幸運な人

2003.10.26(SUN)
新城教会 滝元 明牧師

旧約聖書 創世記39章1節〜9節
ヨセフがエジプトへ連れて行かれたとき、パロの廷臣で侍従長のポティファルというひとりのエジプト人が、ヨセフをそこに連れて下って来たイシュマエル人の手からヨセフを買い取った。主がヨセフとともにおられたので、彼は幸運な人となり、そのエジプト人の主人の家にいた。彼の主人は、主が彼とともにおられ、主が彼のすることすべてを成功させてくださるのを見た。それでヨセフは主人にことのほか愛され、主人は彼を側近の者とし、その家を管理させ、彼の全財産をヨセフの手にゆだねた。主人が彼に、その家と全財産とを管理させた時から、主はヨセフのゆえに、このエジプト人の家を、祝福された。それで主の祝福が、家や野にある、全財産の上にあった。彼はヨセフの手に全財産をゆだね、自分の食べる食物以外には、何も気を使わなかった。しかもヨセフは体格も良く、美男子であった。これらのことの後、主人の妻はヨセフに目をつけて、「私と寝ておくれ。」と言った。しかし、彼は拒んで主人の妻に言った。「ご覧ください。私の主人は、家の中のことは何でも私に任せ、気を使わず、全財産を私の手にゆだねられました。ご主人は、この家の中では私より大きな権威をふるおうとはされず、あなた以外には、何も私に差し止めてはおられません。あなたがご主人の奥さまだからです。どうして、そのような大きな悪事をして、私は神に罪を犯すことができましょうか。」

 ハレルヤ!おはようございます。御言葉を取り次ぐことができることを感謝します。今日はヤコブの子どもたちのことを通して「幸運な人」というテーマで学びます。
 私はこの箇所は何回読んだかわかりませんが、読む度に感動します。皆さんもぜひじっくりとお読みください。
『主がヨセフとともにおられたので、彼は幸運な人となり、そのエジプト人の主人の家にいた。』
と記されています。誰でも幸運な人生を送ることを考えます。幸運の反対は不運です。あまり幸福ではない人生を送る人もいますが、聖書には幸運に生きる道について書かれています。
 ヤコブには子どもが十二人いました。父ヤコブは、ヨセフをとても愛していました。彼は年をとってから生まれた子どもでした。ヤコブはヨセフだけに、袖のついた良い着物を着せ、彼を心から愛していました。するとお兄さんたちは彼をねたみました。そして憎しみが満ちました。ヤコブはヨセフに、お兄さんたちがシェケムの方に羊飼いに行っているから、見に行くようにと言いました。それでヨセフは、見に行きました。お兄さんたちはヨセフを常々憎んでいました。
 ある時にヨセフは不思議な夢を見て、それをお兄さんたちに話しました。それは、「収穫した十一の麦の束が私を取り巻き、十一の束が私にお辞儀をした」という夢の話しでした。それを聞いたお兄さんたちは、「お前を私たちが拝むのか」と怒りました。
 そしてまた、ヨセフは夢を見ました。「太陽や月や十一の星が、私に向かってお辞儀している夢を見た」というのです。するとお父さんも怒りました。家族皆が、「お前を拝むということか」と言いました。だから兄弟たちは、彼を「夢見る者」と呼びました。そして、「彼を殺して、その夢がどうなるかを見よう」と言いました。しかし一番上の兄ルベンが、「可愛そうだからやめよう」と言った結果、ヨセフを穴の中に閉じこめることにしました。彼の着物を剥いで裸にし、穴の中に入れました。
 先日私は八戸に行きました。私が泊まった部屋には本がたくさんあり、その中に「ヨセフ物語」がありました。それを読み感動しました。その本は、推測を交えたヨセフ物語でした。その中に、次のようなストーリーがありました。
 ヨセフは素晴らしい人でしたが、彼には腹違いのお兄さんがありました。それがダンやナフタリです。しかしヨセフはお父さんの側で可愛がられていたので、いつでもお兄さんたちのことを、お父さんに告げ口していました。「お兄ちゃんはこんな悪いことをした・・・」と告げ口していたというのです。ヨセフがお兄さんたちに憎まれたのには、お父さんが彼を可愛がっただけではなく、「ヨセフがお父さんに告げ口をした」こともあったと考えます。それは聖書には書かれていませんが、私はそれを読んで「そうかも知れない・・」と思いました。告げ口することは喜ばれません。そのために彼は憎まれたと思います。詩篇三十四篇十二節から十三節に、
『いのちを喜びとし、しあわせを見ようと、日数の多いのを愛する人は、だれか。あなたの舌に悪口を言わせず、くちびるに欺きを語らせるな。』
