あなたもあなたの家族も救われます!

2004.11.21(SUN)
新城教会 滝元 順師

新約聖書 使徒の働き 16章30節〜33節
そして、ふたりを外に連れ出して「先生がた。救われるためには、何をしなければなりませんか。」と言った。ふたりは、「主イエスを信じなさい。そうすれば、あなたもあなたの家族も救われます。」と言った。そして、彼とその家の者全部に主のことばを語った。看守は、その夜、時を移さず、ふたりを引き取り、その打ち傷を洗った。そして、そのあとですぐ、彼とその家の者全部がバプテスマを受けた。

 ハレルヤ!一ヶ月ぶりに、新城教会の礼拝で御言葉が語れることを感謝します。色々なところで奉仕させていただきましたが、皆さんのお祈りに支えられ、祝福されたことを感謝します。

 今日は「あなたも、あなたの家族も救われます!」というタイトルで学びます。教会では、救いについて語ります。救いの結果は、「永遠のいのち」です。私たちの人生は、地上で終わりではありません。やがて、誰でも死ななければなりません。地上から出て行きます。これは、全員に定められたことです。しかし、魂は、永遠性のあるもので、どこかで永遠を過ごさなければなりません。しかし、イエス様を信じるならば、永遠のいのちを受け取り、天国に行くことができます。これは素晴らしいことです。イエス様が、人間の罪の身代わりとなって、死んでくださったからです。人間は元々罪人です。しかしイエス様を信じるならば、全ての罪は赦され、結果として永遠の国・天国に連れて行ってくださるのです。教会は、すべての人々が永遠のいのちを得ることを願っています。自分一人だけではなく、家族、親族、全員が天国に行っていただきたいと願っています。永遠に、死も苦しみもないところで過ごせるならば、どんなに素晴らしいことでしょう。そして、家族の救いは大変重要なテーマです。今日ここにおられる全員が、永遠のいのちを得て天国に行っていただきたいと願っています。

 こんなジョークがあります。死期を悟ったユダヤ人の金貸しがいました。彼は何としても、あの世にまで財産を持って行こうと決意しました。彼は全財産を小さな袋に詰めると、屋根裏の自分のベッドの真上に当たる場所にそれを置き、彼は天国に上る途中に手を伸ばして、金袋をつかんで天国に上ろうと計画したのです。

 いよいよその日がやって来ました。ラッパが鳴り響き、彼は自分の体から魂が離れて動き出したのを感じたのです。彼は計画通り、金袋に手を伸ばそうとしました。

 その時、「あっ、しまった!」彼は何者かに引きづり込まれながら叫びました。「やっぱり床下に置くべきだった…」

 いくら地上にお金を蓄えていても、天国には持って行くことができません。それ以上に、天国に行けなければ、何もなりません。たとえ、この地上で多少苦しいことや、悲しいことがあったとしても、天国に行けば勝利です。すべての人々がイエス様を信じて、天国に行っていただきたいのです。そして、家族や親族も皆イエス様を信じて、天国で楽しく過ごしていただきたいと思います。しかし、この地上でも、神は私たちに目的を持っておられ、精一杯生かして下さいます。

 聖書の御言葉の中には、「家族の救い」についての約束があります。聖書の言葉は神が語られた言葉であり、一言一句霊感された言葉です。神の言葉には力があり、天地宇宙を創造する程に力のあるものです。どの言葉にも力が満ちあふれています。そして、家族の救いの為には、「家族の救い」という御言葉の剣が大切です。

 そのような中、一番適した御言葉が、「使徒の働き十六章」です。ここは、「家族の救いマニュアル章」だと思います。家族が救われるためには、どのようにしたら良いのかについて教えています。十六章には、『主イエスを信じなさい。そうすれば、あなたもあなたの家族も救われます』という約束とともに、「二つの家族」の救いについてレポートされています。神は家族を救いたいと願われています。多くの場合教会では、「個人の救い」が強調されます。しかし、聖書をよく読むと、神は家族の救い、共同体の救いを願っておられることが分かります。キリスト教は西洋経由で伝わって来たので、個人的主義が添付され強調されている側面があります。しかし聖書全体では、個人よりも家族、親族、地域、国という視点で救いが述べられています。神は家族を救いに導こうとされています。ノアが神の前に正しかったゆえに、家族全員八人が救われました。船という字は、八人の口と書きます。アブラハムは正しい人でしたが、ソドムとゴモラの滅びの日に、その甥っ子のロトとその家族にも救いの声がかけられました。使徒の働き一六章においても、家族の救いと計画が述べられています。

