キャッチ・ザ・タイム!
・・・時をつかめ!・・・

2003.9.28(SUN)
新城教会 滝元 順牧師

新約聖書 ルカの福音書17章20節〜24節
さて、神の国はいつ来るのか、とパリサイ人たちに尋ねられたとき、イエスは答えて言われた。「神の国は、人の目で認められるようにして来るものではありません。『そら、ここにある。』とか、『あそこにある。』とか言えるようなものではありません。いいですか。神の国は、あなたがたのただ中にあるのです。」イエスは弟子たちに言われた。「人の子の日を一日でも見たいと願っても、見られない時が来ます。人々が『こちらだ。』とか、『あちらだ。』とか言っても行ってはなりません。あとを追いかけてはなりません。いなずまが、ひらめいて、天の端から天の端へと輝くように、人の子は、人の子の日には、ちょうどそのようであるからです。

 ハレルヤ!おはようございます。先週は、「名古屋リバイバルミッション」のためにお祈りいただき、また、ご参加いただき、素晴らしい集会を持つことができて心から感謝しています。都合で集会に出ることができなかった方も、おられるとは思いますが、多くの方が集められ、すばらしいリバイバル集会となりました。イエス様にすべての栄光をお返しします。
 今回のリバイバルミッションにおいて、主が栄光を現してくださったいくつかの証拠があります。今までのリバイバルミッションにない、素晴らしいことがありました。それは、開催前にすべての費用が満たされていたことです。経済界には悪魔の最も強い束縛があります。経済的祝福は、その束縛に勝利した証拠であると信じます。
 また台風15号が名古屋に向かって来ていました。あわや、直撃かと思いましたが、南の方にそれました。「波や風を征するとは、この人は誰か」とイエス様の弟子たちが言いましたが、自然界が支配されたことは大きなしるしです。
 そして、多くの人が集められ、救われる魂が日々加えられたことを心から感謝しています。
 今回の名古屋ミッションには、遠くからも応援に駆けつけてくださいました。今日は、二人の方を紹介したいと思います。わざわざ、名古屋ミッションのために、遠く、プエルトリコから来てくださいました。プエルトリコの教会で名古屋ミッションの話が出て、そこから遣わされてきました。ラファエルさんとエリータさんです。プエルトリコはカリブ海上にあります。彼は日本語ができます。
<ラファエルさんの挨拶> 
 日本で人々の前に立って挨拶するのは初めてです。ドキドキしています。礼拝はどの言葉で行われなければならないということはありません。神様は、言葉や文化を超越されているからです。私たちは、名古屋リバイバルミッションに行きました。ミッションは大成功だと思いました。プエルトリコの教会は、この教会のように、霊的戦いを確信していますので、一週間リバイバルミッションのために、断食して祈っていました。だから私たちの教会に、この大成功を伝えることを楽しみにしています。
 色々な方々が日本で親切にしてくださり感謝します。皆様に神様の恵みがありますように。今度は順先生がプエルトリコに来てくださることを、神様にお祈りしています。 世界中で祈られ、支えられ、素晴らしい集会が持たれたことを感謝します。神の御心の中でミッションが行われたと信じています。
 今日は「キャッチ・ザ・タイム」というタイトルで御言葉を学びますが、神の時をつかむことは人生にとって、とても大切です。
 ルカの福音書十七章二十節には、「神の国はいつ来るのか」という問いに関する答えが記されています。この記述は、「終末」という観点で語られていますが、神の国の到来は、人生のただ中に神の国が訪れる体験、また、神の国に出会いも含まれています。神にとっての世の終わりは、ご自分の時の現れの一場面に過ぎません。したがって、神の国の訪れは、この記述にあるようなプロセスで訪れると思います。ここで、神の国は人の目で認められるように訪れるのではなく、「あちらだ、こちらだ」というのではなく、稲妻が天の端から端に光るように、瞬間的に現されるものだと教えています。「キャッチ・ザ・タイム」というよりも、「キャッチ・ザ・モーメント」すなわち、その「瞬間をつかむ」ことが大切です。