と記されています。幸せで、長生きをしようと思う人は、人の悪口を言ってはいけません。ヨセフは素晴らしい人でしたが、悪口を言ったのだと思います。それで彼は憎まれ、穴に入れられました。
 ヨセフは、その穴の中に落とされたときに、お父さんの信じている神を思い出し、悔い改めたと書かれていました。「神様、今まで兄の悪口を言ったことを、赦してください」と祈りました。
 時々、私たちは人生の中で、穴に落ちることがあります。ヨセフは穴に落ちた時に、悔い改めました。「その時に神が彼を祝福されたのだろう・・」と書かれていました。
 私たちの人生も、口に悪口を言わないことが大切です。そして彼は、エジプトへ奴隷として売られました。彼はポティファルという侍従長の家に買い取られました。愛されていたお父さんから離れて、エジプトの奴隷として売られてしまいました。創世記三十九章一節からに、
『ヨセフがエジプトへ連れて行かれたとき、パロの廷臣で侍従長のポティファルというひとりのエジプト人が、ヨセフをそこに連れて下って来たイシュマエル人の手からヨセフを買い取った。主がヨセフとともにおられたので、彼は幸運な人となり、そのエジプト人の主人の家にいた。』
と記されています。そのような状況の中で、彼が神様の前に本気で悔い改めたので神様は彼に目を留められ、ヨセフは幸運な人になりました。「幸運な人」とは、環境ではありません。金や地位、頭が良いことも関係あるかも知れませんが、一番の秘訣は、「主が共にいて」幸運な人になったとあります。これからの人生が、神と一緒にあれば必ず誰でも幸せになることができます。
 「幸運」を辞書で引くと、「物事が偶然に、自分にとって都合の良いように運ぶこと」と書かれていました。なぜか知らないけど、偶然に物事がうまくいくということです。その逆の人もいます。
 しかしこの中には、「主がヨセフと共におられたので、ヨセフは幸運な人となった」と書かれています。今日、どんなに悪い環境の人がおられても、これからの人生をイエス様と共に歩いたら、祝福されます。信仰を持って歩みましょう。
 尾山令仁先生が書かれた現代訳聖書には、
『主がいつもヨセフと共におられたので、彼のすることすべてうまくいくようにしてくださった。』
と訳されています。神と共にいるならば、神がすべてを良くしてくださいます。イエス様に従って歩んでいきましょう。ローマ人への手紙八章二十八節に、
『神を愛する人々、すなわち、神のご計画に従って召された人々のためには、神がすべてのことを働かせて益としてくださることを、私たちは知っています。』
と記されています。クリスチャンになると、良いことばかりに見えないこともあるかも知れませんが、それら「すべてを」益としてくださいます。必ず幸運な道に導かれます。ですから、イエス様を愛していきましょう。
 ヨセフが祝福されたことは、彼自身のものだけではなく、彼のお父さんがいのちをかけて神に従ったことにあります。また、そのおじいちゃんも素晴らしく、神に従いました。神を信じることは、「千代に至る祝福」と聖書に書かれています。彼のお父さんは、ヤコブです。彼はイスラエルと呼ばれました。そして彼の父はイサクです。イサクの父は、アブラハムです。私たちの人生で、イエス様を信じることは、自分に問題があって教会に来ているように思いますが、信じることは祝福です。あなたがイエス様に従い、祝福されたら子どもたちも祝福されます。代々、祝福を受けることができます。ヤコブの父イサクについて、創世記二十六章十二節から十三節に、
『イサクはその地に種を蒔き、その年に百倍の収穫を見た。主が彼を祝福してくださったのである。こうして、この人は富み、ますます栄えて、非常に裕福になった。』
と記されています。イサクは他の国に寄留して、農業を営みました。その時、普通よりも多くの収穫があり、「百倍の収穫を見た」と記されています。「主が彼を祝福してくださった」と記されています。もし、イエス様が祝福してくださったら、これからあなたのすることは、百倍祝福されるのです。またアブラハムについては、創世記二十二章十六節から十八節に、
『仰せられた。「これは主の御告げである。わたしは自分にかけて誓う。あなたが、このことをなし、あなたの子、あなたのひとり子を惜しまなかったから、わたしは確かにあなたを大いに祝福し、あなたの子孫を、空の星、海辺の砂のように数多く増し加えよう。そしてあなたの子孫は、その敵の門を勝ち取るであろう。あなたの子孫によって、地のすべての国々は祝福を受けるようになる。あなたがわたしの声に聞き従ったからである。」』
