心の傷ついた者をいやす

2004.10.3(SUN)
新城教会 滝元 順師

旧約聖書 イザヤ書61章1節〜3節
神である主の霊が、わたしの上にある。主はわたしに油をそそぎ、貧しい者に良い知らせを伝え、心の傷ついた者をいやすために、わたしを遣わされた。捕われ人には解放を、囚人には釈放を告げ、主の恵みの年と、われわれの神の復讐の日を告げ、すべての悲しむ者を慰め、シオンの悲しむ者たちに、灰の代わりに頭の飾りを、悲しみの代わりに喜びの油を、憂いの心の代わりに賛美の外套を着けさせるためである。彼らは、義の樫の木、栄光を現わす主の植木と呼ばれよう。

 ハレルヤ!三週間ぶりに新城教会の講壇に立つことができ、心から感謝します。皆さんのお祈りに支えられ、色々なところで奉仕をさせていただきましたが、守られたことを感謝します。

 今日はイザヤ書六十一章から学びます。この箇所は、イエス様が地上に来られ、私たち人類に与えて下さる事柄について、預言されている箇所です。

 私たちが「幸せだ」と感じる瞬間は、レストランに入って何を食べようかとメニューを見て迷っている時だと思います。

 今日の礼拝でイエス様に何を注文しますか?注文品を受け取り、力をいただいて主のために働きましょう。

 私は先々週、沖縄に行きました。初日、沖縄の今帰仁(ナキジン)という村に行きました。リバイバルミッションは予算があまりないので、沖縄に着くとレンタカーを自分で借りて一人で廻ってくれと言われました。良い車が予約されているかと思いましたら、軽四輪車でした。北部まで百キロほど走っていきました。到着すると先生方が私を食事に連れて行ってくださいました。小さな中華料理屋に行き、「何でも頼んでください」と言われました。それで八宝菜を注文して食べました。それから集会があるのかと思っていると、「せっかく順先生が来てくれたので、地域のとりなしに行きたい」と言われ、あちらこちらを廻って祈りました。

 そして夕飯のためにレストランに行きました。すると、お昼と同じ中華レストランでした。そこで注文して出てきたものを見て驚きました。何とそれは、昼に食べた八宝菜がご飯にかかっているだけの中華丼でした。ちょっとがっかりしました。人間は時々失敗しますが、イエス様は絶対に失敗されません。

『良い知らせを伝え、心の傷ついた者をいやすために、わたしを遣わされた。』

とあります。「わたし」とはイエス様です。イエス様がこの地上に来られた第一の目的は、「心を傷ついた者をいやすため」と言われます。心傷ついていて苦しんでいる方がおられるかも知れません。現代は、心の癒しのためのプロセスを解明しようと、研究がなされていますが、なかなか決め手がありません。心の癒しは、理論ではないと思います。一方的に神の霊が注がれるときに、癒しが成されるのです。イエス様は聖霊の油注ぎと共にこの地に来てくださいました。今でも、イエス様が私たちの所に来て下さいます。それを私たちは「聖霊の油注ぎ」と呼んでますが、油そそぎとは、言い換えると、イエス様ご自身です。イエス様ご自身が私たちの所に来てくださるときに、心の傷が癒されます。今日このメニューを注文し、過去から現在に至るまでのすべての傷が癒され、帰られることを願っています。心の傷を引きずりながら歩むのは辛いですが、癒されて人生を歩むならどんなに幸いでしょうか。

 私は三週間前には北海道に行きました。北海道から帰って、すぐに沖縄に行きました。そして、沖縄から帰って、南太平洋の小さな国、パラオ共和国に行きました。この三週間の内に色々なことがありました。