『主イエスを信じなさい。そうすれば、あなたもあなたの家族も救われます。』

と記されています。この約束の御言葉を、自分のものとして信じて宣言しましょう。『主イエスを信じなさい。そうすれば、あなたもあなたの家族も救われます。』「あなた」という所を「私」として読んでみましょう。

 十六章の中に、二つの家族の救いについて書かれていますが、その一つは「ルデヤ」という女性と、その家族の救いです。使徒の働き十六章十四節から十四節に、

『テアテラ市の紫布の商人で、神を敬う、ルデヤという女が聞いていたが、主は彼女の心を開いて、パウロの語る事に心を留めるようにされた。そして、彼女も、またその家族もバプテスマを受けたとき、彼女は、「私を主に忠実な者とお思いでしたら、どうか、私の家に来てお泊まりください。」と言って頼み、強いてそうさせた。』

また、十六章三十四節には「看守の家族」が救われたことが記録されています。

 

『それから、ふたりをその家に案内して、食事のもてなしをし、全家族そろって神を信じたことを心から喜んだ。』

 この二つの家族の救いと共に、何が起こったのかを見ることができます。また、家族の救いを阻んでいる存在についても知ることができます。これは、マケドニア地方のピリピという町にパウロとシラスが行ったときに起きました。そして、神は、家族の救いの約束を与えて下さいました。

 パウロとシラスがピリピに伝道に行くと、一つのことが起こりました。それが十六章十六節から十八節にレポートされています。これは、ルデヤの家族の救いが現される背景に起こったことでした。

 

『私たちが祈り場に行く途中、占いの霊につかれた若い女奴隷に出会った。この女は占いをして、主人たちに多くの利益を得させている者であった。彼女はパウロと私たちのあとについて来て、「この人たちは、いと高き神のしもべたちで、救いの道をあなたがたに宣べ伝えている人たちです。」と叫び続けた。幾日もこんなことをするので、困り果てたパウロは、振り返ってその霊に、「イエス・キリストの御名によって命じる。この女から出て行け。」と言った。すると即座に、霊は出て行った。』

 

 一人の霊能者の女性が、パウロとシラスにつきまといました。そして、彼女は、「この人たちは、いと高き神のしもべたちで、救いの道をあなたがたに宣べ伝えている人たちです。」と叫び続けました。パウロとシラスの伝道に、町の霊能者が広告塔のようになり宣伝したのです。多分、パウロも初めは、「お前の言うとおりだ・・」と思った事でしよう。あまり悪い気持ちではなかったのかも知れません。しかし、ずっとそんなことを横で叫ばれたので、うるさく感じたと思います。それでパウロは切れたと思います。十八節に、

                                  

『困り果てたパウロは、振り返ってその霊に、「イエス・キリストの御名によって命じる。この女から出て行け。」と言った。すると即座に、霊は出て行った。』

 パウロは「占いの霊」を追い出しました。パウロは神の権威に満ちあふれていた人でした。「即座に、悪霊は出て行った」と記録されています。

 この記録から時々、このように質問されます。「順先生はいつも霊的戦いについて強調されますが、パウロは霊的戦いの権威があったのにもかかわらず、悪霊をすぐに追い出さなかったではないですか。最後に、どうしようもないので、止むに止まれず悪霊を追い出したのではないですか。だから、あまり悪霊のことを強調しない方が良いでは」と言われます。そして、「それから、パウロが悪霊を追い出した後に、どんなことがあったのか知っていますか。二人はその後捕らえられ、牢屋に入れられてしまいましたよ。良い結果ではなかったです。悪霊を扱うことは良いことはないのです。触らぬ神に祟りなしですよ」と言われる人がいます。