 私たちクリスチャンは、地上にあっても神の国の祝福を受けることができます。また、やがて、この目で確認できる神の国にも入ることができます。名古屋ミッションにおいて、多くの方がイエス様を信じクリスチャンになりました。これは永遠の世界が変わる素晴らしい瞬間でした。イエス・キリストを信じれば皆、天国に行くことができます。この地上の生活を終えたら、目で確認できる神の国に入る日が来ます。既に、この教会からも多くの方が天の御国に帰って行かれました。私たちがイエス・キリストを宣べ伝える事は大切です。ある人が家族の中で、イエス様を信じることは重要です。なぜならば、「主イエスを信じなさい。そうすれば、あなたも、あなたの家族も救われます。」と聖書に記されているからです。
 先日亡くなられた、前羽姉の話を忘れられません。彼女のご主人は、いつも彼女を迫害していました。ある日、ご主人が突然、脳溢血で倒れて亡くなられました。私は、前羽姉が悲しんでいるのを見ました。「主人は教会にあまり来なかったし、天国に行けなかったかも知れない」と言っていました。
 しかしある晩、彼女は夢を見たそうです。それは天国の夢でした。この教会から先に天国に帰って行った、私の祖母と河合さんと三国さんという三人のおばあさんたちが、天国で楽しそうに話をしていたそうです。その様子を見ていると、その前の道路を、ご主人が竹ぼうきで掃除していたそうです。主は、前羽姉にわかりやすい形で、夢を見せてくださいました。「主人はイエスさまを信じているのかどうかわからなかったけど、天国に入っていると確信して迷いがなくなった」と言われました。
 私たちにはやがて、神の国で顔と顔とを合せて再会できる希望があります。しかし、目には見えませんが、この地上においても神の国は現われるのです。それは、稲妻が光るように瞬間的だと書かれています。
 今、皆さんと共に「主の祈り」をささげました。イエス様は祈りを教えられました。
『だから、こう祈りなさい。『天にいます私たちの父よ。御名があがめられますように。御国が来ますように。みこころが天で行なわれるように地でも行なわれますように。』
 毎週、私たちはこの祈りをしますが、主の祈りはとても大切です。主の祈りは、「私たちの中に、神の国が現されますように」という祈りです。私はいつも主の祈りをささげるときに、戦いを感じます。私は、始めから終わりまで、同じテンションで主の祈りを祈れたことがあまりありません。「今回こそは集中して祈ろう」と思いますが、途中で他のことを考えるのです。これは戦いだと思います。この祈りは、生きているただ中に神の国が現されるようにという重要な祈りです。そして、天の御心が、地にもなりますようにという祈りです。
 天には悪いものは何一つありません。イエスさまは、天国に私たちの住まいを用意されています。
 やがて私が天に行ったら、天使が来て、「あなたはよく働かれたので、大きな家がありますよ」と言われたら嬉しいです。天使が、「これは天国マンションの鍵です」と私にカギを手渡したら、喜んで受け取ると思います。しかし鍵を受け取ったら、天使に聞いてみたいです。
 「天国でも戸締まりが必要ですか?」すると天使は顔を曇らせ、「ここは、景色はきれいですが、泥棒が入るかも知れないので鍵をかけてください」と言ったら、そこは天国ではないのです。天国には、悪いものは何もないのです。すべて良きもので、満ちているところです。そしてそれが地にも、もたらされるのです。
 そのためには、「御心が天でなるように、地にもなされるように祈りなさい」と勧められています。そして、神の時をキャッチするためには「祈りが必要」です。祈りの中で、御国が地上に現されると教えています。それは瞬間的なことであり、それをつかむならば人生は良きもので満たされるのです。ルカの十七章二十六節から三十節に、
『人の子の日に起こることは、ちょうど、ノアの日に起こったことと同様です。ノアが箱舟にはいるその日まで、人々は、食べたり、飲んだり、めとったり、とついだりしていたが、洪水が来て、すべての人を滅ぼしてしまいました。また、ロトの時代にあったことと同様です。人々は食べたり、飲んだり、売ったり、買ったり、植えたり、建てたりしていたが、ロトがソドムから出て行くと、その日に、火と硫黄が天から降って、すべての人を滅ぼしてしまいました。人の子の現われる日にも、全くそのとおりです。』
と記されています。これは「世の終わり」について教えていますが、同時に、「神の時の現れ」についても教えています。「食べたり、飲んだり、売ったり、買ったり、植えたり、建てたり」とありますが、生活のただ中に、神の国が現されることを示唆しています。仕事中や眠っているときにまで、神の国が現われるのです。
