あなたがたの心の目がはっきり見るように

2004.5.23(SUN)
新城教会 滝元 明師

新約聖書 エペソ人への手紙 1 章 17 節〜 19 節
どうか、私たちの主イエス・キリストの神、すなわち栄光の父が、神を知るための知恵と啓示の御霊を、あなたがたに与えてくださいますように。また、あなたがたの心の目がはっきり見えるようになって、神の召しによって与えられる望みがどのようなものか、聖徒の受け継ぐものがどのように栄光に富んだものか、また、神の全能の力の働きによって私たち信じる者に働く神のすぐれた力がどのように偉大なものであるかを、あなたがたが知ることができますように。

 ハレルヤ!今日は久しぶりに新城で御言葉を取り次ぐことができて感謝します。先週は、沖縄での総決起大会があり、皆さんのお祈りにより祝福されたことを感謝します。今日は「あなたの心の目がはっきり見えるように」というテーマで学びます。

『どうか、私たちの主イエス・キリストの神、すなわち栄光の父が、神を知るための知恵と啓示の御霊を、あなたがたに与えてくださいますように。また、あなたがたの心の目がはっきり見えるようになって、神の召しによって与えられる望みがどのようなものか、聖徒の受け継ぐものがどのように栄光に富んだものか、また、神の全能の力の働きによって私たち信じる者に働く神のすぐれた力がどのように偉大なものであるかを、あなたがたが知ることができますように。』

と記されています。神を知ることは、聖霊の助けによることだと教えています。神を知るための知恵と啓示の御霊を、あなたがたに与えてくださいますようにと記されています。今日も、この時間に聖霊様が皆さんに触れてくださり、御霊の働きにより益々イエス様を知ることができるよう、覚えて祈っていきたいと思います。

 私たちには肉の目があります。しかし聖書には、「心の目」が開かれるようにと書かれています。

 一九九三年に甲子園球場で大きな集会がありました。その集会の時に、実行委員長として有賀喜一先生、準備委員長として平岡修治先生が立ち上がってくださいました。そして私たちとともに話し合いました。その中では、これからの戦いはどうしても「霊的な戦い」が必要だと話していました。「霊的な戦い」と聞いたときに、そこにいた何人かの先生方が「やばいことを言う」と考えました。霊的戦いという言葉は聞き慣れていないので戸惑いました。そして、有賀喜一先生がその時に、こう言われてました。「先生、こういう大きな集会をすると、誰かが死ぬのです。」私は、「冗談ではない。喜び楽しみながら行いたい」と話しました。しかしやがて、戦いが進んで行くに連れて、私たちはある意味でこの戦いは血肉の戦いではなく、悪との戦いであるということがわかりました。非常に大きな戦いに遭遇しました。この教会でも色々な戦いがありました。その時、私は有賀喜一先生に、「先生、本当にこのような集会の時に亡くなった人がいますか。」と聞きました。すると、ビリーグラハム先生が初めて日本に来られたときに、大会長をされた先生が大会後間もなく、亡くなられたと言われました。また、第二回目に来られたときにも、全国大会の委員長をされた方が亡くなられたと言われました。それを聞いて、「嫌なことをいうなあ・・」と思いました。

 しかし、感謝なことに、あの大きな甲子園の集会の時には誰も亡くなりませんでした。日本を動かし、国を動かすリバイバルのために働くと、サタンも真剣になって挑戦してきます。そのような中で、私たちがなぜ守られたかを考えました。それは、一九九二年二月十三日に県民の森で聖霊が降り、この教会に霊的戦いが開かれたからです。そのことによって守られたと思います。

 この中には、霊的戦いについてよくわかって、とりなして祈っている方もいますし、ある方は、新城教会の霊的戦いは行き過ぎていると言われるかも知れません。または、「信じられない」と言われる方もいるかも知れません。しかし、信じても信じなくても霊的戦いに目覚めなければ、勝利することができません。ですから、一人一人が霊的戦いについて目覚め、把握することが大切です。

 今日は午後のサンデースクールで、霊的戦いについて中川丈先生が教えてくださいます。私が伝道生涯の中で、日本リバイバルクルセードの中で、「南海クルセード」を開催しました。今でも忘れませんが、堺市民会館で日曜日に集会をしました。私は講壇に立ちました。ずっと集会が続いていたので、疲れ切って説教ができないのではないかと思っていたくらいでした。声も出ないくらいで、「イエス様。助けてください。」という気持ちで説教をしました。しかし、不思議なことに、私が講壇に立ち、説教を始めた途端に疲れが引き、素晴らしい説教ができました。「何と良い説教をするのだろうか・・」と、自分でも感心するくらい良い話をしました。とても多くの決心者が出ました。そしてすぐに新城教会に電話しました。すると次男の望が電話に出て、「お父さん。今日の集会良かったでしょう。」と言いました。なぜかと聞くと、「新城でその時間中祈ったから・・・」と言うのです。私は、祈ったから上からの力で疲れが取り去られたことがわかりました。ですから今、皆さんがとりなしの祈りをしてくださることが、どんなに大きなことかと思います。ぜひ続けてお祈りください。ある意味で、こちらで祈ったことが、あちらで勝利するとは、目に見えない世界の動きですが、神様の働きは素晴らしいです。

