私は福音を恥としない

2003.6.22(SUN)
新城教会 滝元 明牧師

新約聖書 ローマ人への手紙1章16節〜17節
私は福音を恥とは思いません。福音は、ユダヤ人をはじめギリシヤ人にも、信じるすべての人にとって、救いを得させる神の力です。
なぜなら、福音のうちには神の義が啓示されていて、その義は、信仰に始まり信仰に進ませるからです。「義人は信仰によって生きる。」と書いてあるとおりです。

 ハレルヤ!私は、「名古屋リバイバルミッション」の決起大会で忙しく、ほとんど新城教会にいませんが、久しぶりにここに立つことができて感謝します。今日も、礼拝が終わったらすぐに豊田の教会に決起大会に行きますので、ぜひ、お祈り下さい。
 今朝は「私は福音を恥としない」というタイトルで学びます。ローマ人への手紙一章十六節から十七節に

『 私は福音を恥とは思いません。福音は、ユダヤ人をはじめギリシヤ人にも、信じるすべての人にとって、救いを得させる神の力です。なぜなら、福音のうちには神の義が啓示されていて、その義は、信仰に始まり信仰に進ませるからです。「義人は信仰によって生きる。」と書いてあるとおりです。』

と記されています。「福音」とは何でしょうか。福音とはイエス様ご自身のことです。イエス様ご自身が「福音」であり、良きおとずれです。第一コリント十五章一節から五節に、

『兄弟たち。私は今、あなたがたに福音を知らせましょう。これは、私があなたがたに宣べ伝えたもので、あなたがたが受け入れ、また、それによって立っている福音です。また、もしあなたがたがよく考えもしないで信じたのでないなら、私の宣べ伝えたこの福音のことばをしっかりと保っていれば、この福音によって救われるのです。私があなたがたに最も大切なこととして伝えたのは、私も受けたことであって、次のことです。キリストは、聖書の示すとおりに、私たちの罪のために死なれたこと、また、葬られたこと、また、聖書に従って三日目によみがえられたこと、また、ケパに現われ、それから十二弟子に現われたことです。』

と記されています。「福音」とは「良い知らせ」です。この地上に、救い主イエス様が来られたことにより、イエス様が私たちの罪の身代わりになり、十字架で死なれ、葬られ、三日目によみがえられたことを信じるだけで、私たちはサタンの手から解放され、罪が赦されて神の前に義とされ、永遠のいのちを持つことができるのです。
 まだ今日、イエス様をまだ信じられていない方は、イエス様を信じれば、どのような罪も赦されて神の子となることができます。
 「私は福音を恥としません。」イエス様を信じたら絶対にイエス様を恥としないことです。
 今の時代はイエス様を信じることは簡単です。皆さんがイエス様を信じるて、家庭で反対されることがあるかも知れませんが、社会的にクリスチャンになったら迫害されるようなことはありません。今はクリスチャンになるのは楽です。しかし、戦争中、クリスチャンになることは戦いでした。

 昨日まで私は長野県飯田市で集会をしました。昨日は井上かおる先生の教会で集会をしました。先生は現在、八十六才ですが、今も第一線で働かれています。昨日、ゆっくりと先生とお交わりをしました。戦時中はクリスチャンになることは戦いで、天皇が神であると言わなければ、逮捕され、また、神社崇拝をしないと牢に入れられました。
 先生はキリストが再臨されると信じていました。世界をイエス様が治められる時が来ると信じたために、当時、栃木県にいましたが、ある朝警察が逮捕状を持って来て、「ここに山田かおるという者はいるか」と言って来たそうです。そのとき警察官がキリスト教指導者を逮捕するために来ました。「はい。私です」と言いました。先生は二十三才でしたので、警察官も驚きました。「警察に来て下さい。」と言うのです。しかし先生には、何の動揺もなかったそうです。自動車に乗せられ警察に連行されて行ったそうです。普通ならば、すぐに調書をとられ、裁判にかけられ刑務所に入れられます。しかし、なんの調べもせずに、半年間留置所に入れられ、その後半年間は刑務所の独房に入れられたそうです。その期間について先生は、「イエス様と一緒でしたから、不安はありませんでした。」と言われました。
 取り調べ官が、「キリストが再臨することを信じるか。」と聞きました。「はい、信じます。」「天皇とイエスでは、どちらが偉いか。」「もちろん、天皇も偉いですが、天皇は人間です。イエス様は神様なのでイエス様の方が偉いです。やがて、イエス様がこの世界を支配するときが来ます。」と答えました。すると、「ばか野郎!」と言われたそうです。
 結局、一年間刑務所に入れられました。二十三才で逮捕され、堂々と信仰を守り通しました。先生は、今も素晴らしい教会を牧会しています。

