さぁ、元気を出して!

2004.2.22(SUN)
新城教会 滝元 順牧師

新約聖書 使徒の働き 27章22節〜26節
しかし、今、お勧めします。元気を出しなさい。あなたがたのうち、いのちを失う者はひとりもありません。失われるのは船だけです。昨夜、私の主で、私の仕えている神の御使いが、私の前に立って、こう言いました。『恐れてはいけません。パウロ。あなたは必ずカイザルの前に立ちます。そして、神はあなたと同船している人々をみな、あなたにお与えになったのです。』ですから、皆さん。元気を出しなさい。すべて私に告げられたとおりになると、私は神によって信じています。私たちは必ず、どこかの島に打ち上げられます。」

 ハレルヤ!こうして、皆さんとともに礼拝できることを感謝します。今日は、「さぁ、元気を出して!」というタイトルでお話しします。
 皆様はお元気でしょうか?「元気です」と言われる方と、「あまり元気でない」と言われる方もおられるかも知れません。しかし、教会とは、失った元気を回復するところです。ぜひ、元気を取り戻して帰ってください。
 ここに、主がおられます。神の霊によって、主が住んでおられます。もちろんこの場所だけでなく、至る所、主を信じる者たちとともに、主の霊が働いておられます。神には暗いところは一つもありません。ですから、イエス様は私たちに元気を与えてくださいます。新しい力を受けて一週間を始めましょう。
 人々は教会に、色々な理由で来ます。どんな理由があったにせよ、イエス様に出会うならば、人生は変えられます。
 先々週私は、「弟子教会」で奉仕させていただきましたが、その教会の牧師は金沢先生です。先生は元ヤクザでしたが、イエス様を信じて新しくされ、牧師にまでなりました。弟子教会には、金沢先生の同級生で、別の組のヤクザであった人までもクリスチャンになって教会に来ています。彼は、全く新しくされて、とても明るい人で喜んで主に仕えています。私は彼に、「どのようにして、クリスチャンになったのですか?」と訪ねました。
 彼はある日、「同級生の金沢が牧師になった」という噂を聞いたそうです。それを聞いて、「彼は気が狂ってしまったのだろう・・」と思ったそうです。しかし、それを聞いて、「彼はまだしも、嫁さんまでもキリスト教に引き込まれて、可哀想だ」と思い、奥さんを救出するために教会に乗り込んでいったそうです。
 会堂に入ると、丁度、献金の時でした。それを見て、「やっぱり、あいつの目的は金儲だ・・」と思ったそうです。その時、ある人が、封筒に一万円札を入れて献金していたのを見て、四十人程いたので、「一回で四十万円か・・。儲かるな」と計算し、「牧師も悪くない」と思ったそうです。彼は、全ての献金を牧師がもらうと勘違いしたのです。献金は、決して牧師の儲けではありません。主のために用いられます。彼は何もわからなかったのです。
 しばらくすると賛美が始まり、彼の後ろから「ハレルヤ!」と大声で賛美する女性の声を聞いたそうです。「うるさいな」と思いつつ、後ろを振り返ると、何とそれは金沢先生の奥さんでした。「これは夫婦揃って狂っている」と思ったそうです。彼はそんな目的で教会に来たのですが、やがてイエス様に捕らえられたのです。
 彼は見かけは元気そうで強がっていましたが、大きな問題がありました。なぜなら、覚醒剤がやめられなかったからです。ある日、彼は電車に乗って、自分で使う覚醒剤を買いに行く途中、とても虚しくなったそうです。「俺はなぜ、覚醒剤をやめることができないのだろう・・」すでに、彼の体はぼろぼろになっていたのです。
 そのとき、彼は自分の力ではどうにもならず、イエス様の力が必要であることに気づいたのです。やがて彼は、イエス様によって完全に解放され、本当の意味で、真の元気を取り戻しました。
 現在彼は、覚醒剤中毒で苦しんでいる人々を助ける仕事をしています。イエス様と出会うならば、不可能が可能になり、どうにもならない領域からも解放され、真の元気を取り戻すのです。
 今日の御言葉は素晴らしい励ましの言葉です。「しかし、今、お勧めします。元気を出しなさい。」二十五節でも、「ですから、皆さん。元気を出しなさい。」と励ましています。これはパウロが神からの霊感を受けて、人々に語った言葉です。イエス様は今日、あなたに、「元気を出しなさい」と語っておられます。
 先日テレビを見ていて、「最近の世の中はこんなものなのかな」と思って、笑ってしまいました。それは、コンビニのコマーシャルで、一人の青年が店に入ってきて、「すみません。勇気って置いてありますか。」と店員に尋ねると、「ありますよ。」と店員が答えます。「どこにありますか?」
