あなたは王子様!

2003.10.5(SUN)
新城教会 滝元 順牧師

新約聖書 ヨハネの福音書1章12節
しかし、この方を受け入れた人々、すなわち、その名を信じた人々には、神の子どもとされる特権をお与えになった。

 ハレルヤ!おはようございます。今日このように、皆さんとともに、神の御言葉を学ぶことができて感謝します。私たちは毎週、教会で御言葉を学びます。また、日々の生活の中でも、聖書を読みます。それは私たちにとって、大きな祝福となります。御言葉を学び、よく理解しましょう。今日、お読みした言葉は、大変素晴らしい言葉です。
『しかし、この方を受け入れた人々、すなわち、その名を信じた人々には、神の子どもとされる特権をお与えになった。』
と記されています。よく考えながら、味わって読んでみてください。私たちが、イエスさまを信じたらどのようになるのか、それは、「神の子ども」になるのです。
 神は、全宇宙の王です。私たちは、その子どもになるので、それは、「王子」です。ですから、「あなたは王子様!」というタイトルは本当です。
御言葉を知ることは、人生の光です。
 詩篇の中に、「あなたのみことばは、私の足のともしび、私の道の光です。」と書かれています。
 私たちの未来はわかりません。これからどのようなことが起こるのか、わかりません。神は、未来については隠されています。一年後、二年後、三年後・・・、何が起こるのかは隠されています。しかし、御言葉を学んでいると、未来がぼんやりと見えるようになります。
 最近私は、夜ウォーキングをしますが、暗い道を歩くときにはフラッシュライトを持っていき、足元を照らします。そうすると、つまずかずに安全に歩くことができます。別にサーチライトで、一キロ先を照らさなくても良いのです。ただ目の前の、一歩先を照らすならば、安全に歩くことができます。
 同様に、御言葉は人生のともしびであり、道の光であり、人生の一歩を踏み出すときに、どこに足を置いたら良いのかを教えてくれます。ですから、聖書をよく読み、御言葉を心にたくさん蓄えてください。
 皆さんはどのくらい、聖書の知識をお持ちですか。今から、少し聖書ジョークを言いますが、理解できるでしょうか?
 アダムがエバに、「僕は君だけを愛しているよ。」と言いました。すると、エバが「他に誰がいるの!」と言いました。
 また、エバがアダムに、「あんた。最近浮気をしてるんじゃないの?」と言うと、
「浮気。冗談じゃないよ。お前の他に誰がいる。」
「じゃあ、証拠を見せてちょうだい。」
 すると、アダムは、「俺のあばら骨を数えてみてくれ。」と言いました。・・・わかりますか?
 神様はアダムのあばら骨の一本取り、女性を作りました。あばら骨がさらに一本少なくなっていたら、もう一人の女性がいるということです。
 牧師が礼拝の最後に、『来週のメッセージは「嘘をついてはならない」というタイトルで語ります。つきましては、皆さんに宿題を出します。マタイの福音書二十九章をよく読んできてください。』
 次の週、牧師は講壇に立ち、「先週お約束したように、今から嘘をついてはいけませんというタイトルでメッセージをします。ところで、先週お約束した、マタイの二十九章をお読みいただけましたか?」と聞くと、何人かが「はい」と手をあげました。
 すると牧師は、「では、今、手をあげた人たちのために、メッセージを語ります」と言いました。
 なぜなら、マタイの福音書は、二十八章までしかないからです。手をあげた人たちは皆、嘘をついていたことになります。
 さて、ヨハネ一章十二節の御言葉をご一緒に声を出して読みましょう。
『しかし、この方を受け入れた人々、すなわち、その名を信じた人々には、神の子どもとされる特権をお与えになった。』
 あなたは、イエスさまを信じていますか?イエスさまを信じているならば、あなたは神の子どもです。天地宇宙を造られた方の子どもですから、私たちは王子様です。これを知っただけでも嬉しいです。胸を張って生きることができます。
 王子とは立場です。日本には天皇制があり、天皇家に生まれたら、それだけですごい立場があります。日本では皇室の悪口は言いにくい雰囲気があります。最近、皇太子夫妻に生まれた子どもがいますが、生まれた瞬間に立場があります。ちょっとしたことでもマスコミに報道されます。この夏、栃木県の那須に皇太子一家が滞在しました。その時、「愛子様がお熱を出され、お腹も悪くされ、お出ましができませんでした」と、報道されていました。そんなことくらい、どこの家の子どもにもあることです。
