霊的戦いにおける勝利の秘訣

2003.7.13(SUN)
新城教会 上條 実牧師

新約聖書 エペソ人への手紙 5章20節
いつでも、すべてのことについて、私たちの主イエス・キリストの名によって父なる神に感謝しなさい。

 ハレルヤ!今日礼拝で御言葉を語ることができますことを感謝いたします。先程読んでいただきました御言葉から学んでいきたいと思います。今日のメッセージは「霊的戦いの勝利の秘訣」というタイトルで学びます。

「ありがとうございます。」「感謝します」という言葉は気持ちが良い言葉です。先ほど読んで頂きました御言葉には「すべてのことについて」とありますが、私たちはどれだけの感謝をしているでしょうか?いつでも、どんなことでも感謝しなさいと言うことは分かっているのですが、なかなか実行できません。昨日も子ども集会「ほさなクラブ」がありました。多くの子どもたちが来て下さり、感謝でしたが、子どもたちが騒がしいと怒りがこみ上げてきてしまいます。子どもたちが来てくれるのは感謝なのですが、感謝を忘れてすぐイライラして怒ってしまいます。そして「すべてのことに、どんなことにも感謝しなさい」と神様から教えられているにも関わらず、感謝など心の中に、また私の口にひと言葉も出てこないのです。逆につぶやきばかりが出てきてしまうのです。なんと情けないものだろうと思いました。昨日こんな記事を読みました。アメリカの新聞の中で求人欄の中に一人の奥さんがふざけて「格安にて夫を売ります」という広告を出しました。それはこんな記事でした。
「格安にて夫を売ります。釣り及び猟銃道具一式、Gパン一本、シャツ二枚、長靴、黒毛のラブラドル・レトリバー犬一頭、それに鹿肉五十ポンド付き、良い男。但し十月から十二月と四月から十月までの間はほとんど家にいません。価格は相談に応じます。」
この広告を出した日、この家では電話が鳴りっぱなしだったそうです。そして電話が多くて困ったので広告を出した人は、広告を取りやめるという新たな広告を出したそうです。それはどんな広告でしたでしょうか。男性の方、寂しく思わないでください。
「格安にて夫を売ります」の広告を取り消します。犬が欲しい方ばかりで夫が欲しいという方がいなかったため。」
と書かれていました。夫とはこのようなものか。自分も同じだろうか?私の家族はそんなふうに思っていないと信じますが、感謝どころかいつもブツブツ言ってうるさがられ、嫌われるような自分になっていないだろうかと考えてしまいました。

