イエスキリスト以外に救いはない!

2003.9.14(SUN)
新城教会 滝元 順牧師

新約聖書 使徒の働き4章12節
この方以外には、だれによっても救いはありません。世界中でこの御名のほかには、私たちが救われるべき名としては、どのような名も、人間に与えられていないからです。

 ハレルヤ!今日、皆さんと共に礼拝を守ることができ、感謝します。いよいよ今週は名古屋リバイバルミッションが開かれる週となりました。私は、今回の名古屋リバイバルミッションに期待しています。なぜならば、私は、一九九二年の七月に、名古屋の空にはっきりと輝く十字架を見たからです。このことが最近、私の心によみがえり、きっと、このミッションを通して、神の不思議としるしが現されると信じています。皆様もぜひ期待して、お出かけください。朝から夜まで色々な集会がありますので、お友だちをお誘い合わせの上、お越しください。
 今回はロン・ブラウンさんとと共に、本場のゴスペルクワイヤーが来てくださいます。彼らは全米のコンテストで優勝したほどの実力チームです。五月に新城のゴスペル・クワイヤーと共にアメリカに行き、お交わりをしました。その時にコンサートがあり、その模様をライブレコーディングしていたようで、CDを作ったそうです。今日から発売されますので、お買い求め下さい。
 さて、今日は、「名古屋リバイバルミッション」のテーマの御言葉である、使徒の働き四章十二節から学びます。
『この方以外には、だれによっても救いはありません。世界中でこの御名のほかには、私たちが救われるべき名としては、どのような名も、人間に与えられていないからです。』
「この方」はとは「イエス・キリスト」です。ある人は「イエス様以外に救いはないの?そんな排他的な・・・」と言われるかも知れません。しかし、私は、これを自信に満ちた言葉として受け止めています。日本には八百万の神々がありますが、それらには救いはありません。イエス様はあなたを救うことのできる、唯一の神であり、天地宇宙を造られた唯一のお方です。
『この方以外には、だれによっても救いはありません。世界中でこの御名のほかには、私たちが救われるべき名としては、どのような名も、人間に与えられていないからです。』
 この言葉をよく読むと「名前」というキーワードがあります。イエス様の「名前」以外には救われる名はないのです。
 人間には「名前」が付いており、名前は実体を表し、名前には力があります。皆さんのお名前には、どのような力がありますか。ある家庭では、子どもを静かにさせるのに「お父さんの名」を使います。「お父さんに、言うよ」と言うのです。しかしその力は限られた家族の中だけのことです。
 数年前にイラン人の男性がクリスチャンになりました。その方がブラジル人の女性と結婚し、子どもができ、奥さんの都合でブラジルに帰る事になりました。
 彼はイスラム教徒でしたが、イエス様を信じてクリスチャンになりました。日本で仏教徒がクリスチャンになっても、何のおとがめもありません。しかしイランでは、イスラム法により、他宗教に回心したならば殺されてしまうのです。彼のバプテスマは忘れることができません。彼はイスラム教典「コーラン」を持ってきて、皆の前で焼き捨てました。そんなことをしたら死刑は免れません。
 彼は日本政府にブラジルへ出国を申請しましたが、不法滞在なのでイランに強制送還だと言われました。強制送還されて自分がクリスチャンであることがわかったら、死刑になってしまいます。彼は絶対絶命です。奥さんが身重と言うこともあって、「今度、出頭したときに強制送還の手続きをする」という事でした。それを聞いて、私は入国管理事務所長宛に手紙を書きました。
 「この人は、新城教会でイエス様を信じてクリスチャンになりました。イランに帰ると元イスラム教徒なので、殺されてしまうので強制送還しないでください。奥さんと一緒にブラジルに送ってください。」そして、最後に権威ある名前のサイン、「滝元順」と書きました。彼はその書類を持っていきました。しかし、「滝元順という名前は知らない」と言われ、効果はありませんでした。