 皇室の子どもたちが海水浴に行くのを見るのはおもしろいです。必ず、まわりに護衛警官がつきます。彼らは、雰囲気を壊さないようにと、海水パンツでビーチボールや浮き輪を持って海水浴客のふりをしているのです。しかし、彼らは、何かあったらすぐに助ける準備をしているのです。王室に生まれたならば、家来がいて当然なのです。システムそのものが皇室です。
 同様に、私たちが王子ならば、それ以上のシステムがあってもおかしくありません。イエスさまを信じると、どんな素晴らしいことがあるのでしょうか。それは立場が変わるのです。私たちは、見える部分だけが人生だと思っています。しかし、目に見えない世界も含んだ全体が人生です。
 イエス・キリストを信じないならば、横暴な主人・悪魔の奴隷です。そして、奴隷には看守がつきます。常に奴隷が逃げないようにと、つきまといます。それが、イエス・キリストを信じていない人生の姿です。イエスさまを信じるならば、そのような奴隷状態から解放されて救われます。
 特に人間は死の霊の奴隷になっています。だからイエス・キリストを信じる前はいつも、死の恐怖におびえ、人生に「死」というテーマがついて廻ります。なぜならば、護衛ではなく、死の霊という看守がついているからです。
 しかしイエスさまは、そのようなところから私たちを解放するために、地上に来てくださいました。ヘブル人への手紙二章十四節から十五節に、
『そこで、子たちはみな血と肉とを持っているので、主もまた同じように、これらのものをお持ちになりました。これは、その死によって、悪魔という、死の力を持つ者を滅ぼし、一生涯死の恐怖につながれて奴隷となっていた人々を解放してくださるためでした。』
と記されています。イエスさまを信じるならば、死の霊から解放され、神の王子様になります。王子には立場が備わっています。王室や皇室に必ず警備がついているように、私たちには、看守ではなく警備がついています。どんな警備がついているのでしょうか。ヘブル人への手紙一章十四節に、
『御使いはみな、仕える霊であって、救いの相続者となる人々に仕えるため遣わされたのではありませんか。』
 皆さんにはすごい警備隊がついています。それが「御使い」です。救いの相続者、神の皇太子に仕えるために御使いが派遣されています。
 イエスさまを信じる前は、死の霊がつきまとっていたのですが、イエスさまを信じたら、いつも御使いがあなたを守っているのです。詩篇三十四章七節に、
『主の使いは主を恐れる者の回りに陣を張り、彼らを助け出される。』
 あなたは王子様なので、主の使いが周りに陣を張り助け出すのです。人生は目に見えるものだけではなく、そのような「霊的システム」と共にあるのです。
 私は詩篇の九十一篇が大好きです。
『いと高き方の隠れ場に住む者は、全能者の陰に宿る。私は主に申し上げよう。「わが避け所、わがとりで、私の信頼するわが神。」と。主は狩人のわなから、恐ろしい疫病から、あなたを救い出されるからである。主は、ご自分の羽で、あなたをおおわれる。あなたは、その翼の下に身を避ける。主の真実は、大盾であり、とりでである。あなたは夜の恐怖も恐れず、昼に飛び来る矢も恐れない。また、暗やみに歩き回る疫病も、真昼に荒らす滅びをも千人が、あなたのかたわらに、万人が、あなたの右手に倒れても、それはあなたには、近づかない。あなたはただ、それを目にし、悪者への報いを見るだけである。それはあなたが私の避け所である主を、いと高き方を、あなたの住まいとしたからである。わざわいは、あなたにふりかからず、えやみも、あなたの天幕に近づかない。まことに主は、あなたのために、御使いたちに命じて、すべての道で、あなたを守るようにされる。彼らは、その手で、あなたをささえ、あなたの足が石に打ち当たることのないようにする。あなたは、獅子とコブラとを踏みつけ、若獅子と蛇とを踏みにじろう。』
 この言葉はあなたのための言葉です。ぜひこの言葉を、自分に語られている言葉として味わって読んでみてください。十節に、
『わざわいは、あなたにふりかからず、えやみも、あなたの天幕に近づかない。』
と記されています。聖書には、ところどころ難しい言葉が使われています。「えやみ」とは、原語から調べると「打撃、傷、病気、災害」という意味です。「天幕」とは、昔の家を意味します。そして、「天幕に近づかない」ということは、「あなたの家族が守られる」ということです。「主イエスを信じなさい。そうすれば、あなたも、あなたの家族も救われます。」とありますが、家族全体が守られます。家族の中で、イエスさまを誰かが信じることは重要です。家族の中で、だれかがクリスチャンになると、地域や家族から迫害があるかも知れません。しかし、しっかりと、偶像礼拝をしないと信仰に立つことは重要です。もしもあなたが家族で、ただ一人のクリスチャンならば責任重大です。あなたがイエスさまをしっかりと信じていくならば、家族が守られるのです。十一節に、
