信じないと損をする!

2004.9.26(SUN)
新城教会 上條 実師

新約聖書 ヨハネの福音書 14章1節
あなたがたは心を騒がしてはなりません。神を信じ、またわたしを信じなさい。

 ハレルヤ!今日ここで御言葉を取り次ぐことができ感謝します。いつも沖縄スーパーミッションのためにもお祈り下さり感謝します。皆さんのお祈りに支えられて毎集会祝福されていることを感謝します。現在は各教会をまわって伝道会を行っておりますが、どの教会も新しい方が来会され、救われる方が起こされていることを感謝します。本日は三カ所で決起大会が行われる予定でしたが、台風の上陸のため、順牧師が奉仕する予定であった教会の礼拝が中止となってしまいました。ぜひ引き続き沖縄スーパーミッションのために、お祈り下さい。では今から「信じないと損をする!」というタイトルでみことばを学んでいきます。

 私たちは今日なぜ教会で礼拝を守っておらるのでしょうか。あなたはなぜイエスキリストを心に信じ、クリスチャンとなられたのでしょうか。様々なきっかけがあったと思います。ある方は問題があって教会に来られたかも知れません。また親がクリスチャンで子どもの時から教会に来ておられる方もいます。各々きっかけがあって、クリスチャンになられたと思います。なぜイエス様を信じたのでしょうか。それは、私たちの人生の中でかけがえのない神。自分の人生になくてはならない神様であると信じたからです。イエス・キリストを信じるならば、天国に行けるという理由でクリスチャンになられました。確かにイエスキリストは真の神であり、王の王であり、主の主です。そのイエス・キリストを信じた故に、ある方は様々な戦いに巻き込まれている方がおられるかも知れません。秋になると、地域の秋祭りがあります。そして近所の方が祭りの寄付をして下さいと依頼してきます。「宗教上の理由で…」と言うのに勇気がいります。近所の方々と快くお付き合いしたいと思いつつ、そのようなところでぎくしゃくしてしまいます。戦いがあります。また会社で宴会があったりする時、酒の付き合いのことでも、戦いがあります。その他多くの問題、悩み、病い、人間関係等、クリスチャンの故戦いがあります。確かに私たちはイエス様を信じ続けて行きたいと願っています。しかし様々な試練の中で戦い続ける中で、知らないうちに神様の権威が失われていないでしょうか?真の神であり、今も生きておられ、全能の神であられるイエス・キリストの事を、小さく考えていないでしょうか?今日のような礼拝時には生きていると思えて、問題などがあると神様がいるとわかってはいるが、神様より自分の力で解決しようとし、さらに苦しんでしまうと言うような時があると思います。今日のメッセージのタイトルは「信じないと損をする!」というタイトルですが、結構イエス様を信じると言いながらも私たちは損したなと感じているところがあるのではないかと思います。

 時々新幹線に乗ることがあると思います。もし東京に行くとします。普通は豊橋からだとこだまの自由席に乗ります。しかし誰かからグリーン席の個室のチケットを渡されたとします。一度で良いから乗ってみたいというか、その個室を覗いてみたいと思っています。もしそのグリーン車の個室に乗って東京まで行くとしたら、リラックスできて、ゆっくりと旅を楽しみながら行くことができると思います。忙しくてお疲れの方は本当に楽だと思います。また車中仕事をしながら行かれる方は、誰にも邪魔されずに集中して行くことができると思います。旅を楽しみながら満喫することができます。しかし折角そのチケットを持っていても、荷物をたくさん背負い込んで自由席、それもギュウギュウ詰めの自由席、乗車率百二十%、いやもっと二百%の乗車率の中で、荷物も下ろすこともせずに乗ったとしたらなんと損だと思います。自分のチケットはグリーンの個室のチケットがあるにも関わらず、ギュウギュウ詰めの自由席で荷物を持ち続け、疲れ果ててと言うより、死にものぐるいで、耐え続けて東京駅に着いたとしたら、なんと損した旅をしたこととなります。「信じないと損をする!」。私たちはイエス様を信じています。イエス様を信じたときに、すばらしい祝福があると神様は言っています。しかし実際は自由席に言った人のように、信仰は辛い。苦しい。大変だ。と思っている人がいらっしゃると思います。今日は「信じないと損をする!」と言うことを覚えてほしいのです。あなたの手にグリーン車の個室、いやもっと楽しみながら、楽な旅を経験することができるのです。行き先は同じです。先ほどのたとえで行けば、グリーンの個室でも、自由席でも同じ東京なら東京駅に到着します。しかしどの車両に乗って旅をするかで、大きな違いがあります。同じようにイエスキリストを信じたら最高の祝福を頂けるのに、苦しみ続けて信仰生活していく人がいらっしゃいます。信じないと損をします。聖書にはヘブル人への手紙十三章八節、