 今週も、あなたの生活のただ中に、主は、神の国、神の時を現してくださいますので、それを逃さないように祈ってください。
 今回、名古屋ミッションに、ロン・ブラウンさんや、黒人クワイヤーの方々が来られたのも、神の時を捕まえた結果によります。
 九十八年に東京ミッションが行われましたが、その前に、多くの場所で決起大会が行われました。その時はロサンゼルスでも決起大会が行われました。ロン・ブラウンさんは、友人が決起大会でギターを弾くことになり、友人から「見に来て欲しい」と誘われ、決起大会に出席したそうです。しかし、ロンさんは、決起大会でとても感動したらしく、「私も日本のリバイバルのために働きたい」と強く思ったそうです。
 それで、ロンさんは私の父のところに来て、「私もミッションのために、何かをしたいです。」と申し出たそうです。すると、父は音楽のことなど何も分かりませんから、「来たければ、自費で来なさい」と答えたそうです。
 彼は自分のCDを父に手渡しました。父は帰国して私たちにそのCDを渡しました。私たちがそれをよく見ると、有名な人だったので驚きました。そのことがきっかけで、ロンさんが日本に来てくださるようになりました。
 それと前後して、この教会でゴスペル・クワイヤーができました。そこでいろいろな方が救われました。ゴスペルを習っていたら、本場でトレーニングを受けたいということになり、ロサンゼルスのロンさんの教会を会場にして、セミナーが行われる事になりました。
 そして、そこにいたのが、今回のミッションで奉仕してくださったクワイヤーの皆さんでした。新城教会のクワイヤーが、ロサンゼルスに行ったことにより、アメリカのクワイヤーが今回来てくださったのです。これはそれぞれに神の時がうまく重なり、それらを捕えたことにより実現したのです。別に「これは神の時だ」と感じてロスに行ったのではありません。ただ、普段と変わらない生活の中に、神の時がありました。普段の生活が重要です。
 今日、ラファエルさんはなぜ新城に来たのでしょうか。昨年、私の息子が一年間、ベースの勉強のために、ロスの音楽学校に入学しました。そこは少人数制の学校で、全世界からプロのベーシストを目指して勉強に来ているところです。そこで息子は、彼と出会ったようです。息子は英語ができなかったけれど、ラファエルさんとは日本語で会話できました。なぜなら、ラファエルさんは愛知県岡崎市で一年間ホームステイして日本語を覚え、三河弁を話すことが出来たからです。私の息子は大変驚きました。
 すると、ラファエルさんが、「俺は日本人で知っている人がいる。それは、牧師で、ジュン・タキモトだ」と言うのです。
 息子はまたまた驚いて、「それは、俺のおやじだ!」と答えました。なぜ彼は私を知っていたのでしょうか。ラファエルが私を知っていたことにも、不思議があるのです。
 一九九四年に、沖縄ミッションがありました。その時、沖縄の色々な教会に参加協力を呼びかけました。しかし、その中で、「あの教会は、あまり良い教会ではないから、声をかけないでほしい・・・」と言われた教会がありました。
 沖縄にはたくさんのアメリカ人教会があり、協力要請のために、アメリカ教会の牧師会にも出席しました。私はへたな英語をフル稼働して、彼らとコミュニケーションしました。そこに、一人の男性が私の前に座っていました。すると彼が、ご飯を食べながら私に、「今度、私たちの教会に来てメッセージしてください」と言われました。私はつい「yes!」と答えました。彼は私に、名刺を渡してくれました。
 それを見て、私はとても驚きました。なぜなら彼は、「あまり良い教会ではない・・」と言われていた教会の牧師の一人であったからです。
 しかし、私は勇気を出してその教会に行きました。その教会は、先日、新城教会ですばらしい奉仕をしてくださった、エミ先生の教会でした。教会に行ってみると、大へん恵まれていました。ただ、言葉がよく通じなかったので、他教会とのミス・コミュニケーションがあることがわかりました。私がそこで集会を持ったことにより、その教会は沖縄リバイバルミッションにも参加できて、結果的に、地域教会にも受け入れられ、教会はさらに成長しました。私がその教会に行ったことを、先生方は大へん喜んでくださいました。