『まことに主は、あなたのために、御使いたちに命じて、すべての道で、あなたを守るようにされる。』
と記されています。「まことに」という言葉は「なぜなら」とも訳せます。そして、「なぜなら」として読むとわかりやすいです。
『わざわいは、あなたにふりかからず、えやみも、あなたの天幕に近づかない。(なぜなら)主は、あなたのために、御使いたちに命じて、すべての道で、あなたを守るようにされる。』
となります。私たちを打撃や傷、病気、災害から守るために必要なのは、「御使いたちの守り」です。
 教会史を見ると、ある人たちがが間違った方向に進み、御使いを礼拝する異端が出現しました。それで、あまり教会では、御使いについて語らなくなってしまいました。しかし、本当は重要です。主を信じるものには、御使いたちが遣わされ、すべての道で守るようにするというのが神の約束です。なぜならば、あなたは大事な王子様だからです。今週も、私たちの周りに、神の守りの軍勢が遣わされているのを意識しましょう。
 一九九二年、新城教会に聖霊が注がれて、新しいことが起こされました。それまでは、天の軍勢に対してあまり意識はありませんでしたが、それから御使いを意識するようになりました。主が、「あなたがたの周りには、天の軍勢がいるから恐れず、くじけず戦いなさい」と励ましてくださいました。「どんな問題があっても恐れてはいけない。わたしが遣わした最強の軍隊が、あなたがたを守り、あなたがたを助け出すから、くじけてはいけない」と励まされました。
 イエスさまを信じると、死の霊から解放され、天の軍勢の守りの中で生きることができるのです。
 私たちが伝道する理由は、このような人生があるからです。すべての人の人生のシステムが変わって欲しいのです。悪魔の奴隷ではなく、神の子となり、天の軍勢の護衛がついたら、どんなに力強い、人生を送ることができるでしょうか。
 人生には色々な問題があります。悲しみ、病、災害があったりしますが、その多くが霊的な力との関わりの中で起こっています。しかし、神が御使いを送るときに、そのような問題からも守られるのです。今日はイエスさまの名によって、すべての兄弟姉妹、家族・親族に最も強い軍隊が送られ、守られるように祈ります!すべての道、意識外のところにも、神の軍隊が送られるように祈ります!
 公生涯が始まる前にイエスさまは、四十日間断食して備えました。断食が終わったときに、神の子なるイエスさまのところに悪魔が近づいて来て言いました。
 「お腹が空いているでしょう。石をパンにして食べたらどう?」と誘惑をしました。マタイの福音書四章一節から七節に、
『さて、イエスは、悪魔の試みを受けるため、御霊に導かれて荒野に上って行かれた。そして、四十日四十夜断食したあとで、空腹を覚えられた。すると、試みる者が近づいて来て言った。「あなたが神の子なら、この石がパンになるように、命じなさい。」イエスは答えて言われた。「『人はパンだけで生きるのではなく、神の口から出る一つ一つのことばによる。』と書いてある。」すると、悪魔はイエスを聖なる都に連れて行き、神殿の頂に立たせて、言った。「あなたが神の子なら、下に身を投げてみなさい。『神は御使いたちに命じて、その手にあなたをささえさせ、あなたの足が石に打ち当たることのないようにされる。』と書いてありますから。」イエスは言われた。「『あなたの神である主を試みてはならない。』とも書いてある。」』
と記されています。続いて、悪魔は詩篇九十一編の御言葉を引用して、イエスさまを高いところに連れていき、「ここから身を投げてみなさい。」と言いました。イエスさまに投身自殺のようなことを試みるようにと、誘惑したのです。「御使いがあなたを支えるとあるから、やってみなさい」と言いました。イエスさまは「神を試みてはならない!」と拒否しました。
 私たちには、もちろん御使いの守りがありますが、その守りは、私たちが無茶をするための守りではないのです。人間には、自由があります。ですから、飛び降りる自由もありますし、飛び降りない自由もあります。それは自分が決断することです。自分の決断によってなされる無茶な行為に対しては、御使いの助けはないということです。
 ですから、私たちは力の限り生きるべきであり、飛び降りたり、手首を切ったりするなどの自殺行為をしてはいけないのです。そのような思いが来たときには、「悪魔よ、退け」と命じて、戦わなければなりません。
 「私には天使がついているから、一般道を百キロで走ってみよう」と走ってはいけません。節度を守り、自制すべきところは自制しなければなりません。
