その時、歴史が動いた!

2004.12.5(SUN)
新城教会 滝元 順師

旧約聖書 イザヤ書9章6節
ひとりのみどりごが、私たちのために生まれる。ひとりの男の子が、私たちに与えられる。主権はその肩にあり、その名は「不思議な助言者、力ある神、永遠の父、平和の君」と呼ばれる。

 ハレルヤ!クリスマスおめでとうございます。早いもので、もうクリスマスの季節となりました。主イエス様の誕生を、心からお祝いをしたいと思います。
 すでに新城教会では、クリスマス集会が行われました。昨日は、子どもクリスマス会がありました。子どもたちはクリスマス会のために、真剣に祈っていました。今年は五〇〇名を目指して、彼らは祈っていました。そして、昨日は雨にもかかわらず、四八〇名が集まりました。子どもたちには信仰があります。よく頑張ったと思います。
 次の日曜日には、ティファニー・レインさんのコンサートが行われます。ぜひお越し下さい。彼らはすでに先週から、全国でコンサートを行っています。今日は大阪の堺福音教会で、チャリティー・コンサートを行います。新潟中越地震の被災者のための癒しを祈り協力するコンサートが開かれます。ぜひお祈り下さい。

 今日は「その時、歴史が動いた!」というタイトルで学びます。テレビで同じタイトルの番組をやっていますが、ある人物の誕生、そして、ちょっとした歴史の一こまが、後世に大きな影響を与えるのを見ることができます。世界の片隅で、誰にも注目されないような出来事が、後に世界情勢を変えてしまう事があります。
 そのような中、一番大きく世界の歴史を動かしたのが、「イエス様」の誕生でした。イエス様がお生まれになられたことで、世界の歴史が塗り替えられました。
 そして、主を信じる者たちもまた、歴史を動かすのです。良い意味において、私たちは世界の歴史を作る者として用いられるのです。

 日本の歴史を見ても、一人の人物が、後に大きな影響を与えた歴史がいくつもあります。例えば、この場所は設楽原ですが、一五七五年に「設楽原の戦い」がこの地で繰り広げられ、一万数千人が死になりました。武田勝頼の騎馬隊と、織田信長と徳川家康の連合軍が戦いました。その時に、もしも、その時、武田方が勝っていたならば、今頃日本はどうなっていたのでしょうか。歴史はだいぶ変わっていたと思います。当時は徳川は織田方よりも前線に出ていました。東郷中学校の隣には八剣神社がありまが、そこが前線基地でした。ひょっとしたら、彼はそこで命を落としていたかも知れません。そうしたら、徳川家康が天下を取ることもなかったので、日本も変わったと思います。三百年にも及ぶ徳川時代はなく、鎖国もなかったのかも知れません。日本はもっと早く西欧化していたのか、または、他国に制圧されていたかもしれません。一人の人物の動向が、世界を変えてしまうことにつながります。
 また日本にキリスト教が伝わったのは、一五四九年のことです。初めは多くの人がキリシタンになりました。しかし、途中でバテレン追放令が出され、キリスト教禁教令が出されました。
 今朝、私は恥ずかしい思いをしました。今回の新城教会ニュースの中で、間違いがあります。「あっ、しまった…」と思いました。それは、「バテレン追放令」を出したのを「家康」と書いてしまいましたが、豊臣秀吉の間違いです。秀吉がバテレン追放令を出し、徳川時代になってからキリスト教が禁教となりました。クリスチャンから見ると、「キリスト教宣教が、順調に続いていたら良かったのに・・」と思うかも知れません。しかし当時入ってきたのは、純粋なキリスト教ではありませんでした。それは、「ローマ・カトリック」でした。それは、当時の大国ポルトガルやスペインの植民地政策と、ローマ法王の世界支配の野望がくっついて、海外に持ち出されたものでした。ですから、一歩間違ったら、日本も植民地化されていたかも知れません。
 ブラジルに、一五四九年、日本と同じイエズス会が入ってきました。その結果、ブラジルはポルトガル領となり、現在も人々はポルトガル語を話しています。同じ年に、日本とブラジルで宣教が始まりました。日本は「バテレン追放令」や「禁教令」により、植民地化はなされませんでした。しかし、ブラジルと同じ道を歩んだら、今頃、私たちはポルトガル語を話しているのかも知れません。ちょっとしたことが、世界を変えてしまいます。

