神の武具を身に着けよ

2004.9.19(SUN)
新城教会 滝元 明師

新約聖書 エペソ人への手紙 6章 10 節〜 19 節
終わりに言います。主にあって、その大能の力によって強められなさい。悪魔の策略に対して立ち向かうことができるために、神のすべての武具を身に着けなさい。私たちの格闘は血肉に対するものではなく、主権、力、この暗やみの世界の支配者たち、また、天にいるもろもろの悪霊に対するものです。ですから、邪悪な日に際して対抗できるように、また、いっさいを成し遂げて、堅く立つことができるように、神のすべての武具をとりなさい。では、しっかりと立ちなさい。腰には真理の帯を締め、胸には正義の胸当てを着け、足には平和の福音の備えをはきなさい。これらすべてのものの上に、信仰の大盾を取りなさい。それによって、悪い者が放つ火矢を、みな消すことができます。救いのかぶとをかぶり、また御霊の与える剣である、神のことばを受け取りなさい。すべての祈りと願いを用いて、どんなときにも御霊によって祈りなさい。そのためには絶えず目をさましていて、すべての聖徒のために、忍耐の限りを尽くし、また祈りなさい。また、私が口を開くとき、語るべきことばが与えられ、福音の奥義を大胆に知らせることができるように私のためにも祈ってください。

 ハレルヤ!私は九月二十一日から十一月七日まで沖縄に行きますので、「私のためにも祈って下さい」という御言葉があるように、私のために祈って下さい。先々週も沖縄に行っていました。今年は頭の中の八割が沖縄のことです。重荷を持っています。沖縄にリバイバルが起こされるように祈って下さい。沖縄ミッションに来ることができる方はぜひ、お越し下さい。素晴らしい神のみ業を見せていただきたいと期待しています。今週から家内も一緒に沖縄に行きます。私も皆さんのために祈っていますので、ぜひ、私のためにもお祈り下さい。今日は、「神の武具を身に着けよ」というテーマで学びます。エペソ六章十三節に、

『ですから、邪悪な日に際して対抗できるように、また、いっさいを成し遂げて、堅く立つことができるように、神のすべての武具をとりなさい。』

と記されています。今の時代は「邪悪な時代」だと思います。最近の事を考えると、今の時代は正常ではありません。聖書の中の大艱難時代にでも入っているのではないか、と思わせるようなことがたくさん身近に起こっています。戦争、テロ、地震、ハリケーン、台風、殺人、不道徳など事件・事故がたくさんあります。黙示録十二章十二節に、

『それゆえ、天とその中に住む者たち。喜びなさい。しかし、地と海とには、わざわいが来る。悪魔が自分の時の短いことを知り、激しく怒って、そこに下ったからである。」』

と記されています。今の時代は、イエス様の再臨が近いので、悪魔の時間が短いのです。最後に悪魔が捕らえられて、地獄に落とされて封印され、イエス様が再臨されるという約束があるので、悪魔とその一味である悪霊たちは、何とかして人々が一緒に地獄に行くように仕向けています。私たちはその罠にかかってはいけません。ですから、私たちは真剣に祈って行かなくてはなりません。特にお子さんのおられる方は、子どもたちのためによく祈って下さい。特に私たちは敵についても考えなければなりません。「私たちの戦いは血肉ではなく、天にある悪霊との戦いである」と聖書は教えていますので、よく祈らなければなりません。

 先週、栃木の小山で悲しい事件が起こりました。三歳と四歳の子どもが殺されてしまいました。新聞やテレビで映された二人の子どもは、リバイバルミッションにも協力して下さっている小山の教会で、土曜日に流しそうめん大会に参加しました。テレビで放映されていた写真は、その時に撮られた写真だったそうです。二人の子どもはその日初めて教会に来たそうです。家庭内暴力や虐待を考えると、人知では考えることができません。悪霊の力です。

 またロシアでは、学校にテロリストが入って多くの子ども達が殺されました。それも、悪魔の働きだと思います。私たちは、しっかりと守られるように祈らなくてはいけないと思います。サタンは弱いところを攻撃してきます。ですから、サタンに負けないように祈らなければなりません。十一節に、