 

『イエス・キリストは、きのうもきょうも、いつまでも、同じです。』

 

とあります。聖書に書いてあることはおとぎ話ではありません。今も生きているイエス様です。きのうもきょうも、いつまでも変わらない方です。ローマ人への手紙九章二十八節には、

 

『主はみことばを完全に、しかも敏速に、地上に成し遂げられる。』

 

と書かれています。またマタイの福音書五章十八節に、

 

『まことに、あなたがたに告げます。天地が滅びうせない限り、律法の中の一点一画でも決してすたれることはありません。全部が成就されます。』

 

とあります。「御言葉は完全に、しかも敏速に、地上に成し遂げられる」。信じたら必ず、成就する。それも速やかに成就するというのです。またみことばは一点一画決して滅びることはなく、すたれることがなく、変わることがないのです。信じましょう。信じる時みことばは成就します。理屈では聖書は一点一画変わらないし、きのうも、きょうもかわらないとわかっています。しかし信仰生活を進めていくうちに、心を騒せてしまいます。悪魔は巧みに私たちに「お前なんか、神様に愛されていない。無視されている」という声を語ってきます。そして私たちは現状を見せられて、それを受け入れてしまいます。問題を見て「もう駄目だ」。「戦うことはできない」。とあきらめてしまいます。しかし、「イエス・キリストは、きのうもきょうも、いつまでも同じです」。イエス様はあなたを愛し、

あなたを見捨てないと聖書に書かれています。先ほど読んでいただいたみことば、

「あなたがたは心を騒がしてはなりません。神を信じ、またわたしを信じなさい。」

あなたがイエスキリストをしっかり信じたら最高の祝福。勝利を体験することができます。

今日、いくら私が皆さんに感動するような言葉を言ったとしても、何の祝福もありませんし、力もありません。ですから今日は力かあり、権威のある御言葉を紹介していきたいと思います。

信じないと損をするということの第一番目は「イエス様は救い主」だということです。イザヤ書四十三章十一節に、

 

『わたし、このわたしが、主であって、わたしのほかに救い主はいない。』

またヨハネの福音書一章十二節に、

『しかし、この方を受け入れた人々、すなわち、その名を信じた人々には、神の子どもとされる特権をお与えになった。』

第二テモテ人四章十八節に、

『主は私を、すべての悪のわざから助け出し、天の御国に救い入れてくださいます。主に、御栄えがとこしえにありますように。アーメン。』

第一ペテロ三章十八節に、

『キリストも一度罪のために死なれました。正しい方が悪い人々の身代わりとなったのです。それは、肉においては死に渡され、霊においては生かされて、私たちを神のみもとに導くためでした。』

とあります。イエス・キリストは救い主です。この世に生まれた者は必ず、いつかは死ななければなりません。生きている目的もわからず、苦しみながら死んでしまいます。どこに行くのだろうか?と私たちは心騒がせます。しかしイエスキリストを信じた私たちは、天国に行くことができるのです。聖書の中にラザロと金持ちの話にあります。金持ちは紫の衣を着て、毎日遊び暮らしていました。しかしその門前に病気で、金のない乞食ラザロがいました。金持ちもラザロも死にました。金持ちは地上では良い生活を送っていましたが苦しみの場所、ハデスに行ったとあります。しかしラザロは、死後アブラハムの懐で寝ていたとあります。天国に言ったのです。あなたはイエス・キリストを信じたら、救われるということをまず信じてください。イエスを主と告白したらあなたは救われます。あなたがイエスキリストを信じたら救われるのです。そして第二に、イエスキリストを信じると過去犯した全ての罪を赦してくださる方とみことばは言っています。ヘブル人への手紙十章十七節に、

『「わたしは、もはや決して彼らの罪と不法とを思い出すことはしない。」』

とあります。悪魔は、「お前はこんな罪を犯した」と訴えてきます。しかし、イエス様は「わたしは、もはや決して彼らの罪と不法とを思い出すことはしない。」とあります。またイザヤ書四十三章二十五節にも、