 すると店員は答えます。「あなたの心の中に・・」それを聞いて、男性はくるりと向きを変えて、もう一人の女性に勇気を出して「結婚してください。」と言うのです。初めは、意味がわかりませんでしたが、よく見ていると意味がわかりました。
 男性ならば、堂々とプロポーズすれば良いのですが、現代社会の男性は元気がなく、勇気がないのです。独身の男性の方々、結婚したいと思ったら、堂々と言ってみてください。しかし、なかなか勇気が出ない、元気が出ない時代です。イエス様は私たちに、勇気と力を与えてくださるお方です。
 この言葉は、最悪の事態の中で語られました。その様子が、使徒の働き二十七章の十八節から二十節に書かれています。パウロはその時、イエス様を伝えたかどで捕らえられ、囚人船に乗せられ、ローマに向かう途中でした。その途中、ユーラクロンという大暴風に遭いました。それで、どうにもならない状況になりました。
『私たちは暴風に激しく翻弄されていたので、翌日、人々は積荷を捨て始め、三日目には、自分の手で船具までも投げ捨てた。太陽も星も見えない日が幾日も続き、激しい暴風が吹きまくるので、私たちが助かる最後の望みも今や絶たれようとしていた。』
 ここに「私たちが助かる最後の望みも今や絶たれようとしていた」と記されています。人生の中で、そんな体験はありますか?ある人は、「もう駄目だ!最後の希望も断たれた」というような体験をされたかも知れません。特に、戦争を経験された方は、助かる最後の望みまでも絶たれるような状況に追い込まれたかもれません。
 私も短い人生ですが、小学校二年生の時に桜渕で溺れて、「もう駄目だ。これで死ぬ」と覚悟を決めたことがありました。ちょうどそんな状況の中で、パウロは人々に語ったのです。
『しかし、今、お勧めします。元気を出しなさい。あなたがたのうち、いのちを失う者はひとりもありません。失われるのは船だけです。』
 船が出港する前に、パウロは囚人を統括する百人隊長に、「船を出さない方が良いです」と言いました。使徒二十七章十節から十一節に、
『「皆さん。この航海では、きっと、積荷や船体だけではなく、私たちの生命にも、危害と大きな損失が及ぶと、私は考えます。」と言った。しかし百人隊長は、パウロのことばよりも、航海士や船長のほうを信用した。』
 パウロは神から示され、出航すると船だけでなく、いのちまでも危ない目に遭うからやめた方が良いと勧めました。しかし、船は出ていきました。案の定、パウロが忠告したとおりに、大嵐が来て、船内は絶体絶命の状況に陥りました。
 百人隊長がパウロの忠告を聞いていたら、そのようにはなりませんでした。忠告を聞かなかったゆえに、大変なことになりました。
 元気を失わない一つの秘訣は、「誰かの忠告を聞くこと」です。私はここでよく語りますが、ご主人は奥さんの忠告を聞くことが大切です。私の妻は私によく忠告してくれます。しかし、言われると頭にきます。それで、忠告を聞かずに突っ切ってしまうことがあります。そうすると、案の定、ユーラクロンにはまります。
 最近私は気が付きました。神様は、主人を守るために妻を与えています。また神は人を守るために、自分だけではなく、他人の目を与えています。教会に来ると、心から信頼しあう真の友を得ることができます。互いに、愛の中で忠告し合うことによって、人生はうまく進みます。
 教会はある意味で、神の忠告を聞く場所です。御言葉を毎週学びますが、聖書を学ぶことは、神からの忠告を聞くことです。パウロは航海の専門家ではありませんでしたが、神の言葉を語りました。教会に来ると、知らないうちに神の忠告を聞いているのです。特に、罪に対してはっきりとした基準を受け取ります。何が良いことで、何が悪いことかわかってきます。罪の基準を聞いている内に、私たちは元気を取り戻し、危険な目に会うことがなくなります。
 特に神から聞かなければならない忠告とは、「偶像礼拝と不品行」についてです。今の世の中は、性的にたいへん乱れています。それが普通のように考えられています。しかし、それは大きな罪であり、結果的に元気を失います。
 先日テレビで、現代の若い世代に性的乱れが多く、高校生くらいで悪い関係に陥る人が多くいるとレポートしていました。そしてそれが原因で、若い女性の中に、危険な病気が潜んでいるというのです。それはやがて、ガンになる手の施しようのない恐ろしい病気だそうです。その病気にはまだ治療法がないそうです。
 すべてとは言いませんが、そのような罪のゆえに、人々は病に陥るのだと思います。