 世界の歴史を変えた事件の中で、最も大きな出来事が「イエス様の誕生」であったのは間違いありません。
 イエス様の誕生は、誕生の七百年前にイザヤが預言していました。

『ひとりのみどりごが、私たちのために生まれる。ひとりの男の子が、私たちに与えられる。主権はその肩にあり、その名は「不思議な助言者、力ある神、永遠の父、平和の君」と呼ばれる。』

 イザヤが活躍していた時代には、「神が人となる」という概念は全くありませんでした。旧約聖書の時代、天地宇宙を創造された神が人になるなど、考えられないことでした。しかし、イザヤは大胆に神の言葉を預かり、語ったのです。今日、私たちはイエス様を信じていますが、それは、深い歴史に基づいた事実です。イエス様は人となられた神ご自身でした。
 私の父親は十二人兄弟の九番目です。母親も子どもを産み疲れ、男の子が生まれてから名前を何にするか迷ったそうです。あまり考えることもなく、「秋に生まれたので明にしておこう」と決めたそうです。しかし、イエス様は違いました。生まれる前から、名前まで決められていました。神が人となるという預言が成就したのが、新約聖書です。ルカ二章十一節に、

『きょうダビデの町で、あなたがたのために、救い主がお生まれになりました。この方こそ主キリストです。』

 史実として、イエス様はお生まれになられました。お生まれになった目的についても、聖書は教えています。ピリピ二章六節から十一節に、

『キリストは、神の御姿であられる方なのに、神のあり方を捨てることができないとは考えないで、ご自分を無にして、仕える者の姿をとり、人間と同じようになられたのです。キリストは人としての性質をもって現われ、自分を卑しくし、死にまで従い、実に十字架の死にまでも従われたのです。それゆえ、神は、キリストを高く上げて、すべての名にまさる名をお与えになりました。それは、イエスの御名によって、天にあるもの、地にあるもの、地の下にあるもののすべてが、ひざをかがめ、すべての口が、「イエス・キリストは主である。」と告白して、父なる神がほめたたえられるためです。』

二章十節から十一節に、

『それは、イエスの御名によって、天にあるもの、地にあるもの、地の下にあるもののすべてが、ひざをかがめ、すべての口が、「イエス・キリストは主である。」と告白して、父なる神がほめたたえられるためです。』

 イエス様がこの地上に来られた目的は、すべての人が「イエス・キリストは主である」と告白することによって、「天の父なる神が誉めたたえられるため」と記されています。
 今日、あなたは、「イエス・キリストは主である」と告白できますか。誰も、神の霊によらなければ、「イエスを主」と告白できないのです。今、「イエスは主です」と告白できるならば、あなたは救われています。その告白は、イエス様が生まれた目的でもあり、その告白を通して、父なる神がほめたたえられるのです。ですから、心の底から、「イエスは主です」と告白しましょう。心からの告白は、救いの証拠であり、私たちと共に聖霊様がおられる証拠でもあります。
 イエス様は神でしたが、人間と同じ姿をとり、ご自分を無にして仕えるためにこの地に来てくださいました。そして、イエスの御名によって、天にあるもの、地にあるもの、地の下にあるもののすべてが、ひざをかがめ、すべての口が、「イエス・キリストは主である。」と告白して、父なる神がほめたたえられるためなのです。

 今週から、二週間に渡り、夜、祈祷会を行います。ぜひ、ご参加下さい。去年もこの季節に、新城を一望できる吉祥山に登り、新城、豊橋、豊川、浜松を見下ろして町の祝福を祈りました。
 しかし、今年は高いところではなく、「低いところ」で祈るように導かれています。今、各地で地震が起こっていますので、地のどん底を意識することが必要だと思います。イエス様が来られたのは、「天にあるもの、地にあるもの、地の下にあるもののすべてが、ひざをかがめ…」とあります。「地の下にあるもの」、それは、何を意味しているのでしょうか。死者のことかも知れません。また、地の高い所から一番低いところ、すべての領域で主をたたえるように、という意味だと思います。
 さらに、今朝、「私はどん底にいます」と言われる人もいるかも知れません。その人は、「地のどん底」という御言葉を握って祈ることが大切です。今回の祈祷会は、「地のどん底祈祷会」と名付けました。象徴的に、この辺りで一番低いところで毎晩祈ることにしました。それで、豊川の「本城下」という低い場所で主を賛美し、祈ることにしました。
 またもう一つは、「鹿のように祈祷会」というタイトルで祈祷会を行います。鹿はクリスマスの飾り物になっていますが、鹿は、谷に下りて水を飲みます。私たちもへりくだって主を慕い求め、地のどん底にまで降りてくださったイエス様を心から求め、現在、どん底で苦しんでおられる方々が救われるように、祈り求める祈祷会を行います。そのための御言葉はイザヤ書四十四章二十三節です。