 先週は滝元順牧師より「新しいことが起こる!」というタイトルで素晴らしいメッセージを頂きました。必ず新しいことが起こる。今の現状がどうあろうとも「新しいことが起こる」。「これから素晴らしい祝福が起こる」と語られ、多くのチャレンジを頂きました。私も何か新しいことを起こしていただきたいと願い、御言葉を受け取りました。そして神様に期待を持ちつつ、月曜日の夜の祈祷会に望みました。神様が新しいことを起こしてくださるというのだから「聖書から素晴らしいみことば、私たちが今まで気付いたことのないようなみことばを与えてください」と祈りました。「私は今度の日曜礼拝でメッセージを取り次ぎます。みことばを与えてください。」と祈りました。そして与えられたのがエペソの御言葉です。
『いつでも、すべてのことについて、私たちの主イエス・キリストの名によって父なる神に感謝しなさい。』
また、第一テサロニケ五章十六節から十八節の御言葉でした。
『いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。すべてのことについて感謝しなさい。これがキリスト・イエスにあって、神があなたがたに望んでおられることです。』
新しいことを起こしてくださいと祈って、与えられた御言葉でした。正直何だ感謝しなさいかと思いました。「感謝しなさい」なんて前から知っている。自分に感謝が足りないと言うことは嫌というほど知っていますが、新しいことが起こると聞き、何か自分が驚くような新しい扉が開かれたと期待していたのにと少しがっかりしました。でも違うみことばをしめして頂けないだろうかと願い、祈りましたが、与えられたことは「感謝」ということでした。この教会ではよく「ハレルヤ!」と挨拶しますが、他の教会に行くと、「感謝します」と挨拶しあうところがあります。しかし感謝しますと挨拶したにもかかわらず「大変なことがあって・・・」とか、愚痴になってしまったり、問題をみて「大丈夫かね・・・?」とすぐに心配になり、感謝が消えてしまうのです。しかし今日聖書をもう一度覚えてください。「感謝しなさい。」それも「すべてのことについて」と書かれています。どんなことであっても感謝することを御言葉で学ばなければなりません。そしてその「感謝」がどんな大きな意味を持っているか?どんな祝福を下さるかをもう一度改めて考えていきたいと思います。まず私たちが覚えなければならないことはピリピ人への手紙三章十八節から二十節に、
『というのは、私はしばしばあなたがたに言って来たし、今も涙をもって言うのですが、多くの人々がキリストの十字架の敵として歩んでいるからです。彼らの最後は滅びです。彼らの神は彼らの欲望であり、彼らの栄光は彼ら自身の恥なのです。彼らの思いは地上のことだけです。けれども、私たちの国籍は天にあります。そこから主イエス・キリストが救い主としておいでになるのを、私たちは待ち望んでいます。』
と記されています。「私たちの国籍は天にある」と記されています。私たちはイエス様を信じてバプテスマを受けました。バプテスマを受けたことで、大きな変化、祝福を頂きました。今までは悪魔に支配され、罪の奴隷であり、暗闇の中でもがいていた者が、イエス様が私のために十字架にかかってくださり、葬られ、三日目によみがえってくださった事により、天国に入ることのできる命を頂きました。そんな最高の祝福を頂きながら、知らないうちに最高の祝福から目が離れてしまいます。悪魔の策略にはまってしまいます。。私たちは素晴らしい救いがあり、天国に行けるにも関わらず、毎日の生活の方に目が向いてしまい、悩んでしまったり、怒ったり、罪を責められて暗くなり、落ち込み、悩んでしまいます。そして過去犯した罪によって天国には、入る事ができないと思わせてくるのです。しかしあなたのために命をかけてくださったイエス様のことを、今日しっかりと覚えてください。今日あなたの罪はすべて十字架の血潮によって赦されています。あなたは今ある問題を自分の目の前に置き、その向こう側にイエス様を置いてはいないでしょうか。その人は問題だけしか見えません。しかしイエス様だけを見てください。裁かれなければならなかった私が、イエス様にあって救われたことは、ものすごいことなのです。何物をも帰ることのできない恵みです。あなたにどんな不安や問題があろうと、あなたは全ての罪が赦されいる。あなたのために命までもかけて愛してくださった神様がいる。勝利を頂いている。最高の権威を頂いていることを覚えてください。今日もう一度確認したいと思います。悪魔は攻めてきます。「お前はこんなことをしているではないか。こんな罪をしている。だからお前は駄目だ。お前の祈りは答えられない」と叫んできます。しかし私たちはイエス様を信じる事の故に救われています。そして必ず祈りは答えられます。問題を見ないで、こんな素晴らしい愛を下さったイエスキリストに感謝してください。救いの感謝をし始めるとき、問題も勝利と変えられます。勝利者のイエス様だけが見えるのです。天国には入れると言うことは最高の祝福です。この一ヶ月間にこの教会で礼拝していた方が二人なくなりました。五月三十一日には前羽繁子姉が亡くなられました。また六月十六日には、突然岡本政次兄が亡くなられました。悲しみと寂しさがありますが、再会できるという望みがあります。クリスチャンは永遠の別れではありません。天国に行っているということ、希望があります。死に対して恐れがありません。そのことを今日感謝し始めてください。感謝しきれない程の感謝に満たされます。このイエス様によって救われたことを心から感謝しましょう。その感謝が、今まで悩み、悲しみ、苦しんでいた問題から目が離れ、救いの感謝で心が一杯になります。今までの問題が小さく感じます。こんなに素晴らしいことはありません。しかし悪魔は感謝することを奪い取ってきます。これが霊的戦いです。今日覚えてください。あなたがイエス様によって救われていることを感謝しはじめるとき、悪魔から勝利します。イエスキリストは多くの苦しみを受けてくださいました。あなたのために十字架にかかられたことはどれだけ大きな犠牲があったかを覚えてください。あなたのためにむち打たれ、唾をかけられ、釘を打たれ、いばらの冠をかぶせられて苦しみを受けてくださいました。その十字架はイエス様があなたをさばきから救い、滅びからいのちに変えてくださったのです。「イエス様が私のために傷を受けてくださったことを感謝します」「私のために命をかけてくださったことを感謝します」と神様に十字架の救いを細かく感謝してください。私たちが感謝し始める時、不思議なように今まで、私たちが苦しみ、思い悩んでいた事から勝利できます。そして信仰が生まれてきます。イエス様にお任せしたら大丈夫だと信仰が与えられるのです。今日もう一度イエス様の十字架を感謝してください。今日このメッセージ後に聖餐をいただく時があります。イエス様の血潮と肉をいただきますが、十字架を感謝しましょう。十字架はあなたのためです。感謝しましょう。

