主が声を出すと

2004.11.14(SUN)
新城教会 滝元 明師

旧約聖書 エレミヤ書 10章11節〜13節
あなたがたは、彼らにこう言え。「天と地を造らなかった神々は、地からも、これらの天の下からも滅びる」と。主は、御力をもって地を造り、知恵をもって世界を堅く建て、英知をもって天を張られた。主が声を出すと、水のざわめきが天に起こる。主は地の果てから雲を上らせ、雨のためにいなずまを造り、その倉から風を出される。

 ハレルヤ!おはようございます。久しぶりにこの講壇に立つことができ感謝します。長い間お祈りをありがとうございました。

 この御言葉は一九九三年の甲子園ミッションの時に与えられた御言葉です。

『主が声を出すと、水のざわめきが天に起こる。主は地の果てから雲を上らせ、雨のためにいなずまを造り、その倉から風を出される。』

 今日はこの箇所から学びます。私たちクリスチャンは、神の御言葉を信じています。それが信仰です。聖書は神の御言葉ですので、神の御言葉をいかにそのまま信じるかどうかです。時々、教会に行っても「先生。まだ確信が持てないです。喜びがないです」と言われる方がいます。救いとは第一が事実、次に信仰、そして感情です。事実とは御言葉です。神の御言葉を信じる時に救いがあります。ですから私たちは御言葉を信じるなければなりません。第一サムエル記三章一節に、

『少年サムエルはエリの前で主に仕えていた。そのころ、主のことばはまれにしかなく、幻も示されなかった。』

とあります。旧約時代には聖書がありませんでした。会堂に羊皮紙に書かれていたものがありましたが、一般の人は聖書を持つことができませんでした。しかし今の時代は私たち一人一人が神の御言葉である聖書を持っています。御言葉を信じることはとても大切です。色々な問題にぶつかっても、御言葉をいかに信じるかが大切です。

 私は皆さんのお祈りに支えられ、沖縄から無事帰ることができ感謝します。沖縄に二月に一週間、五月にも行き、九月にも一週間、そして十月二十一日から十一月七日までいました。合計で八十八日沖縄にいました。八十八日の中で一番頼りになったのは、イエス様です。そして御言葉に信頼することでした。私が沖縄に行く前に与えられた御言葉は、詩篇三十九章七節の御言葉でした。

『主よ。今、私は何を待ち望みましょう。私の望み、それはあなたです。』

 沖縄には、イエス様の約束の御言葉を捕まえて行きました。イエス様が長い間沖縄ミッションを助け導いて下さったことを感謝します。沖縄の七十数カ所の教会を巡回しました。

 名護の田野先生の教会にも行きました。彼らは以前この教会にフルートの演奏のために来てくださいました。彼との出会いは、ドイツのデュセルドルフでした。その時先生は悩んでおられました。「私の結婚のために祈って下さい。相手の家族が許してくれないから祈ってください」と言われました。その相手のご両親は、結婚するなら訴えてやるというくらい頑固な人だったそうです。今回出会うと、田野先生は牧師になっていました。二年前に会堂を建てたそうです。献堂式の日に奥さんのご両親が、バプテスマを受けられたとお聞きしました。先生が沖縄の活動中、私を見舞って下さいました。砂糖と果物を持ってきて下さいました。その中にカードが入っており、御言葉が書かれていました。第一サムエル四章十八節の言葉でした。

『彼が神の箱のことを告げたとき、エリはその席から門のそばにあおむけに落ち、首を折って死んだ。年寄りで、からだが重かったからである。彼は四十年間、イスラエルをさばいた。』

と書かれていました。慰めに来て下さったのに、エリが仰向けに落ちて首を折って死んだと書かれているのを読み、なぜこんな御言葉なのだろうかと思いよく見ると、「三章十八節」と書かれていました。私は読み間違えていました。

『それでサムエルは、すべてのことを話して、何も隠さなかった。エリは言った。「その方は主だ。主がみこころにかなうことをなさいますように。」』

とありました。これを読んで安心しました。御言葉を正しく読むことは大切です。

 私が、ある結婚式に出席すると、牧師先生が、「ただ今から聖書を読んでいただきます」と言われました。すると読む人が間違えたのか、プログラムが間違っていたのかわかりませんが、ヨハネの四章七節から十八節を読みました。この箇所はイエス様がサマリヤの女にお会いした箇所です。最後に、このように読みました。

『イエスは彼女に言われた。「行って、あなたの夫をここに呼んで来なさい。」女は答えて言った。「私には夫はありません。」イエスは言われた。「私には夫がないというのは、もっともです。あなたには夫が五人あったが、今あなたといっしょにいるのは、あなたの夫ではないからです。あなたが言ったことはほんとうです。」』

