ニューイヤー・イブ・キックオフ・ワーシップ
〜2005年に向けての御言葉〜
パート2


2004.12.31(Fri)
新城教会 滝元 明牧師
新城教会 岡本信弘牧師
新城教会 公畑フェルナンド副牧師

滝元 明牧師
 ハレルヤ!今年は沖縄のためにお祈りしてくださったことを感謝します。最近、沖縄からたくさんの献金が送られてくるので、感謝の電話をします。皆が「沖縄のためにありがとうございました」と言ってくださいます。ある方は、クリスマスカードを送って下さり、私は七十日程沖縄に住んでいたので、「犠牲を払って長く住んで下さって嬉しいです。しかし先生がもう沖縄にいないことを考えると寂しいです。」と手紙を下さったり、またある先生は、私の若い内にもう一度、沖縄ミッションをして下さいという要請もなされました。皆さんが沖縄のために祈って下さったことを、感謝します。私は、毎年皆さんにクリスマスカードを書いています。しかし私は先日皆さんの前で、「今年は沖縄のためにすべてをささげたため、財をすべて使い果たしたのでクリスマスカードは送れない」と言いました。そんな中で、多くのクリスマスカーが送られてくるのでどうしようと思っていたら、私の息子がクリスマスカードを作ってくれました。それを皆さんに送ります。

 二〇〇五年に向けて、私に与えられた御言葉は、「主の約束の上に立つ」ということです。詩篇一一二篇一節から十節の御言葉です。

『ハレルヤ。幸いなことよ。主を恐れ、その仰せを大いに喜ぶ人は。その人の子孫は地上で力ある者となり、直ぐな人たちの世代は祝福されよう。繁栄と富とはその家にあり、彼の義は永遠に堅く立つ。主は直ぐな人たちのために、光をやみの中に輝かす。主は情け深く、あわれみ深く、正しくあられる。しあわせなことよ。情け深く、人には貸し、自分のことを公正に取り行う人は。彼は決してゆるがされない。正しい者はとこしえに覚えられる。その人は悪い知らせを恐れず、主に信頼して、その心はゆるがない。その心は堅固で、恐れることなく、自分の敵をものともしないまでになる。彼は貧しい人々に惜しみなく分け与えた。彼の義は永遠に堅く立つ。その角は栄光のうちに高く上げられる。悪者はそれを見ていらだち、歯ぎしりして溶け去る。悪者の願いは滅びうせる。』

神は必ず約束を果たしてくださると確信しています。

『ハレルヤ。幸いなことよ。主を恐れ、その仰せを大いに喜ぶ人は。』

とあります。来年はどんなことが起こるのでしょうか。素晴らしいことが起こると多くの先生方が御言葉を通して語られています。来年、私たちが何をすべきかについて考えていますが、どんなことがあってもイエス様を恐れ、仰せを喜ぶ人になることが大切です。私が毎朝思い浮かぶことは、私に与えられている主の約束の言葉です。

 五十五年程前に私の故郷・津具村へ伝道に行きました。私にとってそれが原点のようです。行き詰まって家もなく、お金もなく、親からは勘当されるような中でこれからどうしようと思った時に、イエス様が与えてくださった御言葉があります。田口の桔梗屋という旅館で、眠れずにイエス様の前に泣きながら祈った時に、声をかけて下さいました。「われさらに汝を去らじ。さらに汝を捨てじ。」この御言葉がいつまでも支えになっています。この御言葉は、旧約聖書でヨシュアに語られた言葉です。これからカナンの地を征服するという時に、「われさらに汝を去らじ。さらに汝を捨てじ。」と語られました。「わたしがあなたと共に行く。あなたの一生の間、あなたに立ちはだかる者はない。」という約束です。今日まで、この約束を主が果たして下さり、五十数年の間、守って下さったことは感謝です。