 「私は福音を恥としない」という言葉で、今も忘れられない話があります。それは羽鳥明先生の話です。「私の家庭は、冷たい家庭だった」と話されました。父親が学校の教師で、自分の記憶だと両親には会話がなく冷たい人で、学生時代に悩んで何度も自殺を考えました。
 戦時中のある日、配属将校と言い、兵隊が来て学校を監督しました。軍隊の言う通りにならなければなりません。すると将校の一人が、「おれは、耶蘇教が大嫌いだ。もしここに耶蘇教徒がいたら、根性を叩き直してやる。もしいたら手を挙げよ。」と言うのです。
 すると、一人の同級生が「はい!私はイエスを信じています。私はイエス・キリストが私のために死んで下さったことを信じ、イエスがよみがえったことを信じ、救い主であることを信じています」と言いました。当時は命がけです。高校生です。人前で、「イエスを信じます」と言ったのです。その時に、羽鳥先生はとても驚きました。「何と素晴らしい友だち、何と素晴らしい学生だろう」と思ったそうです。そして「彼と、何とかして友だちになりたい」と思い、一緒にテニスをしたりしたそうです。
 そんなある日「羽鳥君、一緒に教会に行きませんか。」と誘われたそうです。その時に、宣教師のバーネット先生いて、「あなたが来ることを待っていましたよ。」と言い、イエス様の話をして祈ってくれたそうです。するとバーネット先生が、目から大粒の涙を流しながら、彼の救いを祈りました。それを見て、「ここには真実がある。私も信じよう」と、その日に決心して救われました。
 その時バーネット先生が、「羽鳥さん、家に帰ったら、お父さんにお詫びをしなさい。」と言われ、家に帰ったときに、「お父さん、僕はクリスチャンになりました。今まで親不孝をしたことを許して下さい。」と謝ったそうです。その時彼は殴られました。けれども、クリスチャンになることができて感謝だと思い、私は福音を恥としないと決心したそうです。その時から家庭が変わり、両親もクリスチャンとなり、「今、私は牧師をしています」と話されました。
 私はそれを聞いて、素晴らしいと思いました。今の時代、福音を恥としてはいけません。「クリスチャンです」と証することです。

 私の友人である、福沢満雄先生の父親は創価学会員でした。帰ってくると毎日酒に酔い、母に暴力を振るい、父が帰ってくると家にいることができず、妹を連れて外に逃げていました。お父さんを殺してしまえば・・と考え、ある日、出刃包丁で父を殺そうとすると、お母さんが、「満雄待ってくれ、それだけはいけない。」と止めました。そんなとき、先生はイエス様にお会いして、自分が罪人だとわかり、悔い改めて伝道するようになりました。そして、やがて「その父親も救われた」と言われました。
 父親が救われて天国に帰ったときに、お母さんが、「本当にお父さんは天国に行ったのかい?」と聞いたそうです。「行ったよ。お父さんのような悪い者も救われて天国に行ったよ。」と答えると、「じゃあ、私は天国に行くのやめた。あんなお父さんのいる天国には行きたくない。」と言ったそうです。しかし最後には、「母も救われて天国に行った」と証されました。