 教会に来て、性的な領域においての聖さを保つことは、元気を失わないために重要です。このような忠告は、普通のところでは聞くことができません。しかし、教会では聞くことができます。聖く歩むならば、元気を失うことがありません。
 時々、忠告を聞かずに悪い結果が出ることがあります。そのようになると、私の家庭でも、「そら見なさい」と言います。忠告した方は勝ち誇ったかのように言います。そのようなとき、失敗した人は肩を落として落ち込みます。
 ある意味で、船内の人々は、百人隊長がパウロの忠告を聞かなかったゆえに、いのちまで脅かされるような危険に遭遇しました。その時にパウロは言いました。
二十七章二十一節に

『だれも長いこと食事をとらなかったが、そのときパウロが彼らの中に立って、こう言った。「皆さん。あなたがたは私の忠告を聞き入れて、クレテを出帆しなかったら、こんな危害や損失をこうむらなくて済んだのです。』

 これは「忠告を聞かなかったからこうなったんだ」、要するに、「そらみろ!」と言っています。しかし、今日の主題の言葉はどこに位置するのでしょうか。それは、この次の節に位置します。「わたしの忠告を聞いて出発しなければ、こんなことにならなかったのに・・・しかし、今、お勧めします。元気を出しなさい。」となっているのです。
 聖書の素晴らしいところは、人間ならば、「お前が忠告を聞かないから、こうなるんだ。あんたが悪い!」と責めたてて終わります。しかしイエス様は、決して、「そら見ろ、私の言うことを聞かないから、そういう目に遭ったんだ。病気になったのだ。」と責め立てるのではなく、「しかし今、元気を出しなさい」と励まして下さるのです。
 大きな失敗をして、絶体絶命だという人に対してイエス様は、「元気を出しなさい」と語っています。決して神は、私たちを見捨てません。イエス様に信頼するならば、元気を失わないというのが聖書の教えです。
 さて、人生において元気を失う大きな要因とは何でしょうか。特に、病気になると元気がなくなります。しかし神は、私たちが健康であるようにと願っていると記されています。第三ヨハネ一章二節に、
『愛する者よ。あなたが、たましいに幸いを得ているようにすべての点でも幸いを得、また健康であるように祈ります。』

 これは皆さんに対する祈りです。イエス様は私たちに、「わたしの言うことを聞かないから病気になった」とは言われません。どのような理由があったにせよ、「あなたが健康であるように」と語られます。
 教会に来ると、「たましいに幸いを得」とありますが、まず、心が変えられます。そして、やがて体も元気になります。同時に体の病に対しても、超自然的な癒しを与えてくださいます。人間には、色々な癒しの機能が神から与えられていますが、超自然的な癒しの法則をも、あなたに適用してくださいます。
 昨日私は、今日のメッセージを考えながら、一冊の本を読んでいました。そこに、「心の病は体の病気に似ています」という記事がありました。
 「心の病は、体の病気に似ていますが、外面的に健康に見える人でも、実は色々な隠れた心の病気と障害を持っているものです。
 例えば、心の風邪ひきは、愚痴と不平の咳を連発します。心の喘息の場合は、言い争いと、喧嘩の発作にしばしば悩まされます。心の結核にかかったときは、恨みと妬みの影が胸に広がり、悪口やら、そのタンが出て、ついには怒りの大喀血となります。心の高血圧で苦しむ人は、高ぶりでいっぱいで、よくイライラします。心のらい病の人は、淫らなことを、間違った男女関係を楽しみとして、ただれた状態となり、汚れた思いと言葉と、行いの腐れが広がり、その結果、離婚まで発展し、家族を泣かせてしまっていることが多いのです。」
とありました。心が病んでいると、現実の世界に色々な問題が発生します。「私は愚痴と不平の連発だ」というのは、「心の風邪ひき」だそうです。このような事柄に関しても、イエス様は原因をとって心を健康にしてくださるばかりか、体も元気にしてくださいます。
 今日も教会に集いましたが、日曜日とは、主が特別に用意されている、「癒しの日」です。今日も賛美の中で恵まれました。主の霊が注がれていることを感じました。その注ぎの中には、癒しの力が備わっています。私は、いつも礼拝に出るときに、「主よ。私の魂も、肉体も全て癒してください」と祈っています。