 しかし聖書には読み方があります。その箇所だけを強調して読むことも良いですが、歴史的な時間的推移とともに意味を位置づける読み方も大切です。パウロは、何度か伝道旅行を敢行しましたが、この記事は、第二次伝道旅行の中において起こったことです。それは、紀元五十年頃の出来事であったと考えられます。パウロはローマに行くように示され、最終的にはローマに向いました。彼はローマで捕らえられ、人生を終えました。ローマの獄中で彼はいくつかの手紙を書いています。その一つが、「エペソ人への手紙」です。その中で彼は、六章十節から、

『終わりに言います。主にあって、その大能の力によって強められなさい。悪魔の策略に対して立ち向かうことができるために、神のすべての武具を身に着けなさい。私たちの格闘は血肉に対するものではなく、主権、力、この暗やみの世界の支配者たち、また、天にいるもろもろの悪霊に対するものです。』

と霊的戦いを強調しています。しかし、ピリピではあまり強調しませんでした。さて、エペソ人への手紙が書かれたのは、大体、紀元六十年頃であったと思われます。ピリピでの出来事の約十年後です。彼が活動中には、はっきりとわからないことがありました。しかし、人生の晩年になってわかったのです。

 彼は宣教の働きの中で、大きな問題を体験しました。そんな体験を思いめぐらしながら祈っていた時に、神が語られたのだと思います。「お前は伝道生涯の中で、多くの問題を体験したかも知れないが、その背後に、悪霊が働いていたからだ。それも、主権、力、暗闇の支配者たち、天にいる諸々の悪霊という、悪魔の組織が関わっていたのだ。だからあんな事が起きたのだ。その時、あなたは気づかなかった。今すぐ、諸教会に手紙を送りなさい」と語られたのだと思います。

 彼は人生の晩年になって、人生に起こった諸問題が、霊的な力とのつながりがあったことについて教えられたのだと思います。

 聖書には、成功も失敗も含めて記されています。そのような中、今を生きる私たちが何を知るべきかです。諸問題の背後には、霊的な力が関わっているのです。しかしイエス・キリストを信じるときに、暗闇から光に、サタンの支配下から神の支配下に移され、権威をいただくのです。パウロと同じように、悪魔と戦う権威が与えられるのです。この権威を使うならば、勝利の人生を送ることができます。だから、晩年になって霊的戦いについて知るのも良いですが、早いうちに知ったらもっと良いのです。パウロも、ピリピにおいてエペソ人への手紙を書いたときと同じ位に、霊的戦いの現実を理解していたら、事態は変わっていたと思います。

 しかしここでは、特に、「占いの霊」という力が、どのような働きをするのかについて教えていると思うのです。

 今、日本は占いブームです。テレビでも、うさんくさい太ったおばさんが出てきて、「あなたの運勢は…」とやっています。私はその番組を知り、とりなして祈っています。本屋に行っても、多くの占い本が販売されています。人々は個人的にも、暦などを用いて占いをします。また、自分では自信がないと、プロの占い師に占ってもらいます。ある人は、それをファッションのように考えているのかも知れません。占いについて簡単に考えています。しかし実は、これは家族の救いを止め、また、人生に大問題を引き起こす、大きな力なのです。

 パウロは、占いの霊につかれた女性につきまとわれていても、すぐには悪霊を追い出しませんでした。でも、最後に追い出しました。しかし彼らは、その後、捕らえら牢獄に送られたのです。その一連の動きを通して、占いの霊がどのような働きをするかについて教えています。この占いの霊につかれた女性は、何と言ったのでしょうか。

 「この人たちはいと高きしもべたちで、救いの道をあなたがたに宣べ伝えている人たちです」と、「事実」を言いました。彼女の語ったことは「当たっている」のです。

 占いはまず第一に、当たります。当たらなかったら、人々が引き込まれて行くはずがありません。当たっている言葉を聞き、パウロとシラスは少なからず心を開いたために、しばらくは女を放っておいたのでしょう。しかし、彼らは悪霊を追い出しました。けれども、結果は牢獄の中に入れられてしまったのです。これは、占いの霊の働きが背後にあったと思われます。占いは初めは当たります。しかし、当たってしばらくして、気がつくと「牢獄に入っている」のです。 

 この一ヶ月間程、私は沖縄や南西諸島を巡回し、奉仕をさせていただきました。沖縄は占いが盛んです。人々は人生の節々に、ユタやノロという占い師の所に行って、意見を求めます。