 旧約聖書中にヨナという人が出てきます。ヨナは神様からニネベに行くように言われました。しかし彼は、神様の声に逆らってタルシシュ行きの船に乗り込みました。船底で寝込んでいる時、海は大嵐になりました。その船に乗っている人達はだれのせいでこのわざわいが降りかかったのかを知ろうと、くじを引くこととなりました。そのくじはヨナに当たったのです。他の乗組員は「だれのせいで、このわざわいが私たちに降りかかったのか、告げてくれ。あなたの仕事は何か。あなたはどこから来たのか。あなたの国はどこか。いったいどこの民か。」と質問しました。ヨナは「私はヘブル人で海と陸を造られた天の神、主を礼拝しています。」と答えました。それで人々は非常に恐れて、「何でそんなことをしたのか。」彼が主の御顔を避けてのがれようとしていることを知っていたのです。神様がニネベに行けというのに行きたくなくてこの船に乗ってしまった。だから私は神様に背いたので、自分から海に投げ込んでくださいと頼みました。私を捕えて、海に投げ込みなさい。そうすれば、海はあなたがたのために静かになるでしょう。この激しい暴風は、私のためにあなたがたを襲ったのです。といいました。しかし彼らは一生懸命陸地に戻そうとしますがだめでした。海がますます、彼らに向かって荒れたのです。そこで彼らは主に「ああ、主よ。どうか、この男のいのちのために、私たちを滅ぼさないでください。罪のない者の血を私たちに報いないでください。主よ。あなたはみこころにかなったことをなさるからです。」と祈り、ヨナを海に投げ込みました。するとなんと海は激しい怒りをやめて静かになったのです。しかし主は大きな魚を備えて、ヨナをのみこませました。ヨナは三日三晩、魚の腹の中にいたのです。そしてヨナ書の二章一節から十節には、ヨナが神さまに祈っています。
『ヨナは魚の腹の中から、彼の神、主に祈って、言った。「私が苦しみの中から主にお願いすると、主は答えてくださいました。私がよみの腹の中から叫ぶと、あなたは私の声を聞いてくださいました。あなたは私を海の真中の深みに投げ込まれました。潮の流れが私を囲み、あなたの波と大波がみな、私の上を越えて行きました。私は言った。『私はあなたの目の前から追われました。しかし、もう一度、私はあなたの聖なる宮を仰ぎ見たいのです。』と。水は、私ののどを絞めつけ、深淵は私を取り囲み、海草は私の頭にからみつきました。私は山々の根元まで下り、地のかんぬきが、いつまでも私の上にありました。しかし、私の神、主よ。あなたは私のいのちを穴から引き上げてくださいました。私のたましいが私のうちに衰え果てたとき、私は主を思い出しました。私の祈りはあなたに、あなたの聖なる宮に届きました。むなしい偶像に心を留める者は、自分への恵みを捨てます。しかし、私は、感謝の声をあげて、あなたにいけにえをささげ、私の誓いを果たしましょう。救いは主のものです。」主は、魚に命じ、ヨナを陸地に吐き出させた。』
と記されています。ヨナのために魚を備えました。そこでヨナは悔い改めの祈りをしています。特別ヨナの最後の祈りに注目してください。九節に、
『しかし、私は、感謝の声をあげて、あなたにいけにえをささげ、私の誓いを果たしましょう。救いは主のものです。』
と記されています。ヨナは最後に「私は感謝の声を上げて」と書かれています。ヨナは神様に感謝しているのです。神様を裏切ってしまい、彼は苦しんだと思います。そして大魚を備えてくださり、最後にヨナは感謝をしました。すると感謝の声を上げた時に神はヨナを陸地に戻されたと書かれています。