 私の家庭を考えると、私は十一人兄弟の九番目に生まれ、両親は仲が良く、夫婦喧嘩をした姿を見たことがありませんでした。私は親父がたばこや酒を飲んだ姿も、見たことがありません。良い家庭でした。
 そんな中、十七才の時に東京へ勉強に行き、イエス様と出会い、「この方が神、イエス様以外に救いはない、イエス様を信じたら永遠のいのちを持つことができる。そうだ、村には教会がないから伝道に行こう」と決心しました。
 私が救われたのは、一九四九年二月二十日ですが、翌年、一九五〇年三月十五日に自分の郷里・津具村へ伝道に来ました。三年間、鉱山の土方をしていましたが、八つ橋に氏原さんという方がおられ、「日曜学校をして下さい」と言われ、日曜学校を始めました。自転車に乗って、清崎という所に行き、日曜学校をしました。
 ある日、自転車に乗って田口線の清崎という駅の前を通りかかると、一人のお腹の大きな奥さんが、バケツに水を汲むために出てきたのを見た時、突然、「この奥さんに福音を、イエス様を伝えたい」という気持ちになりました。
 次の日、日曜学校に行くと、氏原さんがこう言いました。「滝元さん。清崎駅前の人で、イエス様の話を聞きたい人がいます。」
 私はすぐに、「大きなお腹をした人でしょう。」と言うと、「その人です」と言われました。やがて、その人は赤ちゃんを産み、十日目に集会に来ました。賛美歌を歌っていると、「何ときよらかな。見たこともない。私もクリスチャンになりたい。」と言ってイエス様を信じました。それで、聖書をあげました。
 すると次の日曜日にも来て、聖書を読んでいると御言葉が与えられましたと言われました。どんな御言葉でしたかと聞くと、
「汝、我を選びしにあらず、我汝を選べり。」という言葉でした。これはヨハネの福音書十五章に書かれています。

「あなたがたがわたしを選んだのではなく、わたしがあなたがたを選び任命したのです」

 そして、「滝元さん。私は間もなく、茶臼山に引っ越します」と言われ、長野県の茶臼山だと思いましたが、新城の茶臼山でした。その方は引っ越しました。
 その頃私は、ちょうど八つ橋の借りていた家から出なくてはならなくなり、彼女に手紙を書きました。「今、家を探しています。どうぞ、家を探して下さい」と家内が彼女に手紙を書くと、「家は何とかしますので、すぐに来て下さい」と言われ、それがきっかけで私たちは、新城に出てきました。その年が一九五三年でした。元ダンスホールだった場所を買って、昼間は麻工場で働きながら伝道していました。
 ある日、悲しみに満ちた顔の奥さんがやって来ました。「先生、私は別に悪いことをしなかったのに、どうしてこんな子どもができたのでしょうか。」と言うのです。それが岡本キヨ姉でした。ここにいる、康宏君を背負って来ました。彼はダウン症でした。「どうして私に、こんな子ができたのでしょうか。本当に神様はいますか?」と言うのです。
 「奥さん、人生で一番素晴らしいことは、優秀な人になることではなく、成功することでもなく、永遠のいのちを得ることですよ。もしも康宏君が東大に入り、優秀な子だったらおそらくあなたは教会に来なかったでしょう。この子が与えられたのは、奥さんだから育てることができると、神が委ねられたのですよ。」と話すと、「私もイエス様を信じていきます。」と言いました。
 それから岡本姉は、あまり熱心ではありませんでしたが、「今日はクリスマスで恵まれました。また来年も来ます。」というような感じでした。
 一九五七年に見城さんのご主人が救われました。清崎で出会ったのは見城しずえさんでした。見城さんが救われたことにより、現在、見城家から六人牧師が出ています。
 見城さんには、十二人の子どもがあります。それから、見城さんが岡本さんのご主人に、「滝元などは問題ではない、もっとすごい先生がいる。穐近先生という人がくるから一度おいで。」と教会へ誘いました。それで、岡本キヨさんのご主人が来て、イエス様を信じました。それから岡本兄弟姉妹は、段々信仰が強められました。茶臼山の駅前でスーパーを始めましたが、最初は日曜日午前中だけ仕事を休み、午後からは働きました。しかし、ある日から、日曜日を完全に休みにしました。
 岡本兄弟はクリスチャンになっても、戦いがありました。このへんは田舎です。だからクリスチャンになったことが問題になり、親戚中が集まって「お前、信仰をやめろ!」と言いました。ちょうど見城さんが信仰を持ってから、倒産しました。「お前もイエスを信じていると、見城と同じように倒産するぞ。やめろ」「お前酒飲まない、たばこを飲まないと言っているが、飲め!」と言われました。その時岡本兄弟は負けてしまいました。それで奥さんが悲しくて真剣に祈りました。彼は失敗しましたが、皆の前で告白しました。「私は失敗して飲みました。赦して下さい」
 そして、先週日曜日まで、彼は教会に来られていました。月曜日の朝に亡くなられました。彼は八十五才で亡くなりましたが、彼の四十五年間の成長段階を私は見ています。彼は感謝なことに立ち上がり、偶像は拝まない、礼拝は守りますとしっかりと信仰を守り続けたのです。
 四十五年が経ち、今、マルイチには三つの店舗があり、オーストラリアにも店があり、とても祝福されています。なぜ祝福されたのでしょうか。それは、福音を恥としなかったからです。偶像を拝まなかったからです。それが祝福されました。

