ニューイヤー・イブ・キックオフ・ワーシップ
〜2005年に向けての御言葉〜
パート1


2004.12.31(Fri)
新城教会 四元雅也副牧師
新城教会 上條 実牧師
新城教会 滝元 開副牧師

四元 雅也副牧師
 ハレルヤ!この集会において御言葉を取り次げる恵みを感謝します。

 年末年始のことを「一年の総決算」、「一年の計は元旦にあり」などと言いますが、過ぎる一年を振り返り、また、新たな一年に向かう時です。テレビなどでも今年を振り返り、一〇大ニュースといって二〇〇四年に内外で起こった出来事を綴ったりする今日このごろです。ちなみに日本国内では、新潟中越地震や、自衛隊イラク派兵問題などがニュースのトップに挙げられていました。私たちもクリスチャンとして一年を振り返り、新たな年に向けて神様からのご計画をいただくことは大切なことだと思います。ところで巷では悲しいこと、嘆かわしいこと、不快に思うことが数多く二〇〇四年の主な出来事として取り上げられていたことを覚えます。それと比較して新城教会の一年間を振り返ると、悲しい出来事よりも喜ばしい、神の恵みを覚える出来事が多かったように思います。リバイバル聖書神学校の校舎竣工、沖縄リバイバルミッションなど色々な出来事がありました。悲しい出来事もたしかにありましたが、全体的に見るときに神様が新城教会を祝福してくださったと思います。問題がなかったわけではありませんが、その中に守りもあり、感謝すべき事がたくさんあります。一つ例を挙げるならば、二〇〇四年一月一日から今日までに四十三名の方がイエス様を信じられました。二〇〇三年には四十六名の方が加えられています。このことから新城教会には救われる方がコンスタントに増し加えられていると言えます。今年一年を思いつつ、皆で主の前に栄光をお返しし、感謝をしていきたいと思います。

 さて、二〇〇五年、主は新城教会をどのように導かれるかと、主の前に出て祈りました。その中で教えられたことは、とても単純なことでした。ローマ人への手紙十二章十一節です。

『勤勉で怠らず、霊に燃え、主に仕えなさい。』

 この御言葉を通して私自身が教えられたことは、「立ち止まらずに前進し続けなさい」ということです。またその中から二つのことを教えられました。一つは「神様から与えられた良き賜物を更に発展させなさい」です。もう一つは「更に新しい領域にも積極的に挑戦しなさい」です。神様がこのことを強く私自身に迫られていると感じていますが、この集いの御言葉として与えられましたので教会に対しても神様が望んでおられることとして受け取りましょう。

 「神様から与えられた良き賜物を発展させていく」とは具体的にどのようなことでしょうか。新城教会にはすでに色々な良き賜物が神様から与えられています。日本だけにとどまらず、世界を股にかけて展開しているミニストリーの軸となる機関がいくつか存在しています。全日本リバイバルミッションの働きを通しての日本また世界宣教への働きかけ、「ざわめき」に象徴される賛美ミニストリーは、日本のキリスト教界の賛美をリードしていく働きです。またプレイズ出版に見られるような文書伝道などを通して教会の宣教活動をサポートしていく働きもそうです。また宣教に伴ってグローバルな視点に立つ「とりなしの祈り」も重要な働きです。これらの奉仕は新城教会のみならず、国内外のキリスト教関係者を巻き込みリバイバル運動のいくつもの渦となっています。そしてその軸が新城教会の中に存在し、互いに連携し合い、互いに影響し効果を現し合っています。また私たちひとりひとりは、様々な立場でそれらの働きを担い、それぞれがバランスをとりながら、全体としてリバイバルの働きを円滑に遂行するための器官となっています。このことは、世界と日本のリバイバルのための大切な奉仕であり使命であると思います。これが神様から新城教会に与えられた「賜物」です。