 パラオに行く前日、新城教会に税務署の監査が入りました。それは、二十年ぶりでした。神学校が建って、よほど景気が良いと思ったのでしょうか。別に私たちはやましいことは何もありませんから、安心していました。二日間に渡り、三人の監査官が来て、調査されました。税理士さんが、「要求される資料だけを出してください」と言われましたが、始めから、二十年分の資料を用意しておきました。彼らは、私のスケジュールまで知っていました。初日の監査が終わって、「しっかりやっていますね。」と誉められたそうです。私は監査二日目に沖縄から帰って、監査官が教会に来る前から部屋に入って彼らを待っていました。彼らが来たので、「税金を取るのは良いですが、教会が何をしているのかを知っていますか?現代は社会に問題がたくさんあります。その問題解決のために働いているのですよ。行政、教育、医療もできない隙間を教会が埋めているのです。」と話しました。すると、真剣に聞いてくれました。私は二時間かけて、彼らに伝道しました。「なぜ、こんなに社会は悪いのでしょうか」と言われました。「神様もいるけど、悪魔もいるからです。悪魔と戦うために教会は働いています。」と話しました。すると、「のろいはあるのでしょうか?」と言われるのです。「ありますよ」と答えました。そんなやりとりを、会計事務所の方々が聞いていて、「教会の役割は大きいですね。頑張ってください」と言われました。教会は、一般にも良い証しを立てないといけないと思いました。

 話は変わりますが、私は先週の日曜日は沖縄にいました。ちょうど沖縄には、台風が来ていました。それで予定されていた礼拝が、中止になってしまいました。しかたなく、私は滝川充彦くんと二人で礼拝をしました。「いつも私がメッセージをしているから、今日はあなたがメッセージをして下さい。」と言うと、彼は「わかりました」と言い、「順兄、聖書を読んでください。」と言われたので、御言葉を朗読しました。彼はとても良いメッセージをしてくれました。イエス様は弟子たちに、「悪霊を追い出し、病をいやす権威を与え」伝道に遣わしたと語りました。たいへん恵まれました。新城教会の礼拝のために、また、沖縄ミッションのためにも祈りました。そして午後から何をしようかと祈っているときに、沖縄のために祈るようにと導かれました。

 実は私は、沖縄スーパーミッションに対して、あまり重荷がありませんでした。「沖縄か〜。大変だな」と思っていました。私の父が、「寝ても覚めても沖縄」というのを聞いて「暇な人は良いな。私は忙しい」と思っていました。しかし私は、リバイバルミッションの実行委員の一人として、「沖縄ミッション、頑張りましょう!」とは言ってはいましたが、あまり燃える思いがありませんでした。神から与えられないと心は燃えません。だから私は祈っていました。「もし私が沖縄に必要でしたら、私の心を燃やしてください」と祈っていました。

 今回、現地に行って、心が燃やされました。一週間沖縄で奉仕し、色々な場所を見たり、話を聞いたりして、神が今年沖縄に大きなみこころを持っておられると、確信しました。十一月に沖縄スーパーミッションがありますが、ぜひお祈り下さり、行ける方は行ってください。沖縄スーパーミッションのテーマは、「心傷ついた者をいやす」であり、イザヤ書六十一章の一節から三節です。私たちの教会は本州中心部に位置しています。北とか南は、日本ではないような気がしてしまうところがあります。しかし、日本のリバイバルや日本の癒しについて御言葉を受け取るときに、個人や地域だけではなく、日本全体を意識する必要を覚えます。時々問題や苦しいことがあると、自分のことで精一杯になってしまいます。しかし問題を解決するためには、視点を変えなければなりません。この教会が癒しと解放の場所になるためには、今持っている視点だけでは不十分です。今まで、見たことも聞いたことも、思ったこともない領域に祈りを置くときに、全体的な癒しと回復につながっていくと思います。

 前回、沖縄についてのセミナーで、四元雅也先生が語ってくださいました。沖縄に行くと、人々の顔色が少し違うし、方言を聞くと言葉も違います。しかし沖縄は、民族的にも言語学的にも、日本そのものであるというのが、セミナーの内容でした。とても良いセミナーでした。私は今回、沖縄の教会に行き、沖縄は日本とは違うと思われているかも知れませんが、人類学的にも、民俗学的にも、言語学的にも日本そのものだと話すと、喜んで反応されていました。しかし沖縄の歴史は本州の歴史とはかなり違います。