 今回、沖縄に行くと、こんな人がいました。自分のお兄さんがある時に、「光が見える・・」と言い出したそうです。その内に彼は学校にも行かなくなり、精神的に調子が悪くなりました。彼は閉じこもって、家の中で色々な物を破壊して、どうにも手がつけられなくなってしまったそうです。

 ある日、兄さんが家の中で普通では考えられないような行動をして、家族は愕然としていたそうです。すると、ある男性が訪ねてきたそうです。

 「私は、あなたの家の前を通りかかった者ですが、神があなたに一つの事を告げるようにと語られたので来ました。」と言ったそうです。そして彼は、今の今まで、お兄さんがやっていた行動パターンを、何も見ていないのにもかかわらず、全部再現したというのです。

 そして、「この家に、このような行動をした人がいるでしょう」と聞きました。その時、お兄さんは、ちょうど檻の中の熊のように、廊下を行ったり来たりしていたそうですが、様子を忠実に再現したそうです。家族はそれを見て、「すごい!」と思ったそうです。

 その人は、「私の言いつけに従って、神の言葉に従うならば、あなたの家族は救われます」と語ったそうです。それで、家族は、その男に心を開いたそうです。

 しかしそれは、本物の神から遣わされた神の人ではなく、「霊感師」でした。それから家族に、「あそこに行って拝みなさい・・」などと、多くの指示が出されるようになったそうです。それで家族は、お兄さんのいやしのために、真剣に拝んだそうです。全財産をかけて霊能者の要求に従ったそうです。期待して、二十年間続けたそうです。しかし、二十年間やっても、お兄さんに何も起こりませんでした。それどころか、お兄さんは全く良くならず、ついに、二十年後、お兄さんは亡くなったそうです。その時にがっかりしましたが、目が開かれたそうです。「この二十年は何だったのだろうか・・・。おかしい!」と思ったそうです。それから、教会に行くようになり、占いが間違っているとわかってイエス様を信じることができた、と話されていました。

 占いが流行っていますが、危険です。初めは当たりますが、その後は、牢獄に入れられます。ある意味で、パウロとシラスの体験を通して、後世の私たちに学ぶようにされたと思います。パウロが占いの霊を追い出したと言っても、「この人たちは神のしもべたちで、救いの道をあなたがたに教える神のしもべたちです・・・」と叫んでつきまとっていた間も、良いことを言っているように見えましたが、実はその間、占いの霊は決して手をゆるめていませんでした。パウロとシラスの背後で働いていたのです。

 悪霊を追い出しましたが、それまでの間、ずっと霊的な力は働いていたのです。悪霊は追い出されましたが、結果は、牢屋の中に入れられてしまい、むち打たれて、足にも鎖がかけられ、牢屋の一番奥に入れられた、と記されています。

 ある意味で、これは占いの霊に関わる中で最終的に追い込まれる場所を現していると思います。むち打たれ、牢の奥に縛られ、普通では救出不可能です。しかし一方、悪霊を追い出した結果、ルデヤの家族と看守の家族の救いにつながったのです。

 色々なところを回ると、牢屋に入っている人が多い事に気づきます。一度しかない人生を幸せに送りたいと誰でも願いますが、幸せに生きている人は一握りです。

 先週の日曜日に、私は、「宮古島」にいました。そこは沖縄からさらに南に下ったところです。とてもきれいな島です。風景もきれいで、楽園のようなです。しかし、そこに住んでいる人が皆幸せかというと、そうでもありません。その島には、九百カ所程の占いの場所があります。人口は四万人程です。人々は真剣に占いをやっています。しかし結果は、使徒の働き十六章に書かれているとおりで、牢獄につながれているかのようです。

 私は宮古島に何回か行っていますが、いつも集会に来られる若い娘がいます。その人は混乱していますが、祈りの時間には必ず出てきます。祈ると、必ず、悪霊が暴れ出します。いつも彼女は、前歯をむき出しにして襲いかかってきます。彼女が来ると、いつもバトルが起こるのです。目が合っただけで彼女は倒れてしまうような感じです。しかし、毎回集会に来られているうちに、変えられて行きました。そして今回は、みんなの前で、証しをされました。「今は通信制の神学校で勉強している」と言われました。お母さんにも会いましたが、以前の娘の状態と同じような感じでした。お母さんも病気で、話しもできないような状態でした。しかし今回はご一緒に祈ることができ、お母さんも祝福を受けました。