『天よ。喜び歌え。主がこれを成し遂げられたから。地のどん底よ。喜び叫べ。山々よ。喜びの歌声をあげよ。林とそのすべての木も。主がヤコブを贖い、イスラエルのうちに、その栄光を現わされるからだ。』

この御言葉は賛美にもなっています。

天よ喜び歌え オーオー 
喜び歌え あがないを成し遂げられた
地のどん底よ叫べ オーオー
喜び叫べ あがないを成し遂げられた

ハレルヤ 主に ハレルヤ 歌え
ハレルヤ 主に 叫び

山も木々も歌え オーオー
喜び歌おう あがないを成し遂げられた
私たちも歌おう オーオー
喜び歌おう あがないを成し遂げられた

 クリスマスは、天の高いところから、「地のどん底」にまで光が照らされ、喜びが溢れ救いが現れた時です。私たちは、どん底を意識し、どん底で苦しんでいる方々が救われ、癒され、解放されるように祈りたいと思います。
 詩篇四十二編一節から二節の御言葉にあります。

『鹿が谷川の流れを慕いあえぐように、神よ。私のたましいはあなたを慕いあえぎます。私のたましいは、神を、生ける神を求めて渇いています。いつ、私は行って、神の御前に出ましょうか。』

 鹿は、水が飲みたいとき、谷に下りていきます。そこには川があって水があるからです。
 私たちも、神と出会うためには、谷に下りて行く必要があるのです。時々、人生の中で、「これ以上どうにもならない」というような、どん底の時があります。しかし、「そこに水がある」のです。
 皆様の中にも、「かつて私は、どん底で教会に来た」という人がおられるかも知れません。しかし、今では「そこに水があった!」と言えると思います。

谷川の流れを慕う 鹿のように
主よわが魂 あなたを慕う

あなたこそ我が盾 あなたこそ我が力
あなたこそ我が望み 我は主を仰ぐ

 イエス様をほめたたえます!低いところに下るとき、そこに活ける水があるのです。低いところに行って、主を求めましょう。
 イザヤ書九章一節から二節に、

『しかし、苦しみのあった所に、やみがなくなる。先にはゼブルンの地とナフタリの地は、はずかしめを受けたが、後には海沿いの道、ヨルダン川のかなた、異邦人のガリラヤは光栄を受けた。やみの中を歩んでいた民は、大きな光を見た。死の陰の地に住んでいた者たちの上に光が照った。』

とあります。ここでも、イエス様のお生まれについて預言されています。「苦しみがあったところ」、「はずかしめを受け低くされたところ」に救いがもたらされたのです。そんな場所に、イエス様が生まれると預言されました。
 「苦しみ、はずかしめを受けた人々」とは、究極的には「ユダヤ人」のことです。

 世界の民族の中で、ある意味、ユダヤ人ほど苦しみを受けた民族はいないのかも知れません。中東情勢が現在不安定で、イスラエル旅行の計画ができません。アラファトが亡くなったこともあり、とても情勢が不安定です。
 最近私は、イスラエルに、とりなしの祈りに行かなければならないと感じています。すぐにでも行こうかと考えていますが、家内が心配して、「行かない方が良い」と言います。みこころならば、行って祈ってきたいと思います。
 ユダヤ人の迫害の歴史について調べると、長期に渡る迫害の歴史があるのがわかります。イスラエルは、紀元前九二八年に北イスラエルと南ユダとに分裂し、北イスラエルの十部族はアッシリアに捕囚され、消えてしまいました。彼らがどこに散ったのかわからないのです。南ユダは二部族で国を作りますが、バビロンに捕囚され、七十年間苦しい奴隷生活を送りました。やがて国に帰って第二神殿と呼ばれる神の宮を再建しました。聖書はそこまで記していますが、その後、旧約聖書から新約聖書に至る四百年間、沈黙する期間があります。神は言葉を発しませんでした。
 しかし、その間も歴史は動いていました。特に、古代マケドニアから、アレキサンダー大王が出て、広い地域を支配しました。ユダヤ人もその影響を強く受けました。
 アレキサンダー大王は、世界に大きな影響を与えた人物の一人だと思います。特に彼は、西洋と東洋を結ぶ働きをしました。彼の支配は、ヨーロッパ、エジプト、インドにまでおよび「ヘレニズム」という、ギリシャ的世界観を植え付けようとしました。神の言葉がなかった四百年間、世界はヘレニズムの洗礼を受けました。
 ギリシャ人は第二神殿に、「ゼウス」というギリシャ神話の神を祀り、ユダヤ人に拝ませようとしました。
 誰かからプレッシャーを受けると、人は反発し抵抗運動を起こします。イスラエルもそうでした。四百年の沈黙期間、ヘレニズムの強い影響に対して、ユダヤ教徒たちが反発しました。ユダヤ教の中に、「パリサイ派」と「サドカイ派」という流れが現れ、ヘレニズムに対抗しました。
 案外、中東問題を話すときにマスコミは、「イスラム教対キリスト教の戦い」と言いますし、その背景に、「ユダヤ教がある」と簡単に言います。しかし、よく調べてみると、簡単には語れない難しい問題が背景にあります。
 ユダヤ教の基礎は、「エズラ、ネヘミヤの時代」にありますが、ユダヤ教も時代と共に変わりました。エズラやネヘミヤは、「偶像を捨て、真の神に立ち返る」ことを中心におきました。ですから、エズラやネヘミヤの働きは、真の神に立ち返る「悔い改め運動」でした。しかし、そんな運動も、時代と共に変わっていき、ヘレニズムの影響下で、ユダヤ教は「律法を守る」ことが中心となりました。本来、神と交わる仲介役となるべき律法が、人を苦しめるものに変えられてしまったのです。だからこそ、イエス様は、「パリサイやサドカイ」に対して戦いを挑まれたのです。
 そして最終的には、「パリサイやサドカイ」が、イエス様を十字架につけるために働いたのです。イエス様を十字架にかけたとき、彼らは、「これが私たちの子孫にふりかかっても良い」と暴言を吐きました。