 私たちは先週日曜日に、沖縄南部にとりなしの祈りに出かけました。南部は、戦時中一番被害を受けた場所です。何処をとりなしたらよいのか、定まった概念もなく出かけていきました。しかし、すべてに神の導きがありました。祈るべき場所に導いてくださいました。沖縄は第二次大戦時、唯一地上戦が行われた場所です。本州には空襲がありましたが地上戦はありませんでした。地上で繰り広げられた戦いは、沖縄だけでした(ソ連との地上戦が樺太でも行われましたが)。沖縄は数ヶ月の戦いで、二十万人近くが亡くなっています。その大半が、何の罪もない一般の人々でした。南部の摩文仁の丘には平和公園があり、沖縄戦の資料館があります。そこに行くと、沖縄がどんなに悲惨な歴史を通ってきたか、どんな傷を受けたかについて知ることができます。長崎や広島では原爆が落とされ、瞬間的に多くの人が亡くなった悲惨な状況を見ることができますが、沖縄はある意味で、もっと悲惨かも知れません。沖縄では地上戦で人と人が撃ち合ったり、火炎放射器で焼かれたり、殺されていった悲しい歴史があるからです。その悲惨な状況をつぶさに紹介している資料館を見ると、心が暗くなります。ある人はそれらは昔起こったことであり、自分たちとは何の関係もないかのように考えますが、それは日本が受けた傷であり、自分自身の傷でもあることを深く認識しなければなりません。この傷の癒しを祈らなければならないと教えられました。

 日本は当時、「一億総玉砕」と言って人殺しの方法を一生懸命練習しました。竹槍を持ってアメリカが攻めてきたら突き殺せと言っていました。戦争世代をくぐって来られた方々は、軍事教練を受けたと思います。それは日本が負っている大きな心の傷になっていると思います。沖縄は日本の一部ですが、特に、激しく傷を受けました。沖縄の教会に行って感じることは、精神的に病んでおられる方が多いことです。統計的にも、本州の倍に及ぶ精神的病患者がいると言われます。色々な理由が揚げられていますが、資料館にはこのように記録されていました。あまりにも戦闘が激しかったゆえに、アメリカ軍の中にも精神病者が続出したと書かれていました。日本の癒し、特に心の癒しについて考えるとき、第二次世界大戦時に受けた傷が深く関わっており、精神的に苦しめられているという領域があるのではないかと思いました。特に沖縄は強く痛めつけられた場所なので、その中をくぐり抜けた人々は大きなショックを受けたと思います。そして、そこから生まれ出た世代、続く世代の中に、精神的な病があるののかも知れないと感じました。私はその場所に立ち真剣に祈りました。

 考えてみると、この近くも戦争被害が多くあり、人々が傷ついています。私たちは、これらのことについて、過去の事として見過ごすのではなく、世代を超えて受け継がれている心の傷が癒されるように祈らなければならないと思います。

 人間には、どうにもならない状況に遭遇すると、ブレーカーが落ちるような機能が備わっていると言われます。私の家も時々電気を使いすぎてブレーカーが落ちることがあります。ブレーカーが飛んでしまうと、優れた電化製品があってもそれを使うことができません。人間とは、神の作られた優れた作品です。神はえこひいきせず、同じように良きものを与えてくださるお方です。しかし人生を比べると、何かえこひいきを感じます。

 何年か前に、車で走っていると、にんじん棒をもったおじさんに止められました。それは警察でした。「あんた、スピード違反だ」と言われ、捕まりました。私は腹が立ちました。なぜならば、私の前に、もっとスピードを出している車があったからです。

 ある人が文句をつけたそうです。「お巡りさん。何で私を捕まえたのですか。私よりもずっと早く走っている車がいましたよ。」すると、「あなたは釣りに行ったことがあるか。釣りに行って、川の魚全部釣ったか。釣ったのは一部だけだろう。」と言われたそうです。時々、えこひいきがあります。しかし神様は、えこひいきのないお方です。皆に同じように祝福を与えてくださる方です。