と記されています。
 私はこの言葉が大好きです。私は今から五十数年前に、故郷へ伝道に入りました。その時、非常に激しい戦いがありました。家も職もなく、親から悪口を言われ、悲しくて山の中に入りよく祈りました。その後で、ヘブル人への手紙十六章の御言葉にある、神がアブラハムに語られた言葉を読みました。「神は不義な方ではないから、あなたが先に聖徒に仕え、今もなお仕えて神に愛を現したことを覚えている」と書かれています。その次に、
『神はさして誓うところなき故に己をさして誓われた。我、必ず汝を、恵み恵まん。増やし増やさん。(文語訳)』
 この御言葉を読んでいるときに、アブラハムに語られた言葉を「私に語られた」と確信しました。家も職もなく、目の前が真っ暗なときに、この言葉をいただき信仰を持ちました。「これから必ず祝福される。」と確信しました。「我、必ず汝を恵み恵まん。」という言葉は、「恵みを受けた上に、また恵みをいただく」のです。また「増やし、増やさん。」という言葉、「どんどん増えていく」ということです。また創世記三十九章五節に、
『主人が彼に、その家と全財産とを管理させた時から、主はヨセフのゆえに、このエジプト人の家を、祝福された。それで主の祝福が、家や野にある、全財産の上にあった。』
と記されています。ヨセフがポティファルの家に入りました。奴隷として、仕事をし始めました。しかし彼と共に、主がいたのでヨセフのゆえにエジプト全土に祝福がもたらされました。
 クリスチャンの存在は大きいです。本物のクリスチャンとして立っていたら、あなたがいることにより、あなたの会社や、あなたのクラスが祝福されるのです。「ヨセフのゆえに」ということは、「主を信じた人」です。
 昨日私は、東京の尾山令仁師先生の教会の「宣教五十周年の記念集会」に行きました。そこで先生がこう言われました。先生は五十数年前に救われ、神学校を出てどこで伝道しようかと考えていたそうです。開拓伝道をしようと思い、誰にも頼らず、イエス様だけに頼ったそうです。先生は、「神の国と神の義をまず第一に求めなさい。そうすれば、それに加えてすべてのものは与えられます。」という御言葉を握って進んだそうです。どこからも資金援助はありませんが、イエス様に頼り、まず第一に神の国と神の義を求めようと、伝道を始めました。それから、教会が起こされて大きくなり、今先生の教会は大きなビルを買い、地下二階、地上七階です。新城教会は、二階のバルコニーまで入れて百六十坪、また教育館は三百三十坪ほどです。しかし先生の教会は、一六四〇坪あるそうです。東京で一番大きな教会です。
 私が初めて尾山令仁先生と出会ったのは、一九九二年でした。愛知県民の森で「教職ゼミナール」があったときに、先生を講師にお招きしました。すると、東京のある方から電話がありました。「滝元先生。尾山令仁先生を招くのですか。こんな悪い噂がありますよ・・・」と言うのです。「あの教会は、分裂してこんな悪い噂があります」と言われました。噂は聞いただけではいけないので、先生に直接電話をしました。「先生、こんな悪い噂を聞きましたが本当ですか。」と聞くと、「本当です」と言われました。教会から百人くらいが出ていったというのです。しかし噂の全部が正しくはありませんでした。誤解もあって、一人の人が噂を出して、広がっているというのです。その時に私は、「そうですか。わかりました。今、色々な教会に、そのような問題が多いから、ぜひ、来て話してください」と言いました。
 先生はその時、とても感動を受けたそうです。先生は色々な団体の長をしていましたが、悪い噂を聞き、全く先生の話を聞かずに、一方的に首にされたそうです。しかし、私だけが彼の話を聞いたというのです。先生は、「あの時はとても嬉しかった・・」と言われました。
 一九九三年の甲子園の集会では、先生が祝祷をしてくださいました。また、一九九八年の武道館での集会の時には、教会の役員たちを皆集めてこう言われました。「滝元先生は、一番苦しかったときに、私のことを聞いてくれた。先生も同じところを通っているので、全面的に喜んで協力しましょう」と言われたそうです。
 そして先日、先生がこのように語られていました。「あの苦しみの中で、私の教会が祝福されたのは、悪くした人を赦したことです」と言われました。あの問題を通らなかったら、きっと今頃私は、高慢になっていたかも知れない。しかし私はへりくだらされました、と語っておられました。