 しかし、「力の及ばないところには、天の軍勢を遣わし、あなたを支えるから心配してはいけない」と教えています。
 悪魔は神の言葉をねじ曲げて、意味を変えて伝える専門家です。イエスさまを誘惑したときにも御言葉をねじ曲げて使いました。この御言葉はどのような意味でしょうか。詩篇九十一篇の十一節からに、
『まことに主は、あなたのために、御使いたちに命じて、すべての道で、あなたを守るようにされる。彼らは、その手で、あなたをささえ、あなたの足が石に打ち当たることのないようにする。あなたは、獅子とコブラとを踏みつけ、若獅子と蛇とを踏みにじろう。』
 イエスさまは、ご自分も「神の子」という立場で地上に来てくださいました。これは、私たちクリスチャンの代表としての姿でもあります。「わたしを信じるならば、わたしと同じポジションを受け取ることができる」ということです。
 イエスさまが神の子として、地上に来てくださった目的について聖書は告げています。第一ヨハネ三章八節に、
『罪のうちを歩む者は、悪魔から出た者です。悪魔は初めから罪を犯しているからです。神の子が現われたのは、悪魔のしわざを打ちこわすためです。』
 イエスさまの仕事は、「悪魔の仕業を打ちこわすため」とあります。ということは、私たちは神の子であり、王子にはイエスさまと同じ仕事が任されているのです。「イエスさまと同じ仕事」です。
『神の子が現われたのは、悪魔のしわざを打ちこわすためです。』
 人類は、悪魔のしわざを打ちこわす使命があるのです。ローマ書十六章二十節に、
『平和の神は、すみやかに、あなたがたの足でサタンを踏み砕いてくださいます。どうか、私たちの主イエスの恵みが、あなたがたとともにありますように。』

と記されています。神の子の仕事は、悪魔のしわざを踏み砕くものであり、あなたもそのように任命されているのです。悪魔は重要な使命をあらわす御言葉を、無謀なことをさせるための言葉に変えようとしました。詩篇九十一編に
『彼らは、その手で、あなたをささえ、あなたの足が石に打ち当たることのないようにする。あなたは、獅子とコブラとを踏みつけ、若獅子と蛇とを踏みにじろう。』
と記されています。主を信じる者には御使いの助けと共に、「獅子とコブラを踏みつけ、若獅子と蛇とを踏みにじらせてくださる」のです。
 今まで人生は、石を踏んでいるようなものでした。人は悪魔や悪霊に勝利したいと願っています。たとえ、クリスチャンではなくても、悪霊に負けたいと思うような人は誰一人いないのです。だから、お払いを受けたり、悪霊から解放してもらおうとして拝み屋のところにいくのです。けれども、悪霊を踏んだと思っていても、それは固い石を踏むようなもので、逆に傷を受けるのです。
 しかしイエスさまを信じたならば、悪魔の力を踏みにじることができるのです。今度は本当に、蛇やさそり、若獅子を踏みつける仕事をさせてくださるのです。神はあなたにそのような、王子としての立場を与えています。
 イエスさまを信じると、今まで悪魔・悪霊に踏みつけられていた人が、逆に悪魔・悪霊を踏みつけるようになるのです。
 先週、私にとって大変嬉しいことがありました。それは、私の親族がイエスさまを信じたからです。私の家内の親族は、なかなかイエスさまを信じませんでした。しかし、以前にお話ししたように、ローマにとりなしに行った後に、親族が動き始めました。そして、先週の「水曜主日礼拝」の後で、家内の母のお姉さんがバプテスマを受けたからです。
 おばさんは信心深く、悪霊を踏みつけようと、四国八十八ヶ所や、西国三十三ヶ所などを熱心に廻っていました。しかし結果は、石を踏んでいるようなもので、逆に、人生には多くの問題が起こっていました。けれども、おばさんがイエスさまを信じると、おばさんの子どもたちも変えられていきました。
 今回、名古屋ミッションに、「見える形で奇跡が起こされますように」と祈っていました。そんな中、おばさんの長女が教会に来られました。その方も、先祖供養がライフ・ワークのように考えていました。毎週のように墓に行き、真剣に死者を拝んでいたそうです。彼女は寺でも有名人でした。「あの人だけは、絶対にクリスチャンになることはない」と思っていました。
 しかし、数年前、彼女はガンになりました。しかし、早く発見されたので手術をし、良くなりました。
 けれども最近、精密検査をしたら、膵臓にポリープがあることがわかりました。医者から、「多分、手術をしなければならないけど、大手術になるので、三ヶ月後にもう一度検査して決定しましょう」と言われたそうです。