 彼が入国管理事務所に出向く前に、私たちは心を合わせて祈りました。「あなたの名前はすべてに優る名前です。パスポートと書類の上に、あなたの名前をおきますから、奇跡を現してください」と祈りました。
 すると、私の書類だけでは駄目でしたが、そのとき奇跡が起こりました。入国管理事務所の待合室のテレビでは、ちょうどニュースが流れていました。それは、イランに関するニュースでした。それは、「最近イランで、クリスチャンが大勢処刑されている」というニュースでした。係官は私が書いた手紙を読みながら、ニュースを見たのです。それを見た入国管理官は、奥に入って話し合いをしたようです。しばらくすると、新たなる書類が手渡されました。
 「あなたを第三国、ブラジルに出国することを許可する」という書類で、法務大臣の印鑑が押されていました。彼は手錠をかけられることもなく、日本からブラジルに無事に出国していきました。今年、ブラジルに行ったときに際、私は彼と電話で話しました。彼はブラジルの永住権を取得して、現在、幸せにやっています。私の名前では駄目でしたが、イエス様の名前を置いたときに政府が動かされ、法務大臣の名前が書類に置かれました。それにより、彼は安全に国から出ることができ、ブラジルにも入国できました。
 私たち人類が救われるためにも、必要な名前があります。それが「イエス」という名前です。皆さんがイエスという名前をつかんだならば、その名前を使えば良いのです。それは、すべての権威の上にある名前ですから、困ったときには「イエス様!」と叫べば良いのです。
 キリスト教は難しいように思いますが、難しくはありません。日頃、日本人も祈りのために色々な名前を使っています。仏教の神々の名や、神話上の神々の名前を呼んで祈っています。しかしそれらを使うのをやめて、イエス様の名前でお祈りすれば良いのです。
 神は人類に、ただ一つの名前を与えてくださいました。使徒四章十二節です。
『この方以外には、だれによっても救いはありません。世界中でこの御名のほかには、私たちが救われるべき名としては、どのような名も、人間に与えられていないからです。』
 救われるためには、イエス様の名前を呼ばなければなりません。ローマ人への手紙十章九節から十三節に、
『なぜなら、もしあなたの口でイエスを主と告白し、あなたの心で神はイエスを死者の中からよみがえらせてくださったと信じるなら、あなたは救われるからです。』
 イエス様は神様でしたが、人間となってくださいました。十字架にかかって死なれましたが、神であったのでよみがえられました。ですから、イエス様は今も生きておられる神様だ、と信じたらあなたは救われるのです。
『人は心に信じて義と認められ、口で告白して救われるのです。』
口の告白は大切です。「イエス様は主です」と告白することが大切です。
 「信じる」という度合いを計るのは難しいことです。どこまでのレベルまで達したら、信じたことになるのでしょうか。「私は信じているような、信じていないような・・」と言うかもしれません。しかし、救いは「告白」から始まります。「告白はあなたを救う鍵」です。「イエス様は主です」と告白してください。イエス様の名前が心に置かれるとき、あなたは救われます。
 そして、一人が「イエスは主です」と告白することは大きなことです。使徒の働き十六章三十節に、
『そして、ふたりを外に連れ出して「先生がた。救われるためには、何をしなければなりませんか。」と言った。』
 一人の人物が、このように、弟子たちに聞きました。すると、
『ふたりは、「主イエスを信じなさい。そうすれば、あなたもあなたの家族も救われます。」と言った。』
 救いは、個人というよりも家族単位の救いです。聖書を見ると、神は家族を特別に愛されています。家族の中で、「この人だけを救おう、あとは滅びてもよい」というのではありません。一人がイエス・キリストを信じると、「あなたもあなたの家族も救われる」というのです。
 この言葉は、看守に対する言葉でした。その時、看守だけではなく、家族も救われました。「私はただ一人のクリスチャンです」と言われる方がおられるかも知れませんが、心配しないでください。神はあなたの家族に目を留めています。