 私はそれを見て、多分、お父さんにも問題があると思いました。それで聞いてみると、お父さんは四十年程精神分裂病にかかっていて暴れ者で、地域の人は近づかないそうです。その上、ハンセン氏病にかかって手足が溶けてしまいました。最近は脳溢血で倒れ、ガンにもなって家にいると言われました。それを聞いて私は心を痛めました。「そんな人生、ありだろうか・・・」

 娘も、お母さんも、お父さんも、特にお父さんは何十苦かわかりません。また、お父さんは、時々、包丁を持ち出して辺り構わず振り回すので恐ろしいというのです。

 私はその話を聞いて、「明日、私は、あなたの家に行きます。」と言いました。「えっ、本当に、来てくれるのですか?お父さんは三週間も風呂に入っていないし、ひげも剃っていませんよ」と言われました。私は、「それでも良いよ」言って、家に行くことにしました。

 翌日、家に行くと、家族はお父さんと一緒に住めないので、別棟を建てて住んでいました。暗い部屋に、あまり動けないお父さんが転がされるように座っていました。

 私が、部屋の中に入ると、娘が何本かの包丁を持って外に飛び出して来たそうです。一緒に行った人たちはびっくりしました。「何があったの?」と聞くと、娘は、「もしも順先生に何かあるといけないと思い、家中の包丁をすべて片づけて外に持ち出しました」ということでした。私は一人で部屋に入って、お父さんに話しかけると、心が通じました。私には恐れはありませんでした。私は、彼のいやしのために部屋に入っていき、「お父さん。私は、愛知県から来た牧師です。お父さんの祝福のために来ました。一緒にお祈りしましょう」と言いました。

 お父さんは、目に涙をためていました。お父さんのために、手を置いてお祈りしました。「お父さん。私のあとについて、祈ってください。今までの人生は辛かったかも知れませんが、イエス様を信じるなら、天国に行くことができますから…声がよく出なくても、私のあとについて祈ってください」と言いました。

 すると、お父さんはわかった様子でした。そして私の後について、祈りました。お父さんはたいへん喜んでいました。私も嬉しかったです。私は、「このために、宮古島に来た」と思いました。

 それから家族全員を部屋に呼び、皆の祝福を祈りました。聖霊様が強く働いてくださいました。福音の力は解放の力です。いのちを与えることができます。

 しかし、「なぜ、そこまで牢獄に入れられてしまうのだろう。悲惨すぎる。何かあるに違いない」と思いました。お父さんに、「あなたのお母さんと、お父さんはどんな人でしたか」と訪ねると、娘が、「おばあちゃんは霊能者だった」と答えました。おばあちゃんは家の中に、占い場所を作りました。それでおばあちゃんは、地域の人々や家族の為に、占いをしていました。しかし、結局、家族は全員おかしくなってしまい、おばあちゃんはある人に殺されたというのです。

 おばあちゃんの死後、その祭壇は取り払われましたが、家はまだ牢獄のようでした。私は今まで何回も宮古島に行き、娘が癒され解放されるように戦って祈って来れたことを嬉しく思いました。そして、今回は、お母さん、お父さんのためにもお祈りすることが出来たのです。同時に、占いの力は恐ろしいと思いました。今は占いブームで、当たるように見えますが、それが怖いのです。絶対に、占いをしてはいけません。占いをすると閉じこめられてしまいます。

 イエス様を信じたら、占いをしなくても良いのです。けれども、ある人はクリスチャンになっても、占い的体質が残っています。だから、「私の未来はどうなるのだろうか・・」と不安になります。

 最近、教会の中で「予言」が流行っています。もちろん、聖書の中に預言について書かれていますので、私は否定はしません。時々、「私のために個人的に予言してください」と言われるときがあります。しかし私には、そのような賜物はないし、「私があなたに予言できるとしたら、あなたは必ず、死ぬ!としか言えない」と言います。「何でそんな事言うのですか・・」なぜなら、人はいつか死ぬからです。この預言は決して偽預言にはならないからです。しかし、死ぬ日について、具体的に語ったら、私は、異端になってしまいます。神様は、未来を隠されています。だから、予言も注意しないと、占い的体質とつながっている場合があります。ですから、ある意味で危ないです。

