう皿洗いをしなくても良くなったとの報告をしていました。パリやマドリードにも、ペルーからどんどん宣教師が送られています。宣教師というと、昔は白人でしたが、今はほとんどが第三世界の人です。九十年中頃から、グラフを見ると第三世界からの宣教師が増えています。ヨーロッパは横ばいでしたが、九十年の半ば頃からヨーロッパを抜きました。
 七年ほど前に、モンゴルでは五十人の宣教師が働いていました。五十人の宣教師の中で、三十人が韓国人で六人は日本人でした。香港からも行っています。白人は十人程しかいません。宣教団体の交わりがありますが、私はその議長をしています。カメル博士は、第三世界の十人のリーダーの中の一人です。私は仲が良いです。それで彼が来たら私は通訳するために一緒にまわるつもりでしたが残念です。
 最近、とても良いことがありました。共産党員が私の説教テープを一年聴いて、クリスチャンになりました。彼は少しいい加減な人で、参議院事件で一度捕まったことがあります。しかし彼はクリスチャンになりました。ある時彼は、教会で結婚の話が出ました。牧師はその結婚に反対しました。女性は早稲田大学の文学部を出た立派なクリスチャンでした。「あなたはもっとまともなクリスチャンと結婚しなさい」と勧めました。しかしその女性は良い人で、「神の御心です」と言い、そのいい加減な男と結婚しました。簡単に言うと彼は前科者ですが、女性は御心を確信していました。それから彼は、クリスチャン葬儀屋を始めました。「復活者」という名前でした。彼は弱いものの味方で、十五万円で葬儀をあげています。葬儀屋なので、収入は一定していませんが、奥さんは教会に十分の一献金を信仰によって決め、約束していました。しかし、ある月は人が亡くならないので、お金が入りません。しかし、彼女は十分の一と約束していたので、あらゆる所からお金を集めて献金をしました。お金がないため、電話を止められました。しかし日本政府は暖かいです。生きていくための水は最後に止めます。まずは電話、次に電気、そして水です。電話がストップされました。彼は頭に来て、久ぶりにやけ酒を飲みました。酔っぱらって愚痴が出てきました。ところが奥さんが一時まで彼の愚痴を聞いてくれたそうです。「いくらなんでもやり過ぎではないか。電話を止めるなんて・・・。」私のところにも来て、そう言うのです。「電話をストップされて、十分の一献金とは・・・。」と言いました。私は、「何言っているんだ」と叱りつけました。「何て立派な奥さんだ。電話をストップされてまで十分の一献金とは。そんな話を聞いたことがない。お前の家庭は必ず祝福される。心配するな。」と励ましました。
 二〜三日が経ちました。教会に医者がおります。彼が聖書を読んでいると、「貧しい人を助けなさい。」と書かれていました。「うちの教会の貧しい人は誰だろうか。__さんだ!」とわかりました。そこで、彼の彼は奥さんを呼び、「受け取って下さい」と五十万円を献金をしました。それを聞いた彼は、私のところに来て、「先生、ありがとうございます。」と言いました。「これから大丈夫だ。頑張れ」と励ましました。彼はあちらこちらに葬儀屋のブランチを作っています。セカンド・チャンスが問題になり、対談がありました。ペンションをやっている人が、クリスチャンになったのでそのペンションで対談をしました。興味のある三十名ほどの人が聞きたいというのです。すると、その共産党員の彼が、「先生、十人くらいお金がなくてペンションのお金を払えません。でも対談を聞きたいというので、先生のMTCに泊めてくれませんか。雑魚寝でも良いですので。私が料理しますのでお願いします。」と言うのです。私は「良いですよ。」と許可しました。そして彼は、「私は、米を持ってきます。料理しますから」と言うのです。そのことを家内に話しました。「・・・こういうわけで十人泊まるから。よろしく」と言うと、家内は、共産党員の彼のことを、「あの方、来ないわよ。」と言うのです。そこで私はもう一度確認の電話をしました。「来るだろう。料理するんだろう。」と言うと、「先生。男の約束だよ。行きますよ。」と言いました。しかし、彼は来ませんでした。善意で悪意はないのですが、彼は来ません。しかし、だんだん彼は聖められて、彼の事業は拡大されています。