 しかし、時々、心のブレーカーが落ちて、劣ったものと思います。優れた機能が動いていないのです。それは、絶えられないような出来事に出会ったりしたことによって、その機能が動かなくなってしまい、心の傷となっているのです。それを癒すのは難しいことです。しかし聖書を読むときに、希望があります。なぜならば、イエス様は心の傷を癒すために来てくだったからです。ブレーカーは、人間が手を出しても届かない深い部分にあります。しかしイエス様は地上に来られ、地の一番深いところまで降りてくださいました。人間が滅びる代わりに、ご自身が滅びのどん底まで行ってくださり、三日目によみがえってくださいました。イエス様は私たちが到達できない一番深いところまで行って、ブレーカーをもう一度元に戻してくださるお方です。それゆえに、「心傷ついた者をいやすために、わたしはこの地上に来た」と語られたのです。

 今日、皆さんの一番深いところにイエス様が降りてくださり、切れたブレーカーをもう一度元に戻してくださいます。

 私は今、新しい本を執筆しています。世界を巡る霊的戦いについて書いています。日本の癒しについて考えるときに、日本だけに止まらず、他の国の癒しについても祈らなければなりません。また、日本が他の国の癒しを止めているところもあります。相互に関連性があるので、祈りを海外に持ちだし、祈らなければならないと教えられます。そのような中で、色々な調査をしながら書いていると、主が新しい視点を付け加えてくださいました。去年の一月頃から、私の周りに色々なことが起こされました。海外でとりなし祈った結果として、色々な事が起こりました。日本のリバイバルのために、また、全く動かないような問題の解決のためには、日本国内だけでなく、海外でも祈るべきだと教えられました。そして今回、一つの小さな国に行き、沖縄スーパーミッションにも合わせて祈る必要があると、二ヶ月程前から導かれました。それは、南太平洋に浮かぶ、「パラオ共和国」でした。人口一万九千人の小さな国です。その国の首都はコロールです。

 日本はアジア諸国に嫌われています。人々は、反日感情を持っています。日本の首相が靖国神社を参拝すると、必ず、反対運動が起こります。なぜならば、第二次世界大戦の時に、日本から傷を受けたからです。「私の家族は日本の兵隊に殺された」という人が多いからです。そこから反日感情が起こっています。

 しかし、パラオは反日感情が低く、かえって親日です。パラオは三十一年間、日本に統治された背景があります。しかし戦時中、島民を避難をさせたので、被害を受けませんでした。だから日本に対してのイメージが良かったのです。パラオは十年前に独立しました。

 さて、国旗には、その国の持っている霊的要素が現れています。日本は白地に赤色に塗られた円です。それは太陽を現し、天照を国神としている象徴です。また韓国の国旗は陰陽道を現し、儒教の霊的要素がバックグランドにあることがわかります。中国の国旗には五つの星が描かれています。それは五行を現しています。またアメリカの国旗や国璽(こくじ)と呼ばれるマークは、フリーメーソンを現しています。国旗とは、その国の持っている霊的要素を投影しています。

 実はパラオの国旗は、青地に黄色に塗られた円です。日本の国旗にたいへん似ています。これは太陽ではなく、月を現しています。青い海に浮かぶ月を現しています。それは、日本に関連があります。月は太陽が無くては輝きません。パラオの国旗は、日本の天照の光を受けながら輝く月を現し、日本の霊的な力で輝く国として位置づけられています。日本の円は中央にありますが、日本と同じ位置では申し訳ないと、月の円をやや左にずらしたそうです。こんな国があります。かつてパラオには、伊勢神宮と同じ種類の、「官幣大社」が置かれていました。

 私は今回パラオに行き、神の導きを感じました。到着した日は、ちょうど満月でした。また、今年は独立十周年の区切りの年で、十月一日がその記念の日でした。パラオには今も神社あって、祭りがなされています。神社は一度爆撃で壊されましたが、その後再建され、パラオの島民や、日本から人々が集まって祭りが行われます。この国が、今でも霊的には日本に向いていることを知りました。偶像礼拝が成されています。それ故、日本を月のように、悪い意味でバランスをとり、支えているところがあると感じました。