 エミ先生はプエルトリコ人です。彼女が本国に帰国したとき、色々な教会でその証をしたそうです。「ジュン・タキモトが私たちの教会を助けた」
 なんと、ラファエルはその証を、プエルトリコで聞き、私の名前を知っていたのです。
 昨年、ラファエルはロスのベース学校に入学しました。また、私の息子もなぜか、同じ学校に入学したのです。そのクラスはたったの八人でしたが、そこで不思議な出会いがあったのです。それで、今日、彼は、新城に来たのです。
 彼は霊的戦いに目が開かれていました。なぜなら、彼が岡崎でホーム・ステイをしていたある夜、金縛りに合い、目を開くと、おばあさんが目の前に立っていたそうです。翌朝、仏間に行くと、仏間にかかっていた写真が、昨夜、現れたおばあさんの顔と同じでした。それは、おばあさんではなく、おばあさんのふりをしている悪霊だとわかり、それから霊的戦いに目覚めて、色々な地域に出ていき祈るようになったそうです。一人で日本で霊的戦いをしていたそうです。
 そんな彼が、ロサンゼルスの学校で、私の息子に出会い、名古屋ミッションにまで来たのです。そして、今度は、私に「プエルトリコの教会に来て奉仕してください」というのです。
 考えてみると、ちょっと狂っても、今日の出会いはありません。それは生活のただ中に、神の時が現された結果意外にはないのです。
 案外私たちは、問題の渦中にあったり、普段の生活の中では、神の時をキャッチしていることには気付きませんが、振り返ってみると奇跡に気づくのです。
 それを体験するには、「天のみこころが、地になされるように祈りなさい」と教えています。今週、素晴らしい神の国が現されることを祈ります。
 私は、もう一つ神の時を体験しました。この教会には、会堂と教育館があります。会堂が出来た後、「教育館を作ろう」と思いましたが、なかなか計画が進みませんでした。どうしたら良いのかと考え、キリスト教先進国のアメリカの教会を見学することになりました。数千人が毎週来ているような教会の教育館を見学しましたので、広すぎてあまり参考にならなかったのかも知れません。しかし、教会に様々な施設の必要性を覚えて帰ってきました。
 帰る途中に、ハワイの教会も見学しようと思いました。それで、ホノルルにある教会を見学し、帰国の途につきました。
 飛行機の乗ると、私はすぐに寝てしまいます。しかし、その日に限って、私は眠らずに、聖書を開いて二時間ほど読んでいました。すると私の斜め左側から、「あなたはクリスチャンですか?」と声をかけられました。
 それが「綾子ビラップス先生」でした。彼女は、日本に短期間の宣教に来る途中でした。私は、社交辞令で「時間があったら、新城にお寄りください」と名刺を渡しました。するとやがて、本当に彼女から電話があり新城に来られました。色々な話の中で、私は、「英会話の先生に心当たりはないか」と、聞きました。「日本に英会話を教えに来たいという人がいたら紹介してください」と言いました。
 しばららくして、綾子先生から私に手紙が来ました。「私は今、ハワイに住んでいますが、ワシントン州タコマに引っ越すことになりました。英語の先生はまだ見つかりません」と書かれていました。
 そしてまた、しばらくすると、手紙が来ました。「私はタコマに引っ越して、近くの教会に通っています。その教会で、一人の女性が日本で英語を教えたいと言っています。」と書いてありました。そこでお願いして、新城に来てくれたのが、ジョイさんでした。
 やがて、英会話の生徒たちがアメリカで短期ホーム・ステイをする計画が持ち上がり、綾子先生の通っている教会が世話をしてくれることになりました。そして、その教会の副牧師が、「ジョー・ハイト先生」でした。そこでジョー先生と私は友だちになりました。先生はいつもコーヒー・カップを片手に鼻歌を歌っているような、軽いノリの先生でした。
 ある時彼からメールが来ました。「今度私は、この教会を辞任し、ヤキマという場所で牧会するつもりです。しかしその教会には、問題がたくさんあります。祈ってください。」と書かれていました。私は、メールを読んで、「その教会で一年持てば良いだろう。また、タコマに戻るに違いない」と思いました。
 案の定、ヤキマの教会に赴任すると、色々な問題があり大変になりました。そしてまた、私にメールが来ました。「少し疲れたので、ヤキマを離れて日本に行って休んでも良いか?」と言うのです。