『わたし、このわたしは、わたし自身のためにあなたのそむきの罪をぬぐい去り、もうあなたの罪を思い出さない。』

とあります。

ヘブル八章十二節にも、

『なぜなら、わたしは彼らの不義にあわれみをかけ、もはや、彼らの罪を思い出さないからである。』

ヘブル十章十七節にも、

『「わたしは、もはや決して彼らの罪と不法とを思い出すことはしない。』

とあります。イエス・キリストは昔のことを掘り起こして「お前は、過去こんなことをしたではないか」と攻める方ではありません。イエス・キリストを信じた時、全ての罪を思い出さないとあります。悪魔は訴えてきます。罪を責められて、罪の呵責を覚えてしまいます。しかしみことばは、罪を思い出さないと言っています。完全な赦しです。今日イエス様の名前によって打ち砕きましょう。イエス・キリストを信じてたらあなたは赦されるのです。いやそれどころか思い出さないと書かれています。信じましょう。また私たちは癒しを信じて祈っています。第三番目に聖書の御言葉からイエス様は癒し主であると信じてください。詩篇四十一章三節に、

『主は病の床で彼をささえられる。病むときにどうか彼を全くいやしてくださるように。』

出エジプト十五章二十六節に、

『確かに聞き従い、主が正しいと見られることを行ない、またその命令に耳を傾け、そのおきてをことごとく守るなら、わたしはエジプトに下したような病気を何一つあなたの上に下さない。わたしは主、あなたをいやす者である。」』

第一ペテロ二章二十四節に、

『そして自分から十字架の上で、私たちの罪をその身に負われました。それは、私たちが罪を離れ、義のために生きるためです。キリストの打ち傷のゆえに、あなたがたは、いやされたのです。』

一点一画変わらない聖書がこのように言っています。今日このイエス様を信じましょう。

 また私たちは色々な人間関係の中で心に傷を受けます。傷つけられて私たちは悩みきってしまいます。しかし第四番目。そんな心の傷も癒して下さいます。イザヤ書三十章二十六節に、

『主がその民の傷を包み、その打たれた傷をいやされる日に、月の光は日の光のようになり、日の光は七倍になって、七つの日の光のようになる。』

あなたの傷を包んで下さる神様です。また「その打たれた傷を癒される日に…」とあります。あなたの心の傷も神様が癒してくださるときに、今まで心が暗く、真っ暗な夜のような心でも「月の光は日の光のようになる」とあります。街灯のない夜道を歩くのは怖いです。しかし同じ道でも太陽が出たならしっかりと見ることができ、恐れることなく何の妨げもなく通ることができます。また「日の光は七倍になって、七つの日の光のようになる」とあります。七は完全数です。私たちは色々な問題があり、どんなくらい心でも、主が触れてくださったなら、打たれた傷によって癒され、暗くなって痛んでいた傷も、完全な真昼のように、傷のない明るい生活を持つことができます。

また、私たちは今色々な問題を抱えています。この問題をどうしようかと悩んでしまいます。しかしその事についても解決があると記されています。マタイの福音書十一章二十八節、有名なみことば

『すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。』

私たちはこの御言葉を暗記しています。知っています。しかし私たちは問題を持ち続け、苦しんしまいます。イエス様の所に行けば良いとわかっていますが、問題に押しつぶされてしまいます。しかし問題を負っている人は「わたしのところに来なさい」とあります。イエス様のところに行き「お任せします」とイエス様に渡すことが必要です。そうしたら重荷はなくなります。

また私たちは祝福を祈っています。誰もが祝福を求めています。今日イエスキリストを信じましょう。きのうもきょうもとこしえに変わらないイエス様がこのように言われています。詩篇六十七篇六節から七節に、

『地はその産物を出しました。神、私たちの神が、私たちを祝福してくださいますように。神が私たちを祝福してくださって、地の果て果てが、ことごとく神を恐れますように。』

仕事の中で私たちは祝福をもらいたいと思います。「地の産物を出した」とあります。いつまでも変わらない神様があなたの仕事、産物を下さるというのです。特に今はまだまだ不況の時代です。仕事がなくて困っていらっしゃる方もいるかも知れません。しかし神様は、一点一画変わらない方です。私たちがどうあっても「地はその産物を出した」とあります。神は私たちを祝福してくださいます。今日神を信じましょう。神が私たちを祝福してくださり、「地の果て果てが、ことごとく神を恐れますように」とあります。どこまで行ってもなぜ、クリスチャンはあんなに祝福されているのだろうかと言われる程に、神様はあなたを祝福して下さると、約束して下さっています。

またヨハネの福音書十二章二十六節に、

『わたしに仕えるというのなら、その人はわたしについて来なさい。わたしがいる所に、わたしに仕える者もいるべきです。もしわたしに仕えるなら、父はその人に報いてくださいます。』

とあります。報いてくださる神です。聖書の御言葉です。私たちが神様に仕えていくならば、あなたに神様が報いて下さるという約束です。あなたが「主に仕えたら、父はその人に報いて下さる」という約束です。