 時々テレビや雑誌などで、音楽界、スポーツ界、芸能界、伝道工芸などの分野で活躍している有名人の談話を見ることがあります。彼らはそれぞれ全く違う世界を専門分野に働いていますが、その取り組み方には共通点が見られます。私なりに分析すると二つの共通点があると思います。一つは、「自分の働きに誇りと情熱を持っている」ことです。そのことが大好きである。それをしている時にやりがいを感じ、生きていることを実感する。またそれをすることによって多くの人に喜んでもらえ、社会的存在価値を感じることです。その意味で、自分がしていることに誇りと情熱を持つことができるということです。もう一点は、「自分の働きにたえず向上を努めている」ことです。自分がやっていることが向上するためには、どんな小さな事も軽んじないで努力していく。また時間がかかりコツコツ積み上げることも忍耐して実行する。面倒臭いと思うことでもつぶやかずにやっていく。壁にぶつかってもへこたれずに立ち向かっていく。そして、そのために払う犠牲をいとわないこと。それが更に前進し、向上していくための努めを怠らないということです。この二点です。私はこれを見て「彼らは前述の御言葉(ローマ人への手紙十二章十一節)を素で実践しているじゃないか」と思いました。この世の人はこの御言葉を知らないのですが、自分の働きを極めるために努力を惜しまず、情熱を傾け続けているわけです。同様に、私たちはこの御言葉の心構えを信仰生活において持ち、実践することがリバイバルの働きに必要だと思います。マタイの福音書二十五章にタラントのたとえが書かれていますが、五タラント預かった人がもう五タラント儲けたように、自分が与えられている賜物をそれぞれの場所において十分に生かし切ることができたらリバイバルの働きは進んでいくのです。

 新城教会の二〇〇四年トップニュースを上げるならば、「沖縄スーパーミッション」でしょう。そこに新城教会から百名近くの方が参加されました。皆が沖縄スーパーミッションに重荷を持ち、祈り、またささげ、そして参加されたことを見るとき、神様から与えられた賜物に忠実であることを覚えます。新城教会の兄姉はそれぞれの立場でリバイバルを支え、建て上げておられるのだと思います。神様は今まで私たちを用いてくださいましたが、二〇〇五年は更に神様によって与えられた賜物を発展させていきたいと思います。ひとりひとりが神様から与えられた使命においても、今祝福されているという現状に満足せず更に前進していく時、リバイバルが益々力強く前進してくのです。私は今までの新城教会の宣教の実績を数値的にま二〇〇三年度のリバイバル報告書を見ると、主日礼拝の参加者が年間平均三一二名とありました。これに今年受洗された四十三名が加えられ、来年また同様の人数が加えられたならば、それだけで毎週の主日礼拝は三六〇席のこの会堂がいっぱいになります。またインターナショナル集会においても同様です。毎週土曜日夜八時三十分から、隣の教育館ホールに百二十名ほど毎週数えられていますが、今年は二十名以上が新メンバーとして加えられました。この調子で増し加えられていくならば、来年にはホールではなく、会堂で礼拝をするようになる可能性もあります。そのように集会が拡大していき、リバイバルの勇士が加えられ、それぞれが「勤勉で怠らず、霊に燃え、主に仕える」という意識を持って歩んでいくと、そこから魂が引き出され、働きもますます多岐に渡って推し進められるようになり、ますます魂が救われるようになる。そのように良い連鎖が生まれリバイバルの力がわいてくると思います。私たちは今与えられている良き賜物を認識し、現状に止まらず、更に前進できるようにますます祈っていきたいと思います。

 またもう一つ教えられた、「新しい領域に積極的に挑戦していきなさい」ということはどういう事でしょうか。今申し上げたように魂が増やされていくということにおいても新しい領域に踏み出すことができると思います。また教会では現在新牧師館が建設中であり、建設が終わると今の滝元明牧師館が壊され、跡には多目的に仕える広い中庭ができます。他にもラジオ伝道について目下検討中です。二〇〇五年中には実行に移されていくと思います。このように新城教会の働きも少しずつ変化しながら拡げられています。そんな中で私たちは新たな領域に挑戦していかなければなりません。最近「どん底」という言葉が教会内でクローズアップされています。昨日三十日は一日とりなし祈祷会が行われ、色々な日本におけるどん底を祈りました。刑務所、病院、斎場、養護施設など社会の中で苦しみがある所や、いろんな意味でどん底にある方がいる場所でお祈りしました。教会が働く場所は、ある意味で「どん底」だと思います。どん底に神の国を現していくことです。霊的戦いにおいても、地域の霊的どん底である偶像の拠点に導かれます。私たちがリバイバルを求めているところも、人々が苦しんでいる領域、嘆いている領域の回復であると思います。二〇〇五年は新しい「どん底」での伝道が開かれるようにも祈っていきたいと思います。個人の信仰生活においても新しい領域が開かれて神の国の建設のために用いられることをお祈りしていきたいと思います。日本のリバイバルを心から信じて、互いに勤勉で怠らず、霊に燃えて主に仕えていきたいと思います。