 そんな中で教会に来られました。私はそれを聞き、「あなたが、良かれと思って真剣に行っていた偶像礼拝が原因している」と話しました。そして、私の書いた「クリスチャンって最高だ!」を差し上げました。
 すると、彼女の覆いが取り除かれ、偶像礼拝の危険性について気付いたのです。今までは偶像礼拝こそが、安全な道だと思って真剣にやってきたのです。しかし、「人生に起こってきたのは悪いことばかりだ。滝元さんの言うとおりだ」と気付いたのです。
 すぐに、「私は偶像をすべて捨てます」と言われました。自分で偶像を持って来られましたし、また、「家にある偶像を処分して欲しい」と言われました。それで私は、家内と共に、彼女の家に行き、家の偶像を取り外しました。
 けれども、ご主人はそれに反対でした。私が行くと、ご主人は怒って、二階の部屋に閉じこもってしまいました。そのような中で、偶像を撤去するのは、大変やりにくいものです。しかし、奥さんは「それらは、私のものだから、撤去して良い」というので、神棚などを外しました。
 特に、日本の家屋は天井裏が怪しいのです。そこには「御幣」があります。それは小さい偶像ですが、「家の守り神」と言われるもので、様々な霊を呼ぶ仕掛です。家全体を支配する、強力な悪霊を呼ぶ偶像です。中古住宅を買った方や、クリスチャンになる前に家を建てたなら、天上裏に御幣があるかもしれません。その人は、恐れずに処分してください。
 その時、私は「御幣もとりましょう」と言うと、「御幣をとるためには、いま主人がいる部屋から屋根裏に登るしかない」というのです。私は困りましたが、主が知恵を与えてくださいました。
 ご主人に、「私は牧師ですが、今からキリスト教式のお払いをします。それをやるに当たっては、ご主人様も同席していただかないと効果がありません。一緒に来ていただけますか。」と言いました。すると、どうしようもなく、ご主人が部屋から出て来られました。そして、御幣もとりました。
 偶像をすべて取り払い、家族全員を家の真ん中に集めて、家族全員が私の後について、悪霊との関係を断ち切りの祈りをしました。「イエスさまの名前によって、二度と家に災いが起こりませんよう!」にと祈りました。皆が心を合わせて祈りました。
 最後に、その家族の一人ひとりに手を置いて祈ると、聖霊様が働いてくださり全員倒れてしまいました。
 私は、こんなに聖霊様が働かれたことは感謝だけれど、内心、「あの病気はどうなるのだろうか・・」と心配になりました。すると彼女は、「今度、名古屋ミッションに行きます。イエスさまが癒してくださることを期待して行きます。」と言われました。
 彼女は名古屋ミッションに来られ、真剣にいやしを求めて祈りました。そして、先週検査に行きました。それは手術の決定日でした。ご主人もお母さんも一緒に病院に行き、心配しながら結果を待っていました。
 彼女は、予定の時間になっても、検査室から出てきませんでした。家族は「もう駄目だ」と絶望していました。あまりにも遅いので、ご主人が検査室に耳をつけて、中の様子を聞くと、医者が、「前にあったポリープはどこに行ったのか・・・。」と言っていたそうです。
 なぜ時間がかかったのかというと、時間をかけて一生懸命探していたからでした。なんと、膵臓のポリープは消えていたのです!
 それを聞いて、ご主人も、おばさんも泣いたそうです。「イエスさまは生きています!」と泣いて感謝したのです。イエスさまに栄光をお返しします。
 神に信頼する者に、神は必ず報いてくださいます。イエスさまは、生きておられます!主は私たちに、御使いを送って、すべての道で私たちを守るようにされるのです。今まで、悪魔に踏まれていた人生が、今度は悪魔を踏み返す人生になります。今日もイエスさまは同じように働かれます。皆さんの中で、どうにもならないような問題があっても諦めてはいけません。王子としての立場をしっかりと認識するならば、王子の仕事である、「獅子とコブラを踏みつけ、若獅子と蛇とを踏みにじる」という働きをさせてくださるのです。
 主は、あなたを病から解放し、自由を与えます。「そのような立場をあなたにあげます」とイエスさまが、今日、皆さんに語っておられます。私たちは神の子であり、王子様であることを心から感謝しましょう。
 名古屋ミッションで新しい、霊的な扉が開かれたと信じます。これからこの教会で、神の色々な不思議なわざが起こされると信じます。「教会に来たら、解決しない問題はない!」と噂されるような場所となるよう、祈りましょう。
 神の王子であることを確信し、今週も、力強く歩んでいきましょう。


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