 またもう一つの御言葉があります。まだ独身の頃、悲しい時、苦しい時によく山で祈りました。その中で与えられた御言葉がヘブル書六章十節から十五節です。

『神は正しい方であって、あなたがたの行いを忘れず、あなたがたがこれまで聖徒たちに仕え、また今も仕えて神の御名のために示したあの愛をお忘れにならないのです。そこで、私たちは、あなたがたひとりひとりが、同じ熱心さを示して、最後まで、私たちの希望について十分な確信を持ち続けてくれるように切望します。それは、あなたがたがなまけずに、信仰と忍耐によって約束のものを相続するあの人たちに、ならう者となるためです。神は、アブラハムに約束されるとき、ご自分よりすぐれたものをさして誓うことがありえないため、ご自分をさして誓い、こう言われました。「わたしは必ずあなたを祝福し、あなたを大いにふやす。」こうして、アブラハムは、忍耐の末に、約束のものを得ました。』

「神は不義にいまさねば、汝らの働きと前に聖徒たちに仕え、今もなおこれに仕えて御名のために現したる愛とを忘れたもうことはなし。われらは汝らが各々終わるまで前と同じ励みを現し、全き望みを果たし、怠ることなく信仰を忍び、しもべとし、約束を継ぐ人々に習わんことを求む。それ神はアブラハムに約したもうとき、指して誓うべき己より大いなる者なきゆえに、己をさして誓いて言いたまえり。「われ必ず汝を恵み恵まん。汝を増やし増やさん。」とかくの如くアブラハムは堪え忍びて約束のものを得たり。」

 文語体の聖書は難しいようですが味があります。私の心の中にいつも「神は不義な方ではない。悪い方ではないから必ず良くして下さる。あなたが聖徒に仕え、今も仕えていることを決して忘れられない。」そして、神は自分より上の者がないので、自分を指して誓われました。「われ必ず汝を恵み、恵まん。増やし増やさん。」とアブラハムに語られた御言葉ですが、私を五十数年間支え続けています。「恵み恵まん」なので、今年恵まれたけれど、来年はもっと恵まれる。「増やし増やさん」ですから、今年増やしたけれど、イエス様は来年もっと増やして下さいます。祝福を神様は私たちに与えられると信仰を持っています。神様は皆さんにも、アブラハムと同じ祝福を与えて下さいます。信仰を持っていきたいと思います。一一二篇二節から四節に、

『その人の子孫は地上で力ある者となり、直ぐな人たちの世代は祝福されよう。繁栄と富とはその家にあり、彼の義は永遠に堅く立つ。主は直ぐな人たちのために、光をやみの中に輝かす。主は情け深く、あわれみ深く、正しくあられる。』

とあります。詩篇一一二篇に「主は直ぐなる人たちに」という言葉が二回あります。「主は直ぐなる人たちのために光を闇の中に輝かす」また「直ぐな人たちの世代は祝福されよう」とあります。信仰生活は「直ぐな人」という事が大切だと思います。「直ぐな人」とは、辞書には「まっすぐな人」とあります。イエス様にまっすぐに従っていくことです。他の解釈をすると、「正直な人」、「嘘を言わない人」、「悪賢くない人」、「心が曲がっていない人」です。信仰の世界で、神を騙すことはできません。世の中で要領よくやっていく人がいますが、最終的に祝福を受けるのは、「直ぐな生活をすること」、偽りがなく、真実に生きることが大切です。私は信仰生活を五十六年、また、巡回伝道を開始してから五十年です。日本の色々な働きを見ています。しかし用いられている中でも、案外、早く廃れてしまうことがあります。非常に素晴らしいようですが、消えてしまう人もいます。考えてみると、五十年間巡回伝道で用いていただいたことは恵みです。純粋に嘘を言わず、正直にイエス様に従ったことは祝福です。来年、直ぐな人として、イエス様に従うならば、必ず素晴らしい生活ができると信じます。そうしたら「その人の子孫は地上で力ある者となる」とあります。必ずイエス様が恵みを与えてくださいます。