 先週の礼拝はとても恵まれました。ウガンダでリバイバルが起こって、国が根こそぎ変えられているレポートを見ました。私も涙が止まりませんでした。皆が涙を流して、感動しました。中学生までも感動して、涙が出たと言っていました。ウガンダに流れている癒しの力が、この教会にも注がれた証拠だと思いました。ウガンダにおいては、エイズで苦しんでいる人々がWHOが驚くほど減少したのです。それは神の霊が注がれたからです。
 その中で、神は招かれるところに来られると語られていました。私たちも心から、イエス様をお招きしなければなりません。「イエス様、私の人生に来てください。私の病に来てください。私の心に来てください」とお招きするのです。
 同時に人間は肉体だけでなく、たましいだけでなく、もっと深い領域に「霊」という領域があります。テサロニケの手紙第一の五章二十三節に、
『平和の神ご自身が、あなたがたを全く聖なるものとしてくださいますように。主イエス・キリストの来臨のとき、責められるところのないように、あなたがたの霊、たましい、からだが完全に守られますように。』
 イエス様は、あなたの「霊とたましいと体」が、完全に守られることを願われています。特に、霊の領域が守られなければなりません。
 「霊」とは、霊的存在に結びつこうとする機能です。人間だけが霊的存在に結びつこうとします。人間と猿は構造上はあまりかわりませんが、まったく違う領域があります。それが祈りです。人間だけが祈ります。日本人は正月に、八千万人以上が神社に出かけて祈ります。それが霊の領域です。しかし、霊の領域がどこにつながっているかによって、人生の方向が全く変わります。ですから、私たちの霊が元気になることは、とても重要です。教会に来ると霊の領域が、天地宇宙を造られた神につながります。ですから、神の無限大のいのちが私たちに流れてきて、魂も体も元気になります。ですから霊が元気を取り戻すことは重要です。
 霊的な領域が健康になるために、どうすべきかについて聖書は、次のように教えています。エペソ五章十八節に、
『また、酒に酔ってはいけません。そこには放蕩があるからです。御霊に満たされなさい。』

 人はなぜ酒を飲むのでしょうか。それは元気を回復するためではないでしょうか。会社でストレスがあったり、元気がなくなったときに酒を飲みます。飲むと酔っぱらって、嫌なことを忘れて、「課長がなんだ、部長がなんだ・・・」と大きなことを言います。しかし酔いが覚めてしまうと、更に深い失望と落胆に陥ります。だから酒を飲んでも良いことは何一つありません。
 クリスチャンになると、酒を飲まなくても生きることができるようになります。酒は全く良いものではありません。酒を飲んでいると人生が狂います。イエス様の力で酒をやめなければなりません。アル中の人も、初めからアル中になることはありません。一杯の酒から始まるのです。ですから、その一杯をやめなければなりません。覚醒剤中毒も、たばこ中毒も同じです。一本から始まります。私たちは酒の脅威から守られるように、祈らなければなりません。
 その代わりに、「御霊に満たされなさい」と言われます。酒飲みは酒を飲んだときだけ嫌なことを忘れますが、聖霊に満たされると、人は常に神の霊による喜びで満たされます。
 この二月は、私にとって忘れることのできない月です。なぜならば、一九九二年二月十三日に、愛知県民の森で祈っているときに神の霊が私に訪れてくださったからです。それから私は本当の意味で元気になりました。そのころも私は牧師でしたが、あまり元気の良い牧師ではありませんでした。空元気だけはありましたが、心底から元気ではありませんでした。「これからどうなるのだろうか・・」といつも不安がありました。しかし、聖霊様に触れられたときに、心底変えられました。私は古くから教会に来られている方々によく言われます。「新城教会に色々な奇跡があったけれど、一番の奇跡はあの順牧師が変わったことだ」と言われます。私は聖霊様によって、本当に元気になりました。
 教会に来ると、聖霊の満たしという素晴らしい元気の源があります。クリスチャンになったら、「聖霊に満たされたクリスチャン」になってください。私たちがイエス様を救い主として信じたら、永遠のいのちを得ています。死んでも、天国に行くことができるので安心です。イエス様を救い主として信じるならば、元気があってもなくても、天国に入ることができます。イエス様を信じたら、多少性格が暗くても、やがて天国に入れるので大丈夫です。しかし人生を苦しんで歩むのは辛いですから、聖霊に満たされなければなりません。聖霊に満たされたクリスチャンは、日頃の生活にも活力があります。聖霊の満たしをぜひ願ってください。神の霊によるサポートがあります。神の霊が私たちを取り囲んで守っているならば、悪しきものは近づかず、病や諸問題からも守られます。聖霊の満たしは重要です。霊の健康のために、神は、「聖霊に満たされる」という法則を私たちに提供しています。