 先生はへりくだりました。頭の良い方で、今までに百三十一冊の本を書かれたそうです。聖書も訳されました。しかし、神の前にへりくだったので、祝福されました。私たちも、「ヨセフのゆえに祝福される」とありますが、皆さんも、あなたのゆえに必ず祝福されます。今、ご両親が救われていない方や、難しい問題がある方もイエス様に従ったら、祝福されます。
 皆さんは私の書いた『われ土方なれど』を読まれましたか。これを書くときに私は感動し、涙を流しながら書きました。この中に「ヨセフのゆえ」にというタイトルで書かれているところがあります。私は始め、津具鉱山に勤めました。私の郷里は津具村です。村の人が私のことを「アキニイ」と呼びました。また、私がよく「イエス様、イエス様」と言っていたので、私のことを「イエス様」という通称で呼びました。
 津具鉱山にはいると、一人の人が来て「ほい、あんた。ここに入っても給料は三ヶ月後だぞ」と言うのです。「どうして?」と聞くと、「この鉱山は三年間赤字続きだから、給料が三ヶ月遅れている。」と言うのです。すると、もう一人が「アキニイ。この鉱山は間もなくつぶれるぞ」と言いました。初めて入ったところです。重たい気持ちになり、つぶれたらどうなるだろうかと思いました。
 ある日、弁当箱を背負って二キロ程の山道を歩きながら、「つぶれたらどうしようか。つぶれたら食べていけない」と思っていると、優しい声で「わたしは生きている」と聞こえました。そこで家に帰り、家内と祈りました。地上で二人のものが心合わせて祈るときに、天の父が祈りを聞いてくださると聖書に書かれているので、家内と心を合わせて祈りました。「イエス様。津具鉱山がつぶれそうです。どうか、金をたくさん出して黒字にしてください」と真剣に祈りました。
 金山の仕事は、バクチのようです。鉱脈に当たると金が出ます。百人くらいが働いていて、一ヶ月に三キロ金が出たら黒字です。当時、金の公定価格が一キロ四十二万円でした。給料は一日三百円くらいでした。当時は一ドルが三百六十五円でしたので、一日に一ドルしかとれないくらいです。金が三キロ出ると良いのです。しかし三年間、一キロしか出ませんでした。そこで、心を合わせて真剣に祈りました。
 皆さんも、もし自分の働いているところの景気が悪かったら、職場のために真剣に祈ることが必要です。
 祈ったら十月に三年振りに金が三キロ出ました。そして、次の一一月には、大鉱脈に当たり金が十一キロ出ました。新聞にも載ったほどでした。赤字は全部解消されました。私はそこで一年一ヶ月働きました。その中で私は、三回ボーナスをもらいました。
 しかし、家が八橋という場所に与えられたので、八橋マンガンに入るために私は金山を辞めることを決意しました。それを父に言うと、「せっかく今、金山でたくさん金が出ているのに。十二月までいたらボーナスが出るから、それまで働いたら良いのでは」と怒られました。しかし私はもう、「イエス様がこれで良い、というので引っ越します」と言いました。そして次の日、私は引っ越しました。随分鉱山からも悪く言われましたが、私が金山をやめた次の月から、津具鉱山は全く金が出なくなりました。それで、百人のうち七十人が首になりました。一年一ヶ月だけ金が出ました。これは「ヨセフのゆえに」です。神様に心から頼ってみてください。そうすれば、ヨセフのゆえに祝福されます。心から従いましょう。
 ヨセフにも危機がありました。彼は背が高く、素晴らしい美男子でした。するとポティファルの奥さんが彼に目を付けました。あまりにも美男子だったので、「ヨセフ、一緒に寝て」と言うのです。何回も奥さんはこう誘惑しました。その時にヨセフは、「どうして、そのような大きな悪事をして、私は神に罪を犯すことができましょうか。」と言いました。
 彼は素晴らしいです。誘惑の中で彼は、神様を見ました。十七才、十八才は大切なときです。私は十七才で東京に勉強に行き、十九才で救われました。
 最近の新聞を見ていると悲しい事件がたくさんあります。先日は名古屋で高校生が、四歳の子を虐待死させたという事件がありました。交際女性の四歳の子どもに暴行を加えて、殺してしまったというのです。まだ結婚もしていない高校生の男の子が、四歳の子どもを蹴り飛ばしたのです。これを聞いて私はとても悲しく思いました。高校三年生は十八才です。仮に彼が教会に来ていたら、そんなことはなかったと思います。
 今の多くの人は神を恐れることを知りません。彼は子どもを殺したことで人生を駄目にてしまいました。ですから、これからの時代は子どもたちを教会に連れてきてください。少しくらい、礼拝に集中できなくても良いのです。