また私たちの神様は助けを与えて下さる方です。詩篇一二一篇に、

『私は山に向かって目を上げる。私の助けはどこから来るのだろうか。

 私の助けは、天地を造られた主から来る。

 主はあなたの足をよろけさせず、あなたを守る方は、まどろむこともない。

 見よ。イスラエルを守る方は、まどろむこともなく、眠る事もない。

 主は、あなたを守る方。主は、あなたの右の手をおおう陰。

 昼も、日が、あなたを打つことがなく、夜も、月が、あなたを打つことはない。

 主は、すべてのわざわいから、あなたを守り、あなたのいのちを守られる。

 主は、あなたを、行くにも帰るにも、今よりとこしえまでも守られる。』

とあります。いつでもどんなときも神様が守って下さいます。昼も日があなたを打つことがない。日中仕事をしている間も、また夜寝ているときも神様はあなたを助けて守って下さると約束です。

またイザヤ書四十一章十三節に、

『あなたの神、主であるわたしが、あなたの右の手を堅く握り、「恐れるな。わたしがあなたを助ける。」と言っているのだから。』

今色々な問題があって苦しまれている方、神様があなたの右の手を握って下さり、「恐れるな。わたしがあなたを助ける」と言ってくださっています。

 また神様は私たちに祈りという最高の武具を与えてくださいました。御言葉は祈りを答えてくださると約束しています。マタイの福音書十八章十九節に、

『まことに、あなたがたにもう一度、告げます。もし、あなたがたのうちふたりが、どんな事でも、地上で心を一つにして祈るなら、天におられるわたしの父は、それをかなえてくださいます。』

 

マルコ十一章二十四節に、

『だからあなたがたに言うのです。祈って求めるものは何でも、すでに受けたと信じなさい。そうすれば、そのとおりになります。』

ヨハネ十四章十四節に、

『あなたがたが、わたしの名によって何かをわたしに求めるなら、わたしはそれをしましょう。』

ヨハネ十五章七節に、

『あなたがたがわたしにとどまり、わたしのことばがあなたがたにとどまるなら、何でもあなたがたのほしいものを求めなさい。そうすれば、あなたがたのためにそれがかなえられます。』

ヨハネ十六章二十三節から二十四節に、

『その日には、あなたがたはもはや、わたしに何も尋ねません。まことに、まことに、あなたがたに告げます。あなたがたが父に求めることは何でも、父は、わたしの名によってそれをあなたがたにお与えになります。あなたがたは今まで、何もわたしの名によって求めたことはありません。求めなさい。そうすれば受けるのです。それはあなたがたの喜びが満ち満ちたものとなるためです。』

皆さんは祈っていますか。御言葉の中で「わたしに求めるなら」、「求めなさい」とあります。あなたが求めたら答えを頂くことができます。

 また神様は、あなたを愛しておられる方です。イザヤ書四十三章四節に、

『わたしの目には、あなたは高価で尊い。わたしはあなたを愛している。だからわたしは人をあなたの代わりにし、国民をあなたのいのちの代わりにするのだ。』

またヨハネ三章十六節に、

『神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。』

あなたを愛してくださる神様がいます。全ての国民と交換してでも、あなたを愛し助けてくださる神。自分の命までも捨てて、あなたを愛してくださる神様がいるのです。

今日聖書の御言葉をたくさん開きましたが、これは今も変わらない神の言葉です。一点一画変わらない神の言葉です。その神様を私たちは信じています。「信じなかったら損をします」。

あなたが今どのような現状にあっても御言葉を信じてください。大波の中におられるようなあなたでも、最高の祝福、助け、勝利を神様が下さいます。今日あなたはイエス・キリストを覚えてください。嵐の中でイエス様は船の先でぐっすりと休まれたとあります。そして「なぜあなたがたは心配するのですか。」と言われ、大波に向かって「波よ。静まれ」と言いました。

聖書は今も生きています。ある時は心を騒がし、ある時は病の中で駄目だとあきらめてしまうことがあるかも知れませんが、あなたが信じている神様を今日信じてください。せっかくあなたの手元にグリーン車の個室のチケットがあります。そのチケットを信じてください。山積みの荷物を持ったまま帰省ラッシュのような車内で立っていないで下さい。荷物を下ろさずに「クリスチャンは大変だ」と嘆いていないで下さい。御言葉はイエス・キリストご自身であり、グリーンの個室で足を伸ばしても誰にも見られることなく、荷物を置いて、安らかに休むことができます。御言葉を信じるか信じないかで大きな得をするか、損をするかです。今日イエス・キリストを信じ、御言葉をもう一度信じましょう。この六十六巻の聖書の御言葉は今も生きています。必ず成ります。御言葉を受け取るかはあなた次第です。信じたらその通りになります。お祈りします。


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