 本当はヨハネ第一の手紙の「互いに愛し合いなさい」という箇所を読む予定を、間違えたのです。聖書は正しく読まなければなりません。御言葉を注意深く読みましょう。聖書を毎日読んでいますか。必ず聖書をお読みください。

 沖縄の集会を行うことは去年十一月に決まりました。沖縄に行くと、比嘉という先生が糸満の集会に私を連れて行って下さいました。その時に、「来年は四十日集会したいと思いますが、どうでしょうか」と聞くと、「良いですよ。来年は大きな集会の予定がありませんので、ぜひやってください」と言われました。そして、主立った先生に紹介してくださいました。沖縄の大きな教会の国吉先生に話すと、ぜひやって下さいと言われました。また多くの先生方が協力して下さることを約束して下さいました。沖縄の教会が協力してくださるという感触を得、リバイバルミッションの実行委員会に提出しました。「来年は四十日沖縄に集会をしたいと思います」と言いました。すると皆が、「四十日?」と驚きました。いつも夢を見るのは私で、実行するのは周りの先生方です。それを聞いた私の長男が、「二ヶ月もできるわけがない!」と言いました。しかし岡本先生や平岡先生は、「滝元先生がそう言ったらやるしかない」と推進され、結果として行うことになりました。そして早速沖縄の教会に案内を出しました。先生方の奉仕のシフトを提出して集会の募集しました。しかし、申し込みがなかなかありませんでした。そこで私は勧めなくてはいけないと思い、家内と共に沖縄へ出かけていきました。すると「私の教会はここでお願いします・・」とほとんどの予定が埋まりました。実行委員会の先生方がそれぞれのシフトを提出しましたが、私の場合は「滝元明いつでもよし」と書いて提出しました。すると七十日間の申し込みがありました。そして、その前に私は祈りました。「イエス様。これが御心ならば、御言葉を下さい」と祈りました。ルカの福音書五章六節から七節の御言葉が与えられ確信しました。

『そして、そのとおりにすると、たくさんの魚がはいり、網は破れそうになった。そこで別の舟にいた仲間の者たちに合図をして、助けに来てくれるように頼んだ。彼らがやって来て、そして魚を両方の舟いっぱいに上げたところ、二そうとも沈みそうになった。』

 イエス様が絶対にこの日にちを埋めて下さると確信しました。合計で約百日間集会をしました。これは今までのミッションの中では初めてです。私ひとりでも七十日できたことは、主の御言葉の成就です。「主が声を出すと、水のざわめきが天に起こる。」と御言葉の如く主が行ってくださいました。私が滞在した日数は八十数日間でしたが、メッセージは七十一回語りました。月曜日は休みにしていましたが、台風が来て有賀先生の到着が遅れたため、私が集会をしたこともありました。その時は台風二十三号が来ました。私は祈りました。飛行機に乗るときに那覇の空港で、天候の都合上、目的地から引き返すことがあるかも知れないというアナウンスが流れました。メールで祈りの要請をしました。すると無事到着し、集会ができました。毎日のように集会をし、私の集会には四千二百四十五名が集まりました。最後のファイナルの大会には、最後に三千百名が集まりました。今回は沖縄の教会に、必ず新しい人々が結びつくようにと真剣に行いました。そして決心者は五百八十八名いました。

 宜野座村には教会がありませんが、そこでも伝道集会をしました。宜野座文化ホールで行いました。ある人が「ぜひ自分の村で集会をしたい」と言われたことがきっかけでした。そこには、五十名が集まりました。申し込まれた方のお母さんは、献身して働かれていました。しかしお父さんは九十四才で、教会に対して大反対していました。私はその日、「天国への招待」というタイトルで話しました。聖書の御言葉から朝早く、そして九時、十二時、三時に招待された人がいますが、最後に五時に招かれた人もいると話しました。ここには五時の、間もなく命がなくなりそうな人もいますが、悔い改めないと地獄だと話しました。そして「信じたい人はいますか」と言うと、お父さんが決心されました。そして祈りました。また七月には、本部町で家庭集会をしました。そこには六十名集まりました。牧師先生の妹のご主人のお父さんが病院から連れて来られました。そしてお父さんは決心されました。イエス様を信じると同時に、死ぬのが怖くなくなったそうです。いつ死んでも天国に行けるという確信を得、あまりにお父さんが平安になったので、その奥様は、「お父さんが死んだらキリスト教で葬式をしてください。家の仏壇も捨てます」と決心されました。

 一つ一つの集会を、真剣に行ったことにより、多くの新しい方が救われたことを確信しています。ミッションの集会はすべて献金によって動いています。私の担当した七十日間の集会は、献金は三百二十八万六千七百五十四円でした。ミッションの働きが潤され、感謝しました。イエス様が素晴らしいことをして下さったことを感謝しました。大会のために祈っていたときに、イザヤ書六十二章十一節の御言葉が与えられました。