 私たちは、別に、未来について知らなくても良いのです。神の計画は、「あなたに将来と希望を与えるものだ」とあるからです。私たちには将来と希望があります。それで十分です。主を信じる者達の将来には、祝福があります。それで十分です。私たちクリスチャンは、占いに頼らなくても、生きることができます。

 パウロとシラスは、牢獄に入れられました。しかし、そのような中にも神の計画があり、次の段階での勝利がありました。このように、歴史の中で起こされた少しの失敗をも、神は用いられ、次の勝利へと導いてくださるのは、クリスチャン生活の素晴らしい展開です。

 牢獄の中で、パウロとシラスは何をしたのでしょうか。彼らは夜中に、祈りつつ賛美しました。使徒の働き十六章二十二節から二十五節に、

『群衆もふたりに反対して立ったので、長官たちは、ふたりの着物をはいでむちで打つように命じ、何度もむちで打たせてから、ふたりを牢に入れて、看守には厳重に番をするように命じた。この命令を受けた看守は、ふたりを奥の牢に入れ、足に足かせを掛けた。真夜中ごろ、パウロとシラスが神に祈りつつ賛美の歌を歌っていると、ほかの囚人たちも聞き入っていた。』

 

 二人は、牢獄に入っていても祈りつつ賛美をしていました。そんなとき、不思議なことが起こりました。二十六節に、

『ところが突然、大地震が起こって、獄舎の土台が揺れ動き、たちまちとびらが全部あいて、みなの鎖が解けてしまった。』

 

 彼らが真夜中に、祈りつつ賛美していると、大地震が起こり、たちまちとびらが全部開き、みなの鎖が解けてしまったとあります。この大地震とは、不思議な地震です。普通ならば、大地震が起こったら獄舎がつぶれてみな死んでしまうと思います。しかしこの地震は、とびらが開き、鎖が解かれたからです。

 先日も新潟で、大きな地震がありました。この箇所から、地震はある意味で、霊的な領域が関わっていることも教えているように思います。この地震は神の領域が関わっていますが、霊的な領域で悪魔も用いるように思います。地震があると、多くの人が亡くなり、先祖崇拝などの祀りが広がっていくので、悪魔も真剣に自然界にも手を伸ばしていると思います。ですから、私たちは、祈らなければなりません。最近の祈祷会で祈っていることは、「東海沖地震が起こらないように」です。主が働かれて、地震が止められるように祈り、地が癒されること願って祈っています。

 人間は、もともと土で創られました。神様は人の病を癒すことができます。ならば、地球の病も癒すことが出来るはずです。

 先日、二つの素晴らしいことがありました。私は、パラオにとりなしに行きました。その後、主に、何らかのいのりの結果と証拠を見せていただけるようにと祈っていました。一ヶ月前の礼拝後、一人の少年が来て言いました。「僕のために祈ってください。僕は先日脳梗塞で倒れました。目と耳と片手がしびれていて動かない」と言うのです。

 彼は中学三年生です。それで、私はかわいそうに思って、彼のために真剣に祈りました。彼のために祈ると、彼は聖霊に触れられました。次の日に病院に行き検査をしたそうです。すると、麻痺が直っていたそうです。近頃では、血液の値も良くなって、もう薬もいらないと言われたそうです。私はとても嬉しかったです。

 その時に「地震は、地球の脳梗塞のようではではないか・・」と思いました。人間の脳を癒すことができるならば、神は、地球の脳梗塞も癒すことができると思い、皆で、地に手を置いて祈りました。「神様。この地球のストレスを取り除いてください。そして、地震が絶対に起こりませんように!」と祈りました。

 またもう一人は、肺に影があると言われ、三回写真を撮っても同じようにありました。それで精密検査をすると言われたそうです。検査の前週にお祈りしました。すると影は消えて無くなっていたそうです。神様が、とりなしの祈りの結果を見せてくださったと感謝しました。いやしや奇跡の領域が、もっと進んでいくように祈ってください。