 マタイの福音書十二章二十八節に、
『しかし、わたしが神の御霊によって悪霊どもを追い出しているのなら、もう神の国はあなたがたのところに来ているのです。』

と記されています。人間が元気を失う真の原因は、見えない敵がいるからです。敵が私たちの元気を奪っているのです。だから、敵が打ち破られないと一度元気を回復しても、また元に戻ってしまいます。
 しかし聖霊に満たされると、敵が打ち破られるのです。神の御霊によって、悪霊どもが追い出されるのです。
 イエス様を信じるとは、何と素晴らしいことでしょうか。誰にも勝利できない宿敵、「悪魔とその軍団、悪霊ども」に対して、勝利することが出るからです。それゆえに、私たちは元気を回復することができます。教会に来て元気を取り戻せたら、それは、背後に働いている悪霊が打ち砕かれた結果です。それは聖霊様の働きです。
 先週、この教会に遠方から、まだクリスチャンではない一人の婦人が祈りを求めてやって来ました。
 彼女はかつて自分の健康のために、中国の気功師のところに行ったそうです。そして八年間、祈りを受け続けたそうです。しかし、年を重ねるに連れて段々と束縛されてきたそうです。その気功師に頼んで、気を入れてもらうと少しは元気にはなるけれど、(日本語の「元気」の「気」も気功との関連があるので、断ち切る祈りが必要ですが)その後、からだが締め付けられるようになり、どうにもならなくなったそうです。
 それで気功師に言いました。「私はもうここに来るのをやめます」すると、気功師は、「やめたらひどい目に会う」と言いました。しばらくすると、気功師が彼女に術をかけ、離れたところから気を送るようになりました。「気」とはただのエネルギーではなく、「悪霊」です。気が送られると体が締め付けられて、二十分くらいは動きがとれなくなるそうです。それでどうにもならなくなって、気功師に電話をして、解いてもらわなければならないと言うのです。それが続いた為に、精神的にも大きなダメージを受け、どうにもならなくなったそうです。
 医者のところに行くと、「これは医学ではわからない」と言われ、彼女に密教の祈祷師を紹介したそうです。今度は密教の祈祷師と関わるようになりました。すると、状態はもっとひどくなり、普通の生活ができなくなったそうです。さらに、他の新興宗教にも行き、状態はさらに絶望状態になったそうです。
 世間には、結構そんな人たちが、多くいるのかも知れません。やればやるほど締め付けが強くなるのです。
 彼女は近頃、ある人からこんな噂を聞いたそうです。「本当に解放されたいと思ったら、愛知県の新城教会に行きなさい。そこで解放されなければ、他のどこに行っても解放されませんよ・・」これは、誰かが、その人に言った言葉なので、誤解しないで下さい。
 先日、その人から私に電話がかかってきました。「私はまだ、クリスチャンではありませんが、祈ってもらえますか・・・」
 私は、「いつでも来てください」と言いました。それでスケジュールを調整し、先週、教会に来られたのです。
 私は、その事を廻りに話して、県民の森の祈祷会でも特別に祈ってもらいました。先週私は、ある意味で、国を背負うような気持ちで、その人のために祈りました。
 しかし先週はタイミング良く、夏目伝道師を通して、サンデースクールで中国の気功やオカルトについて学びました。ですから、そこで学んだ知識もあったので、そのことも話してあげました。「気は、ただのエネルギーではなく、悪霊の力だから気功や占いなどをやめて下さい。続けていれば、苦しみが倍増していくだけだ」と話し、「イエス様を信じ、家にある偶像をすべて捨ててください」と話して、彼女を救いに導きました。
 すると彼女は、「私もイエス様を信じたい!」と言って、心からイエス様を信じました。そして、今まで悪霊と結んだ契約を断ち切る祈りをしました。すると、彼女の上に激しく聖霊様が臨み、悪霊の束縛が打ち破られたのです。それで、帰るときには元気になりました。(後からも「根底が変わったみたいで、大へん元気になった」と連絡がありました)
 祈りが終わったら、「ところで、祈祷料はおいくらですか?」と聞かれました。私は、「それでは請求書を出します」と言いました。「おいくらですか?」「はい、タダです」と答えました。「えっ、タダですか?」と驚いた顔をされていました。