『事実、この世が自分の知恵によって神を知ることがないのは、神の知恵によるのです。それゆえ、神はみこころによって、宣教のことばの愚かさを通して、信じる者を救おうと定められたのです。』

 神様は宣教の言葉の愚かさを通して、信じるものを救おうと定められたと記されています。つまり、神様は宣教によって人を救うことを定められました。「宣教」という言葉は、ギリシア語で、「ケリグマ」「ケリュグマ」です。ケリグマという言葉の起源は、「王様のおふれ」のことです。王様が、「今日から消費税五パーセント」と言ったら、それを全住民に伝えなければなりません。そこで下部たちは町々、村々に行き、「皆さん聞いて下さい。今日から消費税五パーセントです」と知らせます。このように知らせるのが、ケリグマです。福音のケリグマもそうです。救い主はイエス様であることを伝えることが、ケリグマです。私たちはすべての人に、イエス様を信じたら救われると伝えるべきです。私たちのつとめはケリグマです。イエス様のことをすべての人に伝えることです。それが教会のつとめであり、私たちのつとめです。パウロは福音のケリグマを「借金」と言っています。借金は返すべきです。私たち宣教団体は、まだイエス様について聞いていない種族に福音を伝える働きをしています。ケリグマを通して、人々を救いに導くことを定められました。滝元先生はケリグマをしています。あらゆる手段を通して、すべての人が福音を聞くことが必要です。方法については、聖書に書かれていないので何でも良いのです。路傍伝道、訪問伝道でも、自分で方法を編み出せば良いのです。
 私は八尾という町で宣教師に召されて行きました。インドネシアに行こうと思っていたときに内乱が起こり、ビザがとれなくなってしまいました。そこで関西で一番福音を伝えるのに難しいと言われる所を調べました。すると、八尾と泉大津でした。自分を鍛えるためにインドネシアに行くまでの間、そこで開拓伝道しました。八尾は当時十五万人でした。今は三十万人近いです。私が八尾に行った目的は、八尾のすべての人に福音を伝えることです。やり方は聖書に書かれていないので、祈って決めました。訪問伝道することにしました。家内と分担しました。家内は人の前で話すとなると、とても悩みます。よく家内にも話してくださいと言われますが、家内は言われたときからずっと悩むのです。一年前から言われると、ずっと悩み続ける傾向があります。イエス様は、「明日のことを思い煩うなと言うのでささげなさい」と言うと、「そうね、ささげます。」と言いながら、次の日にまた悩んでいるのです。一年中悩んでいます。しかし神様は家内に賜物を与えられ、訪問伝道、個人伝道は何とも思わずにできるのです。私は、家内が家事など忙しいので家内の領域を狭くし、私の領域を広くして訪問伝道をすることにしました。家内は市場の行き、帰りに伝道しました。当時は貧しかったからか、主婦はだいたい家にいました。乳母車に一歳と〇歳の赤ちゃんを乗せて、伝道に励みました。家内は訪問が好きなのです。このように、私たちはゼロからスタートしましたが、はじめてから三ヶ月が経つと、二十五ほどの椅子が満たされ、立って礼拝する人まで与えられました。難しい地域と聞いていたのにもかかわらず、レスポンスが良い所なのでした。私は立たせているのは申し訳ないと思い、会堂を作ることにしました。すると誰かが中古のプレハブが三十万円で売っているというので、プレハブを建てることにしました。六十名程が入ることができました。目的は、「ケリグマ」です。すべての人に伝えるのです。路傍伝道も大切です。方法は色々あります。ラジオでも、テレビでも何でも良いのです。甲子園での大会や、ビリーグラハム大会など大きなものも大切です。福音を原爆のように語るのも大切です。ただ聞かせるためだけでも、お金がかかります。そこまでして、なぜ、ケリグマが大切なのでしょうか。それはケリグマの完成が再臨だからです。マタイの二十四章十四節に記されています。