 最近、教会に来られた方も、負けるときがあっても負けっ放しではなく、立ち上がっていくべきです。罪は赦されます。礼拝はしっかり守ることです。何よりも礼拝を守り、偶像を拝まずにやって下さい。必ず、素晴らしい祝福が与えられます。
 私は今日のために祈りながら備えました。色々、思い返しました。岡本キヨ姉がクリスチャンになり、その後、二十四〜二十五人がクリスチャンになりました。福音を恥とせずに、本気で信じたら神は必ず祝福して下さいます。何よりも素晴らしいことは、永遠のいのちと天国です。これから恥とせずに伝道して下さい。使徒の働き八章二十六節に、

『ところが、主の使いがピリポに向かってこう言った。「立って南へ行き、エルサレムからガザに下る道に出なさい。」(このガザは今、荒れ果てている。)』

と記されています。ピリポは、サマリヤのリバイバルのために用いられました。彼によって病が癒され、悪霊が追い出され、素晴らしい奇跡を見ました。そんな彼が大成功をしているときに、主の使いがピリポに、

「立って南へ行き、エルサレムからガザに下る道に出なさい。」

しかし、彼は、「リバイバルがここで起こっているから、ここにいたい」とは言わず、すぐにガザに行きました。すると、エチオピアの宦官で女王の財産管理をしている人が、エルサレムに向かっており、彼は、馬車の中で聖書を読んでいました。三十二節から三十三節に、

『「ほふり場に連れて行かれる羊のように、また、黙々として毛を刈る者の前に立つ小羊のように、彼は口を開かなかった。彼は、卑しめられ、そのさばきも取り上げられた。彼の時代のことを、だれが話すことができようか。彼のいのちは地上から取り去られたのである。」』

ピリポが彼のそばに行き、聞きました。「あなたは読んでいる言葉が、わかりますか」
 「いいえ、わかりません。導く人がいなくて、どうしてわかりましょう。」と答えました。
 ピリポが、「私は答えを持っています。」そこで馬車に乗り、彼に伝道しました。小羊のように口を開かなかったのはイエス・キリストであり、彼は、神の子であるのに人間の罪のために十字架にかかって死なれ、葬られてよみがえられた。このイエスこそが救い主であり、神の子であり、待ち望んでいたメシアである・・・、と話しました。
 すると宦官は心が燃え、水があったので、「お願いです。水があります。私にバプテスマを授けてください。」と言いました。そして、ピリポは、「あなたが真心から信じるなら、バプテスマを受けても差し支えないでしょう」と言いました。
 エチオピアの人が言った言葉は、「私はイエス・キリストを神の子と信じます。」と言いました。そこで、バプテスマを受けました。彼が後に、エチオピアに帰り、国に大リバイバルが起こりました。やがて王室も救われました。私たちは福音を恥としてはいけません。とにかく伝道すべきです。伝道者の書十一章一節に、