上條 実牧師
 ハレルヤ!二〇〇四年あっという間に過ぎてしまいました。二〇〇四年にこの教会に与えられた御言葉は「回復」というテーマでした。自分自身が二〇〇四年に与えられていた御言葉は第一コリント二章九節でした。

『まさしく、聖書に書いてあるおりです。「目が見たことのないもの、耳が聞いたことのないもの、そして、人の心に思い浮かんだことのないもの。神を愛する者のために、神の備えてくださったものは、みなそうである。」』

今年一年間、素晴らしい祝福と回復を与えてくださるという約束の中で進むことができて感謝します。二〇〇三年は手にけがをしましたが、今年は守られて健康が与えられた子ををも心から感謝します。またリバイバル聖書神学校もでき、リバイバルミッションの事務所も新しくなったことを感謝します。沖縄スーパーミッションも祝福され、神が備えてくださったものを感謝しました。沖縄の準備の段階で先生方と話し合っている中で、沖縄の先生方は「急がなくても良いですよ」と言われ、ゆっくりされていて手応えをなかなか感じることができず、集会に集まるだろうかと心配していましたが、結果としてとても素晴らしい祝福をいただいたことを感謝します。すべてが神様の恵みの中に導かれて感謝します。

 二〇〇五年に向けて教会に対する御言葉を与えてくださいとお祈りしました。申命記一章六節から十一節です。

『私たちの神、主は、ホレブで私たちに告げて仰せられた。「あなたがたはこの山に長くとどまっていた。向きを変えて、出発せよ。そしてエモリ人の山地に行き、その近隣のすべての地、アラバ、山地、低地、ネゲブ、海辺、カナン人の地、レバノン、さらにあの大河ユーフラテス川にまで行け。見よ。わたしはその地をあなたがたの手に渡している。行け。その地を所有せよ。これは、主があなたがたの先祖アブラハム、イサク、ヤコブに誓って、彼らとその後の子孫に与えると言われた地である。」私はあの時、あなたがたにこう言った。「私だけではあなたがたの重荷を負うことはできない。あなたがたの神、主が、あなたがたをふやされたので、見よ、あなたがたは、きょう、空の星のように多い。──どうかあなたがたの父祖の神、主が、あなたがたを今の千倍にふやしてくださるように。そしてあなたがたに約束されたとおり、あなたがたを祝福してくださるように──』

この御言葉は、モーセが四十年間の旅を振り返った箇所です。イスラエルの民がエジプトを出てホレブで滞在していたときのことです。六節に、

『あなたがたはこの山で長くとどまっていた。』とあります。聖書を調べるとホレブで約一年間止まっていたようです。その間モーセがシナイ山で十戒をいただいたり、祭司や祀りに関する規定が定められたり、幕屋の建設についてなど神様が語られ、整えられた一年間であったことを聖書で見ることができます。しかしシナイ山でモーセが四十日四十夜神様の前に出て十戒をいただいた時、なかなかモーセが帰って来ないので民が不安になり、金の子牛作り礼拝をしたことが書かれています。せっかく神の力で素晴らしい奇跡の中で出エジプトして奴隷生活から解放されたにも関わらず、イスラエルの民はホレブの裾野で不信仰を抱き、一年間目に見える偶像に頼ってしまいました。その時に主がこの御言葉を語られました。「あなたがたはこの山に長くとどまっていた」という御言葉が私の心に残り、このことについて考えていました。私たちが今求めていることはリバイバルです。人々の救いです。色々な事件を見ると考えることができないようなことがたくさんあります。また災害多くの方が亡くなり、日本だけではなく、世界でも地震が起こり多くの人が亡くなっているのを見るとき、今自分は幸せで祝福されているがここにいますが、このまま止まっていて良いのだろうかと考えました。「向きを変えて出発しなさい」と御言葉にありますが、私たちが更に一歩進んでいかなければならないと教えられています。モーセはシナイ山でモーセの十戒など色々な素晴らしい祝福をいただいていますが、ホレブが最終的な目的地ではありません。神様がカナンの地に入れてくださるということでホレブは単な通過点でした。今この二〇〇四年が終わろうとしている時に、素晴らしい祝福をいただき多くの恵みをいただき感謝をささげることができますが、これは通過点であり、更なる祝福を神様が与えてくださると信じます。一章七節に、