 私にとって大きな事は、今日、色々な先生方がメッセージをし、長男が司会をしているのを見る事です。今、日本の教会の悩みは、「後継者がないこと」ですが、立派な後継者たちが与えられていることは、神の祝福です。イエス様に従ったら、素晴らしい生活ができます。

 「繁栄と富とはその家にあり、彼の義は永遠に堅く立つ。」とあります。もし真実に直ぐな生活をしたならば、色々な問題があるかも知れませんが、心からイエス様に従っていたら、必ず祝福されます。また「光を闇の中に輝かす」とあります。これからはイエス様の再臨が近づいていますので、もっと悪いことがあるかも知れません。しかし、どんな中でもイエス様の前に直ぐに生き、従うならば素晴らしい生活があると信じます。五節から六節に、

『 しあわせなことよ。情け深く、人には貸し、自分のことを公正に取り行う人は。彼は決してゆるがされない。正しい者はとこしえに覚えられる。』

とあります。正しい生活で真実にイエス様に従い、真実に愛していたら、必ず祝福されることを信じましょう。

『その人は悪い知らせを恐れず、主に信頼して、その心はゆるがない。』

とあります。今の時代において、人間から見ると地震が起こったことや洪水が起こったことは、異常気象などと言われますが、聖書には「人々の罪そのものが住民を吐き出す」とか、「神のさばきが来る」と記されていますので、これからの時代は神を恐れることが大切です。北朝鮮との問題において経済封鎖をするなどと言われていますが、太平洋戦争もアメリカが日本を経済封鎖をしたことから起こりました。もし北朝鮮から核兵器が撃ち込まれたら大変です。インドネシアで起きた地震では、十数万人が亡くなったと言われています。広島に原爆が落ち、二十万人が亡くなりました。また、東京でも爆弾が落ちた時に十万人が亡くなっています。何百万人という人々が戦争でなくなったので、これから私たちはクリスチャンとしてへりくだり、罪を悔い改めて地が癒されること、そして、地震や戦争がないように祈ることが大切です。また世界の人々は悪い知らせのために恐れていますが、クリスチャンは聖書に、

『その人は悪い知らせを恐れず、主に信頼して、その心はゆるがない。』

と書かれています。また八節には、「敵をものともしない」と書かれています。どんな問題が目の前に起こっても、イエス様を愛し、信頼していけば恐れることはありません。サタンが再臨の前に大暴れするかも知れませんが、どんなに恐ろしいことがあっても、やがてイエス様が再臨され、千年王国が築かれ、私たちも復活に与ることができると聖書に書かれています。また九節に、

『彼は貧しい人々に惜しみなく分け与えた。彼の義は永遠に堅く立つ。その角は栄光のうちに高く上げられる。』

とあります。「彼は貧しい人に惜しみなくあげた」とあるように、私たちは苦しんでいる人のために、喜んで惜しみなくささげる、イエス様のためにささげる生活をすることが大切です。天国への備えもして、歩んでいきたいと思います。主を恐れ、イエス様の御言葉を信じ、上手な信仰ではなく直ぐな、正直な信仰を持っていきましょう。互いに祈り合っていきましょう


岡本 信弘牧師
 ハレルヤ! この二〇〇四年が祝福され、皆さんと共に今日を迎えることができたことを感謝します。また一年間、皆さんのお祈りに支えられて、健康で奉仕ができたことも感謝します。

 昨年は「神様が私たちに与えてくださるものは、こんなにちっぽけなものではない。来年は、主に期待していきましょう」と話しました。そして今年、みなさんも多くの恵みをいただいたと思います。