神さまを背いてしまったヨナが感謝した、神様がもう一度チャンスを下さいました。祝福を与えてくださいました。私たちも同じように神様から素晴らしい祝福をいただきながら、神に背いてしまう時があります。そんな時悪魔は私たちを狙ってきます。暗い気持ちにさせ、神さまは赦してくださらない、おまえはもう駄目だと思わせてきます。しかしヨナが感謝の声を上げたときに、神様はもう一度ヨナに新しい道を与えられました。ヨナは堂々と敵の地ニネベに行き、大胆に「間もなくすると滅ぼされる」と警告のメッセージを語りました。その結果ニネベの町に大きなリバイバルが起こされました。今日、どんなに霊的に苦しんでおり、束縛があり、自分はだめだという状況の中にあっても、感謝し始めてください。霊的戦いの勝利の秘訣は感謝することです。どんなことでも感謝し始めてください。

 また第二歴代誌二十章にヨシャパテ王について書かれています。ヨシャパテは神に選ばれた王でしたが、二十章一節から六節に、
『この後、モアブ人とアモン人、および彼らに合流したアモン人の一部が、ヨシャパテと戦おうとして攻めて来た。そこで、人々は来て、ヨシャパテに告げて言った。「海の向こうのアラムからおびただしい大軍があなたに向かって攻めて来ました。早くも、彼らはハツァツォン・タマル、すなわちエン・ゲディに来ています。」ヨシャパテは恐れて、ただひたすら主に求め、ユダ全国に断食を布告した。ユダの人々は集まって来て、主の助けを求めた。すなわち、ユダのすべての町々から人々が出て来て、主を求めた。ヨシャパテは、主の宮にある新しい庭の前で、ユダとエルサレムの集団の中に立って言った。「私たちの父祖の神、主よ。あなたは天におられる神であり、また、あなたはすべての異邦の王国を支配なさる方ではありませんか。あなたの御手には力があり、勢いがあります。だれも、あなたと対抗してもちこたえうる者はありません。』
と記されています。ヨシャパテは大群が押し寄せてきたとき、三節に「ヨシャパテは恐れて、ただひたすら主を求め、ユダ全国に断食を布告した」というのです。彼は恐れたのです。また人々に頼んでひたすら主に求め、ユダ全国に断食を布告し、祈りを要請しました。ここを読んで、ヨシャパテも自分と同じだと安心しました。自分も問題があるとどうしようと心の中に騒ぎます。そして恐れて、家族などに「こんなことがあったから一緒に祈って・・・」と必死になって頼みます。ヨシャパテも同じでした。そのような中でヨシャパテは神様から言われました。二十一節に、
『それから、彼は民と相談し、主に向かって歌う者たち、聖なる飾り物を着けて賛美する者たちを任命した。彼らが武装した者の前に出て行って、こう歌うためであった。「主に感謝せよ。その恵みはとこしえまで。」』
と記されています。ヨシャパテは恐れました。しかしそんな中で教えられたことは、歌を歌う者を先頭に進ませ、「主に感謝せよ。その恵みはとこしえまで」と感謝の賛美をささげさせました。その時にどうなったのでしょうか。二十二節から二十四節に、
『彼らが喜びの声、賛美の声をあげ始めたとき、主は伏兵を設けて、ユダに攻めて来たアモン人、モアブ人、セイル山の人々を襲わせたので、彼らは打ち負かされた。アモン人とモアブ人はセイル山の住民に立ち向かい、これを聖絶し、根絶やしにしたが、セイルの住民を全滅させると、互いに力を出して滅ぼし合った。ユダが荒野に面した物見の塔に上ってその大軍のほうを見渡すと、なんと、死体が野にころがっている。のがれた者はひとりもない』
と記されています。なんと感謝の賛美しただけで敵は皆死んでしまったのです。感謝の賛美する時、霊的戦いが起こりはじめ、敵を全滅させる事ができるのです。霊的戦いの勝利の秘訣は、「感謝する」ことです。