 彼は一週間ほど私の家に滞在していました。私は彼に、「県民の森祈祷会があるから、一緒に行かないか?」と誘いました。
 県民の県民の森祈祷会において、彼に、激しく聖霊様が臨まれました。その瞬間、彼は幻を見ました。自分の住むヤキマの街が目の前に出てきたそうです。その街は山々に囲まれており、山頂から大きなフクロウが、自分を睨んでいる幻でした。フクロウとは、ヤキマ・インディアンが礼拝している最もパワフルな神(悪霊)でした。
 その時、主が、「あなたは色々な問題に遭遇していますが、これは霊的戦いです。ただ、問題を解決するために働くのではなく、霊的戦いの祈りをしなさい」と語られたのです。彼は、県民の森祈祷会で勇気をもらってヤキマに帰っていきました。
 やがて彼は、毎週ヤキマで友だちの牧師数人と共に祈り始めました。「神様。この街を取り戻すために、どのように戦ったら良いですか・・・」すると、彼らの心が燃えてきて、霊的戦いセミナーを開催することになりました。
 それで三年前、私はヤキマに招かれました。とても恵まれた集会となりました。そして、昨年も再び招かれて、セミナーを行いました。その時は、牧師たち二十名程が集まり、多くの会衆も集まりました。
 そして昨年の九月には、ヤキマの多くの方が日本にまで、霊的戦いを学びに来られました。
 彼らはさらに燃えて、ヤキマに帰って行きました。そして、もっと広範囲に周りの教会や牧師達に呼びかけたそうです。約四十名ほどの牧師たちが、共に山に登ったりして戦いの祈りをするようになりました。
 今年の五月には、ヤキマで、その先生方が中心となって、伝道集会をしました。すると、約六千人もの会衆が集まりました。「後の者が先になる」と言いますが、ヤキマの霊的戦いは素晴らしく前進しています。これは、偶然のように思いますが、すべて、神の国の現れです。
 
 ある意味で、この事は私が綾子先生と、機上で出会った時から始まったのです。綾子先生は飛行機に乗る前夜に、神の声を聞いたそうです。「あなたは明日、飛行機の中で重要な出会いがあります。一人の男性と出会うけれど、その人は重要な鍵を持つ人物だからよく祈りなさい。」と語られ、緊張して飛行機に乗ったそうです。
 それで、そんな重要な男性がどこにいるのかと祈っていたそうです。すると、目の前の男性が聖書を開いて読み始めたのです。しかし、その姿に信用できず、「本当にこの人ですか?」と主に祈っていたそうです。
 やがて、私に話しかけました。それから、二十年近く経って、こんな大きな発展がありました。一つでも狂ったら、このようにはなりませんでした。それは、私が計画したことでもなく、綾子先生でもなく、ジョー先生が考えたのでもありません。知らない間に、私たちの生活の中に、神の時が現されていたのです。それをキャッチしたときに、やがて、信じられないことが次から次へと起こされたのです。
 これは私だけに起こることではありません。クリスチャン全員に現わされることです。これが「クリスチャン生活の醍醐味」です。私たちの生活のただ中に、神の国の訪れがあるのです。
 今週も神の国の訪れに対応しましょう。神の国の現れを、キャッチする秘訣が聖書に記されています。マタイ二十五章一節から四節に、
『そこで、天の御国は、たとえて言えば、それぞれがともしびを持って、花婿を出迎える十人の娘のようです。そのうち五人は愚かで、五人は賢かった。愚かな娘たちは、ともしびは持っていたが、油を用意しておかなかった。賢い娘たちは、自分のともしびといっしょに、入れ物に油を入れて持っていた。』
 賢い娘とは、「油をいつも絶やさなかった人たち」でした。油の意味について聖書は「聖霊の注ぎ」であるとしています。私たちが神の時に対応するために必要なことは、聖霊の油注ぎを求めることです。
 私たちの教会は、十年程前から聖霊の油を求めることに目が開かれました。油注ぎは、とても大切です。私たちの生活のただ中に訪れる、神の時をキャッチするために必要です。
 今日、この礼拝において聖霊の油注ぎを受けて帰ってください。油そそぎは求めるならば、誰にでも与えられます。今週は、皆さんに油注ぎがあります。生活のただ中に、神の国が現されるのです。眠っている間にも神の時が現され、あとで振り返ったら神の素晴らしい奇跡に気づくでしょう。神の時をキャッチしましょう!


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