  『悪魔の策略に対して立ち向かうことができるために、神のすべての武具を身に着けなさい。』

悪魔の策略に対抗し、負けないように戦っていきたいと思います。ヤコブの手紙四章六節から七節に、

『しかし、神は、さらに豊かな恵みを与えてくださいます。ですから、こう言われています。「神は、高ぶる者を退け、へりくだる者に恵みをお授けになる。」ですから、神に従いなさい。そして、悪魔に立ち向かいなさい。そうすれば、悪魔はあなたがたから逃げ去ります。』

と記されています。サタンに立ち向かわなければなりません。祈らずに心配ばかりしていてはいけません。立ち向かうことが大切です。

 私は先週、一週間家にいたのでよく祈りました。「神様、お願いします。私も神の武具を身につけることができますように。」と祈りました。これから七十日程、沖縄で集会をするので、ぜひ祈って下さい。私は「若い」と思っていますが、年を考えると若くはないので、祈っていただかなくてはいけません。また守りが必要です。ですから、先週「神様の武具で覆ってくださり、勝利することができますように」と真剣に祈りました。エペソ六章十四節に、

『では、しっかりと立ちなさい。腰には真理の帯を締め、胸には正義の胸当てを着け、』

と記されています。私たちは神の武具で身を固めなければなりません。イザヤ書十一章五節に、

『正義はその腰の帯となり、真実はその胴の帯となる。』

ルカの福音書十二章三十五節に、

『腰に帯を締め、あかりをともしていなさい。』

とあります。尾山令仁先生の訳された現代訳聖書には、

『神の御前に偽りの無い心を帯として締め … 』

と記されています。真理についてイエス様がこのように言われました。『わたしは道であり、真理であり、いのちです。』と言われました。「真理はあなたがたに自由を与える」とも聖書に書かれています。真理とはイエス様です。ですから、いつでもイエス様と一緒にいることです。そうすれば、勝利することができます。私は今朝、会堂に来て聖書を読み、お祈りしました。その時に詩篇三十九章七節の御言葉をいただきました。

『主よ。今、私は何を待ち望みましょう。私の望み、それはあなたです。』

色々なことを求めておられると思います。ある方は癒し、ある方は経済的な祝福を求めておられるかも知れません。しかし、イエス様がおられたら、サタンに勝つことができます。どんな時にも「イエス様」と告白し、忘れないことです。イエス様がいたらサタンに勝利することができますので、腰の帯として着けていましょう。どんな時にも「イエス様」と告白していきましょう。「主の御名を呼ぶ者は、皆、救われる」と書かれていますので、イエス様を呼び求めていきましょう。問題があった時にイエス様を忘れることなく、いつも呼び求め、共に歩みましょう。

 次に、

『胸には正義の胸当てを着け … 』

と書かれています。ヨブ記には、『手のきよい人は力を増し加える。』と書かれています。サタンに対する戦いの中できよさは力です。きよさがなくては戦うことが難しいです。ローマ人への手紙十三章十二節から十三節に、

『夜はふけて、昼が近づきました。ですから、私たちは、やみのわざを打ち捨てて、光の武具を着けようではありませんか。遊興、酩酊、淫乱、好色、争い、ねたみの生活ではなく、昼間らしい、正しい生き方をしようではありませんか。』

正義とは、イエス様です。私たちの義とは、「十字架の血によって義とされた」と聖書に書かれています。いつでも、私たちは十字架を信じてきよらかな生活をしていくことがサタンに対する勝利の秘訣です。そして、

『足には平和の福音の備えをはきなさい』

と書かれています。サタンに勝つためには、イエス様を毎日証しすることです。イザヤ書五十二章七節に、

『良い知らせを伝える者の足は山々の上にあって、なんと美しいことよ。平和を告げ知らせ、幸いな良い知らせを伝え、救いを告げ知らせ、「あなたの神が王となる」とシオンに言う者の足は。』