 旧約聖書にノアという人物が出てきます。彼は神を信じ、正しい生活をしていました。大洪水が起こりましたが、ノアだけではなく、彼の八人の家族が救われました。
 また、ソドムとゴモラという町が、罪により滅ぼされたことが記されていますが、ロトという人物が神を信じていたので、家族と親族に救いの手が差し伸べられました。神はあなたの家族に目を留めておられます。
 
 さて、この「救い」とは何でしょうか。救いの中身を表している言葉があります。それがマルコの福音書十六章十五節から十八節です。
『それから、イエスは彼らにこう言われた。「全世界に出て行き、すべての造られた者に、福音を宣べ伝えなさい。信じてバプテスマを受ける者は、救われます。しかし、信じない者は罪に定められます。信じる人々には次のようなしるしが伴います。すなわち、わたしの名によって悪霊を追い出し、新しいことばを語り、蛇をもつかみ、たとい毒を飲んでも決して害を受けず、また、病人に手を置けば病人はいやされます。」』
これは救いの中身です。
『信じる人々には次のようなしるしが伴います。すなわち、わたしの名によって悪霊を追い出し、新しいことばを語り、蛇をもつかみ、たとい毒を飲んでも決して害を受けず、また、病人に手を置けば病人はいやされます。」
「わたしの名」とは「イエス様の名」です。まず第一に「救い」とは何でしょうか。「イエス様の名によって、悪霊を追い出す」と書かれています。
 救われるとは、「暗闇から光に、サタンの支配から神の支配に変えられる」ことです。使徒の働き二十六章十七節から十八節に、
『わたしは、この民と異邦人との中からあなたを救い出し、彼らのところに遣わす。それは彼らの目を開いて、暗やみから光に、サタンの支配から神に立ち返らせ、わたしを信じる信仰によって、彼らに罪の赦しを得させ、聖なるものとされた人々の中にあって御国を受け継がせるためである。』
 私たちがイエス様の名前を信じると、暗闇から光にサタンの支配下から、神の支配に移されるのです。イエス様を信じていないときには、悪魔の支配下にあるのです。この世は悪魔の支配下にあります。時々、神がいるのになぜこんなに不幸があるのか、と言われます。それは、この世の中が悪魔の支配下にあるからです。だから幸せな人はあまり多くいないのです。幸せな時期が続けば続くほど、心配になります。「何が起こるのだろうか・・」と不安になります。なぜ、そんなに不幸が続くのかというと、見えない敵がいるからです。悪魔の支配があるからです。生まれながらの人間は、悪魔の支配下であるがゆえに、常に不幸があります。世の中に多くの不幸や問題がありますが、これは悪魔の支配の証拠です。人間は、常に回復のために働きます。しかし結果は、どんどん悪くなります。それは、悪魔の支配があるからです。イエス様を信じるとき、支配権が変えられるのです。
 今、イエス様を信じている方は、悪魔の支配ではなく、神の支配下にあります。私たちが住んでいるこの地上は、悪魔の支配下なので色々なことがあるかも知れませんが、あなたは恐れることはありません。
 日本には、日本の支配があります。支配があるとはどういう意味でしょうか。イラクで戦争があったときに、日本政府は中東で働いている日本人を救出する対策を講じました。戦況が悪くなったら、政府は専用機や自衛隊機を飛ばして日本人を救出する準備をしました。
 同様に神は、この世の中がどんなに悪くなっても、イエスの名前の付いた人に関心を払ってくださり、何かあったときには神の軍隊を遣わして、助け出してくださるのです。
 しかし、ある方は「私は本当に悪魔の支配下から、神の支配に移ったのですか。そんなことは信じられない。実感がない」と言われます。
 実は、私は、クリスチャンになっても、あまり変化がありませんでした。なぜなら、生まれて気がつくと教会にいたからです。私の友人たちに、ミッション・バラバの人たちがいますが、彼らはイエス様によって劇的に変えられた人たちです。しかし、実感が伴っても、伴わなくても、イエス様の名前を信じたら、あなたは神の支配に移されてます。