 随分前に、アフリカから宣教師が飛行機に乗ると、隣におばさんがおり、彼女は機内食を食べませんでした。そこで、「あなたはどうして食事をしないのか」と聞きました。すると彼女は、「今、断食をしている」というのです。

 彼女はアフリカの霊媒師でした。何のための断食かと聞くと、「牧師たちが姦淫の罪を犯して、駄目になるように断食している」と言いました。その宣教師は震え上がりました。私たちの格闘は、サタンに対する戦いですので、サタンはいつも狙っています。ですから、霊的な面で勝利するか、敗北するかは非常に大切です。牧師たちのために祈ってください。女性で失敗することがないように。

 ある意味で悪魔・悪霊たちは作戦を練っています。一番倒したいのは牧師たちです。女性を持ってきて姦淫をさせたり、高ぶらせたり、病気にしたり、交通事故などでサタンは策略を企ててきます。

 あまり良い話ではありませんが、先週私が沖縄から帰ると、電話がありました。「先生、Y教会の副牧師が交通事故で亡くなりました。」と言うのです。東京ミッションでお世話になった先生でした。次の日に平岡先生から電話があり、「代表して葬式に行って欲しい」と言われました。とても大きな葬式でした。前夜式に千百名が集まり、葬式には八百名集まりました。悲しい葬式でした。先生は五十才でした。

 なぜそんな若い先生が亡くなったのでしょうか。聞いてみるとオートバイで出ていき、止まっているトラックに衝突して亡くなられたそうです。ある方はこう言われると思います。「なぜ、亡くなったのですか」と聞かれると思います。

 一番大きな理由は、彼に責任があります。それは不注意だと思います。私たちは、不注意で事故を起こさないようにしなければなりません。スピード違反をして死んだら、神の責任ではなく、自分の責任です。だから気をつけなければなりません。

 先日テレビを見ていました。そこでは、シートベルトをしている人と、していない人のどちらが死亡率が高いかと話していました。すると、後ろの二人がシートベルトをしていいない状態でぶつかると、亡くなるのは運転手だそうです。エアバックと、後ろの人に挟まれて亡くなるそうです。最近、私も後ろの席に乗るときにもシートベルトをしています。注意することが大切です。

 しかし、聖書から調べると、「空の鳥一羽も神様の許しなく、地に落ちることはない」とありますので、何らかの計画があって先生は亡くなったとも思います。奥さんは若いです。彼女がコメントをしていました。「お父さんはずるい。自分だけ先に天国に行って・・・」と言っていました。残された人は悲しいです。

 少し前に、リバイバル新聞に大きくニュースが記載されました。東京ドームで五万五千人を集めてゴスペルのコンサートを開く計画でした。私はそれを見て、先生は霊的に狙われたように感じました。先生はその働きを担っておられたからです。ですから、私たちは本気で霊的戦いに目覚めてとりなし、サタンとの関係を断ち切り、偶像礼拝から解放されることが大切です。常識だけではいけません。はっきりと、守りを祈る必要があります。自動車に乗って出発する時に、「主よ。お守りください」と祈ることが大切です。食事の前も、一杯のコーヒーを飲むときも、主に感謝して祈ることが大切です。教会で悲しい事故がないように祈っていきましょう。

 特に、私のために祈ってください。沖縄スーパーミッションでは、十一月五日から七日まで、五千人入る野外劇場で大会があります。その前に、色々な教会を回って伝道集会をします。ミッションニュースに「滝元はいつでも奉仕できます」と記載しました。私は長男に主任牧師を任せたので、「滝元はいつも良い」と記載しました。申し込まれないのも悲しいですが、申し込みが多かったです。私は、沖縄に七十日間行きます。七月三日に家を出て、四日から二十五日まで集会をし、少し家に帰り、それから九月にまた出掛けます。その時には家内も一緒に行き、住み込んで十一月七日まで集会をします。ほとんど毎日のように集会をします。しかし、この度は、月曜日を休みにしました。毎日続けるのは疲れます。節制が大切です。とにかく、七十日間沖縄で伝道しますので祈ってください。私は沖縄でリバイバルが起こるように、また、沖縄で命を失っても惜しくないというような気持ちもありますが、一番大切なことは霊的戦いですので覚えて祈ってください。