『この御国の福音は全世界に宣べ伝えられて、すべての国民にあかしされ、それから、終わりの日が来ます。』

 イエス様は全世界の人が皆悔い改めて、クリスチャンになったら世の終わりが来るとは言われませんでした。全世界の人が皆、福音を聞いたら終わりの日が来ると言われました。ビリー・グラハム集会をやった時にも、後楽園球場でやったときにはいっぱいになり皆が喜びましたが問題が起こりました。冷たい牧師がおり、「何人来たかね?五万人集まっても信じなかったら空しいですね。」と言われました。教会に来てイエス様をすぐに信じる人は少ないかも知れません。しかし、多くの人に福音を聞かせることが大切です。ですから、そのような大きな会館で集会を行うことも必要です。この教会は日本のため、イエス様のために、素晴らしいことを行っています。ですから、神様の祝福があると信じています。そして、ケリグマの完成は再臨です。第二ペテロ三章十二節に、

『そのようにして、神の日の来るのを待ち望み、その日の来るのを早めなければなりません。その日が来れば、そのために、天は燃えてくずれ、天の万象は焼け溶けてしまいます。』

と記されています。ここにはケリグマの完成について、大切なことが書かれています。「世の終わりはだれも知らない」とイエス様が言われました。「そのようにして神の日を待ち望み、その日の来るのを早めなければなりません。」と記されています。私たちは再臨の日を早めることができます。それは、ケリグマをすることによってです。滝元先生の働きは大きなことです。いかにケリグマが大切かがわかります。神様が滝元先生にビジョンを与えました。聖霊様による働きです。日本全体が福音を聞くチャンスが与えられるのです。
 私が献身した時には、田舎で伝道したいと思っていました。当時私は信徒伝道を知りませんでした。イエス様のために働くのは、牧師だけと思っていました。その時の私の願いは「田舎で伝道したい」、私は運動選手で勉強をせずに運動ばかりしていたので、都会の優秀な人は導けないと思い、田舎の人なら何とかなると思っていました。私が会社を辞めるときに私の伝道で、一人救われたら良いと思いました。しかし初めは、京都の学生が多い所に遣わされました。そして大学生がどんどん救いに導かれました。また、大学教授まで救いに導かれました。これは私の知恵ではなく、福音の力だと思いました。しかし、田舎でやるのは優秀な人だと思いました。私は色々させられて、いよいよ田舎伝道ができるかと思っています。農村伝道をしたいと今も思っています。農村の人が救われるのは、難しいです。しかし、ケリグマは聞かせることが大切です。私たちのケリグマで神の来るのを早めることができます。
 カメル博士はイスラム伝道の専門家です。イスラムからの救いは難しいですが、福音を聞かせることは簡単です。だからカメル博士はラジオで伝道しています。サウジアラビアの実業家が救われました。その本部はロンドンにあり、そこにサウジアラビアから電話があったそうです。「洗礼を受けたいというのです」と言うと、「私はロンドンにいるのでこっちに来て下さい」と言うのです。しかし一方では、「私はサウジアラビアの人間なので、サウジアラビアで洗礼したい」というのです。そこでロンドンから牧師が来て、ホテルのプールで洗礼をしました。ラジオでもイスラム伝道が実を結んでいます。聞かせることはいくらでもできます。イスラム伝道の秘訣は、徹底した親切です。そして交わりの中で、宗教の話をします。彼らの宗教は本気です。新約聖書を開いて話すのがポイントです。なぜならば、イスラム教には四大教典があります。コーラン、モーセ五書(創世記、出エジプト記、レビ記、民数記、申命記)、詩篇、四福音書です。イエス様は彼らにとっては救い主ではなく、預言者として認めています。親切をした後で彼らは心を開きます。そして新約聖書を開き、イエス様は救い主と語ります。これはイスラム伝道の基本です。イスラムの人も救われます。神様が選んだ人がいます。「この町にわたしの民は大勢いる。」と神様は言われます。しかし、ケリグマは滝元先生のような立派な牧師でなくても、信徒でもできます。使徒の働き八章一章から四節に、