『見よ。主は、地の果てまで聞こえるように仰せられた。「シオンの娘に言え。『見よ。あなたの救いが来る。見よ。その報いは主とともにあり、その報酬は主の前にある』と。』

私は、この御言葉を信じました。私たちの働きに対して神様が必ず報いてくださり、大きな救いが現れることを信じました。そして十一月五日は千六百名が集まり、次の日は二千五百名、三日目は三千百名が集まりました。人々が溢れていました。聖霊が臨まれた集会でした。ゲストで賛美をして下さった人たちにも聖霊が臨まれ、泣いていました。大勢の決心者が与えられました。国吉先生も集会に来られ、「これだけの人が集まるのはすごいことです」と言われました。近くでプロ野球のキャンプがあり、選手も来ていました。すごい集会でしたが、成功させてくださったのは神様です。神様が働いて下さいました。私は七十日働いても、このように健康で立つことができるのは、祝福だと思います。私は御言葉を信じています。詩篇九十二篇十節の御言葉です。

『しかし、あなたは私の角を野牛の角のように高く上げ、私に新しい油をそそがれました。』

 モーセの絵を見るとモーセの頭に角が描かれています。ある人はそれを見て、あれは画家が間違えて角を書いたと言います。しかし角は権威を表しています。だから私にも神様が権威を与えてくださり、新しい油を注がれたと確信しています。ある先生の奥さんは心の目が開かれており、「先生。角が生えています」と言われました。権威が与えられ、新しい油注ぎが与えられていると信じました。また詩篇九十二章十四節に、

『彼らは年老いてもなお、実を実らせ、みずみずしく、おい茂っていましょう。』

と書かれています。沖縄で一日も休まずにメッセージができたことは、神様が健康を与えて下さったからであると信じています。昨日、私は新しい年の手帳を買いました。私は一九二九年生まれで、家内は一九二三年生まれです。私の家内は来年八十一才です。彼女は毎日集会に出て、夜はいつもとりなして祈ってくれました。そして、朝も昼も夜もご飯を作ってくれます。考えてみると、八十一才になるまで病にならずに来ることができたのは、神様のおかげです。私も同様です。ある時に米を買わないといけないと思っていると、九州の方が米を送って下さいました。また、新潟の日吉先生も送って下さいました。ですから、食べることにおいても、主が祝福してくださいました。また家内は、沖縄の教会で三十分メッセージしてくださいと言われ、話しました。皆が、「奥さんの話しは良かったです」と言われました。私は嬉しかったです。健康で集会ができることは感謝でした。

 大会前日、とりなしの祈りに行きました。その時にとても疲れていましたが、ホテルでぐっすり眠ると健康になりました。これも神様によることです。神様がすべてを守って下さいました。

 今回の大会に、私の末娘が手伝いに来てくれました。「じいさんとばあさんだけ行って子どもが何も見ないでいるのはいけないから…」と言うのです。七月には孫たち来て奉仕をしてくれました。彼らは無給で、「食べることさえできれば良い」と言うのです。彼らはアルバイトを辞めて来てくれました。彼らが沖縄に来てくれなければ、成功はなかったと思います。一人の孫は、毎日、現地でとりなし祈りの責任を持ってくれました。沖縄市から車で四十分から四十五分かかる宜野湾の会場まで、毎日行って祈ってくれました。雨の日の朝にも出かけて行きました。一人でも行って祈ってくれました。そして教会訪問などをして、一生懸命働いて下さいました。あるところでは、ミッションの報告をしたりしてくれました。

 沖縄の宮城兄も真剣に奉仕してくださいました。彼は一九九三年の甲子園ミッションに来てくださり、そこで聖霊に燃やされました。彼も今回仕事を辞めて、ボランティアで働いて下さいました。主のために聖霊の火に燃やされる人がいます。沖縄ベテル教会のエミルダ先生も家を貸して下さり、無料で何でも使って良いと言って提供してくださいました。またその教会では、リバイバルのために沖縄中にトラクトを配って下さいました。誰が担当してトラクトを配るかを決めてありました。また、毎日高校や中学の前でトラクトを配って下さった先生もいました。この戦いを沖縄のリバイバル、日本のリバイバル、主のために働く機会ということで、皆が真剣に働いて下さいました。