とあります。

 私は十九歳の時に東京に勉強に行っていました。その時にイエス様を知り、信じました。救われたと当時、私は燃えて伝道していました。ある時、私は山手線に乗っておばさんの家に行きました。すると途中の電車の中で突然、「皆さん、お聞き下さい。私はイエス様を信じて結核が治りました。今私は、健康です。皆さん、イエス様を信じて下さい」と話す人に出会いました。ひとりのお祖父さんでしたが、後から聞くとある高校の先生でした。本当は電車の中で伝道しては行けないのですが、私も燃えて人をかき分けてそこに行き、「皆さん私もクリスチャンです」と話しました。そして別れ際にパンフレットをもらいました。それを見て、彼の所を訪問しました。すると、「兄弟。信仰が駄目になる秘訣を教えてあげる」と言われました。「何ですか?」と聞くと、「それは、伝道をやめることです」と言われました。毎日伝道していたら、必ず信仰は勝利すると言われました。だから私は毎日イエス様を伝えるようにしてきました。これは、私にとってサタンに勝利するための秘訣です。だから防御的にもイエス様を証しすることです。エペソ六章十六節に、

『これらすべてのものの上に、信仰の大盾を取りなさい。それによって、悪い者が放つ火矢を、みな消すことができます。』

勝利する秘訣は信仰です。信仰がなくてはいけません。サタンは不信仰を入れてきます。矢のように不信仰を打ち込んできます。「お前は駄目だ。」と訴えます。そうすると、ある人は、「やっぱり駄目だ」と思います。時々、自殺未遂をした方の話を聞くと、「お前は、駄目だ。生きる価値がない … 」という言葉を聞くそうです。しかし、『信仰の大盾を取りなさい』とあるので、私たちは信仰を持たなければなりません。そのような思いが来たら、「サタンよ退け!」と信仰を持って、立ち向かうことが大切です。信仰を持って下さい。もし不安が来た時には、何を考えたら良いでしょうか。「私はイエス様を信じている。神に愛されている。イエス様が共におられる」と信仰を持つことが大切です。そうしたらサタンは恐ろしくありません。十字架でイエス様は勝利されているからです。

 旧約聖書に蛇・サタンが人間を誘惑したことが書かれています。蛇は気持ちの良いものではありません。昔、私は蛇を殺したことがあります。蛇の頭を打っても蛇は動いている時があります。ちょうどそれと同じようです。サタンは十字架で頭が砕かれました。サタンはいかにも強そうに出てきますが、本当は恐ろしくないのです。信仰を持つことは非常に大切です。聖歌の中に、

光の高地に たむろなせる

主のつわものたち 身を備えよ

谷間に隠れて 隙をうかごう

悪魔の手下の 数は多し

信仰は勝利 信仰は勝利

信仰持て 世と 悪魔に勝たん

このように信仰をもって歩みましょう。次にエペソ六章十七節に、

『救いのかぶとをかぶり … 』

と記されています。イザヤ書五十九章十七節に、

『主は義をよろいのように着、救いのかぶとを頭にかぶり、復讐の衣を身にまとい、ねたみを外套として身をおおわれた。』

と記されています。また十九節に、

『そうして、西のほうでは主の御名が、日の上るほうでは、主の栄光が恐れられる。主は激しい流れのように来られ、その中で主の息が吹きまくっている。』

と記されています。沖縄には台風が多く来ます。しかし、沖縄にリバイバルの台風が来て、皆が救われるように祈っています。聖霊が働かれたら、素晴らしいことが日本に起こされます。

 八月の終わりに私は韓国に行きました。「世界宣教協議会」というところから、招待されました。私はその集会を将来伝道者になる人たちの集まりだ、と軽く考えていました。しかし、その集会は、教会員が三千名以上いる牧師先生ばかりの集いでした。一番教会員の多い教会は、仁川の五万人の教会でした。そんな教会の牧師ばかり、二百五十名が集まりました。入りきれなかったので、百五十名は断ったと言われていました。二百五十人の牧師先生の教会員を合わせると、五十万人です。韓国にはリバイバルが起きてます。聖霊の息が吹きまくっています。最近の韓国教会は下火だと言われます。しかし最後の日、光州に行きました。そこは三万人入る集会でした。集会が始まるまでに、三万人が入りました。それで警察の達しで、これ以上入れては行けないと言われました。外に一万人がいました。そして話をした後外に出ると、まだ、二キロ程バスが続いていました。沖縄は二千人です。李先生がこのように言われました。「皆さん、私たちは日本に学ばなければいけません。ぜひ、沖縄に行きましょう」と言われていました。聖霊の風が吹き、韓国は祈りと伝道によってリバイバルが起こされました。クリスチャンが真剣になって武装し戦いました。私たちも救いのかぶとをかぶって、武装しましょう。