 私は十六年ほど前に原因のわからない病気になりました。あばら骨のあたりが痛くて苦しみ、東京の病院に一ケ月間入院しました。激しい痛みが常にあり、飲み薬だけでは痛みが治まらず、座薬の鎮痛剤で痛みを常に押さえていました。その薬は四時間以上間隔をあけるように指導を受けていましたが、苦しくて、それ以前でも使った事もありました。体が痛むと同時に、心も痛んでいました。どうしてこんなことが起こったのだろうか?自分に罪があるのだろうかなど、自分で自分を攻めていました。いや自分と言うより悪魔の声を聞いていたのです。その当時すでに教会で働かさせて頂いていました。しかしいやし主だと語りながら、自分がこんな大病していたら、何と証しにもならない。イエス様は勝利と癒しを私に下さらなかった。と暗闇と病いに押しつぶされそうでした。しかし私もみことばから「感謝しなさい」というみことばで励まされました。いつものように薬を握りしめながらでしたが、「すべてに感謝しなさい」というみことばを実行しました。激しい痛みを感じながら、「痛みがある事を感謝します。」と無理矢理祈ってみました。痛みが感じられる事ことが感謝と祈ったのです。すると一人の人を思い出しました。この教会に下半身不随の方がいらっしゃいました。その方がある時下半身にやけどされたのですが、何も痛みを感じず、ひどい水泡になってしまい、大変苦労されていたのです。その事を思い出した時、それから比べたら私は痛みを感じる事ができる事は感謝だと思いました。無理矢理に感謝しました。その後も看護婦さん、医者、見舞いに来てくれる方々がいる事の感謝。など普段あまり気がつかない事までも感謝しました。入院時で時間があるので外を見ては緑がある事を感謝します。目が見える事。食べれる事、寝れる事、自分でトイレに行ける事などなど、小さなことまでも見つけて感謝しました。最後は聖書を開くときに、指紋がなければめくる事ができない。指紋がある事を感謝しますとありとあらゆる事を感謝しました。感謝し始める前は、暗い事ばかり考えていました。しかし感謝を始めた時から、ものすごい変化を体験しました。まず感謝し始めた時、心が明るくなったのです。神様が生きている事を信じる事ができました。またもっと驚いた事は、先ほども言いましたように、激痛が体にあり、座薬が四時間も持たずに、三時間ほどで再度座薬を入れなければならないほどでしたが、その日感謝を薬を握りしめながら感謝し始めた時、一日座薬をうたなくても済んでしまったのです。一度自分が不安になり、座薬を使いましたが、感謝を始めたとたんいらなくなりました。痛みが来ないのです。感謝はこんな力があるのだと初めて体験しました。あなたも大きな問題で、現在大変な状況かも知れませんが、感謝し始めて下さい。無理矢理にかも知れませんが、感謝し始めて下さい。今日は御言葉の剣を抜いて「すべてのことについて感謝しなさい」という御言葉を実行して下さい。感謝し始めてください。感謝する時悪魔の束縛から解放されます。

 昨日マルイチに買い物に行きました。そこで若い女性がバイトで、レジ係をしていました。計算してもらっている時ふと彼女の手を見ると、手の甲に大きく「シュークリーム」とマジックで書いてありました。思わずシュークリームが今日は安いのかと近くにあったマルイチの広告を見てしまいました。おそらく彼女にとっては意味があり、必ず覚えておくということで書いたと思います。私たちも時々忘れがちなので、忘れないように手に書いたりします。今日あなたも感謝を始めて下さい。すぐ忘れてしまう人は手に感謝と書いても良いですし、携帯電話をお持ちの方は、待ち受け画面に「感謝」と貼って、いつでも感謝できる状況を作っていきましょう。どんな事でも、いつも感謝する。これが霊的戦いの勝利の秘訣の一つです。最悪の状況にあっても主に感謝しましょう。「すべての事について感謝しなさい。」という御言葉の剣を今日しっかり握りましょう。悪魔は面と向かって戦いには来ません。悪魔はまず、問題の旗を持って振ります。「お前、こんな問題があるぞ。こんな健康状態で良いのか等々・・・」訴えてきます。私たちは操り人形のように、悪魔にそれこっちだ、それあっちだと振り回されてしまいます。神様が私たちに与えて下さっている、貴重な二十四時間を、悪魔の攻撃にあって、悩みきって信仰が低空飛行するのではなく、感謝を持って勝利していきましょう。様々なことを感謝しましょう。感謝するときに神様を見る事ができます。私たちが神様を見上げる事ができたら勝利することができます。今日すべてのことについて感謝していきましょう。今日の昼食時にでも、お友達とともに、どんな感謝があるか分かち合ってみてください。神は大きな扉を開いてくださり、新しいことを起こしてくださいます。私たちが見たこと、聞いたことも思いに浮かんだこともないような祝福を私たちに備えてくださることを覚えましょう。感謝は勝利の秘訣です。お祈りします。


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