 先日この教会に来られている、大城さんが私の所に来て、「先生。私は日本人になりました。」と言うのです。彼は日系人でしたが、帰化の手続きをしたのです。「良かったですね」と言いながら、彼の顔を見て、「日本人になった途端、顔色も変わった。日本語もうまくなった・・・」ということは全くありませんでした。顔つきは前と変わりません。しかし、彼が日本人になったのを発見したときがありました。
 私は今年の三月に、彼と共にブラジルに行きました。出国の時、日本人が入るゲートと、外国人が入るゲートが違います。彼は、私と同じ赤いパスポートを持ち、私と同じゲートに行きました。その時、「国籍が変わりました」と言う意味がよくわかりました。
 イエス・キリストを信じて、暗闇の支配下から神の支配下に変えられたことについて、ある方はあまり実感がないかも知れません。しかし、あなたがはっきりと、それを認識するときがあります。それは、あなたが人生を終え、この世界から出るときです。そのとき、ゲートが違うのです。イエス様を信じていたら、永遠のいのちが与えられ、天国に入国できます。しかし悪魔の支配下ならば、悪魔が支配している国に行かなくてはなりません。
 神の支配ならば神の国に、悪魔の支配下ならば悪魔の国に行かなければなりません。イエス・キリストを信じるとは、「永遠の救い」です。今日あなたの人生のパスポートには、「イエス」というサインがあります。「この人は、神の国の支配下です。イエス・キリスト」とサインがあります。
 先週、最近、教会に来られているSさんのお父さんが亡くなられ、葬式がありました。お父さんは、亡くなられる寸前に、イエス様を信じて天国に行かれました。イエス様を信じていなかったならば、どうにもなりません。出国ゲートでパスポートを忘れていたら、どうにもなりません。私たちも生きている間に、イエス様を信じなければならないのです。なぜならば、救いは暗闇から光に、サタンの支配から神の支配に移されることだからです。今日はイエス様を信じてください。それは「イエス様は主である」と告白することです。
 第二に、「新しい言葉を語る」と書かれています。聖霊が注がれたときに、「聖霊によって新しい言葉を語った」と記録されています。しかしこれはただ、新しい言葉を語るということだけではありません。ペンテコステの時に、聖霊が注がれなければならなかった理由は、元をたどれば、アダムとエバにあります。しかし神は、神の霊を失った人類をすべて滅ぼし、もう一度仕切なおして始めています。それがノアの洪水です。八人以外は滅ぼし、そこからもう一度人類を始めました。
 その後、人類が神とともに順調に歩んでいくように見えましたが、再び道を誤りました。創世記十一章四節から七節に、
『そのうちに彼らは言うようになった。「さあ、われわれは町を建て、頂が天に届く塔を建て、名をあげよう。われわれが全地に散らされるといけないから。」そのとき主は人間の建てた町と塔をご覧になるために降りて来られた。主は仰せになった。「彼らがみな、一つの民、一つのことばで、このようなことをし始めたのなら、今や彼らがしようと思うことで、とどめられることはない。さあ、降りて行って、そこでの彼らのことばを混乱させ、彼らが互いにことばが通じないようにしよう。」』
と記されています。
 人間が不幸になった最大の原因は「偶像礼拝」にあります。人間が自分で作った神々を拝んだことでした。イスラエルの歴史の不幸の原因に、偶像礼拝があります。しかし、根底に、偶像礼拝に至らせる考え方がありました。「町を建てて、塔を建てた」とあります。これは「神の霊を呼ぶ」塔でした。本当の神の霊を呼ぶのではなく、自己実現のために悪霊を呼ぶ、ということでした。
 現代社会の霊的問題は、専門用語で言うと「シャーマニズム」です。偶像礼拝のない国々でも「シャーマニズム」は必ずあります。自分の願いの実現のためには、どんな存在でも良いから力を借りて、願いを達成させるという自己本位の考え方です。その結果として、神は人々の言葉を通じなくし、遠くに追いやり、散らされたのです。その原点に、人間が自己実現のために悪霊を呼び、自分の側につけて願いを実現させる手法であるオカルト行為、「シャーマニズム/降霊術」がありました。その行為に対して、神は怒られたのです。その結果、互いに言葉が通じなくなり、人々は遠くに追いやられました。