 救いのかぶととは何でしょうか。救いとは、イエス・キリストは神の子であり、私たちの罪のために死に、葬られて死人の中から三日目によみがえって下さったと信じることです。信じたら救われます。信仰を持って立ち向かっていきましょう。エペソ人への手紙六章十七節に、

『救いのかぶとをかぶり、また御霊の与える剣である、神のことばを受け取りなさい。』

 先日私は久米島に行きました。一九九二年に順牧師が久米島に行った時から、聖霊様が豊かに働かれているそうです。色々な問題があって、どうしたら良いかわからなかったそうですが、悪魔に対して戦いの祈りをし、聖書の御言葉を宣言した時に勝利があったと聞きました。御霊の剣と書かれています。ヘブル人への手紙四章十二節に、

『神のことばは生きていて、力があり、両刃の剣よりも鋭く、たましいと霊、関節と骨髄の分かれ目さえも刺し通し、心のいろいろな考えやはかりごとを判別することができます。』

とあります。神の言葉は生きています。聖書を一日一章以上は読んでください。御言葉がなくては勝利できません。これは読みなさいと言うから読むのではなく、サタンに勝つ秘訣です。私も色々な問題があると、必ず、教会に行って真剣に祈り、御言葉を読むと必ず勝利が来ます。神の与える御言葉の剣を受け取って下さいと書かれていますので、聖書をよく読んで下さい。また、六章十八節から十九節に、

『すべての祈りと願いを用いて、どんなときにも御霊によって祈りなさい。そのためには絶えず目をさましていて、すべての聖徒のために、忍耐の限りを尽くし、また祈りなさい。また、私が口を開くとき、語るべきことばが与えられ、福音の奥義を大胆に知らせることができるように私のためにも祈ってください。』

とあります。勝利の秘訣は祈りです。どんなに弱くても祈ることはできます。これはクリスチャンの特権です。これが神の武具です。祈る人はサタンに勝利できます。すべての聖徒たちのために祈りなさいとあります。今週はお隣に座っている方のために祈って下さい。忍耐の限りを尽くして祈りなさいとあります。祝福が与えられるように祈りましょう。祈りには勝利があります。

 私は沖縄で色々な教会に行きますが、同じ顔ぶれが来ていることがあります。だから同じ話ができません。ある教会に行くと、ポスターがあり、「祝福集会。講師、滝元明牧師」と書かれていました。やはりそこに行くと祝福について話さなくてはなりません。また、別の教会に行くと、「すべて疲れた人、重荷を負っている人はわたしのところに来なさい。」と書かれていました。今日はこの御言葉について話さなくては行けないと思いました。そして集会が始まると、そこにはとても疲れて重荷を負っているような方が来られていました。終わった後では、皆、だいぶ明るくなっていました。そして他の島に行き、どんなメッセージをしようかと祈っていました。そしてある教会にはいると、「この方以外に救いはありません」と掲げられていました。この御言葉について話しました。聖霊様が助けて下さいました。背後の祈りがあって、必要な時に御言葉が与えられることを覚えました。ですから、ぜひ祈って下さい。説教は難しいです。同じ話ばかり話すことはできません。真剣に祈って準備しなければなりません。しかし祈ることは大切です。語るべき言葉が与えられるように、覚えて祈って下さい。聖餐式を行いますが、イエス様のあがないを信じ、打たれた傷によって癒されたこと。そして流された血によって私たちはきよめられ、聖餐によって私たちはサタンの力から守られるます。イエス様を信じて祈りましょう。


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