『向きを変えて、出発せよ。そしてエモリ人の山地に行き、その近隣のすべての地、アラバ、山地、低地、ネゲブ、海辺、カナン人の地、レバノン、さらにあの大河ユーフラテス川にまで行け。』

とあります。山地や低地、海辺、あらゆる所に行くようにと書かれています。そして八節に、

『見よ。わたしはその地をあなたがたの手に渡している。行け。その地を所有せよ。これは、主があなたがたの先祖アブラハム、イサク、ヤコブに誓って、彼らとその後の子孫に与えると言われた地である。』

まだまだ私たちは多くの所に伝道しなければなりません。また祈り勝ち取っていかなければなりません。「所有せよ」とありますが、実際にイスラエルの民は出かけていき、先に住んでいる人と戦って勝ち取って約束の地に住んでいきました。私たちも更に山地や低地、海辺など色々な所に向けて、更に向きを変えて前進しなければならないと思います。祈りにおいても何かもっと祈り方があると思います。また伝道においても今まで祝福されてきましたが、更に良い伝道活動があるのではないでしょうか。また私たちがまだ止まってしまっており、愛がなくて愛のかけられない所にも私たちは出発していかなければならないと思います。色々なところで私たちは止まってしまい、出発できなかったところに二〇〇五年は占領のためにも出かけていきたいと思います。霊的戦い、日本のリバイバルを目指し、暗闇の力を砕いて勝ち取らせていただきたいと思います。また「空の星よりも多い」という御言葉とともに、十一節は、

『──どうかあなたがたの父祖の神、主が、あなたがたを今の千倍にふやしてくださるように。そしてあなたがたに約束されたとおり、あなたがたを祝福してくださるように──』

とあります。人数を誇るわけではありませんが、とにかくひとりでも多くの魂に福音を宣べ伝え、前進させていただき、低地、海辺、山でもどこででも勝利をさせていただき千倍の祝福をいただきたいと思います。先ほど、三百名の千倍だと三十万と思いましたが、私たちが目指すのはリバイバルであり、今のリバイバルで止まってはいけないと思います。占領する地がたくさんあるので前進して進んでいきたいと思います。「向きを変えて出発しなさい」と与えられました。来年は更に前進することができるように祈っていただきたいと思います。二〇〇五年の終わりの時には占領した地を喜ぶことができるように神の前にへりくだっていきたいと思います


滝元 開副牧師
 ハレルヤ!二〇〇四年の最後の日に御言葉を語ることができることを感謝します。二〇〇四にはダニエル書二章の御言葉で「人手によらず」というテーマが与えられていました。人手によらず、神の手によってリバイバルが進められるということと共に、そして、今年は新城教会にとっての回復の年であると約束の御言葉を受け取って期待して始めました。その通り色々なところで神の御手が働かれた年であり、回復の年であったと信じ感謝します。

 二〇〇五年に向けて与えられた御言葉は、ダニエル書三章二十五節です。

『すると王は言った。「だが、私には、火の中をなわを解かれて歩いている四人の者が見える。しかも彼らは何の害も受けていない。第四の者の姿は神々の子のようだ。」』

この御言葉は十一月頃に与えられ、二〇〇五年のための御言葉であると感じたのですが、「火の中を歩く」とあったので、二〇〇五年は火の中を歩くのかと思うと、この御言葉を自分のものとして受け取ることに時間がかかりました。日本をはじめ世界に起こった二〇〇四年の出来事を見ると、来る二〇〇五年は逃げても逃げなくても火の中を歩くような時代になるのではないかと思います。色々な領域でめまぐるしく、世界が動いている時代です。なぜならイエス様が間もなく帰って来られる時代だからです。二〇〇四年は大変な悲しい事件がたくさんありましたが、これから二〇〇五年が平和になるかというと、そうではないと思います。もっと激しい時代になると思います。それはイエス様が帰ってくる時が近いからです。ですから、最終的なリバイバルを求めて、そのための心構えで二〇〇五年を迎えなければならないのではないかと思っています。

 シャデラク、メシャク、アベ・デネゴは偶像を拝まなかったゆえに火の中に投げ込まれました。もしかしたら私たちも火の中に投げ込まれるような時代に突入しようとしているのかも知れません。しかし、神様はそのような中でも私たちを守ってくださるお方であると信じます。三章十九節に、