 ペンテコステに起こったことは、弟子たちが屋上の間でで祈っていると「聖霊」が注がれたことです。その時、弟子達は、普段では語れないような外国語を語りました。そんなことが起こったので、エルサレムにいた多くの国々の人が集まってきました。今までエルサレムにいても、言葉の通じない人たちが、自分の国の言葉で福音を聞きました。今まで、意志が通じなかった人たちと、神の霊・聖霊によって意志の疎通が行われました。
 「新しい言葉を語る」とは、どのような意味が込められているのでしょうか。イエス様を信じていないときには、悪霊に支配されているのでお互いに、言葉が通じなくなっています。夫婦間で言葉が通じません。奥さんがご主人に対して話す言葉が通じないのです。ご主人が、奥さんに対して話す言葉が通じません。親子でも、会話が通じず、親族でも会話が通じません。まして、よその国には全く通じません。関係が遠くに追いやられています。これはシャーマニズム、降霊術に原因があります。占いは降霊術なので、悪霊が降ります。結果、言葉が通じなくなり、関係が遠くなります。
 もしも、家族の中で言葉が通じない、関係が遠いと言われる方は、オカルト的な原因があります。そもそも、日本の仏教も神道も、根源に降霊術があります。先祖の霊を呼ぶという、神話上の神々の霊を呼ぶという、降霊術があります。結局、自分の身に起こることは、言葉が通じない、関係が遠くなるということです。
 しかしイエス様を信じると、聖霊様が遣わされて、今までコミュニケーションができなかった人たちと、言葉が通じるようになり、意志の疎通ができるようになるのです。これが「救い」です。
 イエス様を信じるならば、新しい言葉が与えられ、関係の遠い人たちと関係が回復され、一つにされます。それは聖霊の力によります。ヨハネ十四章二十六節に、
『しかし、助け主、すなわち、父がわたしの名によってお遣わしになる聖霊は、あなたがたにすべてのことを教え、また、わたしがあなたがたに話したすべてのことを思い起こさせてくださいます。』
と記されています。父が「わたしの名によって」お遣わしになる「聖霊」とありますが、イエス様の名によって、聖霊が遣わされ、新しい言葉が語られるのです。これが救いです。
 第三に「蛇をもつかみ出す」と書かれています。
 イエス様を信じるならば、「わたしの名によって悪霊を追い出し、新しいことばを語り、蛇をもつかみ、たとい毒を飲んでも決して害を受けず、また、病人に手を置けば病人はいやされます。」と書かれています。
 先週は、「名古屋リバイバルミッション」「」のために、全国規模でとりなしの祈りをしました。特に、降霊術で日本を覆っている暗闇の力を打ち破る祈りをしました。一つのチームは沖縄に行きました。沖縄の最先端に辺戸岬があります。そこにある岩山で、降霊術がさかんに行われています。ユタやノロという人たちが、そこから本土にむけて霊を送るという所です。そこに行き、日本を覆う、暗闇の力が砕かれるようにと祈りました。そこは険しい斜面で、斜面に沿って設置されている鎖につかまらないと登れないところです。
 沖縄にはハブという毒蛇がいます。私は、とりなしの祈りのスタッフに、「そこには、ハブがいるかも知れないが、日本のリバイバルのために登ってくれないか?」と頼みました。すると彼らは、毒蛇の恐怖にもめげずに、その場に登り、降霊術の呪いが打ち破られるようにと祈ってきました。「蛇をつかむ」とは、そのような意味もあるかも知れません。しかし、それ以上に、ヘビとは悪魔に対することです。
 人間には、悪魔が蛇のように巻き付き、人生を締め付けています。蛇は巻きついて締め付けます。しかしイエス様を信じると、そのような締め付けから解放されます。人間には「霊・肉・魂」という領域があります。日本人は霊感が強くて、霊的に苦しめられています。