 パウロとシラスが賛美と祈りをしていたときに、大地震が起こって、獄舎のとびらが開き、鎖が解き放たれました。

 さて、彼らが真夜中に賛美して、なぜ、このような事が起こったのでしょうか。賛美には力があります。今日も、私たちは賛美をしましたが、賛美には力があります。人々を獄舎から引き出すことができます。もしも、「私の家は獄舎のようで、捕らわれている・・」と言われる方は、賛美してください。そうしたら、神が霊的地震を起こし、獄舎崩れて鎖が落ちます。今日、賛美をしたら、帰ってからも賛美してください。神様が、必ず、家の中で勝利を与えてくださいます。特に、真夜中に彼らが賛美したことには、御言葉の裏付けがありました。詩篇の一四九篇五節から九節の御言葉の原則です。

『聖徒たちは栄光の中で喜び勇め。おのれの床の上で、高らかに歌え。彼らの口には、神への称賛、彼らの手には、もろ刃の剣があるように。それは国々に復讐し、国民を懲らすため、また、鎖で彼らの王たちを、鉄のかせで彼らの貴族たちを縛るため。また書きしるされたさばきを彼らの間で行なうため。それは、すべての聖徒の誉れである。ハレルヤ。』

 

五節から六節に、

『聖徒たちは栄光の中で喜び勇め。おのれの床の上で、高らかに歌え。彼らの口には、神への称賛、彼らの手には、もろ刃の剣があるように。』

 ここに、「称賛」という言葉が使われていますが、旧約聖書中一カ所しか使われていない単語です。ここだけに使われる、賛美を表すヘブル語です。この賛美とは、「最高の賛美」という意味です。賛美の中でも、最高の賛美は、「両刃の剣」だと言うのです。両刃の剣には、両面に刃がついています。一方の刃では、神を最高に賛美するためであり、もう一方の刃は、

『それは国々に復讐し、国民を懲らすため、また、鎖で彼らの王たちを、鉄のかせで彼らの貴族たちを縛るため。』

とあります。最高の賛美をささげるときに、一方では神様がたたえられ、また一方では、王たち、貴族たちといった、悪魔の組織の親分どもが砕かれるのです。毎日、最高の賛美をささげたいと願います。

 今回の沖縄ミッションの賛美は素晴らしかったです。最高の賛美でした。バンドも素晴らしいものでした。三千名ほどの会衆と共に、心からの賛美を主にささげました。とても恵まれました。最高の賛美は両刃の剣で神様が喜んでくださり、悪魔の力が打ち砕かれます。しかし、そんな最高の賛美をすることは難しいと思います。なかなか賛美をする環境が整いません。先週、ある教会で賛美をしようとすると、賛美リーダーが出てきてカセットを流してカラオケで賛美していました。

 しかし、最高の賛美とは、環境が整ってできるものではありません。聖書の概念は一般の概念とは逆です。最高の賛美は、

『聖徒たちは栄光の中で喜び勇め。おのれの床の上で、高らかに歌え。』

とあります。英語の聖書では、「あなたのベッドの上で高らかに歌え」となっています。私たちが、ベッドの上で歌うような賛美が最高の賛美であり、これが両刃の剣だと教えてます。朝起きたときに、時々、耳元に賛美が流れているときがあります。歌おうと思ってはないけれど、賛美が流れていることがあります。これは床の上賛美です。最高、最強の賛美です。それを捕まえることです。

 今日私は、御言葉を語ることになっていたので、朝起きたときに賛美を与えてくださいと祈って寝ました。しかし昨日は危険に思うことがありました。昨日、甥が自転車に乗っていました。そこにはスイッチがあって、それを押すと耳につく音楽がなります。それを私の側でずっとやっているのです。それが頭から離れなかったのです。だから心から賛美が与えられるようにと祈って休みました。しかし主は賛美を与えてくださいました。朝、布団をかぶって賛美をしていました。床の上で賛美をするときに両刃の剣が動きます。

 パウロとシラスは床の上で真夜中に祈りつつ賛美をしていました。他の囚人たちが聞き入っていたのです。普通、囚人は気の荒い人たちです。普通ならば夜中に歌っていたら怒りますが、そうではありませんでした。彼らは翌日のことを考えると眠れなかったのです。パウロとシラスもそうであったのかもしれません。しかし彼らは床の上で賛美をしていました。これが最高の賛美で、主権的な力が打ち砕かれ、彼らは牢獄から出ることができました。