 その中でも、沖縄スーパーミッションは、本当に素晴らしい祝福をいただきました。

今までも証しされましたが、三日目の夕方、雨が降りました。雨が降ったときに明先生は、部屋の隅で真剣に祈っていました。しかし私は運営の係ですので、来られた方をどのようにスムーズに会場に入れるか、どんな場合にも対処できるようにしなければなりません。ですから、雨だと聞いてすぐに、カッパを用意しなければいけないか、ベンチが濡れたらどうするか、人がもうすでに来ているがどうするかなどと考えていました。竜巻が向こうに見えており、来ている人たちからの情報は、「北も南も、もう雨が降っているから、ここも必ず降る」というものばかりでした。しかし祈りによって竜巻は消滅し、雨もやみました。濡れたベンチを手分けして雑巾でふき、コンサートが始まるときにはほとんど乾いた状態で皆さんを入れることができました。そのとき、確かにここに神様が働いておられると感じ、もっと神様の働きが広がっていくと確信しました。

 ミッションの前に、あるスタッフから「パンフレットはどのくらい作りますか? 人数はどれ位集まりますか?」と聞かれました。私は管理上、試算をし「大体、初日一五〇〇人、二日目二五〇〇人、三日目三〇〇〇人」と予想しました。私は、予想を遙かに越える人数が集まることを期待していましたが、大会の三日間が終わって、結果は、一日目一六〇〇人、二日目二五〇〇人、三日目三一〇〇人と、ほとんど私が言ったとおりの人数でした。人数的には残念でしたが、神様が素晴らしい御業を現し、勝利を与えてくださったことを心から感謝します。

 さて、来年に向けて、新たに神様から与えられた御言葉は、ヘブル十二章二十八節です。

『こういうわけで、私たちは揺り動かされない御国を受けているのですから、感謝しようではありませんか。こうして私たちは、慎みと恐れとをもって、神に喜ばれるように奉仕をすることができるのです。』

 この一年を振り返り、私は一生懸命奉仕し、多くの時間を費やして働いて、自分でもよくやったと思っていました。しかし、新しく御言葉をいただいたとき、本当にこれで良かったのだろうか、この一年働いたことが、本当に神様に喜ばれる働きであったのか、という疑問がわき上がってきました。私たちがどれだけ奉仕したか、どれだけ祈ったか、どれだけささげたかということよりも、どれだけ神様に喜ばれる働きをしたか、ということが一番大切だと教えられました。

 プレイズ出版は、教会に向けての文章伝道とともに、一般の仕事もやっています。大きな仕事であればある程、プレッシャーがあり、責任が伴います。特に一般の仕事は要求されることも多く、良い物を提供しなければ怒られます。

 先日、失敗をして会社に呼び出され、担当者に、社内に響き渡るような声で怒られました。短気な人で「何をしているんだ。お前を信頼して任せているのに、そんなことでは仕事なんか与えられないし、金も払えないよ」と言われました。私は「すみません」と聞いているだけです。「どうしてそうなったんだ」と問われ、経緯を説明しましたが、彼は「そんな説明は聞きたくないよ。お客さんが望んでいるものを提供しなければ、何にもならないよ」と言い、最後には「始末書を書いておいて。それによって次に仕事を出すか決めるから」と言い放ちました。

 怒られたときは、本当に落ち込みます。しかし、彼の言っていることは間違っていません。多くのお金をもらって仕事をしているのですから、お客さんの満足する、喜ぶものをどれだけ提供できるかはとても重要です。それができなければ怒られるのは当然です。どうしてそうなったのかをレポートし、それに対してどういう対策をするかを書いて提出し、今もその会社から仕事がもらえているのは、感謝なことです。

 私たちクリスチャンも、同じようなところがあると思います。自分では神様のために一生懸命やったと思っていても、神様は、もっと頑張るようにと思っておられたかも知れません。また、イエス様のためにこれだけしましたと言っていても、自分がそう思っているだけで、神様を喜ばせることができていなかったかも知れません。毎日、始末書を書かなければならないような状態かも知れません。