『 すると、ネブカデネザルは怒りに満ち、シャデラク、メシャク、アベデ・ネゴに対する顔つきが変わった。彼は炉を普通より七倍熱くせよと命じた。』

とあります。彼らは、七倍熱い火の中に彼らは投げ込まれましたが、私たちは「さばきの火」ではなく「聖霊の火」を、七倍の新しい油そそぎをいただく二〇〇五年にさせていただきたいと思います。一九九二年より霊的戦いが始まり、ここまで導かれていますが、これからはさらに、人間的な力ではなく、リバイバルのわざが導かれるために七倍の油注ぎをいただいて歩みたいと思います。二十二節に、

『王の命令がきびしく、炉がはなはだ熱かったので、シャデラク、メシャク、アベデ・ネゴを連れて来た者たちは、その火炎に焼き殺された。』

とあります。シャデラク、メシャク、アベ・デネゴのを火の中に投げ込もうとした者が焼き殺されることが起こりました。この二〇〇五年には私たちに手出ししようとする悪しき者どもが焼き殺されるようなことが私たちの歩みの中に現されることを願い、また信じていきたいと思います。さらに二十五節に、

『すると王は言った。「だが、私には、火の中をなわを解かれて歩いている四人の者が見える。しかも彼らは何の害も受けていない。第四の者の姿は神々の子のようだ。」』

「火の中を縄を解かれている者が見えた」とあります。縄で縛られて火の中に投げ込まれたのですが、何と彼らは縄が解かれて歩き回っていました。二〇〇五年は火の中を歩むことにより、私たちの内側ある悪しき束縛は焼き尽くされて解かれ、そして、聖霊様の導きの中を私たちは自由に歩きまわり、それぞれに与えられている使命のために、戦い続ける年になることを願います。そして二十五節に、

『第四の者の姿は神々の子のようだ。』

とあります。火の中を歩む時、イエス様ご自身が私たちと共に歩いてくださるという約束です。シャデラク、メシャク、アベ・デネゴだけではなく、そこにはもうひとりの者が歩いていました。それは「神々の子のようだ」とあります。これは旧約時代に現れたイエス様ご自身の姿である言われています。二〇〇五年はイエス様ご自身が共に歩いてくださる年であることを信じ、リバイバルの戦いを走り続けていきたいと思います。イエス様が共に歩いてくださることは何よりも大きな恵みだと思います。上條先生のメッセージの中で、カナンの地に入っていきその地を占領するということ話がありましたが、リバイバルの時に私たちが占領するべき所は、魂を救い出し、日本を奪回するという大きな働きですが、申命記十八章二節に、

『彼らは、その兄弟たちの部族の中で相続地を持ってはならない。主が約束されたとおり、主ご自身が、彼らの相続地である。』

とあります。これは十二部族に分割されて各部族がカナンの地を取っていく中で神様に直接仕えていたレビ人と祭司たちに語られた言葉です。「主ご自身が彼らの相続地であった」とあります。イエス様ご自身が彼らの相続地であったのです。彼らが受け取ったものは約束の地での分捕り物ではなく、イエス様ご自身が共におられたことでした。これから迎える二〇〇五年に私たちがイエス様と共に歩くこが最も大切なことであり、また最も大きな恵みです。二〇〇五年は今まで以上に主がともにに歩んでくださることを願います。

また「ざわめき」のためにもお祈りいただき感謝します。二〇〇一年にキックオフしましたが、二〇〇五年で五年目を迎えます。「ざわめき」のためにレビ記十九章二十三節から二十五節の御言葉が与えられました。

『あなたがたが、かの地に入って、どんな果樹でも植えるとき、その実はまだ割礼のないものとみなさなければならない。三年の間、それはあなたがたにとって割礼のないものとなる。食べてはならない。四年目にはその実はすべて聖となり、主への賛美のささげ物となる。五年目には、あなたがたはその実を食べることができる。それはあなたがたの収穫を増すためである。わたしはあなたがたの神、主である。』

とあります。今年は五年目なのでこの御言葉の通りのことがざわめきの働きの中に現されることを願っています。

『四年目にはその実はすべて聖となり、主への賛美のささげ物となる。』

とありますが、ささげた賛美がイエス様の元に届き、そして五年目は、

『あなたがたはその実を食べることができる。それはあなたがたの収穫を増すためである。わたしはあなたがたの神、主である。』

とあります。この地・日本を奪回するという働きのためにこの年も仕えていきたいと思います。

火の中を歩む中で私たちの縄目が解かれ、主と共に歩み、その中で主の栄光を見せていただける二〇〇五年を期待しています。


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