 私の友人のハンセン先生がこう話されました。ある人の息子が礼拝中、ずっと飛び回っているのです。しかし不思議なことに、その子どもに「今日の話はどうだったか」と聞くと、彼らは話を全部覚えていたと話していました。そして今、その子が、牧師になっています。少しくらい悪くても、教会に連れてくることは大切です。神を恐れることにつながります。今、毎日のように暴力や殺人が多くあります。私はこれを当然のように思います。なぜなら、毎日、暴力や殺人のテレビ番組ばかりだからです。
 以前、アメリカに行く時に、飛行機の中で「初封切の素晴らしい映画を見てください」と言われました。それは、殺し合いの番組でした。番組が終わるとパーサーが、「今日の番組は良かったでしょう」と言うのです。私は「何がおもしろい。全く良くない。殺すことなんか」と言いました。
 今の人は麻痺しているのです。私と一緒に働いたスウェーデンのシメオンソン先生は「子どもたちに殺人のテレビ番組は見せてはいけない」と言いました。ですから私は息子たちに、おもちゃのピストルは買い与えませんでした。テレビも、悪いテレビを見せませんでした。毎日そんなのを見ていたら、やがて殺すようになってしまいます。見るものは大切です。
 私は北海道に行ったときにも、飛行機の中で、変なドラマを見せられたので、スチュワーデスに文句を言いました。「あんなドラマはよくないですよ。それよりも、どらえもんの方が良いです。」と言いました。子どもはしっかりと守らなくてはなりません。
 ヨセフは誘惑に遭いましたが、「どうして罪を犯すことができましょうか」と言っています。今は性的に乱れています。昔は世界で一番純潔度が高いのが日本人女性だと言われました。しかし今は変わってしまいました。赤ちゃんができてから、結婚式をする人がたくさんいます。しかし聖書は「姦淫してはいけない」とはっきり言っています。
 ヨセフの父ヤコブは悪賢い人で、兄を騙しておじさんの家に逃げました。彼がおじさんの家に行くと、そこに二人の娘がいました。レアとラケルでした。ヤコブは自分の親戚ラケルが大好きになりました。おじさんはヤコブに、「親戚だからと言ってただ働きは良くない。何でも欲しいものを言いなさい」と言いました。すると、ヤコブは、「おじさん、ラケルをください」と言いました。そこで彼は七年間、ラケルのために働きました。すると彼はラケルを愛していたので、七年間は数日のように思われたとあります。朝も昼もいつもラケルのことを考えていましたが、彼には良いところがありました。
 七年経ったときに彼はおじさんに言いました。「約束の七年が経ちました。どうか、ラケルのところに入らせてください」と言いました。
 ユダヤ人は純潔を守りました。絶対に彼はラケルと結婚前に、不義な関係を持ちませんでした。ラケルをお前にあげるから七年間働けと言われたら、許可されたようなものです。しかし、二人とも結婚式まで純潔を守りました。今、社会がどうであっても、どんなに誘惑されても、結婚するまでは「嫌です!」とはっきりするべきです。またポティファルの妻が「ヨセフ、寝ましょう」と言うと、「どうして神の前に罪を犯すことができましょうか。」と、神を第一にしました。純潔を守ることは素晴らしいことです。今の時代は非常に誘惑が多いですが、神を恐れて生きましょう。正しく生きるならば、祝福されます。神を知らずに既に失敗がある方は、神の前に悔い改めたら赦されます。神の前に赦されない罪はありません。心から神を信じると、主が彼と共にいたので幸運になったと書かれています。
 彼はポティファルの妻を拒否しました。ある日もポテファルの妻がヨセフのところに来て「ヨセフ、寝て」と言うと、彼は「嫌です」と言って逃げました。着物をつまれて、着物を残して逃げたのです。するとポティファルの妻はヨセフに対して怒り、ご主人にヨセフの着物を見せて、「あのヘブル人が、私と一緒に寝よう、と来たので私は叫びました。そうしたら、彼は逃げて行った。」と訴えると、ご主人は怒って、彼を牢屋に入れました。しかし、彼は牢屋の中でも、主が彼と共にいたと書かれています。
 ヨセフが十七才から三十才になったときに、パロ王が夢を見てその夢を彼が解き明かしたことにより、彼はエジプト一国の総理大臣になったと聖書に記されています。どんなに苦難があっても、イエス様を信じて心から従えば、必ず祝福されます。主が共にいるかどうかが問題ですので、これから主とともに恵まれた「幸運な人」として歩んでいきましょう。お祈りします。


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