 ユダヤ人の歴史は、虐殺の歴史です。アレキサンダーの時代にも、八万人のユダヤ人が虐殺されたり、四万人が捕虜になったり、四万人の女性や子どもたちが奴隷となって売り払われたこともあったようです。
 しかし特に、イエス様が十字架につけられ、よみがえられた後、それがひどくなりました。イスラエルはローマに支配されていましたが、紀元七十年、パリサイ派から派生した「熱心党」が発端となって、ローマと大戦争になり百万人とも言われる人々がローマ軍によって殺されました。マサダの砦では、九六七名が七ヶ月程籠城し、八千人のローマ軍と戦った歴史があります。最終的には、二人の老婆と五人の子どもを残して、全員が自害する悲惨な事件に発展しました。
 それから一八〇〇年間、ユダヤ人は世界中に散らされ、国を持たない民となりました。やがてサウジアラビアでイスラムが誕生し、エルサレムがイスラムの手に陥りました。それで一〇九九年、ヨーロッパで十字軍が結成され、エルサレムをイスラムから取り返そうという運動が起こりました。しかし、十字軍のもう一つの目的は、「ユダヤ人撲滅」でした。「イエスを十字架につけたような民族は、みな殺しにしてしまえ!」ということでした。エルサレムでユダヤ人は、イスラム教徒と一緒になって十字軍と戦いました。さらにユダヤ人たちは、離散したヨーロッパのすべての国々からも追放されました。イングランドにおいても、神聖ローマにおいても、フランスにおいても、オーストリアにおいても、スペインにおいても、シシリーにおいても、ポルトガルにおいても、ユダヤ人追放と迫害の火の手が野火のように広がっていきました。
 フランスではユダヤ人が井戸の中に毒を入れたという噂から、五千人が火あぶりにされて殺され、ユダヤ人がペストをバラまくと言われて、ヨーロッパ各地で虐殺されました。その後も、ポーランドにおいて十万人のユダヤ人が殺されたり、ロシアでも十数万人が犠牲になっています。
 やがてナチス・ドイツによって、六百万人のユダヤ人が殺されるという悲劇が起こったのは、記憶に新しいところです。世界中で、ユダヤ人に対してひどい扱いがありました。
 私たちは、イスラエルのために、祈らなければなりません。彼らは歴史の中で、休みなく迫害され、殺され続けてきました。実に、地のどん底に突き落とされた民族がユダヤ人なのです。イエス様が、なぜユダヤ人の中に生まれたのかという理由が、そこにあります。世界で最も虐げられ、地のどん底に落とされたユダヤ人を救うというのが聖書の一つのテーマです。イエス様が再臨されるときには、ユダヤ人は皆救われるのです。「御国の福音は、全世界に宣べ伝えられ、終わりが来る」と語られています。救いはエルサレムから始まり、やがてエルサレムに戻るのです。そして、世界の終わりが来ます。最も悲惨な民の真ん中に、イエス様は生まれてくださったのです。
 私たちは、イエス様の誕生を案外軽く考えますが、神のみこころは、地のどん底に落ちた人々が救われることにあります。
 一人の誕生が世界の歴史を変えるのです。「その時、歴史が動いた!」のです。ユダヤの迫害史を見ても、ちょっとしたことが大きな虐殺につながっているのがわかります。一つの事柄が、良い方にも悪い方にも、どちらにも転がるのです。すべての事柄には分水嶺があります。雨が山の頂上に落ち、落ちた位置がちょっと右ならば太平洋、少し左なら大西洋です。日本でも日本海側に行くと、川は日本海側に流れています。こちらでは太平洋側に流れています。降った雨がどちらに流れるのか、場所によって行き先が変わります。
 人生も行く末がわからないのです。しかし、イエス様がこの地上に生まれてくださったのは、悪い方向ばかりに転んでいた人類が、良い方向に転換するためでした。