 私は家内を愛しています。家内が喜ぶことをしてあげたいと思います。しかし私がしてあげたいことと、家内がして欲しいと思うことが食い違うことがあります。来年は結婚して二十五年になりますが、生まれた所、生活環境も違う二人が、まったく同じ思いを持つのはなかなか難しいことだと思います。しかし、本当に愛しているならば、相手のために何かしてあげたいと思います。相手の喜ぶことをしたいと思います。それがどれだけできるかわかりませんが、相手のためにしたいという思いが大切だと思います。神様の前には、もっとその気持ちが必要だと思います。私たちを愛し、救い、恵みを与えてくださっている神様に、何とかして喜んでいただきたいと思います。

 先週、礼拝で「主を知ることを切に追い求めましょう」と御言葉が語られました。まず神様を切に求め、神様を知ることにより、どうしたら神様を喜ばせることができるかを知ることができるのだと思います。

 ガラテヤ書一章十節には、

『 いま私は人に取り入ろうとしているのでしょうか。いや。神に、でしょう。あるいはまた、人の歓心を買おうと努めているのでしょうか。もし私がいまなお人の歓心を買おうとするようなら、私はキリストのしもべとは言えません。』とあります。

 私たちが人にどれだけ認められるかではなく、神様に認められ、神様に喜ばれる働きをして走り続けるときに、本当の意味でしもべとなることができるのです。毎朝目覚めたとき、今日一つだけでも神様に喜ばれることをさせていただきたい、という思いで一年をスタートしていきたいと願っています。

 最近とても嬉しいことがありました。クリスチャンホームに育った娘ですが、「この子の信仰は大丈夫かなぁ」と心配していました。そんな娘がアメリカに留学したのです。

 今、順先生の娘さんの里辺架ちゃんが帰って来ていますが、里辺ちゃんが帰ってくる前日に、私は娘に電話しました。丁度そのとき、里辺ちゃんは娘の家にいたそうで、里辺ちゃんが帰ってきてから私に、「信先生から電話があったとき、私もそこに一緒にいたんだよ。電話が終わった後、二人でお父さんの話になったんだ。お父さんの存在って、いいよね!って語り合ったんだよ」と言いました。それも嬉しいことでしたが、さらに里辺ちゃんが「泉ちゃんも成長したよね」と言ったので、「いや〜、横には成長したけど…」と言うと、「いや、信仰的に成長したよね」と言ってくれました。二人が仕事について話しているとき、「将来どんな仕事に就くにしても、イエス様のために働かなかったら意味ないよね」と言ったというのです。信仰を持っているのかどうかわからないような娘が、神様のために何かしたいと思っているというのを聞いたとき、親バカですが、今までで一番嬉しく、感動しました。

 神様が私たちにしてくださったことに報いたい、何かお返しをしたいという思いで毎日を送ることができたら、神様は本当に私たちにするべきことを教えてくださると思います。

『そのためには、主に喜ばれることが何であるかを見分けなさい。』

(エペソ人への手紙五章十節)

 新しい年、イエス様が喜んでくださることが何であるかを切に求め、主に喜ばれる働きをしていきましょう

公畑フェルナンド副牧師
 ハレルヤ!二〇〇四年私のために、インターナショナル部会のために祈ってくださったことを感謝します。二〇〇五年のために与えられた御言葉は、イザヤ書四十章三十一節です。

『しかし、主を待ち望む者は新しく力を得、鷲のように翼をかって上ることができる。走ってもたゆまず、歩いても疲れない。』

「私たちの力を新しくしましょう」というテーマです。振り返ると、二〇〇四年は大変な年でした。台風や地震などの自然災害がありました。大切な人を亡くされたり、病気になったり、試練にあった方、また疲れた方もおられます。誰でも新年には、良い年になって欲しいと願います。そして、まず新しい力を出して新年を始め、その後休みます。しかし主は、私たちに年の始めだけではなく、毎日、新しい力を得て欲しいと望まれています。そのために、主は動物を例にあげて私たちに教えています。それが「鷲」という鳥です。鷲の特徴からたくさんのことを学ぶことができます。それは二〇〇五年の私たちの霊的生活の良い例えとなります。私たちは、全てのエリアで勝利をとり、新しい力を受けます。七つのポイントで学びます。