『あなたのパンを水の上に投げよ。ずっと後の日になって、あなたはそれを見いだそう。』

時々、水の上にパンを投げるようなことがあります。伝道しても、結果がわからない時があります。

 先日、私は四国を十日間巡回しました。昔、リバイバルミッションの事務局で働いていた、里坊姉が車を出して下さり十日間送り迎えをしてくださいました。高松の駅に着き、そこから津田に行きました。いきながら一つのことを考えました。
 「里坊姉。あなたの教会に舩積さんという女性がおられるでしょう。」と聞きました。
 彼女のことを思い出しました。彼女は美容師でした。今から十数年前に四国リバイバル聖会を鴨島で行いました。集会中に、今、里坊姉が行かれている教会の牧師が突然が車椅子で入ってきて、「先生、助けて下さい」と言うのです。「うちの舩積姉の娘が行き詰まり、自殺未遂をして入院しています。けれども、ほとんど駄目で今、葬式の準備をしています。しかし、何とか助ける方法を教えて下さい」と言うのです。
 私は「先生、聖書の中に、病める者は教会の長老を招き、主の御名によってオリーブ油を注いで祈りなさい、と書かれているから、オリーブ油を持っていき、その娘に手を置いて祈りなさい」と言いました。
 そこで先生は出て行き、医師や看護婦がいない二分くらいの間に、集中治療室に入り、オリーブ油をつけて彼女のために祈り、逃げてきたというのです。
 すると彼女は癒されました。生き返りました。今回、その娘さんにも出会いました。嬉しかったです。あの時に、いのちが一つ救われたことは嬉しかったです。
 彼女がこう言いました。「先生の頭をきれいにしてあげたいので、いらしゃって下さい」と言われ、行きました。
 私は彼女に聞きました。「あなたはいつ救われたのですか?」と聞くと、「今から四十二年前」というのです。どうして救われたかと聞くと、十七才で両親が亡くなり、熊本県で叔父の家にあずけられ、人生に行き詰まって希望がなく、自殺願望があり、昼も夜も働かずに寝ていたと言うのです。
 ある朝、起きたときにこれではいけない、散歩しようと思い裏の山に上がったそうです。丘の上に立ち、ぼーっと考えているときに、きれいな賛美歌が聞こえたそうです。その時、良い気持ちになり、次の朝にもきれいな賛美歌が聞こえてきたので、そこに行ってみたそうです。すると六人のクリスチャンが、丘の上で早天祈祷をしていたそうです。
 「すみません。私も入っても良いですか」と聞くと、「良いです。入って下さい」そこで、イエス様を信じたそうです。それから四回くらい早天で祈った時に、完全に病気が癒されたそうです。
 それから職業安定所に行き、仕事を捜し、大阪の放出という所に美容師の働きのためにいくことになったそうです。するとそこに宣教師がおり、「あなた。大阪に行くならば、必ず教会に行きなさい。」と言って、教会の名前も教えてくれたそうです。
 しかし、大阪に行ってから、半年ほど教会には行きませんでした。すると熊本からわざわざ、その宣教師が訪ねてきて、「あなたは教会に行っていますか?」と聞きました。「行っていません。」と答えると、「私が教えた教会はすぐ隣です」と言うのです。それから彼女は、教会に行くようになりました。
 彼女は、「あの宣教師が四十二年前に、私を訪問してくれなかったら救われていません。だから何とかして、一度お会いしてお礼を言いたい」と言うのです。私は、「その宣教師は、アメリカ人か、カナダ人か」と聞きました。すると「カナダ人だ」と言うのです。
 私はその宣教師が誰か、すぐにわかりました。それで電話をしました。「先生は四十二年前に、熊本におられましたか?」「はい、いました。」「大阪に訪問に行きましたか?」「はい!」
 何と四十二年ぶりに、「先生のおかげで救われたのです。」と電話していました。今、良いクリスチャンになっています。

 ぜひ、伝道して下さい。恥ずかしがる必要はありません。難しいこともありません。イエス様を信じて下さい。救われます。イエス様は、あなたのために死んで下さいました。喜んで伝道しましょう。間もなくイエス様が帰って来られます。ダニエル書十二章二節から三節に、

『地のちりの中に眠っている者のうち、多くの者が目をさます。ある者は永遠のいのちに、ある者はそしりと永遠の忌みに。思慮深い人々は大空の輝きのように輝き、多くの者を義とした者は、世々限りなく、星のようになる。』

と記されています。また黙示録二十二章十二節に、

『「見よ。わたしはすぐに来る。わたしはそれぞれのしわざに応じて報いるために、わたしの報いを携えて来る。』

と記されています。今年の九月は、「名古屋リバイバルミッション」があります。多くの人を導いて下さい。
 今日、私は感謝しています。この教会が恵まれている理由は、一生懸命に、外部のために働いていることです。四十九年間、日本のために働いてきました。与えていることは祝福です。先週、「リバイバル感謝報告会」がありました。二〇〇二年度に、この教会から、全日本リバイバルミッショにささげて下さった献金額は、六百五万千百八十八円と報告されていました。新城教会から一年に、六百万円ほど、リバイバルのためにささげられています。
 私は、天国に行くと配当があると思います。「あなたはこれだけささげたから、これだけの宝があります」と言われると思います。必ず、皆さんに報いて下さる神様です。心を込めて、福音を恥とせずに伝道しましょう。

 今日まだ洗礼を受けていない方がいたら、ぜひ受けて下さい。恥としてはいけません。信じたら、素晴らしい天国にいくことができます。イエス様を信じたら必ず祝福されます。お祈りします。


[バックナンバー]