 イエス様のお生まれに対しても、悪魔は真剣に止めようとした現実を見ることができます。マタイの福音書二章二節に、

『「ユダヤ人の王としてお生まれになった方はどこにおいでになりますか。私たち
は、東のほうでその方の星を見たので、拝みにまいりました。」』

とあります。「博士」とは、原語では「マゴス」です。これは「魔術師」を意味します。当時の博士とは、占星術師のことを指しました。なんと、彼らは、占星術通じて、救い主の誕生をキャッチしたのです。
 二週間前にも語りましたが、占いは恐ろしいです。当たるけれど、後が恐ろしいのです。占星術者は、遠い国でイエス様の誕生をキャッチしました。そして、生まれた場所まで、突き止めたのです。「星が止まった」とありますが、星が家の上に止まるはずがありません。これは、ホロスコープのような、星占いの手法によってイエス様の住んでいた家を特定したという事だと思います。
 魔術師たちがイエス様を拝みました。それは一見、よさそうに見えますが、後が悪いのです。東の博士たちの来訪をきっかけとして、ヘロデ王がベツレヘム近辺に住む二歳以下の子どもたちを皆殺しにしました。それは、イエス様を殺すための計画でした。
 しかしイエス様には、守りがありました。ヨセフが夢を見て、「すぐにエジプトに逃げなさい。ヘロデが死ぬまで戻らないように」と語られました。ヨセフが逃げたので、イエス様も助かりました。東の博士たちは、生誕劇の中で素晴らしく描かれることがありますが、実は、これはドロドロした霊的戦いでした。
 私たちの人生も、ちょっとしたことで方向が全く変わってしまうことがあります。しかし、主を信じる者たちには、悪く展開することはないのです。私たちが神のみこころを求めて生きるときに、神は必ず導きを与えてくださいます。ピリピ二章十二節から十四節に、

『そういうわけですから、愛する人たち、いつも従順であったように、私がいるときだけでなく、私のいない今はなおさら、恐れおののいて自分の救いを達成してください。神は、みこころのままに、あなたがたのうちに働いて志を立てさせ、事を行なわせてくださるのです。すべてのことを、つぶやかず、疑わずに行ないなさい。』

イエス様の誕生の目的と関連し、聖書が私たちに勧めていることは、

『神は、みこころのままに、あなたがたのうちに働いて志を立てさせ、事を行なわせてくださるのです。すべてのことを、つぶやかず、疑わずに行ないなさい。』

と教えています。私たちは、歴史を作っているのです。神の御心に歩むならば、私たちもイエス様と同じように人を癒し、解放する方向へと人生は導かれます。しかし、御心から外れてしまうと、悪しき歴史が作られるのです。ですから、聖書は、「常に主に従い、へりくだり、すべてのことをつぶやかず、疑わずに行ないなさい」と教えています。そうしたら間違いがないのです。詩篇一三九篇三節に、

『あなたは私の歩みと私の伏すのを見守り、私の道をことごとく知っておられます。』

 私たちは、歴史を作る者として、一歩一歩を神に知られた歩みをしていきたいです。決して歩みが神の道から離れたものであったり、悪い歴史を作るものでないよう祈ります。
 このクリスマス、イエス様が私たちの所に来てくださり、私たちの歩みを確かなものとして下さり、良い歴史を作ることができますように。
 私たちが低いところに下ろされる時、そこには水があります。地のどん底からの救いを成し遂げるために、イエス様はこの地に来てくださったのです。常に主のみこころを求めるものでありたいです。また、鹿のように、水を求めて谷底に下りて行くものでありたいです。一歩一歩が主に知られている道を歩むことができますよう、お祈りします。


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