 第一ポイントは、鷲は巣を岩の上に作ります。木の上ではなく、安全な岩の上に巣を作ります。イエス様は私たちの岩です。私たちの生活の基盤が、イエス様にあることが大切です。イエス様は私たちの隠れ場です。

 第二に鷲は鳥の中で一番高いところに上ることができます。神様は、私たちがいつも一番高い所にいて欲しいと言われます。すべての面で私たちが成功者となり、神様との強い関係を築くことを願われています。

 第三に鷲は鳥の中で唯一、太陽に向かって飛べる鳥です。鷲は他の鳥と違い、単独行動をします。だから他の鳥から襲われやすいですが、目の中にサングラスのような膜をもっているので太陽に向かって飛ぶことが簡単です。襲われても太陽に向かって逃げることができます。神様は私たちの光です。試練の時に私たちは神様に向かって飛ぶことができます。神様の愛の腕の中に逃げるのです。私たちの光はイエス様です。信仰が私たちの目の膜となり、イエス様に近づくことができます。

 第四に、鷲はその体の大きさの割に、地上で一番力があると言われています。鷲のように自分の体重の何倍もの重さを持つことができる動物は他にはいません。鷲は自分の体重の七十倍まで持ち上げることができるそうです。神様は私たちを力づけ、いつも力溢れる者にしてくださいます。

 第五に鷲は狩りをするので、腐った肉を食べません。私たちクリスチャンも、毎日新しい食べ物を聖霊様からいただけるように求めるべきです。そしてすべてにおいて力を受けましょう。

 第六に鷲は毎年新しい羽根に生え変わります。鷲はいつまでも若いままです。なぜならば、一年に一度岩山に行き、ひとりになります。そこで羽根を新しくします。まず自分で岩に当たって羽根を落とします。すると新しい羽根が生えてきます。聖書は私たちが主と霊的な親密さを求めるときに、主は私たちを新しくし、若くすると教えています。

 そして最後の七番目は、鷲の中には、ときに元気をなくす鷲もいます。その鷲は地上に下りて泥の上を歩き始めます。そして腐った肉でも食べます。鷲は飛ぶもので歩く動物ではありません。しかし元気がなくなると、地上に下りて来ます。そしてその多くは飛べることも忘れて、弱ってしまいます。

 そのような時、他の鷲がその上を飛び、新しい肉を持ってきて投げます。そして新しい肉を食べる習慣にもう一度戻るように促します。また他の鷲たちは、地上に下りた鷲がもう一度飛ぶように誘います。

 鷲の特徴は、私たちたちクリスチャンとよく似ています。時々私たちは腐った古い肉を食べ、神様から離れて自分で人生を歩もうとすることがあります。この時、私たちの人生は渇き、イエス様が与えて下さった喜びや平安、成功、熱心のある高いところまで飛べることを忘れてしまいます。二〇〇五年の三六五日間、毎日鷲に習って力を新しくしていただくならば、それによって、毎日神様が私たちに勝ち取って欲しいと願う霊的なレベルにまで、届くことができます。

 そしてもし腐った肉を食べているような、倒れて元気のない者がいたら、元気な鷲がしたように、新しい肉である聖霊様の油そそぎを持って行きましょう。そして彼らの上を飛び、見守りましょう。決して見捨てないで、また飛ぶように励ましましょう。

 イエス様の御名によって勝利はあなたのものです。二〇〇五年、私たちは新しい力を受け、自分だけのためではなく、リバイバルのために、日本の救いのために、他の兄弟姉妹と共に助け合い、働いていきましょう。


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