 救われることはどういうことでしょうか。使徒の働き二十六章十八に、

『それは彼らの目を開いて、暗やみから光に、サタンの支配から神に立ち返らせ、わたしを信じる信仰によって、彼らに罪の赦しを得させ、聖なるものとされた人々の中にあって御国を受け継がせるためである。』

と記されています。イエス様を信じて救われることは、「彼らの目を開く」とあります。それは、心の目が開かれることです。彼らの目を開いて、暗闇から光りへサタンの支配から神の支配に立ち返らせるとあります。誰でも生まれつきの人間は、サタンの支配下にあります。イエス様の流された血によって、復活の力に預かることは、目が開かれ、サタンの支配下から、神の支配下に移されることであると書かれています。私たちは、ただ礼拝に来ているというだけではなく、新しく生まれ変わって神の支配に入ったのか、サタンの支配下から神の支配に移ったのか、暗闇から光に移ったのか、目が開かれているかが大事です。心の目がよく見えるようにお祈りしましょう。目が見えるためには、聖霊の助けが必要です。ヨハネの福音書十六章七節から十一節に、

『しかし、わたしは真実を言います。わたしが去って行くことは、あなたがたにとって益なのです。それは、もしわたしが去って行かなければ、助け主があなたがたのところに来ないからです。しかし、もし行けば、わたしは助け主をあなたがたのところに遣わします。その方が来ると、罪について、義について、さばきについて、世にその誤りを認めさせます。罪についてというのは、彼らがわたしを信じないからです。また、義についてとは、わたしが父のもとに行き、あなたがたがもはやわたしを見なくなるからです。さばきについてとは、この世を支配する者がさばかれたからです。』

と記されています。口語訳聖書の八節には、

『それ(聖霊)が来たら、罪と義とさばきとについて、世の人の目を開くであろう。』

と記されてます。聖霊が来ると、人の目が開かれると書かれています。目が開かれた人とは、「罪について義についてさばきについて誤っていることを認めさせる」と書かれています。これは目が開かれることです。

 目が開かれた人とは、罪についてわかった人です。聖霊が来ると罪についてわかります。新改訳聖書は、「罪についてというのは、彼らがわたしを信じないからです。」と書かれています。罪とは、イエス様を信じないことが罪だと聖霊によってわかるというのです。そして、一番大きな罪は、「わたしを信じないこと」とあります。

 聖書にはペンテコステの日に、聖霊が降ったことが書かれています。ペテロが聖霊に満たされてユダヤ人たちに語ったことは、「あなたがたが十字架につけたイエスを神は主となし、キリストとした。」と言いました。その時彼らは罪が示され、「兄弟がた。救われるために何をしたら良いか。」と聞きました。この時彼らは、罪についてわかりました。心が刺し通され、罪についてわかりました。あなたがたが十字架にかけたイエスは、主であり、キリストであるとわかりました。ユダヤ人にとっての一番大きな問題は、救い主が来るということでした。そして、ナザレのイエス、奇跡を行ったイエスがユダヤ人の待ち望んでいた救い主であり、神であるということがわかったときに、「何と大きな罪を犯していたか」とわかりました。

 「どうしたら良いか」と訪ねると、「イエス様を信じ、罪を悔い改めてバプテスマを受けることだ」言いました。イエス様を信じないことは大きな罪です。尾山令仁師先生の現代訳聖書を見ると、

『この方が来られると、三つのことを認めさせてくださいます。それは、罪と正しさとさばきについてです。罪についてというのは、彼らが自己中心の生活をしてあくまでわたしに反逆し、私を信じないことの根源が罪だということです。』

とあります。天国に行くか地獄に行くか、それはイエスを信じるか信じないかです。彼らが自己中心の生活をしていること、イエス様を信じないことが罪だと教えています。

 私もテレビを見ながら時々大笑いをします。江角さんが国民年金を納めていなかったことがわかってから、次から次へと国民年金の未納者が出ました。官房長官が、「これは常識外のことですね」と言いました。しかしその官房長官も納めておらず、辞任し、また次から次へと発覚しました。どんなに地位が高くても、新しく生まれなければ正しい生活をすることができません。聖霊によって、新しく生まれ変わり、心が開かれなければ新しい生活はできません。

 昨日は嬉しいことに、五人の方が北朝鮮から帰ってきました。感謝なことなのに悪口を言っている人もいます。しかし総理が良いとか悪いのではなく、本当は自分のことを考える必要があります。聖霊様が来たら、罪について義についてさばきについてわかるのです。イエス様が死んで救いを完成して、よみがえってくださったゆえに、正しい人間にされるのです。さばきについてとは、「この世の君がさばかれた」とあります。サタンを打ち砕いてくださり、イエス様が勝利をとってくださると信じることです。罪について義についてさばきについて誤っていることを認めさせてくださると書かれています。心の目が開かれるとは、霊的戦いの前に、自分の罪が示されることです。また、イエス様を見上げて、守りが必要です。いつも謙虚に、「イエス様。感謝します。私の罪を赦してくださったことを感謝します。サタンのわざを砕いてください。今日も勝利させてください。」という祈りが必要です。