 また「魂」すなわち、心が締め付けられている人もいます。朝起きてから、「一日中落ち込んでいて心が重いです」と言われ人がいます。
 神は決して、あなたの心を重くは造られていません。もしもそのようなことがあったら、蛇の束縛があるかも知れません。悪魔が、あなたの心を縛り付けています。そこから解放してくださいます。
 またある方は、肉体を締め付けられているかも知れません。それも解かれます。新城教会に来られると、まず、霊・肉・魂の領域から蛇をつかみ出す祈りをします。それが「解放の祈り」です。すると自由にされます。「救い」とは、あなたを解放し、自由にすることです。
 第四に「毒を飲んでも決して害を受けず」と書かれています。この世の中は毒だらけです。クリスチャンも少し油断すると罪を犯してしまうし、何が良いのかわからない時代ですが、毒を飲んでも決して害を受けずということは、あなたに判断力を与えるということをも含んでいます。何が毒なのかを見分けることができ、また、毒を飲んでも害を受けないと書かれています。
 また最後に「病人に手を置けば病人は癒される」と書かれています。
病の癒しは、神のみこころです。神は人間が苦しんでいるのを見て喜ばれません。神は人の癒しを望んでおられます。その証拠に、人間に「自然治癒力」を与えられました。傷口が自然に治ろうとしているのは、神が人に癒しを与えられている証拠です。
 また、「医学による癒し」の領域があります。自然治威力だけでは対応できない領域に、医学が用いられます。神が人に知恵を与え、自然治癒力を高めて直るようにされています。これは、神が人間を癒すために与えられた知恵です。
 それと共に、「超自然的な癒し」も用意されています。その証拠に、自然治癒力があり、医学による癒しもあるのです。そして、神の直接介入による、「超自然的な癒し」があります。神にとって不可能なことはないので、超自然的な癒しを受け取ることができます。
 私は昨日、「名古屋勇士祈祷会」に行きました。一人のご婦人が来られました。その方は今年の初めに、ご主人をガンで亡されました。そしてその三ヶ月後、自分もガンであることを知りました。すでに、手の施しようのないほど広がっていて、見る見る悪くなりました。「名古屋リバイバルミッション」の打ち合わせの時に、彼女は息子さんに抱えられながら来られました。げっそり痩せて、体中にガンが廻っていると言われました。そのとき私は、「もしも、私が彼女のために祈るのが御心でしたら、祈らせてください。」と主に祈っていました。
 すると最後に、その方が私のところに来て、「体が辛いので帰ります。」と言って来られました。その時、主が祈りのチャンスを下さったと確信し、短く癒しを祈りをしました。
 それから、どうなったのかと心配していると、昨日の勇士祈祷会に来られました。大変顔色もよく、太って元気になって自分で歩いて来たのです。息子が、「お母さんのガンが減って、元気になりました」というのです。昨日の集会でも、聖霊様が強く触れているのを見ました。友だちと抱き合って喜んで泣いていました。主が、超自然的な癒しを始められたのを見て嬉しかったです。どこに持っていっても望みがないときに、神が超自然的な癒しを与えてくださいます。
 特に聖書の救いは、「癒し」と深いつながりがあります。イエス様を信じたら、天国に行けるというのが救いですが、癒しも大きなテーマです。あなたがイエス様を信じるならば、病人に手を置けば病人は癒されると約束されています。癒しが必要な方は、イエス様に超自然的な癒しをいただき、元気になって神のために用いていただきましょう。自己実現のためではなく、神の御心が現れるよう、求めて人生を送りたいです。
 今日あなたの上に救いがあります。イエス様の名による救いは、悪霊を追い出し、新しい言葉を語り、蛇をもつかみ、たとえ毒を飲んでも害を受けず、病人に手を置けば病人は癒されます。これが「救い」です。救いは、「イエス」という名前によって、あなたにもたらされるのです。
 すべての人が救いを受け取って幸せに生きることが神の願いであり、教会の願いでもあります。お祈りします。


[バックナンバー]