『テオピロよ。私は前の書で、イエスが行ない始め、教え始められたすべてのことについて書き、お選びになった使徒たちに聖霊によって命じてから、天に上げられた日のことにまで及びました。イエスは苦しみを受けた後、四十日の間、彼らに現われて、神の国のことを語り、数多くの確かな証拠をもって、ご自分が生きていることを使徒たちに示された。彼らといっしょにいるとき、イエスは彼らにこう命じられた。「エルサレムを離れないで、わたしから聞いた父の約束を待ちなさい。』

と記されています。地上最初の教会は、エルサレム教会でした。彼らはエルサレム全地に福音を伝えました。迫害が起こり、十二弟子以外は皆散らされました。十二弟子がエルサレムに残り、エルサレムを導いていきました。信徒が皆ユダヤとサマリヤに散らされました。しかし、彼らはすごかったです。使徒の働き八章四節に、

『他方、散らされた人たちは、みことばを宣べながら、巡り歩いた。』

と記されています。皆ケリグマしながら逃げ回りました。黙っていれば迫害されませんが、逃げ回りながら、「あなたは救われます」と伝道しました。その結果、九章三十一節に、

『こうして教会は、ユダヤ、ガリラヤ、サマリヤの全地にわたり築き上げられて平安を保ち、主を恐れかしこみ、聖霊に励まされて前進し続けたので、信者の数がふえて行った。』