 パラオは多くの島々で成り立っています。その中にペリリュー島がありますが、そこでは多くの戦死者が出ました。日本兵一万二千人、アメリカ兵二千人が戦死したと言われます。そこにも神社があり、今も、偶像礼拝がなされており、戦争の傷があります。実際、戦争の傷跡として、戦車などもそのまま残されています。そのような中、主の霊が注がれて、癒しが来るように祈らなければならないと教えられました。このように考えるときに、日本の癒しが日本だけではなく、海外とのつながりの中で成り立つ必要があることが分かります。祈りを外に持ち出さなければ、癒しが前進していかないと感じました。昔のことだから関係がないというのではなく、偶像礼拝の束縛は三代、四代に至るものですので、全てののろいが国々から一掃されることを、祈り続ける必要があると思います。イザヤ書に、

『心の傷ついた者をいやすために、わたしを遣わされた。捕われ人には解放を、囚人には釈放を告げ…』

とあります。偶像礼拝があると、人は束縛されます。それは暗闇の力によって束縛されるのです。イエス様がこの地上に来てくださった目的は、そのような捕らわれている人々が解放され、自由になるためです。神様の素晴らしい癒しと解放を、すべての国々に宣べ伝えなければならないと感じました。

 パラオには二つの神社がありますが、一つ目の神社は、私がとりなしに行った前日が祭りでした。また二つ目の神社も、とりなしに行った前日が祭りでした。沖縄スーパーミッションにも、関係があると思いました。携帯電話で沖縄ともつないで、傷が癒されるように祈ることができて感謝でした。

 時々、色々な苦しみがあります。「なぜ、神様はあんな事をなされたのか。神様が生きておられるならば、もっとやり方があったのではないか・・」と理解できないことがあります。しかし祈りがすべて聞かれてしまえば、私たちは神以上になってしまいます。神様は召使いのようになってしまいます。だから、全ての願いが叶うというような理解に立ってしまうと、おかしくなってしまいます。実際、いくら祈っても思い通りにならないことが多くあります。「あれだけ祈ったのに・・・。なぜ祈りが聞かれないのだろうか。一生懸命やったのに、なぜ、思い通りの結果が出なかったのだろうか・・・」と思うことがあります。しかし神は必ず、全てのことを良くしてくださると、知らなければなりません。心の傷の癒しも、瞬間に成されるというよりも、最悪に見えた事柄も長い歴史の中で、良くしてくださったことに気づくのです。そのような信仰を持っていくことも大切だと思います。後になって結果を見出すことも多くあります。

 今回の沖縄の集会予定の中で、ちょっと行きにくいと思う教会がありました。私は十年程前にその教会に行きました。その教会の平均年齢は八十才でした。八十才ほどの方々が二十人位がおられました。牧師の子ども達は、皆、教会から離れて荒れた生活をしていました。あまり良い印象がありませんでした。私たちは、町のために祈り、解放されるように祈っていました。「先生。この町のために祈りましたよ。」というと、「何ですかその祈りは…」と言う感じでした。

 その後、私たちが大阪で集会をしたときに、その牧師の息子が来ました。集会に出て感動を受け、信仰が回復し教会に結びつきました。その年の冬、私が朝起きて教育館のドアを開けようとすると、ひとりの青年が泥だらけになって寝ころんでいました。見るとその息子でした。どうして来たのかと聞くと、「どうしても祈って欲しいことがあって来た・・」というのです。電車がなかったので、豊橋から歩いてきたというのです。朝早く着いて寝ていました。私は彼のために祈ってあげました。彼は色々な罪を犯していましたが、真剣に赦しを求めて祈りました。彼は解放され、喜んで大阪に帰りました。「部屋にはイエス様に喜ばれないものがたくさんあるから、全部捨てたい」と言っていました。その後、新年の二十四時間賛美に来たいと言いました。お金がないと言ったので、大阪方面から来る人に乗せてきてもらうように、手配をしました。