 さて、「占いの霊」を原文で見ると、「プニューマ・ピュトン」と書かれています。これはギリシャ神話の神です。直訳すると、「ピュトンの霊」と訳すことができます。ピュトンとは、アポロンによって退治された蛇です。当時、ピリピにはアポロンの神殿があり、必ず、ピュトンがセットになって祀られていました。そして、その宮の特性は「占い」でした。ピュトンの霊を呼び出して占いをしていました。したがってピュトンの霊を「占いの霊」と訳しているのです。ということは、ピュトンというギリシャ神話の神々の名前の背後に、悪霊が働いていたのです。

 日本でも同じです。神社に行くと、主神と共に、他の祭神がセットで祀られています。伊勢神宮に行っても、内宮に天照が祀られていますが、外宮には豊受が祀られていてセットになっています。昔も今も同じです。アポロンとピュトンのセットは、ギリシャの真ん中にあるデルフォイの町に祀られていましたが、そこまでは遠いのでピリピにも出店のようなものがありました。日本でも伊勢神宮まで行くには遠いので、町々には神明社という伊勢系の神社があり、そこで拝めば伊勢神宮に行くのと同じになります。それはギリシャと同じシステムです。

 さて、パウロは初め知らずに、占いの霊、ピュトンと戦い、追い出しました。ピュトンとはアポロンの子分です。その後捕らえられ、牢屋に入ってしまいました。それにはその関連性があると思います。しかし、最終的に最高の賛美によって打ち負かされたのは、「アポロン」でした。アポロンは、ギリシャ神話でいう「音楽神」でした。音楽を通して働く悪霊でした。ですから、音楽神として位置づけられているピリピの最高神、「アポロン」をやっつける為には、「最高の賛美」が必要でした。

 ピュトンとアポロンのセットが打ち砕かれた結果、ルデヤの家族と看守の家族が救われました。地域の霊的な力が打ち砕かれるときに、家族が救われるのです。私たちはあまり気づいていませんが、地域を支配する悪霊の力に強く影響を受けています。しかし、地域を支配する悪霊が破られるとき、家族親族が救いに導かれます。ぜひ地域のためにとりなして祈ってください。そうしたら主権的な力が打ち砕かれ、家族が救われることを表しています。

 また「占い」が、家を閉じこめる力になるので近づかないようにと教えています。占いに関わらないでください。家の中に働く占いの力が打ち砕かれることを祈りましょう。仏教や神道の根底に占いがあります。

 イエス様が私たちの罪のために身代わりとなり、十字架にかかられ、よみがえってくださったことによって、永遠のいのちが与えられていることは、何と素晴らしい事しょう。今日は、占いの罪を悔い改め、地域の悪魔の力が砕かれて、家族が救われるようにお祈りします。一言お祈りします。

「イエス様、今、私はイエス様のお名前で、父なる神様に祈ります。この祈りを受け取ってください。イエス様だけが私の救い主であることを信じ、受け入れます。私の罪のために身代わりとなり、十字架にかかって死んでよみがえってくださったことを、心から感謝します。永遠のいのちがあることを、心から感謝します。私たちの将来には希望あるのみであることを宣言します。祝福あるのみであることを宣言します。占いの霊から解放してください。かつて、占いや霊媒に関わった罪を赦してください。コックリに関わったことを赦してください。悪霊とのつながりを断ち切ってください。降霊術に関わったことを赦してください。その時に結ばれた、悪霊の力を打ち砕いてください。私を家族を、親族を、牢獄から出してください。救ってください。家族全員が救われ、永遠のいのちを得ることができますように。私の家族を、哀れんでください。祝福してください。救ってください。永遠のいのちを、全員にお与えてください。町を支配している、主権的な力を打ち破ってください。私の口に、最高の賛美を常に与えてください。明日の朝、床の上で賛美が溢れていますように。流れていますように。敵の力が打ち破られ、家族、親族が救われますように。イエス様の御名によって勝利を宣言して祈ります。アーメン。」


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