 イエス様は、タダで元気を回復させてくださるお方です。彼女は、遠くから交通費やホテル代をも支払って、主を求めて来られたのです。そのように真剣に求める人たちを、主が助けてくださらないはずはありません。
 彼女はあまりにも気功師に苦しめられていたので、弁護士に頼んで、「これ以上、気を送ったりして妨害すると訴えます」という書類まで作成して持っていました。それを見て、私は、本当に彼女は苦しんでいると思いました。世の中には、そのような方々が大勢いると思います。
 祈りの後、彼女はこう言っていました。「私が解放されたら、今度は、多くの人を解放するために働きたい」
 彼女は、「これからイエス様のために、一生かけて生きていきたい」と語っていました。
 
 パウロは自分も絶体絶命の中で、「皆さん。元気を出してください!」と言うことができました。彼自身も、船内にいた人々と同じように絶体絶命でした。しかし彼は、「元気を出しなさい」と人々を励ます事が出来、本当に、全員が助ったのです。
 なぜそこまで、確信があったのでしょうか。なぜなら彼は、以前、神から一つの言葉を受け取っていたからです。使徒二十三章十一節に、
『その夜、主がパウロのそばに立って、「勇気を出しなさい。あなたは、エルサレムでわたしのことをあかししたように、ローマでもあかしをしなければならない。」と言われた。』
 これは彼がエルサレムで迫害を受けていたときに、主が彼に語った言葉でした。「・・勇気を出しなさい。あなたは、エルサレムでわたしのことをあかししたように、ローマでもあかしをしなければならない。」沈みかけた船中でも、彼には信仰がありました。「私は、絶対に大丈夫だ。絶対に死ぬことはない!」
 なぜなら、「神が与えた使命は必ず成し遂げられる」と、彼は信じ切っていたからです。
 私たちが元気を回復する秘訣は、「信仰」にあります。私たちには使命があります。それが果たされるまでは、絶対に死にません。パウロには、「ローマにおいて証しする」という使命がありました。そのような使命があるならば、途中どんなことがあったとしても、決して滅びないのです。それゆえに、彼は大胆に人々を励ますことができたのです。
 元気を回復する根源に、信仰が必要です。あなたにも神の使命があります。使命が終わるまで、神は私たちを生かしてくださいます。今日、神はあなたに「元気を出しなさい。立ち上がりなさい。」と語られています。なぜなら、あなたには使命があるからです。人間として造られたのには、神の目的があるのです。神はあなたを、使命のために使いたいと願われています。
 先週見た「トランスフォーメーション_」のビデオの中で、ウガンダのクリスチャン議員の女性が、「神によって解放されたら、今度は神の使命に焦点を合わせるべきである」と語っていた言葉は感動的でした。私はその言葉を聞いて、素晴らしいと思いました。
 イエス・キリストを信じることは解放であり、元気を取り戻す秘訣です。しかし、元気になったら、今度は、神の使命に焦点を合わせることが大切です。そうしたら、決してあなたは元気を失うことがありません。多少、元気を失っても、必ず、回復するのです。
 今日は回復のために、神からの忠告を受け取りましょう。もし、罪があったら悔い改めましょう。ウガンダのリバイバルも徹底的な悔い改めとともにありました。病があったら癒されますように。霊、肉、たましいが健康でありますように。心が病んでいる人も祈ってください。また、霊的回復のためにも祈ってください。そのためには、聖霊の力が必要です。神の霊で満たしてくださいと祈りましょう。
「今私たちは、イエス様のお名前で祈ります。この祈りを聞いてください。私を神からの力で満たしてください。元気にしてください。勇気を与えてください。今週一週間、神の霊に満たされて、力に満たされて元気よく、神の使命を果たすために生きることができますよう、助けてください。私を破壊しようとする問題をすべて打ち破ってください。健康を与えてください。健康と力をください。霊も魂も肉体も健康にしてください。病気にならないように守ってください。聖霊の力によって守ってください。私を攻撃する、悪魔の力を完全に打ち破ってください。天の軍勢を私の周りに配備してください。家族に、親族に、人間関係に、天の軍勢を配備してください。
 今一度、イエス様に願います。私を元気にしてください。力をください。イエス様の名によって、勝利を宣言してお祈りします。アーメン」


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