と記されています。信徒だけで伝道していたのにもかかわらず、教会がたくさんできました。それも成長する教会ができました。信徒でも教会が作れるのです。
 私の教会に、あるご夫妻が関西から来られました。彼らは素晴らしいクリスチャンで、十分の九をささげて十分の一で生活することを理想とし、会社を起こしてノルウェーから鉄を輸入して売る仕事をしています。不景気にも関わらず、人が増え、祝福されています。奥さんも目立たない静かな方ですが、素晴らしい方で個人伝道に熱心です。「光の子会」ということで、近所に住む子どもたちを二時間くらい見るのです。そのようにして伝道しています。子どもたちを二時間見てくれるから、近所の人はありがたいです。また彼女は立派なクリスチャンであることがわかっています。しかし奥さんたちは皆クリスチャンになるとは思っていません。ところがつきあっている中で知り合いになり、彼女に問題を打ち明けるようになりました。たとえば、夫に女ができたらしいという問題、それは他人には言えません。女性は感づくと黙っていることができないのです。しかし、男性は黙っていることができるのです。そこで彼女はクリスチャンで信頼できると思い、彼女にうち明けます。彼女はその時、「ああしなさい。こうしなさい」とは言いません。「イエス様を信じなさい。信じたら罪が赦されて天国に行ける。あとは神様が導いて下さるから。イエス様を信じないと、この問題が解決してもまた問題が来るよ。どうにもならないでしょう。イエス様を信じましょう。」と勧めるのです。そして「ここで決心しましょう」と初めに決心させます。そして「祈りましょう。」と言い、「私について祈って下さい」と言うのです。「天のお父様。私は心からイエス様を信じます。」と決めていないのに、決められてしまいます。心が定まっていないのに、祈りの中で決心させます。それで私の教会でそのことが問題になり、批判がありました。まだ心が決まっていないのに、早すぎるのではないかというのです。しかし私は放っておきました。私のやり方とは確かに違いますが、彼女のやり方に任せておきました。私のやり方は、ローマ書十章十四節で、「人は心で信じて議と認められ、口で告白して救われる」だから「イエス様を信じると言いなさい」と勧めて、「信じます」と告白させるのです。それで皆救われるのです。私のやり方を皆に教えました。だから婦人も、青年もそのように伝道しました。しかし違うと言って批判がありました。しかし私は、彼女が確信してやっているので、批判しませんでした。彼女は喜んで自分のやり方でやっていました。すると、教会に連れてくる人がどんどん増えていきました。二、三人が五、六人になり、七、八人が十数人、ついに二十人くらい連れてくるようになりました。そして皆黙ってしまいました。批判できなくなりました。教会が一つできるくらい人たちを連れて来るようになりました。
 ところが彼らは、引っ越すことになりました。藤沢での伝道を助けることになりました。私は兄弟姉妹が私の教会で一番良いカップルで、人間的には行くなと言いたかったのですが、止めませんでした。頑張って行きなさいと送り出しました。しばらくすると、姉妹はガンになってしまいました。医者は嘘がつけませんでした。なぜならば、直すためにはコバルト照射では無理で、日本に二台しかない特殊な治療法のある所に行かなければならなかったからです。彼女は千葉の放射線研究所の付属病院に送られました。私は大宮から、千葉まで訪問に行きました。彼女は四人部屋にいました。彼女はクリスチャンです。私がそこに見舞いに行くと、既に、四人部屋の二人はクリスチャンになっていました。その一人は四十歳くらいのピアノの先生でしたが、ニコニコして私にこう言いました。「私はこの病気になって良かったです。ここでイエス様にお会いできましたから。」と言うのです。私は福音の力を見ました。安っぽい宗教は吹っ飛んでしまいます。金も地位も名誉もいらないのです。福音は素晴らしいです。こんな絶望的な人に希望を与えるのです。「いつ死んでも天国に行ける、イエス様の十字架によっていつ死んでも天国に行ける。イエス様が身代わりに刑罰を受けて下さった。」これで彼女は輝きました。救われたばかりなのに、立派なクリスチャンになっていました。私が訪問に行ってから七十二歳の方もクリスチャンになりました。そしてピアノの先生は退院しました。そして福音を語っていた姉妹も退院しました。しかしまたしばらくすると再発し、北里病院に入院しました。彼女は五人部屋に入れられました。そこで彼女は薬を投与され、副作用で血圧が下がり横になっていることしかできませんでした。ついに彼女は、「私はこんな状態でも福音伝えられるでしょうか」と祈ったそうです。しかし、神様はそこでも伝道するように言われたように感じたそうです。弱い声でおばあさんに福音を語りました。するとおばあちゃんが「私のために祈祷して下さい」と言うのです。そこで見ていた三人の人も、「私たちのために祈って下さい」と言い、そこにいた五名が皆救われました。彼女はガンを宣告されてから、十七名を救いに導きました。最後は看護婦を筆談で救いに導きました。もう一人導きたかったですが、望みを叶えずに天国に帰りました。状況を見てからではなく、イエス様を信じたら救われます。
 彼女は遺言を残しました。「私の告別式は伝道集会をして下さい。説教者は奥山先生にして下さい。」と言いました。私は決心しました。ところが大変なことが起こりました。神学校で教えていた卒業生が卒業するときに、私の結婚式には来て下さい。伝道メッセージをして下さいと言われていました。ちょうどその日と重なりました。そこで彼に電話すると、「先生。大丈夫です。そちらでメッセージして下さい」と言われました。そして告別式で説教しました。たくさんの実業者が来ました。また、たくさんの牧師が来ました。一人のクリスチャンの姉妹の告別式に、あんなにたくさんの牧師が来たのは見たことがありませんでした。皆、彼女から学んでいました。彼女は、絶対にクリスチャン新聞や百万人の福音に記事を出させませんでした。「私が実を結んでいるように見えますが、私の信仰の友が皆祈ってくれているのです。その人たちの名が載らないで、私だけの名前が載るのはよくありません」と言うのです。彼女が召されてから、クリスチャン新聞も百万人の福音も記事に取り上げました。栄光が現されました。彼女は一信徒でした。しかし素晴らしい実を結びました。誰でも伝道ができます。どうぞ伝道に励んで下さい。お祈りします。

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