 旧約聖書第二列王記六章十六節の御言葉を注目してみたいと思います。イスラエルとアラムが戦争をしました。戦争をしたときに、預言者エリシャという人物がいました。彼は霊的な目が開かれており、イスラエルの王様に、「アラムはここから攻めてくるから」と教えました。すると、イスラエルは勝ちました。アラムの王は、「スパイは誰か」と言いました。その時に、「王様。イスラエルには、預言者エリシャがいて、王の寝室で語られることまで知っているのです。」と言いました。それで王は、エリシャを捕まえるように言いました。

 朝、エリシャのしもべが外に出ると、敵が包囲していました。その時にエリシャはこのように言いました。十六節に

『すると彼は、「恐れるな。私たちとともにいる者は、彼らとともにいる者よりも多いのだから。」と言った。』

 時々私たちには色々な問題があります。しかし、霊的に目が開かれている人は、自分を守ってくださっている方がおられることを知っています。十六節から十七節に、

『すると彼は、「恐れるな。私たちとともにいる者は、彼らとともにいる者よりも多いのだから。」と言った。そして、エリシャは祈って主に願った。「どうぞ、彼の目を開いて、見えるようにしてください。」主がその若い者の目を開かれたので、彼が見ると、なんと、火の馬と戦車がエリシャを取り巻いて山に満ちていた。』

と記されています。しもべの目が開かれたとき、火の馬と軍勢が取り巻いていました。そして勝利がありました。

 一九九三年の甲子園ミッションの時は、子どもたちの目が開かれました。会場に天使がいるのが見えたそうです。甲子園の前に順牧師が、「韓国で働いている天使、インドネシアでリバイバルために働いている天使もくるように祈りましょう」と言いました。霊的な目が開かれていた彼らは、天使がいるのを見たと言いました。私は見ませんでした。しかし信じました。インドネシアから来た天使が、どのような格好をしていたかわかりませんが、私たちは信仰を持たなければなりません。ヨハネ第一の手紙四章四節に、

『子どもたちよ。あなたがたは神から出た者です。そして彼らに勝ったのです。あなたがたのうちにおられる方が、この世のうちにいる、あの者よりも力があるからです。』

と記されています。イエス様を信じた者には、聖霊が心に宿っています。どんな戦いでサタンが来ても、「あなたがたのうちにいるものは彼らよりも力があります」と信じることです。悪魔は「こいつは弱いから、そっとしておいてやろう・・」とは言いません。弱いと思うものこそ攻撃してきます。しかし聖書は、「サタンに立ち向かいなさい。そうすればサタンは逃げ去ります。」と書かれています。「弱いものも強いと言え」と御言葉があります。サタンに対して立ち向かうべきです。色々な問題が来て誘惑や恐れがきた時には、「私とともにいる聖霊様はお前より強い!」と宣言しなければなりません。私には聖霊様も、天使もいて守られていると宣言するべきです。強いことを宣言しましょう。神様が私たちを守ってくださいます。特に子どもたちは目が開かれています。子どもたちの中で、目が開かれてない子も目が開かれます。

 上條師が子ども達に、「今、イエス様が何と語られているのか聞いてみてください。」と言いました。すると、ある子どもが、「オバデヤ ○ 節」と言ったそうです。そして、「何章かはわからない」と言うのです。ただ、何節と言うそうです。なぜなら、オバデヤ書は一章しかないからです。

 武道館で私が説教をしたときに孫達が、「おじいちゃんが説教するときに、天使が回っていたよ。」と言いました。私には見えませんが、信じました。福岡の六年生の男の子が「先生が御言葉を話していたときに、周りに天使がいて守っていたよ。」と言いました。見えたら嬉しいですが見えません。しかし、信じています。心の目が開かれるように、どんなに弱くても強くても、今週は心の目が開かれるように。弱いけど、イエス様がいてくださるから大丈夫です。もし罪が示されたら、悔い改めて今週は目の開かれた素晴らしい人生を送りましょう。そこで互いに祈り合いましょう。必ず、車に乗るときは祈ってください。事故に遭わないように。弱い方も罪から守られ、目が開かれた人生を送りましょう。ともにお祈りしましょう。

『その方が来ると、罪について、義について、さばきについて、世にその誤りを認めさせます。』

もし罪があると、サタンは訴えます。しかしイエス様は赦してくださいます。信じましょう。弱い人も「私は強い」と言いましょう。まだ神がよくわからない方は、目が開かれるようにお祈りしましょう。

  遮目が開かれるようにお祈りしましょう。まだ神がよくわからない方は、目が開かれるようにお祈りしましょう。


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