 彼は部屋に帰ってから、実家に電話したそうです。「今日は素晴らしかった。祈ってもらって解放されて元気になった。将来、牧師になりたい・・」両親はそれを聞いて喜んでいました。

 翌日、新城に来ることになっていました。私の知り合いがその家に行きました。呼び鈴を鳴らしました。しかし返事がありませんでした。部屋の中で音楽が聞こえていたので、おかしいと思い、大家さんに頼んで部屋を開けてもらいました。すると、彼はそこで倒れて亡くなっていました。私はとても驚き、ショックを受けました。これからイエス様のために働いていくと言っていたのにも関わらず、突然、亡くなってしまったのです。すぐに、沖縄の両親に電話をしました。ご両親は、「どうしてこんなことが起こったのでしょうか。信じられません」と言われました。葬儀が終わってから、両親が私の所に来られました。「息子さんは天国に行っているから・・」と励ましました。

 それから十年が経ち、教会に行きました。どんな顔をして迎えてくれるだろうか、まだ悲しみの中にあるのではないだろうかと心配しました。しかし行ってみると、喜んで迎えてくださいました。八十才のおばあさんたちは、九十才になって元気だと言われました。「今日は、九十才のおばあさんたちの集会か・・」と思っていましたが、もう九十才にもなるので、家から出られないと言われました。

 すると、「十年前に来たときとは、教会のイメージが変わっているから驚きますよ。」と言われました。

 息子が亡くなってから、真剣に主を求めたそうです。主は先生方を癒されました。そして家族も癒されました。主から離れていた子どもたちが帰ってきて、二人が献身して教会で生き生きと働いていました。その日、若い人たちを中心に、五十人程集まりました。本当に教会が変わっていたのです。その集会はとても恵まれました。聖霊の力が満ち溢れていました。祈りの時間は延々と続きました。皆、主を真剣に求めていました。そして最後に、先生ご一家が前に出てこられ、「一家のために祈ってください」と言われました。「息子が亡くなったときには、どうしたら良いかわかりませんでした。しかし十年が経ち、主が私たちを変えてくださったことを感謝します」と言っておられました。皆で手をつないで祈りました。「天にいる息子さんも、天の祈りの輪に加えられ、教会が祝福を受け、多くの人の癒しと解放のために用いられるように」とお祈りしました。

 十年間は彼らにとっては長かったかも知れません。しかし、主は、確実に癒しと解放を与えてくださり、教会を一新してくださったのです。

 先生がこのように言われました。「十年前、順先生が来られて、地域のために祈る意味について語られましたが、全くわかりませんでした。しかし今はわかります。私たちは、この町のために祈っています。もっと学びたいので、また来てください」と言われました。

 時々主は、私たちが願っていることと全く違う方法を使われ、ことを成されるかも知れません。しかし神は必ず言い送った御言葉を実現してくださる方であり、勝利を与えてくださいます。

 私たちの心の傷が癒されると共に、日本、また世界の癒しのために祈る者としていただきたいと願います。

 イザヤ書三十三章二十三節から二十四節の御言葉が今年、与えられています。

『あなたの帆の綱は解け、帆柱の基は、結びつけることができず、帆は、張ることもできない。そのとき、おびただしい分捕り物や獲物はけ取られ、足のなえた者も獲物をかすめる。そこに住む者は、だれも「私は病気だ」とは言わず、そこに住む民の罪は赦される。』

 日本はかつて海外に出て行き、悪い帆柱を立てて来たと思います。海外まで偶像礼拝を強要し、クリスチャンたちを迫害しました。日本は、自ら他の国々に帆柱を立てて、つながれています。それを断たなければ、私たちはいつも悪魔につながれています。それが断ち切られる時に、神の国が訪れるのです。更に、そのような場所を発見させていただき、祈っていきたいと思います。イエス様は全人類のために十字架にかかられて、癒しをされたからです。今日は皆が癒されるために、世界のために、また沖縄のためにも祈りましょう。


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