 経済的な面においても神様が祝福してくださいました。孫や娘の家族が沖縄に来たのを聞いて、ある人はミッションの金を使ったと思われるかも知れませんが、そうではありません。私は沖縄のために犠牲を払おうと決心して、貯金をしていました。だから貯めたお金で働きました。ボランティアで良いと皆が言いますが、彼らも生活ができません。だから私が皆に少しずつあげました。皆にあげると、お金がなくなっていきました。一人の孫が二回目に来るときに、交通費を出してあげたいと思いました。「イエス様お金ちょうだい」と祈っていました。沖縄ベテル教会の集会に行くと、一人のおばあちゃんが来て家内を呼ぶのです。そして「奥さん、これ使って」と差し出されました。「自動車を待たせているから…」と言って、祈りを受けて帰っていってしまったそうです。その中に二十万円入っていました。また買い物に行くと、一人のおばさんがニコニコしていました。私もニコニコして見ていると、「これを使って」と言って差し出されました。沖縄に行く前に、一人の大阪の姉妹が第一サムエル記一章十七節の御言葉を贈って下さいました。

『エリは答えて言った。「安心して行きなさい。イスラエルの神が、あなたの願ったその願いをかなえてくださるように。」』

そして御言葉だけではなく、五十万円を送って下さいました。イエス様がすべての必要を下さいました。ピリピ四章十九節に、

『また、私の神は、キリスト・イエスにあるご自身の栄光の富をもって、あなたがたの必要をすべて満たしてくださいます。』

とあります。神様は与える分だけ与えて下さいました。すべてが満たされました。イエス様に、全部沖縄のために命をかけ、時間をかけ、富をかけて働くことを祈りました。この願いを聞いてくださったことを感謝しました。

 沖縄ミッションは霊的な戦いでした。エペソ人への手紙六章十二節に、

『私たちの格闘は血肉に対するものではなく、主権、力、この暗やみの世界の支配者たち、また、天にいるもろもろの悪霊に対するものです。』

と記されています。

 沖縄は悪霊の支配が強いです。覆われているものは露わにされます。「すべて疲れている者、重荷を負っている者はわたしのところに来なさい」という御言葉が教会に書かれていました。その教会に入ってみると、皆、疲れた顔をしていました。その疲れは、霊的な疲れでした。宮古島に行きました。そこは拝所が九百カ所ありました。ユタは悪霊を受けて拝みに行きます。またノロという霊能者は、体から魂が出て宙にいるというのです。そして予言をすると当たるので、皆が拝んでくださいと頼むそうです。しかし駄目になるとまた強いノロやユタの所に行きます。しかし皆、病気になってしまいます。私が行った一つの教会の奥様が、「先生、私は宮古の出身です。私のおばあさんはノロです。しかし家は兄弟四人とも皆、不自然な死に方をしました。」と言われました。二十代で皆亡くなったというのです。なぜ人のために拝んでいるのに、こんなことが起こるか。本当の神は罰を与えることはないと思い、ある時にイエス様を信じたと言われました。そして今は、牧師婦人をされています。沖縄は霊的戦いをしなければなりません。「主が声を出すと、水のざわめきが天に起こる」とありますが、甲子園ミッションの時に霊的戦いが始まりました。これはこの教会の祝福でした。沖縄ではとりなしの祈りをしていました。今回はとりなし軍団が来て祈ってくれました。私の息子が、「SIR」というとりなしの働きをしています。ある時、電話が来ました。「与那国にとりなしに行って欲しい」と言われました。そして祈りに行きました。その時は沖縄の四方に立って祈りました。

 大会の最終日にすごいことがありました。大会が開場する四十五分前に、雨が降り出しました。とりなし軍団から、竜巻が海に出ているという情報が来ました。四本も出ていたのです。「竜巻が来たら、すべてのものが飛んでしまうので祈りましょう」と言われました。そして真剣に祈りました。人々が並んでいましたが、皆をテントに入れました。しかし会場十五分前に雨がぴたりと止まりました。そして竜巻もなくなりました。

 昨日私は大阪の教会に電話しました。すると、「最後の日には大雨が降ったそうですね。」と言われました。しかし大雨は会場の周りには降りましたが、会場は守られました。神様の働きで勝利が現されました。出エジプト記十二章十二節に、

『その夜、わたしはエジプトの地を巡り、人をはじめ、家畜に至るまで、エジプトの地のすべての初子を打ち、また、エジプトのすべての神々にさばきを下そう。わたしは主である。』

と記されています。エジプトの神々と書かれていますが、これは悪霊です。イエス様が勝利するために、日本でも神様が力を現されます。

『主が声を出すと、水のざわめきが天に起こる。主は地の果てから雲を上らせ、雨のためにいなずまを造り、その倉から風を出される。』

 今は偶像に縛られている日本が解放されるように真剣に祈りましょう。本気で祈り、サタンの力が打ち砕かれたらリバイバルが起こされます。新城とそして日本中にリバイバルが起こされることを祈っていきましょう。主が声を出されたことを信じましょう。お祈りしましょう。


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